1947年6月24日、米国の実業家ケネス・アーノルドが自家用機で飛行中に謎の飛行物体を目撃した事件から「空飛ぶ円盤Flying Saucer」のブームが始まった。
同年7月8日にはロズウェル事件が起こるのだが、こちらは30年後に「発掘」されるまで忘れ去られていたので、どの時点で「空飛ぶ円盤=エイリアン・クラフト」という認識が形成されたのかは不明だ。
しかし時代に横たわる集合的無意識のアイコンとして「空飛ぶ円盤」は広く浸透していった。
1951年に映画「地球の静止する日」が公開され、その翌年にはアダムスキーを始めとするUFOコンタクティーが出現する。ブームは頂点に差しかかっていた。

その最中の1955年、フランス人技師ルネ・クージネが「空飛ぶ円盤」型の航空機のモックアップを公開した。
aa9157ac.jpg


1904年生まれのクージネは高速郵便機「アルカンシェール(虹)」の設計で一躍有名となった。
特に3機目のアルカンシェール「Couzinet 70」は南米やアフリカにおける航路開拓で国民的英雄となったジャン・メルモーズの操縦で1933年1月16日に大西洋横断14時間の新記録を打立てた。
クージネもこの飛行に同行し、メルモーズとの親交を深める。
77797f96.jpg


しかしその名声とは裏腹にアルカンシェールは商業的成功を収めなかった。注文を得られずクージネは破産し、アルカンシェールは競売に付された。
クージネは借金でこれを買い戻す。
1936年にはメルモーズも大西洋上で行方不明となった。

その後はポテーズ爆撃機などの修理事業で資金を蓄えながらCouzinet 20 B4爆撃機やVG33戦闘機を開発するが、第2次大戦の勃発により全て中断してしまう。

南仏を経由してブラジルに逃れたクージネは大西洋横断の時に築いた縁故で国営航空工廠での技術指導職に就く。
1943年には自由フランスの呼びかけに呼応して抵抗運動支援に参加し、国外の兵力を輸送する為の大型飛行艇を計画した。

戦後フランスに戻ったクージネが最初に手がけたRC 125は何故かハイドロプレーンスタイルのプロペラ推進ボートだった。
6327ac51.jpg

53a64b95.jpg

チュルボメカジェットエンジンを装備したRC 60(世界最初のジェット・ボートだ)も開発し、1951年のル・ブルージェ航空ショーに出品するが、当然このクラスの船としては高価すぎ、かと言って飛行機より速いわけでもないので市場からは相手にされなかった。


1955年、どこから請われた訳でもなく、彼は1920年代の"plane-helicopter"のアイディアを実現する作業に取りかかった。
ヘリコプターよりも航空機寄りの性能を持つ垂直離着陸機を目指し、"Aerodyne with multiple wings(多重翼を持つ空力体)"と称する特許1.129.038を1955年5月25日に出願した。
55a757f3.jpg


そしてパリ近郊ルバロアペレLevallois-Perretのル・ジャットLa Jatte島にある工房で、"Aerodyne with multiple wings RC 360"の木と鋼鉄製の3/5スケールモックアップを製造する。
このモデルは1955年7月頃から彼の工房だけでなく英国ブライトン航空ショーのような公の場でも公開するようになった。

何故、「空飛ぶ円盤」なのか?
実はその前年にフランス全土でUFOの目撃事件が相次いだためだろう。
クージネがUFOを信じていたかは疑わしい。
「市民が想像力を透して見た物を形にしたい」と語ってはいるが、同時にメディアが彼の「空力体」を「空飛ぶ円盤」と呼ぶことは好まなかったからだ。

RC360は垂直離陸が可能でなおかつジェット機並みの飛行が想定されていた。王冠を上下に合わせたような機体の中央固定部分にコックピットがあり、その周囲は片側48枚計96枚の小翼を持つ二重反転の回転翼となっていた。
ba333aac.gif

b69ea75b.jpg


回転翼の動力は180馬力のライカミングエンジン(片側3発計6発)が受け持ち、水平方向の飛行用に推力745kgのバイパーターボジェットエンジン(「円盤」の形を不完全にする唯一の付属物だった)が機体下部に取り付けられた。

だがクージネの「空飛ぶ円盤」は実際に飛ぶ事もフルスケールモデルが造られる事もなかった。フランス航空省はこの理解しがたいプロジェクトに資金を拠出する事は税金の浪費であると判断したのだ。
この事を「フランスの空飛ぶ円盤」をセンセーショナルに書きたてる当時のマスコミが伝える事はなかった。

当局の判断は性急すぎたか?
そうとも言えない。
3年前からアブロカナダがやはり「空飛ぶ円盤」を開発していた。VZ-9Vアブロカーだ。
d8a7ff67.jpg

アブロカナダの技師ジャック・フロストが開発したこのVTOL機は米軍が参加することで巨額の資金がつぎ込まれたが、完成した実証機は地面から1メートルあまりの所を時速45kmで不安定に這い回るのが精一杯だった。

原理的にはアブロカーと相同であるクージネのRC 360が同じ道を辿る事は想像に難くなかった。

しかし、マスコミは新しい「円盤」に夢中だった。

ルバロアペレの工房における「円盤」モデルを見たリベラシオン紙は1955年7月2、3日付の記事で「航空史における本当の革命」と書く。

1956年、パリ-マッチ紙は3/5モデルと他のミニチュアを「フランスの空飛ぶ円盤」として紹介し、「開発には後2,3ヶ月を要するのみ」「従来の航空機に取って代わる」「年内には初飛行。最終的に現在の10倍の大きさの機体に2名のパイロットと6名の乗客を乗せる計画」とし、1年前にクージネ自身が公式に発表していたにもかかわらず「RC360を公開するのは本紙が初めて」とした。

新しいセンセーションは1955年のうちに国外の報道にも波及した。1955年7月5日付のフィラデルフィア・インクワイラー紙、「フランス人が調理した巨大なパイは最新の空飛ぶ円盤」と題した「ポピュラー・サイエンス」、
f7efa576.jpg

クージネの円盤の「有望な」側面を伝えるエアロプレーン&コマーシャル・アビエーション・ニュース、1956年6月18日のライフ誌は「それは垂直に離陸する」とキャプションの入ったスケッチを掲載した。

だがクージネは巨額の負債を抱えたままだった。マスコミのフィーバーぶりにもかかわらず彼の発明に対する理解は得られなかった。

1956年12月16日、彼はリボルバー拳銃を手にすると妻のジルベール(ジャン・メルモーズの未亡人でもあった)を射殺した後、自らに向けて引き金を引く。


「空飛ぶ円盤」熱はクージネの死など関心はなかった。
UFO研究家の中には1950年代から「円盤はナチスの産物だ」と主張する者がいたが、彼らが証拠として挙げた写真にもクージネの「円盤」が使用される有様だった。

クージネの死後、ルノー社に引き取られ、倉庫でシートをかけられたままの3/5モックアップを見て「ルノーが極秘開発した円盤を発見した」と言う者もいた。

さらに時代が下ってもなおウェブ上で1956年のパリ-マッチ紙を引用して「フランスがUFOを開発していた」とする例もある。
ご丁寧にもRC 360のキャノピーとその周囲のエア・インテークを発光させたフェイク写真まで添えられている事もある。

生涯を通じて「名声を得れども実利を得ず」だったクージネが、その実像よりも人々の飛躍した想像力の中で今も生かされ続けているアイロニカルというか少し怖いイメージが浮かぶ。

唯一の救いは彼が申請した"Aerodyne with multiple wings(多重翼を持つ空力体)"の特許が1957年に特許登録された事だ。


ところで、
ケネス・アーノルドが「水面をSaucer(受皿)が跳ねながら飛んで行くような独特の飛び方をしていた」と語った事から「Flying Saucer」という名称とイメージが定着したのだが、彼が目撃した物体の形は三日月型だった…。
cf51cfa2.gif

("René Couzinet's 'French Flying Saucer' "を参考にさせていただきました)