Q

韓国人質問者


百済の近肖古王は、日本のどの地域まで征服しましたか?



韓国人回答者

韓国古代史学に存在する問題の中では、非常識が常識を圧倒する奇妙な現象が見られる場合があります。

「百済の九州進出」という言葉は、まさにその用語を中立的に使用しても、その「進出」ということが何を意味するのか明確ではありません。

しかし、この言葉をちらりと聞いたとき真っ先に思い浮かぶのは、他でもない軍事的な進出です。

その中でも、百済が軍事的に日本に進出して「植民地」を建設したというふうに解釈される余地があります。

質問者様も既にご存知でしょうが、伝来した司書のどこにも百済が日本の九州地方に領土を保有したと明示していません。

また、現在、韓国史学界でも百済と日本の関係は、「平等」の真ん中に文化的 - 軍事的交流が存在したと見るのが一般的です。

(つまり、百済が文化を伝授する代わりに、なぜと軍事的同盟関係を維持しようとした)

これに対し、百済(あるいは他の韓半島の勢力)の軍事的、日本進出を主張する一派が掲げる根拠を開けてみると、記録を恣意的に解釈したり(例えば、旧唐書百済伝の百済の南に海を渡って倭国に至る(南渡海至倭國)としたのは百済が海を渡って植民地を持っていたと解釈する。

それは倭国と国境を接していたので、出てきた言葉だが、隣接国との位置関係で説明だけであって、考古学的な調査結果の一部のみを見て誇張するものです。

主に日本列島から出てくる韓国系の功績だけ大きく宣伝し、逆に韓国で出てくる日本系の遺跡と遺物は完全に無視しています。

なぜこのような怪しげな仮説がそう横行するのか、疑問に思う必要があるでしょう。



引用元 https://kin.naver.com/qna/detail.nhn?d1id=11&dirId=111002&docId=141256177&qb=7J2867O47J2EIOygleuztQ==&enc=utf8&section=kin&rank=16&search_sort=0&spq=0


まぁ何故、韓国が日本に及ぼした影響だけ宣伝し、日本からの影響は無視するかと言えば『韓国人の情緒』としか言えないでしょう。

日本翻訳の漢字語を捨て、(非常に中途半端ですけど)、日本からの木を伐採し、総督府を爆破してるんですから。

まぁありていに言えば、田舎もんなんですよ。情報化されてない。見たいものだけ見る。

おらが国が一番という考えで、安心したいんですよ。