
年末に今年一番の映画が来た
ここ1,2年間、ハリウッド映画に元気が感じられなかったが、今年は割とできのよい映画が続けて公開された。本ブログで気持ちよく☆4つをつけれる映画が出てきた年であった。そして年末も押し迫った今に公開された本作は、今年一番の映画となるようだ。いや数年に1本の名作映画であると言ってもよいだろう。
SF映画には、10年に1本ずつ、その後の映画に多大な影響を与える不朽の名作が登場すると思っている。
60年代の2001年宇宙の旅
70年代のスター・ウォーズ
80年代のブレード・ランナー
90年代のマトリックス
といったラインナップだ。
2000年代はもうそんな映画が出ないのかもしれない、と思っていたが、ひょっとしたらこの映画こそが、2000年代の名作となる映画なのかもしれない。
あらすじ
戦争で負傷し下半身不随となり車いす生活を余儀なくされた元海兵隊員のジェイク(サム・ワーシントン)。ある時、彼は“アバター・プロジェクト”にスカウトされる。それは、地球から遥か彼方の衛星パンドラで、莫大な利益をもたらす希少な鉱物を採掘するための事業。そのために、人間に有害なパンドラの環境で活動できるよう先住民ナヴィと人間のDNAを掛け合わせた肉体“アバター”が造られていた。そしてジェイクに課せられた任務は、そのアバターに意識をリンクさせ、遠隔操縦によりパンドラで生活し、ナヴィ族との交流を図ること。アバターを介してついに身体の自由を得たジェイクは、さっそく神秘的なパンドラの森へと足を踏み入れ、やがてナヴィ族の美しい女性ネイティリ(ゾーイ・サルダナ)と運命的な出会いを果たすのだが…。(allcinemaより)
西部開拓時代に原住民であるアメリカ・インディアンの酋長の娘に恋した砂金掘りが、インディアンの村を開拓民の攻撃から守る、みたいな話である。
もしジェイクが半身不随でなければ、ナヴィの世界で生きようと考えただろうか。現実の不満が、ジェイクを虚構の世界に走らせたに過ぎないのではないだろうか。
映画が終わった直後には、そんなことを考えた。
海兵隊員だったというジェイクは、おそらくオチこぼれの学生時代を過ごしていたのではないだろうか。双生児の弟としての彼は、優秀な兄の存在の陰で「兄と同じ顔をした兄ではない人」、いわば、兄の分身(アバター)のような存在として扱われ続けてきたのではないだろうか。
衛星パンドラにやってきたのも、アバター・プログラム開始直前に休止した兄の代理としてである。兄と同じDNAを持つ弟なら、ナヴィとの神経のシンクロの可能性も高いだろう、という理由で、ジェイクはこの星に送り込まれたのだ。
その彼が、ナヴィの体に入り込み、自分が「アバター」としてではなく、一人のナヴィとして認められる。アバターがアバターとなること、つまり、マイナス×マイナスが+となるように、ナヴィの世界にジェイクは自分の居場所を見つけることができた。
ジェイクにとって「アバター」は理想郷だったのだ。
こういったストーリーが、どこからどこまでがCGなのか判別がつかないほど精巧に作り上げられた映像で語られる。
「どこからどこまでがCGなのか判別がつかない」と書いたが、実は全編がCGなのだろう。しかし、CGを使っていることを全く意識させない映画である。とても不思議な気分である。本作は、「2012」「スター・トレック」「トランスフォーマー/リベンジ」など、最近次々と公開されているCG作品の傑作映画とは異なり、CGを使っていることが映画を観る上で障害となっていない映画なのである。
それらの映画は、一部分だけが巧妙なCGで作り込まれていることによりその部分が浮き上がってしまい、結果的にCGであることを必要以上に意識させる。アバターは、全編が途切れなくCG化(それもきわめて精巧なCG)されており、そのことがこの映画成功させている理由の一つだろう。
とはいえ、そのCGは全く自己主張していない。自分はファンタジックなストーリーをリアルに見せるための手段に過ぎずメインは語られているストーリーなのだよ、という謙虚さが、本作でCGが鼻につかない理由なのである。
CGは、映像化された結果としての「特撮」という言葉を失った歴史的作品となったかもしれない。ここに来てとうとう極められたと言ってよいだろう。
そういった意味で、本作は、10年に1本の歴史に残る傑作映画である。
アバター 公式ホームページ
jamsession123goの評価
エンタメ度 ☆☆☆☆☆(星5つ)
テーマ性 ☆☆☆☆(星4つ)
jamsession123goの私的映倫
Erotic度 ○(子どもでも大丈夫)
Violence度 ○(子どもでも大丈夫)
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jamsession123goの映画インデックス
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戦争で負傷し下半身不随となり車いす生活を余儀なくされた元海兵隊員のジェイク(サム・ワーシントン)。ある時、彼は“アバター・プロジェクト”にスカウトされる。それは、地球から遥か彼方の衛星パンドラで、莫大な利益をもたらす希少な鉱物を採掘するための事業。そのために、人間に有害なパンドラの環境で活動できるよう先住民ナヴィと人間のDNAを掛け合わせた肉体“アバター”が造られていた。そしてジェイクに課せられた任務は、そのアバターに意識をリンクさせ、遠隔操縦によりパンドラで生活し、ナヴィ族との交流を図ること。アバターを介してついに身体の自由を得たジェイクは、さっそく神秘的なパンドラの森へと足を踏み入れ、やがてナヴィ族の美しい女性ネイティリ(ゾーイ・サルダナ)と運命的な出会いを果たすのだが…。(allcinemaより)
西部開拓時代に原住民であるアメリカ・インディアンの酋長の娘に恋した砂金掘りが、インディアンの村を開拓民の攻撃から守る、みたいな話である。
もしジェイクが半身不随でなければ、ナヴィの世界で生きようと考えただろうか。現実の不満が、ジェイクを虚構の世界に走らせたに過ぎないのではないだろうか。
映画が終わった直後には、そんなことを考えた。
海兵隊員だったというジェイクは、おそらくオチこぼれの学生時代を過ごしていたのではないだろうか。双生児の弟としての彼は、優秀な兄の存在の陰で「兄と同じ顔をした兄ではない人」、いわば、兄の分身(アバター)のような存在として扱われ続けてきたのではないだろうか。
衛星パンドラにやってきたのも、アバター・プログラム開始直前に休止した兄の代理としてである。兄と同じDNAを持つ弟なら、ナヴィとの神経のシンクロの可能性も高いだろう、という理由で、ジェイクはこの星に送り込まれたのだ。
その彼が、ナヴィの体に入り込み、自分が「アバター」としてではなく、一人のナヴィとして認められる。アバターがアバターとなること、つまり、マイナス×マイナスが+となるように、ナヴィの世界にジェイクは自分の居場所を見つけることができた。
ジェイクにとって「アバター」は理想郷だったのだ。
こういったストーリーが、どこからどこまでがCGなのか判別がつかないほど精巧に作り上げられた映像で語られる。
「どこからどこまでがCGなのか判別がつかない」と書いたが、実は全編がCGなのだろう。しかし、CGを使っていることを全く意識させない映画である。とても不思議な気分である。本作は、「2012」「スター・トレック」「トランスフォーマー/リベンジ」など、最近次々と公開されているCG作品の傑作映画とは異なり、CGを使っていることが映画を観る上で障害となっていない映画なのである。
それらの映画は、一部分だけが巧妙なCGで作り込まれていることによりその部分が浮き上がってしまい、結果的にCGであることを必要以上に意識させる。アバターは、全編が途切れなくCG化(それもきわめて精巧なCG)されており、そのことがこの映画成功させている理由の一つだろう。
とはいえ、そのCGは全く自己主張していない。自分はファンタジックなストーリーをリアルに見せるための手段に過ぎずメインは語られているストーリーなのだよ、という謙虚さが、本作でCGが鼻につかない理由なのである。
CGは、映像化された結果としての「特撮」という言葉を失った歴史的作品となったかもしれない。ここに来てとうとう極められたと言ってよいだろう。
そういった意味で、本作は、10年に1本の歴史に残る傑作映画である。
アバター 公式ホームページ
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