第3章 攻撃を待つ

  ここに残っていた米国人の大半は米海軍の戦艦に乗船、他の者も何時でも乗船する準備ができていた。我々の委員会に属している者達だけが、退去を拒否している。ローゼン博士が私に極秘で打ち明けてくれた事によれば、蒋介石はトラウトマン博士の提出した平和調停の提案を受け入れた由。ローゼン博士は、日本軍が南京を陥落させる前に平和が訪れることを望んでいる。
  私はHuang大佐と興味深い協議を行った。彼は、Safety Zoneには大反対だった。安全区は南京隊の士気低下に繋がる。「日本軍が占領する我々の国土の1ミリ毎、我が人民の血で覆われていなければならぬ。南京は最後の一兵まで死守されなければならぬ。あなた方が安全区など設置しなければ、今そこに移動する人々が、我々の兵士達の助けとなったであろうに」
  こんな言語道断な見解に対して、何を言うべきだったろう?この男はこれでも蒋介石の側近にある高官なのだ!要するに、お金が無い為に家族やささやかな財産を持って逃げることさえ出来ぬ人々、貧乏人は、軍隊が犯した間違いをその命で贖えと言うのだ!彼らは何故、逃亡した南京の富裕層、80万を数える市民に、ここに残る事を強制しなかったのか?何故いつもいつも、貧困に喘ぐ人々が犠牲にならねばならぬのか?
  軍隊関係者や軍隊設備が安全区から撤収する時期についても話し合った。彼の意見はこうだ。撤収は最後の最後だ、それより1分たりとも早まることはない。南京の路地で戦闘が始まった時だ!
  米や小麦粉、塩、燃料、医薬品、炊事用具その他、日本軍がやって来るまでに準備を抜かりなくしようと思ったら、あと何が必要なのかわからなくなるほどだ。医者や救急隊員、糞尿処理、埋葬、警察又はその補充隊など調達するべきものは山ほどある。というのも警察も尻込みする軍隊と一緒に撤退してしまうだろうし、そうなれば暴動の危機的な瞬間がやって来る。それなのにこれらの準備を最後の最後にしろと言うのか?
  私はHuang氏の翻意を促してはみたが、徒労に終わった。彼は支那人だ。数千人の同胞の生命など、何程のものか?奴らは貧乏人で、死ぬ以外に何の役にも立ちやしない!町の防衛についても話した。フォン・ファルケンハウゼン将軍や他のドイツ人顧問全員が、町の防衛は不可能である事を示唆していた。もちろん外面の防衛線は必要である。町一つ幾ばくの抵抗もなく明け渡すことなど、名誉を重んじるべき将軍に要求するべきでない。城壁を巡る戦闘や路地での戦闘などは大変馬鹿げた行いだ。無慈悲な大量殺戮だ!(これらの主張は)全て無駄だった。私の弁舌の才能は全然足りなかった!
  我々の名誉は、とHuang氏は続ける、最後の血の一滴まで戦うことなのだ!まあ、どうなるか見てみよう。発電所の責任者パイ氏に第一技術者のロー氏、二人ながら南京の最後の瞬間まで止まるつもりだった。発電所の稼働の為だ。発電所は機能している。誰が責任者か私は知らないし、誰からも教えてもらえない。パイ氏とロー氏はしかし、とっくの昔に逃げ出していた。