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韓国人質問者

金嬉老さんのこと知ってる方~!!

日本のチョッパリ達に対抗して人質を取ったそうだけど、本当に涙が出るほど感動的で血が沸き踊りました。

その方について詳しい方は説明をお願いします。 そして。

その方の一代記が知りたいです。 知ってる方はぜひ詳しく書いてください。

そして、韓国人なら是非その方のことを調べてみてください。

僕は、チョッパリどもを殺したくてたまらないです。



韓国人回答者1

在日韓国人として日本人の蔑視を受けて暮らしていた金嬉老という青年がいました。

青年は蔑視に耐え喧嘩になったヤクザを射殺して山荘に忍び込み、宿泊客を人質にして警察と対峙しました。

彼が起こした殺人·人質事件は日本内の在日同胞の人権状況を全世界に暴露するきっかけになった。

事件後彼は監獄に収監されていまだに釈放されずに長期囚として服役しているそうです。

古くから彼の救命運動を繰り広げている僧侶関連サイトや柳仁村氏が主演した「金の戦争」という映画を見ると、金嬉老(キム·ヒロ)の生涯について詳しく知ることができるはずです。



韓国人回答者2

金嬉老は1928年1月1日、3男5女の長男として生まれた。 3歳のとき、実父が清水埠頭で木材を荷役する途中、事故に遭って死んでしまう。

この時から、ただ朝鮮人という理由だけでいじめられ、殴られるなど、手痛い経験をするようになる。

1933年、母親が生活のために2歳下の金ジョンソク氏と再婚し、喜金氏の名字を持つようになった。

母親の再婚にもかかわらず、生活はよくならず、幼い喜怒哀楽は豚の餌を得るために食堂の残飯を得るために歩き回り、八百屋屋に捨てかすを得るために行ったりした。

お腹がすいて食べ物を盗み、警察につかまったのも何度も。

その度に「お前たち朝鮮人は日本人のおかげで生きている。ありがたく思う」という言葉を聞かなければならなかったという。

丈夫な青年に成長し、日本人女性(和子)を妻に迎えた金氏は、1961年33歳の時、釈然としない疑いで監獄生活をすることになったが、一生懸命に生きてみたいという願いで服役中、自動車整備士資格試験を準備し、4年後釈放されるや否や、たった一度で試験に合格した。

しかし、喜びもつかの間。 金氏は韓国人という理由だけでどこにも就職できなかった。 それで始めたのが裏通りの居酒屋だった。

居酒屋をしながら続いた民族的差別と抑圧、蔑視は結局、金氏に殺人に続く人質劇を起こさせた。

1968年2月21日、単身で日本と独立戦争をして逮捕され、1975年に無期懲役を言い渡されてこれまで31年を服役した日本最長期の金嬉老(キム·ヒロ)が7日に釈放され、故国の懐に戻るという。


引用元 https://kin.naver.com/qna/detail.nhn?d1id=6&dirId=613&docId=61543644&qb=7Kq967CU66asIOyjveydtOqzoCDsi7bri6Q=&enc=utf8&section=kin.ext&rank=3&search_sort=0&spq=0


自分の世代だと、金嬉老は『昭和の事件簿』みたいなテレビでしか知りませんね。

そういうテレビで、ライフル持ってハンチングかぶって人質取った・・という概要だけは知ってる。

二人殺して逃げ込んだ先での監禁籠城。


この質問は古いものなのですが、その後釈放され、韓国に戻っていました。

で・・70歳で、日本に2度と入国しないという条件で仮釈放。

韓国に帰るものの、愛人を作り、その夫への殺人未遂と放火で逮捕。

そういう人物が韓国では『日本と戦った英雄』ですからね。韓国では日本人を殺せば英雄。

この質問者の子が『日本人を殺したい』と言うのは、環境を考えたら不思議な事じゃない。

過去質問にもありましたが『日本人を皆殺しにする』と言ったら、先生に『立派です』と褒められたという話もあった。

韓国では、そういう事言っても問題にさえならず日本のマスコミも報じない。

かたや日本では『朝鮮』という国にいた人を『朝鮮人』と言ったら、差別としてBPOや裁判などに訴えられる。

ねっ、『韓国において、ルールとは相手の身を縛るための物であって、自分には適用されない』と言ったとおりでしょ。