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ご訪問ありがとうございます。ブログのみの更新です。雑記。

今日Twitterを見ていて、この画像を見つけた。

東京大学東洋文化研究所教授の安富歩氏の発言である。

画像を見て、男か女かわからなかったので調べると、性自認が女性に近い男性という事で、女装して過ごしているという事だ。

どちらとも言い切らない曖昧さはあるが、この人に興味はないので、掘り下げない。



最初の4行がポイントである。

『非暴力の闘争で最も大事なのは、どうすればこちらが暴力を使わずに、相手を挑発して暴力を使わせるか、ということ。』という部分だ。

Twitterでは保守陣営から強い批判を受けていたが、この意見はある種の真理と思う。

この4行に近い事は、このブログでも繰り返し書いてきた。

『相手を先鋭化させ激化させて、観客に見せる事で多数派工作を行うべき』という意見がそれにあたる。



左派の行動というのは、見本になる部分と反面教師になる部分があり、実に参考になる。

まず見本になる部分は、小まめな裁判による圧力、反対意見を言う人物を封殺する為の電話などの抗議である。

彼らはこれが有効という事を良く認知していて、非常に効果的に使用している。

この点においては、日本第一党や過激な意見をのせる保守系サイトの方が、『非常に拙い』と言える。

何故なら感情に任せてか、もしくは耳目を集める為に先鋭化する事で、不要な批判を呼び込んでしまう点が稚拙である。本来であれば、急がば回れが正しい。



次に左派が反面教師になる点だが、何度か『香山リカ氏は結果として保守に尽力する愛国者』と書いた点である。

左派には世論構築のマーケティングのいないのだろう。感情に任せた感情的な意見が多い。

2・6・2で言えば、左派の2のみに通用するニッチな主張を、中間層6に向けてしてしまい、結果として中間層を左派から遠ざける結果を招いている。

先日の新潟知事禪は、ネットを含めた保守と左派の総力戦だったが、左派の敗因は『左翼政党の応援が反作用となったから』でいいように思う。

香山リカ氏・福島瑞穂氏・蓮舫氏など名だたる左派の弁士が乗り込んで、左派2に向けたニッチな主張事をした事が、敗因だ。原因は客観性の欠落である。



さて、それを顧みると日頃から言っているように保守サイドが感情に任せた強すぎる意見を言うのは、左派が2に向けて話す愚行と同じ事である。

保守は右派2に向けて話すのではなく、中間層6に向けて穏やかに話すべきである。

また保守は、左派が客観性を取り戻し本来左派に望まれる弱者保護などの役目を思い出さないように誘導し、今以上に先鋭化激化するように誘導するのが望ましい。

出来る事なら激高させて、彼らが支持を得る上で流石に口にしない『本当の本音』について口を滑らすように仕向けるべきだ。

具体的には、『自衛隊の解体・皇室の解体・在日韓国人在日朝鮮人の特権化・日本は滅びればいい』というような、ライバルである保守は理解しているが、中間層は知らない意見を、彼らの口から引き出す事だ。



保守派が興奮激高して左派に殴りかかるような事があってはならず、この女装教授が言うように『相手から暴力や公序良俗に反する行動を引き出して、それを観客の目に晒し、中間層を相対的に保守に近づけること』が正しい行動と言える。

管理人自体は、当ブログについて嫌韓ブログではないと思っており、あるとしても反韓ブログの域に留まりたいと思っている。

差別的な表現は避け、黒人白人という現在ならまだ許されるような表現も、『アフロアメリカン・アングロサクソン』という表現を留意し、きっかけを与えないように注意している。

アクセス欲しさに過激化する保守サイトもあるが、この点に注意して、運営すべきと思う。

ただ相手を怒らせ感情を反応させるという目的には、常に過激な物言いが必要というものではない。



左派が言われたくない事、知られたくない事を、繰り返し繰り返し発信する事でも可能だろう。

また熱心な保守派が、『ある日突然左派に転向して、既存の左派が決して口にしない左派の本音を大声で叫び出す』という事もあり得るかもしれない。

突然あなたが香山リカ氏の役割を担い、香山リカ氏以上に左派が本当は言いたいが、多数派工作の為に口にしない本音を叫び出すような事だ。

批判は受けるだろう。なぜ裏切ったのかと。ただ本心は本人にしかわからない。

その人物は香山リカ氏以上に『結果として保守に尽力する愛国者』となるだろう。



もし本当に日本に右翼がというものがいるのなら、旭日旗を振って愛国をアピールしても意味は薄い。無いとは言わないが。

もし効果的に行動しようとするなら、旭日デザインの服を着て、新大久保や韓国を歩き、誰かの注意をひき、殴られるという手もあるだろう。

そういう場所を歩いていた事が、意図的かそうでないかは誰にも証明できない。だが『何もしてないのに殴られた』という事実は残り、それが独り歩きを始めるはずである。

当ブログにも批判は届く。しかし、正体を調べ上げての訪問はまだないが、準備はしてある。

『おい、よかれ』と呼ばれて、振り向きざまに殴られれば、倒れた私は倒れながらも微笑んでいるはずである。

非暴力での勝負というのは、大抵素直で感情的な者が負けるのである。その意味においてこの女装家の意見は正しい。