2010年01月03日

人生の達人

第一テサロニケ5:16~18

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

9年連続200本安打を達成した大リーガーのイチロー選手は、野球の達人です。聖書に登場するキリストの使徒パウロ先生は、人生の達人だと思います。理不尽な目にあい、何度もむちを打たれ、投獄される逆境の中でさえ、神に祈り、神を賛美する生き様は、すごいなーと感動します。逆境の中でも、造り主なる神を賛美し祈る力は、どこから来るのでしょうか。その秘訣が、今日の聖書の箇所にあると思います。いつも喜んで、絶えず祈り、すべてのことについて感謝する。そのキーワードは、「主イエスにあって」だとパウロ先生は伝えています。
イチロー選手は、白球一筋に生きています。パウロ先生は、「生きることは、キリスト」とキリスト一筋に生きて天に召されました。我らも・・・。


izumichurch at 21:33|PermalinkComments(1)TrackBack(0)テサロニケ人への手紙 第一 

2010年01月01日

この愛届きましたか?

ルカ2:1

きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

親しい人からの心のこもったプレゼントは嬉しいものです。造り主なる神から最高のプレゼントが贈られてきました。救い主イエス様です。イエス様は、私たちの人生の様々な悩み、重荷から救い出してくださる救い主です。主は、「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」と言われています。
イエス様は、死で終わらない、永遠の命をお与えくださる救い主です。ニュースキャスターの山川千秋さんは、病を通して、救い主イエスと出会い、信じました。永遠の命をいただいた喜びに満ちて、天国に帰っていかれました。その著書「死は終わりではない」に詳しく書かれています。


izumichurch at 16:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ルカの福音書 

2009年12月21日

どうしても必要なことはわずかです

ルカ10:38~42

さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村に入られると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」

ベタニヤ村に、マルタ・マリヤ・ラザロという仲の良い兄弟が住んでいました。イエス様と12人のお弟子たちが訪ねた時の出来事です。マルタとマリヤは、主を喜ばせたいと料理をして待っていました。主が来られ、マリヤは、まず、聖書の話を聞くことを選び、マルタは、台所に行きました。そのうち、マルタは、自分だけが損をしているように思えてきて、主と妹に文句を言いました。そのとき、言われたことばが、「どうしても必要なことはわずかです。」 それは、

(1)優先順位を大切にしないと生活に混乱が起こるということ。

(2)生活の真ん中に、聖書をおくということ。なぜなら、みことばは、我らに命を与え、確信を与えてくれるからです。みことばを土台として生きるなら、苦難多き人生もクリアできます。


izumichurch at 21:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ルカの福音書 

2009年12月06日

愛する者に残したいもの

ヨハネ14:1~6

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。わたしの行く道はあなたがたも知っています。」トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとへ来ることはありません。


我らの救い主イエス・キリストは、七つのものを残してくださいました。

(1)「父の家」(天国)です。

14:2

わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。


(2)「わたしの名」(イエス様のもの)を相続できるということです。

14:13,14

またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。


(3)「わたしの戒め」(生活の心得)。

14:15

もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。



14:21

わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します


(4)「もうひとりの助け主」です。

14:16

わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。


(5)「わたしの平安」です。

14:27

わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。


十字架の苦しみの中でも平安をお持ちになり、地上に残す者たちの行く末を思い計られました。

(6)「わたしの愛の中にとどまりなさい。」

15:9

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。


あなたを愛して、ご自身の命を捨てられたその真実なご愛を見つめて生きることです。

(7)「わたしの喜び」です。

15:11

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。


主イエスは、あなたの存在そのものを喜んでおられます。これらのことに心を留めて日々歩みましょう。


izumichurch at 16:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ヨハネの福音書 

2009年11月29日

いい人生を送りたい人へ

第一ヨハネ1:1~7

初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、―このいのちが現れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです。― 私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです。
神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行ってはいません。しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。


人って、聞くもの、見るもの、触るものに影響されて生きていると思います。キリストの弟子のヨハネは、怒りっぽい性格でした。しかし、キリストと一緒に暮らす間に、愛の人に変えられてゆきました。
どんな人も、イエス・キリストを信じ受け入れ、この方との交わりを深めてゆけば、ヨハネが変えられたように、愛の人に変えられてゆくと思います。なぜ、イエス様と交わりを深めてゆけば、愛の人に変えられてゆくのでしょうか。それは、この方は、命の源なる創造主だからです。命は、あったかいです。だから、この方に聞き、見、触れてゆきますと、ぬくもりある人に変えられてゆくのです。


izumichurch at 16:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ヨハネの手紙 第一 

2009年11月15日

あなたも明るい人になれる!

ヨハネ8:1~12

イエスはオリーブ山に行かれた。そして、朝早く、イエスはもう一度宮に入られた。民衆はみな、みもとに寄って来た。イエスはすわって、彼らに教え始められた。すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕らえられたひとりの女を連れて来て、真ん中に置いてから、イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定めるものはなかったのですか。」彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」
イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」


このヨハネの福音書は、光と闇とのコントラストが描かれています。罪という闇と世の光なるキリストです。この婦人だけが罪人ではなく、我々みな神の前に罪を犯してきた罪人です。どんな罪人でも、世の光として来られたキリストを心に迎え入れると、闇から光に移されて、世の人々を照らす明るい人につくりかえてくださいます。それが、福音の力です。
私も私の親友もねくらでした。しかし、どうでしょう。キリストを救い主として信じたら、お互いがお互いにびっくりするほど変えられ、明るい人になったのです。あなたも、世の光なるキリストを信じたら変えられて、暗い気持ちの人に生きる希望をもたらすことのできるお役に立つ人になることでしょう。


izumichurch at 15:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ヨハネの福音書 

2009年11月08日

あなたもやり直せる!

マルコ10:46~52

彼らはエリコに来た。イエスが、弟子たちや多くの群集といっしょにエリコを出られると、テマイの子のバルテマイという盲人の物ごいが、道ばたにすわっていた。ところが、ナザレのイエスだと聞くと、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫び始めた。そこで、彼を黙らせようと、大ぜいでたしなめたが、彼はますます、「ダビデの子よ。私をあわれんでください」と叫び立てた。すると、イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい」と言われた。そこで、彼らはその盲人を呼び、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている」と言った。すると、盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐ立ち上がって、イエスのところに来た。そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。

ここに記されている、テマイの子、バルテマイ。はっきりと名前が記されています。つまり、この人の信仰の体験談が記されていると受け止めてもいいと思います。「かつて私は人生を悲観していたけれど、救い主イエスと出会って、今、喜びにあふれて生きられるようになりました。だから、どんな人でも、キリストによって、新しく希望に輝いて生きられるのです。」と言っています。その、希望へのステップの

(1)キリストの名を聞いて、その方に向かって叫んだということです。

ところが、ナザレのイエスだと聞くと、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫び始めた。そこで、彼を黙らせようと、大ぜいでたしなめたが、彼はますます、「ダビデの子よ。私をあわれんでください」と叫び立てた。

(2)上着を脱ぎ捨てて、キリストにより頼んだということです。

すると、盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐ立ち上がって、イエスのところに来た。

これは、「二度と元の生活には戻らない、一生、キリストについてゆくのだ」という決意です。

(3)目が見えるようになることです。明確に信じています。


izumichurch at 21:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)マルコの福音書 

2009年10月25日

三つの「してくださること」が有り難い

詩篇23

主は私の羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、
それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、
私の頭に油をそそいでくださいます。
私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと
恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。


人生には辛酸が多いです。けれど、天地の造り主が、我々を、こういうふうに守ってくださるから、乗り越えられます。

(1)我々の良い羊飼いとなってお世話にしてくださるから有り難いです。どんなふうにお世話してくださるのでしょうか。それは、緑の牧場に伏させてくださる恵みです。これは、充実した人生に導いてくださるということです。それから、憩いの水のほとりに伴ってくださるということです。これは、心安らかに生きられるということです。

(2) 一生、共に歩んでくださるから心強いです。我々が一番心細く思う、死の陰の谷を歩むときにもです。だから、有り難い気持ちで一杯です。

人生に辛酸多し、されど神は愛なり。


izumichurch at 17:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)詩篇 

2009年10月18日

約束手形

1コリント15:20

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

復活ということは、相手を生かすということですね。死につつある人、弱っている人を生かす力であります。
神は人を愛しておられますので、死で永久に別れてしまうことに耐えられず、我々を何とか永久に生かして共にいたいと思っていらっしゃいます。そこでキリストを死者の中から初穂として復活させられました。これは私たちへの約束手形で、私たちにも復活は現実となります。

〈ちょっと一言〉
「優しい言葉で相手を征服できない人は、いかつい言葉でも征服できない」 ロシアの小説家チェーホフ
優しい人、威張らない人は偉人であると思う。上の言葉をよく考えたい。人気ブログランキング

izumichurch at 17:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)コリント人への手紙 第一 

2009年10月11日

人生の海の嵐にあう時

ルカ8:22~25

そのころのある日のこと、イエスは弟子たちといっしょに船に乗り、「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう」と言われた。それで弟子たちは舟を出した。舟で渡っている間にイエスはぐっすり眠ってしまわれた。ところが突風が湖に吹きおろして来たので、弟子たちは水をかぶって危険になった。そこで、彼らは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです」と言った。イエスは、起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も収まり、なぎになった。イエスは彼らに、「あなたがたの信仰はどこにあるのです」と言われた。弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」


私たちの人生に嵐が吹くときがあります。でも大丈夫です。すべてを支配されている主イエスが共におられるからです。そういうメッセージです。イエス様は、弟子たちに「さあ!向こう岸に行こう!」と言われました。向こう岸、つまり天国と受け止めてもいいと思います。私たちは、天国を目指して、人生という大海原にこぎだした舟人のようなものです。

(1)レッツゴー!と主が言われていることが安心のおおもとです。

(2) 突然の嵐にあったとき、ともかくも、主に「助けてください!」と叫ぶことです。主はその祈りに答えて、立ち上がって、嵐をしずめてくださいます。この主をどこまでも信頼してついてゆきましょう。


izumichurch at 22:03|PermalinkComments(1)TrackBack(0)ルカの福音書