言葉を大切に

2011年03月03日 10:40

8年前に韓国がリビアのカダフィ大佐に「仏教人権賞」という賞を授与していたそうです。まあ色々な事情や思惑があったのでしょうし、そのこと自体はさておきそれを伝える記事の見出しに違和感が。

韓国がカダフィ大佐に「人権賞」を授賞していた!
(Searchina 2011年3月2日 12:52)

辞書を引けば「授賞=賞を授けること」とありますし、授賞式という言葉は一般的によく使われることも承知していますが何となく居心地の悪さを感じます。「授与」とするのが普通(自然)と思うのは私の感覚がおかしいのでしょうか?


と思っていたら今日(3月3日)になって別の記事の見出しが
「韓国、カダフィ大佐に人権賞授与が物議に」となってました。
ただしリンク先に該当の記事は見当たらないのでSearchinaのトップページを貼り付けておきます。ともあれ私の感覚が肯定されたようでひと安心。

serachina


2008年07月06日 09:30

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上から目線(笑)でエラソーですが
高校最後の夏、球児とともに女子マネ行進…宮崎大会
5日に宮崎市のサンマリンスタジアム宮崎で行われた第90回全国高校野球選手権記念宮崎大会の開会式で、3年生の女子マネジャーが選手と一緒に入場行進した。
宮崎農の田原汐里さん(17)は「選手と同じ視線で大会を感じることができた。一生の思い出になりました」と興奮気味だった。(2008年7月5日 読売新聞)

ちゃんと「視線」という言葉を使ってるのが立派、一緒に行進する資格十分です。記者が「目線」などと脳内変換しなかったのもファインプレーですね。


というか、当たり前のことを見つけて喜んでるようじゃ・・・

2008年03月17日 23:29

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女優(?)の広末涼子が離婚するらしいです。HP(彼女自身のサイトという意味と推測)に掲載されたその報告文が美しいという記事を発見。元のHPは見つからなかったので長ったらしいですが記事全文を引用します。
広末さんの文章の美しさが切ない
(3月15日22時3分配信 ツカサネット新聞)
広末涼子の離婚報告文の美しさが切ない・・・。
発表された広末さんの報告文は美しく無駄のないものだった。

―――――――――――――(HPより引用)
関係者の皆様へ

突然のご報告になりますが、この度、私 広末涼子は、岡沢高宏さんとの結婚を解消することになりました。

それぞれの仕事、大切にする想いなど、歩幅を合わせていくことが難しくなってきた結果の決断です。

ここに至るまでは、よりよい環境を求めて、出来得る限り、さまざまな試行錯誤を重ねてきました。

その過程で、ふたりが理想を求めて一歩を踏み出すために、そして、何より子供のことを最優先し、考えた上で、大変勝手ではありますが、これが最良の選択であると判断いたしました。岡沢さんは、現在も、よき相談相手であり、彼への尊敬、信頼はこれまでと変わりません。これからも、子供の父、母として交流していく所存です。

いろいろなものを見せてもらい、たくさんのことを教えてもらった結婚生活には、感謝の気持ちばかりで、後悔の念はありません。

ただ、お世話になっている方々、応援してくださっている方々には、多大なご迷惑をおかけすることになってしまい、大変心苦しく思っております。ここに、心からのお詫びを申し上げます。これからは、女優として尚一層の責任感を持ち、さらなる努力を重ねることで、皆様のあたたかいお気持ちに応えていきたいと考えています。今後とも、ご指導ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。

平成20年3月13日
広末涼子
―――――――――――――(引用終わり)

子供をもうけているのに別れなくてはいけない現実。この美しい文面とは遠く隔たっているであろう複雑な心境を思うとうまくいかない人間の現実に切なくなってくる。

結婚生活をうまく運ぶことというのはそれほどに難しいものなのだろうか?
私は、お子様なのでわかりません。(今年で30歳です。)
(記者:ウェルダン穂積)


この報告文のどこが美しいのかサッパリわかりません。正直なところスカみたいな文章としか思えないのですがプロの記者ともなるとこんな駄文にも美を見出せるんですね。さすがです。


《蛇足》半年振りの記事にしては内容空虚引用過剰のお粗末、ぼちぼちmixiも飽きてきたのでこちらへ重点を移す所存(美しい?)です。


2006年02月25日 09:22

夢をありがとう感動をもらう
オリンピックや高校野球の常套句、いかにも浮ついた薄っぺらい言葉と思いませんか?「感動を与える」よりはマシですけど。

地球に優しい人に優しい
嫌いというより気持ち悪いというかこそばいというか、こんな言葉を平気で使える神経が羨ましいです。

〜になります
絶対間違いだと決めつけはしませんが「なる」にはどうしてもbecomeの意味合いを感じてしまうんですね。これもあまり好きではない「感性」の違いでしょうか(苦笑)

2005年12月26日 16:27

ミクシィ有料版のよくあるご質問から
Q.登録したカード情報を変更したい
A. カード情報を変更されたい場合には、こちらよりお手続きください。


いや、これだけではなくて最近よく目にする(耳にする)表現ですが、正しくは「変更なさりたい場合には」でしょ。丁寧語とか受動態とかごっちゃになってられませんか(笑)


2005年10月08日 13:50

何故この順番かわかりませんが囲碁将棋といいます(将棋囲碁とはいいません)。部外者からすればどちらも同じようなもので一括りにしてしまっても問題ありませんが。で、リーダーの谷川浩司検索でひっかかったのが大阪より(梅沢由香里のつれづれ日記)
ちなみに梅沢嬢は囲碁の女流棋士で、この記事には大阪で開かれた東野九段(こちらは男性棋士)の引退パーティーのことが書かれてるんですが・・・
66歳での引退‥まだこの世界では早いくらいです。そしてお強いことも十分承知しております。はっきり言って今先生と対局しても勝てる気がしないです(^_^;)


勝てる気がしないって・・・失礼にあたらないんですかね。囲碁界の事情に疎いので男性の九段と女流五段の力関係はよくわかりませんが。いや、彼女が九段をレスペクトしているのは前後の文章から充分伝わってきます。だからこそこの表現に違和感を感じてしまうわけで。。。

2005年07月23日 11:22

大した意味があるとも思えない法案が成立したらしいです。
文字・活字文化振興法、成立
国民が本や新聞など活字に親しみやすい環境の整備を図ることを目的とする文字・活字文化振興法が、22日午後の参院本会議で可決し、成立した。近く施行される見通しだ。
(中略)「文字・活字文化」とは、活字や文字で表現された文章を読んだり、書いたり、出版したりすること、あるいはその結果生まれた出版物などの文化的所産であると定義。文字・活字文化の振興策の策定と実施を、国や地方自治体の責務と定めた。
(2005年7月22日14時13分 読売新聞)

活字や文字で表現された文章って・・・そうでない文章もあるんですか?その結果って・・・何の結果?「出版したりすること」の結果が「出版物」?記者が書いたのか法案にある文言なのか知りませんがテーマがテーマなんですからもうチョッと丁寧に推敲しましょう。

法案推進派の一人がこの人です。
文字・活字文化振興を謳ってるくせにテメーの名字はひらかな表記、「こやし」や「たんぼ」という漢字の読み書きすらできない程度の支持者を何とかするのが先決ですね。

ま、どっちにしても何かの間違いで国会議員になった穀潰しどもが暇にまかせて作ったお遊び法案、そんなに目くじら立てるほどのこともありませんが。

2005年05月29日 01:33

「感動を与える」「感動をもらう」が氾濫してます。例によって各紙のサイトで検索してみるとナンボでもありました。

「まずは“学校新聞づくり”から」徳永先生の新聞教室(2)
ちなみに、私は、部員たちと作った努力目標「作って楽しく、読まれて嬉しく、読んで感動を与える新聞づくり」を生徒たちと共に意識していました。以上が心構えに関する私からのアドバイスです。
(2005年05月27日 読売新聞)

「読んで感動を与える」???感動以前に意味不明ですが(苦笑)ちなみに、この「私」は元中学校教諭。現役の若い先生にアドバイスをするのは結構ですが新聞づくりなのですからもっと言葉を大事にしてほしいですね。

こんな先生たちに教わってる生徒がこうなるのはやむを得ませんか。。。
読者の広場「感動」
(高三女子)選手は崩れ落ち、大声で泣いていた。勝負の世界には、勝つか負けるしかありませんが、彼らの後ろ姿には感動をもらいました
(高三男子)いつ頭の上に岩が崩れてくるかわからない中で、救出に全力を注いだ人たちには本当に感動をもらった
(asahi.comトップ > マイタウン > 高知)

なぜ普通に「感動しました」「感動した」としないんでしょうね、それで充分「感動」が伝わるのに。

新コーチ招き公開練習 バレー男子日本代表
植田辰哉監督は「いまはバレーボール専門の筋力を身につけさせたい。国民に感動を与えるチームにしたい」と決意を語った。
(共同)(04/11 20:55)

近代詩文書部門・県知事賞に中村さん 自分の思い、書で表現
パソコンやメールが普及するが、子供たちには想いを自分の手で書く書道を続けてほしい。私も生命感あふれる作品で、見る人に感動を与えていきたい
(毎日新聞 2005年5月27日)

ここまでくると押しつけがましさが鼻について感動どころではありません。不遜・僭越と感じるのは私だけ?


2005年04月03日 18:40

どうしても好きになれない言葉「目線」
意味もあいまいだし、字面も響きも綺麗ではないのが嫌ですね。

単なる俗語と思ってました。
俗に、映画・演劇・テレビなどで、視線。」(大辞林/三省堂)
「視線(しせん)のことを、映画、テレビ、演劇などの世界でいう。」(国語大辞典/小学館)
ところが・・・いつの間にか普通の言葉として認知されてしまったようで、一般紙のサイトで検索するといくらでも出てきます。

読売333件(検索期間6ヶ月)
朝日161件(検索期間不明)
毎日79件 (検索期間2ヶ月)
産経70件 (検索期間不明)
日経62件 (検索期間不明)

例を挙げてみます。
海老沢色「払しょく」新理事・橋本会長、清新アピール(毎日)
前の体制を払しょくし、抜け出したかった」とも述べ、選任基準を「視聴者の目線」と強調した。

全銀協「約款」変更 補償法制化に及び腰(産経)
いまだにカード被害者との溝を埋めきれない日本の銀行業界は、被害者と同じ目線で現在の状況改善の行方を見つめている、多数の預金者の目があるということを改めて意識する必要がある。

第23回朝日オープン将棋選手権本戦第10局(朝日)
森内は▲2三金から連続王手で迫り、中田は受けながらも時々目線を森内玉の方に向ける。

法務省、寝屋川事件にからみ掲示板に削除要請(日経)
大阪法務局と神戸地方法務局の共同調査により、15日夜までに氏名や目線入りの顔写真など92件の掲載を確認、同日中に電子メールなどで削除を要請した。


辞書にある「視線」という意味よりも「視点」「立場」という意味で使われるほうが多いようです。他にも「観点」「見地」「気持ち」など同じような意味を持つ言葉がいくつかありますが、そのあたりを何でもかんでもひっくるめて「目線」で間に合わせているとしか感じられません。雑というか大雑把というか。。。
「視聴者の視点」「被害者と同じ立場」「視線を向ける」のほうが綺麗だし何より意味がよくわかると思いませんか。日経の「目線入りの顔写真」にいたっては意味不明です。
言葉が時代とともに変わっていくということは承知していますし、新しいモノや概念が現れれば新しい言葉が生まれることは当然です。そのことを否定するつもりはありません。しかし文章(記事)を書くことを職業とする以上は安易に新しい(陳腐な)言葉に飛びつくことなく、より適切な言葉や言いまわしを使うように心がけるべきだと思います。

言葉を大切にすること、それが「良い記事」を書く原点ではないでしょうか。


2005年02月28日 23:15

俗語のようです。gooの辞書にもBookshelfにもありませんでした。ふーん?まあいいです。

毎日更新しているこのブログよりずーっと放ったらかしの「前田智徳に関する一考察」のほうがアクセス数が多い(苦笑)という喜ぶべきか嘆くべきか微妙な状況に思わず「死に馬に蹴られた」と叫んだ次第ながら確かに最近の記事つまらないものばかりなのも事実で言い訳が許されるなら仕事が忙しいからいや忙しいのではなく達成感が望めない後ろ向きなやってても面白くない言い換えればスッキリしないどうももやもやした気持ちが記事に出てしまってるんですね。

落込み気味のjackyhkに愛と励ましを!←甘えるなっちゅうねん!!


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