ARTIFACT"昔書いたブログ論ピックアップ"
絵文録ことのは"「ブログの終わり」? それは「キャズム」を越え、一般化・大衆化によって薄まった時代の到来"
これらの記事を読んで、今のブログブームについて何か書いてみたくなり恥ずかしながら昔ゼミでブログを研究していたころのゼミ論文を公開してみたいと思う。WORDファイルですが。
ウェブログ研究
なんか「今後の展開に期待」みたいな安易な逃げに走ってる感はありますが、ブログブームの初期に書かれたテキストとしてひとつ読んでみては。
ほんとにあのころはブログなんて知名度は皆無だったものが、よく1、2年でここまで浸透したなぁと。僕の周囲なんてブロガーだらけですよ。
絵文録ことのは"「ブログの終わり」? それは「キャズム」を越え、一般化・大衆化によって薄まった時代の到来"より引用
私の周囲には、ネット素人が非常に多い。メール使って、一応ホームページは見れるけど、といったレベルの人たちだ。CSSだのW3CだのSEOだのトラックバックだのといった言葉は基本的に通じないどころか、掲示板とチャットとホームページの区別さえもあやしい。そんな人たちが、たとえば『はじめよう! みんなのブログ』(Vol.2・Vol.3)を片手に「ブログ始めました!」とメールを送ってくるという現象が最近よく見られるようになった。
というか、ブログの定義なんか彼らは知らない。8年くらい前の「マイホームページ」ブーム後、「全世界に情報発信できるっていう“ホームページ”始めました!」と言っていた人たちとまったく同じような感覚で「簡単にネットデビューできるっていう“ブログ”始めました」と言ってるのである。つまり、「ホームページ」と「ブログ」が同義化しつつある。
こういう現象は、かつて「ブログの定義は何ぞや」とか言って、「RSSとトラックバックだ!」「いや、ブログってのは表現形式でしょ」「新しい!」「いや、古い」「みんなひっくるめてウェブロでいいじゃん」といった議論を戦わせていた人たち(おれも)から見れば、もうぶっ飛びすぎた「いい加減なとらえ方」、あまりに薄められた(間違った)流布のされ方にほかならない。
だが、これもかつて来た道だ。「ホームページはブラウザで最初に表示されるページであってサイト全体じゃない」「いや、トップページだけのことも指す」「HPってヒューレット・パッカードのこと?わらい」みたいな厳密論が「ホームページで儲かる!」なんていう一般的表現に吹っ飛ばされたのは、ごく数年前のことだった。
まあそれはともかくとして、ブログはもう一般化してしまった。知名度ではまだまだ「ホームページ」に劣るだろうが、それは8年前にも「インターネットって何?」と言ってた人が大半だったことを思えば、大した違いではない。
当時はブログの定義とはなんやかんやと論争が飛び交っていた気がしますが、確かにいまやブログはキャズムを、クリティカル・マスを完全に突破し、そんな喧騒とは全く無縁の日記ツールとして浸透しただろう。
{ marble Beat* }"ブログ幼年期の終わり"この表現がまさに適当。
幼年期を終え次は少年期?青年期?まぁネーミングはどうでもいいんですが次期への過渡期を過ぎ、ブログは完全に新しい段階に入りました。
根付く、定着するってそういうことでしょう?と思う。最初に想定された使い方が無視されようが、定義が無視されようが、中身が薄まろうが。
そこで「いやそれは違う、本来の定義は、使い方は…。」と論じてみたって何も変わらないし、何も生まれない。誰も困らないしね。ましてブログはツール、CMSです。半分生き物みたいなもの。使う人の意思がツール自身を形作っていく。ここまで一般化されたものだったら尚更それは止められません。
楽しんでりゃそれでいいでしょ、とまで言うつもりはないが、ユーザーがそれぞれ価値を見出せばいいでしょう。どんな使い方だろうと。
そこで、僕はまた新たな価値を求め、それが生まれる日を楽しみにしていきたいと思います(うわーゼミ論と纏め方変わってないよ)。
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