ジェシー・ウィルフォード・リノJesse Wilford Reno (1861-1947) はカンサス州フォート・レーベンワース出身の発明家だ。
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父親は南北戦争で「軍人の軍人」と言われた北軍の将軍、ジェシー・リー・リノだった(ちなみにエアレースで有名なネバダ州リノはこの人の名前に因む)。

職業軍人だった父親とは別の道を歩み、ペンシルバニアのリーハイ大学を卒業後エンジニアとしてジョージアに赴き米国南部で最初の電気鉄道を敷設する。

その彼が1920年代に設立した「リノ海難救助会社 (Reno Marine Salvage Company) 」で沈没船のサルベージ作業用に開発したのが海底をキャタピラで移動する作業車だ。
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この車両は沈没船の船腹に穴を開け、そこに浮揚函(submersible pontoon)を取り付ける作業を行う。
動力は20馬力の電気モーターで、各種のツールなどの動力もそれによって賄われたらしい。

穿孔にはドリルを用いたが
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4インチ砲を使用する事も考えられたらしい!
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直径4.5m、高さ14mの
浮揚函をこのように取り付け、後は空気を送り込んでその浮力で沈没船を引き揚げる、という仕組みだ。

このシステムを用いてロングアイランド海峡で水深20mに沈んでいた汽船「スカリー」(排水量500t)の引き揚げに成功した。
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ころでジェシー・W・リノはもう一つ重要な発明を行なっている。
それは世界で最初の実用エスカレーターを開発した事だ。

エスカレーターに類する装置の発明は1859年にネイサン・エイムズ Nathan Ames が「リボルビング・ステアウェイズ」を特許登録したのが最初だが、現物を制作するまでには至らなかった。
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1891年にリノは "new and useful endless conveyor or elevator" (「新しく有用な無限のコンベアーあるいはエレベータ」)を特許申請し、15ヶ月後にそれは認められる。
リノはこの発明の構想を16歳の頃から持っていたそうだ。

1895年9月、特許に基づいた
史上初の「動く階段」はニューヨークのコニーアイランドでアトラクションとして設置された。

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…えー、今現在の視点では手すりに跨がる危険行為にしか見えませんが物見高いニューヨークっ子には大人気を博したらしいです。7フィートの高低差を昇るだけのものですが。

その後リノは「パレット式」(スロープが複数の板=パレットで構成される)の「傾斜エレベーター」(Inclined Elevator) を開発し、これは商業的に成功を収める。
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アメリカ国内のみならずヨーロッパでもパレット式の「
傾斜エレベーター」が取り入れられた。
折しも各国で地下鉄道網が発達し始めていた頃で、駅やホームまでの昇降手段が必要とされていたのだ。

ヨーロッパでの需要の高さを見たリノは1902年にロンドンへ移り、そこで「リノ電気階段およびコンベアー社」(Reno Electric Stairways and Conveyors, Ltd.)を設立する。

ここでもう一人の発明家が登場する。
チャールズ・シーバーガー Charles Seeberger (1857-1931) だ.
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1896年に彼が特許を取得した「ステップ式」のエスカレーターは現在のそれの原型であり、また「エスカレーター」という言葉もシーバーガーが生み出した物だ。
シーバーガーはニューヨークのオーチス・エレベーター社 Otis Elevator Company で1899年に最初の「エスカレーター」を製作し、翌1900年のパリ万博に出展する。
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オーチス社はシーバーガーを擁する一方でリノのヨーロッパでの事業にも協力する。
が、リノは新たな「螺旋状の動く歩道」の開発に失敗し、
「リノ電気階段およびコンベアー社」の第3株主となっていたオーチス社に特許と会社を売却しアメリカに戻った。
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これによってオーチス+シーバーガーはエスカレーター開発における勝者となった。
だがシーバーガーも1910年に特許権をオーチス社に売却している。

(”
Gunning Wrecks”→を参考・画像引用させて頂きました)