蛇乃目伍長の「エアフォースの英国面に来い!」 Mk.2

歴史に埋もれたヘンな物偏愛ブログ。ただし基本 拾い食いなので安全性(信憑性)に関しては注意だ!

スコット・ソーシャブル

std_1922_Scott_Sociable_England
大丈夫、壊れていません。この車もあなたの視覚も。…たぶん。

スコット・ソーシャブルScott Sociableは1921年から1925年にかけてスコット・オートカー社(ヨークシャー州ブラッドフォード)が製造販売した3輪自動車です。
2904750851_cf8219fa04_z
3輪自動車のレイアウトは普通、一組の2輪ともう1つの車輪がアキシャルに並ぶものですが、この車の場合は4輪車から左前輪を取り除いた格好となっています。

何でこのようなレイアウトなのかと言うと、実はこれサイドカー付きオートバイを自動車の形にアレンジしたような物で、強引に表すと「キャビン・サイドカー」とでも言える物なのです。

ソーシャブルの元になったのは軍用に提案されたものですが、すでこの時点でオートバイ本体と側車が一体化され、バーハンドルではなく丸ハンドルとなっています。
image521
Скотт-Соушабл-Scott-Sociable-1914-1925
軍用としては採用されなかったため民間向けに発表されたのがソーシャブルという訳です。

スコット・オートカー社はスコット・モーターサイクル社から創業者自らが独立して創った会社ですが、ソーシャブルのエンジン(水冷2気筒2ストローク 排気量578cc)はスコット・モーターサイクルから提供されていました。
180px-Im19230823MC-Scott
(創業者アルフレッド・アンガス・スコット)

Scott-1922-0249
第1次大戦後の疲弊した時期に価格や税制の面で有利だった3輪自動車は庶民の足として人気でした。

…ただソーシャブルは見るからに不安定な印象ですよね。リライアントの製品よりもヤバそうな雰囲気がダイレクトに伝わってきます。
167898
1925年までに200台が製造されそのうち110台が売れたという実績は頑張った方なのか、「やっぱり」と言うべきなのか…。

そんなソーシャブルですが大西洋の向こう側に模倣者がいました。
Martin-Scootmobile
マーティン・エアロプレーン・ファクトリー社が1922年に発表した「スクートモバイルScootmobile」です。
Martin-Scootmobile-2
うん、なんかデザイン的にこっちの方が安心できますね(笑)

19ad789f-6f1c-4aa7-b51e-b59c18315fc1-1921Martin1
よりスクーター的な小型モデルもあったりします。

開発者のジェームズ・バーノン・マーティンJames Vernon Martin
martin01
が何故ここまで大胆にソーシャブルを模倣したのか、そしてスコットとの法的な闘争があったのかは不明です。
…もっともスコット・オートカーのアルフレッド・スコットは1923年に亡くなってしまうのですが…。

マーティンもソーシャブルのレイアウトに利はないと判断したのか、その後の3輪自動車は常識的な形態となっています。
tricarmartinette
Martinette (1932)

tricarstationette
Stationette (1954)

tricar3b
Tri-Car Surburbanette (1954:Bassons Industriesが製造)


「…勝った!」

20160523

勝ったぞ!フハハハハ…!……はぁ…(複雑な胸中)



道理で自分のPCだけ静かだと思ったんだ。

本日の最恐兵器画像

  最恐兵器、それこそがNo.74粘着手榴弾!
large-1

その証拠となる画像を見つけました。
stickybombattack

拡大してみると…
stickybombattack_scale

犠牲者①
stickybombattack_scale01
推定される死因:鈍器による撲殺
犯人は左の兵士。凶器は右手のNo.74粘着手榴弾

犠牲者②
stickybombattack_scale02
推定される死因:やはり鈍器による撲殺
犯人は手前の兵士。凶器はやはりNo.74粘着手榴弾

犠牲者③(推定)
stickybombattack_scale03
これからまさに撲殺されようとしている。
見せつけるだけで戦意を喪失せしめている事からもNo.74粘着手榴弾の凶悪ぶりが判ります。


手榴弾としての性能?…手榴弾としては役に立たないでしょう

核パルス推進宇宙船「アルデバラン」

1959年、マーチン社のデンバー支社は社内プロジェクトとして核パルス推進の宇宙船のアイディアを発表しました。
image25
それが「アルデバランALDEBARAN」です。
…隣にいるのはSSユナイテッド・ステーツ(全長990ft=約302m)。

オリオン計画(1955〜1963年)と同時期のものですがオリオンが円盤状のプッシャープレートで核爆発の衝撃を受け止めるのに対して、アルデバランは半球状の「コンバッション・チャンバー」でより効率を高めようとしていました。

また、図の通りアルデバランは洋上発進を想定しており、高度40kmまでは通常のロケット(Air breathing Rocketとあるので空気中の酸素を酸化剤とする?)で上昇し、それ以降は核パルス推進に切り替えるという物でした。
Aldebaran4
ペイロードは10000トン!低軌道までなら27000トンが可能とされていました。
この数字は1回のソーティで月面に恒久的な基地を作れる物だそうです。

…とはいってもこの大きさでしかも核パルス推進なんてそれこそ地球脱出なシチュエーションでしか使い様がないのでは?と思われるかもしれません。
実際、アルデバラン1機で5万人を輸送可能なので、300機で1ヶ月のシャトル輸送を行なえば1億8千万人(1960年当時のアメリカの人口)を月に運べたはず、という試算もあります。→

それもそのはずでと言うべきか、アルデバランの考案者ダンドリッジ・M・コールDandridge MacFarlan Cole
_Cole
は小惑星の利用に関する研究を多く発表している人物でした。

1962年には地球近傍の軌道をとる小惑星をソ連が質量兵器として使う可能性を全米宇宙協会で発表しています。
その翌年には小惑星を捕獲して資源として利用するアイディア、そして捕獲した小惑星を改造して直径8km、全長30kmのスペースコロニーを建造するアイディアを提唱しました。

まだはっきりとした「カタストロフィックな隕石災害」のパブリックイメージが無かった当時にその危険性を考えていた人物と言えます。

しかしマーチンの方はそこまで考えていたかは判りません。
だって同時に発表されたアイディアには「核パルス推進の飛行艇」があるんだもん!そこまで飛行艇にこだわるのか…。
image24
小さく3機並んでいるのはP6Mシーマスターだそうです。
「とりあえずでっかい物を速く飛ばすには核エネルギーだよね!!」という能天気な時代のお話でした。

Farewell, Kalakala

2011年4月にご紹介した流線型フェリー「Kalakala」ですが。
hqdefault

ワシントン州タコマで修復が試みられてきたのですが、2015年1月についにスクラップ処分となってしまったようです。
800px-Kalakala_012415
2010年からドライドック入りしていましたが修復のための資金が集まらなかったようで、そのまま半放置状態が続いていました。
船体の老朽化が進んでいたため環境に与える影響の懸念がワシントン州から示されました。
沿岸警備隊からも「他の係留地への移動に耐えられないほどの脆弱化」との判断が下されました。

スティーブ・ロドリゲス氏(ロスト・ホライズンズ社)は2012年11月にハイルボス・ウォーターウェイ社のカール・アンダーソン氏にカラカラを売却。
その価格はわずか4000ドルでした。

2015年1月4日、カール・アンダーソン氏はカラカラのスクラップ処分を発表。
22日にタコマのドライドックに曳航するとただちに解体作業が始められました。

解体作業は2月始めに完了しました…。

記事検索