2009年10月18日

約束手形

1コリント15:20

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

復活ということは、相手を生かすということですね。死につつある人、弱っている人を生かす力であります。
神は人を愛しておられますので、死で永久に別れてしまうことに耐えられず、我々を何とか永久に生かして共にいたいと思っていらっしゃいます。そこでキリストを死者の中から初穂として復活させられました。これは私たちへの約束手形で、私たちにも復活は現実となります。

〈ちょっと一言〉
「優しい言葉で相手を征服できない人は、いかつい言葉でも征服できない」 ロシアの小説家チェーホフ
優しい人、威張らない人は偉人であると思う。上の言葉をよく考えたい。人気ブログランキング

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2009年09月13日

わたしは門です

ヨハネ10:9

わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。

こんな自己紹介を聞いたことがありません。イエス様はご自分のことを、「わたしは、門です」と言われました。イエス様という門を通って入りますと、3つの恵みをいただけるのです。

(1)救いを受けます。この「救い」というのは、永遠のいのちを受けると言うことです。

第一ヨハネ5:11~13

そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。
私が神の御子を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。

(2)安らかな心を持って生きることができるということです。ストレス、イライラがたまる時代、この安らかな気持ちで生きられるなんて嬉しいではありませんか。

(3)豊かな牧草を見つけることができるということです。つまり、充実した人生を送れるということです。牧草は、羊にとってなくてはならないものです。牧草は、生きる力を示します。主は我らに、日々、新しい力をお与えくださいます。


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2008年08月13日

私にあるもの

使徒3:1〜8

ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。すると,生まれつき足のなえた人が運ばれて来た。この男は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」と言って、彼の右の手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮に入って行った。

この世の人は、万事金の世の中だと思っているが、キリスト者はこの考え方に騙されてはいけない。なぜなら、金の力で、人を真に生かすことはできないからだ。人を真に生かすことができるのは、人を創造された神の力でしかないと思う。ペテロはそのことを知っていたから、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう」と言ったのだと思う。

〈ちょっと一言)

ある人が、意見と反抗とは違うということを教えてくださった。
お互いの考えていることを話し合うことは意見だが、先に何も言わないでおいて、注意されてから後で言うのは反抗である、と。
だから、先に意見を出し合ってベストの道を考えてゆくことに話し合いの意義がある。
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2008年08月10日

ストレス解消法

ルカ10:38〜42

さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村に入られると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、1つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」

今、私たちはストレスを持たないでは生きていられないような社会に生きています。あなたにも、さぞかし、様々な要因でストレスがたまっていることでしょう。その解決方法をお伝えします。ここに登場するマルタは、色々ともてなしのためにいらいらし始めています。それで、人に当たりました。けれど、妹のマリヤのほうは、穏やかにイエス様のお話を聞いています。
(1)主の前に座す。まずこれです。
(2)主のみことばに聞き入っていた。心を充電するかのように、聖書の話を吸収していました。
人は、このようにすることにより、新しく力を得て輝くのです。

イザヤ40:27〜31

ヤコブよ。なぜ言うのか。
イスラエルよ。なぜ言い張るのか。
「私の道は主に隠れ、
私の正しい訴えは、
私の神に見過ごしにされている」と。
あなたは知らないのか。聞いていないのか。
主は永遠の神、地の果てまで創造された方。
疲れることなく、たゆむことなく、
その英知は測り知れない。
疲れた者には力を与え、
精力のない者には活気を付ける。
若者も疲れ、たゆみ、
若い男もつまずき倒れる。
しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、
鷲のように翼をかって上ることができる。
走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

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2008年06月26日

聖霊を受けよ

使徒1:3~11

イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。そして,こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」


私たちの内に、争いがあり、ねたみがあり、本当の喜びも神の力も経験できないのは、聖霊による歩みをしていないからだと思います。
聖霊に導かれるためには、心が砕かれる必要があります。己の罪に悲しむとき、神は愛と赦しと力に満たしてくださり、あのステパノのように神に用いられる器となれるのです。

(ちょっと一言)
私は大変理由付けの多い人間でありました。人から「不愉快や」と言われたとき、私の心は、私なりに一生懸命やっているのに、どうして、そんなふうにしか見てくれないのかと、不愉快に思っていました。けれど、それが自己主張、理由付けであったことがわかり、本当に自分は自己主張の強い傲慢な人間であったことかと、今は素直に諦めています。


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2008年02月22日

豊かな人生

詩篇23
主は私の羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、
それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、
私の頭に油をそそいでくださいます。
私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと
恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

敵というのは、病気であり、困難であり、あなたを悩ますものですが、その中にあっても、主は、喜ぶことができる力と恵みをくださるのですね。
また、むちというのは、神の叱責です。その試練を通して、神を、さらに近くに感じます。
全ての物事をすかしてみると、神の御顔が見えるのです。
杖は、神の約束です。主を信頼することですね。

〈ちょっと一言〉

謙虚でなくては、何も学ぶことはできない。学問の第一歩は、自分の無知を知ることである。
謙遜さがなければ、愛もない。愛は、自分の無価値を感じるところに芽生えるからである。
また、自分は弱く、神が必要であることを自覚したとき、まことの宗教心が生まれると思う。
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2007年08月07日

みぞを掘れ

使徒2:1〜4
 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。

 約2000年前、キリストの弟子たちは、祈っていたとき、約束の聖霊に満たされた。
 祈っているときに、神のみわざがすすめられてゆく。みぞを掘るということは、神の言葉にへりくだるということであり、そして、祈る生活であると思っている。祈り深い人に、聖霊は臨んで力を与えるのです。

《ちょっと一言》

 榎本先生が、結婚する前に奥さんに出した手紙の中で、「私をいつも十字架に追いやる妻であってほしい」と書いているそうである。
 何とまあすごい先生だと感心するとともに、己が恥ずかしくなった。私は一生かかっても、こういうキリストの愛の戦士の言葉は言えそうもない気がする。
 知らず知らずのうちに、自分ではなく、他者を十字架に追いやっている我の強い不肖の牧師である。
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2007年06月10日

天職

ローマ15:1 
 私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。 

 わたしたち一人一人は、神から使命を頂いている。誰一人生きていて無駄な人はいないのです。もしあなたが、才能に恵まれ、財に恵まれ、他の力に恵まれているなら、それは、弱い人の為、ない人の為に神が、あなたに与えられた物ですから、強い人は、弱い人の弱さを担って行きましょう。

《ちょっと一言》

 イエス様は、聞く事柄に注意しなさいと、言われているが、わたしたちは、一体どういう話題に、関心を示しているだろうか。たとえば、テレビなどで、漫才とか、内容のないマンガとか、そういう番組ばかりを見ていると、わたしたちの人間性は、そういうものに影響されて、軽薄な人間となってゆくのではないでしょうか。しかし、テレビでも中には、心がジィーンとくる感動するドラマとか、宗教番組もある。そういう話題から、多くを教えられるのではないだろうか。
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2007年06月02日

ああ、嬉しくなる

第一コリント15:58
ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。 

 なぜ、嬉しくなるのか。

(1)主にある労苦が決して無駄にならないからです。
 どのような労苦が報われるのでしょうか。それは、主のわざに励むという労苦です。

(2)神がすべてのことを働かせて益としてくださるからです。

ローマ8:28
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々ためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。  

 ここでも、パウロは知っていると言っています。つまり、経験済みだということです。

(3)主を待ち望む者は、新しく力を得るからです。

イザヤ40:27〜31
ヤコブよ。なぜ言うのか。
イスラエルよ。なぜ言い張るのか。
「私の道は主に隠れ、
私の正しい訴えは、
私の神に見過ごしにされている」と。
あなたは知らないのか。聞いていないのか。
主は永遠の神、地の果てまで創造された方。
疲れることなく、たゆむことなく、
その英知は測り知れない。
疲れた者には力を与え、
精力のない者には活気をつける。
若者も疲れ、たゆみ
若い男もつまずき倒れる。
しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、
鷲のように翼をかって上ることができる。
走ってもたゆまず、歩いても疲れない。 

 この新しい力とは何でしょうか。それは、聖霊の力です。この力は主を待ち望む者に豊かに注がれます。
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2007年05月28日

祈りの力

使徒2:1〜4 
 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。 

 聖霊なる神によって歩むということは、わたしたちの生命線です。神は、謙遜な人に住んで、共に生きてくださいます。そんな人の祈りは、力があります。

《ちよっと一言》

 言い訳と反省の違い。神のみ心に添った哀しみは、反省であり、これは、その人を再生させるものである。この世の悲しみは、言い訳ということであり、それは、その人を滅ぼすものである。人間は、言い訳の天才であり、人類の初め、アダムとエバは、言い訳をして、責任転嫁の罪を犯した。
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