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ご訪問頂きありがとうございます。ブログのみの更新です。雑記です。

私が中等部の頃、父が大腸がん。2年ほどして母が九州旅行の際に倒れて脳腫瘍が発覚。

動かせずにそのまま九州で開頭手術。半年ほど経ってから東京に戻った。

東京女子医大への入院と開頭手術と静養を繰り返し、姉は●ニーを辞めて、秘書検定取りつつ、病院に見舞う生活。

自分は高校から帰ると、買い出し行って、家族の夕食作りと洗濯などの家事。

長い闘病生活で家族も疲れ、姉は秘書になったものの、所詮は女子校育ちの世間知らずで、新しく入った会社の経営者と付き合い出して、父と決裂。

姉には看病疲れと、箱入りで育ち、広い世間を知った解放感もあったんでしょう。次第に看病より男性を取るようになった。

日曜日に中央線に乗り、父と姉と私で母の見舞いに行き、新宿駅で『あとでね』と姉と別れたが、姉は帰ってこず、経営者のもとへ。再開したのは独立してから。

可愛がっていた娘が出て行き、妻は手術で子供に帰ってしまっているし、自分も癌で追い詰められた父が取ったのは、故郷である九州へのUターン。

バブル絶頂期の貸しビル業でしたから、金はあったし、3人で大分へ。

父も厳しい側面もありましたが、酒と女が好きな九州男。私と母を残して東京に女に会いに行く事も度々。

で母の面倒見ていたものの、父の浮気で、私と父が殺気立って衝突寸前。

『金も支援もいらんから』とカバン一つで東京に戻って、学生生活。

独立後、親族の知らせで姉と再会。姉は経営者と結婚せずに子供を持ち、妻とも愛人ともつかない生活。

父が海外に行ってる隙に、姉と大分に母に会いに行く。当時はバイトで貧乏でしたから、航空券買うとすっからかんで、土産に買えたのは京樽の茶巾寿司ひと箱だけ。800円位?

姉は金ありますから、あれもこれも買って帰ったのですが、母が『よかれは私が茶巾寿司好きなのわかってる』とばかり言ったので、私もいろいろしたのにと不満顔でしたね。

父とは決裂し会う事はないまま。母の親族とも当然不和で、2年後位に母が療養の為に福島の実家で過ごす事に。

父と、私と福島の親族は完全決裂していたので、大分で父が母を飛行機に乗せて、父は付き添わず。

羽田で親族と母を出迎えて、車で上野駅へ。この時の事は鮮烈に覚えてますね。

母は歩けなくなっていたので、お姫様だっこして車に乗せる。

母がニコニコしながら『この方、さっきから優しくしてくださるけどどなた?』と問い、親族が『よかれじゃないか。わからないか』と言うと、『あら大きくなって』と母。

開頭手術を何度もしてるので、色々と記憶や感情に問題があったんで仕方ない事。

上野に向かう高速の上を走っていた時、突然『好きな人はいるの?』と聞かれ、自分が死ぬかという時に子供の恋愛を気にする親心で泣きながら、『祖師ヶ谷大蔵(当時付き合ってた人)という人がいるよ』と答える。

1年近く故郷で静養したらかなり良くなり、自分で歩き、体重も戻る。一ヶ月に一度福島に行き、行くたびに、脳の状態は改善しないものの、体に関しては母の加減は良くなってた。

『父と別れてこのまま福島で暮らせ』と親族・姉・自分で説得するものの、『パパのところに帰りたい』と言い張り、結局泣く泣く母を大分に返す事に。

福島から付き添って羽田空港の出発ロビー。一緒に入れるのは付き添いの姉だけ。私は入れず。

その時、母が一時的に元に戻ったというか、頭がクリアになったというか、突然『よかれ、生きてる間に会えるのはこれが最後と思う。祖師ヶ谷大蔵を大切にしなさい。腹が立つ事もあるだろうけど、そんな時は私がわがまま言ってると思って、笑ってウンウンと言いなさい。祖師ヶ谷大蔵を私のお墓に連れて来てね』と言われ、泣いて返事が出来ず、母は『それじゃ元気でね』と出発ゲートへ。

母が言うように、本当にそれが母を見た最後の姿になった。

1年後に、姉と私が福島の叔父に呼び出されて、福島へ。

行くと『お母さん亡くなりました。叔父兄弟で葬式にも行ってきました』と知らされる。

母が亡くなってから、福島に連絡があったという。

これで父と、私姉親族が完全決裂。墓は大分ではなく、福島。父ともそれ以後、会わずに終わった。

その後、祖師ヶ谷大蔵とは力及ばず、1人に戻る。約束した一緒の墓参りは出来なかった。

震災後は、原発避難エリアで墓参りできず。姉は別の商社社長と結婚し、例の不正指示で姉とも切れた。

今は棚の上に両親の写真。たまに線香をあげて、当時を思い出す。

色々思う。親の事、姉の事。家族とは何だったのか。

今だったら茶巾寿司だけじゃなく、あれもこれもと何でもしてやれたのにとも思う。

結婚するつもりも無いし、家族を信じていいのかという家族リスクも怖い。寂しさはほとんど感じない。我が家は私で終わる事になる。

これで良かったのかとも思うし、これしかなかったとも思う。

豪快な父とは生き方が違うし、豊かさを取った姉とも違う。苦労した母の人生は何だったのかとも思う。

不満はあっても夫婦喧嘩・親子喧嘩出来るという事自体、とても恵まれた幸せな環境。

ご両親が存命の方、伴侶に恵まれた方は、大切出来るうちに大切にした方がいいでしょう。

親孝行したい頃には親は無し・・というのは、そういう教えと思います。

『あとでね』と別れて、また会える保証はない。『いつか親孝行』と思っても、その時はいないかもしれない。

明けて今日は母の日。昔より小さくなったお母さんにご馳走するもよし、日頃頑張る奥さんに『ありがとう』と花を贈るもよし。

私はしたくても出来ないので、私に代わってやっておいてください。