
東京新聞の中澤誠記者は、過労死問題について精力的な取材・執筆を続けてきた。
また19年には、著者名を「東京新聞社会部」とする『兵器を買わされる日本』が文春新書から発売された。
サイト「文藝春秋BOOKS」には具体的な取材・執筆者として、5人の記者名が記載されている。
目を惹くのは望月衣塑子氏の名前だが、この5人の中に中澤記者も入っている。
東京新聞の“スター記者”といっても過言ではないはずだ。
また彼が行った講演の様子を伝えたサイトがあり、質疑応答の様子が記されている。
その中で、彼は「望月衣塑子記者が冷遇されないのは、読者からの激励が社に届くからだ」と発言している。
その他、以下のような発言もある。
《辺野古新基地問題の解決は、法廷闘争では望みが薄い。政府の横暴を止めるには、世の中の大きな声が必要。新国立競技場も、世の中の声が暴走を食い止めた》
ところが、この中澤記者が、厚生労働省の担当者に対する取材で“大暴走”したというのだ。
コロナ関連の取材で、厚労省の担当者を、長時間にわたって怒鳴り散らすなどした。
まず厚労省に取材を申し込むと、事実関係を認めた。
「8月と9月の2回、取材を受けました。それぞれ2人の担当者が対応いたしましたが、両方に出席した者がいますので、合計すると3人になります」
2回とも取材時間は「3~4時間」(厚労省)と、非常に長いものだったという。
「長時間の取材で、記者の方は大声で担当者を怒鳴ったり、机を叩いたり、担当者が持つ資料を奪おうとしたりと、常識では考えられない行為がありました」(同)
中澤記者は延々と厚労省の担当者を面罵していた。こうなると非常識どころか、異常と言うべきだろう。
「長時間の取材に担当者は困惑し、何より精神的に疲れ果てていました。そこで2人が医療機関を受診したところ、2人が健康被害を受けたことが認められたのです」(同)
厚労省は「症状の具体的な内容は、お答えできません」とするが、精神的なものであることは言うまでもない。
さっそく厚労省は、東京新聞に抗議することになった。もっとも、担当者の健康を脅かされたことが理由ではないという。
東京新聞の回答「たとえ担当者の健康に問題がなかったとしても、私どもは抗議を行ったと思います。取材中の行為自体が問題だと考えているからです」(同)
「東京新聞の局長宛に抗議文を送りました。文中で『厚労省における取材活動を控えていただきたい』と要請しました」(同)
「長時間の取材で、記者の方は大声で担当者を怒鳴ったり、机を叩いたり、担当者が持つ資料を奪おうとしたりと、常識では考えられない行為がありました」(同)
中澤記者は延々と厚労省の担当者を面罵していた。こうなると非常識どころか、異常と言うべきだろう。
「長時間の取材に担当者は困惑し、何より精神的に疲れ果てていました。そこで2人が医療機関を受診したところ、2人が健康被害を受けたことが認められたのです」(同)
厚労省は「症状の具体的な内容は、お答えできません」とするが、精神的なものであることは言うまでもない。
さっそく厚労省は、東京新聞に抗議することになった。もっとも、担当者の健康を脅かされたことが理由ではないという。
東京新聞の回答「たとえ担当者の健康に問題がなかったとしても、私どもは抗議を行ったと思います。取材中の行為自体が問題だと考えているからです」(同)
「東京新聞の局長宛に抗議文を送りました。文中で『厚労省における取材活動を控えていただきたい』と要請しました」(同)
回答期日を指定して送付した。すると東京新聞は期日内に謝罪と回答を行い、厚労省の要請を受け入れたという。
つまり中澤記者は厚労省の取材が不可能となったのだ。厚労省に確認を求めると、「我々の要請を受け止めてくれたと考えている」と話す。
これで一件落着、と思いきや、である。改めて、東京新聞に取材を申し込むと、編集局から文書で回答があった。まずは全文をご紹介しよう。
つまり中澤記者は厚労省の取材が不可能となったのだ。厚労省に確認を求めると、「我々の要請を受け止めてくれたと考えている」と話す。
これで一件落着、と思いきや、である。改めて、東京新聞に取材を申し込むと、編集局から文書で回答があった。まずは全文をご紹介しよう。
~中略~
この署名記事の中に、以下のような一節がある。《社員の健康を害してまで仕事をさせることを是としていいのか――》
どうしても、《厚労省の担当者の健康を害してまで仕事をすることを是としていいのか》と読み替えたくなってしまう。
東京新聞は電子版などで10月4日、「東京新聞が厚労省に謝罪 記者が取材で暴力的行為」という記事を配信した。
《東京新聞記者が9月、厚生労働省の職員を取材した際、机をたたいて怒鳴るなど暴力的な行為をし、編集局は厚労省に謝罪する文書を出した》
記事の文末には、編集局次長がお詫びするコメントが掲載されている。
どうしても、《厚労省の担当者の健康を害してまで仕事をすることを是としていいのか》と読み替えたくなってしまう。
東京新聞は電子版などで10月4日、「東京新聞が厚労省に謝罪 記者が取材で暴力的行為」という記事を配信した。
《東京新聞記者が9月、厚生労働省の職員を取材した際、机をたたいて怒鳴るなど暴力的な行為をし、編集局は厚労省に謝罪する文書を出した》
記事の文末には、編集局次長がお詫びするコメントが掲載されている。
引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/19be6781413764d425349e24fcb4d16bf52368c1?page=1
先日、『菅氏がやり続けた東京新聞・望月衣塑子記者への露骨な嫌がらせは総理会見でも続くのか?』ってタイトルの記事が、朝日新聞系列のアエラから出てましたけど、『逆!逆ぅ!』ってなった方多いんじゃないですかねww
もうホント日本の新聞記者の取材態度は『社会人として通用しないレベル』だと思います。
安倍元総理の武漢肺炎についての説明会見でも、退任の際の会見でも、自国の総理が入室し、登壇の際に一礼しても、『記者様』は誰一人として立たない。
ホワイトハウスでの大統領会見でも、『アメリカ大統領です』と言ったら、ド左翼ベテランでも必ず起立しますからね。中国でも起立してる。
安倍元総理最後の会見でも、質問の際に『総理、まず長い間ご苦労様でした』と言ったのは、あれだけいて一人だけ。
まともな社会人とは思えない。礼儀の最初の最初ですからね。下手したら商談に辿り着けないレベル。
不祥事があった会社の記者会見で、答えに詰まる瞬間があると『おい、答えろよ』と罵声を上げる。
まぁああいった社会人として社会通念に欠ける『新聞記者様』の態度を見てると・・。
『「マスコミは権力を監視抑制する」というならば、「そのマスコミは誰が監視抑制するのか」』と、みんなが思うはず。
『取材なら何しても許される』と思っているのが、新聞だけでなくテレビでもアリアリと表れてますからね。自死した方の家の前で張っている取材陣にしても、まともならあり得ない事。
震災の時に、子供に『お父さん亡くなって悲しいですか』にしてもそうですよ。
少なくとも国会議員は、選挙というフィルターを通って国民に選ばれてる。記者は『俺は国民の代表』って顔してますけど、ただの会社員に過ぎませんからね。
一般人にしたって『取材に答えてやってる』だけであって、『マスコミに質問されたら必ず回答しなくてはならない』訳じゃない。
この『マスコミと記者は、誰にも制限されない特権階級』的な優越感があるからこそ、こういった公務員に対する脅迫的な態度が出るんでしょ。
それが他でも通用してきたからやってるんであって、この日初めてたまたま魔が差したはずではないでしょ。
口がどんなに立派でも、手がこれでは、マスコミの程度も知れたものですよ。それに対する世間の評価が『減り続ける購読者数』でしょ。
今の東京新聞や朝日新聞は、立憲民主党や共産党の機関紙に落ちぶれたと言っていい。
その内・・今既に『東京読んでる・・朝日読んでる・・アベガー』と言えば、失笑される事になっていると言っても過言ではないだろうと思う。
『あぁこの人、「私は情報の取捨選択の出来ない情報弱者」と自分で言ってるわ・・』ってレベルですからね。
日本での新聞・テレビにおける報道は、その存在意義を終えました。
もしもう一度、新聞テレビの復活を願うなら、電波オークション制の導入・押紙制度の廃止などを行い、馴れ合いではない外部機関による報道姿勢の修正を行わない限り、新聞・地上波テレビは衰退するだけです。
※編集後記
新聞が他のメディアに比べて、群を抜いてるのは『一文字当たりの単価の安さ』ですよ。貧乏だった時のメディア。貧者のメディア。ここが無料の地上波テレビと共通してる。
ただそれが読者に寄り添う国民目線でなく、批判の為の批判だけを考え、形だけの両論併記に終わり、『とにかく政権を叩くんだ、叩けさえすればそれでいい』って言うんじゃ、まさに立憲民主党と共産党の機関紙でやってくださいって話になる。
先日、ワイドショーに出演するアナウンサーが『それでは批判の為の批判でしかない、賛否両者の意見を紹介すべき』と異論を唱えたら、番組スタッフから『そんな事は必要ない』と切り捨てられたという記事を見ましたが、是々非々ではなく非々非々になってる。
言いたい事だけ言えればいいっていうなら、自分の金でやれよって思いますね。
テレビ・新聞はこれからは衰退の一途。恐竜が『俺たちの天下だ』と言っても、ネットという哺乳類に駆逐される運命。近い将来、大手新聞が倒れる轟音が聞こえてくるんじゃないですか。
テレビ・新聞は、貧者と愚者のメディアになりました。
