柔術家 金古一朗のシュラプネルブログ

シュラプネル柔術代表、金古一朗のブログです。

2019年12月


今日はクリスマス。

恋人と過ごす人もいれば家族で過ごす人もいるし、練習に来る人もいるだろう。
金古が一番好きなのは当然練習に来る人だ。

現役の当時は当たり前だけどイブやクリスマスも普通に練習してた。

クリスマスのプレゼントはというと毎年もらっていたけど色気のない物ばかりだった。

例えば・・


中古のエフェクター。

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新大久保の中古楽器屋で買ったもらって当然包装なんてしてもらえるはずもなくスーパーの袋みたいな袋に入れてもらって喜んでたっけ。

あとは道衣をよく買ってもらっていた。


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ある年のクリスマスにはケトルベルも。


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その次の年のクリスマスには重量が足りなくなってもっと重いケトルベル(笑)


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しまいにはギターのブリッジがチューニング合わなくなってきたから新しいフロイドローズのブリッジが欲しいと言ったら「流石に部品はやだ」と言われてしまいそれ以来プレゼントはもらっていない。

この金属のプレートがフロイドローズのブリッジ。
確かに部品って感じだ(笑)
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ということで柔術家諸君。

クリスマスのプレゼントは道衣かケトルベルがお勧めだ。

間違ってもフロイドローズのブリッジだけはおねだりしちゃダメだぜ。


高校3年の時の話。
僕の通っていたさいたま市立浦和南高校では体育祭シーズンになると各クラスでオリジナルのTシャツを作っていた。

バックプリントでオリジナルの文字を入れるわけだけど、その言葉を何にするかをある日の帰りのホームルームで決めていた‥

しかしこういう決め事をする時、日本人は誰も最初に意見を出そうとしない。
しーんと静まり返った教室の中で僕は一人焦っていた。

当時の僕は以前のブログにも書いたが(僕とあんこと上手投げ)http://blog.livedoor.jp/jackdaniels19750224/archives/56070449.html
大の相撲好きで毎日学校から帰って相撲を見るのが楽しみな少年であった。

なんてことだ、このままでは大相撲が終わってしまうではないか。
僕は早く帰って大相撲中継を見たいのに、帰りのホームルームで終わるまで帰れないので少しイライラしていた。


今から帰ったらまだ横綱、大関戦位は間に合うか。



横綱・・・



横綱・・・



よし!
これしかない!



意を決し僕は手を挙げた。



「やっぱり曙しかないな。背中にでっかく一文字、これ最高にクールじゃね?」



一同「‥‥」



曙?



あの曙である。
10年以上前の年末の格闘技イベント、ダイナマイトでボブ・サップと戦って見事に轢かれたカエルのように倒れていった‥


って違うちがーう!
現役の力士だった時の曙は若貴のライバルとして横綱に君臨していて、めちゃくちゃ強かったわけですよ。
そんな最強横綱である曙の名前を背中に入れれば体育祭でもぶっちぎりで優勝じゃん!

なんてことを考えたのか、はたまたただ単に早く帰って相撲が見たかったのか(多分後者)とにかく僕は自信を持って発言したのだが‥


一同「‥‥」

僕「曙だよ、曙、相撲は日本の国技だしいいじゃん♪」

一同「‥‥」

先生「ほ、他に何かいい案がある人はいますか?」

一同「‥‥」

先生「(困ったように)本当にないですか?」

一同「‥‥」

先生「(仕方なさそうに)それでは曙にしたいと思います」

そして体育祭当日、僕のクラスは全員背中にこれでもかって位でかでかと書かれた曙の文字が入ったTシャツを着て競技に臨んだのだ。
他のクラスはというと「GET THE GLORY」みたいな当たり障りのない横文字が多かったように記憶している。


ちなみに体育祭のTシャツは縦割りで3学年全員同じTシャツ。
つまり3年8組だった僕の発案によって1年8組の子も2年8組の子も自動的に曙Tシャツを着ることになる。

体育祭当日、僕は縦割りで同じTシャツを着ることになった仲の良い後輩とTシャツの話題になった。

「先輩、ところでこのTシャツなんなんですか?」

「曙だよ曙。どう?(俺の発案なんだぜ♪)」

「正直言っていいですか?ダサいっす。当日このTシャツ着なければいけないと思っただけでマジでテンション下がりましたよ。」

こうして、思い切り直球で最強横綱を否定された僕のテンションも富士急ハイランドのFUJIYAMAばりに一気に急降下していったのも今となっては良い思い出だ。

明日は近所の病院に人間ドックに行く。
もう何回目だろうか。
始めて受けたのは確か35歳の時だった。

嫁に「35歳過ぎたし体も酷使してて心配だから行って」と言われしぶしぶ行ったのだ。
先生はあの世界的に有名な柔術家の吉岡大さんだった(吉岡さんは内科医)
受けてからすぐには結果が出ないので一週間位待ってまた結果を聞きに行ってきた。

始めて受けた時はそれなりに緊張したのか、その日の夜に夢を見て夢の中で吉岡さんに

「末期のガンですね」と軽く言われ、なんとも言えない気持ちで朝を迎えた。
まさか正夢なんてことはないと思うが・・
恐る恐る検査結果を聞きに病院に行く僕。


着いて吉岡さんにいきなり言われたのが



「心拍数なんですが異常に・・・」



ん、なんだ?
不整脈か?




「低いですね。除脈て言うんですが所謂スポーツマン心臓ですね。これは全く問題ありません」


ふう、驚かせないでくれよ。
続いて・・


「あとは、悪玉コレステロールなんですがこれも異常に・・・」


え!悪玉多いの?
ごめんなさい!
もう豚骨ラーメンは当分控えます!
だからなんとかして下さい!!




「少ないですね。善玉は普通にあるのでこれも問題ないです」


ほっ・・・



よ、よかったよ。
スポーツマン心臓な僕だけどかなり心拍数上がったよ。

ところが、これでめでたしめでたしとなるはずの僕の初健康診断は急展開を迎える。
最後に衝撃的な一言が僕を待っていた。




「胆のうにポリープが出来てますね」



ガーン!



終わったか・・・・



やっぱり豚骨ラーメン食いすぎか。
そりゃそうだよな。
毎日のように食ってたもんな。
神様ゴメンナサイ。
もう金輪際豚骨ラーメンは止めます。
だからお願いです。
神様もう少しだけ・・・


「でもすごく小さいのでほって置いて大丈夫です。普通にみなさんよくありますんで全然気にしないでください」


た、助かった・・・・


「全部見ましたが全く問題ない健康体ですね。まだまだ現役バリバリでいけますよ」


なんだよ。
心配して損したぜ。

そんなこんなで初めての初健康診断はハラハラドキドキだった。

そしてその日帰りに食べた豚骨ラーメンは格別だった。
明日も検診終わったらラーメンを食べるとしよう。












僕は中学校の時に柔道部に所属していた。
3年間やって一応初段を持っている。

中学の頃の部活はそこまで厳しいものではなかったけれども、それでも強制的な雰囲気が苦手な僕は顧問の先生がいる時の練習はあまり好きではなかった。

顧問の先生は通称「のりさん」と言って柔道5段、とても大きな体をしていた。
そして怒るととてつもなく怖かった。
僕が中学の頃はまだ体罰が横行していた時代。
気に食わないことがあると普通にのりさんに殴られたりしてる部員もいた。
僕は幸いなことに殴られたりしたことはなかったが、それでも部活中は怖くて怒られないように必死で練習した。

試合で負けたりするとあからさまに機嫌が悪くなり、説教を食らうのもとても苦痛だった。

ある日のこと、いつものように他校との練習試合に遠征した僕たち。
大体練習試合は東西に各校の部員が分かれ、正面にそれぞれの先生が座るという感じが多かった。
そして試合が終わるとまず先生の所に行き、一言アドバイス(負けたら説教)をもらってから他の部員の所へ戻るのがいつもの流れ。

この日も試合を終えた僕はのりさんのところにビクビクしながら向かった。
黙って先生の前に座る僕。


のりさんはというと、僕の方を見もせず下を向き眉間にしわを寄せている。

やばい、これ相当怒っている・・

のりさんの顔をちらっと見る僕。

目をつぶり下を向きながら何か言葉を探しているのりさん。

針のむしろとはこのことだ。

頼むから何か言ってくれ。

そんな僕の思いも虚しく沈黙の時が流れる。

1~2分経っただろうか。

このまま放置というか無視されることに耐え切れなくなった僕はもう一度のりさんの顔を覗き込むと・・







春の暖かい日だったように記憶している。

ぽかぽか陽気の中、のりさんは生徒の試合そっちのけでなんと居眠りをしていたのであった!

た、助かった・・

よし!

そうと分かったらとっととずらかるに限る。

でも気づかれないようにそっと立ち去らねば。

この時の僕は猫が乗り移ったかのような抜き足差し足で、音もたてずのりさんの前から立ち去ったのであった。

そして他の部員のところまで戻りほっと一息つくと、僕の次に試合に出た部員の試合も終わっていた。
その部員も僕同様びくつきながらのりさんの前に座り、そして1~2分して猫のような抜き足差し足で音もたてずに立ち去る。

その光景は最後の部員の試合が終わるまで続いた。


それにしても春のあたたかな日差しは最強だ。

あんなに怖い顧問の先生をも穏やかな眠りへと誘いこんでしまう。

窓から燦燦と降り注ぐ柔らかな日差しを浴びながらあのヒグマみたいなのりさんがあんなに平和そうな顔で寝てるなんて。



でもね・・


実は・・


あの試合僕は勝っていたんだ。

まあそんな大した勝ち方ではなかったけど、でも僕は勝ったんだよ。

どうせ寝るなら僕が負けた時にしてくれよ。

そんな僕の願いもむなしくそれから数カ月後、梅雨のジメジメとした時期での練習試合で負けた僕は、のりさんに梅雨空のような重さの説教を受けたのであった。














ある日のこと。
僕は若手とポゴナで自主練をしていた。

マンツーマンで打ち込みをしていると、いきなりすごい勢いで駆け込んでくる少年が。

なんだ?道場破りか?と一瞬身構えるとその少年が開口一番

「追われてます。助けてください!」と言った。


おいおい、そんなセリフ最近じゃドラマの中で位しか聞かないぞ。

更にその少年

「殴られて逃げてきました。警察を呼んで下さい」


それで外を見てみるとなるほど、悪そうなのが5人いる。
 とりあえずそいつらに

「中のやつがおまえらに殴られて警察呼んでくれって言ってるけどどうする?」

と言うとそいつらは口々に 殴ってない、ただ話し合いをしてただけだ、とりあえずゲンキ(その少年の名前)を出せ、の一点張り。

ちょっとカチンと来たので一喝したら一同黙ったので双方の話を聞きつつ親を呼んだ。

もともと知り合いらしく喧嘩の原因はそいつが仲間の陰口を叩いたとか叩かなかったとか至って下らない理由。

まあ恐喝とかそういう類のものではなく、単純な仲間割れだったので警察は呼ばなかったけど、5人で1人を囲むのは卑怯だということ、簡単に仲間を殴ってもし大怪我をしたり死んだりしたら一生後悔するぞと諭し、後は親に引き取ってもらった。

まあ若い時はイロイロあるもんだし、特に大きな問題もなくてよかったけど僕と若手のハチミツのようにスイートな練習時間は三分の一近く削られてしまったのであった。


後日、その時の少年逹が揃って現れ

「あの時は叱って頂きありがとうございました。
俺ら目が覚めました。俺らももっと強くなるんでご指導お願いします!」


と入会申込用紙を持って現れる、なんて展開になったら最高だったのだが、そんな出来すぎたスポーツアニメみたいな展開は微塵もなく今に至る。


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