2021年12月10日

歩轆轤

またここBornholmで書いている。

昨日行った公開ワークショップで
初めて僕の歩轆轤を公開した。

公開するにあたって少し考えたことがあって
それが多分僕の作陶の中の成形という部分において
非常に重要なことに気が付いたので
ここに書き留めておく

そもそもロクロというものは機械の一種だといえる。
それがたとえ蹴轆轤や手轆轤であったとしても
同心円にくるくると回る力を利用して作るという点で
機械で作ったような印象を作品に残してしまう。

機械を使用する。。。
すなわち量産化への始まりだ。
つまりは工場で大量生産される製品としての雰囲気を
纏ってしまうのである。

僕はそれが嫌で
なるべくそうならないようにはどうすればいいか
考え続けた末に
極端に遅い回転での轆轤を挽くようになった。

考えてみるとそれは
轆轤を機械として扱うのではなく
道具として扱おうとしているのだと
ここへ来てはっきりと認識した。

道具というのは
使い手が力を加えて動かさない限り
びくとも動きはしない。

蹴轆轤はかなり道具に近いが、
それでも遠心力を得るとひとりで回り続ける。
そこに問題がある。

なので、なるべく惰性で回さないよう、
足で轆轤を回した分だけ
粘土を触るような感じで挽くと
道具として轆轤を使えているように感じる。

その延長上に
僕の歩轆轤はある。

歩轆轤については
以前新技法としてこのブログでも紹介しているが
つまり立てて置いた丸太の上に粘土を載せ
自分がその周りを回って
轆轤のように成形する方法だ。

これは完全に道具なのだ。

轆轤のように勝手に回り続けることは決してない。

ただの台ともいえるが、
自分が回ることによって
そして轆轤の技術を用いることによって
この丸太はただの台から道具に変わる。

昨日のワークショップで
この歩轆轤の説明をしようとあれこれ考えている内に
はっきりと認識することができた。

これで僕の機械からの離別が完成するのだ。

機械からの離別は
僕に製品から遠ざかる一つの自信をもたらす。

勘違いをしてはいけないのだが、
機械を使わない製品はいくらでもある。

同じものを量産して販売目的に作られれば
それはもはや製品である。

しかし僕の場合、
ものを作る動機として
より売れるものを作ろうという気持ちは
ほとんど無いので、
僕の場合、あるいは僕と同じような人に限っては
この機械からの決別というのは
非常に大きな意味を持つ。



売れれば嬉しい。
でも売るための要素が入り込んだ時点で
僕の作りたいものから外れていってしまう。

そのはざまで苦しみに苦しみぬいた挙句
やっとたどり着いた答えが

徹底的に好きなことをやるしかない。。。

だった。

そうちゃんと思えたのは50代に入ってからだった。

今でもまだ気持ちが揺れることは正直ある。

それでも、カンボジアで経験し感じた人間力、
何もかも自分で手に入れるしか方法のない中で、
ゼロから陶器を作り出すために磨いたスキル、
そしてその二つを核として漕ぎだした
Bornholm Wild Clay Research Project と
つちかまうつわという二つのプロジェクト、
さらにはそうした中から生まれてきた
土窯や歩轆轤という制作方法、
そしてまた新たに始めた紐積みによる成形。

そうしたものが僕に
まっすぐ伸びる一本の道筋を見せてくれている。

やっとアウトプットの時が訪れたのだと
感じている。

まだまだ学ばなければならないことは沢山あるが、
この歩轆轤のように、
地道に続けてきたことから生まれる全く新しいものが
これからもいくつも経験できるよう、
これからは絞った一本の道の上を
力を抜いて、注意深く、歩いていきたいと思う。




jackie7 at 06:15|PermalinkComments(0) 技術 | 思い

2021年11月09日

「つちかまうつわ」について

益子町の進行中の「土祭」というイベントの中に
僕が担当させてもらった
“つちかまうつわ”というプロジェクトがある。
まだ継続しているプロジェクトなのだが、
僕は私用ですでにプロジェクトを離れてしまったので
区切りの意味でここで総括をしておこうと思う。

このプロジェクトの元々の本意は
僕の心の中にある。

昨年、自宅に一基の土窯を築いた。
スコップ一本で穴を掘り、
そこから得られた土で窯を作った。

その様子をFBなどで見てくれていた人たちがいて、
土祭の陶芸セクションで何か面白い企画はないか…
という会話の中で、
僕のこの土窯作りをイベントにしてはどうか
ということで依頼を受けることになった。

そもそもこの土窯作りは、
ある一つの古い壷との出会いから始めたのだが、
その根底にあるものは、
何もないところから土を掘って、
窯を作り、器を作り、それを焼いて
やきものを作る…という、
いわば錬金術みたいな能力を
人間は持っているんだということを
身をもって示したいという思いでもあった。

それは僕が窯業支援事業のために
カンボジアに長く携わったことに起因している。

事業開始当初、
もちろん僕は支援するつもりで渡航した。
ところが僕が目にしたものは、
彼らの人間としての豊かさだった。

経済的には地球上で下から数えた方が
全く早いカンボジアだが、
幸福度で言えば、
少なくとも我々の住む社会よりもずっと
幸福な印象を受けた。

そして彼らの人間力。
道具や機械がなくても、
そこにあるものをいかようにも応用して、
見事にやってのける様は、
物のあふれた中で育ち、
道具やシステムや、
そういうものがないと何もできない自分を
ひどく弱く感じさせた。

今の社会システムや整備されたインフラに
何か大きな異変が起こって機能しなくなった時、
例えば電気一つ取ってもそれがなくなった時、
我々日本人のほとんどは、
何もできないでくの坊と化すだろう。

もともと電機もガスも水道もない村に暮らす
カンボジア人にとっては屁でもないことなのに。

それを思ったとき、
そしてずっとこのまま続くであろうと思っていた
身の回りの環境が、
大震災で一瞬のうちに奪われたとき、
僕はこの危うい社会システムの上に
何の危機感もないまま乗っかっていることに気付いて
改めて愕然としたのだ。

だから僕は自分の生活を
自分の仕事を
少しずつ時代を遡るように
本当の意味での自立ができるように
変化させてきた。

その一つの答えが
“つちかまうつわ”というプロジェクトなのだ。

それを一人でも多くの人と
共有したいと思っていた矢先に
「土祭」からのオファーがあった。
だから引き受けることにした…

というのが、だいぶ長い説明になってしまったが、
この“つちかまうつわ”というプロジェクトを
立ち上げた経緯なのである。
このプロジェクトを語るうえで
とても大事なことなので
なるべく端折らず文字にした。

ここからやっと総括なのであるが、
実はこのプロジェクト、
思い描いていたことはかなりの部分でできなかった。

それはイベントの中で行うという
ある意味縛りのようなもののために。

例えば穴窯を作るのに地面を掘ることができなかった。
それはそこが遺跡調査の対象になる場所で、
許可が下りなかったから。

場所を変える話もあったが、
結局イベントとしての利便性も考えて
場所の変更はせず、
土を盛ってその盛った土を掘るという逃げ方をした。

色々考えた末にそうしようということになった。
なぜなら、一人でも多くの人と共有したい…
という点において、立地条件の良さは必要だったから。

窯屋根も、
消防法に則って作ると
巨大かつ莫大な予算を必要とするので
撤去可能な簡易的なものとして
イベント用のテントの骨にシートを被せて代用した。

そういう状況だったので、
少し頭を柔らかく対応した。

窯の土は益子近隣の陶芸家が廃棄する
削りカスを集めて代用した。

焼成に使用する薪は現地で伐採した雑木と
メンバーが所有していたもう使わないかな〜
という薪と、
前回の土祭で使用した木材で
今年処分が決まっていたものと、
プロジェクトサイトとなった
美術館が所有していた薪を
提供してもらった。

器の粘土くらいは…
と、敷地近くから採れる粘土を使用。

そして会期終了までの保存用の窯屋根や
焼成作品の展示台はほぼ廃材で賄った。

“あるものを使う”

そういう意識が
プロジェクト内に浸透していったことは
大きな収穫だった。
それは無理矢理原初的なことを押し通すのではなく、
今現在、自分たちの生きている現代の中で、
可能な選択をすることによる“実現性”を
感じさせるものになったからだ。


延べ20人くらいの陶芸家が
このプロジェクトに関わった。

参加した動機や目的は
各々違っていたであろうと思う。

それでも終始賑やかに、
沢山の人が集まって、
界隈の注目を集めながら、
焼成、窯出し、展示まで漕ぎつけたことは、
一つの意義を叶えたのではないかと思う。

このプロジェクトの本意に沿えば、
焼けるものは良い作品である必要はなく、
ただ使えるものであれば良いと、
個人的にはそう思っていたのだが、
思いのほか良い作品も取れていたことは、
一人の陶芸家として、決して否定するものではない。

最後に余談ではあるが、
僕の中で一つの思いが揺らいでいる。

それは、カンボジアで僕が行ってきたことが、
本当に良いことだったのかということ…

カンボジアでの事業そのものが、
まだ結果を述べる段階にまで
成熟していないということもあるが、
資本主義という競争社会に
彼らを引きずり込んでしまったという思いが、
拭い去れない。

もちろん、遅かれ早かれだったとは思う。
そして彼らが望んでいたものは、
間違いなくそういうものだったことも否定しない。

それでも、ほかに道は無かったのか…
という思いは一生僕の中に残るだろう。
答えは多分見つからないから。







jackie7 at 07:13|PermalinkComments(0) イベント 

2021年03月28日

新しい技法

4月の個展に出品する作品中いくつかは
新しい技法によって制作したものだ。
ロクロの技法は用いるがロクロは使わない。
新境地だ。

簡単に言えば、
丸太を立てて、その上に粘土を載せ、
器ではなく自分が丸太の周りを回って作る…
というもの。

動きはいささか滑稽だが、
生み出される形は
今まで自分が欲しくても手に入らなかった、
絶妙な造形を出現させる。

そもそもこの作り方を始めたきっかけは
昨年手にした一つの古常滑の壷だ。

なじみの骨董屋で見つけたその壷を
しげしげと眺めているうちに、
その作り方がありありと見えてきた。

それは、カンボジアの土鍋の村で見た
丸太の周りを回りながら作る
土鍋作りの途中の形と瓜二つだった。

そして僕はその壷の作り方を確信し、
早速それを試してみた。

出来上がった壷は
自分が手にした古常滑の壷の特徴を
ありありと映し出していた。

以前から、
我々がロクロ成形だと信じてきた焼き物の中には
そうではないものがいくつもあるのでは…
と考えていた。

それを実証すべく、
いくつか試しに作ってみた。

すると、
今まで自分が作ることのできなかった形が
次から次へと現れてきた。

殊に僕が今まで苦手としてきた筒茶碗は、
大きく趣を変えた。

手を加えれば加えるほど不自然に、
加えなければ平凡な形となってしまう筒茶碗。
それが、ただこの方法で作るだけで
自然な山道、たっぷりとしたロクロ目、
深くて包容力のある見込み、
自分の欲しかった造形が現れた。

もともと蹴ロクロをできる限りゆっくりと回し
手の内の粘土の動きを十分に感じ取りながら
形作ることよりも
土を動かすことに専念するように
ロクロを引いていたのだが、
この方法で成形するようになって、
益々それは顕著になった。

そして、
この方法で得た感触を
今度はロクロ成形にフィードバックすることで、
僕のロクロには新たな伸びしろが生まれた。

“このロクロの技術を覚えれば一生楽しめる”

と師匠に言われ教わったロクロは、
この器を回さぬ成形を経験したことで
楽しんで作れる時間をグンと伸ばすこととなった。

初めてロクロに触って以来26年間、
僕の作陶のいつも中心に据えていたロクロという技術。

僕にとって特別な思いで取り組んできたロクロという技術。

やっとそこに、
自分の世界を切り開く
初めての一歩を踏み出せたように思う。

この器を回さぬ成形技術はロクロを使うことはないが、
間違いなくロクロの延長上にある。

ロクロを使わなかった時代の作り手が
決して味わうことのなかったロクロの感触を
知っている僕だからこそできる全く新しい世界を
しばらくは喜んで体感しようと思う。



jackie7 at 21:41|PermalinkComments(0) 技術 

2020年11月27日

天知る、地知る、我知る

子供のころ、僕が嘘をつくたびに
母はこの言葉を繰り返した。

“天知る、地知る、我知る”

どんなに上手に嘘をついて他人を騙しても、
天の神様と、地獄の閻魔様と、
そしてなにより自分自身には嘘はつけないよ…と。

その話を聞くたびに、
僕は身のすくむ思いがして白状を余儀なくされた。

それは母の教育であったし、
神仏を盾にいうことを聞かせようとする
母の常套手段でもあった。

だからつい最近まで、
この言葉は僕にとって恐るべき言葉であり、
触らぬ神に祟りなし的な、
積極的に自分の心の中に置いておく言葉ではなかった。


40代の自分の座右の銘は

“自業自得”

であった。

今の自分に起こっているすべてのこと、
辛いこと、悲しいこと、嬉しいこと、楽しいこと、
そのすべては自分の行いに起因しているのだ…

と自分に言い聞かせて、そしてそう悟って、
自分のその時の境遇をそのまま受け入れようとしていた。

それは焦燥感や、自己嫌悪や、
自分の思い描く様に物事が進まないストレスを鎮め、
僕を落ち着かせた。

それが自分に定着して、
特に自分に言い聞かせなくても
心静かにいられるようになってからは、
あまり心の中でつぶやかなくなっていた。


ある時、きっかけは何だったか忘れてしまったが、
ふと、天知る…の言葉を思い出した。

そして、その意味を自分の中で反芻しているうちに
ポッと心の中に新しい火が灯ったような思いがした。

この言葉、ずっと、
嘘をついてその場をごまかせたとしても
自分の呵責となって残ってしまうよ…という、
第三者との関係の中にある言葉だと思っていたが、
自問自答の中に置いてみると
少し違うニュアンスで受け取れるようになった。

“天知る、地知る、我知る”

およそ宗教観を持たない僕にとって、
天や地はもはや大きな意味を持たない。

“我知る”

その一点において、
自分は自分に対して嘘をついていないだろうか…
そういう思いが芽生えた。

“我知る”

僕は本当の自分のをさらけ出して
生きているだろうか…

恐らく僕は
天の神様にも、地獄の閻魔様にも
自分の嘘が見破られないように
自分自身をも騙して、信じ込ませて、
嘘じゃない、本当のことなんだと、
本当の自分を偽って生きてきたのだと思う。

弱い自分を、怠惰な自分を、だらしない自分を、
人目にさらしたくなかったから。

そして、その自分が作り上げた自分を
嘘だと他人に見破られたくなかったから。

翻って、僕は本当に自分の思いに対して
素直にものを作っているだろうか…

経済的なこと、虚栄心、
ねばならない的なものに
縛られていないだろうか…

頑張っても、頑張っても、
自分の作るものが魅力的に輝かないのは、
本当の自分に嘘をついて、引っ込めて、
うまく世間を渡ろうとする自分に
引きずられているのではないだろうか…

“我知る”

本当の自分はどこにあるのか。
本当に自分のしたいことは何なのか。

そういうことを改めて思い直す時の
心の扉をノックするような言葉。

“天知る、地知る、我知る”

今はそういう言葉となっている。

この文章を書きながら、
僕の心臓の鼓動は激しく高鳴り、
手は震え、頭に血が上っていく。

自分の本音を引き出すのは
それだけ勇気のいること。
恐いこと。
見たいという欲求と同時に
見られることを拒絶する自分を痛感すること。

僕はどこまで本当の自分を
引きずりだせるだろう…

結局この言葉の意味は重い。



jackie7 at 12:16|PermalinkComments(0)

2020年04月25日

正しさについて

人の世に
本当に正しいことなど一つもない!

数日前から、僕は人の世に起こる全てのことを
そう認識することにした。

恐らく僕は、ずっと勘違いをしていた。

正しさというのは人それぞれにあって、
生まれた家、育った地域、通った学校、
あるいは貧富によって、影響を受けた人、
社会的地位、勤め先、もしかするとDNAも、
とにかくありとあらゆる立ち位置によって
変化するものであり、
一人の人生の上でも、
それは変化していくものだと思っていた。

ところが、
そういう考えのもとに今人の世に起きている
様々な出来事を考えようとしても、
何一つ、納得できる答えにたどり着かない。。。
ということに気が付いた。

もし、このような考えのもとに
人の世を正しく理解しようと思ったら、
全ての人の、全ての立場を理解して、
経済や、化学や、文化や、
数学にも、語学にも、歴史にも、
世の中のありとあらゆる事象、現象、
全てに精通していなければ、
本当に正しい答えにはたどり着かないだろうし、
それを実行しようと日夜努力をし続けても
常に知るべき余地を残すだろうと思うと、
そもそもそれは不可能だと考えざるを得ないのだ。

ならば、
全ての考え方が正しくないと仮定したら。
そう、誰かが言うこと、主張すること、
ネットに書き散らすこと、
全てが間違っている、正しくないとするならば、
もっと世の中を正しく理解できるのではないかと、
そう考えるに至った。

例えば、

腰痛ならあの整骨院が良い

と、誰かが言ったとする。
しかし、ほかの人に聞くと
いやいや、何か月も通ったが
全く治らなかった…と言い、
またある人に聞くと、
まあ、急場しのぎには良いけど、
完治を目指すなら整形外科の方がいいよ…
と言われる。

そこで、それぞれの人の腰痛の症状や
既往症、どんな痛め方をしたのか、
生活習慣などつぶさに聞いて、
恐らく、こういう症状で、
こういう類の腰痛には良いが、
このタイプには良くないのだろう。。。
と仮説を立てる。

しかし、また違う人から話を聞くと、
全く違う意見が出てくる。

そしてまた同じ作業を繰り返し、
自分を納得させる新しい仮説を立て、
その場を納得させる。 

あるいは、時間が経って
施術師のスキルが上がったり、
施術師自体が変わる場合もあるだろう。

これでは、違う意見が出るたびに、
その整骨院の状況が変わるたびに、
自分の出した答えを常に修正しながら
正しいと思われる答えに近づけて行く
ことしかできない。
正しい答えを得るのに何人に意見を聞いて、
何年整骨院の状況を探り続けながら、
いつまで同じ作業を繰り返せばいいのか、
その確証は決して得られない。
(あるいは全てはそういう事かもしれないが…)

それでは、
全ての人が言うことが間違っている
と仮定してみる。
すると、人から聞いた話ではなく、
自分の目で確かめてみようと思うのが普通だろう。
結局のところ、正しくそれを理解するには、
自分で行って試してみるしかなくなる。
そして、

"自分にとって"

正しいのか正しくないのかを判断することになる。
しかしそれは、あくまでも”自分にとって”であり、
その整骨院が良いか悪いかの答えにはならない。

つまり、その答えも間違いである。

そう。”全ての人が言うことが間違っている”
という論理は間違っていないことになる。

言葉遊びのようだが、
僕が言いたいのは屁理屈ではない。

"全ての答えが正しくない"

と仮定したときに必ず出てくるのは

“自分”

なのである。

自分の目で、耳で、感触で、心で経験すること、
感じることが最も大切なことであり、
それをもとに自分自身で考え、試行錯誤をして、
答えにたどり着くことが、
自分にとって最も納得のいく答えではないか。

そしてそれは、

自分自身にしか当てはまらないことなのだから、
人に強要したり、強く主張したりする類のものではない。

であるからして、
人の出した答えにそれは間違っているとか、
揚げ足を取っておかしいと声を上げるのも
非常に滑稽な話だ。

全ての人に当てはまる正しい答えはない!!

それは大前提だ。
それは大多数の人が周知しているはずだ。
この大前提を
いついかなる時にも、微塵も動かしてはいけない。

そのうえで、
より多くの人が納得する結論を導くべきだし、
その答えを導く過程での失敗や間違いを
何かの正義を振りかざし、
責めたり、罵倒したり、揶揄したりというのは、
決して世の中を良くしないだろう。

正しさとは何だろうか。

他人を傷つけたり、
自分が優位に立つためのロジックなのか。

最近のSNS上での論調は、
そんな風に感じるものが本当に多い。

やり玉に挙げる的を見つけては、
いかに自分が正しいかを声高らかに発し、
敵を蔑み貶める。
そしてそういう輩を見つけた誰かが、
また同じやり方で誹謗中傷する。

ほとんどの場合、
自分の信ずるところを論拠に相手を叩く、
コチラを立てればアチラが立たず。。。
といった具合であるが、
時々、頭脳明晰な人が現れ、
僕には分からない、あるいは知らない根拠を
次々と並べて、360度死角なしといった具合に
意見を主張する。

こちらは二の句も出ないが、
とても違和感を感じる。

時に完璧な論理の上に成り立った正しさとは、
人を深く傷つけ、酷い時には死に至らしめる。

それは本当に正しいのだろうか。

いかに論理として破綻のない正しさであっても、
人を深く傷つけるような正しさとは、
本当に正しいのだろうか。

どんなに完璧な正しさであったとしても、

"そんなの全然正しくはない!
だって世の中に本当に正しいことなど
ありはしないのだから!"

と言い放てるのであれば、
人はもっと優しくなれるのではないだろうか。

稀に、そうした完璧な論拠の上に、
優しさも兼ね備えた人を見ることがある。

限りなく真実に、正解に近いであろうその主張に
感心するばかりである。

が、しかし、それもなんとなく違う気がする。

それはそれが、

"正しいという主張"

だからかもしれない。




やっぱり難しい。
この世の中を正しく理解するなんて無理だ。
だから、“全て正しくない!”と理解する方がいい。

僕が言っているこの論理も、
きっと正しくない。

これは僕の論理だ。

自分の論理を有すること。
そしてそれを絶対的に正しいなどと
ゆめゆめ思わないこと。
しかしそれは、自分が社会をより正しく理解し、
共存していくための、大切な自己摂理として
温め、育むべきもの。

そうやっていつの日か、
僕にも思考を停止する日が来るのであろうが、
きっと答えは見つからない。

だから、答えを見つけることを目的としない。
考え続けるのみ。









jackie7 at 05:12|PermalinkComments(2) 私見 

2019年09月23日

Bornholm

さっきまでAnne Metteの窯を焼いていて
自分がなぜここにいて
なぜこの窯を焼いているのかを
なんとなく考えていた。

ここまでたどり着くまでの道のりを手繰っているうちに
一度文章にしてみようと思い、
ここに書き留めることにした。


僕とAnne Metteとの出会いは
2011年、韓国のムンギョンで行われた
チャッサバル(茶碗)フェスティバルにさかのぼる。

知人に誘われて参加したそのフェスティバルは、
とても大掛かりなもので、
世界各地から陶芸家を招待し、
地元陶芸家と共に茶碗に特化した
珍しいフェスティバルである。

ある日、
地元のお茶の先生が参加している陶芸家を招いて
お茶会を開いた。
参加者は40名ほどいただろうか。
茶道家のアイデアで二列に並んだ各列の中から、
一番抹茶を点てるのがうまい人を
各一名ずつ選ぶという
コンペティションが行われた。

そして、僕の列では僕が、
もう一つの列からはAnne Metteが選ばれ、
前に呼ばれた。

お茶会で使われたお茶碗は
すべてその先生のものだった。
賞として、
各列で使われたお茶碗中から
好きなものを選んで持ち帰っていいという。

僕とAnne Mette、
一つずつ選んで先生の脇へ戻ると、
その先生はたいそう驚かれた。

「二人が選んだお茶碗は同じ陶芸家のものよ!」
韓国の人間国宝のお茶碗だった。

僕が驚いたのは、彼女の目だった。
西洋人の目でそのお茶碗を選ぶということに
失礼かもしれないが本当にびっくりした。
それをきっかけに意気投合した。

彼女の目が捉えるものは、
僕のそれとほぼ一致した。
それがとても新鮮だったし、印象的だった。


それから数年、
僕たちは特に連絡を取ることもなく過ごしていた。
何がきっかけだったか忘れたが、
数年ぶりにFacebookにあげられていた
彼女の作品に目が留まった。
とても魅力的に感じた。
それ以来、なんとなくまた会いたいという気持ちが
強くなっていった。

そんな折、
益子ではアート・イン・レジデンスが始まっていた。
海外から陶芸家を招聘して
長期にわたって制作を公開するというものだ。

僕は足しげく通う中で、
若い陶芸家たちがあまり見に来ないことを危惧した。

せっかく素晴らしい陶芸家たちが来益しているのに、
オーディエンスが少ないのは、
益子にとって不利益だし、
来てくれた作家にも申し訳ない気がした。

その時に、Anne Metteのことをふと思い出した。

創るものは魅力的だし、
人間としても親しみやすく、快活で、
北欧デンマークでの暮らしぶりにも魅力がある。

こういう陶芸家が来てくれれば、
もう少し人が集まるのでは…と思い立ち、
彼女に意思確認をすると、
二つ返事で「行きたい!」と。

そこで美術館に掛け合って
彼女の招聘を実現しようとしたが、
結局招聘は実現せず、
しかし、二年後に公募が始まったのを機に
第一回目の公募作家として
来益が実現した。

彼女とはそれをきっかけに
連絡を取り合うようになった。

僕が彼女の招聘に手間取っている間に、
Anne Metteの方から彼女の教え子を通して、
Bornholmの美術館で行われる
デンマークと日本の陶芸家による展覧会に
出品しないかと打診があった。

順序があべこべになってしまうが、
面白そうだと思って出品することにした。

すると彼女から、
オープニングイベントには参加するか?
と、問い合わせがあった。

少し躊躇したが、
もしBornholmで原料が採取できて、
1か月半ほど制作ができるのなら
行ってみたいと返事をすると、
ぜひ来て!と。

それが、僕がBornholmに来ることになった
きっかけだった。

この島に来るまで
島の情報は全くなかったのだが、
来てみるとこの島は
陶原料の宝庫だった。

見渡す限りの粘土の地層。
むき出しの巨大な掘削跡にある花崗岩。
島から産出される赤い長石。
そこら中にある赤松。

見るものすべてが、
僕には宝物のように見えた。

すっかりこの島のとりこになってしまった。

粘土を掘り、長石を拾い、
花崗岩や海岸の砂を集め、
それを陶材料に加工して焼き物を作る。
Anne Metteと僕は、
夢中になって時を忘れて没頭した。

この島には益子と同じくらいの
陶産地としての歴史がある。

しかし、20年ほど前に最後に操業していた
タイル工場が閉鎖してしまうと、
窯業の歴史は途切れてしまった。

そのため原料の加工に必要な機材も知識も、
ほぼ失われていた…かに見えた。

しかし、僕らがこのプロジェクトを始めたことが
新聞などで話題になると、
昔窯業に携わっていたという人たちが
ここを訪ねてくるようになった。

やはりここは陶産地だった。
改めてそういう感覚を味わった。

そして僕たちはそうした人たちから
情報を得るようになった。

長い間眠りについていたこの島の窯業を
少し揺り動かすことができたような気がして、
とてもうれしかった。


僕が陶芸を通して
このような喜びを感じる様になったのは、
カンボジアでの窯業支援活動に参加したことが
きっかけだ。

それまで自分のために追求してきた
陶芸というスキルが、
図らずも社会貢献という形で
誰かの役に立つということが、
作っても作っても
認められることのなかった僕にとって、
一つのモチベーションとなった。

そしてカンボジアという、
窯業原料を何一つ購買することのできない中で
焼き物を作り出してきた経験が、
今のこのプロジェクトの核になっている。

すべてが僕の中でつながっている。

そして年を追うごとに、
この島での社会的認知度は高まり、
僕の中に、陶産地としてのBornholmを
もう一度世界に認知させたいというい思いが
強くなってきた。

それはAnne Metteをはじめ、
プロジェクトを共に進めるメンバーにも
共通した思いであり、
それが各々を強く結びつけている。

そう、だから僕はここにいる。
そして、いられる。

僕をこうして活かしてくれることに感謝しつつ
僕自身のやりたいことも実現することができる
この島での活動は、
もうしばらく続けていきたいと思う。





jackie7 at 12:38|PermalinkComments(2) 思い 

2019年06月15日

”損して得取れ”って?

”損して得取れ”
という言葉を聞いて、
皆さんはどう解釈されるでしょうか。

大きな利益を得るためには
多少のリスクは仕方ないというような
商売上のテクニックのようなもの。

あるいは、
自分にとって不利益に見えても
共存共栄のために力を尽くすことが
最終的には自分の助けになる。

ケースバイケースで使い分ける方も
おられるかもしれない。

おそらく、
前者がマジョリティーではないかと思う。


世の中主観的にものを考える人が
多すぎる。

世の中に起こる様々な事象を
主観的に感じ、主観的に解決しようとすれば、
絶対に争いは避けられないし、
それを突き詰めていけば
最終的な勝者は一人だ。


トランプという男は、
そうした考えを持つ人々の
いわば代表者だ。

人間の持っている欲望を
競争し、奪い合う本性を
歯に衣着せず
肯定する。

人間を
地球上に住むあらゆる生物の中の
一つの動物種として論ずるのであれば
それは正しい。

人が本能のままに行動すれば
それは当たり前のことと考えても
当然のことだ。

しかし人間は、
数百万年という時間をかけて、
大きな過ちを何度も経験し、
反省し、
理想や倫理観や
崇高な精神を育てあげてきた。

そして今現在も
その途上にある。


動物が本能を抑えるというのは
並大抵のことではない。

犬に”待て!”を教えるのが
どんなに大変か。
人間と犬とに類まれな信頼関係があるからこそ
成立するやり取りだ。
犬には、
「最後にはくれる」
という、暗黙のそしてゆるぎない信頼があるのだ。

人間は共存共栄の社会を作りながら
力の強いものに対抗し、
現在のような繁栄を手にした。

互いに協力し合うことに対して
都合の悪いこと、
阻害要因となるものを悪として
それを倫理とか道徳という
人類が経験してきた
共存共栄社会における過ちから学んだことを
教訓としたのだ。

そして人間は、
常に自身の中にある動物的本能を
その倫理、道徳というもので封じ込めて、
人間社会の繁栄のために
葛藤し続けてきたのだ。

本能という動物がみな持っている欲望を
心の奥底に隠し持ちながら。

人間社会が右肩上がりに成長しているうちは、
それは見事に機能していたといえる。

もちろん個人差や文化成熟度の違いなどから
完全に機能していない部分を抱えながらも、
社会全体の風潮としては
倫理、道徳というものは
決して侵してはいけない領域として
人類の共通認識となっていたはずだ。

しかし、人間社会の成長
(ではなく経済成長なのだが…)
に頭打ちがきて、
倫理、道徳も含め
色々な制約を守って
いくら努力しても、我慢しても、
その先に向上するものが
なにも見えてこない状況に陥った。

そしてそれが不満として
人間の心の中に澱のようにたまり続け、
ついには爆発し始めてしまったのだ。

待て!
に従って、いつまで待っても
よし!
と言ってもらえず、
こっそり食べようとすると
叱られたり、食べ物を取り上げられたりしたら、
そしてそれが何年も続いたら、
犬も次第にいうことを聞かなくなるだろう。


今、世の中が右傾化しているとか
自国第一主義に傾いているとかいうのは、
つまりはそういうことなのだと理解している。

不満の募った人々は、
もう、我慢ができないのだ。

”待て!”の後に必ず”よし!”があるからね。
だからもうちょっと我慢してね。

という政治手法は通用しなくなってきたのだ。

だからトランプ大統領が生まれた。
そして、そういうものを生み出してはいけないという
倫理観、道徳観の一角が崩れた。

そっちがそう出るならこっちだって!

と、もう口火は切られてしまった。

そしてどんどん拡大している。

もう、止めることのできない道を
歩みだしてしまったのだ。

人間が共存共栄の理想社会を目指していたのは
間違いなのか。

それは実現不可能な
現実とはかけ離れた
単なる幻想だったのか。

僕はそれを声高らかに唱える人々を
頭から否定はしない。

そう思っても仕方がない社会を
人類は作ってしまったのだし、
その中での現実しか考えられないのは
罪ではないと思うから。

しかし、このままでいいはずがない。
今の人類は転がり落ちる道を進んでいる。

唯一、思い当たる解決の糸口は、
幸福の価値観の転換だ。

経済的な豊かさを幸せの尺度としているうちは、
この負のスパイラルから抜け出すことはない。

資本主義という長い間人類をけん引してきた
人類が信じて疑わなかった幸福への方法論を
否定するときが来ている。

過去を否定する必要はない。
それは多くのものを人類にもたらしたし、
大きな反省材料も示してくれている。
ここを通ってこなければ、
人類はこの大きな矛盾に
気付くことすらできなかったかもしれない。

幸福の価値観を
金銭的なもの以外に求めるならば、
人間はまだまだ幸せを手にすることができる。

ブータンのワンチュク国王や
ウルグアイのムヒカ元大統領の目指した国づくりは
そういうことだ。

日本でもあんなに取りざたされ、
多くの人が共感したはずだ。

それなのに、なぜ、
国はその方向へ動かない…

政治家が悪いのではない。
みんな不安なのだ。

本当にそんな幸せってあるのだろうか。

自分の周りを見渡して、
そんな幸せを手にしている人を
現実に目にすることがなければ、
それは幻想のように感じられてしまう。

それは当然のこと。

だから今は、
実践者を増やすこと。

金銭的に余裕がなくても、
自分の人生を豊かに暮らしていく人を
増やすこと。

そしてまず、自分が、家族が、
その体現者として幸せに暮らしていくこと。

経済的な豊かさを失っても
自分が本当に幸せだと感じられるものを
この手にすること。

いつかそれが、
限られた人のものではなくなるように。




jackie7 at 11:24|PermalinkComments(0) 私見 

2019年05月27日

僕が今創りたいもの

所詮…

僕らがやっていることは
土を焼き固めて
使用に耐える器を作ること
に尽きるのだが、
器を含め、道具というものには
使っているうちに愛着が湧いてくるのだ。

それはもちろん
自分が長い年月をかけて使い続けてきたものには
思い出や、執着が生まれるものであるが、
どこの誰だか全く知らない人が
どんなふうに使っていたかもわからないものにさえ
穢れのない何かが宿っているのを
感じ取ってしまうのはなぜなのだろう。

ただ一つ、
そうしたものをまとうものには条件がある。
それは欲望に引きずられることなく作られたもの。

欲にまみれて作り出されたものには、
それは宿りにくいのだ。

長い年月をかけて、
どのように作られたのかを選ばず
それが宿ることを否定しない。

それは、
作られたその時には
ぷんぷんと匂っていた欲望という悪臭が、
時代が変わり、
人々の認識が変わり、
そして、一度忘れ去られることによって、
薄れていくからに相違ない。

したがって、
いま創られたものが
その同じ時代に
刻々とそれを宿していくのを
美という探求心を持って観察しようとするならば、
その対象となるものは
決して欲を匂わせていてはいけない。

そしてそういうものを創りたい創り手は、
それを意識してもしなくてもいけない。


人間の欲望の中で、
というより、僕の…というべきなのだろうか…
最も消し去りがたい欲望は“自我”であると思う。

“自我”というものを
欲望と呼ぶべきかどうかを論ずるつもりはないが、
自我の芽生えは欲望に直結していると思う。
自我が芽生えなければ、
食欲や性欲といった
本能的に備わっているもの以外の欲望は、
生まれてはこないだろう。

だから、

意識してもしなくてもいけない。

“自我”という欲望は
意識して物を作れば
耐え難い匂いを発してしまう。

そして意識しないで物を作れば、
いつの間にか忍び込んできて
匂いを放つという
実に厄介なものなのだ。

それをできるだけ遠ざけて、
匂わせないためには、
一つには、
より大きなもの、
人類、あるいは地球、宇宙といった事柄に
目を向けることだ。
自分というものがいかに小さいものであるかを
痛感するのだ。

もう一つには、
徹頭徹尾、美を追求することだ。
美の解釈を間違えてはいけない。
それは相対的なものでは決してなく、
絶対的なものでなければならない。
相対的なものを追えば、
自我は強烈に匂いを放ち始める。


僕は一人の日本人として世界を見つめ、
愛と平和と得体のしれない穢れなき何かを込め、
あるいはそれが宿ることをひたすら願い、
本当に美しいものを追い求めながら
やきものを作っていくのだ。



2019年5月26日の僕が、
痛切に創りたいと思っている物を
ここに書き留めておく。




jackie7 at 02:00|PermalinkComments(0)

2019年05月22日

「すべての器にLove & Peace!」展について (2)

いつもいつも、
僕の頭の中にあるイメージはどんどん広がっていくのに
全くもってそのイメージに肉薄するものは
できることがない。

自分の力量のなさに
個展の幕が開くたびに、
グループ展で他の作家の作品と並ぶたびに、
落ち込んで、辛くなって、
次こそは、と思い続けてきた。

わかっている。
僕は天才ではない。

そして、一つのことを探求し続ける忍耐力もない。

だから僕は、長生き作戦を実行中である。

長い時間をかけて、
あきらめることなく続けることによって、
自分の思うところに到達しようという作戦だ。

そのためにタバコをやめている。
なるべくストレスから解放するようにしている。
体を鍛えている。

そうすることでしか、
創るという仕事の中で
自分が満たされることはないのだろうと思っていた。

ところが、
今回の個展では、少なからず満たされている自分がいる。

それは個展開催の目的を
自己満足度を測る
というところから抜け出したことによる。

今回の展覧会用の窯焚きは、
その作品の出来不出来を求めるならば
失敗と言わざるを得ない結果だった。

そして、僕は一度個展の開催をあきらめようと思った。

思うような作品を並べることができないと思ったから。

それでも、
もう一度今回のテーマに立ち戻って考えた結果、
出来栄えはどうであれ、
やるべきだと思った。

伝えたいと思うことを
伝えたいと思ったときにやらなければ、
おそらく同じ思い、同じ気概を持ってそれをする機会は
二度とないだろうと思ったからだ。

体力的なダメージは
回復するのにそれほど時間はかからないが、
精神的ダメージは
それこそ致命的になりかねない。

だから、無理矢理実施する方向へ
舵を切った。

灯油窯を使っても
二十数年の経験値で十分リカバリーできると思ったが、
その窯も、自分が思うイメージには
焼きあがらなかった。

出品する作品を選定しながら、
大丈夫か?大丈夫か?
と何度も自問自答を繰り返す。

その中で思ったこと。

ここに揃った作品を
自分がどう思うかということは二の次で、
なるべく多くの人に手に取ってもらい、
感じてもらい、
考えてもらうことの方が先決だ…ということ。

もちろん、そうは言っても作品ひとつひとつに対する
悔しさは拭い去れない。

それでも、自分が何のためにこのテーマを選んだのか、
なぜ困難なスケジュールを押して作品を作り直したのか、
そうしたことを今一度思い起こし、
作品を搬入した。

個展が始まった。

同業者に見られるのは耐え難かった。
それは作品のクォリティに自分が納得していないから。
恥ずかしい。

しかし、お客様の反応は
今までに感じたことのないものだった。

「Love & Peace!…ですよね!」
「僕の人生のテーマもLove & Peaceですよ。」
「Love & Peaceって思いながら使いますね。」

こうしたいくつかの言葉たちに救われた。
本当にやってよかったと思えた。

そして、陶器というものの新たな価値を
見つけたような気がした。

それは、広く、深く普及するということ。

他の工芸品と比べても陶器は
家庭の中で最も多く使われている物ではないだろうか。

そして素材としての陶は、
いかようにも成型が可能で、
その表現の幅も驚くほど広い。

そして、耐久性にも優れているし、
プラスチック製品のように
粗雑に扱われることもない。

絵画よりも、彫刻よりも、
あらゆるアート作品と比べても
これほどあまねく家庭に入り込み、
残っていくものは珍しいのではないだろうか。

そう考えると、
今まであくまで工芸として認識され、
芸術からは一線を画されてきた陶器というものが、
新しい芸術分野足りうるのではないか…
と思えてきたのだ。


会期中、芸大の学生さんが見に来てくれた。
専攻を聞くと、

「先端芸術表現です。」

と。

詳しいことはわからないが、
先端技術を用いた芸術分野のことではなく、
今までの様々な芸術分野の垣根を越えて、
芸術の、現代社会の中での存在の仕方や
社会に対する影響力などを論点に
試行していくというようなものらしい。

話を聞いた時にはなんだかよくわからなかったが、
調べてみるとなるほど、
陶芸という分野はもしかすると
今までの解釈を一度白紙にしてしまうと
とても面白い新芸術としてとらえることが
できるのかもしれない…
と思った。

その学生さんが言った
「私も将来陶芸をやってみようと思ってるんです。」
という言葉は、
あるいはそういう視野があってのことだったかもしれない。


焼き物としての、
既存の価値観による高みを目指したいという気持ちは
まだまだ自分の中から消し去ることはできそうにない。

しかし、新しい価値観を見出すことが
できるかもしれないという思いが
今、ふつふつと自分の中に湧き上がってきてもいる。

両輪とするのか、どちらかの道を選ぶのか、
明日のことは全く分からないのだが、
とりあえず、興味の湧く方へ歩んでいこうと思う。


この個展ができたこと、
本当に良かったと思っている。




jackie7 at 01:18|PermalinkComments(0) 思い 

2019年04月04日

「すべての器にLove & Peace」展について 

来月5月11日から開催する
「すべての器にLove & Peace」展について
まだ制作中ではあるが書いてみようと思う。

このテーマで作品を作ろうと思ったのは
おそらくもうずいぶん前のことだったように思う。

東日本大震災前年、震災年と続けて行った
「POSITION ,供彭
昨年の「想いをよせる器」展
今まで行ってきたいくつかのテーマ展の根底にあるのが
今回のテーマなのだと思う。

何年か前、夜中に制作中
「愛なんだ!愛こそが唯一の希望なんだ!!」
と感極まって、泣きながら飯碗に
「愛」の字をいくつも書きなぐって
焼きあがってから
「あぁ。。。やっちゃったよぉ。。。」
と後悔先に立たず。
案の定、陶器市でもまったく売れず
夜中に感情が昂る怖さを思い知ったのだが、
数年たつうちに、ぽつりぽつりと全部売れていった。

「愛」という言葉は奥ゆかしい日本人にとって
口にするのも、文字にするのも
恥ずかしさを伴う言葉で
使うにはそれなりの勇気を必要とする。

だから僕は、直接「愛」というものをテーマにせず、
人それぞれの立場を思いやることだったり
気持ちをよせるということに代替させて
表現してきたのだと思う。

真正面から「愛」をテーマに
などという勇気はなかったのだ。

だが、やっとそこに向き合う気持ちになった。

それは、自分が今まで思い描いてきた
自分の思いを届けようとする範囲を
とても小さく限定したからだ。


数年前に気付いたことがある。
個展会場に来てくれた友人が
「キミの器、うちにたくさんあるよー!」
「毎日のように使ってるよ!」と。

同じことを何人かに言われて
あっ!と思った。
あぁ、そうやって僕は器を通して
どれだけの人と繋がっているのだろう。。。と。

僕が全く思いもよらないところで
僕は器を分身として存在している。
そして、僕の死後もなお
それは存在し続けるんだ。。。

それは本当に幸せなことだし
文字通り有難いことだと。

そして、思った。
なにも世界中の人たちに届かなくても
僕の思うことを
ちゃんと届けられる人たちがいるじゃないか!

器を使う時に
洗う時に
ふと目にとまった時に

感じてもらえるって
すごいことじゃないか!


そして、すべての器にLove & Peaceを
文字やマーク、あるいは想起させる何かしら
にして託した。

「愛と平和」では重すぎると思ったので
「Love & Peace」としたのだが
愛や平和という文字を
形を崩して入れた器も作った。


平和とは文字通り
人と人との関係が穏やかにつながっている様だ。

人類にとって、これほど得難い幸せはないだろう。

日本という国は75年という月日を
戦争から離れて営まれてきた。

戦後の傷跡の深かった時代を差し引いても
半世紀以上戦争による被害を受けていない。

でも、今の世の中を
本当に平和だということができるだろうか。
人が人の肉体を、あるいは心を深く傷つける状況は
学校にも会社にも家庭内にも広く蔓延し
そんなニュースに「またか。。。」
と不感症になってしまいそうなほど
日常化している現状を
決して平和とは呼べないと、僕は思う。

そして、唯一このすさんだ現状を
幸せな、平和な世界に導けるものがあるとすれば
それは「愛」に他ならない。

人を100%憎むことは
愚かなことだと思う。
どんなひどいことをされて、
どんなに憎んだとしても
99.999.....%として
どんなに小さくても許す余地を残すことが
全てを解決する糸口になるのではないだろうか。

それがすべてを解決する手立てにはならないことは
十分に承知している。

しかしながら、”解決する可能性を残してくれる”
ということは、真実であろうと思う。

そしてそれが人類に
幸せをもたらすものだと信じたい。

現実というものはむごいものだとわかっている。

事実人類の過去において
愛するという行為が平和を導き
それが未来永劫継続している例は
おそらく無い。

それでも、
一人でもそれを信じる人が増えるならば
ほんの少しでも平和な世界に近づけると
僕は本気で信じている。



制作中、ずっとSEKAINO OWARIを聴いている。
とても勇気づけられている。

この展覧会に来てくれる人すべてに
共感を求めているわけではなく

「僕はこう思っています」

という宣言とでも思ってもらえれば有難い。

「Love & Peace」のいろいろな形を
器を通して感じてもらえれば幸いである。





jackie7 at 06:17|PermalinkComments(2) 思い