日本と韓国は敵か?味方か? 일본과 한국은 적? 아군인가?

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#韓国記事翻訳 『迫る北朝鮮の核実験、戦術核か超大型か?』、『核の意志がないって報告は詐欺』

no title

北朝鮮が第7回核実験を敢行する場合、注目すべき部分の一つはその爆発力(威力)だ。

爆発力の水準を見れば、北朝鮮の核実験が戦術核開発のためなのか、それとも超大型核弾頭開発のためなのか見当がつくからだ。

北朝鮮の2006年10月の初の核実験威力は0.8キロトン(TNT1000トンの爆発力)だった。

威力は回を重ねるごとに大きくなり、北朝鮮がこれまで核実験を続け、核能力を高度化した結果だ。

特に6回目の核実験の時は水素爆弾の開発に成功したものと推定されている。

北朝鮮のキム·ジョンウン朝鮮労働党総書記が昨年1月の党大会で「超大型核弾頭生産」に言及した。

このため、7回目の核実験の時は、従来より威力を加えた核弾頭試験が実施される可能性がある。

しかし専門家の間では、北朝鮮がすでに6回の核実験を通じて「国家核武力完成」を宣言したという点で、7回目の核実験では、これまで開発してきたミサイルに合わせた実戦配備用戦術核をテストするという観測が支配的だ。

北朝鮮が6回目の時よりも大きな威力の核実験をする場合、核実験場の崩壊による放射性物質の流出も問題になりかねない。

この場合、北朝鮮だけでなく中国も被害を受ける恐れがあり、北朝鮮の立場では負担になる。

キム総書記は昨年の党大会で核技術の高度化を強調し、超大型核弾頭の生産とともに「小型·軽量化された戦術核兵器の開発」も「国防力強化」のための主要目標として提示した。

戦術核は都市全体を破壊するほど威力の大きい戦略核とは異なり、主に局地戦で活用される低威力小型核兵器をいう。

北朝鮮がこの2年間、数種類の短距離弾道ミサイルの開発を完了した点を考慮すれば、新型ミサイルに搭載するための小型戦術核試験が必要だ。

北朝鮮が7回目の核実験で小型化した核弾頭を試す場合、その威力は1~20㏏水準になると予想される。

北朝鮮の小型化された核弾頭は、戦術弾道ミサイル(新型戦術誘導兵器)や「北朝鮮版イスカンデル·エイタクス(ATACMS)」と呼ばれる短距離弾道ミサイルKN23·24、または超大型放射砲(弾道ミサイル技術を適用した多連装ロケット砲)KN25などに装着し、実戦配備される可能性が高い。

北朝鮮が開発したこれら短距離弾道ミサイルは韓国の主要地域と在日米軍基地などを射程圏に置くため、韓半島とその周辺部で北朝鮮と戦争が起きれば「ゲームチェンジャー」になる可能性がある。

韓米当局は、北朝鮮の核実験を実施する場合、人工地震波探知を通じて核実験の威力を計算することになる。 ただし、韓米が活用する換算式係数に差があり、同じ震度値でもその威力はそれぞれ異なって計算されることができる。

この場合、キム総書記が核実験に先立ち、関連研究所を訪問する姿が撮られた写真や北朝鮮の発表内容などを参考にして、北朝鮮がどのような方向の核実験を進めたのかを把握することになる。

ある核工学研究者は、「北朝鮮が6回目の核実験をしてから5年が経った。 その期間に核技術を開発し続けたら、6回目の時より強い高威力核実験を進めることができるほど核技術が高度化しただろう」とし「超大型核弾頭実験をすれば100をはるかに超え、200程度まで威力が出る可能性もある。 一方、戦術核実験を行えば、その威力は20に及ばないだろう」と予想した。


■韓国人のコメント

・核の意志がないと報告して詐欺を働いてハノイショー…外交部長官が呼ばれて命令されたんだ

・を核実験をたくさんして、わが国も名分に米国で核共有すればいい。北朝鮮の口実で核大韓民国を保有してみよう

衝撃で白頭山爆発したら北朝鮮、中国一発で大騒ぎになるよ。

北朝鮮が核開発すればするほど、韓国には確実な名分が生まれる。

核爆弾で永遠に自滅しなさい

北朝鮮が核開発をすればトヨタ・ダイジュ先生(金大中の事)が責任を負うと言った

北朝鮮で核実験をしたらユン・ソクヨルは対応するのか。 パチンコでやらないといけないのかな? 銃を撃つの知ってる?

太陽政策に北朝鮮に貸した次官も受けられず、チョコパイにミカンまで食べさせて信じた。こちらの方が逆賊ではないか。

核実験中に誤って自爆するのを見たい。

北朝鮮は火山が爆発して自然の財産で北朝鮮の領土全体が火の中に消えるだろう。肝に銘じなさい。核実験を続ければ、地中に閉じこもっていないだろう

白頭山マグマに衝撃を与えるな。 お前たちみんな死ぬぞ。

心配するな。予備軍のお兄さんたちが私を守る。 君たちはゆっくり休んでいろ

北朝鮮の核実験をすれば、ユン·ソクヨル政府の対応は? 悪口を言って声明発表して、遺憾で終わり? それとも戦争開始? ミサイル先制打撃? 中国とロシアにも宣戦布告し、北朝鮮、中国、ロシア征服のための進撃?

核弾頭最大実験して白頭山火山爆発させろ。マグマ噴出期待するよ

10回目の核実験で1000000%、韓国も日本も核兵器の正当性が米国に説得され、核弾頭保有国になる。2028年頃になるだろうね。談話に右派政権がまた政権を握れば、原子力潜水艦の核弾頭を保有する可能性もある。

北朝鮮が非核化しようとする姿を見るためには、我々から変わらなければならない。 核爆弾燃料に転換可能な原発を廃棄しよう。 我々から模範を示せばキム·ジョンウン総書記も感動し、非核化するでしょう。

総合株価指数は2500ポイント台に向かっている。核を撃てば報道せよ、毎日危機感の高まりで株は底をつき、外国人は皆逃げてる

野砲に飛ばすぞ。小型戦術核

ただ見守るのだけか

引用元 https://n.news.naver.com/mnews/article/421/0006152085?sid=100


韓国コメントの超他人事感w  まぁ日本も笑えない。

日本が有事に巻き込まれるとしたら、中国・ロシア・北朝鮮のいずれか、またはそれら複数か・・って事になると思いますが、日本防衛の最大の障壁は『日本人そのもの』になると思いますね。

どんなに高性能な車があっても、能力通りに走るかはドライバーの腕でしょうから。

『200キロまでは安全に運転できます』とメーカーが言っても、『事故が怖いから乗りたくない』と言えば、どんなに早い車でも車庫から出られない。

乗り込もうとするドライバーに日本人がしがみ付いて、運転の邪魔する事は十分にあり得る。

仮に北朝鮮が核弾頭と運搬のミサイルの性能を実証し、『日本は制裁を止めろ、戦後賠償として1兆円支払え、従わなければ東京を火の海に』と恫喝した時に、日本人がどっちに振れるか。

車とドライバーを信頼して後部座席に乗るか、それとも『怖いから車は捨てましょう』と言うか。

相当数は『怖いから車は捨てましょう』と言う可能性高いと思います。

日本は戦後争う事を嫌い、アメリカに安保丸投げでおんぶに抱っこでしたからね。ビンタでさえ驚愕する時代。

『北海道を渡して済むなら・・沖縄を渡して済むなら・・1兆円で安全を買えるなら・・』とヤクザの口先を信じて、運転席に乗り込もうとするドライバーに『余計な事するな、お前のせいで事故になったら責任取れるのか』と最大の味方を罵りかねない。

現に日本人は戦後、神戸の震災辺りまでは自衛隊に冷や飯食わせてた。

ウクライナ侵攻でも『降伏すればいい、抵抗するから被害が出るんだ』と祖国防衛してる側を非難する人もいる。

歴史を見ても、敵が迫った時、国内の政争を制する為に門を内側から開ける者も、守護者を批判して追い出す事例も珍しくない。

仮に台湾や日本国内のどこかで1発炸裂した後、『最後通牒、次は大都市』と言われた時、車やドライバーを壊そうとする日本人は多いと思います。

ブログで何度か究極の質問した事ありますが、平時で答えられないなら、有事の際に咄嗟に答えられるはずが無いですから。


※編集後記

今後50年、人類が生産して消費する食料は、過去2000年の食料を超えると言う試算があるそうで。

物価上昇もあり『10万クレクレ、くれないと投票しない』とか言ってる方も共産党やれいわを中心にいらっしゃるようですが・・。

今食べてる食事って料理の手間と腕は別として、少なくとも先進国に関しては、『過去どの王朝の食事にも引けを取らない』レベルと思います。カロリー的にも。

コーヒー飲んで、世界の裏側からの肉や魚食べて、金と同価値と言われた香辛料惜しみも無く掛けて、しかも温かく座れば1時間分の時給でお腹一杯食べられてるんですからね。

もう『好き嫌いしたら戦争の時死ぬぞ』と親に脅される時代では無くなってますが、現実にはその事実は何も変わってない訳で。1年後同じ物を食べられる保証はなく。

アジアとヨーロッパが、ユーラシアステップからの遊牧民の侵略によって、積んだ石をその度に崩され、なかなか前に進めなかった歴史も過去のものと思われがちですが、案外今も生きてる原則なのかもしれないと思います。

『天高く馬肥ゆる秋』が現実にならないといいものですが。

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#ロシア(旧ソ連)と戦った日本女性の話 #祖国遙か

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今日の記事は、7年前のブログ初期2015年5月に書いた記事の再掲載となります。

当時はハングル併記していたため、ハングルとの兼ね合いで漢字の文字化けがあります。ご了承をお願い致します。

非常に長い為、今回は一部抜粋ですが、それでも長いです。

ですが今この時期に読んで、当時の方々の御尽力と御苦労に思いを馳せ寄り添う事も大切かと思います。

ロシアというのは、こういう国です。




~ここから再掲載~

(この記事は管理人の主観で書いています。正しくない可能性があります。ご了承の上、お読み下さい。)

本日の記事はねずさんの ひとりごとからの転載です。満州での日本人看護婦の話です。






~引用ここから~


『祖国遙か』というお話を書きたいと思います。

 昭和21年6月20日、長春で自決した22名の日本人看護婦たちは、遺書に、『たとえ生命はなくなりましても、私どもの魂は永久に満州の地に止まり、日本が再びこの地に帰ってくる時、ご案内をいたします』としたためました。

その思いを、命を絶ってまで満州の地を愛したその思いを、私達はけっして忘れてはならないと思う。 以下は実話です。




掘喜身子さんは、幼い頃から病人を看護することが好きだったそうです。

彼女は、女学校を出ると、昭和11(1936)年、満州に渡りました。

そこで満州赤十字看護婦養成所に入所し、甲種看護婦三年の過程を修めて、郷里の樺太・知取(シリトリ)に帰り、樺太庁立病院の看護婦になりました。

昭和14(1939)年の春、彼女は医者である堀正次さんと結婚しました。

結婚して1年目の春、堀喜身子さんに、召集令状がきました。看護婦として従軍せよ、という令状です。

彼女は、令状を受けた一週間後には、単身で任地の香港第一救護所に出発しました。

まもなく、彼女は任地が上海に移り、ついで満州国・牡丹江から、さらにソ連との国境に近い虎林の野戦病院に48名の同僚とともに異動となりました。

彼女が出征して6か月目のことです。

その虎林の野戦病院には、医師である夫の正次も令状を受けてやってきました。

ふたりはそこで医師と看護婦の夫婦として、毎日前線から送られてくる傷病兵の治療をして過ごしながら、同時に長男静夫、長女槇子の二人の子にも恵まれまています。

昭和20(1945)年8月8日、ソ連が日ソ不可侵条約を破って、突然満州に攻め込んできました。

戦況は激しいものでした。爆撃の危険から、虎林の野戦病院では、患者全員を長春に移すことに決定しました。

けれど患者のうち70余名は、伝染病の重患なので一緒に連れて行くことができません。

野戦病院では、軍医中尉であった夫の堀正次と、他に2名の軍医、それと5名の兵隊さんを残して、ある程度元気な者のみ、長春に向かわせることにしました。

喜身子さんは、夫からもらった将校用の水筒を肩に、長春に向かいました。二人は、これが今生の別れとなりました。

虎林を出発した病院の医師、看護婦、患者たちの一行は、牡丹江を過ぎ、ハルピンを通過して、一週間目の8月15日に、ようやく長春にはいりました。

そこで終戦の玉音放送を聞きました。

そして日をおかず、長春はソ連軍に占領されました。

長春がソ連軍に占領された後、掘喜身子さんは、将校夫人や子供たちと一緒に、女ばかり76名で合宿所に入れられました。そこでは身上調査を受けました。

調査の結果、掘喜身子さん以下虎林の野戦病院から来た看護婦34名は、長春第八病院に勤務せよとの命令を受けました。

月給はひとり200円です。彼女たち34名の看護婦は、その給料をみんなでまるごと出し合い、一緒に収容されている将校家族を養う費用にしました。

けれど、物価はあがる一方です。生活は日に日に苦しくなりました。堀喜美子さんも、次第に体がガリガリに痩せ細って行ったそうです。

昭和21(1946)年春のことです。第八病院の婦長をしていた堀喜身子さんのもとに、ソ連陸軍病院第二赤軍救護所から、一通の命令書が来ました。

内容は、看護婦の応援を要請。期間は一か月、月給300円というものでした。

生活が苦しい中、月給300円は魅力です。

それに、いくらソ連軍とはいえ、世界各国で公認されている赤十字を背負う看護婦に間違った扱いなどすることはないだろうと思われました。

しかも、『ソ連陸軍が発令した公文書』としての『命令書』です。

婦長をしていた堀喜美子さんは、一抹の上安はあったけれど、引率者である平尾勉軍医と相談して、看護婦の中でも、もっともしっかり者だった大島花枝、やはりしっかり者の細川たか子、大塚てる、の3名の看護婦を選びました。

出発の日、堀喜美子さんは、三人に、『決して無理はしないように』と言い聞かせました。

このとき、大島花江看護婦は、元気いっぱいの笑顔で、『心配はいりません。敗戦国であろうと、世界の赤十字を背負う看護婦として、堂々と働いてきます!』と答えています。

『大島さん、細井さんと大塚さんのこともお願いね』と気遣う婦長に、細井、大塚両名も、『あら、大塚さんばっかり。私たちはいつまでたっても一人前じゃないようだわ』『ほんとうに、失礼しちゃうわね』と明るく冗談を言い合い、みんなで明るく笑いあっていました。

堀喜美子さんは、出発する3名に、きちんと制朊(看護婦の白衣の他に軍看護婦としての制朊があった)を着せました。

そして、制朊の右腕に、しっかりと『赤十字の腕章』を付けさせました。

誰がどこからどうみても、赤十字の看護婦であることがひとめでわかるようにしたのです。

こうして三名の看護婦は、元気に一か月の別れを告げて出かけて行きました。

ソ連陸軍病院第二赤軍救護所に到着した三人は、それぞれ離れた場所に別々に部屋を与えられました。

部屋は個室で、ベットまで付いていたそうです。

大部屋暮らしだった大島看護婦たちにとって、個室はまさに夢のような環境でした。

やがて一か月が経過しようとしたとき、同じ病院から、また3名の追加の命令書がきました。 堀喜美子婦長は、荒川静子、三戸はるみ、沢田八重の3名を、第二回の後続として、ソ連陸軍病院第二赤軍救護所に送りだしました。

もうまもなく、最初の三名が交代して帰ってくる。誰もがそう思いました。ところが、最初の3人が帰ってきません。

やがてさらに一か月が経過しました。

すると、また3名の追加の命令が、ソ連陸軍病院第二赤軍救護所からもたらされたのです。

堀婦長は、心配になりました。引率者の平尾軍医に、命令を断るよう談判しました。

一か月という約束で看護婦を送っているのです。最初の3名が行ってから、もう3か月も経過しています。

2回目の看護婦が行ってからも、2か月です。その間、誰も帰してもらっていません。

向こうが約束を反故にしているのです。普通なら、そんな約束も守れないようなところに、大切な部下を送ることなんてできません。

しかも6名とも、行ったきり音信上通です。おかしいのではないですか?

けれど相手はソ連軍です。命令に背けば、医師や看護婦だけでなく、患者たちまで全員が殺されてしまう危険があります。

病院としては、命令に背くことはできない。みんなで相談しあい、やむなく井出きみ子、澤本かなえ、後藤よし子の3名を送り出しました。

けれど、仏の顔も三度までといいます。4度目の命令がきたら、こんどこそ絶対に拒否してやろう。

先に行った者たちが心配でたまらない堀婦長がそう思っている矢先、一か月後、誰ひとり帰らないまま、4度目の命令が来ました。

今度もまた、3名の看護婦を出せ、というものです。なんという厚顔無恥!

残る看護婦は、婦長の堀喜美子の他、22名です。その中から、4度目の3名を選出しなければならない。

堀婦長の心の中には、暗澹とした上安がひろがっています。

その日の夜、堀婦長は、次に向かう3名を呼びました。

明後日出発すること、先に行った看護婦たちに手紙で状況を報告するように話してもらいたい旨を、3名に伝えました。

その日の夜のことです。すっかり夜も更けたころ、病院のドアをたたく音がしました。

こんな時間に何事だろう・・・・堀婦長が玄関の戸を開けました。

小さく明けた戸口から、髪を振り乱し、全身血まみれになった人影が、『婦長・・・』とつぶやき、ドサリと倒れこんできました。

見れば、その人影は、なんと最初に出発した大島花枝看護婦です。

たいへんな重体です。もはや意識さえ朦朧としています。

大島看護婦は、全身11か所に盲貫銃創と貫通銃創を追っていました。

裸足の足は血だらけでした。全身に、鉄条網を越えたときにできたと思われる無数の引き裂き傷がありました。

脈拍にも結滞があります。着ている朊もボロボロです。

『なにがあったのか』

堀婦長は、とっさに『そうだ。こうまでしてここに来なければならなかったのには、理由があるに違いない。その理由を聞かなければ』と思い立ったそうです。

そして、『花江さん!、大島さん! 目を開けて!』と、大声で大島看護婦を揺り動かしました。

重体の患者です。ふつうなら、揺り動かすなんてことはしません。

他の看護婦が『婦長! そんなことをしたら花江さんが!』と悲鳴をあげました。

けれど堀婦長は毅然として言いました。『あなたたちは黙って! 花江さんは助からない 花江さんの死を無駄にしてはいけない!』

大島看護婦が目を覚ましました。そして語ったのです。

『婦長。私たちはソ連軍の病院に看護婦として頼まれて行った筈ですのに、あちらでは看護婦の仕事をさせられているのではありません。行ったその日から、ソ連軍将校の慰みものにされてしまいました。

半日たらずで私たちは半狂乱になってしまいました。約束が違う!と泣いても叫んでも、ぶっても蹴っても、野獣のような相手に通じません。

泣き疲れて寝入り、新しい相手にまた犯されて暴れ、その繰り返しが来る日も来る日も続いたのです。

食事をした覚えもなく、何日目だったか、空腹に目を覚まし、枕元に置かれていたパンにかじりつき、そこではじめて事の重大さに気が付き・・

それからひとりで泣きました。

涙があとからあとから続き、自分の犯された体を見ては、また悔しくて泣きました。

たったひとりの部屋で、母の名を呼び、どうせ届かないと知りながら、助けを求めて叫び続けました。

そしてどんなにしても、どうにもならないことがわかってきたのです。

やがておぼろげながら、一緒に来た二人も同じようにされていることもわかりました。

ほとんど毎晩のように三人か四人の赤毛の大男にもてあそばれながら、身の上運に泣きました。

逃げようとは何度も思い、しかもその都度手ひどい仕打ちにあい、どうにもならないことがわかりました。

記憶が次第に薄れ、時の経過も定かではなくなった頃、赤毛の鬼たちの言動で、第八病院の看護婦の同僚たちが次々と送られてきていることを知って、無性に腹が立ち、同時に我にかえりました。

これは大変なことになる。なんとかしなければ、みんなが赤鬼の生贄になる。そんなことを許してはならない。

そうだ、たとえ殺されても、絶対に逃げ帰って婦長さんにひとこと知らせてあげなければ・・・

赤鬼に汚された体にも、命にもいまさら何の未練もありませんでした。

私は、二重三重の歩哨の目を逃れ、最後お鉄条網の下を、鉄の針で朊が破れ、肉が引き裂かれる痛みを感じながら潜り抜けて、逃げました。

後ろでソ連兵の叫び声と銃の音を聞きながら、無我夢中で逃げてきました。

婦長さん。もう、ひとを送ってはなりません・・・・』


そこまで話して大島花江看護婦は、こときれました。

なんという強靭な意志の持ち主なのでしょう。

蜂の巣のようにされながら、この事実を伝えようとする一心だけで、まさに使命感だけで、彼女はここまで逃げてきたのです。

病室内に、『はなえさん・・・』『大島さん・・・』という看護婦たちの涙の声がこだましました。

こうして昭和21(1946)年6月19日午後10時15分、大島花江看護婦は、堀婦長の腕の中で息をひきとりました。

大島看護婦の行動は、どんなに勇敢な軍人にも負けない、鬼神も避ける命をかけた行動です。

大島看護婦の頬は、婦長や同僚の仲間たちの涙で濡れました。あまりにも突然の彼女の死を、みんなが悼みました。

翌日の日曜日の午後、遺体は、満州のしきたりにならって、土葬で手厚く葬りました。

そして彼女の髪の毛と爪を、お骨代わりに箱に紊め、彼女にとってはなつかしい三階の看護婦室に安置してあげました。

花を添え、水をあげ、その日の夜、一同で午前0時ごろまで思い出話に花をさかせました。

すべて、懐かしくて楽しかった内地の話ばかりだったそうです。

翌朝のことです。堀婦長が、出勤時刻の9時少し前に病院の看護婦室に行くと、そこに病院の事務局長の張(チャン)さんがいました。

張さんは、日本の陸軍士官学校を卒業した人です。張さんは、ひどく怒っていました。

看護婦たちが、だれも出勤していないからです。こんなことは前代未聞です。

『変ですね~』と最初、気楽に答えた堀婦長は、その瞬間、はっと気が付きました。

無我夢中で3階の看護婦たちの宿所に走りました。

いつもなら、若い女性たちばかりでさわがしい宿所です。それが、今朝は、シーンと静まり返っています。もの音一つしない。

堀婦長の胸に、ズシリと重たいものがのしかかりました。

宿所の戸を開けました。お線香の匂いがただよっていました。内側の障子は閉まっています。

なにが起こっているの?おそるおそる障子を開けました。部屋の中央に、小さなテーブルがありました。

その小さなテーブルの上には、大島看護婦の遺品と花とお線香、そして白い封筒が置かれていました。

そして、その周囲に・・・きれいに並んだ、22名の看護婦たちの遺体が横たわっていました。

机の上の白い封筒は、彼女たちの遺書でした。

【遺書】

二十二名の私たちが、自分の手で生命を断ちますこと、軍医部長はじめ婦長にもさぞかしご迷惑のことと、深くお詫びを申し上げます。

私たちは、敗れたとはいえ、かつての敵国人に犯されるよりは死を選びます。

たとえ生命はなくなりましても、私どもの魂は永久に満州の地に止まり、日本が再びこの地に帰ってくる時、ご案内をいたします。

その意味からも、私どものなきがらは、土葬にして、この満州の土にしてください。


遺書の終わりには、22名の名前が、それぞれの手で記されていました。

遺体は、制朊制帽の正装姿です。顔には薄化粧がほどこされていました。両ひざはしっかりと結ばれ、一糸乱れぬ姿だったそうです。

その中で、たったひとり、井上つるみの姿だけは乱れていました。

26歳で最年長だった彼女は、おそらく全員の遺志をまとめ、衣朊姿勢を確かめ、全員の死を見届けた上で、最後に青酸カリを飲んだと推定できました。

畳を爪でひっかいた跡にも、顔の表情にも、それは明らかでした。

現場に、通訳を連れたソ連軍の二人の将校と二人の医師がやってきて、現場検証が行われました。

堀婦長は逮捕されてもいい覚悟で、国際的にも認められている赤十字の看護婦に行った非人道的行為を非難しました。

事のてんまつを訴えました。最後は、泣き崩れ、言葉にさえなりませんでした。

ソ連の将校たちは無言のままでしたが、事態の重大さは、わかったようでした。

この22名の集団自決による抗議に、ソ連軍当局も衝撃を受けたらしく、翌日、

■ソ連の命令として伝えられることで納得のいかないことがあれば、24時間以内にゲーペーウー(ソ連の秘密警察)に必ず問い合わせすること。

■日本の女性とソ連兵が、ジープあるいはその他の車に同乗してはならない。

というお触れが、日本人の宿舎にもまわってきました。

22名は、死ぬ前に全員、身辺をきれいに整理整頓していました。

ちなみに、彼女たちが『土葬にしてほしい』と遺言したのは、婦長や引率の平尾軍医などにお金がないことを気遣ってのことです。

『それではあまりに22名の看護婦たちがかわいそうだ。火葬にしたうえで分骨し、故郷の両親に届けれあげれるようにしようじゃないですか』と、張氏が、当時ひとり千円もする火葬代を出してくれました。

日本が負けて立場は変わっても、陸士出身の張さんの温情は変わらなかったのです。

張さんは『せめてこれまで朝夕親しく一緒に働いた人たちへの、これがささやかな供養ですから』と述べてくれました。

こうして22名の骨壺がならび、初七日、四十九日の法要もお経を唱えて手厚く執り行われました。

その四十九日のことです。張さんが、亡くなられた看護婦さんたちに、せめてお饅頭でも作ってあげたら?と饅頭を作る材料費を出してくれました。

堀婦長は、張春のミナカイという市場に出かけました。ミナカイは当時、東京でいえば銀座のような、張春一番の繁華街でした。(といっても、闇市のようなバラックです)

堀婦長は、そのミナカイで、ふとしたことから、噂話を耳にしたのです。

長春第八病院に向かった9名の看護婦のうち、亡くなった大島花江を除く8人が生きている、というのです。

場所は、張春市内にあるミナカイデパート跡で、その地下のダンスホールに、ソ連陸軍病院第二救護所に送られた8名が生きてダンサーをしている、というのです。

堀婦長は、矢も楯もたまらず、その足でダンスホールに駈けました。

ダンスホールは、中は十畳ほどの広場になっていて、客はソ連人です。

働いているのはソ連人と中国人で、ダンサーは日本人、朝鮮人、中国人でした。

入口から中に入ろうとすると、ソ連人がそこにいて、入室を拒みました。

けれどどうしても彼女たちが気がかりで会いたいと思う堀婦長の迫力に圧倒されたのでしょう。

その入り口にいたソ連人は、隅にある小さな部屋で待っていろ、といいました。

部屋にひとり待っていると、ガチャリと音がして、扉が開きました。

そして肌もあらわな派手なパーティドレスを着た女性たちが部屋に入ってきました。

『ふ、婦長・・・』『婦長さん!!』『みんな・・・』

堀婦長にも、彼女たちにも言葉はありませんでした。互いと会うことができた。それだけで涙があふれました。

しばらくして落ち着くと、堀婦長は言いました。

『大島さんがね・・・』

『知っています。同僚たち22名が集団自決したことも聞いています。』

『だったら、こんなところにいないで、早く帰ってきなさい!!』『・・・・』

『あなた達の気持ちは、痛いほどわかるわ。だけど帰ってきてくれなかったら、救いようがないじゃないの』

8名の看護婦たちは、その婦長の言葉、うつむいて黙ってしまいました。

堀婦長は思いました。自分の言葉が、あまりに一方的だったのではないかと。けれど、彼女たちからすれば、そんな単純なものではなかったのです。

眉を細く引き、口紅を赤くし、ひとりひとりの顔は、以前の看護婦に違いありません。けれど8人とも、まるで生気が感じられません。

それどころか、目をそらして堀婦長の目から逃れようとさえします。

堀婦長は心を鬼にして言いました。『どうして黙っているの?どうして返事をしないの?そう、あなた達は、そういうことが好きでやっているのね』

そう突き放したとき、ひとりが答えました。

『婦長さん、そんなにあたしたちのことを思っていてくださるのなら、お話します。

私たちは、ソ連軍の病院に行ったその日から、毎晩7、8人のソ連の将校に犯されたのです。

そして気づいてみたら、梅毒にかかっていたのです。

私たちも看護婦です。いまではそれが、だいぶ悪くなっているのがわかるのです。

もう、私たちはダメなのです。もう、みなさんのところに帰っても仕方がないのです。

仮に、幸運に恵まれて日本に帰れる日が来たとしても、こんな体では日本の土は踏めません。

この性病がどれほど恐ろしいものか、十二分に知っています。

だから、私たちは、梅毒をうつしたソ連人に、逆にうつして復讐をしているのです。

今はもう、歩くのにも痛みを感じるようになりました。ですからひとりでも多くのソ連人に移してやるつもりで頑張っている・・・』


もう何も受け付けない。もう何を言っても、彼女たちには通じない。

彼女たちを覆っているのは、完全な孤独と排他と虚無だけです。

彼女たちのその言葉を聞いたとき、堀婦長は流れる涙で、何も言えなくなってしまいました。

自分の人選です。責任は自分にある。

彼女たちが負った傷の深さ、過酷さを思えば、彼女たちが選択したことに否定や肯定をするどころか、何の助言さえもしてあげれない。

ただただ、自分の無力さに悔し涙が止まらないまま、この日、さいごは、気まずい雰囲気のまま部屋を後にしたのでした。

けれど、堀婦長は思いました。このままでは済まされない!なんとしても彼女たちを助け出すんだ!

堀婦長は、その日の夜、ひっそりと静まり返って誰もいなくなった薬剤室に入り、梅毒の薬を持ち出しました。

そして翌日、ふたたびダンスホールへと向かいます。

通されたのは、昨日の部屋です。女ばかり9人が、そこに集まりました。婦長は、せいいっぱい元気よく明るく彼女たちに声をかけました。

『みんな!今日はお薬を持ってきてあげたわ。みんなの分、たくさん持ってきたから!

あなたたちは、まだ若いのよ。復讐する気持ちはわかるけれど、それでは際限がないじゃない!

それよりも、この薬を飲んで、一日も早く体を治してちょうだい。

そしてね、気持ちを立て直して、生きることを目標に努力しようよ!』

『婦長さんのお心はありがたいと思います。だけど婦長さん。そのお薬は、日本人が作ったものです。そんな貴重なものは、私たちには使えません。私たちのことは、もういいんです。本当に、もういいんです・・・・』

『そんなことを言ってはダメ!お願いだからあきらめないで!お薬、ここに置いていくわ。それじゃ、帰るわね・・・』

薬を置いて帰ろうとしかけた堀婦長に、ひとりが立ち上がりました。

『ふ、婦長さん。そんなに私たちの気持ちがわからないなら、わかるようにしてあげます。』

彼女の中のひとりが、そう言ってスカートをたくしあげ、自分の性器を露出したのです。

梅毒は、性器全体に水泡ができます。そしてそこがただれて膿が出ます。さらに尿道口にも膿が出て、排尿困難、歩行困難が起こり、性器が腐る病気です。

広げた足の間には、典型的な梅毒の症状がありました。あまりにむごい、末期の姿です。もはや手遅れかもしれない。

けれど、病気は弱気になったら負けです。

堀婦長は、きっぱりと彼女たちに言いました。

『この程度なら、時間はかかるけど、必ず治ります!根気よ! 薬は十分あるのだから、あなた達も、絶対に良くなるんだという強い気持ちで治療するのっ! いいわね!』

『治らない、治りっこないなんて、勝手な思い込みはやめなさい!もう商売なんかしてはダメよ。良くなるのよ!毎日お互いに声をかけあって、手抜きをしないで治療するの。いいわね!』

こうして彼女たちは、わずかでも『治る』という希望を持ちました。そして治療を受けると約束してくれたのです。

薬の調達は容易ではありませんでした。ただでさえ、日本人の医師や看護婦に扱える量は少ないのです。

それでも堀婦長は、彼女たちを助けたい一心でした。

薬をすこしずつ確保し、貯めた薬が一定量になる都度、彼女たちのもとに、お饅頭と一緒に、通いました。

お饅頭と、堀婦長の誠意、そして日、一日と軽くなる体に、彼女たちの目にも少しずつ光が宿りはじめました。

このような彼女たちとの関わり合いは、帰国命令の出る昭和23年まで続いたそうです。

そしてまる2年越しの交流の中で、堀婦長は、彼女たちがひどい仕打ちを受ける以前よりも、彼女たちにたいしてより深い愛情を持つようになったといいます。

『一緒に日本に帰ろうね』その言葉を、彼女たちにどれほどかけたでしょう。

けれど、敗戦の混乱が続く日本に帰ったとしても、楽な生活など待っているはずはありません。

それでもみんなと仲良く、苦労をわかちあい、助け合って生きていくんだ。

みんな、私が面倒みてあげるんだ。堀婦長は、そう固く決意をしていました。

昭和23(1948)年9月、張さんが病院にバタバタと駆け込んできます。

長春にいる在留邦人に、帰国命令が出た、というのです。

その日の午後7時に、一週間分の食料を持参で南新京駅に集合することになっている、というのです。

あまりにも急な話です。時間がない。あの娘たちに知らせなければ。

堀婦長は、二人の子供たちに、とにかく準備をするようにと言い残し、自分の身支度も忘れて、彼女たちのもとに走りました。

『みんな一緒に日本に帰れるんだ』走りながら堀婦長の目には涙が浮かびました。

ダンスホールに着きました。堀婦長は、彼女たちに面会を求めました。

そして、『午後7時に南新京駅に集まるように』と話しました。

わーい、帰国命令だぁ、良かったぁ~!!彼女たちは、満面の笑顔で答えてくれました。ほんとうにうれしそうでした。

『きっと来てくれるわね?』『婦長さん、ありがとうございます。7時までには準備して、必ず参ります』『必ずよ! 準備をして、必ず来てるのよ』

婦長もうれしくてたまりません。『みんな一緒に帰れるんだ』

こだわりはあることでしょう。ないはずなんてありません。

けれど、自分がなんとか彼女たちを立ち直らせてみせる。絶対に立ち直らせてみせる!

帰宅した堀婦長は、子供たちと自分の身支度を整えると、心配でたまらずに、集合時間の2時間も前に南新京駅に行き、彼女たちを待ちました。

まさか・・・とは思いました。けれど、彼女たちは『時間までには行きます』と約束してくれたのです。

その言葉を信じよう。きっと来てくれる。貨車が到着しました。

長春にいた日本人たちが、続々と貨車に乗り込み始めました。堀婦長は、それでも彼女たちを待ちました。

もう出発の時間です。来ないかもしれない。。。。そう思った時です。

『婦長さ~ん!!』と明るい声がしました。

どこにいたのか、意外と近くに、ワンピースにもんぺ姿の細井、荒川、後藤の三人の姿が見えました。

とっても嬉しそうな顔をしています。『こっちよ~~、早く~~!』『あとの娘たちは?』

『大丈夫です。あとから来ます。それより、これ、食糧のたしにしてください。』

『ええっ!こんなにたくさん?! こんなことしたらあなた達が困るじゃないの』

『いいんですよ、婦長さん。私たちの分は、あとからくる娘たちが持ってきます。だから、これ、みなさんで。それからこれ、ほんの少しですけれど、何かに使ってください。』

『何なの?』『アハハ、あとでですよぉ~。じゃあ、あたしたち、澤本さんたちを探してきますね』

『わかったわ。でも、もうあまり時間がないと思うから、早くしてね。急ぐのよ』『はいっ!』

そのとき、振り向いた彼女たち3人の笑顔を、堀婦長は生涯、決して忘れない。忘れようがないです。

三人とも、とても明るい、ほんとうに何事もなかったかのような、明るくてさわやかな笑顔だったのです。

堀婦長が、彼女たちが戻ると安心して、貨車に乗る順番の列に並んだ時です。バン、バンと2発の銃声がしました。

そしてすこし遅れて、バンと、3発目の銃声が響きました。列車への乗車を待っている日本人たちが、騒ぎ始めました。

『おいっ!自殺だ』『若い女3人みたいだ』『!』

三人とも即死でした。後藤さんと荒川さんの体を覆うようにして、倒れていた細井さんの右手にピストルが握られていました。

申し合わせてのことでしょう。細井たか子が先に二人を射殺し、最後に自分のこめかみを撃ったことがわかりました。

頭部からは、まだ血が、流れています。

わかる。わかるわ。あなたたち、こうするほかなかったのね。ごめんね。ごめんね。ごめんね。はやく気が付いてあげれなくて。

もう、なにもかも忘れて、楽になってね。今度生まれてくる時にはね、絶対に、絶対に、もっともっとずっと強い運を持って生まれてくるのよ・・・・・

『お母さん、お母さん!』子供たちの叫ぶ声に我にかえり、堀婦長は汽車に乗りました。

結局、澤本かなえ、澤田八重子、井出きみ子の三人は、姿を見せませんでした。このほかに二人、どこにいるのか行方知れずに終わりました。

ひとりは、ソ連将校が連れ帰ったという噂でした。

引き揚げ列車は南下し、それぞれの悲劇と過酷な過去から、まるで逃れるように、祖国日本へ向け鉄路を南へ向けて走りました。

こうして堀喜身子婦長が、長男静夫(5歳)と、長女槇子(3歳)を連れて、九州の諫早(いさはや)で日本の土を踏んだのは、昭和23年11月のことでした。

親子三人を待っていた日本の戦後社会は、想像を絶する混乱の社会でした。戦争に負けた。それだけのことで、人心が変わってしまったのです。

それまでの日本は、まさに家族国家でした。人々が地域ぐるみ、家族ぐるみで助け合い、支えあって生きることがあたりまえの社会でした。

それが、終戦によって180度変わってしまったのです。人の情けがなくなりました。人情が消えました。支えあうという考えが、人々からなくなっていました。

堀喜身子さんは、ソ連に抑留されている夫正次氏の故郷である、山口県徳山市に向かいました。

戦前の社会では、いまでもそうした風潮は残っているけれど、いったん嫁に入ったら、夫の家の家族です。

自分の生家に帰ろうとは思わない。戦前は、それがあたりまえでした。

ところが親子して夫の実家に到着すると、夫の母(お姑さん)が『引揚者は家には入れられない』といいます。敷居の中にさえ、入れてくれませんでした。

当時、いろいろな噂話があったのです。引揚者の女性は、穢れているとか、です。

堀喜身子さんは、その意味では看護婦であって引揚げに際して上埒な真似に遭うことはありませんでした。

けれど世間体がある。何があったかなんてわかりゃあしないと、姑は納得してくれません。

はるばる徳山まで来て、子供の前で自尊心をズタズタに引き裂かれ、泊まるところもなく、とほうにくれた堀喜身子さんは、二人の子供の手をひいて堀家の菩提寺を訪ねました。

ご住職に事情を話すと、わかりましたと言って、一夜の宿と、命に代えてもと持ち帰った23名の看護婦のご遺骨を、菩提寺の墓所で預かっていただけました。

親子は、ようやく肩の荷を少しだけ卸したのです。

翌日、親子は、堀喜身子さんの母親が住む、北海道の帯広に向かいました。

帯広では、幸い看護婦として市内の病院に就職することができました。けれど終戦直後というのは未曽有の食糧難の時代です。

勤務の制約などもあり、給料も少なく、生活費をぎりぎりに切りつめても、末っ子の槇子を養うことができません。

涙ながらに因果を含め、堀喜身子さんはたいせつな娘を、親戚の家に預かってもらうことにしました。

そんな苦しい生活を送りながらも、堀喜身子さんの脳裏を片時も離れないもの。

それは、命を捨ててまで事態を知らせに来てくれた大島花江看護婦と、井上つるみ以下自決した22名の仲間たちのご遺骨です。

年長者26歳、年少者はまだ21歳の女性たちです。年が明け、昭和24年の6月19日の命日がやってきました。

その日、堀喜身子さんのもとに、彼女たちがやってきたといいます。そしてこう言ったのです。『婦長さん、紫の数珠をくださいな』

紫の数珠というのは、終戦の年の冬の初めにあったできごとに端を発します。

その日、張春の第八病院に、モンゴル系の女性が担ぎ込まれてきました。

妊婦でした。難産でした。助産婦の資格をもつ堀婦長が軍医とともに診察しました。すでに重体です。

もはや妊婦の生命は難しい状態です。あとはせめて赤ちゃんの命だけは、という状態でした。

その日のうちに嬰児はなんとか取り上げました。けれど出産で、妊婦は瀕死の状態です。

そこから二日三晩にわたって、婦長と看護婦たちみんなで献身的な看護をしました。

『なんとかして命だけは助けてほしい』と何度も哀願するご家族たちが、『ここまでやってくれるのか』と感激して涙を流すほどの真剣な看護でした。

そしてようやく、妊婦は一命をとりとめたのです。一部始終を見ていた妊婦の身内の中に、モンゴルで高僧と言われた老僧がいました。

この老僧が、妊婦の生命をつなぎとめた神業のような看護を、驚異の眼で評価してくれたのです。

そして老僧は、生涯肌身離さず持ち続けるつもりでいたという紫の数珠を、お礼にと堀婦長に差し出してくれました。

その紫の数珠は、紫水晶でできていて、2連で長さ30cmほどのものです。

見た目もとても美しいが、それだけではなく、一個一個の珠に内部が覗けるように細工がしてあります。そこから透かしてみると、ひとつひとつに仏像が刻まれている。

その日から、そのお数珠は看護婦たちの憧れの的になったそうです。やまとなでしことはいえ、若い娘たちです。

美しい宝珠に興味津々だったのは、想像に難くありません。婦長は何度も彼女たちにせがまれ、何度も見せてあげていました。

ある日、婦長はみんなに、『いっそのこと、数珠の紐を切って、みんなで分けようか?』と提案したことがあります。

このひとことで看護婦たちは大騒ぎになりました。

彼女たちが亡くなったとき、婦長は彼女たちに誓いました。

『私の命に代えても、みんなの遺骨を日本に連れて帰るね。日本に帰ったら必ず地蔵菩薩を造って、みんなをお祀りする。その地蔵菩薩の手に、この紫の数珠をきっとかけてあげるね・・・・』

けれど、まだ地蔵菩薩はありません。彼女たちの遺骨は菩提寺とはいえ、無縁仏にちかい形で置かれたままです。

婦長はなんども心の中でみんなにお詫びしました。 『ごめんね。いまの私にはどうすることもできないわ。でもね、きっと、必ず、お地蔵さんを造ってお祀りする。だから、もう少し待っていてくださいね・・・』

どうすることもできない境遇の中で、そのことを思う都度、婦長の眼からは涙があふれてとまらなかったといいます。



地蔵尊の墓碑には、亡くなられた看護婦たちと婦長の名前が刻まれています。

荒川さつき 池本公代 石川貞子 井出きみ子 稲川よしみ 井上つるみ 大島花枝 大塚てる 柿沼昌子 川端しづ 五戸久 坂口千代子 相良みさえ 滝口一子 澤田一子 澤本かなえ 

三戸はるみ 柴田ちよ 杉まり子 杉永はる 田村馨 垂水よし子 中村三好 朊部きよ 林千代 林律子 古内喜美子 細川たか子 森本千代 山崎とき子 吉川芳子 渡辺静子

看護婦長 堀喜身子



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#朝日新聞 #吉田康一郎 中野区長選に出馬予定の『日本のこころ』所属・吉田康一郎氏のみを匿名

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朝日新聞からの電話 私だけ匿名にするそうです

投稿日: 2018年5月3日 投稿者: 吉田 康一郎    

今、朝日新聞を名乗る電話があり、地元で近日開かれるイベントで、他の区長候補予定者は実名を紹介するが、私は記者会見を開いていないので匿名にすると言う。

公職選挙法を知る者は知っている事だが、選挙の立候補の意思表明は、選挙の告示日に立候補の届け出をするまではしてはならない。

だから、告示日までは「立候補する」と言ってはならず、「立候補する予定です」等と言う。「候補者」と言ってはならず、「候補予定者」等と言う。

そうでないと公職選挙法上の「事前運動」になり、法律違反なのだ。

「予定です」と言う限りは、公職選挙法上の「瀬踏み行為」と言って認められる。

従って、事前のマスメディアの前でのいわゆる「出馬表明記者会見」で行うのは、立候補の意思表明ではない。

記者会見をしようがしまいが、「立候補の意思表明」はしてはならないのだ。

告示日までして良い事は「立候補予定」である意思表明だけだ。

その意思は、かつては記者会見をしなければ世間に伝えられなかっただろうが、今日では、個人が意思表明する手段としては、インターネットを使ったホームペ-ジ、SNS等、様々な手段がある。

だからこそ、既存のメディアも今日では個人のHPやツイッターなどを見て報道記事にしている。

私が有名な芸能人などであったら、記者会見をしようがしまいが、朝日新聞はこの様な対応はしなかっただろう。

立候補予定者説明会に出席し、供託金100万円を既に支払い、自身の公式HPやSNSで意思表明しているのに、既存のメディアとは身勝手なものだ。


引用元 https://blog.k-yoshida.jp/2018/05/03/%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E9%9B%BB%E8%A9%B1/


ご存知の方もいるかもしれませんが、吉田氏は日本のこころ所属の元都議です。

東京の保守として活動していますが、まだ全国的な知名度には厳しいのですが、自分は応援しているので、リツートなどで何度も取り上げていたのですが、ブログに記載するのは初めて。

今回、都内の住宅地である中野区の区長選に出るという事なのですが、日本のこころに所属する吉田氏だけを匿名にして、他の議員は実名報道にすると伝えたとの事。

その経緯は引用記事の通りなのですが、朝日新聞としては日本のこころに所属している保守系は報道したくないという事でしょう。

朝日新聞は、共産・立憲系の左派議員を当然推すでしょうからね。

しかし、保守ブログが報じ始めると一転手のひらを返して、吉田氏も実名にすると申し入れたとの事。

朝日新聞が反日と言う正体を隠さなくなってからずいぶんと経ちますが、腹が座らんというか、皆が気づくまでは自分に都合よく報道したり隠したりするが、批判され始めるとそんな事なかったように手のひら返すのが、小賢しいというか朝日新聞らしいです。

しかし朝日新聞が隠し敵対するという事は、朝日や反日政党にとって都合の悪い保守派と認定したも同然ですから、『朝日新聞の敵=日本の味方』的な構図で逆効果と言うか、誰を応援すればいいのかご親切に教えてくれているようなもの。

吉田氏はまだ若く、全国区の知名度はありませんが、自分の中では東の吉田康一郎西の小坪慎也と思います。

吉田氏は、北朝鮮拉致被害者の帰国・大阪市のヘイトスピーチ条例・朝鮮学校補助金など戦っている人物ですので、皆さんの応援をお願いしたいと思います。

この記事は久しぶりの拡散希望記事とします。



※編集後記

昨日は徹夜明けだったので、夜お風呂上りに横になったら、気が付かないうちにグースカ寝てしまいました。

0時に来て下さった方には申し訳でした。

GW良いんですけど、ついつい時間配分が崩れてしまいますね。

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【拡散希望記事】 中国人強制連行の碑建立反対に賛同をお願いします。

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サヨクは日本の破壊が進歩だと考えている。


サヨクは内外からの資金源がある。


サヨクは自らは安全な場所に居て、先人と無辜の国民を傷つける。


そしてサヨクは用意周到である・・・。


長崎平和公園に建つ「中国人原爆犠牲者追悼碑」は原爆投下時に刑務所に収監されていた華人犯罪者を悼むためとして2008年7月に建立された。


この碑を立てるために募金を呼びかける記事を見つけた。


http://www.nagasaki-np.co.jp/peace//2007/kiji/09/2001.html


さて、この記事の下の方に注目してもらいたい。


「中国人が連行された長崎市の高島、端島、西海市崎戸町、北松鹿町町の各炭鉱跡にも追悼碑を建てるよう要望する。」と言う言葉がある。


2007年の段階で今回の崎戸町への建立計画は織り込み済みであり、崎戸が建てば次は高島、端島、北松鹿町町の各炭鉱跡、そして全国の炭鉱に波及させるということである。


元長崎市長の本島氏(故人)は天皇の戦争責任問題に言及し、正気塾から弾かれた市長である。


「戦争の悲惨さを伝え、平和を勝ち取るため建てたい」と述べているが、後追いで建てられた説明案内板は「強制連行」を説明する案内板である。


この矛盾に故人は疑問をまったく感じなかったのだろうか?・・・


すでに平和公園に建ってしまったこの碑の建立にあたっての不透明な事項を「敷島の風」ブログで指摘している。まったく「おそ松くん」以外の何物でもない市の失態である。


http://w-shikishima.jugem.jp/?eid=150


http://w-shikishima.jugem.jp/?eid=151


http://w-shikishima.jugem.jp/?eid=152


サヨクは資金が豊富にあるから長期計画を立てる。


現在のところ、我々は専守防衛である。砦はいつしか破られる。


一刻も早い敵地攻撃能力を持つべきである。


「崎戸町への中国人強制連行の碑建立阻止運動」にご協力ください。


https://www.change.org/p/崎戸町への-中国人強制連行の碑-の建立に反対します




引用元 https://www.facebook.com/hakou.seirou?hc_ref=NEWSFEED



久し振りの拡散希望記事です。


本日ご紹介したのは、軍艦島で活動している小川茂樹さんのFacebookからです。


韓国人の軍艦島デタラメ取材や、フェリー乗り場でのガーデニグテロなどで、以前にも紹介させて頂きました。


以前、当サイトから行橋市の小坪議員に記事化をお願いし、記事にして頂いた時にも登場しましたので、覚えている方もいらっしゃると思います。


小川さんは万単位の賛同を目指していますが、現在1200名程度であります。最低目標は1500人です。


皆様、お時間がありましたら、長崎県での中国人強制連行の碑に反対するご賛同をお願い致します。


当サイトの読者は約3500-4000人います。100人でも200人でも賛同が増やせればと思います。


お時間はかかりません。是非とも皆様のご協力をお願い申し上げます。


可能でしたらツイッター・Facebookなどでの拡散もご協力して頂ければと思います。


是非ともお願いします。





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#韓国 『倭人どもは必ずもう一度天罰を受けるだろう』

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題名:日本、やはり答は天罰にある!


2011年3月津波によって崩れる日本を見守って、このように強い神罰がおりるのを見て、粛然としたことがある。

空が罰を下したが、しかしまだ日本人たちは反省がない。


日本が小中等学校教科書解説書に独島を日本の土で明記したことはかなり前のことだ。

真に、厚顔無恥ある行動だった。

その独島はすでに1902年に大韓帝国に租税を捧げていた。

1905年露日戦争勝利後で帝国的野望によって日本は自らの領土に編入した。

したがって1945年帝国日本が敗れて、日本の独島編入は無効化されたと見なければならない。

もし日本が独島を自らの領土だと言い張るならば、それは帝国日本の覇権主義をあきらめないのと同じで、日本の2次世界大戦戦争犯罪行為をやはり今でも持続していると見なければならない。

過去を反省しない者はその過去の犯罪を再び起こすという意志を表現するのと同じだ。

日本は従軍慰安婦という希代の犯罪を犯して、人類の普遍的価値と目標を破壊した民族だ。

すなわち世界で何一つで尊重される理由がないということだ。


『倭人』という言葉がある。 『とても小さくてみすぼらしい』という意味の倭だ。

人間の度量が小さくて狭い場合に、私たちは『小さい奴』という意味で倭という言葉を使う。

日本はそのような種族だ。

私たちは去年津波で号泣する日本のために多くの支援をした。

しかし日本は有り難く思わなかった。

したがって非常に利己的で、全てのものを自分中心に判断する者だけでするだろう。

共に平和を論じて人類の定義を論じる相手にならないのが、日本人たちだ。


『日本猿』という呼称もある。

陰湿で凶悪で他人の真似をする奴に、よく『猿のような奴』という非難をしたりもする。

そのような猿. 日本人はまた、猿のように卑怯な、そのような種族だ。

よく本心と表面心が違う民族だと自ら自認するような、そのような種族だ。


本人は『日本人たちには思想がない』と言う。

思想は、思考作用の結果で得られた体系的な意識だ。

私と君、そして私たちにつながる人類の普遍的な価値と判断に忠実な意識、すなわち愛と平和に対する普遍的な価値に対する認識をいう。

したがって思想はすべての宗教と民族と文化を問わず共通性を持つ。

どの宗教もどの民族もどの文化も‘愛と平和’に対する長い間の認識が入っているためだ。

それで人類は愛と平和の前に一つになることができる。

しかし日本人はそうではない。 彼らは彼らだけ良い暮らしをすれば良い。

それで2次大戦を起こした悪行を反省しない。

運が悪くアメリカにだけ負けただけという考えていることだ。

犯罪者が運が悪く警察に捕まったという認識と同じだというだろう。


反省しない日本と日本人に私たちが懲罰するほどの権限はない。

もし彼らに罰を下すにしても、日本人たちはその原因を自らにあるということを認めないだろう。

したがって日本人たちに最も効果的な懲罰は天が彼らに下す天罰であろう。

天罰…. 多くの予言者が予言していた日本沈没. また再び巨大な地震が日本を揺るがす時、日本人たちはその天罰の罪業がどこで始まったことか初めて反省することになるだろう。

そして船に乗って散らばって行く日本人を受け入れる国が、
世界どこにもないと知った時に、骨身に凍みるほど感じることになるだろう。

隣国と共存のための何の努力もせず、ただ侵略根性だけ残っている日本人. そのような民族を受け入れるどんな国もないということを悟らなければならないだろう。

近い将来富士山を中心に、もう一度必ず天罰は下るだろう。



デイリー光州全羅南道(dailyjn)ジョンジェハク編集委員

引用元 http://www.dailyjn.com/news/articleView.html?idxno=10203

2012年8月の記事です。

このチョンジェハクさんは、以前『佳子内親王を慰安婦にする』という内容のコラムを書いた方です。

当時、翻訳サイトを読んでいなかった方もいると思いますので、読み直す意味で見て頂きたいと思います。

いや、私個人的には『随分遠慮して書いてる』と思います。

彼は、本心の1/10も書いてませんよ。むしろ謙虚。

韓国人の本音は、この程度ではありません。

この記事を読んで改めて怒る方もいると思いますが、私は特に腹も立ちません。

韓国人との議論では、この程度の罵詈雑言は『こんにちわ。今日は寒いね』レベルですから。

むしろ形に残る発言をしてくれた事に、感謝に近い気持ちがあります。

形に残った発言は、最大限に利用すべきと思います。

それにこの記事は、今も残されています。

覚えておいてください。

これは日本と日本人に対する、明らかな意思表明です。

当時の韓国人は、震災で日本が弱り、日本が無力になっていくという願望を持っていた。

いわば韓国のターンと思っていた。

しかも政権は民主党。あのまま民主党が続いていたら、今頃どうなっていたか。


そして時は過ぎて、安倍政権となり、今は日本のターンに。

さぁ、あなたは改めてこれを読み、何を思いますか?


私はこの記事を読んでから、311に更新の止まってしまったブログを改めて読みに行きました。

怒りはしません。
罵る事もしません。忘れないだけです。

そうでなければ、こんな事続けられません。





※編集後記

メール転送が動かず、もしかしてもらっていたかもしれないメールも残っていないので、修復しようとしたのですが・・。

直りませんでした。理由もわからないので・・・転送はやめました。

定期的に見ますので、メールが届けば拝読しますよ。


それと・・・年末年始にドサッと読者が増えたのですが、ジリジリ増えています。

特別な事もしていないのに、増えているのが怖いのですが・・・。

今日とか5000人来てんだけど・・一体何が・・

私が知らないところで、
なにか起きてるんでしようか。

知らないところで炎上して、『よかれ、見つけ出してヌッ殺す』とかなってないでしょうね・・。




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管理人は都内在住の日本人です。
このブログは韓国は敵か?味方か?のサテライトブログです。
韓国の情報を見るまとめサイトは多く存在しますが、韓国側へ意見発信するサイトが少ないと思われたので始めました。
韓国の意見を見るだけではなく、たとえ反感を招こうとも読むかもしれない韓国側へ日本人の意見を届けたいと思います。
なお、記載している韓国語は自動翻訳ですので、不自然な場合があると思いますが、ご了承下さい。

관리인은 도내 거주 일본인입니다.
이 블로그는 한국은 적? 아군인가? 위성 블로그입니다.
한국 정보보기 요약 사이트는 많이 존재하지만, 한국 측에 의견 발신하는 사이트가 적다고 생각했기 때문에 시작했습니다.
한국의 의견보기뿐만 아니라 비록 반감을 招こ려고도 읽을지도 모른다 한국 측에 일본인의 의견을 전달하고자합니다.
덧붙여 기재되어있는 한국어는 자동 번역이므로, 부 자연스러운 경우가 있다고 생각 합니다만, 양해 해주십시오.




★ひとくくり★

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