2024年05月24日

曙・オースター・中尾彬

不死身と思われた著名人の逝去が続く。

曙。思春期の横綱の代名詞と言えばこの人だった。強かった。若貴は最後まで勝ちきれなかったんじゃないか。しかし、格闘技に転向してから大晦日に瞬殺されたあの醜態は、曙と相撲界全体、横綱の品位を急落させてしまった。力士最強説はうそだったのか。その後八百長問題等で相撲界は揺れた。千代の富士もあっけなく逝ってしまった。初の外国人横綱だったが、今や外国人しか横綱にならなくなった。しかし白鳳もまた相撲界から抹殺されようとしている。曙の前に横綱だったのは北勝海だ。北勝海は相撲協会の理事長として長く君臨している。中1のとき、北勝海に似ていると言われていた国語の先生と、大乃国に似ていると言われていた英語の先生がいた。あの頃、中学生にとって相撲はまだまだ共通言語だった。

ポール・オースター。柴田元幸の訳がいいのか、村上春樹・柴田元幸・オースターというのがアメリカ文学3点セットのような形で広く消費されていて、私は春樹は「騎士団長殺し」まではすべて読んだが、以降はちょっと敬遠している。読んでもまったくピンとこなくなってしまった。オースターに関しては「偶然の音楽」と「ムーンパレス」しか読んでいないので、ゆっくり味わって読もうかといつも思いながら読んでいなかったというところだ。いつか朝のあわいのなかで不思議な数字が浮かび、その数字でナンバーズを当てて大富豪になれないかと夢見たことは多数。それで大富豪になっても私なら幸せになる自信がある。だから神様、いつかその奇跡を授けてください、と祈らないこともない。「ムーンパレス」は元々「月城」の屋号だったのか、中華系米人の紙屋が舞台だったように思う。ん? かなり前にハードカバーで販売されたばかりのオースターの新作を買って読んだ記憶がよみがえった。それは2010年の「オラクル・ナイト」だ。白い表紙は覚えている。でもその内容は忘れてしまった。もう手元にもないのだろう。

最も心を動かされたのは意外にも中尾彬である。最も死に遠いところにいたからだ。格闘家の曙や作家でヘビースモーカーのオースターには短命のイメージが強い。しかし、この人は健啖家でグルメで洒脱で健康長寿がねじねじネクタイをして歩いているようなものだったからだ。一般的なイメージと私のこの人への印象は少し異なる。1996年の「秀吉」で柴田勝家を演じたのが最初の記憶である。これははまり役だった。竹中直人の秀吉に立ちはだかる壁として、よい存在感があった。「秀吉」は竹中本人も、段田安則の滝川一益も、大河で同じ役を二度演じている。それだけはまり役が多かったドラマだ。その後、2003年くらいだろうか、半ば鬱的になっていた私が、BSで録画した4時間程の「満漢全席再現」を見たのだ。4時間映像を見るという習慣もなかったのだが、あれは正月休みに一気に見たのではないか。その頃にはもうねじねじで、健啖家で、グルメな、あの中尾彬が完成していた。皇太后が愛したというガチョウの料理やらくだのこぶや、なにやらの臓物やらを、次々にたいらげるその食への好奇心と食べっぷりは、海原雄山もかくやと思わせるものだった。私はあこがれてしまったのかもしれない。その頃から太りだしたのだ。あの60歳の中尾彬、本来なら仕事を定年する年齢に確立したあのスタイルが、その後20年のむしろ晩年のピークたる時期を呼び込んだというのも面白い。5年程前も、上野精養軒のハヤシライスの味を当てるという番組をやっていて、やらせかもしれないが、中尾彬がやるとなんとも説得力があるものだった。

段田安則は「リア王」の好演で勲章をもらった。中尾彬は逝去した。竹中直人と明智光秀の村上弘明は第一線から距離を置いているようだ。信長だった渡哲也と竹中半兵衛の古谷一行はずいぶん前に世を去った。1996年から2024年。28年後に滝川一益が天下人になっているようで、なんとも面白いものだ。12年後には60歳となる。ついこないだのことというレベルではないようだ。1996年。思い出せることばかりなのだが。