アメリカ教育学会 会員各位

アメリカ教育学会2021年度教育セミナーとして、以下の通り、開催をさせていただきます。会員の皆様におかれましては、奮ってご参加ください。会員ではない方におかれましてもご参加可能です。参加を希望される方は事務局メールアドレス(jaaes.since.1989@gmail.com)へご連絡ください。


1.日時・開催形式
2022年2月27日(日) 13:30~15:00
(Zoomミーティング情報は学会MLを通してお知らせいたします。)

2.登壇者
生澤繁樹(名古屋大学大学院教育発達科学研究科 准教授)

司会
松下晴彦(名古屋大学大学院教育発達科学研究科 教授)

3.報告題名
「現在の歴史」としての過去とジョン・デューイ──経験を拡張し、解放することの意味を問う

4.概要
「歴史を現在の社会生活のさまざまな様式や関心から切り離すと、歴史の生命力を殺めるような分離が生じてしまう。ただ過去としてだけあるような過去は、もはや私たちの関心事とはならない。〔……〕過去についての知識は現在を理解するための鍵となる。歴史は過去を取り扱う。しかしここでいう過去とは現在の歴史である」(Boydston, J. A. ed., John Dewey: The Middle Works, 1899-1924, vol. 9, Carbondale and Edwardsville: Southern Illinois University Press, 1980, pp. 221-222. 松野安男訳『民主主義と教育』(下)、1975年、36頁、一部改訳)

 デューイ没後70年ということで、本報告ではジョン・デューイの歴史観とそれへの批判について考えてみたい。バートランド・ラッセルをはじめ、「現在」に定位する歴史のプラグマティズムに対しては、これまでさまざまな批判が向けられてきた。冒頭に引用したような、過去を「現在の歴史」として捉える理解は、過去の出来事をいわゆる「不変の事実(stubborn facts)」として想定することはない。そのために、それは歴史をいかようにも解釈可能にしてしまうものと非難され、修正主義と紙一重に扱われうる余地を多分に含み込むものとすら見なされてきた。しかしこのような批判は、はたして正当なものといいうるだろうか。

 本報告では、「現在の歴史」としての過去への批判を問いなおすために、デューイが個人の経験を拡大する歴史(時間、人間、社会の位相)とともに地理(空間、自然、物質の位相)の重要性を見すえていたことに着目してみたい。そして、経験を解放するものとしての科学の方法がデューイにとっていかなる意味をもったのかという点についても再考していく。これらは、よく知られたデューイの思想的断面ではあるものの、人間の位置する「現在」が見定めがたくある現代において、「生きられた経験」とは何かという問いをふたたび浮かび上がらせてくれるものとして存在している。そこにあらためて光を当ててみることで、経験と深く結びついた教育のあり方への見通しが今日さまざまに考察できるのではないかと考えている。

 この試みは、哲学的には、言語論的転回にとらわれすぎたプラグマティズムから非概念的な反省以前のものとしてある「経験」の諸相を掬いだし、「日常の経験という出発点」(Gregory F. Pappas, Dewey’s Ethics: Democracy as Experience, Bloomington and Indianapolis: Indiana University Press, 2008, p. 11)や「複雑な世界から出発すること」(Thomas Alexande, “Dewey's Denotative-Empirical Method: A Thread Through the Labyrinth,” in The Journal of Speculative Philosophy, Vol. 18, No. 3, 2004, p. 253)の意味をいまいちど取り戻すことにもつながるだろう。教育的には、たとえば社会科における学びのような、具体的な経験から出発するカリキュラムや学びに対する歴史的反省へと私たちを連れ戻す。そしてまた現代においてそれは「ひとつの現実」そのものが改竄されていく状況のなかで民主主義の余地をいかに確保していくかという問いにもかかわってくる。

5.構成
(1)登壇者報告(60分)   13:30~14:30
(2)質疑応答(30分)    14:30~15:00

アメリカ教育学会教育セミナー担当理事
松下晴彦(名古屋大学)・澤田稔(上智大学)・黒田友紀(日本大学)