喜び

2010年01月03日

人生の達人

第一テサロニケ5:16~18

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

9年連続200本安打を達成した大リーガーのイチロー選手は、野球の達人です。聖書に登場するキリストの使徒パウロ先生は、人生の達人だと思います。理不尽な目にあい、何度もむちを打たれ、投獄される逆境の中でさえ、神に祈り、神を賛美する生き様は、すごいなーと感動します。逆境の中でも、造り主なる神を賛美し祈る力は、どこから来るのでしょうか。その秘訣が、今日の聖書の箇所にあると思います。いつも喜んで、絶えず祈り、すべてのことについて感謝する。そのキーワードは、「主イエスにあって」だとパウロ先生は伝えています。
イチロー選手は、白球一筋に生きています。パウロ先生は、「生きることは、キリスト」とキリスト一筋に生きて天に召されました。我らも・・・。


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2009年12月06日

愛する者に残したいもの

ヨハネ14:1~6

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。わたしの行く道はあなたがたも知っています。」トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとへ来ることはありません。


我らの救い主イエス・キリストは、七つのものを残してくださいました。

(1)「父の家」(天国)です。

14:2

わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。


(2)「わたしの名」(イエス様のもの)を相続できるということです。

14:13,14

またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。


(3)「わたしの戒め」(生活の心得)。

14:15

もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。



14:21

わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します


(4)「もうひとりの助け主」です。

14:16

わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。


(5)「わたしの平安」です。

14:27

わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。


十字架の苦しみの中でも平安をお持ちになり、地上に残す者たちの行く末を思い計られました。

(6)「わたしの愛の中にとどまりなさい。」

15:9

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。


あなたを愛して、ご自身の命を捨てられたその真実なご愛を見つめて生きることです。

(7)「わたしの喜び」です。

15:11

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。


主イエスは、あなたの存在そのものを喜んでおられます。これらのことに心を留めて日々歩みましょう。


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2009年05月18日

聖書の教える子育てへのすすめ

エペソ6:4

父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。

作物を育てる、花を育てるにしても、苦労と喜びが交差します。子育てに関しても、苦労と喜びが交差します。命をはぐぐむということは、一生ものだと思います。では、どのようにわが子の命を育んでゆけばいいのでしょうか。

(1)「主の教育と訓戒によって育てなさい。」聖書を人生という家の土台とすることです。「聖書は、こういっているよ。」アブラハム・リンカーンの母親がそうでした。

(2)目線を合わせるということです。

第一コリント9:20~22

ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。律法を持たない人々に対しては、―私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが―律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。

何のために、そうするかというと、より良い関係を築くためです。目線を合わせると、同じ風景が見られて、喜びと悲しみを共有できるからです。
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2008年11月16日

こんなにも人って変わるの!

ルカ26~39

こうして彼らは、ガリラヤの向こう側のゲラサ人の地方に着いた。イエスが陸に上がられると、この町の者で悪霊につかれている男がイエスに出会った。彼は、長い間着物も着けず、家には住まないで、墓場に住んでいた。彼はイエスを見ると、叫び声をあげ、御前にひれ伏して大声で言った。「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのです。お願いです。どうか私を苦しめないでください。」それは、イエスが、汚れた霊に、この人から出て行け、と命じられたからである。汚れた霊が何回となくこの人を捕えたので、彼は鎖や足かせでつながれて看視されていたが、それでもそれらを断ち切っては悪霊によって荒野に追いやられていたのである。イエスが、「何という名か」とお尋ねになると、「レギオンです」と答えた。悪霊が大ぜい彼に入っていたからである。悪霊どもはイエスに、底知れぬ所に行け、とはお命じになりませんようにと願った。ちょうど、山のそのあたりに、おびただしい豚の群れが飼ってあったので、悪霊どもは、その豚に入ることを許してくださいと願った。イエスはそれを許された。悪霊どもは、その人から出て、豚に入った。すると、豚の群れはいきなりがけを駆け下って湖に入り、おぼれ死んだ。飼っていた者たちは、この出来事を見て逃げ出し、町や村々でこの事を告げ知らせた。人々が、この出来事を見に来て、イエスのそばに来たところ、イエスの足もとに、悪霊の去った男が着物を着て、正気に返って、すわっていた。人々は恐ろしくなった。目撃者たちは、悪霊につかれていた人の救われた次第を、その人々に知らせた。ゲラサ地方の民衆はみな、すっかりおびえてしまい、イエスに自分たちのところから離れていただきたいと願った。そこで、イエスは舟に乗って帰られた。そのとき、悪霊を追い出された人が、お供をしたいとしきりに願ったが、イエスはこう言って彼を帰された。 「家に帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを、話して聞かせなさい。」そこで彼は出て行って、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、町中に言い広めた。

ここに登場している男性は、最悪最低の生活をしていた人でした。そんな人でも、イエス様と出会うことにより、喜びに満ちた人へと変えられたのです。では、この人は、どのように変えてもらえたのでしょうか。
(1)人間関係―良い関係を結べるように変えてくださいました。家に住むことが難しかったがゆえに、墓場に住み、人間関係を保つための服を着ていなかったことが、そのことを言い表しています。主に癒やされて、服を着、家に帰ってゆくことができました。
(2)この人自身を変えてくださいました。石で自分のからだを傷つけるということは、自分なんかいないほうがいいと思っていたわけです。自分で自分を救えない自分を、主は、救ってくださったのです。
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2008年01月02日

神が望んでおられる事

第1テサロニケ5:16~18
16いつも喜んでいなさい。17絶えず祈りなさい。18すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

 我々を造られた神は、私たちにどういうふうに生きることを望んでおられるのでしょうか。

(1)いつも喜んで生きることを望まれています。(16節)神に愛されていることを日々忘れないで生きるとき、喜びに満ちて生きることができるのではないでしょうか。

(2)絶えず祈ることを望んでおられます。(17節)コンスタントに祈るということです。自分の弱さ、罪深さを知ると祈りに向かいます。

(3)すべてのことに感謝にすることを神は我々に望んでおられます。(18節)我々に神はたくさんの恵みを溢れるばかりに注いでくださっています。失ったものを数えないで、恵みを数えながら生活しましょう。そして、忘れてはならないのが、「主にあって」という生活の要のお方の助けです。霊に燃え、主に仕えてまいりましょう。
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2007年10月09日

人生をエンジョイしよう

詩篇118:24
これは、主が設けられた日である。
この日を楽しみ喜ぼう。

 だいたい、世の中の人は、キリスト教を固い、かたくるしい宗教のように思っています。しかし、今日の聖書の個所から、そうでないとはっきりわかります。なぜなら、この日は主が設けられた日、我らは、この日を楽しみ喜ぼうと賛美しているからです。では、どういうことを心がけてゆけば、この人のように喜び楽しむことができるのでしょうか。

(1)人と比べないで生きることです。

(2)神に生かされている命であることを忘れないでいることです。
たとえば、バッハ。彼は、神に栄光あれ、とまず楽譜に書いて、それから作曲をしました。その姿勢が、多くの人々の琴線に触れるのだと思います。我々も、いただいている神からの才能を、活用しましょう。

 このことを心がけてゆけば、内に喜びが宿るでしょう。
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2007年08月28日

神が望んでおられること

1テサロニケ5:16〜18
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

 クリスチャンの特徴の第一は喜びである。罪が赦されたことは主のお陰で、いつも喜んでいられる。
 第二の特徴は、聖霊の助けにより絶えず祈りの生活ができる。
 第三の特徴は、惜しむことなく我々のために御子をお与えくださった愛なる方だから、どんなことも感謝できると思う。「主にあって」が要です。

〈ちょっと一言〉

 今、私は「アンクル トムズ キャビン」という本をお借りして読んでいる。この本が、あのアメリカの汚点であった奴隷の解放のために大変な役割を果たしたことを、アブラハム・リンカーンがこの本の著作者に言っている。
 いい本に出会い、立派な人に出会うことは幸福である。この本を読んで、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉を思い出した。
 そして、たとい真実が通用しない世の中のように見えても、権力に圧迫されても、この著作者のように、真実を叫び続ける声となりたいものですね。
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2007年04月24日

悲しみの人

 イザヤ53章に、イエス様のことを「悲しみの人で病を知れり」とある。イエス様は我々の悲しみや心の痛みを知り、それをご自分が吸収して、十字架にかかられたので、我々の悲しみは癒やされて、喜びに変わったのです。 人気ブログランキング


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2007年03月28日

私たちの命なるキリスト

ピリピ1:1〜6  
 キリスト・イエスのしもべであるパウロとテモテから、ピリピにいるキリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、また監督と執事たちへ。どうか、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。 
 私は、あなたがたのことを思うごとに私の神に感謝し、あなたがたすべてのために祈るごとに、いつも喜びをもって祈り、あなたがたが、最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています。あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。 

 このピリピ書は、福音そのものであるキリストを伝えています。福音とは、良い知らせです。人にとって、キリストを知るということは、最高の良い知らせだと、使徒パウロは、言っているのです。この手紙を書いた場所は、ロ−マの獄中でした。キリスト信仰のために捕らわれていたのです。にもかかわらず、喜びがこの手紙には踊っています。それは、最悪の環境の中でも人は、命イキイキ生きれることを証明するものです。その喜びの源は、イエスキリストにあります。パウロは、1章20節と21節で、「わたしの身によってキリストのお名前が崇められたら、それで満足です。生きることはキリスト、死ぬことも益です。」と言い切っています。崇めるとは、拡大するということです。イエスさまがたたえられたら、それが嬉しいのです。ハレルヤ!

ピリピ1:20,21
それは私の切なる祈りと願いにかなっています。すなわち、どんな場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。
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2007年03月13日

最初のしるし

ヨハネ2:11
イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。 

 ここの奇蹟は、古いものから新しいものに交替するということがテーマです。  
 ここで学ぶことは、水がイエスによって葡萄酒に変えられたこと。儀式、戒律という喜びも何もない水を、イエスは、十字架と復活によって喜びの宗教に変えられた。そして、マリヤの祈りは、困っている事実を言っているだけで、何の注文もない。ただ、イエス様に任せておけば間違いがない、という信仰があった。そして、水が葡萄酒に変わる奇蹟を、まのあたりにできたのは、イエス様の言葉に従ったしもべたちでした。我等も傍観者でなく、お言葉を実行する者となりましょう。

《ちょっと一言》

マルコ4:36
イエスが舟に載っておられるまま乗り出した。

 「わたしたちがイエスと共に行くならば、彼と同じ境遇に満足せねばならない」 スポルジョン 

 貧しさ、借家、非難、迫害、悲しみ、裏切り、孤独・・・。主の十字架により頼む一方で、自分の十字架を拒むことがありませんように、とベイリーのように祈る者です。
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