コリント人への手紙 第一

2009年10月18日

約束手形

1コリント15:20

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

復活ということは、相手を生かすということですね。死につつある人、弱っている人を生かす力であります。
神は人を愛しておられますので、死で永久に別れてしまうことに耐えられず、我々を何とか永久に生かして共にいたいと思っていらっしゃいます。そこでキリストを死者の中から初穂として復活させられました。これは私たちへの約束手形で、私たちにも復活は現実となります。

〈ちょっと一言〉
「優しい言葉で相手を征服できない人は、いかつい言葉でも征服できない」 ロシアの小説家チェーホフ
優しい人、威張らない人は偉人であると思う。上の言葉をよく考えたい。人気ブログランキング

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2008年10月26日

生き方チェック

第一コリント9:23〜27

私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。
競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。


電車の運転手は、安全チェックをしながら運転しています。聖書は、我々に生き方チェックを勧めています。

(1)信仰チェックです。
第二コリント13:5

あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。それとも、あなたがたのうちにはイエス・キリストがおられることを、自分で認めないのですか―あなたがたがそれに不適格であれば別です。―

私たちの生きてゆく力は、全部、上から来るからです。神の力を受ける管が、信仰です。

(2)自分チェックです。
第一テモテ4:6

これらのことを兄弟たちに教えるなら、あなたはキリスト・イエスのりっぱな奉仕者になります。信仰のことばと、あなたが従って来た良い教えのことばとによって養われているからです。

神の使徒パウロも、失格者にならないために、自分の体を打ち叩いていると言っています。朽ちない冠を得るために、辛抱、辛抱、と自分に言い聞かせていたのでしょう。

(3)再臨待望チェックです。
黙示録22:7

「見よ。わたしはすぐに来る。この書の預言のことばを堅く守る者は、幸いである。」

黙示録22:12

「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。

黙示録22:20

これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。

主イエスは、「見よ。わたしはすぐに来る」と三度、言われています。この主を、待ち望みましょう。
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2008年06月01日

いつまでも残るもの

第一コリント13:13

こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

創世記に記されているヤコブ、後のイスラエルの生涯は、一言で言うと、波乱万丈の生涯でした。ヤコブは、天に召される日が近づいたとき、12人の子どもらを呼び寄せ、一人一人に祝福を祈り、眠るように御国に帰ってゆきました。
147歳のよぼよぼの身体を杖で支え、天地の神を礼拝し、賛美し、祈り召されてゆきました。色々なことがありましたが、このヤコブを支えてきたものは、主なる神を信じる信仰でした。そして、御国に住めるという希望でした。そして、いつまでも残るものの最高峰は、愛です。
神の愛、人の愛を心に刻みながら、天へのぼっていきました。私たちも、神を愛し、隣人を愛して、日々、歩みましょう。
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2007年12月28日

アブラハム信者とロト信者

1コリント3:1~9
 さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。ある人が、「私はパウロにつく」と言えば、別の人は、「私はアポロに」と言う。そういうことでは、あなたがたは、ただの人たちではありませんか。アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰に入るために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。

 救われている人でも、霊的な人と肉的な人に分けられます。ロトは肉的な人で、いつも欲が中心でした。その結果、周りの人々に良き感化を与えることができませんでした。
 アブラハムは霊的な人で、いつも御言葉中心で、神との交わりを大切にし、犠牲的精神、献身的精神で、この世で生活しましたから、良き感化を与えることができました。

〈ちょっと一言〉

 罪意識の鈍さが、数々の悲劇をこの世にもたらしていると思う。生半可な聖書知識のゆえにもたらす争いは、この世の争いよりさらに悲劇的だ。イエス様も、パリサイ人、祭司、律法学者たちには、ほとほと往生したようだ。自分もその中のひとりだと思うので、困っている。罪意識の鈍さに、心が痛い。神よ、助けてください。
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2007年12月11日

神が用意されているもの

ヨハネ14:1〜3
 1「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。2わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。3わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

神は、我々の幸せのため、色々なものを用意してくださっています。

(1)永遠のすみかです。(2節) 神が完全にご支配なさっている神の国、天国は、私たちの永遠の居場所です。神は、いつもいっしょにいたいと、あなたのために永遠のすみかを用意してくださっています。

(2)明日を用意してくださっています。

マタイ6:31〜34
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第1に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

明日がないという絶望感をもたれたことがおありでしょう。しかし神は、あなたのために明日を用意してくださっています。

(3)第1コリント2:9のみことばのように、驚くべき神様の用意です。一例を聖書から挙げますと、夜通し漁をしたのに一匹も取れず失望していた弟子たちに、153匹の魚を取れるようにしてくださいました。

第1コリント2:9
まさしく、聖書に書いてあるとおりです。
「目が見たことのないもの、
耳が聞いたことのないもの、
そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、
神の備えてくださったものは、みなそうである。」
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2007年12月08日

こだわり

第1コリント2:2
なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。

 こだわるということは、我々の人生の中でも大切なことだと思います。
 気迫ある生涯を送った使徒パウロのこだわりをお伝えします。

(1)十字架につけられたイエスキリストにこだわっています。

ガラテヤ6:14
しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。

 今までは、ピリピ3:5のように、誇るところがいっぱいありましたけれど、そんなものは実にくだらんということがわかりました。

ピリピ3:5
私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれのものです。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、

(2)聖書にこだわっています。

ローマ4:3
聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが神の義とみなされた」とあります。

ローマ10:11
聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」

ガラテヤ4:30
しかし、聖書は何と言っていますか。「奴隷の女とその子どもを追い出せ。奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人になってはならない。」

 聖書はなんと言っているか。それが歩みの土台でした。

(3)信仰にこだわっています。ローマ書を読むと特にそうです。
 信じるというのは、関係のかなめです。神を信じる信仰にこだわっています。

ローマ3:21〜28
 しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、値なしに義と認められるのです。神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。それは、今の時にご自身の義を現すためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました。どういう原理によってでしょうか。行いの原理によってでしょうか。そうではなく、信仰の原理によってです。人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。
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2007年07月10日

十字架につけられたキリスト

第一コリント1:18
 十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。

 あの博学で、聖書知識に精通していたパウロが、上の言葉を言っていることを思うとき、パウロの心の中に、並々ならぬ決意がうかがえる。キリスト教にも根本と枝葉のことがある。キリスト教の根本は、主イエスによる愛とゆるしである。枝葉のことで争いやすい我々に対して、十字架につけられたキリストのほかは何も知るまいと決意したパウロの胸の内を知りたいと思う。

《ちょっと一言》

 私は、丸暗記は強いほうで、そんな科目は良かったけれど、数学の応用問題は、ゼロに近かった。
 人生においても、模倣の天才と言われるほど、言われたことはやる人間であるが、悲しいことに、丸暗記も、人生のほうも身についていないので、豊かな心が三日と続かない。どうしたら直るのか。良いことの一挙手一投足をじっと見て、身体で覚えることだと思う。
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2007年07月03日

賢い建築家

第1コリント3:10〜11
 与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。

 すべての人が、さまざまの材料で人生建築をしていますが、一体何を土台として建てているのでしょうか?
 もし、お金とか、権力とか、健康とか、そういう砂のような土台に、あなたの人生建築をしているならば、すぐに、永遠不滅の神の子であるイエス・キリストという岩なるお方に土台を代えられることをお勧め致します。

《ちょっと一言》

 夏には、スイカ、モモのような水分の多い果物をくださり、冬には、ヤキイモのような体にエネルギーを与える物をくださる。
 夏には、樹が繁茂し、目陰を作り涼しくしてくれる。冬には、木の葉を落として、日の光を通しやすくしてくれる。
 そんな神の深い愛の配慮に、ただ感謝す。
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2007年07月02日

人生の課題

第一コリント13:13 ・14:1
こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
 愛を追い求めなさい。

 神は、私たちがいかに生きるかという人生の課題を与えてくれています。この人生の課題に隠れている聖書の教えは、「〜を追い求めなさい」という奨めです。では何を追求してゆけば、満ち足りた人生となるのでしょうか。

(1)愛を追い求めていきなさい。愛を追い求める人は、人の過ちを赦す人です。主の十字架を仰いで、赦すことです。

(2)平和を追い求めてゆきなさい。平和を追い求める人は、人を受け入れる人です。主のしもべとして、平和を追い求めてゆきましょう。

(3)信仰を追い求めてゆきましょう。信仰を追い求めてゆく人は、神との交わりを大切にする人です。豊かな祝福が注がれます。
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2007年06月24日

生き方

第一コリント13:1〜7 
 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値打ちもありません。また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。 

 聖書は、肝心なことは、目に見えないということを我等に教えてくださっている。わたしたちは、表面的なことに惑わされては、生き方を誤る。見えないものを真とし、見えないものを見る目を持って生きてゆきたいものです。

《ちょっと一言》 

 ある人が、「蒔かず、刈らず、倉に収めることもしない鳥でさえ、神は豊かに養ってくださるけれど、その鳥にもするべきことがある。 ただ口をポカンと開けて、『神が与えて下さるから』と、待っていても、空腹は満たされない。鳥は、エサを捜しに行く努力をしなくてはならない。同じように、神がしてくださることと、人のすべきことがある」と言われた。
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