生きる力

2009年08月09日

あなたの生きてゆく力はどこからくるの?

第二列王記6:1~7

預言者のともがらがエリシャに、「ご覧のとおり、私たちがあなたといっしょに住んでいるこの場所は狭くなりましたので、ヨルダン川に行きましょう。そこからめいめい一本ずつ材木を切り出して、そこに、私たちの住む所を作りましょう」と言うと、エリシャは、「行きなさい」と言った。すると、そのひとりが、「あなたもどうか、思い切ってしもべたちといっしょに行ってください」と言ったので、エリシャは、「では、私も行こう」と言って、彼らといっしょに出かけた。彼らは、ヨルダン川に着くと、木を切り倒した。1人が材木を倒しているとき、斧の頭を水の中に落としてしまった。彼は叫んで言った。「ああ、わが主。あれは借り物です。」神の人は言った。「どこに落としたのか。」彼がその場所を示すと、エリシャは一本の枝を切って、そこに投げ込み、斧の頭を浮かばせた。彼が、「それを拾い上げなさい」と言ったので、その人は手を伸ばして、それを取り上げた。


人には、様々な人生設計があると思います。自分たちの住んでいる場所が狭くなってきたので、もっと大きいものを建てようという人生設計です。借りてきた斧で、木を切り倒していたとき、斧の頭が川の中に落ちてしまったというハプニングです。斧の頭は、生きる力を象徴しています。失った斧の頭を一本の枝によって取り戻しました。この枝は、キリストの十字架の御姿を象徴しています。場所が狭くなったというのは、生きづらく感じている人の心を表しています。赦せない、愛せない、と息苦しく感じるとき、主が私を赦してくださったのだから、私も赦します、愛します、と不思議に心穏やかになってきます。
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izumichurch at 22:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年05月04日

あなたの生きてゆく力は、どこから?

使徒3:1~10

ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。すると、生まれつき足のなえた人が運ばれて来た。この男は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」と言って、彼の右の手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮に入って行った。人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。そして、これが、施しを求めるために宮の「美しの門」にすわっていた男だとわかると、この人の身に起こったことに驚き、あきれた。

毎朝、毎朝、起きる時、あなたの生きる力は、どこからきますか?この男の人は、生まれつき障害を持って、人生をスタートしなければなりませんでした。この障害のゆえに、心傷つき、生きる意味を見失って、うつむき加減に生きていました。しかし、イエス・キリストの名によって、劇的な変化を受けました。

(1)イエスを主と信じますと、生活に張りが生まれます。くるぶしが強くなり、躍り上がり、神を賛美しています。

(2)生活の力は、金銀から来るのではなく、ナザレのイエス・キリストの名を信じる信仰から来ます。
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2009年01月25日

日曜日の有益な過ごし方

ルカ6:5~10

そして、彼らに言われた。「人の子は、安息日の主です。」
別の安息日に、イエスは会堂に入って教えておられた。そこに、右手のなえた人がいた。そこで律法学者、パリサイ人たちは、イエスが安息日に人を直すかどうか、じっと見ていた。彼を訴える口実を見つけるためであった。イエスは彼らの考えをよく知っておられた。それで、手のなえた人に、「立って、真ん中に出なさい」と言われた。その人は、起き上がって、そこに立った。イエスは人々に言われた。「あなたがたに聞きますが、安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。いのちを救うことなのか、それとも失うことなのか、どうですか。」そして、みなの者を見回してから、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。そのとおりにすると、彼の手は元どおりになった。


愛に満ちた神は、我々が祝福に満ちた人生を過ごせるようにと、安息の日、日曜日を設けてくださいました。聖書は、この日をどのように過ごしなさいと勧めているでしょうか。

(1) 教会に行って礼拝を守るように勧めています。我らの主イエス様も会堂に入って、神の国について、お話をされています。

(2) 礼拝を守ると、主イエス様が、我々をリフレッシュしてくださいます。礼拝に出席していた人の中に、利き腕が使えなくなってしまって、失望落胆している人がいました。主は、その人を癒やされ、再び、生きる力を与えられたのです。
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