蛇乃目伍長の「エアフォースの英国面に来い!」 Mk.2

歴史に埋もれたヘンな物偏愛ブログ。ただし基本 拾い食いなので安全性(信憑性)に関しては注意だ!

ジーザスは水上を、メジェド様は水中を歩く

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うむ、メジェド様だけど両脚の間にを引きずっているが神様らしくない。……狸?

これは1616年にドイツのフランツ・ケスラーFranz Kesslerが考案した潜水服だそうです。→
「Wasserharnisch」という名前が付いています。(「wasser」→「水」、「harnisch」→「鎧」(鎧というより胸甲?))
件の玉はバラストの役目を果たす鉄球なのでしょう。

発想的には古代からある潜水鐘(Diving Bell)をウェアラブルにアレンジした物と言えます。
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Wasserharnischはやはり1616年に実際に作られたと言われています。
ただし上のリンクの解説によると「不用意に動くとひっくり返ってダイバーが溺死してしまった」と伝えられているそうです。

フランツ・ケスラーさん、本職は肖像画家→ …肖像画家?
その他にも学者、発明家、錬金術師と、ああなるほどダ・ヴィンチみたいな人なのね。

カルタゴ(1959年)

現在あるものを翻訳しています。

その中に映画の話題が出てきてかなりの駄作として「カルタゴ」(CARTAGINE IN FIAMME 1959年イタリア、米国公開タイトルCARTHAGE IN FLAMES)という作品が挙げられていました。

古い映画なんで全く知らなかったんですが70ミリで製作された大作だったようで。→
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ポスターの下の方にもいますがヒロイン役のアン・ヘイウッド。エロス!

とにかくひどい扱いの原文をググる先生に放り込んで日本語訳していたらですね。
Google 翻訳
Google 翻訳03
コワイ!…まるで筆者さんの怒りが乗り移ったのかのような恐ろしい結果が出てきました。
ホントにこうなります。
下の文をグーグル翻訳にかけてみてください。
Characters on the screen would race their chariots from the right to the left and then back again, over and over.

ふと思ったのですがネットで自然発生した情報知性がAIによって「口寄せ」される、という事は近い将来ありえそうですね…。

こんなオカルトめいた事態が起こるくらいヒドイ映画なのか?と俄然興味が湧いてきました。
探したらなんと「カルタゴ」はYouTubeにあります→

さらっと観てみましたが上の文にあるような「戦車レースで何度も何度も右から左に」というシーンは無いみたいなのですが。
…だとしたら筆者さんの観た映画とは一体…?

四角い砲艦がまぁ~るくノヴゴロドしまっせ

前回からの脱線です。フョードル・ウシャコフについて検索していたらこんな物が出てきました。
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四角い・・・

ロシアの特異な形状の艦艇というと砲艦ノヴゴロドが有名ですが
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こちらの四角い艦艇はノヴゴロドよりも1世紀前の18世紀後半にロシアが使用しました。

艦種自体の登場は17世紀後半のスウェーデンまで遡ります。
大型砲を40門前後装備したいわば「浮かぶ砲台」であり、北方戦争(1655~1661年)で沿岸部の攻撃に使われました。

ロシアでは18世紀の大北方戦争(1700~1721年)で初めて使用されました。
ウシャコフは大尉時代の1772年に黒海でこの砲艦の艦隊を指揮していたそうです。
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一応、帆が見えますがその船足は遅く、もっぱら他の船に曳航されていたためかロシア語では「прам(乳母車)」と呼ばれていました。

大砲を仕込んだ乳母車…
巨大拝一刀と巨大五郎…!
「しとしとぴっちゃん」は河から揚がってきたときの水垂れのオノマトペだったのか!

LPL飛行潜水艇は実在した計画なのか?

2009年7月のエントリ「飛行潜水艇の系譜」でソ連1930年代の計画としてB・P・ウシャコフさんのLPL飛行潜水艇を紹介したのですが。
◎ウシャコフ(B. P. Ushakov)LPL Flying Submarine
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ゼルツィンスキー(Dzerzhinsky )軍事・技術アカデミーの士官候補生だったB.P.ウシャコフがこのアイディアを提唱したのが1934年。
数カ月後、このプロジェクトは軍事科学調査委員会(NIVK)によって承認された。

概要は「乗員3人、1000馬力のAM-34エンジン3発で飛行し、潜水時は1200馬力のバッテリーモーターで航行、離陸総重量は15000kg」というものだった。
計画値での飛行最大速度は100~200km/h、洋上航行速度:4、5ノット 水中航行速度:2、3ノット。武装は魚雷が2発。
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「ウシャコフさんその後まさか粛清されたりしてないだろうか?」と消息が気になっていたのですが。

最近になって何気なく「Б. П. Ушаков」で検索したところボリス・ペトロヴィッチ・ウシャコフ
Борис Петрович Ушаковという人物がヒットしました。
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◎ボリス・ペトロヴィッチ・ウシャコフ
細胞生理学(Cell Physiology)の専門家、生物学でも新しい分野である細胞生態学(cytoecology)のパイオニアの一人でもある。

1916年ペトログラード(現サンクトペテルブルク)生まれ。
1930年に第217ソ連統一労働学校に進学。しかし9年生の時に反革命活動の容疑でOGPU(Объединённое государственное политическое управление連邦政治管理局?NKVDの下部組織で自警団のようなものらしい)に逮捕され、57日間にわたって拘留されたこともあった。
1935年に卒業後、1937年にレニングラード大学の生物学部に入学した。
1941年、細胞生理学課程修了後、志願して前線に赴く。
戦後はレニングラード大学、ソ連科学アカデミー生物学研究所に勤務。
1957年から1986年の死去まで比較細胞学研究所の所長を務めた。

彼の研究で最も有名な物は「動物細胞の熱適応」である。
異なる熱条件下に存在する異なった生物種の細胞とタンパク質の関係の研究により変温動物の新しい生理的概念を提唱した。
近年は環境温度の変化に応じた個体およびその細胞の表現型特性の変化を研究していた。
これらの研究は、細胞学、生態学的生理学および遺伝学の問題をカバーし、生理学および生化学の方法による微少進化および種分化のメカニズムの調査を容易にする、科学、人口生理学の新しい分野への基礎を築いた。

1986年4月28日に死去。遺体はレニングラード(現サンクトペテルブルク)の墓地に埋葬された。
(ソースはこちら→ とこちら→
全然畑違いの人だ!
「ゼルツィンスキー軍事・技術アカデミーの士官候補生」の「Б. П. Ушаков」となるとほぼLPL飛行潜水艇関連の記事ばかりでその人の経歴は出てきません。

(余談ながらウシャコフ姓には海軍に縁深い人もいます。18世紀の海軍大将で2000年に守護聖人に列せられたフョードル・ウシャコフがそう)


もちろん同姓同名の人がいたからとどうこう言える訳でもないのですが
「というかLPL飛行潜水艇の出典ってどこなの?」
という疑問がここから立ち上がってきてしまいました。

明確に出典を列記している記事はこちら→だと思います。

まずA・E・タラス著『小型潜水艇1914―2004』(2004年)
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Тарас А.Е. "Сверхмалые подводные лодки 1914 - 2004", Харвест, Минск, 2004г)

B・A・レスニチェンコ&A・H・グセフ著『航空機と潜水艦』(2001年)
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Лесниченко В.А., Гусев А.Н. «Самолет и подводная лодка», Галея Принт, Санкт-Петербург, 2001г)

おそらく
『小型潜水艇1914―2004』を情報ソースとして2006年にヒストリーチャンネルでLPL飛行潜水艇が紹介され、世界的に知られるようになったのでしょう。

そして一番古い出典とされているのが航空雑誌『
Вестник Воздушного Флота』の1995年第3号に掲載されたG・ペトロフ氏の『飛行潜水艦Летающая подводная лодка』という記事。
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(↑残念ながら一番近い第4号の画像しか見つけられませんでした)

…えーと、つまりはLPL飛行潜水艇に関してこれ以上さかのぼった資料は無いという事になるのでは…?

と思ったら意外なところから「震源地」と思しき物が出てきました。
英語で「russian flying submarine」を検索したところGoogleブックスのJ・N・ウェストウッド著 『ロシアの海軍建造物1905-1945』"Russian Naval Construction, 1905-45"  1994年)の記述がヒットしたのです。→

In 1938-41 maniacal projects had a chance of being taken seriously in the USSR, but the Navy was relatively unaffected.
But there was one project for a 15-ton flying submarine which,among many other feats, would reach a height of 2500-metres in the sky and a depth of 45-metres in the sea.
Specialists, no doubt warily, pronounced the design promising, but somehow it was never built.

1938〜41年のソ連では狂気じみた計画が真剣に採り上げられる機会が複数あった。しかし海軍は比較的冷静だった。
それでも数多くの計画の中から15トンの飛行潜水艇計画(高度2500メートルを飛び、水深45メートルを潜行する)が浮上した。
専門家の(間違いなく)慎重な意見として有望なデザインであると断言されたが、なぜか建造される事はなかった。
これだけです。
ごく簡素な記述でLPLやウシャコフといった名詞は出てきません。
ただし重量が15トンという数値はLPLと共通しています。
(※ちなみに同時代の代表的3発機であるユンカースJu 52が後期型3mg7eで空虚重量6.5t、全備重量9.2t、最大離陸重量11tです)

そして何が出典であるのかの情報もありません。
著者のJ・N・ウェストウッド氏はバーミンガム大学ロシア・東欧研究所名誉研究員とあります。何がしかの資料があったと思うのですが…。

アヤシいロシアの背後に英国の影あり(笑)


こういう事例で思い当たるのは1909年に科学雑誌「サイエンティフィック・アメリカン」で紹介された中国の官吏ワン・ツーの話です。→
この出典が不明な「椅子に大量のロケット花火をくくりつけて宇宙に行こうとした男」という話は1945年にハーバート・ジム著『Rockets and Jets』に明代のワン・フーという名前で再録され、中国にも紹介され、ついには月のクレーターの名前にもなりました。

あんすとっぱぶるぷれじゃーまっすぃーん

米国パテントUS 6293874 B1→が地獄。
US06293874-20010925-D00000
出願名称は「使用者のケツを蹴るために使用者が操作する娯楽装置(User-operated amusement apparatus for kicking the user's buttocks)」

出願日が2000年1月4日…。
こんな21世紀、僕は望んでいなかった!!


US06293874-20010925-D00004

「設置方法を変えてもいけるよ?」
やーめーてー!

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