すっかり春めいてきたと思ったら雪見桜となったり色々不安定な気候ですね。

さて今回はオートジャイロのようでオートジャイロではない微妙な立ち位置の試作機です。



◎ヘリック "バータプレーン”Herrick Vertaplane
19580117000c
1930年代に米国で開発された固定翼機と回転翼機の中間のような航空機。
開発者のジェラルド・P・ヘリックGerard P. Herrickは「コンバーチプレーンの父」と呼ばれている。
(※「コンバーチプレーン」→
gerald-p.-herrick-vertaplane-aug-30-19373
ジェラルドは大西洋横断を成功させたリンドバーグをパリで迎えた駐仏大使、マイロン・ティモシー・ヘリックの従兄弟だった。

彼は1927年にコンバーチプレーンを作るための理論構築を始めた。基本的には複葉機で、上の主翼が回転して揚力を生むというものだった。

ただしヘリックはこの回転翼機構は一種のパラシュートと考えていた。離陸・着陸の段階での緊急事態に対応する手段だったのだ。
したがって回転翼はオートジャイロと同じく動力駆動はされず、オートローテーションで機体の降下速度を減少させるための物だ。

この技術の核心は固定・回転いずれの状態にあっても揚力を生み出せる対称的なキャンバーを持つ翼の開発だった。
ジェラルドはフィラデルフィアのフランクリン研究所のアレクサンダー・クレミン、ラルフ・マクラレンの協力を得てHV-1と呼ばれるプロトタイプを設計した。

HV-1はヒース・エアクラフト社製造の低翼単葉機にマストを介して剛性の高い上部テーパー翼が取り付けられた複葉機だった。
(※ヒース・エアクラフトについてはこちらを→ ただどの機体がベースになったのかは不明です)

翼長7.32m(24ft)のこの上部翼は典型的なオートジャイロのローターブレードのようにはヒンジ可動ではなかったが、前進側と後退側との間の揚力差を補填するためにボールベアリングを使用したティルトヒンジマウントに取り付けられていた。

オートジャイロのように上部翼を回転させての短距離離陸も可能であったが回転翼モードから固定翼モードに戻すことが出来ないため、その場合は(固定翼時の)高速巡航を諦めなければならなかった。

HV-1は1931年11月6日に初飛行した。

その後固定翼モードからオートジャイロモードへの転換が試みられた。
高度1220m(4000ft)で滑空を開始し、1067m(3500ft)で上部翼のロックを解除した。翼は数回転した後突如その回転速度が低下した。そのため機のコントロールは完全に失われた。パイロットは脱出したもののパラシュートの開傘が完全でなかったため墜落死した。

後の調査ではロックが解除された時に激しい揺動によってヒンジマウントが破壊され、上部翼がプロペラに接触した事が分かった。

ヘリックはこの悲劇に臆する事なくHV-1の改良を進めた。
HV-2Aとなる新たな機体は外観こそHV-1とあまり変わらない物だったがいくつかの重要な変更が組み込まれていた。エンジンはより強力なキナーB-5(125馬力)に変更され、
640px-Kinner_b-5
ボールベアリングのティルトヒンジマウントはゴムの揺動ストッパーを備えた。

HV-2Aは1933年9月に完成したがその時点でヘリックの資金は底を突き1936年まで飛行試験を行なう事ができなかった。

資金の目処がつき試験が再開され、新しいテストパイロットとしてジョージ・タウンスンGeorge Townsonが招かれた。
Townson
この若く熱心なパイロットは後にケレットXO/YO-60やパイアセッキPV-2、XHRP-Xなどのヘリコプターを次々と飛ばすことになる。

1937年7月30日にタウンスンは固定翼モードからオートジャイロモードへの転換を成功させると年末までに100回以上の転換飛行を行なった。HV-2Aの新しいローターマウントの安全性が証明されたのだ。

ある飛行ではタウンスンは異常な振動を感じたため民家の庭先にオートジャイロモードで着陸した。そしていくつかの調整を行なうとオートジャイロモードのまま帰還したのだった。

HV-2Aは固定翼モードで161km/h、オートジャイロモードで105km/hで飛行できた。オートジャイロモードでの離陸距離はわずか18m、着陸速度は19km/hまで減速が可能で最初のタッチダウンから数ヤードで停止が可能だった。

しかし再びヘリックは資金を使い果たし、HV-2Aのこれ以上の開発(複座化が予定されていた)を諦めなければならなかった。
A19580119000CP01
(スミソニアンに収蔵されている複座モデル?の模型)

1943年、ヘリックは同軸反転式ヘリコプターのHV-3を計画したが実現しなかった。

1949年、ラムジェットを用いたチップジェット式コンバーチプレーンを計画したが資金が集まらず断念した。
tipjet

1958年、ヘリックの子供たちはHV-2Aをスミソニアン協会に寄贈し、協会はそれをVTOL技術の最も初期の例の1つとして受け入れたのだった。

HV-2Aは現在、メリーランド州シルバーヒルに展示されている。
herrick_HV2A-1


今回HV-2の名称をタイトルでは「バータプレーン」としましたが英語ソースでは「Convertoplane」だったり「Vertaplane」または「Vertoplane」だったりと妙にバラバラです。
スミソニアンは「Vertaplane」→なのでそれに合わせました・・・。