第一話



 最近何に対してもやる気がでない。
 午後3時。今日も仕事がはかどらない。
 モニターを見る目が疲労してくる時間である。
 ぎゅっと目をつぶったまま5を数え、ゆっくり目を開ける。
 いくらかましになったドライアイだが、ほとんど変わりはない。
 「うむ。休憩だな」
 静かに席を立ち、給湯室へ向かった。
 オフィスの扉を出ると目の前にあるのだ。

 給湯室は2疊ほどの小さなスペースに設けられている。
 タイルの床には簡易型のキッチンが用意されており、電熱式コンロの向かいには冷蔵庫が置かれている。
 キッチンの上部にシンクとほぼ同じサイズの食器棚が備え付けてあり、そこにはそれぞれのマグがしまってある。
 コーヒー店の期間限定マグー2,3年前のバレンタインデイにもらったもので、ピンクや赤のハートのイラストが入っているーを棚から出した。
 給湯室を入ってすぐにコーヒーや紅茶が所狭しと詰めてあるカゴの入ったワゴンがあり、いつものコーヒーを手に取り、封を開ける。細粒になっているコーヒーからは値段なりの香りがする。ここにあるコーヒーの中では一番高いもので、ストックもすぐになくなってしまう人気ぶりなのだ。
 冷蔵庫からミネラルウォーターを出し、コンロの上に置いたままのケトルに注いで火を付ける。

 自分でなんでもやる、というスタイルにもやっと慣れてきた。

 以前は身の回りの雑務は全て誰かがやってくれていた。

 今はすべてのことを自分でやらなければならない。

 なぜ自分が・・・・・・、という戸惑いを持ったまま、時間はどんどん過ぎていった。慣れるというか、慣れるしかない、そんな環境に置かれているのである。

 「・・・・・・お手伝いさんが欲しい」

 腕を組み、ケトルを見ながらつぶやいた。

 カチッ


 お湯が沸騰した。ケトルを持ち上げてマグにお湯を注ぐ。
 「コーヒーを入れる時間がもったいない。はぁ」
 
 ケトルをコンロの上に置き、マグを持ってオフィスに戻っていく。扉を開けて12歩。自分のデスクへ着く。
 椅子に腰掛けようとしたときに上司から声をかけられた。
 
 「コーヒーによく合うクッキーがあるんだけど、食べないか?」

 「あ、いただきます」

 コーヒーをデスクに置いて椅子を戻し、斜め前の席の上司がいる場所まで移動する。上司は両手でも足りないくらいの大きな化粧箱を持っており、ひょいひょいとお菓子をつまんで差し出した。フルーツのパウンドケーキだった。
 「これ、クッキーじゃないですね・・・・・・」
 「俺はお菓子を全て『クッキー』と呼ぶんだ。面倒くさいから」
 「そうですか。ではクッキーをいただきます。」
 上司から『クッキー』を受け取り、席に戻った。


 時計は3時15分30秒を過ぎたところだった。


 ・・・・・・時間がもったいない。

 
 15分30秒も経っている。お湯を沸かしてコーヒーを入れて、上司からお菓子をもらって席に戻る。なんでこんなに時間がかかるんだ。ああもったいない。全てが無駄だ。コーヒーを入れるのも、お菓子をもらうのも、誰かがやってくれればその時間は仕事ができるのに。

 モニターを睨みながらつぶやく。

 「・・・・・・お手伝いさんが欲しい」


 ポン

 その時、ケータイの新着メールの知らせが来た。こんな時間に誰から、とジャケットからケータイを取り出すと、「19時に改札で待っています」という内容のものであった。

 心臓がきゅっと縮み、胸がざわついた。動悸がする。

 「マジか・・・・・・」
 
 「わかりました」とだけ打ち込み、返信ボタンを押した。

 「マジかぁ・・・・・・」

 ため息とともに声を吐き出した。



 相手は、見たこともない女性である。
 SNSのほんの些細なやり取りで知り合った。個人的なメッセージを交わしたのも2,3回だ。

 パワースポットの話になり、気分がどうにも暗くなっていた自分からふと声をかけたのである。
 
 「よかったらお参りに行きませんか?」


 まさか、そんな簡単に返事をしてくるとは思わなかった。

 本当に会うのだろうか。誰が待ち合わせにやってくるのだろう。メッセージをやり取りしていた本人なのだろうか。そもそも女性というのも本当なのか。なぜ安易に声をかけてしまったのだろうか。それも全て今の自分のせいだ。こんなことにならなかったら心が弱ることもなかったのに。

 どんどん変わっていくデスクのモニターを前に頭を抱える。時間が過ぎていく。早く仕事をしないといけないのは分かっているのに、見ず知らずの相手と参拝にいくことを考えるとイライラしてきて仕事どころではなくなってしまった。



 くそう。面倒くさいな。こっちはそれどころじゃないんだよ。


 デスクに載せたままのケータイの画面を睨んだ。


 ああ、断ればいいんだ。知らない相手なんだ。向こうも不安だろう。断ってやろう。そうすればお互い不安になることも、心配になることもない。


 自分から誘っておいて断る、なんて、マナーとしてなっていないとは思っていながらも、面倒くさいことから逃げたい一心だった。

 「すみません、自分から誘っておいて申し訳ないのですが、今回の約束は無しということにしたいのですが」

 簡単に文を作って送信した。これでやり取りができなくなったとしてもしょうがない。知らない相手だからな。


 送ってからは少しすっきりとした。

 すぐに返信が着た。

 「わかりました!それではまた機会がありましたらよろしくお願いします!」

 あっさりした短い文面。なんだ、簡単に応じるもんだな。向こうも不安だったんだな。
 いささか拍子抜けした感もあったが、納得することにした。
 今の自分は新しいことをやっている暇もないんだ。これでいいんだ。


 自分のしたことは悪くない、と言い聞かせ、ケータイをポケットにしまい、改めてモニターを眺め、仕事に取り掛かり始めた。



 カタカタカタ・・・・・・



 あの子なぁ、かわいらしいって思ったんだよなあ。自分が一番つらかったときにもメッセージくれたよなぁ。
 
 SNSには写真を投稿できる場があり、本人だと思われる何枚かの写真を載せていたのである。

 派手ではないが、各パーツのバランスが整っており、清潔感のあるきれいな顔立ちだった。
 写真を投稿してからは一気に男性からのコメントが増えたのである。


 カタカタ・・・・・・

 
 パワースポット行きたい、って投稿してあったから、自分が断ったのなら誰か他の人と行くんだろうなぁ

 行ったら写真載せるのかなぁ

 
 
 カタ・・・・・・


 なんだよ、俺と行くって言ったのに、他の奴と行くのかぁ

 そもそも声をかけようと思ったのも、全然怪しい感じがしなかったからなんだよな。

 
 投稿の文面や写真など、その子の等身大の雰囲気がとても伝わってきて、その飾らない感じが気になったのである。愛嬌があってかわいらしくて、一所懸命で、真面目で・・・・・・。
 フォロワーもたくさんいて、一人一人に丁寧に返事をしていた。SNSなのになぜそんな丁寧な対応をするのだろうかと思ったこともある。


 パソコンに向かう手が止まって、その手がケータイのに伸びた。


 「ごめんなさい。さっきのメール撤回します。すみません、やっぱり、行きませんか?」