2019年01月08日

僕の宗教観について

ここのところ初詣や母親の命日など、
宗教的に動くことが多くかったので、
今日は僕の宗教観というか死生観のようなものについて
書いてみようと思う。

もう何年になるだろうか。
僕は神社仏閣などに参拝するときには
一切願い事をしないことにしている。

もともとの理由は僕のひどい面倒くさがりから来ている。

神仏に願い事をし、成就した暁には、
お礼参りなるものをしなければ罰が当たるという。

例えば京都のお寺で願掛けをして、
成就したらまた京都までお礼に行く。。。
というのは僕にはとても約束できる行動ではない。

「自分にできないことは約束しない」

というのが僕の信条であるから、
当然の成り行きとしてお願いをせず、
ただ挨拶だけして帰るということになる。

同じくらいからだろうか、
流れ星にも願わなくなった。

流れるたびに
自分のことばかりを願っている自分に気付いたとき、
ひどく卑しく感じてしまったことによる。
世界平和などを願ってみたが、
それもなにかしっくりこなくてやめてしまった。


先日、NHKのBSスペシャルで
歴史学者ハラリ氏のサピエンス全史を取り上げていた。

ホモサピエンスが勝ち残ったのは
想像する力があったから。
そして、宗教も資本主義もフィクションであり、
それを信じる力で集団を動かすことに成功するのだと。


正にそういうことなのだが、
僕は宗教を否定しない。

僕はただ、
自分の見ていないもの、
確信の持てないものを信じないだけで、
“無い”と断言するものではない。


僕の母親は非常に信心深い人で、
真言宗の家に生まれた母は、
弘法大師を何より信仰していた。

当然子供のころから
お地蔵さんの前は素通りしないで手を合わせるとか、
悪いことをするとお大師さんの罰が当たるとか、
ことあるごとに神仏に恐れを抱かされて育った。

最初に疑問を持ったのは思春期を迎えた頃だったか。

これは親が子を育てるための口実ではあるまいか。。。

神仏恐れるに足らず!と思いながら、
心の奥底の畏れを払拭できずにいた。

その次に神仏を考えるきっかけとなったのは、
大学生のころ。

訪問キリスト教徒との出会いだ。

彼らの言うこと、教えと言って振りかざすもの、
僕にはすべて当たり前のことにしか聞こえてこなかった。

なんでこの人たち、こんな当たり前のことを
いかにも素晴らしいお言葉みたいに言うんだろう。。。

つまり、僕の心の中にはすでに、
母親によって植え付けられた良心というものが、
十分に成熟していた。
ゆえに、すべて特別なこととして聞こえてこなかった。
その頃の僕の彼らに対する決まり文句は、

「神は僕の心の中にいて、
 すべてを教えてくれるので必要ありません。」

だった。その延長線上で僕は

“宗教とは人間が作った道徳を教える道である”

と理解するようになっていった。

なので僕にとっては、
キリストも、ブッダも、アッラーも、
区別する存在ではなくなっている。

いるかいないか?と問われれば、
僕は「いる」と答える。

それは、様々な形で人々の心の中に存在する、
神という名の意識のようなものとして。
あるいは、日本独特の意識である八百万の神としての
命であり、もっと言えば自然そのものである。


こういう宗教観であるから、
命日だの供養だのということに、あまり執着がない。
故人を思う理由として、
四十九日だからとか、三回忌だからとかいうのは、
僕にとってはあまり意味のないことなのだ。

それよりも、日々の生活の中で、
何かその人と関連付けられる出来事、
あるいは物と出会ったときに想いを寄せる
という自然な成り行きのほうが
何十倍も大切に思える。

ただ、母は信心深い人だったから、
残された家族も頑なにそれを信じているから、
僕はその日にそこへ行くのである。

そうした思いを蔑ろにしようとは思わないし、
遺骨や位牌、墓標のある場所へ行くことは、
何かしら偶像的なものがあったほうが、
その人と会うといった臨場感を伴うことを否定しない。

ただそこに、故人はいないということを
僕は厳然たる事実として受け止めている。

語りかけることは僕の一方的な思いや観念。
だからやはり、願い事や返事を求めることはしない。

魂や肉体を失った意識が存在するか否かはわからない。

ふとした瞬間に、存在を感じる様な気がすることもある。

それが自分の第六感とか霊感というようなものなのか、
はたまたただの思い込みなのかという答えは、
求めようにも得られないものなので、
感じるままにしてある。

もし、神や霊的なものが存在するとするならば、
それは名前がついていたり、
ああ言ったりこう言ったりするものではなく、
そういう次元を超越した
ただ感じるだけの存在であるように思う。。。
というか、そうあってほしい。。。


こうした宗教観、死生観というのは、
そのまま僕の人生観に通ずるものである。

つまり、甚だ個人的な思考、感覚なのであり、
それが正しいと主張するものではないし、
他人の考えを否定するものでもない。

すべての人は、すべて自分の信ずるものをよすがに
生きていくより仕方がない。

ハラリ氏の言った

「資本主義、Moneyこそ、
 人類最大のフィクションである」


という言葉が、益子に移住する前の自分が書きなぐった

「東京なんてすべて嘘っぱちだ」

という思いとリンクする。

そんな虚構の中で自分が生きていくために、
宗教にせよ、死生観にせよ、自分の人生観が
自分を偽らないように、惑わさないように、
常に自問自答して生きていきたい。





jackie7 at 01:21|PermalinkComments(0) 思い 

2018年09月26日

なんのために作るのか。。。

人間は本当に馬鹿だな。。。と思う。
そして、人間は本当に素晴らしい。。。とも思う。


その違いをざっくり言ってしまえば、
お金が絡む行動は馬鹿らしく、
絡まない行動は素晴らしい。。。

ほぼその論理に当てはまるはずなのだが、
人間というのは、
そしてその社会というのはとても複雑にできていて、
例外もたくさん生まれる。
そしてそのたくさんの例外たちに
真実は覆い隠されていく。
そしてその例外を
あたかも真理であるかの如く振りかざし、
馬鹿な人間の私利私欲と直結した
嘘の正義の理屈に仕立て上げてしまう。

自分を顧みてもそうなのだ。
自分自身の心もとても複雑にできていて、
これがまた僕を悩ませる。

人間の馬鹿さ加減を嫌うがあまり、
お金を稼ぐという行為に嫌悪感を抱く。
お金を介在しない社会を作って、
そこで生きていきたい。。。などと、
できもしない妄想を膨らませる。

それでも、目の前にお金がチラつけば、
気持ちがそちらへスーッとなびいて行ってしまう。

そんな自分を弱いと責めてみたり、
自己嫌悪に落ち込んでみたり。

それでも、どうしても、
お金を稼ぐということに労働意欲がわかず、
何か違う目標を探し求めて、
それにしがみついて、
そうしてなんとか自分を奮い立たせて仕事をする。

お金のためではないのだと、
自分に言い聞かせながら、
言い訳をしながら、
いくばくかのお金を稼ぐ行為を何とか肯定する。

そうやってがちがちに固まっていく。


ここ数年、幸いにして僕は
うってつけの言い訳となる仕事を得た。

“意義”のある仕事を得た。

それは今までの自分を肯定できるものであったし、
時に他人から褒められ、
時にうらやましがられ、
そして都合のいいことにいくらかのお金も生み出した。

やっと自分は自由に生きながら、
この世間を渡っていけるようになった。。。
とその時間を謳歌していたが、
本質を失いかけていた。

それに気づいてしまった。

気づいてしまったとたん、
何をしていいのかまたわからなくなってしまっていた。

そんな状態でこの島に来た。
楽しいはずの、
幸せなはずの、
この島での活動すべてが、
すっかり色褪せてしまった。

なんとかそこにしかるべき“意義”を持たせようと、
国際交流や社会貢献に結び付けて云々かんぬん。。。
と必死にもがいてみたが、
どれも自分を納得させるに至らなかった。

「ここへ来て何をすればいいのか目標を失ってしまった。」
「というより、自分が何をすべきかわからなくなってしまった。」

一緒に活動する友人に素直に打ち明けた。

物を作る以上仕方がないよ。。。と、
理解してくれた。


数日後、そんな話とは別に生け花の話題となった。
素晴らしい本を益子の本屋で見つけたという話から、
その本屋で買ったという一冊の本を彼女が見せてくれた。

その本を開いたとたん、
僕は一瞬にして自分のやるべきことを理解してしまった。
その本が素晴らしかったというよりも、
その本に出合うタイミングが
ドンピシャだったというべきだろう。

一年前に見ていたら、
いい本だね。。。
で終わっていたはずだ。
(もちろんいい本なのだが。。。)

「ひとりよがりのものさし」
坂田和實著

重ねて言うが、
タイミングが良かったのだ。
この本を見て誰もが同じことを感じる
というたぐいのものではない。

そこには僕が共感できるいくつかの美の基準があった。
すべてではなかった。
が、共感できる部分があっただけで十分だった。

人には美しいものを見ていたい、
そばに置きたい、
触れてみたい、
そうした欲求が本能的に備わっていて、
そこにはちゃんと“人が感じる美”があるということ。

そして僕がやるべきことは、
そうした本当に美しいものを作り出すこと。
それは人間の欲求を満たす仕事でありながら、
自分を苦しめない仕事。

そんな風に思うことができたのは初めてだった。

美しさを追求すればいい。
なんて素敵な仕事なんだ!
(今さらながら!)

どこかで
自分の作品を通して
仕事を通して
他人に認めてもらいたい
注目されたい
そんな私欲を満たそうとしていた自分が、
ひどく滑稽に思えてしまった。
やはり人間は、俺は馬鹿だ。。。

それ以来、モノを見る目も変わってきた。
僕が美しいと思うものは何だ?

僕の中にいくつかの系統が見えてきた。
僕の美しさの基準は一つじゃないんだ。。。

そんなことも分かってきた。
というか、それは以前から多分解っていた。
それを肯定することができるようになっただけ。


とにかく、
気持ちはすっきりした。

ここでの仕事に意欲も出てきた。

でも、
美しいものを作り出すのは
やはり大変な仕事だ。

大変だけど大変だと感じないくらい
楽しく心躍る仕事。

さて、楽しい仕事にとりかからねば。

人の心に
ポッと灯をともすような
そんなものを作るんだ。





jackie7 at 05:43|PermalinkComments(0) 思い 

2018年04月16日

想いをよせる器展

5月26日から開催する
“想いをよせる器展”について
思うところをここに書いておこうと思う。

この展覧会を開催するに至る経緯は、

http://blog.livedoor.jp/jackie7/archives/52172480.html
の“鎮魂器について”
をご覧いただきたい。

鎮魂器の記事にも書いた通り、
そもそもの発端は東日本大震災にある。

震災の翌年から作り始めた“鎮魂器”であるが、
震災から離れて、もう少し個人的な色々な思いを
受け止める器も作ってみようと思った。

ここ数年、親しかった友人や、お世話になった方、
母親を含め、僕にとって大切だった方々を
次々に見送った。

そうしたことが続いていたので、
会いたいと思う人には、
多少無理をしてでも会いに行くようにしていた。

それでも、思いもよらない人が突然亡くなったり、
会いに行って、話もできたけれども、
喪失感の拭えない人がいる。

そういう人々と、突然繋がりが途切れてしまい、
どうすればよいのか戸惑うことが何度もあった。

月命日や、お盆や彼岸など、
そうした人々を想うタイミングは、
宗教や慣習の中に確かにあるのだが、
一人一人の命日を記憶していたり、
盆や彼岸にまとめて供養…というのは、
なんとなく、僕にとっては苦手なのである。

特に理由があるわけではない。
なんとなくできないのだ。

それでも、何かの拍子に
ふっと思い出したり、
語りかけたくなったり、
遺していった言葉の意味について
考えてみたりしたくなることがある。

23歳のときに父を亡くした。
これまでの人生で、最も辛かった訣れは、
多分この訣れだ。

亡くして2年、3年と経つうちに、
父の記憶も、悲しみも、
少しずつ薄れていった。

忘れていく薄情な自分を責め、
そのことにひどく悩んだ。

5年ほど経ったある時、
親類の葬儀があった。
お経をあげに来ていた住職に、
この自分の苦しい気持ちをどうすればいいのか、
すがるような気持ちで助けを求めた。

「思い出してあげることですよ。」

そのために、命日や彼岸の供養があるのだ…
ということだった。

「誰かに思い出されることが
 仏にとって最大の幸せなんですよ。」

救われた。
ずっとその言葉が、僕の中に残っている。

僕は勝手な解釈をして、
それは仏教の約束の日でなくてもよい、とした。

ずっとそういう事にして生きてきたが、
親の命日に線香もあげない…というような事に、
少し後ろめたさもついて回った。

何もしないとしても、
想いがあればそれでいい。

真理はそういう事なのだが、
そこに一つ、何か行為を付け足すことで、
故人に対しても、自分に対しても、
ちょっとした言い訳というか、
もう少しのスペシャル感というか、
想う故人への敬意というか、
そうしたものを創出できる気がした。

その“行為”を助けてくれるツールとして、
“想いをよせる器”を作ろうと思った。

蝋燭に火を灯すための燭台
香を焚くための香炉
花を挿すための一輪挿し
酒を酌み交わすための杯
思い出の品をそっと入れておく箱

そうしたものを手元に置くことで、
その器がふと目に入った時に、
今日は少し時間を取ろうか…
という気持ちにさせたりするかもしれない。

そして、特別に作ったその時間は、
こうした器によって、
より想いを深くできるのではないかと思う。

最近では自然葬など、最期の時に、
特に宗教を持たない人も増えて、
自分なりの供養の仕方も必要だろう。

人間だけでなく、人生の一部を共にし、
家族として過ごした動物たちへの想いもあるだろう。
懐に抱いた飼い猫の感触は、
今でも僕の胸に、手に、
色あせることなく残っている。

すでに、それぞれの想いの届け方を
自分なりに持っている方々がほとんどだと思うが、
それを僕は器に対して定義してみた。

そういう定義された器というのは、
宗教上のそれを除いて、
あまりないような気がしたからだ。

一つ一つの器には、
想いを届ける助けになるような、
形や装飾を施した。

鎮魂器の土釘や、三島手の印花は、
ひとつひとつ、刺したり押したりする行為に
想いを込めた。

耳杯の耳は、
語りかける言葉がちゃんと届くように。

幾つかの器には、文字を入れた。

Seid umschlungen, Millionen!
Diesen Kuβ der ganzen Welt !
諸人よ抱き合え!全世界にこの口づけを!

ベートーヴェン交響曲第9番より。
音楽を通して平和を願う。

Thank you for everything.
I'll never forget you. Never...
ありがとう。決してあなたを忘れない…




展覧会には今まで制作してきた鎮魂器も
新作と共に展示する。

未だ復興途上にある被災地に
想いをよせて。




jackie7 at 02:11|PermalinkComments(0)

2018年03月23日

鎮魂器について

“鎮魂器”
は、僕がここ数年作り続けている作品群の総称で、
僕の造語である。

この作品を作りはじめたのは2012年。
初期のいくつかの作品は“祈り”というタイトルだった。

世界中の多くの人々がそうであったように、
東日本大震災は僕にとっても大きな衝撃だった。

震災当日、電気が供給されない中、
なんとか情報を得ようと車載TVの存在を思い出し、
エンジンをかけたその時に現れた信じ難い津波の映像は、
僕の人生観を一変させた。

身の回りに、本当に色々な事が起こった。
この不測の事態に対して、何かせずにはいられなかった。
考えつくこと、人から誘われること、
被害の計り知れない大きさに対して、
本当に些細なことを幾つかした。

そのうちに、被害の全容が明らかになってきた。
死者、行方不明者12,000人以上というのが、
当時の報道だったと記憶している。
その大半が行方不明者だった。
(現在の警察庁発表では18,456人。内行方不明者2,562人)

途方もないその数に、心が張り裂けそうだった。

震災を境に、僕のやきものという仕事には、
“発信するための表現”という仕事が、
もう一つの軸として加わった。

津波にさらわれてしまった人々…
一人でも多くの人が無事帰ってきてほしい…。
そういう思いで作りはじめたのが、
“祈り”だった。

この時初めて、今でも続いている
柔らかい粘土に、半乾燥させた粘土の釘を挿す
挿釘技法を引用した。
未だ帰らぬ人々を思いながら、
土の釘を祈りと共に、一つ一つ挿した。

この技法は、実際に作品にする数年前に、
カンボジアで発見した技法だった。

当時僕はカンボジアで
カンボジア陶器復興プロジェクトという事業を行っていた。

アンコールワットの見学などで度々訪れていた、
シェムリアップにあるワットボーという寺院に
素晴らしいクメール陶器のコレクションがあった。

数々の大甕や盤口瓶などの並んだ棚の脇に、
プラスチックのカゴに無造作に入れられた
陶片を見つけた。

その中に、一際目を引く装飾の施された陶片があった。

恐らく盤口瓶のような形状の陶器の
肩の部分にあしらわれたであろうその装飾こそが、
挿釘の技法であった。

ほんの断片であるにも関わらず、その異様な形状からは、
何か宗教的な、並々ならぬインパクトを感じ、
何度も見に行った。

あまりにもその雰囲気が、異様であったため、
なかなか作品に引用することができなかったのだが、
“祈り”というタイトルで作品を作ろうと思った時に、
真っ先に頭に浮かんだのが、あの陶片だった。

宗教的な雰囲気と、お寺で発見したという因果、
そして、一本一本、土の釘を挿していく作業が、
念じるようでもあり、儀式の様でもあったため、
これしかないと思った。

震災から3年ほどは、“祈り”というタイトルで作り続けたが、
2014年、多くの方が遺体として帰られたこと、
3年という月日を経過した行方不明の方々に対しても、
安らかに…という思いが次第に大きくなった来たことから
タイトルを“鎮魂器”と改めた。

2015年前半まで、鎮魂器は震災で落とされた尊い命のために
作り続けていたのだが、その後、
違った思いが膨れ上がってきたのを機に
新しい意味合いが生じてきた。
(今でも大きな作品は、震災を思って作っている。)

2015年の後半は、半年間カンボジアで過ごしていた。
日本から遠く離れた地で、
僕にとって大きな出来事が二つあった。

むかし勤めていた会社の同僚で、会社を辞めてからも、
ずっと僕のことを気にかけてくれていた方がいた。
いつも東京の個展にひょっこり顔を出してくれていたその方が、
来られない年があった。
翌年またひょっこり現れて、実は大病をして来れなかった…
という。
京都人のその人は、よく“いけず”をいう人で、
度々からかわれたが、温かく見守ってくれていることを
肌で感じられる素敵な方だった。
しかし、その年を最後に個展に来られなくなった。
亡くなっていた。
ご自宅までお線香をあげに行こうと、
ご家族とも親しくされていた方と連絡を取り合っていたが、
結局行けずじまいに終わってしまっていた。
そのことは、ずっと心の中に澱のように溜まったままだった。
それがこの年、突然カンボジアにいる僕に、
奥様の連絡先が知らされた。
早速連絡を取り、8年に渡る不義理をお詫びすると、
生前、彼が僕のことをどの様に話していたか伝えてくださった。
そして、覚えていてくれてありがとう…と。
複雑な気持ちが入り混じり、熱いものがこみ上げた。
帰国後、やっと墓参を果たすことができた。

またある日、大学時代の先輩からFBに連絡が入った。
くだらないやり取りをいくつかしたあと、
「そういえば、あおちゃん亡くなったの知ってる?」と。
あおちゃんというのは、僕の大学時代、
四六時中一緒に遊び、バイトをし、
ずっとつるんでいた悪友である。
突然死だったという。
連絡を受けた翌日が葬儀だったため、
帰国は諦めた。
何日も夜空を、青空を眺めては、奴のことを思った。
大学時代の終わりのころ、
なんとなくお互いにわだかまりができてしまい、
卒業してからはめっきり疎遠になってしまっていた。
それでも、不思議とばったり会うことが何度もあった。
その度に、驚くような人生を歩んでいることを聞かされた。
帰国後、桜の下での納骨に立ち会った。
母子家庭だった彼の母親は、
僕らを遠く離れた息子のようにもてなしてくれた。

その後も何人も、近しい人や、お世話になった方、
愛すべき人たちが旅立って行った。

“鎮魂器”…
私的故人を思うための器にしたいと思った。

残念ながら、僕の宗教観は非常に薄い。月命日やお盆、彼岸といった
故人と繋がるべき日を、ずっとおろそかにしている。
自分の両親すら…。

ただ、僕は僕なりに宗教からは離れたところで、
思いを寄せたり、回想したりしている。
それでいいと思っている。

それをもう少し具体的な形にする器、
それが今僕の考える“鎮魂器”の姿である。

ふっと思い出したときに、
花を入れる、蝋燭に火を灯す、あるいは酒を酌む。

そういう、大切な誰かを思い出すひと時のための道具。
あるいはそれを見ることで思い出し、
そういう時間を作るきっかけとなる道具。

そんな器、必要だな…と思った。


目下、5月の個展に向けて“鎮魂器”の制作中。
久しぶりに仕事場に音楽を持ちこんだ。

最近気に入った曲を選んでプレイリストを作ったら、
偶然、死生観を感じるような楽曲が多くなっていた。
結果として気持ちが入りやすく、
制作を助けているのだが、
ラブソングも幾らか入っている。

別れがテーマになっている曲を聴いていて思った。
会えなくなってしまった昔の人。
会えないという点において、共通する思いはあるな…と。

恋愛に限らず、物理的に離れてしまう人は結構いる。
現在はSNSなどで繋がっていることができるが、
それでも疎遠になることは稀なことではない。

そういう意味で、鎮める魂は、
生きている人の魂を含めてもいい気がしてきている。
そういう理解であれば、未だ行方不明の方々に対して躊躇わず、
花を活けることができるのではないだろうか。

人と繋がり続ける器。
それが僕の求める“鎮魂器”の最終形なのかもしれない。







jackie7 at 05:31|PermalinkComments(0) 仕事 | 思い

2017年12月11日

「益子/笠間が抱える課題と未来の窯業地の姿」

昨日、「濱田庄司登り窯復活プロジェクト」で開催された、
この記事と同タイトルのシンポジウムに登壇させていただいた。

言いたいことをはっきりまとめきれなかったのと、
時間的に余裕がなかったことも有り、
明確な結論まで言及できなかったので、
ここに補足する意味で、
自分の意見をまとめておきたいと思う。

産地として抱える最も大きな課題のひとつは、
ニーズとのミスマッチであろう。
これは益子・笠間に限らず、
全国的、あるいは世界的である印象が強い。

やきものに限らず工芸という分野は、
伝統的なイメージの上に立脚している。
いや、いた…というべきか。

それがここ十数年の間に、少しずつ、
伝統的工芸品としてのイメージは息をひそめ、
代わって生活様式に即した、インテリア的な要素が高まってきた。

産業という観点からこの現象を見るならば、
こうしたニーズにしっかり対応をした作り手は、
それほど大きな問題を抱えてはいないかもしれない。

ただ、民芸ブーム真っ只中からこの世界に入り、
そうした伝統こそを礎として制作を続けてきた作り手は、
容易にこうした状況に対応できず、
苦戦を強いられているということになろう。

文化的側面から見るならば、
伝統工芸というものの価値は、
まだまだ衰えてはいない。
今年東京で行われた茶の湯や楽茶碗の展覧会には、
ひしめき合うほどの観客が連日訪れていたのである。


「産地」という言葉から受ける印象は、
文化的な匂いよりも産業的イメージが強い。
だから、産地の課題というと、つい、
産業的、経済的な課題を思い浮かべがちであり、
そうした課題への施作もそっちへ偏りがちだ。

しかし、外から訪れる人々にとっての「産地」の魅力とは、
気に入ったものを購買できるということだけではない。

山裾に広がる里山や、田植の終わった田園風景、
室町時代に建立された古刹、160年に渡り受け継がれてきた
焼物の町としての伝統や風情、そしてそこに営む人々。
そういうものを求めてくる人たちは決して少なくない。

近年では若い移入者たちを中心とする、
カフェやパン屋、そうしたものが
新しい益子の魅力となっている。

もちろん、そうしたことを十分に認識し、
益子の生産者も販売者も、
販売促進のためのエッセンスとして盛り込んでいる。

しかし、いつもその施作は、
産地側の一方的な問題解決のためのものであり、
産業としての益子焼の閉塞感をどの様に切り崩すのか…
ということのみを目的としているように思える。

そして、その一つ一つの施作が
うまくいったとか、ダメだったとか、
そういう事に一喜一憂しながら、
疲弊してきたのではないか。


特に震災以降、
益子ではそれまでは薄かった連帯感が芽生え、
様々なイベントや企画によって
この閉塞した状況を乗り越えようとして来た。

僕自身もその幾つかのテーブルに同席し、
自分に課せられた役割を果たしてきた中で思うことは、

「いったいこの益子という窯業地は、
      どこに向かおうとしているのだろう…」

ということだ。
どういう窯業地であろうとするのか、
その理想像というものを持たないまま、
行き当たりばったりに切り抜けようとしているように思う。

理想の無い仕事は場当たり的だと言わざるを得ない。
ここで僕の言っている理想というのは、
目標とは違う。

目標と言うと達成すべきもの、
達成できなければ負のイメージを伴うもののように感じる。

対して理想というのは、
必ずしも実現するものではないのだ。
こうありたい、こうであったらいいな…という、
希望なのであり、心のよりどころなのである。

益子という産地の中に在って、
目の前にぶら下がっているのは、いつも問題ばかり…
という状況では、とても明るい未来は見えてこない。
たとえ思い描く理想の未来がやってこないのが現実だとしても、
そこへたどり着こうとして努力をするのと、
全く思い描かずにあがき続けるのとでは、
最終的な着地点は違って来るはずだ。


今、明確な理想を持てない窯業地益子は、
首都圏を中心とする社会システムに迎合しすぎていると思う。

迎合すればするほど同化していく。
同化することで個としての魅力を失い、
システムの中での競争を強いられる。
それは、もはや産地ではなく
利益を奪い合う企業のような存在となり、
システムの中に埋没していくのではないだろうか。


益子という地に生まれ、あるいは居を定め、
物を作り、売り、何世代にも渡って守られてきた伝統と
風光明媚な自然と古刹の中に共存し、
都会から距離を置いた健康的なコミュニティーの中で、
幸せな生活を実現することが、
僕たちの理想ではないだろうか。

そうした共通の理想を以て未来を考えなければ、
この窯業地は、どこへ転がって行ってしまうかわからない。

今、陶産地益子に最も必要なのは、
ここに住み、作り、売る人々が共通の認識として持つことのできる、
理想であり、希望であると思う。

その理想の実現に向けて、
何ができるのか、何をするのかは、
人それぞれでいい。

伝統を守る人、社会のニーズに応える人、自然を愛する人、
農業を元気にする人、文化を開く人、事務方に徹する人、
起業する人、世界に門戸を広げる人、お金を作る人…

バラバラでもなんでもいい。
共通の理想像を持ち、そこに向かっていれば、
それがきっと産地の大きな力になっていくはずだ。


甚だ観念的な話であることは自覚している。
しかし、これさえできれば起死回生の一打となる!
というような手法は、非常に生まれにくい世の中になっている。
そうした時代の中では、いかにモチベーションを上げて仕事をするか…
ということはとても重要な課題だと思う。

昨日のシンポジウムの中で、後継者不足という問題も提起された。
後継者が不足するのは、その産業に魅力が無いからだ。
最も大きな問題は生計を立てられるかどうか不安だ…
という点であろう。
そうした次世代に対して、何を魅力として見せられるのか。
それも、やはり一つの理想に向かって働く姿であり、
一体感を持って動く産地の姿ではないだろうか。


今、これほど観光客を集められる産地は珍しい。
それだけで他の産地に比べ、益子は恵まれている。
それはもちろん、産地の人々による努力の賜物ではあるが、
産地そのものに魅力が無ければ、いくら集客努力をしても、
集められないし、集まったとしても一時的なものに終わる。
今の益子の魅力は、色々な要素の総合力である。
その色々の先にあるものを見つめていきたい。

結局理想論を展開するにとどまってしまうが、
理想の無い仕事は何も産み出せないと、
僕は心の底から強く思っている。



jackie7 at 02:07|PermalinkComments(2)

2017年10月12日

仕事が手につかず…

作れない日々が続いている。
仕方がないので、土を作ったり、
仕事場を片づけたり、発送作業をしたりしながら、
過ごしている。

作る時間がとれないわけではない。
作ろうと思てt仕事場に行っても、体が動かない。

精神的健康を失っているわけでもない。

でも、どうしても作れない理由は、
僕の「作る」ということに対する、
根本的動機に起因している。


夏、デンマークで仕事をしていた時は、
自分でも驚くほどに働いた。

それは、自分が目下最もやりたい仕事を
することができていたからだ。

益子にいては、なかなか手の付けられなかったことが、
そこではみるみる実現していく。
僕は興味の赴くままに、
目の前にどんどん展開していく成り行きを楽しみながら、
体の疲れや焼物以外の煩わしいこと一切を忘れて
仕事に没頭することができた。
帰国してしばらくは、酷使した体が動かず、
しばらくの休養を余儀なくされたが、
一月が経っても、なかなか仕事に手が付かない…
という状況に陥った。

自己分析を始める。

恐らく、僕はいつも仕事に刺激を求めている。
刺激に触発されて、僕は仕事に没頭することができる。
だから今まで、自分の仕事を様々に変化させ、
より刺激的な仕事へと移行してきたのだということに、
今更ながら気が付いた。

それは、自分自身の問題に他ならないが、
やきものを生業として生きている以上、
生計を立てて守るべき家族や、
僕の作ったものを求めてくれる人たちとの関係を
無視することはできず、
そこに複雑な、極めて解決困難な状況が生まれてしまう。

先月、個展に来てくれた大学の同級生と話をしていた時のこと。
話は、大学時代どんな思いでいたかという様な事から、
自分が作り手としてどう生きていきたいか…
というような話に展開した。

話の途中、ぼくが、
「…云々かんぬん…それで、金持ちになれたらいいな。」
みたいな物言いをすると、彼女が
「ホントのホントのホントに金持ちになりたい?」
と、問いかけてきた。

ホントのホントのホントに…と聞かれると、
自信が無くなってしまった。
すると彼女は

「ほらぁ、ね、ホントはお金なんてどうでもいいんでしょ?」

と。

それで、改めて腑に落ちてしまった。
僕が作ることに求めている本当に大切なことは、
お金を稼ぐことではないんだ…ということ。

もともと、お金は二の次。
自分の仕事を全うすれば、ついて来るものと、
そう腹をくくって仕事をしているつもりだった。

しかし、自分を取り巻く現実は、そうした思いの隙間に、
知らぬ間に忍び込んでくる。

必要に迫られて、現状を打破するために、
自分を騙すように、言い訳しながら、
様々な仕事を手にかけてきた。

時にそれは、幾許かの経済的効果をもたらし、
時に全く功を奏さなかった。

そうした仕事が、僕の仕事の中で大きくなりそうになると、
知らぬ間に僕は、そこから逃げ出してきた。


独立した当初は、稼ぐということが第一義だった。
寝る間を惜しんで、とにかく量産し、
人から欲しいと言われるもの、
望まれるものを必死で作っていた。

5年くらい、そうした仕事を続けて来て、
ある日ふと思った。
これって、就職していた時と一緒じゃないか…

僕は、僕の人生を、家族との生活を、
もっと豊かにするためにこの仕事を選んだはずなのに、
これでは何も変わっていない…

そう思った途端に、そうした仕事の仕方が
出来なくなってしまった。

「前と同じものを作ることはできません。」

そういう態度で仕事をし始めた途端、
注文はどんどん減って行き、
この人は注文には応じない人…
という認識をされるようになっていった。

精神的にはとても健康になり、
それまで量産に費やしていた時間は、
築窯や土作りなどに費やすようになっていった。

興味の赴くままに、好きなものを作って、
好きなように焼いて…

しかし、家の経済状況は一気に悪化した。

そして、好きなように作ったものを
評価してくれる人も激減した。
買い手が減る…という形で。

そうした状況が、どんどん孤独感を募らせた。

そして僕は、そうした状況に耐えられなくなり、
また、その場をしのぐための仕事に手を付ける。

その繰り返しだった。

そうした、没頭しきれない状況は、
僕の仕事の成熟を極めて遅らせた。

それでも、少しずつ、少しずつ積み上げてきた、
僕が大切にしてきた仕事は、
やっと、注目してくれる人たちを獲得し始めた。

もう、寄り道はしたくない。

そういう思いが、より一層、強くなってきている。

そして、今、陶器市を前にして、
陶器市用に売る物を作らなければ…と思う自分がいる。
しかし、そう思えば思うほど、
全く仕事に手が付かない。

せめて、そこに僕のああしたい、こうしたいが
少しでも反映されれば、
折り合いをつけて仕事に向かうことができるのに…
それがどうしても出てこない。

諦めて、今作れるものを作るという選択は、
今の僕にはどうにもできない。

作りたいと思わないものを
自分が良いと思えないものを
自分が愉しんだり、興奮したり、
幸せな気持ちで作っていないものを
人手に渡してお金に換えるという行為を
どうしても容認する気になれない。


かといって、自分が自分の思うとおりに作ったものが、
全て自分の満足いくものかと言えば、
そういうわけでもない。

自分が作っているものが道半ばであることは、
自分が一番理解している。

まだ時間がかかる。

そうした思いが、僕の作品の値段に反映している。

安すぎると言われるが、僕には全くそう思えないのは、
客観的に自分の仕事を評価しているからだ。


つまり、そう。
僕は未だ混沌とした中に身を置いていて、
それゆえ仕事が手に着かない。

ただ、状況は混とんとしているが、
しっかりと見えているものがある。

そこへたどり着くために、
僕は大いに努力をしながら、
そして、全てを手放したくない、
自分を追い詰めたくない、
強欲で、だらしない自分と折り合いをつけながら、
しっかりと前を向いていなければならない。

そして、仕事をしなければならない。 




jackie7 at 11:37|PermalinkComments(4) 思い 

2017年05月16日

表現者の成功って…?

[28年目の芸術祭]というタイトル通り
卒業して初めてとなる同窓グループ展を開催している。

学生時代、アトリエを共有したクラスメイト達それぞれの
28年間が作品によって語られているような、
そんな展覧会になったように感じている。

同じクラスでなかった友人たちも、
この珍しい展覧会を見に来てくれ、
ギャラリー内は懐かしさと驚きと、
時を経たからこその会話に溢れていた。


そんな中、一人のゲストがオープニングパーティーに同席した。

クラスメイトの内数名が、
同じ予備校で同じ時を過ごしていたため、
彼を中心として小さな輪ができていた。

彼はその後、日本を代表する現代美術のアーティストとなり、
世界にも広く名前を知られることとなった。


今回のグループ展、僕を除くすべてのメンバーは
平面作品を出品している。

僕も当初久しぶりに平面作品に挑戦しようかと思案したが、
結局、この20数年を費やして育んできた、
やきものの作品を出品することにした。

搬入日、友人たちは口々に
「一点だけ?なんで器をたくさん持ってこなかったの?」
「沢山持ってきてどんどん売っちゃえばいいのに!」
と。

僕には最初からそんな気は毛頭なく、
やきものの作品ではあっても、
みんなと同様、自分の思いを表現した作品を出そうと思っていたし、
それができることがとても嬉しかったし、
疑うことなく、そうすべきだと思っていたので、
友人たちの言葉に少し戸惑った。


僕の学生時代は、改めて話すのも恥ずかしいほど、
美術を、芸術を学び、考えるという本分を完全に無視していた。

友人たちはその僕を嫌と言うほど知っている。
それが僕のコンプレックスになっているのかもしれない。
だから、こんな些細な言葉に過敏に反応してしまうのかもしれない。

それでも、僕はこの十数年、
器を焼いているだけでは満たされない自分を
どのように昇華させれば満たされるのか、
ずっと悩み続けてきた。

表現者でありたいという気持ちが、
心の中でどんどんと膨れ上がっていくことに自分自身で驚き、
そして、僕が学生時代あまり付き合わなかった早熟な友人たちに、
十年も二十年も遅れて芽生えたこの熱い思いを、青い思いを、
どこにどう吐き出せばいいのか、
そんなことにすら、今更ながらに悶絶しているのだ。


その最も早熟だったであろう表現者たちの一人が、
目の前にいる彼だった。

アートシーンに疎い…というかあまり関心のない僕は、
彼の名前こそ知ってはいたものの、
作品の変遷も業績もあまりよく知らない。

ただ、成功者という認識で、
彼の話を聞いていた。

その中で最も意外だった言葉は、
「決して裕福ではない…」という言葉だった。

彼は小さな成功者ではない。
いわばビッグアーティストの一人だ。

それでもその彼の華やかに見える業績に見合う報酬を、
少なくとも収入という面では得られていないというのは、
ある意味その座を狙う者たちにとって、
ショッキングな事実ではないだろうか。

あるいは、成功と言う現象を金に換算してしまう行為そのものが、
愚かなことなのかもしれない。
しかし、資本主義を憲法とするような世の中にあって、
それがたとえ芸術分野の成功であったとしても、
その報酬として金というものを想起してしまうことは、
致し方ない事なのではないだろうか。


ただ、ここ数年特に顕著になっている
「本当に良いものが売れない」という事実は、
表現者の成功が必ずしも裕福な境地を約束するものではない
ということを暗示するものであるし、
気持ちではそうあって欲しくないと思いつつも、
自分の知恵が、それを肯定していることに薄々気が付き始めていた。

それを、目の前のこの表現の成功者は、
自身の経験に基づく言葉として「裕福ではない」と発したのである。

それは、いつかは受け入れなければならないかもしれない…
と思いつつも蓋をしていた厳しい現実というものを
これから成功を夢見る表現者に対して露わにした引導のようにも思えた。

もちろん彼は他人の夢を打ち砕くために
そんな言葉を発したわけではないし、
色眼鏡で見られるのを嫌って、
謙遜気味に発した言葉かもしれない。

が、当たらずしも遠からず。
それが現実であろうということは、
この歳になれば容易に想像がつく。



そもそも表現というものは、成功のための道具ではない。
成功を目的とするならば、表現は崇高さを失う。
しかしながら、願わくば成功というご褒美を授かりたい…
と思うのは人間の性であろう。
それを全く許さないというのは、
あまりにもストイックすぎて、
愛すべき人間性をとことん失わせてしまうので、
僕の流儀ではない。

ならば、成功のイメージを変えなければならない。
表現者にとって最高のご褒美とは何か。
それは何より、自分の作品に対する、
より多くの人からの共感と深い理解ではないだろうか。

そうしたものを得られる立場を手にすることができたとき、
それを成功と呼べるのではないだろうか。

何か「成功」というといやらしい感じがしてしまうのは、
そこに金銭や名誉などの匂いが付きまとうからだが、
心の奥底で、
こっそり夢見ていたそうした成功というものは一度視界から外して、 
現実というひどく殺伐としたものと向き合いながら、
表現という仕事をもう一度考え直さなければならない。
僕たちは、作り続けることでしか答にたどり着けないし、
考え続けることでしか自らを肯定できない。

そしていつか、
もし、自分が憧れる、
表現という仕事の先にある安息できる場所へたどり着くことができた時、
自分の本当に大切なものを手放さずにいることができれば、
幸せな人生だったと言えるのではないだろうか。

卒業以来、一度も筆を止めることなく描き続けてきた友人が
「学生の頃どうだったかということよりも
こうして作り続けているということの方が大切なんじゃないの?」
と言ってくれた何気ない一言に救われている。







jackie7 at 15:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 私見 

2016年11月11日

アメリカ大統領選

なんだか書きたいことはいっぱいあったのだけど、
なかなか時間が作れず機を逸してしまった。

今日は先日のアメリカ大統領選について
思うところを…。

元々どちらにもなって欲しくない選挙だったが、
投票日前から、

もし自分がアメリカ国民だったら…

と想像をめぐらしてみると、
トランプ氏に投票するかもしれない…

という思いはあった。

もし自分がアメリカ国民で、
本当に苦しい生活を強いられていて、
なんとかその状況から逃れる一縷の望みとして
一票を投じるなら…
これまでのアメリカを継承するであろう、
しかも、スキャンダルだらけの、
一向に真意の見えないヒラリーよりは
この国を変えてくれる…という
可能性を感じてしまうかもしれない。


キャンペーン中は
トランプ氏の悪口雑言が大きく報道され、
もちろん僕自身も不快感を強めたし、
こんな奴アメリカ大統領なんてありえないと思っていた。

が、軍にも政治にも関係したことのない
初めての大統領候補、
つまり民間の代表のような人物が、
経済弱者の民間人たちが心の奥底で思っていることを
公然と大統領候補の演説でぶちまける様子は、
熱狂的な支持者を産むにいたるのも無理はない…
と思えてしまった。

開票速報でどちらかわからない状況で競り合っているうちは、
ヒラリーへの得票が増えるたびに胸をなでおろしていたが、
終盤に入り、トランプ勝利が濃厚になるにつれ、
なぜか自分の心の中で、
このままトランプで行ってしまえ!
というような思いが込み上げてきていることに、
あらがえなくなっていた。

ヒラリーに対する嫌悪感は、
トランプに対するそれよりもウェットな感じがする。

ヒラリーはヒスパニック系や有色人種に対して
大きな理解を示しているというイメージを作っているが、
あまり人情味を感じる人柄ではない。

それに対してトランプは、
移民やイスラム教徒に対して悪態の限りをつくが、
アメリカ国民に対しての愛情をなんとなく感じる。

あくまでも僕個人の印象でしかないが、
多くのトランプ支持者はこのような感じ方をしたのではないか。

もちろんトランプが最高の候補者だとは思わない。
しかし、究極の2択の中、
アメリカ国民は最もベターな選択をしたのかもしれない。

ニューヨークなど都市部では強かったヒラリーが
地方で支持されないというのは、
地域間の貧富の格差を埋められる人物ではないと、
有権者たちに判断されているに他ならない。
一部の勝ち組たちだけが富を分配する社会を
彼女は継続していくだろうと、
トランプ陣営からも攻撃されていた通り、
彼女の路線はがちがちに固まった、
資本主義世紀末にすがりつくような政治の匂いがする。

トランプとて不動産王として資本主義が生み出した
成り上がりの申し子のような印象はある。
そんな男が、本当に経済弱者を救えるのかといえば
甚だ疑問である。

しかし、勝利宣言のトランプはとても紳士的に発言をしていた。
超大国の大統領となった自覚を見せたかのように見えた。
キャンペーン中のすべての言動を彼が忠実に実行に移すには、
あまりにも障害が大きいし、
本人もそれを押し通す気はなさそうな気がする。

楽天的過ぎるかもしれないが、
このまま分別あるトランプが大統領としての任務を遂行するならば、
良い方向へ向かうのではないかという期待感も生まれる。

とはいえ、政治経験も軍隊経験も無い大統領を頂いたこの国が、
この先どうなるか全く予測できないのは事実だ。

予測不能なアメリカが、予測不能の世界を作り出す。
無責任な言い方をすれば面白い。

別の見方をすれば恐ろしい…と思う人が多いだろう。
それでも今は、僕にはなぜだが期待感の方が大きい。

しばらくアメリカから目が離せない。


jackie7 at 01:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 私見 

2016年01月27日

時間

便利グッズというカテゴリーに入るものは、
世の中にどれだけあるのだろうか。
もうそろそろ考えつくされて、
新しいものを考案するのも一苦労だろう…と思いきや、
次から次へと新商品が現れる。

最近は、え?そんなことまで道具に頼るの?
という代物も数多く登場している。

そもそもこうした便利な道具というのは
どういうところから端を発しているのだろう。

恐らく、仕事の効率を高めたり労力を軽減するために、
作り出されてきたものに相違ない。

棒、石器、土器…。
人間が使い始めた道具はどんどん進化して、
スタンダードな道具はもう出尽くして、
枝葉の部分において、便利グッズが進化し続けている。

その中でも衝撃的なデビューをしたのが、
洗濯機ではないだろうか。

主婦の家事を大幅に軽減し、
大きな時間的余裕を生み出した。

便利グッズというものは、
人間が生きていくうえで、必要不可欠なものではない。
大抵の場合、時間と労力によって補えるものばかりだ。

逆に言えば、この便利グッズを使うことで、
時間と労力を軽減することができる。

便利グッズが今なお進化し続ける理由はここにある。

洗濯機を日本で初めて開発した研究者は、
家事に忙殺される妻に、何とか自由な時間を…
という思いで研究を重ねたという。

カンボジアという国に長く身を置いて痛感したが、
発展途上国の生活労働というものは、
恐ろしく人生の時間を奪っていく。

それを何とか軽減し、余暇を作りだし、
人生をもっと有意義に、楽しく、幸せにするために、
便利グッズというものは発展し続けたのではないか。

もちろん先進諸国においては、その恩恵に十分あずかり、
趣味や娯楽に当てられる時間が大幅に増えた。

しかしながら今日、
そうした余暇が十分でない世の中になっている。

なぜか。

生活労働から解放され生まれた余暇を
賃金労働に当てるようになったからだ。

Time is money.

そんな言葉が生まれたのはもう数十年前のことである。
この言葉はまことしやかに資本主義社会を席巻し、
あたかも真理のような印象まで受ける。

でも、本当にそうなのか。
お金を得るために時間というものは存在しているのか。
人間が幸せになるために、
まず第一に必要なものがお金であると、
人類は認めてしまったのか。

もしそれが真理であるならば、
人間の一生というのはなんと哀れなものだろうか。

Time is not money.

Time is part of life.

時間というものを大切に,
人生を豊かに生きていきたい。



jackie7 at 01:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 私見 

2016年01月21日

人と人とのコミュニケーション

また一人、大切な人が逝ってしまった。
身近な人の訃報が届くたびに、
人とはいったいなんであろうかと考えさせられる。
去年からそうした機会が本当に多く気持ちが沈みがちだが、
先立たれる方々から教わることが多く、
人としての成長をさせてもらっているのだと感謝しようと思い、
この一文を書くことにした。

昨日の事。
亡くなった方のご自宅にお邪魔していると、
夕方、玄関から「こんばんは!」と野太い男の人の声がした。
ご家族が気付かれないようだったので出てみると、
驚きを隠せない表情で息を切らせた男性が
一刻も早く状況を確認したいという一心を
目に露わにして立っていた。

ご遺体に寄り添われ、涙をボロボロこぼし、
おそらく心の中で幾つもの言葉を掛けた後、
「ごめんな。」という言葉を口から洩らされた。

壁際に一度退き、残されたご主人の前に座りなおしたあと、
「何で言ってくれなかったんだ!」
少し荒い口調で言葉を吐き出された。

その後はご主人の話を黙って聞かれていた。

最初は疑いがあるが、明確に病気が把握できていなかったこと。
その後あれよあれよという間に悪化してしまったこと。
決して人には口外しないでほしいと言われていたこと…。

それでもそのご友人はもう一度小さな声で、
「何で言ってくれなかったんだ…」
とつぶやかれた。

彼が二度もそう言うのには、彼の家族の事情があった。
彼の奥様も重い病気を煩っていらっしゃるということだった。
もともと家族ぐるみの付き合いで、
同い年の子供を持つ同業者、
キャンプにいったり、食事をしたり、
同じ時間を本当に楽しく共有した仲間。

彼の言葉には、それなのになぜ、という思いが込められていた。

故人とそのご主人からすれば、
だからこそ言えなかったという思いがある。
すっかり弱ってしまった自分の姿を他人に見せたくないという思い、
きっと相手も同じように思っているだろうという気遣い。
会いに行きたかったけれども行けなかった…。
そして、病床にある友人に自分の命が尽きようとしていることを
話せるわけもなかった。

傍らで聞いているものとしては、こうした事情を聞かされて、
「何で言ってくれなかったんだ!」
という言葉がいかに愛情にあふれた言葉であり、
それを受け止めて、申し訳なかったという思いで語られたお話も、
愛に溢れた話であったことを思う。


言葉というのは、それを発した人の全てを説明するものではない。
その人の複雑に絡み合った、色々な思いの中から吐き出された、
ほんの一部分なのだということをいつも意識していなければ、
良い人間関係は作り得ないと思う。

今回の一件も、もし、何も知らないままこの言葉だけを聞いたら、
当家には当家の事情もあるだろうに、
自分勝手な思いをこんな場所でぶつけなくても…
と思ってしまう人もいるかもしれない。

相手に理解を求める前に、
まず自分が相手を理解しようと努めなければ、
お互いの信頼関係は生まれない。

相手が言うことに対して、なぜこのようなことを言うのか、
その人が育ってきた環境、今置かれている境遇、
普段の言動、行動から類推できるその人の性格や志向性、
そういったものを情報として総動員して、
言葉の真意を求める必要がある。
そうして、万全を期して理解したつもりでも、
本人が思う言葉の意味とは違う解釈をしてしまうこともあろう。
違うかもしれない…という可能性も
常に残しておく必要がある。

言葉というのは最良のコミュニケーションツールではあるが、
万能ツールではない。
時には無い方が良い場合もある。
そういう意味では言葉よりもむしろ、
心と心のコミュニケーションの方が
はるかに信頼できるかもしれない。
とはいえ、言葉なしに心のコミュニケーションをどう取ればいいのか。
目を見る、表情を見る、体の動きを見るといった観察と、
相手に寄り添う気持ちによって心を開いてもらう努力、
そういうことが大切なのではないか。

人と人とのコミュニケーションというのはとても複雑で、
たとえ親兄弟や夫婦と言えど、相手を十分に理解するというのは
非常に難しいと言えよう。
しかし、同種の人同士であれば簡単極まりなかったりもする。

人間にはひとそれぞれの事情や立場、
その時の環境や境遇が様々にあり、
同じ人であっても、その立ち位置が変わってしまえば、
その人にとっての真実や思いは変わってしまう。

多種多様、そして常に変化し続けるそうした人の心情を理解することなく、
相互理解を深めることは不可能だ。


一人の人の臨終に際し、集まる人たちと故人との関係、
集まった人たち同士の関係、集まる全ての人たちから、
コミュニティーの一角が零れ落ちることで、
その関係は変化する。
そしてまた、新たなコミュニティーの形がスタートする。

いつも自分が思っていることであるが、
昨日、言葉を発しなくなった敬愛する彼女の傍らで、
「何で言ってくれなかった!」
という強く、そして愛情に満ちた言葉を耳にして、
改めてこんなことを思った。

やすらかに。




jackie7 at 16:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 私見