John coltrane"coltrane time"1958
john Coltrane(ts)
Kenny Dorham(tp)
Cecil Taylor(p)
Chuck Israels(b)
Louis Hayes(d).

コルトレーン・タイムは、もともとセシル・テイラー名義の
アルバムだったものを
そのままの音源の曲順を並び替え、
コルトレーン名義のアルバムにしたらしい。

そんなことには私はあまり興味がない。
それよりこのアルバムがあまり世間的に紹介されていなく、
いつものCDショップで見つけた時に
「なにこれ」
とおもって、年代、メンバーをチェックする。
58年はいわゆるコルトレーンの黄金カルテット(マッコイ、ギャリソン、エルビン)
以前の模索期。
まだ固定メンバーが定まっていない。
いわゆる私が苦手としている時期である。

ブルートレイン、ソウルトレイン、そしてジャイアントステップス。
世の中的には名盤とされるが私にはなぜか魅力にかけた時期に思える。
何故だろうか。
いわゆる彼が開眼したシーツサウンドやモードの手法ではないということだ。
悪くはないがどうしても少し飽きる。
飽きるという言葉が出ると私は急に効かなくなる。
要するに新しい何かの発見がもうないということだ。
私はなぜ音楽を聴くのか。
それは安住を求める時もあるかも知れない。
しかし大きな目的は
刺激であり、発見であり、興奮である。

飽きた食べ物に誰が興奮する。

そしてこの度のアルバム。
「コルトレーンタイム」

メンバーが良い。
セシルテイラー。
実は彼のリーダー作はあまり聞いていない。
このアルバムで彼の役割は「モンク」的な存在であろう。
コルトレーンやドーハムが真面目にモダンなアドリブを繰り返す。
しかしその合間合間にいわゆる「不協和音」が。
これがたまらない。
ドーハムはいらないことを一切せず黙々とモダンアートに徹している。
これが良い。
TPはちょっと油断すると吹きすぎたり調子に乗ったりする。
それを極力抑えたプレイは思わずニヤリとする。
コルトレーンもしかりである。
まだシーツサウンドは出てこない。
よって真面目に曲調に沿ってプレイをしている。
セシルが「なんだ」とばかりにモンク和音を入れてくる。
挑発的だ。
2曲目のジャストフレンズなんかは軽快で清々しい曲調と
メロディーであるが、崩しまくりである。
この曲に至ってはコルトレーンやドーハムもメロディーを崩している。
ロイヘインズとチャックイスラエルは黙々と下プレイに徹している。

それで良い。

このアルバムはやはりセシルテーラーのアルバムだったのかも。
それが正解だったのか。
売れなくてもいいじゃないですか。
とはいえ私もセシルのアルバムだったら、手にもとっていないかもしれない。
コルトレーンの名前で売った。
正解かもね。
売るだけならね。
でもやっぱりこのアルバムに流れている血は間違いなくセシルの血なんだよね。
だからいい。
このアルバムはだからいい。

セシルが言ったのかも。
吹きすぎるなよ。

アルバム全体おおおう雰囲気は私の心と興味を鷲掴みにして離さない。
いいアルバムだ。
セシルのアルバムも研究しよう。