2016年01月27日

時間

便利グッズというカテゴリーに入るものは、
世の中にどれだけあるのだろうか。
もうそろそろ考えつくされて、
新しいものを考案するのも一苦労だろう…と思いきや、
次から次へと新商品が現れる。

最近は、え?そんなことまで道具に頼るの?
という代物も数多く登場している。

そもそもこうした便利な道具というのは
どういうところから端を発しているのだろう。

恐らく、仕事の効率を高めたり労力を軽減するために、
作り出されてきたものに相違ない。

棒、石器、土器…。
人間が使い始めた道具はどんどん進化して、
スタンダードな道具はもう出尽くして、
枝葉の部分において、便利グッズが進化し続けている。

その中でも衝撃的なデビューをしたのが、
洗濯機ではないだろうか。

主婦の家事を大幅に軽減し、
大きな時間的余裕を生み出した。

便利グッズというものは、
人間が生きていくうえで、必要不可欠なものではない。
大抵の場合、時間と労力によって補えるものばかりだ。

逆に言えば、この便利グッズを使うことで、
時間と労力を軽減することができる。

便利グッズが今なお進化し続ける理由はここにある。

洗濯機を日本で初めて開発した研究者は、
家事に忙殺される妻に、何とか自由な時間を…
という思いで研究を重ねたという。

カンボジアという国に長く身を置いて痛感したが、
発展途上国の生活労働というものは、
恐ろしく人生の時間を奪っていく。

それを何とか軽減し、余暇を作りだし、
人生をもっと有意義に、楽しく、幸せにするために、
便利グッズというものは発展し続けたのではないか。

もちろん先進諸国においては、その恩恵に十分あずかり、
趣味や娯楽に当てられる時間が大幅に増えた。

しかしながら今日、
そうした余暇が十分でない世の中になっている。

なぜか。

生活労働から解放され生まれた余暇を
賃金労働に当てるようになったからだ。

Time is money.

そんな言葉が生まれたのはもう数十年前のことである。
この言葉はまことしやかに資本主義社会を席巻し、
あたかも真理のような印象まで受ける。

でも、本当にそうなのか。
お金を得るために時間というものは存在しているのか。
人間が幸せになるために、
まず第一に必要なものがお金であると、
人類は認めてしまったのか。

もしそれが真理であるならば、
人間の一生というのはなんと哀れなものだろうか。

Time is not money.

Time is part of life.

時間というものを大切に,
人生を豊かに生きていきたい。



jackie7 at 01:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0)私見 

2016年01月21日

人と人とのコミュニケーション

また一人、大切な人が逝ってしまった。
身近な人の訃報が届くたびに、
人とはいったいなんであろうかと考えさせられる。
去年からそうした機会が本当に多く気持ちが沈みがちだが、
先立たれる方々から教わることが多く、
人としての成長をさせてもらっているのだと感謝しようと思い、
この一文を書くことにした。

昨日の事。
亡くなった方のご自宅にお邪魔していると、
夕方、玄関から「こんばんは!」と野太い男の人の声がした。
ご家族が気付かれないようだったので出てみると、
驚きを隠せない表情で息を切らせた男性が
一刻も早く状況を確認したいという一心を
目に露わにして立っていた。

ご遺体に寄り添われ、涙をボロボロこぼし、
おそらく心の中で幾つもの言葉を掛けた後、
「ごめんな。」という言葉を口から洩らされた。

壁際に一度退き、残されたご主人の前に座りなおしたあと、
「何で言ってくれなかったんだ!」
少し荒い口調で言葉を吐き出された。

その後はご主人の話を黙って聞かれていた。

最初は疑いがあるが、明確に病気が把握できていなかったこと。
その後あれよあれよという間に悪化してしまったこと。
決して人には口外しないでほしいと言われていたこと…。

それでもそのご友人はもう一度小さな声で、
「何で言ってくれなかったんだ…」
とつぶやかれた。

彼が二度もそう言うのには、彼の家族の事情があった。
彼の奥様も重い病気を煩っていらっしゃるということだった。
もともと家族ぐるみの付き合いで、
同い年の子供を持つ同業者、
キャンプにいったり、食事をしたり、
同じ時間を本当に楽しく共有した仲間。

彼の言葉には、それなのになぜ、という思いが込められていた。

故人とそのご主人からすれば、
だからこそ言えなかったという思いがある。
すっかり弱ってしまった自分の姿を他人に見せたくないという思い、
きっと相手も同じように思っているだろうという気遣い。
会いに行きたかったけれども行けなかった…。
そして、病床にある友人に自分の命が尽きようとしていることを
話せるわけもなかった。

傍らで聞いているものとしては、こうした事情を聞かされて、
「何で言ってくれなかったんだ!」
という言葉がいかに愛情にあふれた言葉であり、
それを受け止めて、申し訳なかったという思いで語られたお話も、
愛に溢れた話であったことを思う。


言葉というのは、それを発した人の全てを説明するものではない。
その人の複雑に絡み合った、色々な思いの中から吐き出された、
ほんの一部分なのだということをいつも意識していなければ、
良い人間関係は作り得ないと思う。

今回の一件も、もし、何も知らないままこの言葉だけを聞いたら、
当家には当家の事情もあるだろうに、
自分勝手な思いをこんな場所でぶつけなくても…
と思ってしまう人もいるかもしれない。

相手に理解を求める前に、
まず自分が相手を理解しようと努めなければ、
お互いの信頼関係は生まれない。

相手が言うことに対して、なぜこのようなことを言うのか、
その人が育ってきた環境、今置かれている境遇、
普段の言動、行動から類推できるその人の性格や志向性、
そういったものを情報として総動員して、
言葉の真意を求める必要がある。
そうして、万全を期して理解したつもりでも、
本人が思う言葉の意味とは違う解釈をしてしまうこともあろう。
違うかもしれない…という可能性も
常に残しておく必要がある。

言葉というのは最良のコミュニケーションツールではあるが、
万能ツールではない。
時には無い方が良い場合もある。
そういう意味では言葉よりもむしろ、
心と心のコミュニケーションの方が
はるかに信頼できるかもしれない。
とはいえ、言葉なしに心のコミュニケーションをどう取ればいいのか。
目を見る、表情を見る、体の動きを見るといった観察と、
相手に寄り添う気持ちによって心を開いてもらう努力、
そういうことが大切なのではないか。

人と人とのコミュニケーションというのはとても複雑で、
たとえ親兄弟や夫婦と言えど、相手を十分に理解するというのは
非常に難しいと言えよう。
しかし、同種の人同士であれば簡単極まりなかったりもする。

人間にはひとそれぞれの事情や立場、
その時の環境や境遇が様々にあり、
同じ人であっても、その立ち位置が変わってしまえば、
その人にとっての真実や思いは変わってしまう。

多種多様、そして常に変化し続けるそうした人の心情を理解することなく、
相互理解を深めることは不可能だ。


一人の人の臨終に際し、集まる人たちと故人との関係、
集まった人たち同士の関係、集まる全ての人たちから、
コミュニティーの一角が零れ落ちることで、
その関係は変化する。
そしてまた、新たなコミュニティーの形がスタートする。

いつも自分が思っていることであるが、
昨日、言葉を発しなくなった敬愛する彼女の傍らで、
「何で言ってくれなかった!」
という強く、そして愛情に満ちた言葉を耳にして、
改めてこんなことを思った。

やすらかに。




jackie7 at 16:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)私見 

2015年07月24日

自由

10年間の禁煙を破り、
この7、8か月、喫煙を愉しんでいる。

きっかけは、昨年末から非常に忙しくなり、
夜も仕事場に行かなければならない状況が続いたことによる。

夕食後、仕事場に行くのは正直しんどい。
つい行きそびれてしまうことが度々。

しかし、それでは仕事が完了しない事態となり、
大好きな煙草を仕事場に置くことにしてみたら、
餌につられて毎晩仕事をするように…。

言ってみれば、自制の利かないだらしなさだが、
ここ数年、すっかり自分に甘くなった僕には、
必要な手段だった。


喫煙を繰り返すうちに、ふと思った。
“そもそもなんで禁煙したんだ?”

健康のため。
長生きして仕事を続けたいため。
友人との約束。

理由はそんなところ。

でも、禁煙している10年間、
僕はずっと煙草を吸いたかった。

ずっと我慢をしていた。

禁煙は、本当に自分を幸せにするのか…。
健康を害さない程度に吸うのであれば、
問題はないのではないか…。

たばこを吸うようになって
そんなことを思うようになった。

おおよそ吸うための理屈、
つまり言い訳でもあるが…。


それをきっかけに、自由というのはなんなのか…。
ということに思いを巡らせることとなった。

自分がやりたいことをやりたいようにすればいいじゃないか…。

なんでそれができないのか…。

僕の喫煙という自由を奪ったものはなんだ?

その一つは社会だ。

世界的に社会は喫煙を否定している。

特に受動喫煙による被害ということを大きな問題として、
世界中の愛煙家は居場所を無くし、
ついには禁煙を迫られた。

自分だけの問題ではない…というところがみそだ。

人に迷惑をかけることで得られる自由は、
否定されてしかるべきだ。

そういう意味で、人との関係という僕が最も大切にするものが、
僕から喫煙という自由を奪ったともいえる。

現在の僕の喫煙スタイルは、

・部屋では吸わない
・近くにいる人に害が及ぶような吸い方はしない
・食事をしている人の前では吸わない
・必要以上の量は吸わない

そうした、周りの人への配慮をしつつ、
自分の自由を満喫している。

そして、長期間の喫煙によって自分の健康を害すると思えば、
また禁煙することを前提としたものである。

それを僕がどれだけ声高に叫んだとしても、
社会は喫煙を世の中からなくすことこそが、
人間にとって良いことである…という姿勢を崩さないだろう。

吸わないという選択を否定する気持ちはさらさらない。

しかし、吸うという選択を殆どの人が否定するのは解せない。

ずっと喫煙を例に挙げていると誤解されそうだが、
社会や人間関係によって奪われている自由は
他にも数限りなくあるであろう。

なぜ自由な選択を否定されるのか。

自由=他人に対する迷惑

そんな図式が頭の中に浮かんできた。

本当にそうなのか。

自由という言葉の解釈が間違っていないか。

僕たちは人間。
本能のままに生きる動物たちとは違う。

人間が動物と同じように本能のままに振る舞えば、
人類は成り立たない。

そんなことは大前提として認識すべきことであり、
個々人の自由を否定する理由にはならない。

自由を手にするという事は、より厳しい環境で生きるということだ。

これは人によって解釈が分かれるところであろうが、
自分の人生、全て自分で考え、選択して生きていくとしたら、
こんなに大変なことはない。

ある程度システムや規則に則っている方が断然楽だ。
人と違う選択をするという事は、
教えを乞うことも、前例を参考にすることもできないということだ。
常に暗中模索し続けなければならない。

そして選択肢が膨大な数に増えるということでもある。
どんな選択をしてもいいということになれば、
それこそ無限大の選択肢を抱えることになる。
それを一つ一つ自分でどうすべきか考え、答えを出さなければならない。
考えることに途方もない時間を費やすことになる。
常に自問自答の日々、
自分自身との折り合いを迫られるのだ。

自由というのは決して安易なものではない。
覚悟をもって手にすべきものだ。

好き勝手に、思うがままに振る舞うことを自由というならば、
それは動物であって人ではない。

人として生きていく中での自由というものは、
時に社会と闘い、時に折り合いを付けながら、
人間の歩むべき、本当の幸福とは何かを
深い英知と、たゆまぬ観察とによって考え続けることによって、
初めて得られるものではないか。


カンボジアに身を置いていると、
まったく違う種の自由を目にすることになる。

好き勝手に生きていても良いのではないかと思ってしまう。

というより、ここではそれでも良いと思わざるを得ない。

でも、それは極端に選択肢の少ない、
未成熟な社会の中にあってこそのもの。

未来永劫、こうした社会が残っていくのであれば、
それはそれで素敵なことだと思う。

むしろ、この国がこのままであっていて欲しいと、
願いさえする。

しかし、残念ながら今のカンボジアは、
我々のような富と社会に向かっている。

失う自由のことなど、
誰も考えもせずに。










jackie7 at 02:10|PermalinkComments(2)TrackBack(0)私見 

2015年05月22日

これからの陶産地益子

これからの益子のことを考えている。

160年に渡って受け継がれてきた陶産地。
過去にも大きく浮き沈みを経験した当地であるが、
今また、大きな局面に立たされている。

益子だけではない。
他の陶産地も同じように苦しんでいる。


日本のライフスタイルが変わった。
それによって、陶器の需要も変わった。

甕や行平といった日常用陶器は家庭から姿を消した。
それどころか、今や8割以上の家庭に急須が無いという。
茶葉からお茶を入れるということをしなくなっているのだ。
20年前には売れ筋商品だった汲み出しも、
今ではほとんど動かなくなった。

徳利を使う人もほとんどいなくなった。

食卓に上がる皿や小鉢の種類も極端に減った。

大皿や大鉢も、せいぜい一尺くらいまで。
それを超えるどんと重量感のある器は使われなくなった。

世の中が変わった。
家庭の事情も変わった。
それによって食文化も大きく変わった。

なぜか。

戦後、物がなかった日本。
西洋のきらびやかな暮らしぶりに憧れた。

必死に働いた。
物欲を満たすことに幸せを感じた。
余暇を求めて便利さを追求した。
より高い水準を手に入れようと働き続けた。

結果、電化製品を手にした。
車を手にした。
家を手にした。
美味い物を喰えるようになった。
海外旅行に行けるようになった。
高価なブランド品も手に入れられるようになった。

日本人はそれを肯定し続けた。
右肩上がりを良しとした。

だから、陶産地もそれに合わせた。
時代のニーズに合わせてきた。

世の中の右肩上がりに頭打ちが来た。
それでも手に入れた物欲的幸福を手放せずにいる。
戻ることを恐れている。
戻ることは不幸だと思い込んでいる。

そしてまだ、上昇を続けることを望んでいる。


そろそろ気が付き始めた人たちが増えてきている。
ずっと上昇し続けることは無いということを。

物欲を満たす以外の幸せの形を
探し始めている。

現実的にはマイノリティーではあるが、
そういう人たちが増えてきている実感がある。

私たちはそこに一石を投じなければならない。

今までとは違う幸せの形。

扱いづらく、管理にも気を遣うが、
使い捨てではない、長年連れ添った鍋や器の情緒。

茶葉や茎が口に入ったり、茶殻の始末が面倒だったりするが、
湯冷ましで冷ましたお湯を急須に注ぎ、
少しの時間を待って飲むお茶の美味しさ、
美味しく入れるコツを手に入れる愉しさ。

大皿にオールインワンのおかずで済ませる食卓よりも、
小皿に漬物や、お浸し、大根おろしや、つくだ煮など、
そんなに手のかからないものを並べるだけで、
どれだけ豊かさを感じられるか。

小物や家具や照明や、
お金と時間を掛けて飾り付けるインテリアの数々に匹敵する、
テーブルの上に置かれる一輪の生花からこぼれる幸せを。

便利さを追求することによって
面倒くささを排除することによって
得られる幸せを追い求めるのではなく、
少しの手間と、少しの時間を当てることで得られる、
今まで求めていたものとは違う、優しい豊かさを、
世の中に訴えなければならない。

そして、そうした豊かさを演出する陶器の数々を
生産、提供することによって、
本来の陶産地としての役割を果たすことが、
益子の存在価値を失わず、
生き残っていく術となるのではないか。


僕が外から益子に入ってきて、
もっとも魅力的に感じたのは、
そういう都会では味わうことのできない豊かさだった。

ホッと息の付ける、
そういう包み込むような幸福感が、
まだ、益子にはある。

それこそが財産なのだ。

陶器市も、土祭も、道の駅も、観光協会も、美術館も
窯元も、販売店も、農家も、飲食店も
全てがこの一つの目的に向かって動き出せば、
消費者に対する産地としての魅力は計り知れない。

益子だけでなく、全国の産地が同じように動き出し、
大きなムーブメントとして浸透していけば、
あるいは日本という国を、もっと住みよい国にできるかもしれない。

これはライフスタイルの提案なのだ。
何をもって幸せとするのかを訴えるのだ。
そしてその中に、やきものの居場所を確保するのだ。
それこそが、日本の伝統の上に立脚した、
本当のやきものの姿ではないか。


今、益子で一つの集団が動き始めている。
このテーブルには、窯元、販売店、作家、町、観光協会という面々がついている。
月に一回集まっては、陶器市のこと、益子のこと、
どうすればこれからの益子が良くなっていくかということを、
立場を越えて話し合う場になっている。

先日も会議の場で、このような話をしてみたところ、
大方賛成といった雰囲気であった。機運はある。

これからの益子を
足並みそろえて、
統一感をもって、
こんな風に歩き出させることができれば、
未来の明るい益子が見えてくる。

そう思う。





jackie7 at 01:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)益子 

2014年07月08日

取り戻せ、日本人

今日は久しぶりの梅雨の晴れ間だというのに、
なんとなく心の中はすっきり晴れない。

特に何があったというわけではないが、
最近の日本を取り巻く様々なことが、
釈然としないせいだと思う。

ワールドカップで称賛された日本人の姿。
本来、日本人というのはそういう資質を多く持った民族ではなかったか。

日本人の姿が、この半世紀でずいぶん変わってしまったように思うのは、
僕だけだろうか。


夕食後、子供たちの言い訳をたしなめながら、
おじいちゃんは決して言い訳しない人だった…
そんな話をしていると、
妻も、そういえば私の父も言い訳したのを聞いたことがないわ。と。

そこには、人生を美しく生きて行こうとする“美徳”というものがあり、
損得勘定よりも、人間として素敵に生きて行こうとする見栄が、
時代と共にあったのだと思う。

見栄というと聞こえが悪いが、
今のように本音で生きることがカッコいいというような価値観の中にいると、
逆に見栄を張って、美しく生きていこうとする生き方は、
決して否定すべきものではないと思える。

やりたいことを躊躇せずにでき、言いたいことを言える個人は
確かにカッコよく見える。

しかし、何かしらコミュニティーというものの中が、
そんなカッコいい人ばかりでは、何もうまくいかなくなる。


自然の摂理の解釈という場合を除いて、
僕は理屈というもののほとんどは、言い訳だと思っている。
なぜなら、理屈というのは、何かを正しいものだと
他人に納得させるために使われることがほとんどだからだ。
理屈の多い人というのは言い訳の多い人だと認識する。

自分を正当化するということは他を排するということに繋がる。
誰も皆、自分が正しいと思いたい。
でも、自分がいつも正しくあろうはずもない。
時には間違え、時には間違いに気づきながらも、
それを完全には改められないのが人間なのだと思う。

ごめんなさいとありがとうをちゃんと言える子供を育てる
というのは、そういう人間の根底にある不完全さを
大前提としているからではないだろうか。


話を元に戻す。

今の日本は、言い訳大国になっているように思えてならない。
戦争責任、憲法解釈、エネルギー問題、放射能汚染、被災地支援…
全て自己の利益を優先する人々の、
自己を正当化するための“理屈”をいかにうまく作り出すかに
終始しているように見える。

開国した日本へ来た外国人たちが感嘆した日本人気質、
日清、日露戦争において国際法の遵守を徹底した日本人、
(戦争自体を肯定するものではないが)
東京オリンピックで人民の戦後復興も世界に示した日本人、
そうした、幾度も世界を驚嘆させてきた、誇り高き日本人の姿は、
何処へ行ってしまったのだろうか。

ワールドカップ会場でゴミを拾うサポーター、
敗戦チームにもかかわらず、サポーターに挨拶をしに行った日本チーム、
そんなものなのか。
その程度のことなら、当たり前のことをしたまで…
と一笑に付すくらいに思えないというのは、
日本人の気質の低下に他ならない。

「騙すより騙されろ」
という言葉を聞いて、「そんなのただの馬鹿じゃん」
という若者が増えているという。

自分の利益を守ることの方が優先されているように思えて悲しい。

自分の都合で世の中を見渡してばかりいては、
誰からも相手にされなくなる。

歴史、法律、化学、社会、経済、
人間が作り上げてきた様々な足跡を
学問として理解できるほどの頭は持っていないが、
これから先の未来を考えるときに、
そうしたさまざまルールや実績、公式や指標に叶うかどうかを考える前に、
人間として正しい道はどこから発するのかを
まず第一に考えるべきなのではないか。

そして、それを考えるとき、
人間は決して強い存在ではなく、
数々の過ちを繰り返す、弱い存在なのだということを
前提に考えるべきだと思う。

結論がやや抽象的になったが、
そもそも、何もかも具体的に答えを求めるということが、
必ずしも正しい選択ではないように思う。

日本人が、日本人として、
誇りを持って生きていくためには、
過去において、日本人が大切にしてきた倫理観を
強く反映した社会形成が必要だ。

そして、日本人が真の誇りを取り戻し、
言い訳ではなく、崇高な理念に基づいた国づくりができれば、
今日本が抱えているほとんどの問題は、
議論するまでもなく、多くの賛同が得られるのではないか。











jackie7 at 23:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2014年06月19日

これからの益子焼

「益子焼ってどんなやきものですか?」

そう尋ねられて、明確に答えられる益子の陶芸家は何人いるだろうか。

もちろん、伝統的な仕事をしている作家たちは、
「自分の作品は益子焼です」と明言できるかもしれない。

しかし、他の作家たちが作るやきものの
どこまでが益子焼で、どこからがそうでないのかという線引きは、
彼らにも容易にできるものではないと思う。

それだけ、益子のやきものは混とんとしている。

益子だけではない。

信楽や伊万里や明確にどんなやきものかをイメージできる
他の産地でさえ、実際に店に並ぶやきものは多岐を極める。

このままでは産地の特色が色失せて、
全ての産地のやきものが“日本焼”になってしまうのでは…
と思うほど、日本の焼物は標準化の一途を辿っている。

前にもブログに書いた記憶があるが、
産地というものはその土地の特色が現れてしかるべきものであり、
その産地の特色とは、即ち、産地特有の原料によるものである。

しかしながら、今や産地そのものの原料が枯渇していたり、
社会システムとしての流通が極めて迅速にかつ細やかになり、
日本各地の原料がどこにいても手に入るという状況が、
当たり前のよのなかになってしまった今、
原料だけが産地の特色を決定づける要因では
無くなってきているのではないだろうか。

益子の場合、今、一番益子らしいと思われている作風は、
濱田庄司以降のいわゆる民芸調の陶器であろう。

しかしながら、濱田以前の焼物は全く違う作風であり、
一言で益子焼といえど、時代によってその認識はまちまちであったはずだ。

江戸時代末期から始まった益子焼の歴史を辿ると、
そうした事実が手に取るように見えてくる。
開窯当時から民芸までの益子焼は、
紐解くにも、説明するにも、単純明快なのである。

土や釉薬など原料の採掘場所、
京都や信楽などから相馬や笠間を経て入ってきた職人の動き、
そうした事実が、遺された陶器の背景を如実に物語る。

しかし、現代の益子焼はそのように単純ではない。
日本社会の変遷とともに、益子焼は変化し続けた。
昭和から平成初頭にかけての大消費時代。
宅急便の登場による流通革命。
平成とともに訪れた情報社会。
そうした時代の変化が、益子焼を大きく変えて行ったといっていいだろう。

何がどう変わったのかは、他の記事にも触れているところなので、
ここでは割愛する。

では、この先、益子焼はどうなっていくのだろう。

数百年後から顧みれば、この混沌とした作品の坩堝が
この時代の益子焼として定義づけられるのであろうが、
すでにまともに説明すらできなくなっているやきものを
「益子焼」と言えるのだろうか。

そして、移り変わっていく時代に任せて、
このような状況に身を委ねていくことが、
産地にとって自然なことであり、当然の姿なのであろうか。


******************************


僕は少し勘違いをしていたようである。

少し前まで、自分の作品を益子焼たらしめる唯一の答えは、
益子由来の原料であると信じて疑わなかった。

そして、その益子由来の原料から新しい可能性を引き出すことが、
新しい益子焼の創造なのだと思い込んでいた。

でも、それが全てではないのだということを
最近、強く思うようになってきた。

実際、濱田以前の益子では、
益子産出の粘土に笠間の粘土を混ぜて使っていたという。
どんな理由でそうしていたのかは、想像の範疇を越えないが、
それでも、それが当時の益子焼であったことは、
動かしがたい事実なのである。

作品の要素というものを考えてみるに、
原料さえあれば作品が生まれるのかと言えば、そうではない。
人間が手を加えなければ、作品は決して生まれてこない。

そして、その人間を育てるのは、その土地の気候、風土、
そして人なのだ。

つまりは作品を形作る最も大きな要素は、
その作品を作る人がどこで、どのように育ち、
何を大切に生きているのかということに尽きる。

なぜなら、原料を選ぶのも、その人次第なのだから。

これからの益子焼を考えるに、
もちろん、原料は一つの重要な要素に違いない。
しかし、それは一つの選択肢に過ぎないということも
認識するべきだと思う。

いくら益子由来の原料100%で作られたやきものでも、
益子という土地を愛さず、何の理解をしようともせず、
関わろうともしない人が作ったものを
僕は益子焼とは認めない。

******************************

一つ誤解を解いておきたいが、
僕は、益子焼でないものを益子で作るべきではない…
ということを言っているのではない。

益子という産地の魅力の一つは
外から入ってくるものに対して、非常に懐が深いという点であることを
僕は肯定的にとらえている。

そうした風土が益子を活気づけ、奥深くしているのだと思っているし、
そうした側面から生まれてくる益子焼もあり得ると思っている。

ただ、ここは産地なのだ。

産地に住み、物を作るということは、
産地という地の利から、様々な恩恵にあずかるということだ。

そして、その産地の一角を担うということでもあるのだ。

産地を担うという意識を持っている作り手が増えれば増えるほど、
産地は強くなり、結果として大きな恩恵を受けることになる。

産地にぶら下がるだけの作り手が増えれば、
産地はどんどん力を失ってしまうのだ。

益子焼という定義でものを作らずとも、産地から得る恩恵に対して、
少しでも報いる気持ちは持つべきだ。

産地にぶら下がり、産地を低迷させるだけの作り手であるならば、
産地としては招かざる客なのだ。

逆に、益子焼を作らずとも、益子という産地に対する思いがあれば、
産地として、喜んで招きたい客となるのだ。
そしてその思いが、必ずしや益子を良くしていくのだ。



僕が作るやきものが益子焼であるかどうかの判断は、
未来の第三者に委ねるしかない。

しかし、少なくとも、
僕は益子でしか作れないやきものを作ろうと思い続けている。


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2014年04月03日

和食と小皿

最近小皿をよく使うようになった。
きっかけは、昨年買った李朝の小皿に惚れ込んで、
自分で色々作り始めたことによる。

良い小皿ができると使いたくなる。
何をのせてやろうかと思いを巡らし、
お浸し、おしんこ、小魚の南蛮漬け、冷奴、塩辛などなど、
使うのも食すのも、非常に楽しくなってきた。

そもそも大皿料理に飽き飽きしていたのである。

家族全員分の炒め物を大皿にどかーん。
どんなに味を変えても、食材を変えても、
食べていて楽しくない。結果美味しくない。

日本の食卓が大皿に席巻された最も大きな理由の一つは、
女性の社会進出によると思っている。

専業主婦には、毎日の食卓を変化に富んだものにするだけの
余裕があった。

仕事を持っている人間が、毎日毎日、何十年も、
食卓を豊かに保ち続けることは至難の業だ。

そこで、自分で何品か作るようになった。
簡単なものでよい。買ってきてそのまま皿に盛るだけの時もある。

それでも、小皿が食卓に一つ、二つと増えていくと、
食卓ががぜん楽しくなってくる。

和食の良さというのは、こういうところにあると思う。
お金を掛けて贅を尽くさなくても、ほうれん草の一株と、
豆腐が一丁あるだけで、十分豊かな気分になれるのだ。

日本の食文化に密着した小皿を作るのは面白い。

それは、小皿から自分の思い描く食卓を創造できるからだ。
食卓を通して、日本という国の良さを痛快に実感できるからだ。

小皿作りは、僕の作陶の一つの柱になってきている。


jackie7 at 21:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)私見 

2014年02月04日

アーティストのトレーニング

最近ソチ・オリンピックが近いということで、
アスリートたちのドキュメント番組が多い。

世界を相手に戦うアスリートたちの
ストイックなトレーニング映像は、
胸に迫るものがある。

自分にもあれだけの気概があるだろうか…。


作家にとっての
あのアスリートたちに匹敵するトレーニングとはなんだろうか。

それは“悩む”ことに尽きる。

その“悩み”の深さ、大きさ、年月こそが、
作品を強化する最も単純明快なトレーニングだ。

そして、筋力トレーニング同様、
その“悩み”の質も、大きく問われるのだ。

世のアーティストたちが具体性をもってそれを作品に反映し始めたのは、
数世紀も昔のこと。

しかし、現代美術においては、
その“悩み”をクローズアップしすぎてしまったのではないか。

“悩み”はあくまでもトレーニングであり、
表現手段ではないと思う。

悩んだ結果たどり着いたイデオロギーが主となり、
作品が従となってはいけない。

また、そうしたイデオロギーをダイレクトに作品に見せてしまうことも
稚拙さを露呈する。

我が身を振り返る。

稚拙すぎるのだ。

もっと大人にならなければならない。

“悩み”が足りないのだ。

自分の“思い”を持つのだ。

それが自分のゆく道なのだ。

アスリートたちの、あの燃え尽きるようなトレーニングを…


jackie7 at 10:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0)私見 

2013年10月12日

最近のやきもの事情

世代が変わった感のある、若い作家(?)達のやきもの。
十把一絡げにするのは乱暴だが、
いくつかの風潮を感じる。

良し悪しをいうつもりは毛頭ない。
なんとなく、その根底にあるものを思いめぐらしたので、
今日はそんなことを書いてみようと思う。

窯の小型化。

最近の若いやきもの屋の家を訪ねると、
そのほとんどは0.5立米以下の小さな窯を使っている。

この窯の小型化は、やきものの質を大きく変えた
最も注目すべき要因だと思う。

50年もさかのぼれば、大型の登り窯の時代である。
益子でも、まだ13部屋くらいの大窯がいくつも煙を上げていた。

登り窯が灯油窯やガス窯に移行していった時代も、
個人作家よりも製陶所主体であった益子では、
1立米や2立米といった、中・大窯が多かった。

2立米の窯であれば、湯呑であれば1500個くらいは優に入る。

当然、制作スタイルは量産体制で、
一つの窯に、同じ種類のものが数十個、あるいは100個単位で入る。

生産性を考えて、成形は1000個単位で行われることも
稀ではなかった。

民芸というスタイルとこのスタイルは、非常にうまく合致する。
轆轤は轆轤師、絵付けは絵付師、釉掛けも窯焚きも、
専門職が行う完全分業の時代である。

流れるような作業の中から生まれてくるやきものは、
民芸ブームに乗って、「健康な美」としてもてはやされた。

時代が少し下って、個人作家が増え始めた30年から40年ほど前、
彼らが独立するときには、まだ3部屋位の登り窯、
あるいは灯油やガスの窯であっても0.7立米くらいの窯が
平均的な大きさだった。

まだやきものの売れる時代、
やはり作る数は個人の窯元でも数十個単位が普通で
民芸色が色濃く残る中、
一つの作品に手数を多く入れるというような作風は、
稀な時代だった。

そして現在。

やきものが以前のように売れなくなったことから、
借金もできない、独立しても売り場所がない、
そういう経済上の理由を背景として、
独立時に選択する窯は小型化の一途を辿った。

初期投資額が極端に少なくなったことや、
小回りが利き、小口の注文にも対応できるといったことが、
小窯の普及に拍車をかけた。

結果、一度に作る量が減った。

100個や200個しか入らない窯に、
同じものを50個とか100個とか入れることはあまりなくなるのは
当たり前のことだ。

10個とか20個という数で制作をする。

すると、一つのものを作るということに、意識が高まる。
1000個同じものを一気に作るのと、
10個同じものを作るのとでは、
一つ一つの作品に対する力の入れ方は全く異質のものとなる。

ここに、以前のやきものとは異質の風潮が生まれる。

ただでさえやきものの売れない時代だ。
販売店は、今までのやきものと違うものを欲しがる。

「値段は変わらず、もっと手の込んだもの持ってきてよ!」

もうずいぶん前のことであるが、
ある販売店の店主から言われたことがある。

ちょいちょいっと作ったものよりも、
手間暇かけた感がにじみ出ている物の方が、
ありがたみがあり、同じ値段なら客はそちらを選ぶ…
そんな論理だ。

もちろん、手間を掛ければいいというものではないが、
一つの見方として、そういう見方ができるということだ。

そうした市場の事情もあり、
一つの物を高い完成度で制作するのが良いという風潮が
ますます強くなっていく。

もう一つ、窯の焼成回数が増えるということからも
変化を生じる。

窯焚きというのは、やきもの屋にとって一つの節目だ。
ここで頭が切り替わるといっていい。

つまり、頭の切り替えの機会が増えるのである。

また、酸化、還元、あるいは中性といった雰囲気の違う窯を
少量の作品で焼くことができる。

様々な焼成を短期間で経験することができるし、
テスト焼成も大きな窯では焼いている品物がメインであり、
テストピースに合わせて焼成をするということはしにくいが、
小さな窯であれば、一窯すべてテスト焼成という、
的を絞った効果的なテストができる。

つまり、化学的技術の進歩が短期間で行えるという利点がある。

結果、釉薬調合や焼成といった技術に磨きがかかり、
完成度の高いやきものを作り出せるようになっていく。

もっとも昔の諸先輩方の中には、
大きな窯にもかかわらず、
一窯全部テスト!という豪胆な方々も結構いらしたが…。


こうした時代背景による影響にはたと気が付くと、
今様のやきものが、どうしてこのような風潮を強くしているのかということに
大きくうなづけるのである。

昭和の時代に代表される、
いかにもやきものらしいやきものというのは、
大きな窯があってこそのもので、
現在のような小さな窯でそれをやろうとしても、
やってできないわけではなかろうが、土台無理がある。

もちろん、体質や感覚の違いも時代と共に移り変わり、
そうしたものが、やきものの移り変わりに深くかかわっていることも
現在の購買客の反応を見れば明らかである。

しかし、原因はそれだけではない…
ということを言いたかった。

時代の移り変わりに、やきものがどうしてこうも素直に同調していったか。
その背景には、このような現実的な事情による後押しがあり、
功罪を成しているのである。

時代の上に載っているものの中にも、
僅かではあるが残っていくものはあろう。
それを時代側からアプローチするのか、
モノの側からアプローチするのか、
いずれにしても時代と共に歩み、かつ、末永く残っていくという
ふたつの条件を同時に満たす道は、非常に険しい。





jackie7 at 23:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)私見 

2013年05月18日

茶盌

7月の個展に向け、茶盌を作っている。
ただただ、茶盌ばかりを作っている。

ずっとこだわり続けていた“益子”を
今回は少し離れた。
釉薬や土など、今まで使っていなかったものも選択した。

自分に課していた足枷を外した途端、
茶盌に対する思いが膨れ上がった。


茶盌を作るにあたって最も先行すべきは
イメージだ。

どのような場所でどのように扱い、何をその茶盌に託すのか、
そしてそれにふさわしい茶盌はどのようなものかを考えるのだ。

明確に意識できることもあれば、
漠然としていることもある。

具体的なことは敢えて言わない。
ただ、一つ言えることは、
人への愛なくして茶盌は作れないと思っている。
なぜなら、茶の現場において、
唯一、亭主から客人へ手渡され扱われるのが茶盌だからだ。

こうしたメンタルな部分を自分に叩き込んでから、
制作に入る。

表現すべき茶盌に何を纏わせるか…
釉薬と土を選ぶ。

選択肢にふさわしいものがなければ、
釉、あるいは土も作る。

今回は新しい釉薬、土の取り合わせをいくつか試みる。

灯油窯で実験をしているが、
薪窯へ入れるのは初めてとなるので、
ぶっつけ本番のようなもの。

経験と勘で詰め寄って行くしかない。

今回はイメージがはっきりしているだけに難しい。
同じ形で取り合わせの違うものを何種類か用意する。

そして轆轤。

茶盌作りの華ともいうべき作業が轆轤だと思っている。
どんなに良い土を使って、良い衣を着せても、
この轆轤の作業が稚拙だと、どうも見るに堪えない。

ここ1、2年やっと轆轤がそれなりになってきた。
十数年かかってやっと。ずいぶん時間がかかった。
それをひとつひとつの茶盌に全て注ぎ込むようにして、
いま、轆轤をひいている。

轆轤の回転スピードが極端に遅くなった。
コテを入れる段階では恐らく一回転するのに2秒、
縁のあたりをいじっているときは3秒ほどかかっているかもしれない。
その間、ずっと息を止めて体中の神経を集中させてひく。

極端に言えば轆轤をひいている間、
器の表面と内面を1センチごとに意識しながら、
イメージとすり合わせながらひき上げていくのだ。

腰のあたりから縁まで、
コテと左手の間に挟んだ土を
土の動いている感触を確かめながら、
内側に現れてくる形を確かめながら、
ゆっくりと、そして一気に押し上げていくのだ。

一盌、一盌に全身全霊を持ってひくのだ。

ほんの少し考え事をしただけでも失敗する。
そんなギリギリの轆轤をひいている。

それでも納得のいかないものができてしまう。
そういうものは焼く前に潰し、土へ戻す。
約半数は、そうやって潰してしまう。

最初は300個作って20個くらいしか採れなかったし、
焼いた後、茶盌として採ったのは5個程度だった。
その採った5個も、今の落選作かそれ以下だった。
全く轆轤がわかっていなかった。

昔の職人が同じようにしてひいていたとは思わない。
ただ、そうした決意の表れた茶盌というものは
ある。

強すぎる思い入れをもってひいていると、
焼くのが怖くなってくる。

焼成で失敗してしまえばすべてが水の泡。

そろそろ窯詰も具体的にイメージし始めなければ…。











jackie7 at 01:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)思い