蛇乃目伍長の「エアフォースの英国面に来い!」 Mk.2

歴史に埋もれたヘンな物偏愛ブログ。ただし基本 拾い食いなので安全性(信憑性)に関しては注意だ!

モーターサイクル・チャリオットレース

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「時空混乱」のフォルダに突っ込んでいる画像ですがこの暴力的なまでの「馬→バイク」の置き換えが面白くてお気に入りの画像です。

ちなみに他の「時空混乱」の例w
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バイクローマ戦車レースは漠然と「アメリカで撮影されたものだろうな」と思っていたのですがブリティッシュ・パテの動画を見たらシドニー警察の観閲式の出し物だったことが分かりました。1941年だそうです。
British Pathe→
YouTube→
…しかしこの動画の最後の「砲撃で人がバタバタと倒れていく」パフォーマンスは何を表現しているのだろう?

シドニー警察による「モーターサイクルチャリオットレース」は少なくとも1930年代中頃には始まっていたらしく、1936年1、2月の新聞記事をネットで見ることが出来ます。→
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警察の制服で乗ってたのですねw

「モーターサイクルチャリオットレース」は1920年代に米国で始まって英国・ヨーロッパに伝わり、その後オーストラリアやニュージーランドに伝播したそうです。→
初めてメディアに紹介されたのは「Popular Mechanics」誌1922年9月号と聞いて探したのですがこれがなかなか見つからない。
諦めかけていた所にこのページを見つけました。→
Popular Mechanics Sept 1922

具体的な地名は分かりませんがとりあえず西部らしいです。ワインの樽を加工したカートをドライバーが乗ったバイク単騎で牽引しています。
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少し時代が下って1925年の映像がブリティッシュ・パテにありました。ロンドンのクリスタルパレスでのイベントの様子です。
British Pathe→
YouTube→

クリスタルパレスの映像では1920年の(本物の馬を使った)戦車レースの映像がありました。
British Pathe→
YouTube→

冒頭の字幕には「サーカス」の文字があり、モーターサイクルチャリオットレースの起源と伝播の仕方がどういう性格の物なのかが窺えます。

面白いのはバイクとカートの接続方法で
Popular Mechanics July 1926
"Popular Mechanics" July 1926)
最初はこんな風にシンプルな接続だったのですが、これだと主導権がバイクのドライバー側にあるためか、その後はこんな風になります。
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カートの騎手が皆ノリノリなのはどうした訳だw そんなに支配欲が刺激されるのか。

その後ハンドル操作の技術が発明されたようでバイクは無人となっていきます。
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…でもブレーキやアクセルはどうしてたんだろう?

バーレスクな趣向として現代でも細々とその命脈は保たれているようで、「TOP GEAR」2011年のライブでも登場しています。→
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ディッケ・ベルタではしゃぐドイツ

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「マダム、よろしければエッセンの叔母を紹介します。口径は42cm」
このドイツの絵葉書はクルップ社が製造した大型榴弾砲ディッケ・ベルタを描いた物で、
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当時、この巨砲を形にしたドイツの鼻高ダーカな空気を伝えています。

この手の絵葉書をもう一枚見つけました。
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「そうさ!マリアンヌにジョンブル。今こそBuxen vullを味わうといい。こんな物見たことないだろう?これもドイツ製さ」

「これも」と言っているのでこちらは42cmガンマ臼砲かもしれません。
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「Buxen vull」がググル先生に頼んでも訳が出てこないのですが「Buxen」の画像検索ではパンツやトラウザースが出てくるので「パンツ破り」的な意味なんでしょうか? ・・・ドイツ人、マジメな顔して下ネタ好きだからなぁ…。

なので
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はいアウトぉー!!

というか先達たちの到達点が意外と現在の我々(「我々」言うな)に近い所なのを歓迎すべきなんだろーなー。

ソ連のヘリボーンミサイルシステム


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「どうも。ZIL-135V(ГРАУ - 9П116)です」

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「相棒のMi-10を紹介します」

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「二人合わせてMi-10RVK(ГРАУ - 9К74)です。この状態で半径200kmの展開が可能で、着陸後僕自身が20~30kmの範囲内で移動が可能です。ちなみに電気モーター駆動です」

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「その場で発射態勢をとる場合なら5分以内にこんな風に変形できます」

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「内部にはR-5巡航ミサイルの専用型S-5V(4К95) が搭載されています。そうです。僕は発射筒に走行系と運転席を取り付けた自走ランチャーな訳です」

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このヘリ+ミサイルランチャー複合体は他にもMi-6、9M21 ルナ-MV戦域弾道弾と自走ランチャー9P114を組み合わせたMi-6RVK (9K53) 、
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そしてR-17V(スカッドBの派生)と自走ランチャー8K114の組合わせであるMi-6RVK (9K73) 、
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また、R-17ミサイルの弾頭部分だけを運搬するMi-6PRTBVが試作されました。
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技術的には特に問題のないものでしたがソ連の軍事ドクトリンの変化によって1965年には全て破棄されてしまったそうです。

ライトニングのオルタナティブ武装形態

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ほらー、あんまり搭載量少ない少ない言うもんだからライトニング先輩がとんでもないアピールを始めちゃったよ?!

…という図ではなく「ジニーを搭載するハードポイントの候補」をイングリッシュ・エレクトリックが示した図だそうです。
実際に搭載する場合は1発のみです。

とは言え主翼に搭載する場合は構造の変更を伴う大がかりな改修が必要と予測されました。また、AIR-2のバックブラストがエルロンやフラップに与える影響も未知数という事で従来のAAMの搭載位置と同じか胴体センターラインのどちらかが有力な候補と判断されました。

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ただし「1発のみ」なのでバランス的に胴体センターラインが最終候補となったようです。
しかし、風洞実験で高速時に大幅な安定性の悪化を招くことが発覚。

少しでも改善するために上図のようなエクステンドアーム案が出されましたが、安定性にはほとんど無関係であることが分かり、他の案ともども破棄されたそうです。

Forgotten, but Filmed Failures 《最終回》


【何かよく分からないもの】
「失敗さん」フィルムの中には分類に困る物、あるいはどのような原理で飛ぼうとしているのか分からない物がいくつか出てきます。

《詳細不明:年代不明》
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手回し式のパドルホイールが前後二組あり、それぞれのパドルも向きが回転する事で効率よく推進力を生み出そうという仕組みに見えます。
複雑な機構を手作りした感じでなんか好きな一品。

《詳細不明:年代不明》
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これはおそらく同じ物が「The History of the Helicopter Pt1/2」という動画に出てきます(→:4分45秒くらいから)
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ダクテッドファンをティルトさせるヘリコプターの一種だと思いますが詳細は分かりません。
(※判明しました。記事はこちら→

《詳細不明:1912~?、米国》
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こちらは Doburoku-TAOさんから「航空ジャーナル」1976年5月号増刊「新・大空への挑戦」に掲載され、正体は不明ながらも機体に飾られた旗から1912年以降のカリフォルニアで製作されたらしい との記述あり、と情報が寄せられました。ありがとうございます!

別の動画で旗が判別できました。
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向かって右側の旗がカリフォルニア州旗(1911年制定)なんですね。
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最初は飛行船かと思ったのですがよく見るとプロペラがあります。全体的な印象は「動力付き凧」。タンク状の物がありますが水素とかの気嚢なんでしょか?

《ジョン・W・ピッツ「スカイ・カー」:1928年、米国》
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強引に分類すればヘリコプターの一種だと思いますが…。

傘のようなローターは傘の骨と骨の間、「小間」にあたる部分がヒンジで開閉するようになっており、
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傘が上がる時は開いて空気を通し、下がる時は閉まって空気を一緒に押し下げるようになっています。

ジョン・W・ピッツJohn W. Pittsは1924年にこの仕組みの特許(→)を申請し、1926年に許諾されるとW・P・キンドリーW. P. Kindreeと協同で試作機を製作しました。エンジンはカーティスOX-5(90馬力)を使用。

ところがこの機体に関しては謎が多くあります。
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上の写真の機体もピッツの「スカイ・カー」と思われますが、GIF動画の機体との関係が不明です。
動画(→:33秒から)を見るにこちらが試作1号機で、軽量化を計ったのがGIF動画の機体なのではないかと…。

また、共同開発者のW・P・キンドリーが独自に製作した機体というのも出てきまして。
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これはピッツさんが手を引いた後を継いだという事なんでしょうか?だとすれば前2機で失敗が明らかになったのになおも開発を続けようとした理由は何なのでしょうか…。

さて、次がトリです。
《コンスタンティノス・ブラコスの「トライフィビアン」:1935年、米国》
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危機一髪の救出劇が印象的なフィルムですが、発明者本人への取材記事( "SPECIAL-INTEREST AUTOS" 誌1974年7、8月号 "Hard-Luck Vlachos" →)を読むと何か重いものを感じてしまう事例です。

発明者はコンスタンティノス・ブラコスConstantinos Vlachos(1895~1987)

ギリシア生まれの移民で機械工をしながら数々の発明を行ないました。

、陸海空全てに対応できる乗り物「トライフィビアンTri-Phibian」を開発し、1935年10月(恐らく10月24日)にワシントンD.C.の議会図書館前でデモンストレーションを行ないました。
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ところがその最中にトライフィビアンが突如として炎上。
その場にいた警察官によってブラコスは車内から助け出されましたがその後9ヶ月の治療を必要とする酷い火傷を負ってしまいます。
その後ブラコスは「酸素の供給ラインにガソリンが流れ込むような細工がされていた」と主張し「次こそ彼らは私の殺害に成功するだろう」と2台目のトライフィビアンを作ろうとしませんでした。
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議会図書館アーカイブにある10月25日に行なわれたトライフィビアン検証の様子(Harris & Ewing collection)→
画面の左側に立つ女性はブラコス夫人のバーサ。車体の傍らに膝をついているのはブラコスを救出した警官、A・M・クランプラーとされています。

二人が指差しているのが問題の「酸素の供給ライン」?
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「トライフィビアン」がどのようにして飛行、航行するつもりだったのかというのが大きな謎なのですが、この酸素を使うという点がヒントになるかもしれません。

唐突かつ穏やかではない発言に思えますが彼が当時から合衆国特許商標庁と既存の大企業に根深い不信感を抱いていたと窺える発言があります。
「特許庁は発明家にとっての組織であるべきだが実態として独占的な企業の弁護士たちがはびこっている。この状態では政府による特許評価機関というのは名ばかりだ。企業の既得権益を革新的なアイディアから護っているようにしか見えない。その結果我々の作る物は紋切り型となり科学や工業の組織的停滞を招いている」( "SPECIAL-INTEREST AUTOS" 1974年7、8月号)

ブラコスは妻のバーサと共に25年間ワシントンに居住しながら発明品のデモンストレーションを行なっていましたが第二次世界大戦末期にワシントン州バンクーバーに移り住みました。

ブラコスはそこで「フィビアンPhibian」という自動車の開発を行ないます。
トライでもなくアンでもなく単なる「フィビアン」という名が示す通り、今度は地上を走るだけの車でした。

フィビアンは油圧駆動(hydrostatic drive)でそれ自体は新しい技術ではありません。しかしエンジンが従来の内燃式ではなくフルオロカーボン(フロン)の気化膨張を利用する全く新しい物でした。
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バッテリーなどを使用した熱源によって気化・膨張したフルオロカーボンは車外に放出される事なく回収されて液化→気化を繰り返します。

この方式は給油はもとよりキャブレターやイグニッション装置が不要になるだけでなく、将来的にはトランスミッションはおろかクラッチ、アクセルや従来型のブレーキも省略できると見られていました。

1947年にシャシーが完成し、1950年にさらなる開発資金を募るために25万ドルの債券を発行しようとしましたがワシントン州はこれを許可しませんでした。

ブラコスはオイルメジャーによる圧力があったと考えていました。

その後ブラコスは時速17万マイルで飛行可能な無人宇宙船のような航空機や摩擦の発生しないポンプなどを発明しましたが、そのことごとくが世間からは無視されました。

本物の天才だったのかそれとも単なる奇人だったのか、その正当な評価がなされないままブラコスは1987年9月9日にこの世を去りました…。


という事で全6回の長きにわたりお付き合いありがとうございました!

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