『気仙沼に消えた姉を追って』(文藝春秋)、発売になりました。

よもや、こんな本を書くことになるとは夢にも思っていませんでしたが、3月11日からのこと、気仙沼のこと、姉のこと、生島家のことについて思うままに書きました。
出し尽くした・・・と言ってもいいです。

震災によって、私は気仙沼で泊まるところを失ってしまいました。
帰省しても、ゴロゴロする場所がないのは淋しいものです。
姉の家があった場所は、先月の段階では水が湧き、長靴を履いても近寄れない状態になっています。
復興計画で、姉が住んでいた地区がどうなるのか、見守りたいと思います。

震災後、気仙沼の人と会うとほっとするようになりました。
中学校卒業以来、話をしていない同級生と会うと、安心するのです。
それがなぜなのか、うまい言葉を探しているのですが、見つかりません。
それでもお互い、「何かを共有している」のは間違いないのです。
高校から気仙沼を離れることを望んでいましたが、高校まで気仙沼で暮らすことが出来て、私は救われています。

震災後の報道は、「Post311」にしか過ぎません。
私は「2011/3/11/1446」以前に、私が生まれ育った町に何があったのかを、書きたかったのです。
それを知らなければ、失ったものの大きさを理解することは出来ないと思うので。


気仙沼に消えた姉を追って
気仙沼に消えた姉を追って
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