
韓国人質問者
興宣大院君が朝鮮を改革さえすれば日本を植民地にすることができたのに・・。
私の知る限りでは興宣大院君が安東金氏を追い出して政権を握ったのですが、民などの労苦を減らし、壬辰倭乱に燃えた城を完成させたのは気に入っています。
しかし、19世紀の西洋勢力が植民地を食べて略奪し、自分たちの利益を得る戦争の時代、ところで興宣大院君が政権を握った時代に日本は近代化した日本ではなく階級があり、幕府という武士政府にとって民衆の階級は商人、公人、農民、侍(武士)という混乱した時代においても韓国(朝鮮)が改革できる機会でした。
この時、朝鮮は国が安定し、興宣大院君は権力を掌握した時ですが、興宣大院君が権力を握って世界を見る目があるなら改革に回して我が国(朝鮮)を富強し、民衆を平等にし、近代化の知識を民衆に日本を植民地化させ丙子胡乱の恥辱を戦争として清の満州領土を韓国のものにする機会だったんです。
なぜこのような機会を興宣大院君は鎖国政策で対応するのか、分かりません。
韓国人回答者1
あなたには、国史の勉強を少しずつ最初から全般的にやり直すことをお勧めします。
韓国人回答者2
あなたは一つは知っていますが、その他のことは知りません
興宣大院君は朝鮮末期、高宗が即位すると自分が代わりに政権を握ったのです。
景福宮を再建して多くの民の怨声を買い、書院を47個だけ残してすべて撤廃したり、両班にも税金を掛けました。
なので多くの儒生と両班たちの反感を買いました。結局大きな改革を成し遂げませんでした。
興宣大院君は景福宮再建・鎖国政策程度で大きな改革はしませんでした。
それほど王権はなかったし国は乾いて歪んでいったからです。
ご存知のように、19世紀から20世紀初頭は植民地時代でした
多くの西洋諸国がアジアの国々を植民地にしました。 興宣大院君が政権を握った時がその時です
あなたはその時、日本が近代化されておらず、階級があったと言っていますが、階級があるのは事実です。
階級があるのは事実だけど近代化は進んでいました。
イギリスやフランスも日本に対してむやみに接することもできなかったし、アメリカも日本を見下すことができませんでした
そして興宣大院君が政権を握った時、国が安定したとはいえ国は凶作で民衆がほとんど飢え死にした時です
そして世界を見る目があっても我が国は西洋とは貿易ができない状態でした。
そして韓国の軍事力で日本と相手は話になりません。例えば今のモンゴルとロシアが戦争をすると言うレベルです。
韓国はその時も近代化が進まず、武器は火縄銃で、他の国は近代化によって非常に強力な新式軍隊となりました。
大砲も半端なかったですよね。そんな状態で戦争をすれば終わりです。
そして興宣大院君も王様が若く、しばらくの間だけ補佐できるだけものなので、高宗が大きくなると高宗は興宣大院君韓泰政治から手を引くようになります。
その国力で日本や清と戦争をして、その国を植民地にするということですが、それは世の中にあり得ない事です。
韓国人回答者3
改革をしたからといって近代化するわけではありません
近代化するためには、やはり王政を中心にしなければならず、また様々な法と政治なども改革しなければなりません
またやはり民心が続くべきですよね? 市民は積極的に改革しなければなりません
反対派も多いといけないですよね??しかし、朝鮮はそうではありませんでした
当時、朝鮮の民心は清にありましたが、その当時アヘン戦争で清がイギリスに崩壊したんです??
当時、朝鮮は清と日本だけを知っていました。もちろん日本も釜山の方だけ知っているからか何かも知りませんでした
日本が改革したという事実さえ知りませんでした。
そんな清を信じていた民心が、西洋の蛮族に負けたという噂が広がり、恐怖に包まれ始めました
もしかして西洋の国が我が国に来ないか・・と。
当時、このような民心をよく知っていた興宣大院君は鎖国政策を推し進めました
それで朝鮮が改革されるはずがなかったでしょう?
もし昭賢世子が王になったら西洋と交流をして船を送って交流をし富強になるきっかけを成せた・・かもしれません。・
また、多くの西洋人を登用しながら西洋の文化と科学と技術を広めたでしょう
しかし、韓国は失敗し、結局は日本の植民地に追いやられることになりました。
引用元 https://kin.naver.com/qna/detail.naver?d1id=11&dirId=111001&docId=53769180&qb=7J2867O46rO8IOyghOyfge2VmOyXrCDsnbzrs7jsnYQg7Iud66+87KeA66GcIOunjOuTpOuptA==&enc=utf8§ion=kin.ext&rank=19&search_sort=0&spq=0
興宣大院君・・というのは、普通の日本人には馴染みのない人ですが、李氏朝鮮最後の国王である高宗のパパです。
といっても先代の王ではなく、政争の末に息子を王にした事で国父としての地位を得た人。
基本的には富国強兵を目指していたんですが、『攘夷!攘夷!』な人で、フランス・アメリカと紛争体験した後も『攘夷!攘夷!』のまま。
まぁこの人が力を得始めた時というのは、日本では大政奉還の幕末期ですから『奴らはまだ侍の時代』であるのは確かになんですが・・。
いつもの『戦争とは戦場で殺せば勝ち』の範疇をどーーーーーーーーーやっても超えられない韓国脳w
戦争する為には、背後を支える生産・供給・経済・国内引き締めが絶対に必要ですからね。それを理解しない。
ましてや当時の日本と韓国では人口も隔絶してますし、日本は『攘夷!』と言ってても、実際にやってみたら『あーこれ無理なやつ・・改革するしかないわ・・』で国内騒乱は犠牲を払うも短期終結。
韓国の場合、今の韓国と同じで両班支配体制とはいえあくまでも主眼は『国内の椅子の奪い合い』の私益闘争で、国益を考えての挙国一致政策をどうしても取れない国民性。
100m決勝に進む前の国内予選で血みどろの闘争して、『決勝は棄権します・・』になっていつも出遅れる。1回2回の事じゃない。
維新後、数十年で清とロシアを撃破した日本と、右往左往したあげく『決勝は棄権します・・』と併合された朝鮮。
質問者だけでなく、韓国には『朝鮮が日本を支配できたのに・・日本はたまたまラッキーで西洋化のぼた餅が落ちて来ただけ』という意見が少なくないですが、ぼた餅落ちたにしても手を開けて待ってないとつかめない。
互いに取っ組み合って、ぼた餅落ちても一切気が付かないのは、今の韓国外交見てもまるで同じと思いますww



