伊豆の史跡・碑・像

2017年11月18日


DSCN9973田方郡函南町にある道の駅「伊豆ゲートウェイ函南」に行きました。




展望テラス近くから景色を見ると・・・

DSCN9971ご覧のような森が見えました。




田方平野では、一際だって目を引く森で、田園風景の中に飯を盛ったような丘の景観から「森山」と呼ばれているそうです。

森山は、標高36m。山全体が鎮守の森になっており、森の中に満宮神社があるそうです。



田方の杜
静岡県田方郡函南町塚本413




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2017年10月10日


DSCN0173三島市の三島大社前にある「大社の杜みしま」内に、「頼朝の井戸」と名付けられた井戸がありました。





DSCN0174説明には「源頼朝が、蛭ケ小島(伊豆の国市)から三島大社へ百日祈願した折に、ここの井戸を飲んだと言われている」とありました。



「大社の杜みしま」は、2013年11月末にオープン。これまでなかった屋外で飲食が楽しめる店で、井戸は、ウッドデッキの共有スペース近くにありましたよ。


「頼朝の井戸」
大社の杜 みしま
静岡県三島市大社町18-52




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2017年10月09日


DSCN9218伊豆市にある「原畑遺跡」に行きました。




ここは、伊豆市中伊豆支所の隣に位置。


DSCN9212説明によると「原畑遺跡は、平成12年11月から翌年3月旧中伊豆町役場庁舎建設に伴い、埋蔵文化財の発掘調査が行われていた。当初、350平方メートルほどが、埋蔵文化財包蔵地として周知されていたが、予備調査の結果から約3000平方メートルが調査の対象となった。発掘により、竪穴住居跡・敷石住居跡・配石遺構・集積遺構・土杭・柱穴・中世土杭・中世墓などの遺構が発見された。遺物は、磨製石斧・石棒・スタンプ型石器・石鏃・脚付石皿・磨石・敲石・縄文土器・貿易陶磁などが出土した。

その結果、ここには縄文時代後期に大規模な集落が営まれていたことがわかり、また、中世では墓地になっていたことが分かった。現在、遺跡の大部分は中伊豆支所の建物と駐車場になっているが、発見された遺構の一部が一部復元されている」とありました。

DSCN9214遺跡跡は、ただの広場に見えますが・・






DSCN9215石などが配され、遺構の一部が復元されているようでした。






DSCN92191972年(昭和47年)に、県教育委員会が全県に実施した遺跡分布調査では、中伊豆地区では、縄文時代の遺跡が12カ所見つかったようです。






原畑遺跡

(伊豆市中伊豆支所)
静岡県伊豆市八幡500-1




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2017年09月25日



DSCN8921伊豆市小下田にある「立木釈尊」を再訪しました。







DSCN8922立木釈尊は、国道136号線沿いにあります。







DSCN8923この立木釈尊は、旅人の安全を願って富士見台の松の立木に釈尊像を彫刻。残念ながら松は、松くい虫の被害によって枯死し、現在の祠に安置されています。





031この説明には「この釈尊像は霊峰富士を仰ぐ、ここ富士見台の地に自生していた松の木に昭和十年信仰の念深き当町菅沼土屋政郎氏が旅行者の安全と国家安泰を祈念し、仏像彫刻の大家仲丸奥堂師に依頼して釈尊像を製作したものであり、隣に東屋を設け眺玄園と命名し旅ゆく人に霊峰富士とともに信仰の厚いものであった。
爾来、幾星霜昭和53年夏、松くい虫に侵され枯死この立像を永遠に町の名所旧跡として後世に残すべく地域関係者の努力と地元彫刻家石川季彦師の協力により復元され建立したものである。現在では霊験あらたかと言われ成就祈願する人が後をたたず土肥町の名所になっている。昭和54年9月25日」などとありました。


『立木釈尊』
静岡県伊豆市小下田463-1
だるま寺



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2017年09月07日


DSCN7026初島にあった「通水記念碑」です。






DSCN7027碑文書によると「箱根路をわが超えくれば伊豆の海や沖の小島に波のよる見ゆ」と源実朝に詠われた初島は、天保年間より島の戸数を41戸に制限し長男を除いては島を離れるなどし、限られた島の生活を守ってきました。これは、島民が飲料水をわずかに湧く井戸水に頼ってきたことがその理由の一つであったと言われています。

このように静岡県で唯一の離島である初島は昔から飲料水の確保に大変な苦労を重ねてきました。昭和38年には生活文化の進展による使用水量の増加とそれにともなう水質の変化を是正する為、島内にあった2つの井戸を水源として簡易水道が離島復興法の適用を受け、完成しました。ついで、昭和47年には脱塩浄化装置が導入され、それまでにない良質な水が確保できるようになりました。

これにより、一旦は島の水問題は解消されたように思われました。しかし、昭和40年代に入ると観光業の発展に伴う観光客の増加により再び水不足が大きな課題となりました。そして、熱海市は島の飲料水を恒久的に確保するため3回目の離島復興法の適用を働きかけ、昭和54年から二ヵ年をかけて6551mの(海底送水管布設事業)を完成させました。昭和55年7月17日は初島にとって記念するべき日となりました。記念式典の始め、送水管の先端から本土の水がほとばしりました。島の古からの懸念であった安定的な飲料水の確保がなされた瞬間でした。この日から島民は水の心配から完全に開放されたのでした」とありました。



海底送水管が出来る前、島の女の人は、毎朝・毎晩水を井戸に汲みに行き、米のとぎ汁は、捨てずに、足を洗うなど色々なことに使い水を節約してきたそうです。昭和48年は、島の3箇所の井戸水の塩分が濃くなり1日200トンの水を脱塩して各家庭に送る浄水場ができましたが、美味しい水ではなかったよう。送水管ができてから、いつでも美味しい水が自由に使えるようになったそうです。


DSCN7030通水記念碑の傍らでは、水飲み場がありましたよ。







「通水記念碑」
静岡県熱海市初島



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