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Jin☆自伝小説

尾崎豊と尾崎ファンと家族に胸いっぱいの愛をささげ、 火傷しそうなくらいの情熱で仕事に打ち込むアツイ親父のブログ

23 12月

Jin☆自伝小説 最終話

 散々、放置しておいてなんやねん!という話ですが、今回で最終話とさせていただきます。
理由は、スマホに変えてから、不慣れなタッチパネルでの投稿が困難になったからというただそれだけの理由でございます(泣)

 auブログから始まり、livedoorブログに引っ越して今に至りますが、ガラケーでコチコチ投稿するのに慣れすぎたようです(笑)

 過去記事を読み返すと、数々のブロ友に支えられ、続けて来れた事に感謝するばかりです。
10年ひと昔と言うけれど、家族と仕事と、趣味の音楽、そしてOZAKIファンの仲間との繋がりの中、1歩ずつ社会というルールの中に順応していった自分の人生の中で、大切な時間だったと思います。
 10年、そして20年先に今日の日を振り返って、満足できる生き方になるように、今後も日々精進していきたいと思います。

 このブログで俺が何を言いたかったかって言うと、その一瞬を精一杯、誠実で懸命に生きてゆけば道は開けるものだという事を伝えたかったような気がします。
変わりたいと思った時から、あきらめず自分を信じて、何かに向かっていけばきっと道は開けるような気がするんだ。
人はひとりでは生きていけないものだから、誰にも世話になってないと思っていても必ず誰かに支えられているものだし、うまくいった時でも、それは誰かの協力のもと成立している気がするんだ。
だから、感謝の気持ちって大切だよね。

 俺は、自分自身が今こんな風に社会に認められ、数々の人から愛され生きられるようになるなんて、昔は想像もしなかった。

だから、あきらめてしまわないでね。
勇気を出してまず1歩を踏み出してみようね。

 俺も、仕事ではこれからは自分の事だけでなく、色んなことを背負っていかなければならない立場にもあるし、家庭の中では子供たちを1人前な大人に育てていく責任もあるし、年老いても好きな音楽と関わっていける時間を大切にしたいと思っている。
 元々の自分の性格もあるけど、OZAKIが好きだったから、その作品やメッセージを浄化して、自分の中に取り込んだ事により形成されていった部分も少なくない。
そんな思いを共有出来るOZAKIファンの仲間と出会った事、繋がりを持ちながら生きていることに誇りを持っている。
 
 それらのすべてがあってJin☆だと思うし、よき理解者である愛する妻と笑顔の絶えない日常を大切にしていきたいと思ってます。
 彼女へのプロポーズの言葉、
「色々と苦労も掛けるかも知れないけど、人生最後の瞬間に俺と一緒になって良かったと思えるようにするから」
って言ったんだけど、その時は全然リアルな言葉ではなかったかも知れない。今になってやっとイメージ出来るところまで来たのかなって思います。

 みんな!長い間、本当にありがとう!空を見上げれば同じ月がキミの寂しげな心を照らしているはずだから、お互い頑張ろうね!


            <完>
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※youtubeで「尾崎カバーjin」「Jin弾き語り」など検索で、雑なギターとガサツな歌声、情熱だけが頼りのJin☆が出てきます。こちらもよろしくお願いします!
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23 6月

恩師~35年振りの声

 俺は14歳の頃、教護院という施設にいた事がある。

まだガキんちょだった俺たちに、真剣勝負で真っ向から向き合ってくれた先生

49歳になった俺にしてみりゃ、人生の中のほんの一瞬すれ違ったに過ぎない期間だったかもしれないけど、思春期の、まだ青臭くもなる前に、色々な方向性を示してもらった気がする。


 特にお世話になった2人の先生には、ずいぶん前から「会いたい」と思っていた。
20代になってからは、自然といつもリーダーシップを取るようになった俺だけど、当時、不良少年ばかりの教護院生活の中ではそんなに目立つこともなく日々の暮らしをしていた。

 院内では野球や剣道、持久走などがカリキュラムに含まれているわけだが、俺は野球が下手だった。クソがつくくらいセンスのかけらもなかった。

そんな俺に、酒井先生はキャプテンを命じたのだ。
なぜ野球の下手なレギュラーにもなれない俺なんだろう?
俺より適任者は何人もいたのに
「おまえは人をまとめることが出来る奴だからやれ!」
NO!という選択肢はなく、押し切られたカタチでやることになった。

 結果、東海地区大会に準優勝し全国大会の切符を手に入れた。
全国大会でも初戦は白星を手にして、2戦目の圧倒的なコールド負けでは仲間と悔し涙を流せた。
俺のようなド下手クソが、野球のユニフォームを着て、こんな経験するなんて多分なかったことだと思う。
 そして、人の中心にいるような生き方というか、性格もここから形成されていったような気がする。

 もう1人の恩師、山口先生はなんといってもギターの師匠である。
俺がギターをやり始めたきっかけで、コードダイヤグラムの見方を教えてもらい、4つくらいのギターコードをたどたどしく押さえながら、本当にはじめの1歩からギターを教えてくれた人である。
山口先生が青春時代に使っていたという手作りのガットギターを学院の寮に持ってきて、置いといてくれたので、休みの日なんて1日中ギターを弾いていた。

 OZAKIのことなんかのイベントをやるようになって、「Jinさんギターはいつからやってるんですか?」「どうやって覚えたんですか?」なんて聞かれるたびに、山口先生のことを思い出しながら、答えたりしていた。
 俺の人生の半分は音楽があったわけだし、そこからギターというカテゴリがなかったら、まったく違った人生になっていたかも知れない。

 先生、在院生という立場はあったけど、同じ施設の中で一緒にメシを食べた人間同士の泥臭い部分もあり、ある意味、家族に近い存在だったような気がする。

 この施設を出てからが、俺にとっては本格的に歪んでゆくわけだから、「お世話になりました」とは、なかなか言えないでいたけど、ようやくそれが言えるようになった気がするし、自分が裏切った分、次の世代の奴らを面倒見たり、指導したり、裏切られたりということを受け止める側になってきた。

 今回、この2人の先生と35年振りに電話越しではあるけれど話をした。
山口先生のあたかかく包み込むような話し方、酒井先生のやんちゃさが残る突き抜けた明るい話し方、そして声は思い出の中の、あの頃のままだった。
今より冬は雪深くて寒かったな~、夏の暑い中 草むしりした後のプール気持ちよかったな~...タイムスリップしたような不思議な感覚。
 
 35年たったんだよな~
これからの人生も過ぎてから振り返ったら、そんなもんなんだろうな
だから、今日も精一杯、そして誠実に、最高の笑顔を守りながら、楽しく生きようと改めて感じたよ。

 というわけで、明日の東京でのライブオフ会、楽しんで来よう!
 


17 5月

2016大夢祭

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 先日の日曜日、5月15日は、5.15事件の日として岐阜護国神社にて「大夢祭」がおこなわれました。
毎年、多くの諸先輩方とお話をさせていただける貴重な時間でもあります。
 今年は、大夢館創立50周年とのことで、今年49歳になった私を育ててきた年月と同じくらいの期間、父は大夢館と共に歩んできた事になります。

 私は80周年の時に、坪内代表と100周年目指してがんばりましょう。
と約束しました。
80周年時の父と同じ年になっている自分は、その時どんな形で大夢祭に関わっているのか楽しみでもあります。
  
 護国神社のあとは、ワシントンホテル、大夢館と場所を変え、直会がおこなわれみた。

今回の大夢祭には友人の小野氏にも参加してもらい、酒を酌み交わしながら近況の報告などをした。
彼の目に、この大夢祭がどのように映ったのだろう。
自分の中にいい形で受け止めてくれたなら、誘って良かったということになるのだが…
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 酒が入ると遠い昔の親子のように、それでいて子育て育成の責任から解放された、ゆる~い親子関係が出来上がります。
私はこの空間が居心地がよく嫌いではありません。
 父にはいつまでも元気で大夢祭を背負っていってほしいと思います。
人生最後の瞬間まで背負い続けることが、父の宿命のような気がします。

                                                           花房 愚元
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