ヨハネの福音書

2009年12月06日

愛する者に残したいもの

ヨハネ14:1~6

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。わたしの行く道はあなたがたも知っています。」トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとへ来ることはありません。


我らの救い主イエス・キリストは、七つのものを残してくださいました。

(1)「父の家」(天国)です。

14:2

わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。


(2)「わたしの名」(イエス様のもの)を相続できるということです。

14:13,14

またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。


(3)「わたしの戒め」(生活の心得)。

14:15

もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。



14:21

わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します


(4)「もうひとりの助け主」です。

14:16

わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。


(5)「わたしの平安」です。

14:27

わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。


十字架の苦しみの中でも平安をお持ちになり、地上に残す者たちの行く末を思い計られました。

(6)「わたしの愛の中にとどまりなさい。」

15:9

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。


あなたを愛して、ご自身の命を捨てられたその真実なご愛を見つめて生きることです。

(7)「わたしの喜び」です。

15:11

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。


主イエスは、あなたの存在そのものを喜んでおられます。これらのことに心を留めて日々歩みましょう。


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2009年11月15日

あなたも明るい人になれる!

ヨハネ8:1~12

イエスはオリーブ山に行かれた。そして、朝早く、イエスはもう一度宮に入られた。民衆はみな、みもとに寄って来た。イエスはすわって、彼らに教え始められた。すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕らえられたひとりの女を連れて来て、真ん中に置いてから、イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定めるものはなかったのですか。」彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」
イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」


このヨハネの福音書は、光と闇とのコントラストが描かれています。罪という闇と世の光なるキリストです。この婦人だけが罪人ではなく、我々みな神の前に罪を犯してきた罪人です。どんな罪人でも、世の光として来られたキリストを心に迎え入れると、闇から光に移されて、世の人々を照らす明るい人につくりかえてくださいます。それが、福音の力です。
私も私の親友もねくらでした。しかし、どうでしょう。キリストを救い主として信じたら、お互いがお互いにびっくりするほど変えられ、明るい人になったのです。あなたも、世の光なるキリストを信じたら変えられて、暗い気持ちの人に生きる希望をもたらすことのできるお役に立つ人になることでしょう。


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2009年09月27日

この3つの「合う」で悩み多き人生を乗り切ろう!

ヨハネ16:33

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。

イエス様は、悩み多き人生を送らねばならない我々に、このように生きなさいと勧めておられます。

(1)互いに仕え合って生きなさい。

ヨハネ13:14

それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。

このように勧められるイエス様ご自身が、しもべの姿を取って、まず弟子たちの足をお洗いになりました。

(2) 互いに愛し合いなさい。

ヨハネ13:34

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

主は、私たちの身代わりになって十字架に命を投げ出されました。私たちも、主の愛を受けた者同士、互いに愛し合って暮らしましょう。

(3)互いに支え合って生きなさい。

ヨハネ17:21~23

それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。


主は、私たちが仲良く暮らせるようにお祈りされています。「人」という漢字は支え合っています。我らも、支え合って暮らしましょう。


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2009年09月13日

わたしは門です

ヨハネ10:9

わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。

こんな自己紹介を聞いたことがありません。イエス様はご自分のことを、「わたしは、門です」と言われました。イエス様という門を通って入りますと、3つの恵みをいただけるのです。

(1)救いを受けます。この「救い」というのは、永遠のいのちを受けると言うことです。

第一ヨハネ5:11~13

そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。
私が神の御子を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。

(2)安らかな心を持って生きることができるということです。ストレス、イライラがたまる時代、この安らかな気持ちで生きられるなんて嬉しいではありませんか。

(3)豊かな牧草を見つけることができるということです。つまり、充実した人生を送れるということです。牧草は、羊にとってなくてはならないものです。牧草は、生きる力を示します。主は我らに、日々、新しい力をお与えくださいます。


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2009年08月02日

あなたを大切に思っていてくださるお方

ヨハネ6:1~13

その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた。大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たからである。イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。

この出来事は、4福音書全てに記されています。よほど神は、この出来事を通して大切なことを教えたいようです。「あなたのことを大切に思ってくださるお方」の第一は、主は、喜んであなたを迎えられるということです。

ルカ9:11

ところが、多くの群衆がこれを知って、ついて来た。それで、イエスは喜んで彼らを迎え、神の国のことを話し、また、いやしの必要な人たちをおいやしになった。

イエス様の元に来た人々は、みなわずらわしい問題を抱えてそれを解決してほしいと思ってやってきていたわけです。それらの人々を皆喜んで迎えられました。第二は、あなたがひもじい思いをしないように思い図ってくださるということです。このひもじさは、腹が減るひもじさと心が病む辛さのことです。主は、両方の飢えを満たして、生き生きとした人生に変えてくださいました。
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2009年07月13日

心うきうきハッピー

ヨハネ4:3~30

主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。 しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。それで主は、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は六時ごろであった。ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは「わたしに水を飲ませてください」と言われた。弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。そこで、そのサマリヤの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」―ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである― イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」彼女は言った。「先生。あなたはくむ物を持っておいでにはならず、この井戸は深いのです。その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。あなたは、私たちの父ヤコブよりも偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を与え、彼自身も、彼の子たちも家畜も、この井戸から飲んだのです。」イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」 イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。」女は言った。「先生。あなたは預言者だと思います。私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。救いはユダヤ人から出るのですから。わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」女はイエスに言った。「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。その方が来られるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。」イエスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」
このとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話しておられるのを不思議に思った。しかし、だれも、「何を彼女と話しておられるのですか」とも、「なぜ彼女と話しておられるのですか」とも言わなかった。女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。 「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。」そこで、彼らは町を出て、イエスのほうへやって来た。


心うきうきハッピーの気持ちになったのは、ひとりの女性がイエス様と出会った結果です。イエス様と出会う前の彼女の心は、心どんよりメランコリーでした。それは、無理もないことで、いい人生を送りたいと頑張って生きてきましたが、失敗ばかり、失望ばかり、挫折の連続でした。彼女が外側ばかり見つめて生きてきた結果です。主イエスは、人を真に幸せにするのは、外側を見つめないで、内側に永遠の命の泉を持つことだよ、と諭されました。メシヤである私が来たのは、汲めども尽きない喜びの泉、平安の泉を与えるためだと語られ、そのことを受け入れた彼女は、新しく生まれ変わったのです。あなたも、イエスを受け入れてみませんか?
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2009年06月14日

世の光なるイエス

ヨハネ9:1~11

またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行なわなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」イエスは、こう言ってから、地面につばきをして、そのつばきで泥を作られた。そしてその泥を盲人の目に塗って言われた。「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって、帰って行った。近所の人たちや、前に彼がこじきをしていたのを見ていた人たちが言った。「これはすわって物ごいをしていた人ではないか。」ほかの人は、「これはその人だ」と言い、またほかの人は、「そうではない。ただその人に似ているだけだ」と言った。当人は、「私がその人です」と言った。そこで、彼らは言った。「それでは、あなたの目はどのようにしてあいたのですか。」彼は答えた。「イエスという方が、泥を作って、私の目に塗り、『シロアムの池に行って洗いなさい』と私に言われました。それで行って洗うと、見えるようになりました。」

エルサレム神殿の出入り口に座って物乞いをしていた生まれつきの盲人と主イエス様との出会いを通して、聖書は、いったい何を教えようとしているのでしょうか。

(1)主イエスは、あなたを見つめられているということです。この人の、言うに言えない悩みを、心の傷を見て、聞いて、良き人生に導くために来られたのです。

(2)あなたの人生には意味があるということです。

イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。

この人の存在が、多くの苦しんでいる人の望みとなりました。障害があるということが問題ではなく、神なき人生を送っているということが問題なのです。

(3)主イエス様こそ、私たちの暗さを照らす光です。たとえ、行く道が真っ暗で不安であったとしても、死んでよみがえられたキリストが共にいてくださったら、安心です。
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2009年05月11日

困ったとき、どうします?

ヨハネ2:1~11

それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれた。ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません」と言った。すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」母は手伝いの人たちに言った。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」さて、そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった。イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、―しかし,水をくんだ手伝いの者たちは知っていた―彼は花婿を呼んで、言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。


私たちの生活の中で、困ること、うろたえてしまうような目にあうことがあります。そのような時、どうしますか?マリヤさんも婚礼の最中に、ぶどう酒がなくなるというような困ったことがおこりました。そのとき、マリヤさんは、どうしたでしょうか。

(1)祈りました。問題そのものを、「ぶどう酒がありません」と、主にお願いしました。祈ったら、次にすることは、(2)期待して待つことです。そうしたら、主が身を乗り出して、みわざをなしてくださいます。
ただ、主のなさり方は、人知をはるかに超えています。ぶどう酒を求めたのに、水を水がめ一杯に満たしなさい、と言われました。私たちの願う門は閉ざされたように思えますが、別の門が開かれていました。それが、幸いでした。
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2008年11月02日

私はぶどうの木で、あなたがたはその枝です

ヨハネ15:1~9

わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。

このたとえ話は、十字架にかかる前の晩、つまり、最後の晩餐の席上で愛する弟子たちに語られたものですから、大変重要な内容が含まれていると思います。我々が、愛と喜びに満ちた人生を送るために、主イエスは、6度「わたしにとどまりなさい」と言われています。つまり、主イエスから離れてはいけないよということです。二つ目は、豊かに実を結ぶために、刈り込みをされるということです。刈り込みとは試練とか苦難を示しています。人は苦難を通して豊かに実を結ぶのです。三つ目は、神と私たちとの関係は、愛の関係であると教えています。神は、無条件にあなたを愛されています。愛に満ちたこの方と、いつまでもともに過ごしましょう!
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2008年10月19日

これはすごい!

ヨハネ6:35

イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じるものはどんなときにも、決して渇くことがありません。

すごいと思うことは、歴史の中で、世界の中で、少なからずありますが、ヨハネの福音書の中で、イエス様がご自分のことを「わたしは〜である」と言われた言葉ほど、すごいものはない!と私は思います。

(1)「わたしは、命のパンです。」私たちの身体を養う食べ物は必要です。しかし、私たち自身が幸せに感じる心を豊かにするのが、イエスを信じる心だということです。

(2)「わたしは、世の光です。」今の世界は、希望の光、愛の光が必要です。キリストが来られたら、闇は消えます。

(3)「わたしは、道です。」私たちは、生き方に迷います。キリストは、正しい生き方を教えてくれます。また、天国に通じる道でもあります。
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