1942年、スタンリー・ヒラーが弱冠17歳の時に創立したヘリコプターメーカーがヒラー社のスタートラインでした。
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以来1980年代にフェアチャイルドに合併・吸収されるまで独創的な同軸反転ローター機やチップジェット、ティルトウィング、フライングプラットフォームなどを開発し続けました。 
企業としては消滅しましたが同社の博物館は本社の所在地だったカリフォルニア州パロアルト近郊に現在もあります。→

ヒラーは小規模なメーカーでしたがそれ故開発のフットワークが軽かったらしく、公式の航空史には出てこない機体がこの博物館にはあるようです。
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J-10というNOTAR機がその代表格でしょう。試作機と当時の写真は残っているのに解説がほぼ見当たりません。
そして検索の最中にさらにとんでもない計画機とその模型が同博物館にある事が分かりました。時は1965年、アポロ計画関連です。 解説しているページ→があったので訳してみました。



●「モンスター・チョッパー」

数年前、 Aviation Weekは航空宇宙産業の歴史家たちが思わず身震いするような小冊子を発行した。
それは長年にわたる米国の防衛産業の統廃合を示す2ページのフローチャートだった(ああ、知ってるとも。私たち航空宇宙史家はオタク(geek)だよ)。

1980年代を表す表の左側には何十もの会社があり、それら全てが航空宇宙関係ではないものの防衛産業の主要なプレーヤーたちだった。

ヒューズ、フェアチャイルド、フォード・エアロスペース、ライアン、ヴォート…。それら数十社の企業は1980年代に徐々に合併を始め、その後1990年代までにさらに統廃合が進み2001年に残っていたのはわずか5社だった。ゼネラルダイナミクス、ボーイング、レイセオン、ロッキード・マーチンそしてノースロップ・グラマンだ(この傾向をさらに10年先まで敷衍すると、これら5つの企業はついに1つのスーパー企業に統合されるだろう。スカイネット...もしくは「神」の誕生だ。いずれにしても良い事ではない)。

このフローチャートとその非常に多くの企業の統廃合の歴史を表す簡潔なグラフィカル表現については多くの興味をそそられる。
しかし、この表には顧みられない側面がある。それは多くの企業の合併‐あるいは潰し合い‐が1980年代に集中して起こっているという事だ。

かつてアメリカの航空宇宙産業が膨大な数の航空機製造業者で構成されていた時代があったがそれらは時と共に忘れ去られ、今日では彼らが製造した航空機の写真が興味本位な書籍に載っているに過ぎなくなっている。

カリフォルニア州パロアルトに拠点を置いていたヘリコプター製造企業であったヒラー・エアクラフト社もそんな企業の一つだ。

ヒラーは前世紀中盤に隆盛を誇ったがハワード・ヒューズによるいかがわしい(そしておそらくは違法な)工作の結果陸軍との契約に失敗した。ヒューズ社のOH-6Aカイユース(または「ローチ」の名が有名か)はベトナム戦争で陸軍の標準的な軽観測ヘリとなり、ヒューズは陸軍との取引きで多額の損失を出したもののOH-6の子孫たちは大成功した機種となった。

対してヒラーの提案であったOH-5A(FH-100)は契約を得られず商業用ヘリとしても成功することはなかった。
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やがてヒラーはフェアチャイルドに吸収合併され会社としては消滅した。今日ではその製品はほぼ飛んではおらず、同社の主だった遺産はパロアルトの国道101号線(ベイショア・フリーウェイ)沿いにある小さな、しかし歴史的意義の大きい博物館に収められている。

だがヒラー社のさらに大胆な提案は1965年に行なわれていた。
ローターの直径がフットボール競技場の長さよりも大きい巨大なヘリコプターだ。それはサターン5の第1段目を輸送するだけでなく、切り離されパラシュートで降下してくるそれを空中でキャッチする事が可能だった。
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非常識すれすれどころか非常識そのもののようなアイディアだが当時、つまり1960年代半ばというのはNASAが国家予算の5%を獲得していた絶頂期でありこれは現在の10倍以上の数字だ。NASAはあらゆる研究(原子力ロケット、イオンエンジンから100人を収容可能な宇宙ステーションまで)を主導していた。宇宙分野において合衆国は完全にソ連に水をあけていたのだ。出来ない事などなかった。

だから大きな契約実績のない、そして6人乗り以上の大型ヘリを作った事もない小さなヘリコプターメーカーという肩書きが何だと言うのだろう?

もちろん結果から言えばヒラーはこの巨大ヘリを作らなかった。研究費も得られなかった。たとえこれほど気違いじみた提案でなかったにしても実現はしなかったであろう。NASAの予算額はピークを迎え、そして下がり始める時期にあった。一方でケープ・カナベラルの建設予算が計上され、もう一方でリンドン・ジョンソンは「他の事」(※ベトナム戦争)で金を必要としていた。財務省がNASAの予算に多くの「脂肪」がある事を認識しだしたのだ。

ヒラーのこの提案で残されたのは今も同社の博物館にある模型とNASAに提出された迷惑な提案書だけである。

だが。
この小さなヘリ製造会社がどんな大きな想像力を示したのか興味深くはある。

ヒラーはこのアイディアを少なくとも提案書のタイトルには「ヘリコプター」とは記さなかった。ブースター回収のためのロータリーウィングシステムと呼んでいたのだ。
提案書には「サターン5の第1段目の回収には様々な方法があるが全てが複雑さ、取扱いの難しさ、着地の衝撃による損傷、海洋汚染などの欠点がある」と述べられていた。

ヒラーのヘリコプターは「ブースターの軌道要素中で回収する」とある。つまり「空中で」という事だ。また、ブースターのパーツのクレーンもしくは空輸手段として使用される。
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それはまさに怪物となるはずだった。
ローターの直径は120m以上、空虚重量200t、最大積載量は250tで総重量は453tだった。
提案書によればこの巨大ヘリはロケット発射場かもしくは適切な設備のある飛行場からブースターの再突入空域に向けて発進する。発進時は内部、および外部燃料タンク(どれほど大型の増槽であろうことか!)を装備できる。

計画ではヘリコプターは再突入空域で最大6時間、高度4500〜6000m(15000〜20000ft)で滞空するとされていた。ブースターを視認すると高度3000mでの接触に向かう。

サターン第1段目(S-1C)はパラシュートによって降下速度よりも前進速度が速い進入経路を辿ってくる。ヘリコプターはその進入経路に沿って後ろから上に向かって接近し、ブースターと軌道を一致させるように下降する。

ヘリコプターの重心からぶら下がっている引っ掛けフックでピックアップシュートを捉えると徐々にブースターの重量(※乾燥重量で約140t)を引き受ける。ブースターが完全にヘリに吊下された状態になるとパラシュートはしぼみヘリの215m下にブースターが位置することになる。
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その後ヘリコプターはブースターを引き揚げ、水平に回転させてヘリコプターの真下に抱え込むと打ち上げエリアかまたは陸上の他の目的地に向けて帰投するのだ。
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もちろん、S-1Cステージは打ち上げ地点から650km(350nm)以上離れた地点に落下する。世界最大のロケットブースターを抱えたこれまた世界最大のヘリコプターがこの距離を往復帰投する事の実現可能性は如何ほどだったことか。たとえば風の影響はどうなるのか?

そしてヒラーの提案では言及されていなかったが、回収地点近くの船から運用された方がはるかに効率的だったはずだ。もちろん使用される船は空母にしろ平台船にしろかなり大型でなければならない。もっともこのコンセプトでは小型にしようがないのだが。

思い出して頂きたいのはヒラーがこれを「ヘリコプター」とは呼んでいなかった事である。ヒラーが長年取組み陸軍への売り込みに失敗したコンセプト、チップジェット・ローター・システムなのだ。

これは3枚のローターブレードの先端に1基か2基のジェットエンジンを搭載した物であり、最大6基のエンジンの他にテイルローター用の7番目のエンジンが後部胴体に搭載される。ローターはヘリコプターのように非常に速く回転する必要はなく、1秒に1回転程度である。

しかしそれでも、前進するローター先端が音速に近づくことになる。大きいだけでなくかなり騒々しい物になったはずだ。

NASAがこのアイディアにどのような反応を示したのかは分からない。開発資金を出さなかったのが答えとも言える。

おそらくは自嘲的に笑い飛ばした後に仕事に戻ったに違いない。やはり実現しようのないほど馬鹿げた宇宙計画の研究に、だ。