蛇乃目伍長の「エアフォースの英国面に来い!」 Mk.2

歴史に埋もれたヘンな物偏愛ブログ。ただし基本 拾い食いなので安全性(信憑性)に関しては注意だ!

太平洋戦争最後の大規模空戦

最近「POW研究会」さんの事を知りまして。
「研究報告」の「本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士」の項目で東部軍管区(関東・甲信越)において8月15日に墜落機体と戦死・行方不明者が集中しているのが目に止まりました。

特にF6Fが3機、「神奈川県厚木飛行場と空母ヨークタウンの間」で墜落、搭乗者行方不明となっているのが印象的です。
幸いにも機体番号も記載されているので検索したところ、全て空母ヨークタウン(CV-10)所属のVF-88のF6F-5である事が分かりました。

そしてVF-88とヨークタウンの行動記録を探した所、なんと国会図書館の電子アーカイブに「Actions covering attacks on aircraft, shipping, and strategic targets in northern Kyushu, Shikoku, Tokyo Plain area, northern Honshu, and southern Hokkaido, from 2 July 1945 to 15 August 1945」というレポートがありました。→

当時、空母ヨークタウンは第38任務部隊第4機動部隊(Task Force 38.4)として日本全土に対する艦載機空襲を行なっていたのです。
そしてこの8月15日早朝には関東周辺の航空基地を目標とした作戦が予定されていました。VF-88はその先陣として出撃。そして日本軍の迎撃部隊と大規模な空戦となったのです。


以下、レポートを元にした時系列を列記していきます。
0415時
東京地域の航空基地(所沢、厚木、高萩など)を目標とした掃討戦闘機第1波(fighter sweep, first)の発艦。
第38任務部隊 第4機動部隊(Task Force 38.4)の空母ヨークタウン(CV-10)からVF-88のF6F-5 12機が発艦。空母ワスプ(CV-13)、シャングリラ(CV-38)からもそれぞれ12機ずつのF6Fが発艦した。主翼下にロケット弾を装備。掃討戦闘機群は第4波までが予定されていた。

0527-0549時
ヨークタウンから打撃第1波(first strike F4U 12機?)が発艦。
ヨークタウン戦友会のサイト内にVF-88のページがありまして、ここにはマーリー・プロクターMaury Proctor中尉が自機に8ミリカメラを持ち込んで撮影したカラー映像が紹介されています!(30分24秒からが8月15日の映像です)
Return of the Fighting Lady03 - YouTube
(動画にリンクしています)

3_62
(VF-88のカラーリングとコードレター)

0630時
太平洋艦隊司令から第3艦隊司令に対して日本に対する作戦行動の中止が通達される。

0635時
攻撃部隊に対して攻撃中止命令が伝えられる。
しかしこの時点で掃討戦闘機第1波は厚木近傍まで進出しており、0710時、日本の迎撃部隊との戦端が開かれていた。
興味深いのは午前8時過ぎに日本政府の降伏が米軍内に告知されるのですが、日本政府からの通達自体は6時30分の段階ですでに米太平洋艦隊本部に対してなされていたのが窺える事です。
しかし現場の部隊は交戦状態に入ってしまいました。
ハワード・ハリソン大尉指揮下のF6F-5 6機が厚木基地近傍で迎撃の日本部隊と遭遇しました。
迎撃に上がった日本軍機は零戦8機、雷電4機、その他に紫電改、陸軍の四式戦疾風、隼など15~20機とされる。
空戦の結果VF-88のF6F-5 1機(Bu.No.77458)が第三〇二海軍航空隊の森岡寛大尉操縦の零戦との空中戦で撃墜され、機体は横浜市戸塚区名瀬の畑に落下した。
パイロットのユージーン・マンデバーグEugine Mandeberg少尉は脱出したが死亡。遺体は妙法寺墓地に埋葬された。

米軍側の被害はVF-88に集中していた。
F6F-5(Bu.No.78065)ジョセフ・サーロフJoseph Sahloff中尉がMIA(マーリー・プロクター中尉の証言では雷電による撃墜)
F6F-5(Bu.No.78244)ライト・ホッブスWright Hobbs少尉がMIA(空戦によるとみられる)
F6F-5(Bu.No.79592)ハワード・ハリソンHoward Harrison大尉がMIA(空戦によるとみられる)

米軍報告(こちらの15ページ)による日本側の被害は
四式戦疾風 5機、一式戦隼 1機、雷電 3機、97式艦攻(?報告書表記は「Kyrt」でKateのタイプミス?)3機。
97式艦攻とされる機体は動画の方で固定脚のように見えるので三菱製かもしれません。(97式戦か99式襲撃機の可能性もあります)
Return of the Fighting Lady05 - YouTube

三〇二空の報告では田口光男大尉を含む3機が撃墜されたとされています。(→
一方、雷電を出撃させた部隊や疾風をはじめとする陸軍部隊の戦闘詳報は残されているのかも不明です。

0803時
日本政府が無条件降伏を受諾したとの告知がなされる。

0830時
掃討戦闘機第1波の帰還。
日本の迎撃部隊と交戦したVF-88 6機の生還機はマーリー・プロクター中尉とマーヴィン・オドム中尉の2機だけでした。
Return of the Fighting Lady01 - YouTube
上記の動画でも穴だらけの機体の様子が写されています。

日本側はこの時点で第38任務部隊の位置を特定したとみられます。
1123時
ヨークタウンのCAP機が彗星(Judy)1機を撃墜。

1305時
ヨークタウンのCAP機が2機の彗星と1機の零戦(Zeke)を撃墜。

1315時
艦隊は120度転進して戦域を離脱開始。

1330時
ヨークタウンのCAP機が彗星1機を撃墜。
action report p33 CV-10 action Aug 15 1945
上記国会図書館アーカイブの「Actions covering attacks on aircraft, shipping, and strategic targets in northern Kyushu, Shikoku, Tokyo Plain area, northern Honshu, and southern Hokkaido, from 2 July 1945 to 15 August 1945」の33コマ目


どうもこの日には米英協同の大規模な艦載機空襲が予定(一部が実行)されていたようで、脱出した英軍パイロットが(玉音放送後にもかかわらず)処刑されてしまう「一宮町事件」なども起こっています。

本日の19世紀末VRサイクリング画像

cycle_by_william5112-d8y58rb
米国「The Wheel and cycling trade review」誌、1888年1月15日号の一コマ戯画→

ゴーグルには「CINEMATOGRAPH」とあります。
…フィルムなのか(この時代にそれ以外にどうしろと?)…。

送風機の高さ(or角度?)調整に本を積んでたりするのが微笑ましいです。
この点からすると発明や技術予想というよりも「将来的には工夫すればこういうことも出来るようになるかもよ?」というニュアンスとも取れます。ところで当時、映写機にハンディサイズな方向を目指す動きというのはあったのでしょうか?

50万アクセスありがとうございます

超えました!
昨日で50万アクセスとなりました。ありがとうございます!

…もうちょい先だと思ってたのに~。

とはいえいつもの如く御礼企画みたいのは全然考えてなかったのですが。

現在ちまちまと調べているのは英国の海上要塞です。
有名なのはテムズ川沖のマンセル要塞群ですが
IMG_5912_1

ポーツマスとワイト島の海峡(ソレント)にあるソレント要塞群もいいですね。
19世紀的頑丈さで造られているため、現在はノーマンズランド要塞とスピットバンク要塞がホテルに改装されて営業しているそうです。
No-Mans-Fort-1024x683
(ノーマンズランド要塞)

Spitbank_Fort_2012
(スピットバンク要塞)

…こちらは「プリンセスプリンシパル」に出るでしょうか…?

DEWラインアドベンチャー 第8回

(この記事はDEWラインでレーダー監視員を勤めた(1960~63年)ブライアン・ジェフリー氏のサイト「DEWLine Adventures -Adventures from the Coldest Part of the Cold War-」の翻訳です)

長らくお付き合い頂いたDEWラインアドベンチャーも今回が最後です。

今回、冒頭にDYE-Mainが登場します。
DYE-Main自体は他のメイン・ステーションと同様の作りなのですが、補助ステーションであるDYE-2および-3はグリーンランドの内陸部に位置するためか他のステーションとは異なるデザインです。
dye-2_1964
(DYE-2)

Dye32006
(DYE-3)
この「ひみつ基地」感!
他のステーションでは建物とは独立しているステーション間通信用のAN/FRC-47(もしくは-101)アンテナが建物の一部にビルトインされています。
icecaplayout
発電用の油類タンクも地下(氷下?)に埋設されるなど徹底しており、この地の自然環境の厳しさが窺えます。

2009年に放棄されたDYE-2を探検する動画がありました。「物体X」な不穏な空気が満ちていてなかなかいい感じ。
inside DYE-2_02
(動画にリンクしています)



Distant_Early_Warning_LineEmblem

・最後にもう一度
おそらく悪天候のため北へ戻る旅はFOX-MainではなくDYE-Mainへの到着となった。私と何人かの同行者は飛行場脇のジェイムズウェイハットに泊まり、FOX-Mainへの「横空輸」を待っていた。
DYE-Mainの主モジュール群は8マイル離れた所にあったが仕事を押し付けられるおそれがあったのでそこに行くのは避けていた。それゆえ特にやる事もなくテントに足止めされる形となっていた。
DYE-Main_airport
(DYE-Mainとその玄関であるダイアー岬空港)

そのうちとある新顔がドランブイDrambuieの大きなボトルを持っていることが明らかになった。
360px-Drambuie
(アルコール度数は40度!)

ふてぇ娑婆造だ! 詳しいやり方は言えないが、我々はDEWラインでいかにサバイブするかの情報と引き換えに彼の「毒消し薬(snake-bite medicine)」を供出させる事を確約させた。

とは言え。リキュールグラスで1、2杯がふさわしい種類の酒をコップでなみなみ2杯もやれば蛇も含めて全てが死ぬ。全員がひどい二日酔いとなって目を覚まし、取るものもとりあえずFOX-Mainに向かうDC-3に乗り込んだのだった。これから気流にもまれて「家」に向かう飛行機に這うように乗り込む一団はとても楽しげな旅行者には見えなかっただろう。


・再びの我が家
2度目の再契約の後半戦開始場所はFOX-Mainだった。DEWラインの地を初めて踏んでから25ヶ月ぶりだ。年はとったが相応の知恵が付いたかは定かではない。いずれにせよ支援ラディシャンとしての仕事を開始する時が来たのだ。

AN/FRC-45トロポスキャッタシステム(※Tropospheric scatter:対流圏散乱伝播)は各サイトを接続し情報を転送するために使用された24多重通信チャネルの横方向無線システムだ。このシステムは月に一度「並列化」しなければならず、これは各補助サイトのラディシャンの努力と連携を必要とする大掛かりな作業だった。

このイベントにおけるメインステーションの支援ラディシャンの役割は、オーケストラの指揮者のような物だった。もちろんそれだけではとても労働集約的とは言えないのでモデル740E PBX電話交換機の点検責任も割り当てられた。交換器の中はステッピングリレーがいっぱいに詰まっており手を付けないのがベストなのではと思えた。

予防的メンテナンスの手続では半年ごとにリレーを磨く事が求められていたが、私はすぐに「壊れていなければ直す必要も無い」という哲学がしっかりと実践されている事を学んだ。手続どおりにリレーの接点を磨こうとすれば深い悲しみに見舞われるだけだろう。電話がかけられなかったり、通話が途切れたり、その事で人々が怒ったり…やぶへびにならないようにする(let sleeping dogs lie)のが一番だ。

また、電話交換の仕事があるという事は他人の会話を盗み聞きして時間を潰せるという事でもある。正直に言えばそれは大して面白い物ではなかったが退屈を和らげる位の役には立った。むしろ回線状態のチェックの手段だったと言える。

原則的に交換器の保守を担当するラディシャンは永続的にその仕事を任されていた。私は新たな機器の技術を習得する「スリル」が静まるとあとは他人の会話を聞いてもすっかり退屈になっていく、そんなパターンに陥っていった。あまりにも型どおり、それが分かったのだ。


・より科学的な実験
いくつかの不可解な理由 ―おそらくは倦怠によるものだろうが― から私は毎日どれくらい寝る事ができるのかを検証し始めた。
午前7時30分に起きると8時からの日中のシフト開始前に朝食をとる。そして午後4時にシフトを終えると夕食の前に1、2時間横になる。夕食後は映画鑑賞や読書などをせずに翌朝7時30分まで眠るのだ。
24時間明るいので窓に毛布を打ち付けて塞いだ。このパターンを数ヶ月続けてみた。

すると明確になったのは1日に15時間眠るようになっただけでなくそれに足りない時は完全に寝ぼけた状態になったという事だった。自分自身を悪い生活(睡眠)パターンに陥らせていたのだ。

結局、これは愚かな実験だと気付いたので別の実験に切り替えた。今度は屋外に出ないようにする事だった。

メインサイトは運輸省から派遣された気象観測者がいたのでラディシャンが毎時間の気温チェックのために外に出る必要が無かった。また、作業エリアはモジュール内だしモジュール同士も屋根付きの通路で接続されていた。つまり望まない限りは外に出る必要が無いのだ。…ただ私はいくつかのくだらない理由で外に出ようとはしなかった。

この愚かな「科学的実験」に終止符を打つまでの4ヶ月間、私は屋内に居つづけたと思う。


・キューバ危機
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キューバミサイル危機が起こったのは私がFOX-Mainにいた期間だった。業務内容での際立った変化はシフトごとのコンソール監視が倍増したことだ。
各ステーションには2基のAN/FPS-19レーダー(アッパービーム、ローワービーム)があった。2つのアンテナは背中合わせに直径25ftのレドームに収められ、1分間に360度回転するようになっていた。走査結果はコンソールルームの2つのスコープに「描出」される。

私たちは通常、ローワービームの表示である右側のスコープのみを監視していた。しかしキューバ危機の間はコンソールに2人のラディシャンが就き、1人がローワービーム、もう1人がアッパービームをモニターした。(※アッパー、ローワーがレーダーで監視している高度だとすると…普段は低空しか監視していなかったという事だろうか?)
SAC(Strategic Air Command)の動きも目立って増加していた。

南にいる人々がこの危機にどう反応していたか、どのように受け止めていたかは分からない。しかしここDEWラインではかなり深刻に受け止められていた。何人かはこの事態が終わった時に南に帰るべき家が残っているのだろうかと真剣に考えていた。北極圏に孤立してしまう可能性もあった。非常に緊張した2週間だった。

私はというと空き時間にエスキモー語を勉強し始めていた(ウソ)


・SACのB-52と交信する
戦略航空軍団(SAC)の航空機は即座に「敵」を攻撃できる体制で北極上空をうろつき回っていた。EAM(Emergency Action Message)だけが彼らの行動を止める事ができる。

当時流行りだった悪夢的シナリオは『SACのB-52爆撃機が間違った「GO」シグナルを受けて第三次世界大戦が開始される』という物だった。これは1962年に発表され、1964年にヘンリー・フォンダ主演で映画化された小説「未知への飛行(Fail Safe)」によって形作られた恐怖だった。
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(小説の掲載はサタデーイブニングポスト誌。イラストは宇宙絵画で有名になる前のロバート・マッコール!)

映画では電子機器が故障によって動作不良を起こし、機長がGOコードと誤判断するような指令コードが表示された事でロシアの目標にコースをセットするという展開だ。上層部は機を引き返させようとするが、大統領(ヘンリー・フォンダ)が直に無線交信をしても機長に重大な間違いが起きているのだと納得させることができない。

この後に何が起きるかはおそらくあなたも知っているだろう。もしそうでなかったらこの古典作品をいつか見る時のためにネタばらしは避けておこう。

実際の「フェイルセーフ」システムを知る人間ならこのシナリオを一笑に付す事ができるだろう。「フェイルセーフ」とは装置ではなく無線で伝えられる声によるゴー/ノー・ゴー(EAM)メッセージだからだ。

しばしば我々は誰が聞いているのかわからないEAMを送信する事があった。これは大抵はコードが変更された時だ。まれにSACの航空機の求めに応じてEAMを送信する事があった。

典型的なEAMメッセージは次のような物だった。

"Skyking, Skyking, do not answer, do not answer. Charlie November. Time, three four. Authentication, Oscar Papa. I say again. Skyking, Skyking, do not answer, do not answer. Charlie November. Time, three four. Authentication, Oscar Papa.  Out.”

(スカイキング、スカイキング、応答不要、応答不要。チャーリー、ノーベンバー。時間、3-4。認証、オスカー パパ。繰り返す。スカイキング、スカイキング、応答不要、応答不要。チャーリー、ノーベンバー。時間、3-4。認証、オスカー パパ。交信終わり)

あくまで当時の物として話を進めると、EAMメッセージはまず
①ゴー/ノー・ゴーを表す2文字のコード(この場合はチャーリー、ノーベンバー)、
②時間を分・時の順(3-4)、
そして③2文字の認証コード(オスカー パパ)である。認証コードは分に関連付けられ、毎分変更されていた。

時おりSACの航空機から「交信」がないかを無線で尋ねられる事がある。その場合は自分の戦術コールサインと共にEAMを上記と同じフォーマットで送信する。
もししくじって間違った認証コード伝えた場合、航空機側から即座に「Authenticate 05(あるいは他の番号)」が要求される。この場合、「少し待て(※Stand-by one:oneは「one minute」の略らしい)」という返信を行なわずにすぐにコンソールに設置されたその日のコードシートで現時刻の「05」の認証コードを確認し、その2文字コードを伝えるのだ。


・戦術コールサイン
DEWラインの各サイトにはその地理的位置に即した通常コールサインがあった。例えばFOX-Mainが民間航空会社と交信をする時の航空/地上コールサインは「ホールビーチラジオHall Beach Radio」または単に「ホールビーチ」だった。これがSACの航空機と交信する時の戦術コールサインは「スタッグハウンドラジオStaghound Radio」だった。
思い出してみるに全てのステーションとSAC機は非常に男性的なコールサインを持っていた。これぞマチズモといった感じだった。

SACの航空機に対して122.2MHz(※民間航空機の通常交信用周波数)でスタッグハウンドラジオを名乗ってもホールビーチラジオのコールサインで返答されるかを試す機会が幾度となくあった。
私はいったん「少し待て」と応答すると通信周波数を236.6MHz(※SACの通常交信用周波数)から122.2MHzに切り替える。そして声を1オクターブ低くして「ハンター25、こちらスタッグハウンドラジオ。どうぞ」と言うのだ。
大抵の場合ここでSAC機は私に「交信」の有無を聞いてくるので私は何食わぬ調子でEAMメッセージのコードを読み上げるのだ。

ほとんどの場合SACのパイロット達はビジネスライクな連中だったが、一度CAM-4でおしゃべりなパイロットと交信したことを憶えている。多分、彼も退屈していたのだろう。いずれにせよ私たちは会話を楽しみ、私は彼に「一度ここに寄ってみないか?」と提案した。すると彼は滑走路の長さはどれくらいかと尋ねてきた。3500ftだと答えると「その長さだとブレーキ1回分で使い切ってしまうな」と彼は言った。
当然の事ながら彼は私の提案を辞退したのだった。


・死への対処
一般的にDEWラインは安全な場所であり、事故や死亡は比較的少なかった。しかし死が訪れた時は我々がそれに対処しやすくするために、それは一種不気味な方法で取り扱われた。いい例を紹介する。

ジム・ゲイツ(彼の名前はよく憶えている)はFOX-Mainの季節労働者キャンプでパン屋をやっていた。彼は夜間のシフトを終えた後、日中のシフトまでに山のように様々なパンを作っていた。噂では結婚生活が破綻したともしかかっているとも言われていた。家族からこんなにも遠く離れた所にいるのだからそれは部分的には当たっていたのだろう。とにかくジムは夕方にシフトに就き雑用を終えたあとパンを仕込んでからキッチンにベッドシーツを持ち込んでそこで寝ていた。そして(※蛇乃目註:おそらくそのシーツで)首を吊っている姿を朝食をとりに来た者によって発見されたのだ。

その噂は野火のように広がった。ジムが昨夜のうちに仕込んでいたパン類は全て破棄された。ジムは遺体袋に包まれて南に空輸されるまでの数日間、倉庫の1つとして使われていたアンテナ小屋に置かれていた。

彼の死の状況がステーション内に浸透するにつれて、それに対処するための薄気味悪いメカニズムも動き出した。
まず掲示板にこれからは紙製のベッドシーツが配布されるという告知が張り出された。
館内放送では「キャンプのキッチン周辺での首吊りはない」というアナウンスが一度ならずなされた。
(※蛇乃目註:おそらくそういう不謹慎な悪戯があったという事なのだと思う)

病的?多分その通りだろう。ただ我々は自身の精神状態を管理するためにしなければならない事をしたのだ。


・記憶すべき映画
以前言及したとおり、一般的なルールとして我々ラディシャンは各ステーションで最初に映画を観る事ができた。ジェームズ・ボンドシリーズの第1作、「007ドクター・ノオDr. No」はそうした映画の1本だ。
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最初タイトルを聞いた時に何の映画か分からなかった。医療映画だと思って興味も湧かず、最初の上映をパスしてしまったのだ。…そしてフィルムが次のステーションに旅立ってしまうまでに8回ではなく7回しか観れなかったことをひどく悔やむ事になった。

映画を憶えている方にとってもっとも衝撃的なシーンはボンド(ショーン・コネリー)とハニー・ライダー(ウルスラ・アンドレス)が初めて出会う所だろう。水中から浜辺に上がってきた彼女が身にまとっているのは当時は非常に刺激的だったビキニだ。
5930640
これこそ数ヶ月間女性から隔離されている男どもの群れが見るべきものだ!
我々は夢中になった!2回目の上映(私が見始めた回だ)から映写室は満杯になってしまった。これほど上映が繰り返された映画はなかったし、これほど受け入れられた映画もなかった。フィルムを次のステーションへ出すのが躊躇われたほどだ。


・全ての良き事にも終わりがある(All Good Things Must Come to an End)
DEWラインから歩み去るべき時が急速に近づいていた。さらに2回の契約更新も可能だったがそうするべき理由はもはやなかった
大学に通いたいという願望を達成できるだけの金は十分に貯まっていた。それに南への旅で最初の妻であり二人の息子の母であるマリリン・ジェイコブスという女性と出会えた。

DEWラインを去ることには一抹の寂しさがあったが次なる冒険に挑みたいという気持ちもあった。
あの時点ではDEWラインは私の人生の大部分を占めていた。

後悔はなく、しかし数多くの良き思い出とともに私は最後の南に向かう飛行機に乗り込んだのだった。

DEWライン勤務経験者のクライブ・べックマンがそう信じているように、DEWラインを超えるような経験がない限り、私はDEWライナーであり続けると信じている。

かつてDEWライナーであった者は常にDEWライナーなのだ。



最後の方で核心的なものが出てきましたが、意外と単純な感じで、まぁ現在のエシュロンとかも案外内幕ではこんなものかもしれません。

ブライアンさんはこの後大学に通い、軍用機器(もちろん通信機類)を扱う一般企業に就職。
営業で経験をつんだ後に独立してその分野のコンサルティング会社を設立します。
2度の結婚、3人の子供、6人の孫を得て現在もご壮健の様子。

2012年にはほぼ半世紀ぶりにFOX-Mainを訪れました。
Hall Beach 50 Years Later - YouTube
(動画にリンクしています)

「プリンセス・プリンシパル」に

ロス・ワイナンズ号出てた!

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