2010年01月26日

ブログ完全移行します

このブログ、完全にやめようと思います。
以降日記は
一五一会メモ「原案帳#34」
http://rika151e.ti-da.net/
をお読みください。
そのブログは「一五一会の教科書」的な内容にするつもりでしたが、会津の愚痴が好きな人もいるようなので、そういうことも全部そちらに書くことにしました。

また、ライブのスケジュールについては
会津里花Live Information
http://liveinfo.jackies.jp/
をご覧ください。




はっきり言って、この世の全員から見放されても、わたしはわたしの音楽を追求していくつもりです。
一五一会で。
(早くこの楽器の名前が単に「一五」とか「四線」とか素っ気ない名前で……「三線」や「ギター」と同じように……呼ばれる日が来ることを、心から望んでいます。その日が来るまで、わたしは151年=2154年まで、頑張ってやる。もちろん、わたしが関わることができるのはその最初のいいとこ数十年ばかりだろうけれど、死んでもその後は化けて出て、見届けてやる!)


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2010年01月25日

やっと理由がわかった。

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1/23記す:

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今日UHUに出演したい、と思った理由が、やっとわかった。

「追悼」のためだったのだ。


この日記(携帯メール)のタイトル、はじめは「静かな土曜日」にしようとしていた。
あんまり急だったし、最近はなんだか「一五一咲き」のことで頭がいっぱいになっていて、それ以外のライブに人を呼ぶ気になれなかったりするので、わたしのために駆けつけてくれたのはサミー山田さんだけだった……けれど、

内容はとても良いライブだった。
あの人や、あの人、あの人にも、聴きに来てほしかったなあ……

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以上。

で、その時のセットリスト:

1.灰色の丘
2.満月の夕
3.赤花
4.風花
5.花(中孝介)
6.ささげうた

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今日はこれからマキタさんとミッちゃんトコのライブ。

「赤い鳥特集」やります。






……最近のわたしは、どこのステージでも「今やりたい曲」をやるようにしている。
歌い慣れていても、いなくても。
学生時代にさんざん歌った歌なんか、いくら「慣れている」と言ってもお客さんたちの中に何人ぐらい知っている人がいるか(いやたいてい皆無だろう)、というものばかりだし、学生時代のレベルで「慣れている」からといって、今改めて歌って良い演奏ができるとも思えない。

……それでも、歌いたくてたまらない時があったりするんだけど……

**ライブのお知らせ**

☆毎月第4月曜日は「会津里花の日」!☆
・1月25日(月)20:30〜
ゲスト:練(Neri)21:30頃〜
レギュラー出演:会津里花(一五一会弾き語り、一部「白花2」=会津+三線、唄:サミー山田)
前半(20:30頃〜)
後半(22:30頃〜)
@マキタさんとミッちゃんトコ(109向かいP「シマノパーキング」の裏側の隣のビル3階)
お問合せ・予約:054-254-7116


・2月27日(土)19:00〜
=一五一咲きライブin東京=
@四谷天窓(高田馬場)
出演:
会津里花(一五一会弾き語りソロ)、
白花+(会津里花、サミー山田、はなとみ綾、メイちゃん)
ゲスト=スタカシさん(一五一会弾き語り)
料金:2500円+ドリンク500円別

・3月20日前後〜
「会津里花バースデイ・静岡市内ミニミニ・ツアー」(?仮)

・5月2日(日)「春のお約束」……今年もやります!


この他のライブ詳細:
会津里花Live Information http://liveinfo.jackies.jp/


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2010年01月22日

詳しくは

詳しくは、
一五一会メモ「原案帳#34」
http://rika151e.ti-da.net/
にて。


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2010年01月11日

「つながる」

一五一会メモ「原案帳#34」
http://rika151e.ti-da.net/
に記事を投稿しました。
「一五一会へのアプローチ(2)」
サブタイトル:「ミニギター」と言われたくなくて……?


それとは別に思うところもあり、もう1本書きましょうかね。


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タイトルにも書いたけれど、ここ1〜2日「つながる」ということが気になっている。


1.「教える仕事」

わたしは受験予備校ではうまくやれなかったから、「やっぱり自分には向いていないんだ」と思っていた。

けれど、土曜日の午後、ジョージさんにベースラインについて「手ほどき」のようなことをして、
翌日の朝から一五一会講座に出かける時、
なんだか実感してしまったのだ。

「ああ、わたしは自分だけじゃなくて、人の可能性を見つけて引き出すことが、もともと好きなんだ」

ずっと「レッスン・プロ」という言葉が嫌いだった。
けれども、わたしはこの時、「レッスン・プロならレッスン・プロでもいいじゃないか」と思った。
むしろ、人の可能性を引き出すなら、とことんまで引き出したい、と思った。

ま、「レッスン・プロ」という言葉のネガティブなニュアンスは「レッスンにかまけて自分自身の演奏は大したことない」ということだと思うけれど、その点で妥協するつもりもないし。

ついでに蛇足。
わたし自身は「塾」にも通ったことはなかったし、ピアノやバイオリンといった楽器を「習い事」として教わったこともない。
受験については目標が固定しているから「自分は受けたことがない」というのはネガティブな経歴でしかないけれど、こと「一五一会」という楽器についてはそれは当てはまらないんじゃないかな?


2.ユーラシア大陸制覇!……あ、いや全部じゃないけど(笑)

「チュルク諸語」の民族の音楽はこだわって揃えてきたけれど、ふと立ち寄った中古CD屋さんで見つけたアルバム、

『世界民族音楽大集成(World Music Gala Collection) 68 北コーカサス、ウラル、シベリアの音楽』

……ピピピッ!とくるものがあった。
裏面を見たら、小さい字でどうやら現地採集してきたと思われる曲名が地域名と共に並んでいる。
840円。安い!
……というわけで、衝動買い(笑)

帰宅して早速聴いてみた。
おお!これは!……

聴きながら、地図を引っ張り出して採集地を探してみた。

そしたら。

なんと見事に、わたしが持ってない地域の音楽ばかりが並んでるじゃん!!

今までに入手したのは、旧ソ連崩壊後に完全な独立を果たした国家群、「アゼルバイジャン」「トルクメン」「ウズベク」「タジク」「カザフ」「キルギス」と、中国の一部となっている「ウイグル」の音楽だった。
それが、今回のは、今もまだ「ロシア連邦」の中の「共和国」だったり「民族管区」だったりする地域のもので、ちょうどきれいに重ならずにすんでいるのだ!!
地域(又は民族)名:
カバルダ、アディゲ、カラチャイ、オセット、アヴァール、レズギ、カルムイク、チェチェン、(アフリカではなくロシアの)マリ、チュヴァシ、タタール、バシキール、アルタイ、トゥヴァ、ハカス、ヤクート、ブリャート、ウデヘ、ハンティ、ニヴヒ、マンシ、ガナサン、チュクチ、エスキモー

以上の約半数はウラル系、あとはチュルク、ツングースなど。
特にウラル系の音楽の特徴に惹かれた。

すみません、「チェチェン」以外は(あと「アルタイ」も山脈や「〜語族」という言い方以外では)ほとんど知らないような民族ばっかりで。
こんなに多様な民族が、ロシアの中である程度の自治を許されながら存在していることに、わたしたち日本人はもっと目を向けるべきなんじゃないのか?

……で、さ。
地図を見てて、結局、以前手に入れていたものと今回手に入れたものを合わせると、ロシア連邦がらみの(ただしロシア人以外の)民族の音楽を、かなり網羅してしまったことに気がついた。

うーん、待てよ、あんまり正確じゃないなー……

あ、そうか。
「非ヨーロッパ」か。
「ユーラシア大陸」じゃなくて。

ヨーロッパの音楽については、もう少し後でも大丈夫かな。
ま、詳しい人はいくらでもいて、今更わたしの出る幕はなさそうだし。(これがわたしが「マイノリティに走る」原因)

今はあんまり「ポリフォニック」なものには惹かれないらしい。
(とかいいながら、わたしはウラル系の音楽に含まれているポリフォニックな要素に惹かれたりもしたんだけど)

広大なロシアの3分の2にもわたる地域で、(おそらくは既にかなり「ロシア化」してしまってはいるだろうけれど、それでも)こんなに素朴な「民族音楽」が奏でられ、歌われているのか……

アメリカと違って、いわゆる「先住民」がほとんど全て絶滅の危機に瀕しているような地域と違って、こちらは「多様性」が守られている。
……ただし、その代償は「貧しさ」だと思うが。


3.そうか!

「多様性を尊重する」ということは、生物や社会が存続するための全体的な「豊かさ」を守り培うことになる。

しかし、それは一方で、我が物顔に振る舞う「勝ち組」が、自分の取り分を少しずつ譲って、自らはある程度「貧しさを受け入れる」ことをも、意味する。

たとえば、「生物の多様性」を守りたければ、人類はもう少し控えめに生きなければならないだろうし、
(今いる「ヒト」以外の霊長類がほぼ全種類「絶滅危惧種」やそれに近い存在であることを解決するためにいちばん確実な方法は、ずばり「ヒトが減る」ことだと思うし。似たような生態を持ちながら、他のサルたちとは決定的に異なるニッチを選んで勢力を広げてきたヒトは、残念ながら、存在しているだけで他のサルたちには共存することなど絶対にできない「脅威」でしかないのだ。……それとも、わたしたちの方が彼らに歩み寄って、文明をいっさい用いない森林の生活に切り替えるか? そんなことができる人が今世界にいる人口の半分以上だったら、この案は有効だろうけどさ……)

「民族の多様性」を守りたければ、自分たちだけが「勝者」「征服者」になってはいけないし、

「性の多様性」を守りたければ、「誰もが子を産み育てるべき」という(今の世の中では「当たり前」?の)価値観も、修正されなければならないだろう。
当然、「少子化は悪いこと」という価値観も。

ま、人類は今より少ない方がずっとうまくいくようになるだろうしね。

世界中の誰もが「少数民族」になる日が来たら、おもしろいだろうに。

あ、ちなみに、「日本語」って、たぶん言語学的に見たら「少数言語の中で最大の人口を擁する言語」と位置付けられるだろう。
なんて言ったって、「系統不明」なんだから。
ある意味「マイノリティの代表」なんだよ。

わたしたち日本人は、「先進国の仲間」とか思い込んで大きな力を持った勢力にしがみつこうとするのを止めて、「小さき者」「弱き者」に酌みする存在になってもいいんじゃないか。
そのために、自分たち自身もそのような「小さき者」「弱き者」であることをも、選び取り、受け入れて……

……ま、そんなことしたら、まさに「マイノリティ」そのものであるわたしなんか、真っ先に生きてはいけなくなっちゃったりするんだろうけれど(笑)

やっぱり、「多様性を守る」ためには、誰かが「豊か」である必要があるのかもしれない。
確かに、「少子化」を「問題」として認識するのは、今いる高齢者を支える若年層がいなくなったら高齢者を支えられず、生きていけなくなってしまうからだし……
まあ、今減りつつある若年層が「高齢者」になる頃には、年齢別人口分布ももっと低いレベルで正常化するだろうから、「今の問題」さえ我慢して切り抜けてしまえば、50〜60年後には自然に「問題」としては解決しちゃっているんじゃないか、という気もするが……

あー、そうか!
「少子化問題」のもう一つのポイントは、国家が抱えている膨れていくばかりの借金を返す「担い手」が、量的にたくさんいなければならない、という背景もあったのか。(今頃気づいた……わたしは「お金の問題」についてはまるっきりの「バカ」なので、こんなに「頭が良い」?のに、さっぱりわからないんだよね〜)

まあ、それにしたって、問題の最大の原因は「自給自足できないほど膨れ上がってしまった人口」そのものにあるような気もするので、まあ時間はかかるだろうけれど、あと百年もして「貨幣経済」から新たな別の価値経済が形成すれば、それも解決しちゃうんじゃないかな?
むしろ、その時に、この国土では養いきれないほどの人間が余っていることの方が、実はよっぽどまずいことのような気もする……

……頭の中を、萩尾望都『百億の昼と千億の夜』(光瀬龍原作)の中のあるシーンがよぎる……

滅びゆく人類の姿。

わたしはそれ以外にあんまり知らないけれど、SFの分野ではいろんな人がいろんなかたちで「人類の終焉」を描いているのではないか。
わたしが他に知っているのは、せいぜい筒井康隆の『霊長類、南へ』ぐらいのものだけれど、……

もうそろそろ、人類は自らの「終わりの時」を準備し始めても、いいんじゃないか。
幸いなことに、まだあと百年や二百年くらいはもちそうだから、その間に「いらないものは処分する」ことも、やっておいて良いのでは。
ただし、「いらないもの」の基準は、もはや「自分にとって都合の良いもの」ではない。
それは、自分自身が生き延びたい時だけの発想だ。
「後に残る者」「跡を継ぐ者」のために「遺すべきもの」とは、いったいなんだろう……?



あー、しまった!

1日中家の中に引きこもっていたせいか、すっかり話が暗くなってしまった。

地図帳やライナーノーツの細かい字を、百均の老眼鏡で長いこと読んでいたから、神経も疲れたんだろう。

この記事を携帯で書くことそのものも、疲れる作業だし。

今日はまだ早いし、明日はレコーディングもあるし、リラックスできるようなこと……たとえばお風呂に入る、とか(いや夜入るのは怖くてできないんだけど……)、お香を焚く、とか……


あっ、「Kiss」の最新号、買ってくるのを忘れてた!


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2009年12月30日

てぃーだブログに

一五一会メモ「原案帳#34」
http://rika151e.ti-da.net/
に、新しい記事を書きました。
タイトルは:

日本民謡大観・東北編、『L'atche Drom』

です。
八大師匠、本当にありがとうございます!


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2009年12月29日

今日からお休み

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昨日のマキタさんとミッちゃんトコにて本年のお仕事は一応終わり。
大晦日にはUHUで年越しの予定だけれど、あくまでそれは「遊び」だし。

今日は本当に久しぶりに、自宅でくつろいでいる。

茶々丸、実は昨日様子が変になってしまって、とても心配したんだけど……

というのは、2階の部屋にいるのがわかっていて入っていったら、いきなり天敵から逃げるように部屋を飛び出し……

え? わたし、なにしたの?

その後いくら呼びかけても、茶々丸はとにかく臨戦態勢のまま逃げまどうばかり。

うぅっ、いったいどうしちゃったの?


……やっと「犯人」がわかった。

それは、「スリッパ」。
わたしがスリッパをはいて歩くと、どうやらその音がまさに天敵(ヘビ?)の歩く音か何か?のように聞こえたらしい。

ふだんはスリッパなんかはかないのに、このところ寒いからと思ってはいて行ったら「怖いのがやってくる」と思われたらしい。

原因がわかったので、もう今日はスリッパなんかはかない。

おかげで茶々丸も安心してわたしの部屋で昼前まで寝て、つい今し方まで西日が射して暖かな窓際に置いてあったコントラバスChacoちゃんのケースの中に入って暖をとっている。

……あ、日が沈んだ。

たぶん、どっか別の暖かいところを探して移動するんだろう。
ちなみに、我が家ではわたしが1階の片付けができないせいで炬燵を出していない。
ま、静岡の冬には炬燵は必須じゃないから、いいんだけど。(むしろ「炬燵でうたた寝」が起きないからかえって良いような気もするんだけど)


しばらく、ユルく過ごそう。


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私の頭の中の消しゴム

ライブの話と関係なくて申し訳ないです……



っていうか、ライブが終わって帰宅して、どうにもお腹が空いていたから遅い夕飯を食べながらふとテレビをつけたら、韓国の映画『私の頭の中の消しゴム』をやっていて、……始まったばかりだったので、ついそのまま見てしまった。


若年性アルツハイマーのことを扱った話。
「心の死」について……




いや、ライブの話と絡んじゃうんだけどさ。

わたしは、Woody Bellさんにサポートメンバーとして参加させてもらっている。

で、つい、思ってしまうわけ。
わたしの、父と母みたい……いや、現実のわたしの両親は、音楽活動するほどはじけた人たちじゃなかったし。
必ずしも重なるわけじゃないんだけど。


……ぶっちゃけ、こんな年になっても、わたしは自分の両親がもうこの世にいない、という事実が、たまらなく寂しく感じてしまうことがあるんですよ。


そうして、……その姿が、記憶が、年を追う毎に曖昧になり、消えていくことが、……さびしいっていうか、悲しいっていうか。


いや、ある意味、わたしは父と母と弟や姉と暮らしていた頃から、音楽がある時がいちばん幸せだったから……

その幸せな時を心に留めておきたくて、ずっと音楽にこだわって生きているのかもしれない。

わたしは、辛うじてやってける程度の(そうして遅刻がやけに多い)サポートメンバーなんだけど、それでもWoody Bellのお二人の寛大さのおかげで一緒にやれている。

心から、ありがたいことだ。




わたしも、いずれはこの世界からいなくなり、わたしのことを知っている人たちがみんないなくなってしまえば、わたしという存在については一切何もかもが消えてしまうことだろう。

わたしは、父と母からそれぞれの両親のことを話としては聞いているけれど、その記憶はとても曖昧で、きっとわたし(や弟)がいなくなった時に祖父や祖母たちの「記憶」も消えてしまうことだろう。
わたしの父は一人っ子だったから、わたしと弟以外に父方の祖父母の記憶を継承できている人は、ほとんどいないだろう。


忘れられていなくなること。
『トーマの心臓』で言えば「二度目の死」。

それは、たまらなく悲しいことだ。



もちろん、逆に言えば、記憶と言葉があるおかげで、ある人の存在が、その人がいなくなってから後もしばらくは痕跡を残すのであって、むしろこれは「贅沢な現象」とさえ言えるのかもしれない。
いなくなれば忘れられる。
その方が自然の摂理には適っているのかもしれない。


でも。

わたしは、忘れられたくない。
残念ながら、形式的に「ご先祖様を敬おう」というような「しきたり」を守っていくような要素は、わたしや弟の暮らす環境にはもう残ってはいないので、形式ではない何かで自分の存在を「遺す」しかないのだ。

わたしは、子どもを遺していなくて良かった。
いや、遺伝子は提供したことがあるが、残念ながらわたしの価値観の中には、そんなものをいくら遺そうが意味はないとしか書いてないので、遺伝子の提供先はわたしなんかとは関係なく、しっかり生きて幸せになってくれればいい。
それは決して、遺伝なんかで決まるものじゃない。

わたしが言いたいのは、わたしの価値観や「文化」を遺す相手がいない、ということだ。
わたしの持っているそんなもの、遺さない方が人類にとってあ幸いかもしれないが……



今日は、福居八大師匠と「八大'豆」の津軽三味線と民謡をゲストにお招きした。
師匠の三味線を何度か聴かせていただくうちに、わたしの中に微かに残っていた「民謡の記憶」が呼び覚まされていくのを感じる。

実は、小学生の頃(たぶん3年生くらいだったんじゃないか?ハムスターを飼っていた)、うちの父が「情操教育」とやらの一環として、「日本のメロディー」とかいう十枚組(でお得)のレコードを買ってくれて、わたしはかなりよく聴いたものだった。
それは、童謡・唱歌、大正歌謡、軍歌、そうして民謡を盛り込んだものだった。今思い返すと、「演歌」や「歌謡曲」といったジャンルが含まれていなかったのだけれど、おそらくそれはそれで別の「十枚組セット」が組まれていて、余ったものを集めたのがわたしに与えられたものだったような気もする。

そんなわけで、わたしは美空ひばりや『青い山脈』にはあまり愛着はないのに、上に挙げたようなジャンルにはやけに馴染みのある子になってしまった。
(実はこの他に、「カラヤン」「アメリカンポップス」「イージーリスニング」あたりの「十枚組セット」も買い与えられていた。なので、はっきり言って同世代の人たちの多くとは、いささか音楽の好みが違ってしまっているような気がしないではない)


……永年、わたしの中で「うまくはまらない」気がしていた音楽が、実は「島唄」との出会いをきっかけに、しっかりした拠り所に向かうようになった、という気がする。

まあ、島唄だけじゃなくて、その他の多くの地域の民族音楽もそうだったりするんだけど。

わたしにとって子どもの頃には未消化だった音楽が、今になってようやくはっきりしたかたちをとり始めた。




ともあれ、今日は「マキタさんとミッちゃんトコ」で今年の「歌い納め」ができて、本当に良かった。

気がつけば間もなく、毎月歌わせてもらうようになってから3年がたつ。

マキタさんとジュンコさんに、心から感謝。

そうして、今日、わたしのライブを楽しみにして来てくれたみなさん、ありがとうございました!
少しでもわたしの歌が癒しや励みになってくれたら、こんなに嬉しいことはありません。



……あとはまあ、酔っ払った人でもつい聴き入ってしまうほどの内容の演奏ができるよう、まだまだ修行しなくちゃ、と思いますが。





わたしのこと、どうか忘れないでください。

わたしがこの世界でちょっとの間息をして、何かを言ったりやったり歌ったり弾いたりしたことを、できることなら「歴史」に遺したいです。

遺伝子なんか、どうでもいいから。(仕送りはあと3年続けるけど)



……本当のこと言えば、遺伝子を分けた相手が自分の「文化」を引き継いでくれる可能性がゼロ(ことによったらマイナスかも?)、ということも、たまらなく寂しいです。

でも、それは自らがそのようにしてしまったんだから、仕方ありません。

わたしは、遺伝子の提供先には「決別」しなくてはならないのです。

もしも彼が実はわたしのことを慕っていて、ひそかにわたしの「後を追う」つもりになってくれたら……などと思わないではないけれど、わたしとしては「文化」なんかじゃないような部分は絶対に真似してなんかほしくはないし、それ言い出したらわたしの自分勝手な取捨選択を押し付けることにしかならないので、そんなわがままをするくらいなら、いっそわたしとは関係なく、多少厳しい環境ではあってもたくましく育って、とにかく幸せになってほしい、と、それだけを祈るしかありません。



岡田伊都子(?でよかったのかな?)が「加害の女」と自らを呼んだ気持ちが、ほんの少しだけわかるような気がする。
いやそれはあまりにも僭越か。




愛したはずの「あなた」が、わたしの頭の中から消えてゆく……


いっそ、都合の悪いことだけ消えてくれればいいのに。

残念ながら、わたしは死ぬまで、わたしの人生で最後に愛した「あの人」のことは、忘れられそうにない。
しつこいし、未練たらたらでみっともないことこの上ないんだけど、仕方ない。

……そうして、実は、その人との間にもうけた子どものことも、わたしは……当たり前の話だ。忘れはしない。


病は、そんな決意でさえもあっさりと踏みにじるのだろう。

最近、再び「癌」について考えるようになった。(それは何度か日記に書いているが)

病とは、戦うべきじゃない。
「つきあう」べきだ。
それは、実は癌に限ったものじゃない。
頭や心の病気もそうだろう。

わたしの心も、病んでいる。
ただ、少しでも生きやすくなるよう、そういう方向を目指していこうとはしている。
そのためには、たとえば「手術して摘出する」とか「薬で症状を抑える」とかいった即物的なやり方で安易に解決しようとするのではなく、できるだけ長い期間「一緒に過ごす」「つきあう」覚悟が必要なのだ。

薬は、自分で問題を解決していくことができるようになるための「補助」でしかない。
心の問題が薬「だけ」で治る、と考えている人がいたら、それは改めた方がよい。
体の病気だって、結局は治すのは当人の体の機能によってであって、それ以外の物理やら化学やらの力でやることは全て「補助」でしかない。
同じこと。


……話がまた長くなった。
これにて。


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2009年12月22日

一五一会メモ「原案帳#34」

一五一会メモ「原案帳#34」
http://rika151e.ti-da.net/

こちらの方にぼちぼち記事を書き始めました。

mixiの方はなんだか「仕事絡み」のことが書きにくいような気がしていた(「商業利用禁止」と言ったって仕事で何やったか書くのまでは禁止されてないので勘違いでした)けれど、「てぃーだ」の方は一五一会絡みのことしか書かないことにした。

原案帳#26
http://blog.livedoor.jp/jackies/
の方は日常、愚痴、一五一会絡み以外の音楽(わたしにとってそんなのあるのか?…まぁそれでもあれば)、あとは音楽以外の趣味…たとえば「萩尾望都」とかその他漫画、言語絡み(これも下手すると「一五一会絡み」に?)みたいなことを書いていくようにしようか。

あんまりむやみやたらとブログたくさん使うのも、どうかしら?


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2009年12月20日

のだめ と ラスフレ

「のだめ」テレビ見た。

これ、原作も好きだったし、テレビドラマ化したのも(わたしの感覚からは珍しく)気に入っていた。


実は、このキャストのうちの主要なメンバーの何人かが、その後『ラスト・フレンズ』にも起用された。

なので、上野樹里、瑛太、水川あさみなんかを見ていると、ついのだめだけじゃなくラスフレも思い出してしまう。

上野樹里、のだめとルカをよく演じ分けている。
ルカやった後でまたのだめやって、その役作りが前とぶれてないところが、なかなかすごいと思う。


あと、これ、マンガだからわかりやすくなっているとは言え、なかなかよくできた「クラシック入門」にもなってるんだよね。
玉木宏、短期間でよくあれだけリアルに振れるようになったな、と思う。
他の楽器奏者は「弾いてるフリ」でもなんとかなるんだけど、指揮だけは「フリ」でも何でも、「本当に振る」しかない。
まあ、もちろん、役者のやる「芝居」なので、本当の本当に振ることはむしろ許されないぐらいなのかもしれない。
だから、どんなにリアルに、まるで本物の指揮者が振ってるように見せていても、実は誰かの振り方を「ただ真似しているだけ」なのかもしれない。
でも、……「指揮」という作業というか仕事の中で、ただの真似でもちゃんと形になっている、というのは、それだけでも大したものだ、と思う。

役者って、すごいなぁ。


そういえば、上野樹里の最初の出世作は『スイング・ガールズ』だったけど、あれも「若い世代のジャズ振興策」みたいな側面があった。
『のだめ』は「クラシック振興策」にもなると思うので、……ついでに言うと『ラスフレ』は「DV対策」や「セクマイ理解」なんかを促す面もあったりしたので、……

もしかして、上野樹里って「確信犯」?

ま、そうでもそうじゃなくても、面白いからいいんだけどさ。

この子の20年後を見てみたいな……それまで生きてるかどうかわからないけど。
(6年半前に音楽活動再開した時、わたしは「これで生き甲斐が見つかった。60歳まで生きてもいい」と思うようになった。でも今は、これからまだあと20年ぐらい生きていたい、と思うようになってしまった。もちろんそんな年になったらもう自分にできることはそれほどないかもしれないけれど、今若い世代の人たちが世の中をどんなふうに引っ張っていくようになったか、この目で見てから死にたい気がしてきたのだ)


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2009年12月18日

やまぼうし歌声喫茶

e554ddc3.jpg本日、今年最後の「やまぼうし歌声喫茶」。

今日はウッドベースのChacoちゃんを連れてった。

楽しい!

毎月、ついつい書き忘れてしまうんだけど(ボランティアだから、とかいうしょーもない理由なんだけどさ)、わたしにとっては大切な「ステージ」の1つ。

今日は29曲もやった?らしい。
(1曲ずつ録音してて)
過去最高じゃん!
リハなし、譜面見て一発勝負のスリルもあるし(笑)

何よりも、来てくれるお客さんたちが気持ちよさそうに歌ってくれる笑顔を見るのが、楽しい。いや、嬉しい!

来年も、なるべく毎月やれるようにしよう。

毎月第3金曜日は「歌声喫茶」。
@喫茶&ギャラリー・やまぼうしにて
夜7時すぎ〜
ドリンク代500円のみ


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