2020年04月25日

正しさについて

人の世に
本当に正しいことなど一つもない!

数日前から、僕は人の世に起こる全てのことを
そう認識することにした。

恐らく僕は、ずっと勘違いをしていた。

正しさというのは人それぞれにあって、
生まれた家、育った地域、通った学校、
あるいは貧富によって、影響を受けた人、
社会的地位、勤め先、もしかするとDNAも、
とにかくありとあらゆる立ち位置によって
変化するものであり、
一人の人生の上でも、
それは変化していくものだと思っていた。

ところが、
そういう考えのもとに今人の世に起きている
様々な出来事を考えようとしても、
何一つ、納得できる答えにたどり着かない。。。
ということに気が付いた。

もし、このような考えのもとに
人の世を正しく理解しようと思ったら、
全ての人の、全ての立場を理解して、
経済や、化学や、文化や、
数学にも、語学にも、歴史にも、
世の中のありとあらゆる事象、現象、
全てに精通していなければ、
本当に正しい答えにはたどり着かないだろうし、
それを実行しようと日夜努力をし続けても
常に知るべき余地を残すだろうと思うと、
そもそもそれは不可能だと考えざるを得ないのだ。

ならば、
全ての考え方が正しくないと仮定したら。
そう、誰かが言うこと、主張すること、
ネットに書き散らすこと、
全てが間違っている、正しくないとするならば、
もっと世の中を正しく理解できるのではないかと、
そう考えるに至った。

例えば、

腰痛ならあの整骨院が良い

と、誰かが言ったとする。
しかし、ほかの人に聞くと
いやいや、何か月も通ったが
全く治らなかった…と言い、
またある人に聞くと、
まあ、急場しのぎには良いけど、
完治を目指すなら整形外科の方がいいよ…
と言われる。

そこで、それぞれの人の腰痛の症状や
既往症、どんな痛め方をしたのか、
生活習慣などつぶさに聞いて、
恐らく、こういう症状で、
こういう類の腰痛には良いが、
このタイプには良くないのだろう。。。
と仮説を立てる。

しかし、また違う人から話を聞くと、
全く違う意見が出てくる。

そしてまた同じ作業を繰り返し、
自分を納得させる新しい仮説を立て、
その場を納得させる。 

あるいは、時間が経って
施術師のスキルが上がったり、
施術師自体が変わる場合もあるだろう。

これでは、違う意見が出るたびに、
その整骨院の状況が変わるたびに、
自分の出した答えを常に修正しながら
正しいと思われる答えに近づけて行く
ことしかできない。
正しい答えを得るのに何人に意見を聞いて、
何年整骨院の状況を探り続けながら、
いつまで同じ作業を繰り返せばいいのか、
その確証は決して得られない。
(あるいは全てはそういう事かもしれないが…)

それでは、
全ての人が言うことが間違っている
と仮定してみる。
すると、人から聞いた話ではなく、
自分の目で確かめてみようと思うのが普通だろう。
結局のところ、正しくそれを理解するには、
自分で行って試してみるしかなくなる。
そして、

"自分にとって"

正しいのか正しくないのかを判断することになる。
しかしそれは、あくまでも”自分にとって”であり、
その整骨院が良いか悪いかの答えにはならない。

つまり、その答えも間違いである。

そう。”全ての人が言うことが間違っている”
という論理は間違っていないことになる。

言葉遊びのようだが、
僕が言いたいのは屁理屈ではない。

"全ての答えが正しくない"

と仮定したときに必ず出てくるのは

“自分”

なのである。

自分の目で、耳で、感触で、心で経験すること、
感じることが最も大切なことであり、
それをもとに自分自身で考え、試行錯誤をして、
答えにたどり着くことが、
自分にとって最も納得のいく答えではないか。

そしてそれは、

自分自身にしか当てはまらないことなのだから、
人に強要したり、強く主張したりする類のものではない。

であるからして、
人の出した答えにそれは間違っているとか、
揚げ足を取っておかしいと声を上げるのも
非常に滑稽な話だ。

全ての人に当てはまる正しい答えはない!!

それは大前提だ。
それは大多数の人が周知しているはずだ。
この大前提を
いついかなる時にも、微塵も動かしてはいけない。

そのうえで、
より多くの人が納得する結論を導くべきだし、
その答えを導く過程での失敗や間違いを
何かの正義を振りかざし、
責めたり、罵倒したり、揶揄したりというのは、
決して世の中を良くしないだろう。

正しさとは何だろうか。

他人を傷つけたり、
自分が優位に立つためのロジックなのか。

最近のSNS上での論調は、
そんな風に感じるものが本当に多い。

やり玉に挙げる的を見つけては、
いかに自分が正しいかを声高らかに発し、
敵を蔑み貶める。
そしてそういう輩を見つけた誰かが、
また同じやり方で誹謗中傷する。

ほとんどの場合、
自分の信ずるところを論拠に相手を叩く、
コチラを立てればアチラが立たず。。。
といった具合であるが、
時々、頭脳明晰な人が現れ、
僕には分からない、あるいは知らない根拠を
次々と並べて、360度死角なしといった具合に
意見を主張する。

こちらは二の句も出ないが、
とても違和感を感じる。

時に完璧な論理の上に成り立った正しさとは、
人を深く傷つけ、酷い時には死に至らしめる。

それは本当に正しいのだろうか。

いかに論理として破綻のない正しさであっても、
人を深く傷つけるような正しさとは、
本当に正しいのだろうか。

どんなに完璧な正しさであったとしても、

"そんなの全然正しくはない!
だって世の中に本当に正しいことなど
ありはしないのだから!"

と言い放てるのであれば、
人はもっと優しくなれるのではないだろうか。

稀に、そうした完璧な論拠の上に、
優しさも兼ね備えた人を見ることがある。

限りなく真実に、正解に近いであろうその主張に
感心するばかりである。

が、しかし、それもなんとなく違う気がする。

それはそれが、

"正しいという主張"

だからかもしれない。




やっぱり難しい。
この世の中を正しく理解するなんて無理だ。
だから、“全て正しくない!”と理解する方がいい。

僕が言っているこの論理も、
きっと正しくない。

これは僕の論理だ。

自分の論理を有すること。
そしてそれを絶対的に正しいなどと
ゆめゆめ思わないこと。
しかしそれは、自分が社会をより正しく理解し、
共存していくための、大切な自己摂理として
温め、育むべきもの。

そうやっていつの日か、
僕にも思考を停止する日が来るのであろうが、
きっと答えは見つからない。

だから、答えを見つけることを目的としない。
考え続けるのみ。









jackie7 at 05:12|PermalinkComments(0) 私見 

2019年09月23日

Bornholm

さっきまでAnne Metteの窯を焼いていて
自分がなぜここにいて
なぜこの窯を焼いているのかを
なんとなく考えていた。

ここまでたどり着くまでの道のりを手繰っているうちに
一度文章にしてみようと思い、
ここに書き留めることにした。


僕とAnne Metteとの出会いは
2011年、韓国のムンギョンで行われた
チャッサバル(茶碗)フェスティバルにさかのぼる。

知人に誘われて参加したそのフェスティバルは、
とても大掛かりなもので、
世界各地から陶芸家を招待し、
地元陶芸家と共に茶碗に特化した
珍しいフェスティバルである。

ある日、
地元のお茶の先生が参加している陶芸家を招いて
お茶会を開いた。
参加者は40名ほどいただろうか。
茶道家のアイデアで二列に並んだ各列の中から、
一番抹茶を点てるのがうまい人を
各一名ずつ選ぶという
コンペティションが行われた。

そして、僕の列では僕が、
もう一つの列からはAnne Metteが選ばれ、
前に呼ばれた。

お茶会で使われたお茶碗は
すべてその先生のものだった。
賞として、
各列で使われたお茶碗中から
好きなものを選んで持ち帰っていいという。

僕とAnne Mette、
一つずつ選んで先生の脇へ戻ると、
その先生はたいそう驚かれた。

「二人が選んだお茶碗は同じ陶芸家のものよ!」
韓国の人間国宝のお茶碗だった。

僕が驚いたのは、彼女の目だった。
西洋人の目でそのお茶碗を選ぶということに
失礼かもしれないが本当にびっくりした。
それをきっかけに意気投合した。

彼女の目が捉えるものは、
僕のそれとほぼ一致した。
それがとても新鮮だったし、印象的だった。


それから数年、
僕たちは特に連絡を取ることもなく過ごしていた。
何がきっかけだったか忘れたが、
数年ぶりにFacebookにあげられていた
彼女の作品に目が留まった。
とても魅力的に感じた。
それ以来、なんとなくまた会いたいという気持ちが
強くなっていった。

そんな折、
益子ではアート・イン・レジデンスが始まっていた。
海外から陶芸家を招聘して
長期にわたって制作を公開するというものだ。

僕は足しげく通う中で、
若い陶芸家たちがあまり見に来ないことを危惧した。

せっかく素晴らしい陶芸家たちが来益しているのに、
オーディエンスが少ないのは、
益子にとって不利益だし、
来てくれた作家にも申し訳ない気がした。

その時に、Anne Metteのことをふと思い出した。

創るものは魅力的だし、
人間としても親しみやすく、快活で、
北欧デンマークでの暮らしぶりにも魅力がある。

こういう陶芸家が来てくれれば、
もう少し人が集まるのでは…と思い立ち、
彼女に意思確認をすると、
二つ返事で「行きたい!」と。

そこで美術館に掛け合って
彼女の招聘を実現しようとしたが、
結局招聘は実現せず、
しかし、二年後に公募が始まったのを機に
第一回目の公募作家として
来益が実現した。

彼女とはそれをきっかけに
連絡を取り合うようになった。

僕が彼女の招聘に手間取っている間に、
Anne Metteの方から彼女の教え子を通して、
Bornholmの美術館で行われる
デンマークと日本の陶芸家による展覧会に
出品しないかと打診があった。

順序があべこべになってしまうが、
面白そうだと思って出品することにした。

すると彼女から、
オープニングイベントには参加するか?
と、問い合わせがあった。

少し躊躇したが、
もしBornholmで原料が採取できて、
1か月半ほど制作ができるのなら
行ってみたいと返事をすると、
ぜひ来て!と。

それが、僕がBornholmに来ることになった
きっかけだった。

この島に来るまで
島の情報は全くなかったのだが、
来てみるとこの島は
陶原料の宝庫だった。

見渡す限りの粘土の地層。
むき出しの巨大な掘削跡にある花崗岩。
島から産出される赤い長石。
そこら中にある赤松。

見るものすべてが、
僕には宝物のように見えた。

すっかりこの島のとりこになってしまった。

粘土を掘り、長石を拾い、
花崗岩や海岸の砂を集め、
それを陶材料に加工して焼き物を作る。
Anne Metteと僕は、
夢中になって時を忘れて没頭した。

この島には益子と同じくらいの
陶産地としての歴史がある。

しかし、20年ほど前に最後に操業していた
タイル工場が閉鎖してしまうと、
窯業の歴史は途切れてしまった。

そのため原料の加工に必要な機材も知識も、
ほぼ失われていた…かに見えた。

しかし、僕らがこのプロジェクトを始めたことが
新聞などで話題になると、
昔窯業に携わっていたという人たちが
ここを訪ねてくるようになった。

やはりここは陶産地だった。
改めてそういう感覚を味わった。

そして僕たちはそうした人たちから
情報を得るようになった。

長い間眠りについていたこの島の窯業を
少し揺り動かすことができたような気がして、
とてもうれしかった。


僕が陶芸を通して
このような喜びを感じる様になったのは、
カンボジアでの窯業支援活動に参加したことが
きっかけだ。

それまで自分のために追求してきた
陶芸というスキルが、
図らずも社会貢献という形で
誰かの役に立つということが、
作っても作っても
認められることのなかった僕にとって、
一つのモチベーションとなった。

そしてカンボジアという、
窯業原料を何一つ購買することのできない中で
焼き物を作り出してきた経験が、
今のこのプロジェクトの核になっている。

すべてが僕の中でつながっている。

そして年を追うごとに、
この島での社会的認知度は高まり、
僕の中に、陶産地としてのBornholmを
もう一度世界に認知させたいというい思いが
強くなってきた。

それはAnne Metteをはじめ、
プロジェクトを共に進めるメンバーにも
共通した思いであり、
それが各々を強く結びつけている。

そう、だから僕はここにいる。
そして、いられる。

僕をこうして活かしてくれることに感謝しつつ
僕自身のやりたいことも実現することができる
この島での活動は、
もうしばらく続けていきたいと思う。





jackie7 at 12:38|PermalinkComments(2) 思い 

2019年06月15日

”損して得取れ”って?

”損して得取れ”
という言葉を聞いて、
皆さんはどう解釈されるでしょうか。

大きな利益を得るためには
多少のリスクは仕方ないというような
商売上のテクニックのようなもの。

あるいは、
自分にとって不利益に見えても
共存共栄のために力を尽くすことが
最終的には自分の助けになる。

ケースバイケースで使い分ける方も
おられるかもしれない。

おそらく、
前者がマジョリティーではないかと思う。


世の中主観的にものを考える人が
多すぎる。

世の中に起こる様々な事象を
主観的に感じ、主観的に解決しようとすれば、
絶対に争いは避けられないし、
それを突き詰めていけば
最終的な勝者は一人だ。


トランプという男は、
そうした考えを持つ人々の
いわば代表者だ。

人間の持っている欲望を
競争し、奪い合う本性を
歯に衣着せず
肯定する。

人間を
地球上に住むあらゆる生物の中の
一つの動物種として論ずるのであれば
それは正しい。

人が本能のままに行動すれば
それは当たり前のことと考えても
当然のことだ。

しかし人間は、
数百万年という時間をかけて、
大きな過ちを何度も経験し、
反省し、
理想や倫理観や
崇高な精神を育てあげてきた。

そして今現在も
その途上にある。


動物が本能を抑えるというのは
並大抵のことではない。

犬に”待て!”を教えるのが
どんなに大変か。
人間と犬とに類まれな信頼関係があるからこそ
成立するやり取りだ。
犬には、
「最後にはくれる」
という、暗黙のそしてゆるぎない信頼があるのだ。

人間は共存共栄の社会を作りながら
力の強いものに対抗し、
現在のような繁栄を手にした。

互いに協力し合うことに対して
都合の悪いこと、
阻害要因となるものを悪として
それを倫理とか道徳という
人類が経験してきた
共存共栄社会における過ちから学んだことを
教訓としたのだ。

そして人間は、
常に自身の中にある動物的本能を
その倫理、道徳というもので封じ込めて、
人間社会の繁栄のために
葛藤し続けてきたのだ。

本能という動物がみな持っている欲望を
心の奥底に隠し持ちながら。

人間社会が右肩上がりに成長しているうちは、
それは見事に機能していたといえる。

もちろん個人差や文化成熟度の違いなどから
完全に機能していない部分を抱えながらも、
社会全体の風潮としては
倫理、道徳というものは
決して侵してはいけない領域として
人類の共通認識となっていたはずだ。

しかし、人間社会の成長
(ではなく経済成長なのだが…)
に頭打ちがきて、
倫理、道徳も含め
色々な制約を守って
いくら努力しても、我慢しても、
その先に向上するものが
なにも見えてこない状況に陥った。

そしてそれが不満として
人間の心の中に澱のようにたまり続け、
ついには爆発し始めてしまったのだ。

待て!
に従って、いつまで待っても
よし!
と言ってもらえず、
こっそり食べようとすると
叱られたり、食べ物を取り上げられたりしたら、
そしてそれが何年も続いたら、
犬も次第にいうことを聞かなくなるだろう。


今、世の中が右傾化しているとか
自国第一主義に傾いているとかいうのは、
つまりはそういうことなのだと理解している。

不満の募った人々は、
もう、我慢ができないのだ。

”待て!”の後に必ず”よし!”があるからね。
だからもうちょっと我慢してね。

という政治手法は通用しなくなってきたのだ。

だからトランプ大統領が生まれた。
そして、そういうものを生み出してはいけないという
倫理観、道徳観の一角が崩れた。

そっちがそう出るならこっちだって!

と、もう口火は切られてしまった。

そしてどんどん拡大している。

もう、止めることのできない道を
歩みだしてしまったのだ。

人間が共存共栄の理想社会を目指していたのは
間違いなのか。

それは実現不可能な
現実とはかけ離れた
単なる幻想だったのか。

僕はそれを声高らかに唱える人々を
頭から否定はしない。

そう思っても仕方がない社会を
人類は作ってしまったのだし、
その中での現実しか考えられないのは
罪ではないと思うから。

しかし、このままでいいはずがない。
今の人類は転がり落ちる道を進んでいる。

唯一、思い当たる解決の糸口は、
幸福の価値観の転換だ。

経済的な豊かさを幸せの尺度としているうちは、
この負のスパイラルから抜け出すことはない。

資本主義という長い間人類をけん引してきた
人類が信じて疑わなかった幸福への方法論を
否定するときが来ている。

過去を否定する必要はない。
それは多くのものを人類にもたらしたし、
大きな反省材料も示してくれている。
ここを通ってこなければ、
人類はこの大きな矛盾に
気付くことすらできなかったかもしれない。

幸福の価値観を
金銭的なもの以外に求めるならば、
人間はまだまだ幸せを手にすることができる。

ブータンのワンチュク国王や
ウルグアイのムヒカ元大統領の目指した国づくりは
そういうことだ。

日本でもあんなに取りざたされ、
多くの人が共感したはずだ。

それなのに、なぜ、
国はその方向へ動かない…

政治家が悪いのではない。
みんな不安なのだ。

本当にそんな幸せってあるのだろうか。

自分の周りを見渡して、
そんな幸せを手にしている人を
現実に目にすることがなければ、
それは幻想のように感じられてしまう。

それは当然のこと。

だから今は、
実践者を増やすこと。

金銭的に余裕がなくても、
自分の人生を豊かに暮らしていく人を
増やすこと。

そしてまず、自分が、家族が、
その体現者として幸せに暮らしていくこと。

経済的な豊かさを失っても
自分が本当に幸せだと感じられるものを
この手にすること。

いつかそれが、
限られた人のものではなくなるように。




jackie7 at 11:24|PermalinkComments(0) 私見 

2019年05月27日

僕が今創りたいもの

所詮…

僕らがやっていることは
土を焼き固めて
使用に耐える器を作ること
に尽きるのだが、
器を含め、道具というものには
使っているうちに愛着が湧いてくるのだ。

それはもちろん
自分が長い年月をかけて使い続けてきたものには
思い出や、執着が生まれるものであるが、
どこの誰だか全く知らない人が
どんなふうに使っていたかもわからないものにさえ
穢れのない何かが宿っているのを
感じ取ってしまうのはなぜなのだろう。

ただ一つ、
そうしたものをまとうものには条件がある。
それは欲望に引きずられることなく作られたもの。

欲にまみれて作り出されたものには、
それは宿りにくいのだ。

長い年月をかけて、
どのように作られたのかを選ばず
それが宿ることを否定しない。

それは、
作られたその時には
ぷんぷんと匂っていた欲望という悪臭が、
時代が変わり、
人々の認識が変わり、
そして、一度忘れ去られることによって、
薄れていくからに相違ない。

したがって、
いま創られたものが
その同じ時代に
刻々とそれを宿していくのを
美という探求心を持って観察しようとするならば、
その対象となるものは
決して欲を匂わせていてはいけない。

そしてそういうものを創りたい創り手は、
それを意識してもしなくてもいけない。


人間の欲望の中で、
というより、僕の…というべきなのだろうか…
最も消し去りがたい欲望は“自我”であると思う。

“自我”というものを
欲望と呼ぶべきかどうかを論ずるつもりはないが、
自我の芽生えは欲望に直結していると思う。
自我が芽生えなければ、
食欲や性欲といった
本能的に備わっているもの以外の欲望は、
生まれてはこないだろう。

だから、

意識してもしなくてもいけない。

“自我”という欲望は
意識して物を作れば
耐え難い匂いを発してしまう。

そして意識しないで物を作れば、
いつの間にか忍び込んできて
匂いを放つという
実に厄介なものなのだ。

それをできるだけ遠ざけて、
匂わせないためには、
一つには、
より大きなもの、
人類、あるいは地球、宇宙といった事柄に
目を向けることだ。
自分というものがいかに小さいものであるかを
痛感するのだ。

もう一つには、
徹頭徹尾、美を追求することだ。
美の解釈を間違えてはいけない。
それは相対的なものでは決してなく、
絶対的なものでなければならない。
相対的なものを追えば、
自我は強烈に匂いを放ち始める。


僕は一人の日本人として世界を見つめ、
愛と平和と得体のしれない穢れなき何かを込め、
あるいはそれが宿ることをひたすら願い、
本当に美しいものを追い求めながら
やきものを作っていくのだ。



2019年5月26日の僕が、
痛切に創りたいと思っている物を
ここに書き留めておく。




jackie7 at 02:00|PermalinkComments(0)

2019年05月22日

「すべての器にLove & Peace!」展について (2)

いつもいつも、
僕の頭の中にあるイメージはどんどん広がっていくのに
全くもってそのイメージに肉薄するものは
できることがない。

自分の力量のなさに
個展の幕が開くたびに、
グループ展で他の作家の作品と並ぶたびに、
落ち込んで、辛くなって、
次こそは、と思い続けてきた。

わかっている。
僕は天才ではない。

そして、一つのことを探求し続ける忍耐力もない。

だから僕は、長生き作戦を実行中である。

長い時間をかけて、
あきらめることなく続けることによって、
自分の思うところに到達しようという作戦だ。

そのためにタバコをやめている。
なるべくストレスから解放するようにしている。
体を鍛えている。

そうすることでしか、
創るという仕事の中で
自分が満たされることはないのだろうと思っていた。

ところが、
今回の個展では、少なからず満たされている自分がいる。

それは個展開催の目的を
自己満足度を測る
というところから抜け出したことによる。

今回の展覧会用の窯焚きは、
その作品の出来不出来を求めるならば
失敗と言わざるを得ない結果だった。

そして、僕は一度個展の開催をあきらめようと思った。

思うような作品を並べることができないと思ったから。

それでも、
もう一度今回のテーマに立ち戻って考えた結果、
出来栄えはどうであれ、
やるべきだと思った。

伝えたいと思うことを
伝えたいと思ったときにやらなければ、
おそらく同じ思い、同じ気概を持ってそれをする機会は
二度とないだろうと思ったからだ。

体力的なダメージは
回復するのにそれほど時間はかからないが、
精神的ダメージは
それこそ致命的になりかねない。

だから、無理矢理実施する方向へ
舵を切った。

灯油窯を使っても
二十数年の経験値で十分リカバリーできると思ったが、
その窯も、自分が思うイメージには
焼きあがらなかった。

出品する作品を選定しながら、
大丈夫か?大丈夫か?
と何度も自問自答を繰り返す。

その中で思ったこと。

ここに揃った作品を
自分がどう思うかということは二の次で、
なるべく多くの人に手に取ってもらい、
感じてもらい、
考えてもらうことの方が先決だ…ということ。

もちろん、そうは言っても作品ひとつひとつに対する
悔しさは拭い去れない。

それでも、自分が何のためにこのテーマを選んだのか、
なぜ困難なスケジュールを押して作品を作り直したのか、
そうしたことを今一度思い起こし、
作品を搬入した。

個展が始まった。

同業者に見られるのは耐え難かった。
それは作品のクォリティに自分が納得していないから。
恥ずかしい。

しかし、お客様の反応は
今までに感じたことのないものだった。

「Love & Peace!…ですよね!」
「僕の人生のテーマもLove & Peaceですよ。」
「Love & Peaceって思いながら使いますね。」

こうしたいくつかの言葉たちに救われた。
本当にやってよかったと思えた。

そして、陶器というものの新たな価値を
見つけたような気がした。

それは、広く、深く普及するということ。

他の工芸品と比べても陶器は
家庭の中で最も多く使われている物ではないだろうか。

そして素材としての陶は、
いかようにも成型が可能で、
その表現の幅も驚くほど広い。

そして、耐久性にも優れているし、
プラスチック製品のように
粗雑に扱われることもない。

絵画よりも、彫刻よりも、
あらゆるアート作品と比べても
これほどあまねく家庭に入り込み、
残っていくものは珍しいのではないだろうか。

そう考えると、
今まであくまで工芸として認識され、
芸術からは一線を画されてきた陶器というものが、
新しい芸術分野足りうるのではないか…
と思えてきたのだ。


会期中、芸大の学生さんが見に来てくれた。
専攻を聞くと、

「先端芸術表現です。」

と。

詳しいことはわからないが、
先端技術を用いた芸術分野のことではなく、
今までの様々な芸術分野の垣根を越えて、
芸術の、現代社会の中での存在の仕方や
社会に対する影響力などを論点に
試行していくというようなものらしい。

話を聞いた時にはなんだかよくわからなかったが、
調べてみるとなるほど、
陶芸という分野はもしかすると
今までの解釈を一度白紙にしてしまうと
とても面白い新芸術としてとらえることが
できるのかもしれない…
と思った。

その学生さんが言った
「私も将来陶芸をやってみようと思ってるんです。」
という言葉は、
あるいはそういう視野があってのことだったかもしれない。


焼き物としての、
既存の価値観による高みを目指したいという気持ちは
まだまだ自分の中から消し去ることはできそうにない。

しかし、新しい価値観を見出すことが
できるかもしれないという思いが
今、ふつふつと自分の中に湧き上がってきてもいる。

両輪とするのか、どちらかの道を選ぶのか、
明日のことは全く分からないのだが、
とりあえず、興味の湧く方へ歩んでいこうと思う。


この個展ができたこと、
本当に良かったと思っている。




jackie7 at 01:18|PermalinkComments(0) 思い 

2019年04月04日

「すべての器にLove & Peace」展について 

来月5月11日から開催する
「すべての器にLove & Peace」展について
まだ制作中ではあるが書いてみようと思う。

このテーマで作品を作ろうと思ったのは
おそらくもうずいぶん前のことだったように思う。

東日本大震災前年、震災年と続けて行った
「POSITION ,供彭
昨年の「想いをよせる器」展
今まで行ってきたいくつかのテーマ展の根底にあるのが
今回のテーマなのだと思う。

何年か前、夜中に制作中
「愛なんだ!愛こそが唯一の希望なんだ!!」
と感極まって、泣きながら飯碗に
「愛」の字をいくつも書きなぐって
焼きあがってから
「あぁ。。。やっちゃったよぉ。。。」
と後悔先に立たず。
案の定、陶器市でもまったく売れず
夜中に感情が昂る怖さを思い知ったのだが、
数年たつうちに、ぽつりぽつりと全部売れていった。

「愛」という言葉は奥ゆかしい日本人にとって
口にするのも、文字にするのも
恥ずかしさを伴う言葉で
使うにはそれなりの勇気を必要とする。

だから僕は、直接「愛」というものをテーマにせず、
人それぞれの立場を思いやることだったり
気持ちをよせるということに代替させて
表現してきたのだと思う。

真正面から「愛」をテーマに
などという勇気はなかったのだ。

だが、やっとそこに向き合う気持ちになった。

それは、自分が今まで思い描いてきた
自分の思いを届けようとする範囲を
とても小さく限定したからだ。


数年前に気付いたことがある。
個展会場に来てくれた友人が
「キミの器、うちにたくさんあるよー!」
「毎日のように使ってるよ!」と。

同じことを何人かに言われて
あっ!と思った。
あぁ、そうやって僕は器を通して
どれだけの人と繋がっているのだろう。。。と。

僕が全く思いもよらないところで
僕は器を分身として存在している。
そして、僕の死後もなお
それは存在し続けるんだ。。。

それは本当に幸せなことだし
文字通り有難いことだと。

そして、思った。
なにも世界中の人たちに届かなくても
僕の思うことを
ちゃんと届けられる人たちがいるじゃないか!

器を使う時に
洗う時に
ふと目にとまった時に

感じてもらえるって
すごいことじゃないか!


そして、すべての器にLove & Peaceを
文字やマーク、あるいは想起させる何かしら
にして託した。

「愛と平和」では重すぎると思ったので
「Love & Peace」としたのだが
愛や平和という文字を
形を崩して入れた器も作った。


平和とは文字通り
人と人との関係が穏やかにつながっている様だ。

人類にとって、これほど得難い幸せはないだろう。

日本という国は75年という月日を
戦争から離れて営まれてきた。

戦後の傷跡の深かった時代を差し引いても
半世紀以上戦争による被害を受けていない。

でも、今の世の中を
本当に平和だということができるだろうか。
人が人の肉体を、あるいは心を深く傷つける状況は
学校にも会社にも家庭内にも広く蔓延し
そんなニュースに「またか。。。」
と不感症になってしまいそうなほど
日常化している現状を
決して平和とは呼べないと、僕は思う。

そして、唯一このすさんだ現状を
幸せな、平和な世界に導けるものがあるとすれば
それは「愛」に他ならない。

人を100%憎むことは
愚かなことだと思う。
どんなひどいことをされて、
どんなに憎んだとしても
99.999.....%として
どんなに小さくても許す余地を残すことが
全てを解決する糸口になるのではないだろうか。

それがすべてを解決する手立てにはならないことは
十分に承知している。

しかしながら、”解決する可能性を残してくれる”
ということは、真実であろうと思う。

そしてそれが人類に
幸せをもたらすものだと信じたい。

現実というものはむごいものだとわかっている。

事実人類の過去において
愛するという行為が平和を導き
それが未来永劫継続している例は
おそらく無い。

それでも、
一人でもそれを信じる人が増えるならば
ほんの少しでも平和な世界に近づけると
僕は本気で信じている。



制作中、ずっとSEKAINO OWARIを聴いている。
とても勇気づけられている。

この展覧会に来てくれる人すべてに
共感を求めているわけではなく

「僕はこう思っています」

という宣言とでも思ってもらえれば有難い。

「Love & Peace」のいろいろな形を
器を通して感じてもらえれば幸いである。





jackie7 at 06:17|PermalinkComments(2) 思い 

2019年01月08日

僕の宗教観について

ここのところ初詣や母親の命日など、
宗教的に動くことが多くかったので、
今日は僕の宗教観というか死生観のようなものについて
書いてみようと思う。

もう何年になるだろうか。
僕は神社仏閣などに参拝するときには
一切願い事をしないことにしている。

もともとの理由は僕のひどい面倒くさがりから来ている。

神仏に願い事をし、成就した暁には、
お礼参りなるものをしなければ罰が当たるという。

例えば京都のお寺で願掛けをして、
成就したらまた京都までお礼に行く。。。
というのは僕にはとても約束できる行動ではない。

「自分にできないことは約束しない」

というのが僕の信条であるから、
当然の成り行きとしてお願いをせず、
ただ挨拶だけして帰るということになる。

同じくらいからだろうか、
流れ星にも願わなくなった。

流れるたびに
自分のことばかりを願っている自分に気付いたとき、
ひどく卑しく感じてしまったことによる。
世界平和などを願ってみたが、
それもなにかしっくりこなくてやめてしまった。


先日、NHKのBSスペシャルで
歴史学者ハラリ氏のサピエンス全史を取り上げていた。

ホモサピエンスが勝ち残ったのは
想像する力があったから。
そして、宗教も資本主義もフィクションであり、
それを信じる力で集団を動かすことに成功するのだと。


正にそういうことなのだが、
僕は宗教を否定しない。

僕はただ、
自分の見ていないもの、
確信の持てないものを信じないだけで、
“無い”と断言するものではない。


僕の母親は非常に信心深い人で、
真言宗の家に生まれた母は、
弘法大師を何より信仰していた。

当然子供のころから
お地蔵さんの前は素通りしないで手を合わせるとか、
悪いことをするとお大師さんの罰が当たるとか、
ことあるごとに神仏に恐れを抱かされて育った。

最初に疑問を持ったのは思春期を迎えた頃だったか。

これは親が子を育てるための口実ではあるまいか。。。

神仏恐れるに足らず!と思いながら、
心の奥底の畏れを払拭できずにいた。

その次に神仏を考えるきっかけとなったのは、
大学生のころ。

訪問キリスト教徒との出会いだ。

彼らの言うこと、教えと言って振りかざすもの、
僕にはすべて当たり前のことにしか聞こえてこなかった。

なんでこの人たち、こんな当たり前のことを
いかにも素晴らしいお言葉みたいに言うんだろう。。。

つまり、僕の心の中にはすでに、
母親によって植え付けられた良心というものが、
十分に成熟していた。
ゆえに、すべて特別なこととして聞こえてこなかった。
その頃の僕の彼らに対する決まり文句は、

「神は僕の心の中にいて、
 すべてを教えてくれるので必要ありません。」

だった。その延長線上で僕は

“宗教とは人間が作った道徳を教える道である”

と理解するようになっていった。

なので僕にとっては、
キリストも、ブッダも、アッラーも、
区別する存在ではなくなっている。

いるかいないか?と問われれば、
僕は「いる」と答える。

それは、様々な形で人々の心の中に存在する、
神という名の意識のようなものとして。
あるいは、日本独特の意識である八百万の神としての
命であり、もっと言えば自然そのものである。


こういう宗教観であるから、
命日だの供養だのということに、あまり執着がない。
故人を思う理由として、
四十九日だからとか、三回忌だからとかいうのは、
僕にとってはあまり意味のないことなのだ。

それよりも、日々の生活の中で、
何かその人と関連付けられる出来事、
あるいは物と出会ったときに想いを寄せる
という自然な成り行きのほうが
何十倍も大切に思える。

ただ、母は信心深い人だったから、
残された家族も頑なにそれを信じているから、
僕はその日にそこへ行くのである。

そうした思いを蔑ろにしようとは思わないし、
遺骨や位牌、墓標のある場所へ行くことは、
何かしら偶像的なものがあったほうが、
その人と会うといった臨場感を伴うことを否定しない。

ただそこに、故人はいないということを
僕は厳然たる事実として受け止めている。

語りかけることは僕の一方的な思いや観念。
だからやはり、願い事や返事を求めることはしない。

魂や肉体を失った意識が存在するか否かはわからない。

ふとした瞬間に、存在を感じる様な気がすることもある。

それが自分の第六感とか霊感というようなものなのか、
はたまたただの思い込みなのかという答えは、
求めようにも得られないものなので、
感じるままにしてある。

もし、神や霊的なものが存在するとするならば、
それは名前がついていたり、
ああ言ったりこう言ったりするものではなく、
そういう次元を超越した
ただ感じるだけの存在であるように思う。。。
というか、そうあってほしい。。。


こうした宗教観、死生観というのは、
そのまま僕の人生観に通ずるものである。

つまり、甚だ個人的な思考、感覚なのであり、
それが正しいと主張するものではないし、
他人の考えを否定するものでもない。

すべての人は、すべて自分の信ずるものをよすがに
生きていくより仕方がない。

ハラリ氏の言った

「資本主義、Moneyこそ、
 人類最大のフィクションである」


という言葉が、益子に移住する前の自分が書きなぐった

「東京なんてすべて嘘っぱちだ」

という思いとリンクする。

そんな虚構の中で自分が生きていくために、
宗教にせよ、死生観にせよ、自分の人生観が
自分を偽らないように、惑わさないように、
常に自問自答して生きていきたい。





jackie7 at 01:21|PermalinkComments(0) 思い 

2018年09月26日

なんのために作るのか。。。

人間は本当に馬鹿だな。。。と思う。
そして、人間は本当に素晴らしい。。。とも思う。


その違いをざっくり言ってしまえば、
お金が絡む行動は馬鹿らしく、
絡まない行動は素晴らしい。。。

ほぼその論理に当てはまるはずなのだが、
人間というのは、
そしてその社会というのはとても複雑にできていて、
例外もたくさん生まれる。
そしてそのたくさんの例外たちに
真実は覆い隠されていく。
そしてその例外を
あたかも真理であるかの如く振りかざし、
馬鹿な人間の私利私欲と直結した
嘘の正義の理屈に仕立て上げてしまう。

自分を顧みてもそうなのだ。
自分自身の心もとても複雑にできていて、
これがまた僕を悩ませる。

人間の馬鹿さ加減を嫌うがあまり、
お金を稼ぐという行為に嫌悪感を抱く。
お金を介在しない社会を作って、
そこで生きていきたい。。。などと、
できもしない妄想を膨らませる。

それでも、目の前にお金がチラつけば、
気持ちがそちらへスーッとなびいて行ってしまう。

そんな自分を弱いと責めてみたり、
自己嫌悪に落ち込んでみたり。

それでも、どうしても、
お金を稼ぐということに労働意欲がわかず、
何か違う目標を探し求めて、
それにしがみついて、
そうしてなんとか自分を奮い立たせて仕事をする。

お金のためではないのだと、
自分に言い聞かせながら、
言い訳をしながら、
いくばくかのお金を稼ぐ行為を何とか肯定する。

そうやってがちがちに固まっていく。


ここ数年、幸いにして僕は
うってつけの言い訳となる仕事を得た。

“意義”のある仕事を得た。

それは今までの自分を肯定できるものであったし、
時に他人から褒められ、
時にうらやましがられ、
そして都合のいいことにいくらかのお金も生み出した。

やっと自分は自由に生きながら、
この世間を渡っていけるようになった。。。
とその時間を謳歌していたが、
本質を失いかけていた。

それに気づいてしまった。

気づいてしまったとたん、
何をしていいのかまたわからなくなってしまっていた。

そんな状態でこの島に来た。
楽しいはずの、
幸せなはずの、
この島での活動すべてが、
すっかり色褪せてしまった。

なんとかそこにしかるべき“意義”を持たせようと、
国際交流や社会貢献に結び付けて云々かんぬん。。。
と必死にもがいてみたが、
どれも自分を納得させるに至らなかった。

「ここへ来て何をすればいいのか目標を失ってしまった。」
「というより、自分が何をすべきかわからなくなってしまった。」

一緒に活動する友人に素直に打ち明けた。

物を作る以上仕方がないよ。。。と、
理解してくれた。


数日後、そんな話とは別に生け花の話題となった。
素晴らしい本を益子の本屋で見つけたという話から、
その本屋で買ったという一冊の本を彼女が見せてくれた。

その本を開いたとたん、
僕は一瞬にして自分のやるべきことを理解してしまった。
その本が素晴らしかったというよりも、
その本に出合うタイミングが
ドンピシャだったというべきだろう。

一年前に見ていたら、
いい本だね。。。
で終わっていたはずだ。
(もちろんいい本なのだが。。。)

「ひとりよがりのものさし」
坂田和實著

重ねて言うが、
タイミングが良かったのだ。
この本を見て誰もが同じことを感じる
というたぐいのものではない。

そこには僕が共感できるいくつかの美の基準があった。
すべてではなかった。
が、共感できる部分があっただけで十分だった。

人には美しいものを見ていたい、
そばに置きたい、
触れてみたい、
そうした欲求が本能的に備わっていて、
そこにはちゃんと“人が感じる美”があるということ。

そして僕がやるべきことは、
そうした本当に美しいものを作り出すこと。
それは人間の欲求を満たす仕事でありながら、
自分を苦しめない仕事。

そんな風に思うことができたのは初めてだった。

美しさを追求すればいい。
なんて素敵な仕事なんだ!
(今さらながら!)

どこかで
自分の作品を通して
仕事を通して
他人に認めてもらいたい
注目されたい
そんな私欲を満たそうとしていた自分が、
ひどく滑稽に思えてしまった。
やはり人間は、俺は馬鹿だ。。。

それ以来、モノを見る目も変わってきた。
僕が美しいと思うものは何だ?

僕の中にいくつかの系統が見えてきた。
僕の美しさの基準は一つじゃないんだ。。。

そんなことも分かってきた。
というか、それは以前から多分解っていた。
それを肯定することができるようになっただけ。


とにかく、
気持ちはすっきりした。

ここでの仕事に意欲も出てきた。

でも、
美しいものを作り出すのは
やはり大変な仕事だ。

大変だけど大変だと感じないくらい
楽しく心躍る仕事。

さて、楽しい仕事にとりかからねば。

人の心に
ポッと灯をともすような
そんなものを作るんだ。





jackie7 at 05:43|PermalinkComments(0) 思い 

2018年04月16日

想いをよせる器展

5月26日から開催する
“想いをよせる器展”について
思うところをここに書いておこうと思う。

この展覧会を開催するに至る経緯は、

http://blog.livedoor.jp/jackie7/archives/52172480.html
の“鎮魂器について”
をご覧いただきたい。

鎮魂器の記事にも書いた通り、
そもそもの発端は東日本大震災にある。

震災の翌年から作り始めた“鎮魂器”であるが、
震災から離れて、もう少し個人的な色々な思いを
受け止める器も作ってみようと思った。

ここ数年、親しかった友人や、お世話になった方、
母親を含め、僕にとって大切だった方々を
次々に見送った。

そうしたことが続いていたので、
会いたいと思う人には、
多少無理をしてでも会いに行くようにしていた。

それでも、思いもよらない人が突然亡くなったり、
会いに行って、話もできたけれども、
喪失感の拭えない人がいる。

そういう人々と、突然繋がりが途切れてしまい、
どうすればよいのか戸惑うことが何度もあった。

月命日や、お盆や彼岸など、
そうした人々を想うタイミングは、
宗教や慣習の中に確かにあるのだが、
一人一人の命日を記憶していたり、
盆や彼岸にまとめて供養…というのは、
なんとなく、僕にとっては苦手なのである。

特に理由があるわけではない。
なんとなくできないのだ。

それでも、何かの拍子に
ふっと思い出したり、
語りかけたくなったり、
遺していった言葉の意味について
考えてみたりしたくなることがある。

23歳のときに父を亡くした。
これまでの人生で、最も辛かった訣れは、
多分この訣れだ。

亡くして2年、3年と経つうちに、
父の記憶も、悲しみも、
少しずつ薄れていった。

忘れていく薄情な自分を責め、
そのことにひどく悩んだ。

5年ほど経ったある時、
親類の葬儀があった。
お経をあげに来ていた住職に、
この自分の苦しい気持ちをどうすればいいのか、
すがるような気持ちで助けを求めた。

「思い出してあげることですよ。」

そのために、命日や彼岸の供養があるのだ…
ということだった。

「誰かに思い出されることが
 仏にとって最大の幸せなんですよ。」

救われた。
ずっとその言葉が、僕の中に残っている。

僕は勝手な解釈をして、
それは仏教の約束の日でなくてもよい、とした。

ずっとそういう事にして生きてきたが、
親の命日に線香もあげない…というような事に、
少し後ろめたさもついて回った。

何もしないとしても、
想いがあればそれでいい。

真理はそういう事なのだが、
そこに一つ、何か行為を付け足すことで、
故人に対しても、自分に対しても、
ちょっとした言い訳というか、
もう少しのスペシャル感というか、
想う故人への敬意というか、
そうしたものを創出できる気がした。

その“行為”を助けてくれるツールとして、
“想いをよせる器”を作ろうと思った。

蝋燭に火を灯すための燭台
香を焚くための香炉
花を挿すための一輪挿し
酒を酌み交わすための杯
思い出の品をそっと入れておく箱

そうしたものを手元に置くことで、
その器がふと目に入った時に、
今日は少し時間を取ろうか…
という気持ちにさせたりするかもしれない。

そして、特別に作ったその時間は、
こうした器によって、
より想いを深くできるのではないかと思う。

最近では自然葬など、最期の時に、
特に宗教を持たない人も増えて、
自分なりの供養の仕方も必要だろう。

人間だけでなく、人生の一部を共にし、
家族として過ごした動物たちへの想いもあるだろう。
懐に抱いた飼い猫の感触は、
今でも僕の胸に、手に、
色あせることなく残っている。

すでに、それぞれの想いの届け方を
自分なりに持っている方々がほとんどだと思うが、
それを僕は器に対して定義してみた。

そういう定義された器というのは、
宗教上のそれを除いて、
あまりないような気がしたからだ。

一つ一つの器には、
想いを届ける助けになるような、
形や装飾を施した。

鎮魂器の土釘や、三島手の印花は、
ひとつひとつ、刺したり押したりする行為に
想いを込めた。

耳杯の耳は、
語りかける言葉がちゃんと届くように。

幾つかの器には、文字を入れた。

Seid umschlungen, Millionen!
Diesen Kuβ der ganzen Welt !
諸人よ抱き合え!全世界にこの口づけを!

ベートーヴェン交響曲第9番より。
音楽を通して平和を願う。

Thank you for everything.
I'll never forget you. Never...
ありがとう。決してあなたを忘れない…




展覧会には今まで制作してきた鎮魂器も
新作と共に展示する。

未だ復興途上にある被災地に
想いをよせて。




jackie7 at 02:11|PermalinkComments(0)

2018年03月23日

鎮魂器について

“鎮魂器”
は、僕がここ数年作り続けている作品群の総称で、
僕の造語である。

この作品を作りはじめたのは2012年。
初期のいくつかの作品は“祈り”というタイトルだった。

世界中の多くの人々がそうであったように、
東日本大震災は僕にとっても大きな衝撃だった。

震災当日、電気が供給されない中、
なんとか情報を得ようと車載TVの存在を思い出し、
エンジンをかけたその時に現れた信じ難い津波の映像は、
僕の人生観を一変させた。

身の回りに、本当に色々な事が起こった。
この不測の事態に対して、何かせずにはいられなかった。
考えつくこと、人から誘われること、
被害の計り知れない大きさに対して、
本当に些細なことを幾つかした。

そのうちに、被害の全容が明らかになってきた。
死者、行方不明者12,000人以上というのが、
当時の報道だったと記憶している。
その大半が行方不明者だった。
(現在の警察庁発表では18,456人。内行方不明者2,562人)

途方もないその数に、心が張り裂けそうだった。

震災を境に、僕のやきものという仕事には、
“発信するための表現”という仕事が、
もう一つの軸として加わった。

津波にさらわれてしまった人々…
一人でも多くの人が無事帰ってきてほしい…。
そういう思いで作りはじめたのが、
“祈り”だった。

この時初めて、今でも続いている
柔らかい粘土に、半乾燥させた粘土の釘を挿す
挿釘技法を引用した。
未だ帰らぬ人々を思いながら、
土の釘を祈りと共に、一つ一つ挿した。

この技法は、実際に作品にする数年前に、
カンボジアで発見した技法だった。

当時僕はカンボジアで
カンボジア陶器復興プロジェクトという事業を行っていた。

アンコールワットの見学などで度々訪れていた、
シェムリアップにあるワットボーという寺院に
素晴らしいクメール陶器のコレクションがあった。

数々の大甕や盤口瓶などの並んだ棚の脇に、
プラスチックのカゴに無造作に入れられた
陶片を見つけた。

その中に、一際目を引く装飾の施された陶片があった。

恐らく盤口瓶のような形状の陶器の
肩の部分にあしらわれたであろうその装飾こそが、
挿釘の技法であった。

ほんの断片であるにも関わらず、その異様な形状からは、
何か宗教的な、並々ならぬインパクトを感じ、
何度も見に行った。

あまりにもその雰囲気が、異様であったため、
なかなか作品に引用することができなかったのだが、
“祈り”というタイトルで作品を作ろうと思った時に、
真っ先に頭に浮かんだのが、あの陶片だった。

宗教的な雰囲気と、お寺で発見したという因果、
そして、一本一本、土の釘を挿していく作業が、
念じるようでもあり、儀式の様でもあったため、
これしかないと思った。

震災から3年ほどは、“祈り”というタイトルで作り続けたが、
2014年、多くの方が遺体として帰られたこと、
3年という月日を経過した行方不明の方々に対しても、
安らかに…という思いが次第に大きくなった来たことから
タイトルを“鎮魂器”と改めた。

2015年前半まで、鎮魂器は震災で落とされた尊い命のために
作り続けていたのだが、その後、
違った思いが膨れ上がってきたのを機に
新しい意味合いが生じてきた。
(今でも大きな作品は、震災を思って作っている。)

2015年の後半は、半年間カンボジアで過ごしていた。
日本から遠く離れた地で、
僕にとって大きな出来事が二つあった。

むかし勤めていた会社の同僚で、会社を辞めてからも、
ずっと僕のことを気にかけてくれていた方がいた。
いつも東京の個展にひょっこり顔を出してくれていたその方が、
来られない年があった。
翌年またひょっこり現れて、実は大病をして来れなかった…
という。
京都人のその人は、よく“いけず”をいう人で、
度々からかわれたが、温かく見守ってくれていることを
肌で感じられる素敵な方だった。
しかし、その年を最後に個展に来られなくなった。
亡くなっていた。
ご自宅までお線香をあげに行こうと、
ご家族とも親しくされていた方と連絡を取り合っていたが、
結局行けずじまいに終わってしまっていた。
そのことは、ずっと心の中に澱のように溜まったままだった。
それがこの年、突然カンボジアにいる僕に、
奥様の連絡先が知らされた。
早速連絡を取り、8年に渡る不義理をお詫びすると、
生前、彼が僕のことをどの様に話していたか伝えてくださった。
そして、覚えていてくれてありがとう…と。
複雑な気持ちが入り混じり、熱いものがこみ上げた。
帰国後、やっと墓参を果たすことができた。

またある日、大学時代の先輩からFBに連絡が入った。
くだらないやり取りをいくつかしたあと、
「そういえば、あおちゃん亡くなったの知ってる?」と。
あおちゃんというのは、僕の大学時代、
四六時中一緒に遊び、バイトをし、
ずっとつるんでいた悪友である。
突然死だったという。
連絡を受けた翌日が葬儀だったため、
帰国は諦めた。
何日も夜空を、青空を眺めては、奴のことを思った。
大学時代の終わりのころ、
なんとなくお互いにわだかまりができてしまい、
卒業してからはめっきり疎遠になってしまっていた。
それでも、不思議とばったり会うことが何度もあった。
その度に、驚くような人生を歩んでいることを聞かされた。
帰国後、桜の下での納骨に立ち会った。
母子家庭だった彼の母親は、
僕らを遠く離れた息子のようにもてなしてくれた。

その後も何人も、近しい人や、お世話になった方、
愛すべき人たちが旅立って行った。

“鎮魂器”…
私的故人を思うための器にしたいと思った。

残念ながら、僕の宗教観は非常に薄い。月命日やお盆、彼岸といった
故人と繋がるべき日を、ずっとおろそかにしている。
自分の両親すら…。

ただ、僕は僕なりに宗教からは離れたところで、
思いを寄せたり、回想したりしている。
それでいいと思っている。

それをもう少し具体的な形にする器、
それが今僕の考える“鎮魂器”の姿である。

ふっと思い出したときに、
花を入れる、蝋燭に火を灯す、あるいは酒を酌む。

そういう、大切な誰かを思い出すひと時のための道具。
あるいはそれを見ることで思い出し、
そういう時間を作るきっかけとなる道具。

そんな器、必要だな…と思った。


目下、5月の個展に向けて“鎮魂器”の制作中。
久しぶりに仕事場に音楽を持ちこんだ。

最近気に入った曲を選んでプレイリストを作ったら、
偶然、死生観を感じるような楽曲が多くなっていた。
結果として気持ちが入りやすく、
制作を助けているのだが、
ラブソングも幾らか入っている。

別れがテーマになっている曲を聴いていて思った。
会えなくなってしまった昔の人。
会えないという点において、共通する思いはあるな…と。

恋愛に限らず、物理的に離れてしまう人は結構いる。
現在はSNSなどで繋がっていることができるが、
それでも疎遠になることは稀なことではない。

そういう意味で、鎮める魂は、
生きている人の魂を含めてもいい気がしてきている。
そういう理解であれば、未だ行方不明の方々に対して躊躇わず、
花を活けることができるのではないだろうか。

人と繋がり続ける器。
それが僕の求める“鎮魂器”の最終形なのかもしれない。







jackie7 at 05:31|PermalinkComments(0) 仕事 | 思い