蛇乃目伍長の「エアフォースの英国面に来い!」 Mk.2

歴史に埋もれたヘンな物偏愛ブログ。ただし基本 拾い食いなので安全性(信憑性)に関しては注意だ!

本日のジト目画像

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…何で爆弾にこんなに強いキャラ性を与えた!?

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「さあああ坊や、赤いポッチを押したくなってきただろう?押してみ?ん?」

ハシビロコウに似ているモノ

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AモデルのTu-128UTには「ペリカン」という名前が付けられていましたが、あれパイロットとかの間での非公式な愛称ですよね…?

カナダの非核爆発実験

前回のセーラーハット作戦を調べていたところ、大量のTNTを使用する核爆発シミュレーション実験は1960年代から1970年代初頭にかけてカナダでその多くが行なわれていた事が分かりました。

TNTを代用とするのは1963年に部分的核実験禁止条約(PTBT)が締結されたためです。

PTBT締結後の1964年に早くも500トン(つまり「TNT換算」で表現される所の0.5kt)の爆発実験が行なわれました。
カナダで実験が行なわれたのは広大な土地(アルバータ州サフィールド→)が用意できたのと、国民の反核感情が比較的穏やかだったからだそうです。


◎スノーボールSNOWBALL(1964年7月)
米国、カナダ、英国、オーストラリアは兵器効果調査に関する合意(三ヵ国技術協力プログラム Tripartite Technical Co-operation Program (TTCP))を結んでいました。
この合意に基づく最初の実験は1959年。5tの高性能爆薬を使用したものでした。

オペレーション「スノーボール」はこの実験に連なるものとして1964年に行なわれました。
これはセーラーハット作戦よりも1年早く、当時は「史上最大のTNT爆発」と呼ばれていたそうです。
ネット上で映像が一番多く見られるのもこのスノーボールです。
500 Ton Explosion - Suffield AB Canada - 1964 - YouTube
(動画にリンクしています)

TNTのキャストブロック。…芋ようかんみたいな質感(じゅるり)
Suffield AB Canada - 1964 -02
積み上げられる芋ようかん。
Suffield AB Canada - 1964 -01
芋ようかんウォール!
Suffield AB Canada - 1964 -03
芋ようかんドーム! 500トン!
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ああっ!芋ようかんがエクスプロージョン!(当ブログは腹ペコちびっこスタイルでお送りしています)
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芋ようかんクレーター。
面白いことにセーラーハットと同規模の直径80mのクレーターだそうです。
地質はあんまり関係ないのかな…?
Suffield AB Canada - 1964 -06


◎ディスタント・プレインDISTANT PLAIN(1966‐67年)
TTCPに基づく6回の実験の総称です。特定の軍事的条件下での核兵器の問題を解決するためのデータ収集を目的としていました。TNTが比較的高コストであったため代替の爆薬としてプロパンまたはメタンと酸素の混合物が使用されました。
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 一連の実験はカナダではFE567として、また米国ではディスタント・プレインとして知られています。

◎プレーリーフラットPRAIRIE FLAT(1969年2月)
元々、核シミュレーション技術の開発に関する基礎的なデータ収集のために「ミドルノース」と呼ばれる一連の小規模な爆発実験が行なわれていました。
しかし様々な規模の核出力のコンピューターモデルや計算方法の精度を上げるためにより大がかりな爆破実験が必要となりました。
それが1969年2月に行なわれたオペレーション「プレーリーフラット」です。サフィールド実験場で500tのTNT火薬が使用されました。

◎ダイアルパックDIAL PACK(1970年7月23日)
この実験ではそれまで半球状だったTNT集合体が直径27フィート(約8.23m)の球状になりました。
下の3分の一がスタイロフォームの支持台に囲まれています。
TNT Stack
このダイアルパックとプレーリーフラットでは爆発そのもののデータ収集の他に地下シェルターの構造物、特に地上に位置する換気ダクトへのダメージが調査されたそうです。
(※キャプションにある「MIXED COMPANY」は1972年にコロラド州で行なわれた実験です)


しかしカナダで行なわれた「制御された最大の爆発」は1958年のリップルロックRipple Rock爆破なんですよね。
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ブリティッシュコロンビア州のセイモア海峡Seymour Narrowsにあった海中の岩山(暗礁)を除去するための爆破です。
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なんと岩山の内部までトンネルを掘り進めて1375tの爆薬(二トラメックス2H、一応TNT混合火薬)を仕掛けたのだそうです。

《追記》
拍手コメントでササコーさんから「ソ連でも同じような実験をしたんでしょうか?」という質問を頂きました。

英語Wikiの「List of nuclear weapons tests of the Soviet Union」→というリストがありました。
これだけで断言は出来ないのですが、どうもソ連としては「地下で核やればいいやん」という見解だったらしく核実験を地下で盛んに行なっており、セーラーハットなどの同種の実験は行なわれなかったみたいです。

ただ1968年以降の実験では実験目的が「safety experiment」で出力が「1000kg」というのが度々でてきます。

これ、一瞬「通常火薬か?」と思いましたがそれだったら地下でやる必要ないですよね…。しかも同じ出力1000kgでも1990年の実験では目的が「weapons development」となっています。
というか核出力TNT換算1tなどという小型の装置があったという事を初めて知りました…。

土木工事では1966年にカザフスタンのメデオダム→(砂防ダム)が硝酸アンモニウム系爆薬1800tが4回、3600tが1回の爆破で造成されました。(翌67年にも3900tの爆破によって能力の強化が図られています)

《追記その2》
再びササコーさんから「ソ連にとっては自国側の攻撃手段で核攻撃を受けるという意識は薄かったから被害研究の必要を認めなかったのですかね?」との質問を頂きました。

当時のソ連が核被害に対してどのような考え方をしていたのかは分かりません。
ただ、実験の映像を見ると米国の実験同様に建物や兵器を実験場に並べているので「威力の研究=被害の研究」という意図はあったと思います。
しかも1955年9月のJOE 17実験はクロスロード作戦同様に水上艦艇を標的としていました。

むしろクロスロードでデータを収集していた筈の米国がわざわざセーラーハット実験を行なった事の方が奇妙なのかもしれません。
クロスロードが1946年なので1960年代までに発達した艦艇の電子装備に応用できない部分が大きくなっていた、とも考えられますが…。

「アトミックカフェ」でおなじみの「Duck and Cover」みたいなフィルムがソ連にもあったのだろーか?と探してみたら興味深い記事がありました。各国の民間防衛ブックレットの紹介です。
http://seesaawiki.jp/atomicage/d/%A5%D6%A5%C3%A5%AF%A5%EC%A5%C3%A5%C8

オペレーション「セーラーハット」

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オペレーション「セーラーハット」Operation Sailor Hatは国防原子力支援局(Defense Atomic Support Agency)の出資のもと、米海軍艦船局(United States Navy Bureau of Ships)によって実施された一連の爆発効果実験である。

これらの実験は1964年にカリフォルニア州サンクレメンテ島で行なわれた2回の水中爆発と、1965年にハワイ州カホオラウェ島で行なわれた3回の地表爆発から成る。

核爆発が海軍艦艇に及ぼす影響を調査するためのものだが使用されたのは大量の通常爆薬(TNT)であり、また、この種の実験としては1946年のクロスロード作戦以来の大掛かりなものであった。

カホオラウェ島での実験は500tのTNT火薬を海岸にドーム状に積み上げ、その沿岸に標的艦を係留した。実験よって得られたデータは海軍艦艇の耐爆強度基準の改善・決定に有用な物となった。

◎準備
実験に使用された主な艦艇はクリーブランド級軽巡洋艦USSアトランタ(CL-104)だった。
アトランタは1949年7月の除籍後、太平洋予備艦隊(Pacific Reserve Fleet)に移され1962年10月に廃棄処分が決定された。しかし、サンフランシスコ海軍造船所での大幅な改造を経て、高エネルギー空中爆発研究のための標的艦(IX-304)として1964年5月に復帰した。

(改修前)
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(改修後)
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上部構造物は全て撤去され、2つの異なるタイプの駆逐艦型デッキハウスと3つのマストアンテナアレイが取り付けられた。
当時の代表的な駆逐艦の通信、索敵、火器管制システムが搭載され、デッキハウスの一つは一般的なアルミニウム材との比較のために強化グラスファイバー製だった。

TNT火薬は古くなった魚雷や爆雷といった武器から回収され、それらを高品質のキャストブロック化する製造法を開発したホーソーン海軍火薬工廠(ネバダ州)から供給された。実験のために合計90,000個の4×12×12インチのブロックが製造された。
3回の試験でそれぞれ30,000個のTNTブロックを直径34ft、高さ17ftのドーム状に積み上げる危険な作業を海軍建設大隊(CB)が行なった。ドームは海岸近くの薄いコンクリートのパッドに置かれた。

◎実験
アトランタに加えて嚮導艦(後にミサイル巡洋艦)USSイングランド、USSデイル、ミサイル駆逐艦USSコクラン、USSベンジャミン・ストッダート、USSタワーズ、そしてカナダ海軍護衛駆逐艦HMCSフレーザーが実験に参加した。
これらの艦艇はより遠方に係留し続けたのに対してアトランタは実験ごとに爆心に近づけられ、より多くのダメージを受けた。

名称 実験日 実験場所 実験形態 爆薬総量 参加艦艇
- 1964年11月 サンクレメンテ島 水中爆発 5t, 10t USSアトランタ(IX-304)
ブラボー 1965年2月6日 カホオラウェ島 地表爆発 500t USSアトランタ (IX-304), USSコクラン (DDG-21), HMCSフレーザー (DDH 233)
チャーリー 1965年4月16日 カホオラウェ島 地表爆発 500t USSアトランタ (IX-304), USS イングランド (DLG-22), USS ベンジャミン・ストッダート (DDG-22), HMCSフレーザー (DDH 233)
デルタ 1965年6月19日 カホオラウェ島 地表爆発 500t USSアトランタ (IX-304), USSデイル (DLG-19), USSタワーズ (DDG-9)

同期が必須である数百の記録機器、カメラプレーン、スモークロケットの指揮装置はアトランタの船上に設置された。
爆発は小さな核爆発に似ていて水面を走る衝撃波、衝撃凝縮雲が映像に記録された。
火球とキノコ雲が形成されたが当然の事ながら放射線は発生しなかった。
Operation Sailor Hat - Color-Corrected 500 Ton Explosion
(上の画像は動画にリンクしています)

爆発は10psiの過圧を作り出した。これは最大風速が294mph (約473km/h) の高度に圧縮された空気の壁である。 その風圧は十分に致死的であり、鉄筋コンクリート製の建物を破壊する可能性がある。

記録映像では2機の観測飛行船が墜落し 、甲板上に配置された実寸のマネキンが激しく吹き飛ばされる様が捉えられている。
Operation Sailorhat 1965 -01
Operation Sailorhat 1965 -02
(衝撃波の直撃で墜落する観測飛行船。こちらの動画→の21秒くらいから)

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(吹き飛ぶマネキンですがアングルが劇的すぎて思わず笑ってしまう)

最初の「ブラボー」では大量の岩石が飛んで二次的な損傷を招いた。
Operation_Sailoir_Hat,_sjot_Bravo,_1965

この対策として2回目の「チャーリー」では爆薬ドームは5ftの盛り砂の上に築かれ、
Operation_Sailor_Hat_Charlie_Shot

3回目の「デルタ」では形成されたクレーターに39000立方ヤード(約29817.6㎥)の砂を満たした上に設置された。
Operation Sailorhat 1965 -00


◎船舶への影響
USSアトランタでは船上の500台以上の高速カメラが爆発の影響を記録した。 テストの間、船には169人の海軍乗組員と60人の科学者が乗り込んでいた。

上部構造物はダメージを受けたが船体内の乗員はアイオワ級戦艦の16インチ砲9門斉射と同等のショックしか経験しなかった。もし上部構造に人員がいたら吹き飛ばされていただろう。

船上のSPS-37アンテナは台座の破損により吹き飛ばされ、URD-4ラジオ方向探知機とSPS-10アンテナは引き裂かれた。
AN/SPG-51ターター誘導ミサイル用レーダーは1時間ほど操作不能に陥った。
対潜水艦ASROCランチャーにはいくつかのダメージがあったが搭載されたMk.44ロケットに機能不全はなかった。
Mk.32魚雷発射管も損傷したが内部のMk.46魚雷はやはり無傷だった。
Mk.25魚雷発射管はひどく損傷していたが操作可能な状態だった。
各種電子機器を載せていた三脚マストは倒壊した。
強化デッキハウスは爆風に晒された側が2インチたわんだままとなった。
リーヒ級ミサイル巡洋艦(DLG-16)と同型のデッキハウスは溶接部から引き裂かれて2階層分が吹き飛ばされた。

USSイングランドは爆心から最も遠くに配置されていたため最も被害が少なかったが、その内で最も深刻なものは飛んできた岩が船に衝突した窪みであった。 伝えられるところによると衝撃波は船を左右に4フィートほど揺動させた。

USSコクランは爆風に見舞われてから5分間電力が失われた。電力回復後にパールハーバー海軍造船所に戻り船体とシステム検査および爆風の影響を調査された。 小規模の修理(3次元AN / SPS-39と2次元AN / SPS-40対空レーダアンテナの両方を交換しなければならなかった)と定期検査の後、コクランは通常任務に戻された。

◎実験結果
実験の結果いくつかの脆弱な部分が判明したが、そのほかの部分は爆風に対して十分な強度を有している事が分かった。
受け入れがたい重量の増加やコストの上昇を伴う強化は必要無しとされ、わずかな費用と部分的な設計変更で済むとされた。例えばアンテナのいくつかは無力化されたが(強度を上げた)新設計はなされなかった。


爆発によって生じたクレーターは作戦名から「セーラーズハット」と呼ばれている。(場所はこちら→
海岸に位置するため地下の微細な穴を通して海水が浸入し、直径70~80メートルの池のようになっている(anchialine pool:地下で海と繋がった海岸線付近の池)。
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カホオラウェ島は太平洋戦争中に軍の演習場として接収されていたが1993年にハワイ州に返還された。

アトランタはこの実験の後、ストックトン(カリフォルニア州)に係留されていたが1970年4月に再び除籍処分となった。同年10月1日にサンクレメンテ島沖で爆破実験に使用され沈没している。

(英語Wiki→

本日の雑記

◎その1
ずいぶん前に「ポーランド航空の絵葉書のキャラが漫画っぽい」という雑記をアップしたことがありましたが。
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実はコレ、ポーランドの国民的な絵本画家ヤーヌシ・グラビアンスキーJanusz Grabiańskiの手になることが分かりました。
Il-102を検索してたら出てきたんだけどな。 なんでやねん。

日本でも絵本「ねこねここねこ」が知られているグラビアンスキーですが1929年生まれの1976年死去と早世の人で、極東のサブカルと先取りシンクロニシティを起こしていた事など露ほども知らぬまま亡くなったであろう事を思うと残念至極。
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これなんかも往年の少女雑誌の表紙の雰囲気があります。

衝撃的なのはコレ。亡くなる前年の1975年に描かれた物だそう。
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コギャルの出現を20年近く前から予見してた!!

◎その2
代々木上原に「
ロスパペロテス」というとんがった品揃えの古本屋さんがあります。
マンガもこちらの琴線にビシビシ触れてくる物が揃っていて板橋しゅうほうの「ペイルココーン」が500円とか即買いでした。

あとこんなのも。
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東京三世社のひさうちみちお&山田章博(を筆頭とした関西漫画家)本。1983年刊。
東京の出版社が関西出身の漫画家をタレント的に売り出す、という
一見よく分からないコンセプト。
…ああ、そういえば当時は第一次漫才ブームだったから…。

かと思うと巻末に高橋留美子が同人サークル時代に描いた「涅槃の方程式」(けもこびる名義。目白花子と共著)が丸々載ってたりしておおらかな時代性が感じられます(笑)
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元々成人向け出版社であった東京三世社ですが編集プロダクションのスタジオIWAOが関係していた企画は一般向け路線で、当時はまだマイナーだった作家の発掘に一役買った物が多いです。唯登詩樹(当時は加藤雅基)もハードSFの旗手としてここからデビューしてたはず。

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