ジャパンハート看護研修生ブログーminmin便り

私たちは、ジャパンハートの国際看護長期研修を通して、ミャンマー、カンボジア、ラオス、また国内僻地離島で奮闘している看護師です。 物資も人もインフラも限られた環境の中で国際医療とは?地域医療とは?を 日々学んでいます。 このブログでは私たちの苦悩、感動、喜び、葛藤などの思いを綴っています。ぜひご覧下さい!

ジャパンハート http://www.japanheart.org/

「新しい場所」


初めてブログを書きます。42期生のai.nです。


国内研修が始まり、離島に来てから2ヵ月が経とうとしています。

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時間の流れってこんなに早いっけ?と思うほど、毎日があっという間に過ぎていきます。

私の研修先は、長崎県対馬病院の外科・内科・産婦人科の混合病棟。
赤ちゃんからお年寄りまで、同じフロアにいるという不思議な光景です。

ジェネラリストな看護師に憧れていた私は、ワクワクしながら対馬病院に来ました。

でも実際に働いてみたら、
小児看護の経験しかなくてお年寄りの方との関わりに戸惑ってしまう、
ルート確保もできない、
外科から内科から色々な疾患の患者さんがいて何がなんだか解らない・・

初日からずっと感じていたのは、ワクワク感ではなく無力感でした。

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看護技術の経験不足,
色々な疾患への知識がないから観察もアセスメントも不十分、
いつも先輩看護師や医師を頼っていたから判断力に欠けている、
患者さんではなく自分を主体に考えているというコミュニケーションの癖、
看護に対する向き合い方・・

3年間働いてきて、そろそろ1人前になったかなと思っていたけど、
働く場所が変わったら何も出来ませんでした。こんなはずじゃないのに・・
と悔しくなったのを覚えています。

そんな中で、
研修生の同期や病棟のスタッフの方と話をしたり、
毎日振り返りをして自分を知っていくうちに、自分と向き合うようになり、
”今の自分の本当の実力”に気づく事が出来ました。

それからは未熟な自分を認められるようになり、
今学べることを出来るだけ吸収しようと思えるようになりました。


新しい環境に身を置いたとき、その場所での自分は“ゼロ”になります。

過去の経験に捉われないこと。
積み上げてきた物を全て手放して、ゼロからスタートすること。

それが、私に必要な事でした。


初めの1ヵ月は、病棟になれることで精一杯。

2ヵ月が経ってようやく慣れてきたと思ったら、今度は新しい課題が見えてきています。


病棟のスタッフの方はとても優しくて、
「ジャパンハートの人は研修で来てるから、色々吸収していって欲しい。何でも聞いて!」
と言ってくれます。

患者さん達も、「頑張ってね、応援してるから。」と、優しく温かく接してくれます。

うまく出来ない事もあって嫌になる事もあるけど、
最近は、対馬病院に来て良かったなぁと思えるようになりました。


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離島で学べる期間は、たった6ヵ月間。
1日1日を大切しながら、目の前のことに全力で取り組むこと。

それが1年後の自分を変えてくれるはず!と信じて、頑張っていこうと思います。


42期生 ai.n

『 ワチェ☆まゆみ 』

minminブログ3回目

つし☆まゆみ→ミャン☆まゆみ→ワチェ☆まゆみ(完成系)です。

39期生の岸川です。ミャンマーに来て本当に色んなドラマが月単位、
いや、日単位でミラクルに起きています。
本当に一時は帰国希望したいと懇願したくらい正直毎日が課題に追われていました。

ワチェ、、、というとミャンマーのジャパンハートが、お坊さんの病院を間借している
ワチェ病院です。
そうです。とうとう岸川、ワチェ病院での活動も1か月を切ろうとしています。

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そして、今ここには日本人は私だけです。

日本語を話せるミャンマー人もいて、ミャンマー料理を食べれるか心配してくれるマツザや、
いつも沢山話してくれるマジマ、をはじめ本当に助けてもらっています。

しかして、

here is myanmer 。ミャンマー語になるとみんな何を話しているのか、、さっぱり。

とぎれとぎれ単語を聞いて、話の内容を聞いたりニュアンスで会話に入ろうとしますが、、、
知ったかぶりはすぐにばれる。難しー。

今は入院患者さんは少なく、外来患者さんの処置をしたりガーゼを折ったりしています。

日本人一人になって気付いたこがあります。それは、今までいかに日本人のペースで
ここで活動していたのか、ということでした。病院でも宿舎での生活においてもです。

私が長期研修を決めたきっかけとなったスタディツアーは2年前、
ミャンマー人と同じくらいの人数の日本人が居ました。

医師、看護師含めとても潤っているようにその時の私には見えていました。
ミャンマー人と日本人が和気あいあいと活動している風景でした。

日本人が減ってミャンマー人がメインになった今、
日本人にとっては良くても、ミャンマー人にとってどうなのか?
ということに視点を置いたとき、
実はミャンマー人にとっては不必要なこともあったのです。

ミャンマー人は実は思っていることを言い出せない傾向にあるのです。
日本人は何でも物事をきっちり管理したい、
または管理するように今まで過ごしてきていると思います。

決してキレイ好きではない岸川でさえも、ここでは物の位置や、決め事に対しては
何の疑問も持つことなく行ってきました。これはこんなもんなのだと思ってました。
それを代々研修生が引き継いできて習慣化されたこともありました

病院での活動も、これはミャンマー人、これは日本人とミッション中は決まってきつつありました。
例えば、OPE前日の読み合わせという患者さんと、
カルテを見合わせてどんな状態なのかを皆で確認する作業も日本人だけで行っていました。
朝の病棟申し送りも日本語を使用して病棟ナース同士で行っていたことが、
ミャンマー人にとっては何で日本人たちだけでやるのかという疑問があったのです。

今までの方法が、駄目なわけではなかったけども、
私たち研修生も目の前のことで必死なのと、
遠慮というよかれと思った行動が彼女達の成長につながっていなかったのです。

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今後のミッションは、もっとミャンマー人と協力していく必要があります。
自分が普通に思っていること、普通に行っている行動事体
ミャンマー人にとっては、もしかしたら普通じゃないことかもしれない。

そして、ミャンマー人が普通に思っていること、行動事体が
私にとっては普通じゃないかもしれない。でも、まあ、こんなもんかあ〜!
と感覚の違いと感じつつ、適度に受け止めることが今の私です。

でも、無理な時は無理ー!!って爆笑しながら受け止めません。

「〜じゃなければならない。」ということは、実はそんなにないものだとわかりました。

また、ミャンマーで暮らすには、やはりミャンマー人にとってはどうなのかを
一度聞いてみたり、一緒に作っていくことが必要です。

最近は勉強会もさせてもらっていて、私がミャンマー人に座薬の入れ方を説明するのに、
必死になり、爆笑勉強会になったり、やはり私の場合はコメディになってしまいます。

単語帳を作成しました。ミャンマーでは、看護師になる学校はわずか三か月しかなく、
その間に得られる知識も少ないです。

また、○気が見えるや、月間○ーシングのような
日本に沢山ある教科書も、ミャンマーにはなく医療の知識も人によって個人差があります。
少しでも看護知識や技術が得られるように、勉強会を続けていこうと思います。

ミャンマー料理が少しずつ作れるようになったこの頃。
見たことない虫や、ぶんぶんハエが飛んでても気にならなくなった時、
少しミャンマーになれたような気がしました。あと一か月、、、

楽しみつつ、今自分の課題に向き合っていきたいと思います。

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『myanmar』


こんにちは、41期 numa shoです。今回はミャンマーでの話です。

ミャンマーに着いた時、ついに来てしまった。しみじみした。
短期ボランティアでカンボジア(他の活動地)に行った時とは違う感覚が走った。
このミャンマーの土地からジャパンハートの活動が始まったのだという空気がひしひしと伝わり緊張した。

ここでは僧侶の地位が高く、
例えば不用意に僧侶に触れてはならないとか外来診療でも僧侶が優先されるとか
僧侶だけの部屋があるとか…

実際にそれをみて国が違うと、こうも違うのかと衝撃を受け、緊張が増した。
実際に僧侶と話すとき、目は合わしていいのか?なんて不安になりながら話したけど、
新参者の私をスマホ片手に笑顔で迎えてくれる僧侶ばかりだった。
色んなルールはあるが人は温かった。

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病院での活動は、主には手術、手術後の創傷処置。
手術後は、日本人ドクターは帰国してしまい、ミャンマー人ドクターは外来に忙しく、
創傷処置は看護師の大きな任務になる。

初日からざっと50人ぐらいの創傷処置をみんなで手分けして行い、その処置につかせてもらった。
傷をみて考えながら処置方法を考える。
「コンプレスはどの向きであてる?」「創部は開放していい?」
「いつ退院できる?」「ドレーンは抜いていい?」
どれも難しい質問ではないからこそ考えないとスルーされ、
ルチーン業務になりがちなことを指摘され、とても意識した。

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この人にはどうしたらいいか?ここではどうしたらいいか?
ってことを考え頭はパンクしそうになったが、私の心は楽しくて弾んでいた。

それから、どの患者にもこの人はこの手術をして、いったい生活がどう変わるのだろう?
と想像しながら処置した。

40歳の甲状腺腫の女性。手術して何が変わるか。
7歳の口唇裂の子、手術して何が変わるか。
手術だけではなく、自分が日本人として医療を通じて関わりをもつことは、
この人にとって、私の人生にとってどんな意味があるのだろうと。

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答えはでなかったが、「医療を通じて誰かの人生に関われること」
が自分を幸せな気持ちでいっぱいしてくれることは確かだった。

もう一つ、ミャンマー研修から帰国後
「人と自分の人間関係」「人と自分のコニュニケーション」について考えた。
相手が喜ぶことや相手の欲求に合わせるのが、
いいコニュニケーションや人間関係ではないことに気付いたのだ。

「人を信頼する」これが今の自分に全く足りないことだった。

私は相手のことを理解できなくても理解するように努力はしてきたし、
人がしないことは自分が全部やればいいんだって思ってきた部分もあるので、
今までの人生で何も苦労はないように感じていたのだろう。

でも海外で小さな医療チームで活動するには、その努力では補えない
「心からの信頼」が今の自分には必要なんじゃないかって思った。…

きっと私以外の周りの人はそうそうやっと気づいたかって思っているはず。

そんな不器用な私のことを受け入れてくれている同期に感謝の気持ちでいっぱいになったし、
出逢えてよかったなって思った。
この出逢えた意味を、あと7か月思う存分に味わおうと思う。

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離島に戻った私は、ホッとした。

5か月前は帰りたい帰りたいって言っていた東京も懐かしく感じた。
離島研修は残り一か月。
一日一日大切に悔いのないように過ごしていきたいです。

< 次のミッションに向けて >

minmin便りをご覧のみなさん、こんにちは。
40期の西海茜こと、あかねぇさんです。

ようやく同じ40期の片割れの茜さんが先日blogをあげていましたが、
読んでいただけたでしょうか(笑)

ミャンマーに入って3週間が経過しようとしています。

毎日本当に暑くて虫も多く、最初はこの環境では到底寝れない。
と思っていましたが、今では毎日30度越えの部屋で熟睡。
人の適応能力のすごさを実感しています。

とは言っても最初の一週間は環境に慣れる事と初めての手術ミッションで本当にぐったり。
あっという間に時間が過ぎていきました。

二週目からは環境にも少しずつ慣れてきて術後の患者さんの経過を見たり、
手術室は物品の補充をしたりしています。

私は手術室の担当なので、主に物品を数えたりしているのですが、
そこで本当に思う事。

それはSPDというシステムの素晴らしさ。

日本で働いていた時はSPDのカードを切ったらその物品が返ってきていました。
夜勤でサプライに滅菌物を請求したら翌日には必要な物が揃っていました。

しかし、ここでは違います。定数なんて言葉はありません。
挿入管チューブひとつにしても、メーカーや種類は様々で、
寄付の物品、日本の物、ミャンマー製の物、とにかく多くの種類の糸やらガーゼやら器械やら。

そして寄付物品は善意でボランティアさんが持ち込んでくれたりする物もあるので日々変動します。
どこに何が何個あるか、すべて自分達で物品を把握して管理する必要があります。

例えば、日本のガーゼは質が良いので、使う場面を考えなければなりません。
なので日本のガーゼの寄付があとどれぐらいあるかとか、
針糸のバイクリルが切れたら、それに変わる針糸の寄付は何があるのか、
それがミャンマー製なのかどうなのか、など。

とにかく種類が多く、ただでさえオペ室経験がない私にとって、
聞きなれない名前だらけでもう頭は日々フル回転しています。

しかし、それらを把握し、管理する事も看護師の大切な仕事。
次のミッションを安全に行う為には欠かせない大切な事なのだと思い
日々コツコツと物品を数えています。

そんな日々を送りながらの3週間。
じわじわ次のミッションが迫っています。

39期がいなくなって初めて40期メインで行うミッションです。

それに向けて心の準備と物品の準備をしっかりして行きたいと思います。

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                                40期@あかねぇさん

『 異国での出来事 』

お久しぶりです。国際看護研修生の41期numa shoです。

先日、遅めのGWを頂き、韓国・釜山に行ってきました。
(研修生ですが、ちゃんとプライベートの時間もあります)

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なぜ、韓国かというと、実は長崎・対馬は本土より韓国(釜山)の方が近い位置にあり、
ジェット船で1時間ちょっとで着けるのです。それに飛行機より断然安く行けます。

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そしてなんといっても美味しい韓国料理が食べたい‼そう思い、勢いよく旅立ちました。
サムギョプサル、ミルミョン、ホットク、トッポギ、アワビ粥、ナクチボックム、デジクッパプ…
美味しいご飯に身も心も満たされた旅になりました。

が、これで終わらないのが海外旅行です。

最終日、地下鉄に乗ろうとしたときの出来事をお話します。


突然、駅の階段で大声をあげて倒れたおじさんがいました。
はじめは酔っ払いかな?そんな風に思いました。
でもよく見ると、階段からずり落ちながら、全身痙攣しているでは、ありませんか。

痙攣発作だ!私は慌てておじさんに近づき、
どうにか平らな場所へ身体を持ち上げようとしましたが、持ち上がりません。

それを見かねた2人の男性が手を貸してくれました。
駅の踊り場に運んだ時には、駅員さんが駆けつけ、救急車を呼んでくれていました。

痙攣はまだ続いていました。呼吸はしているが脈はわかりにくい…
だんだんと唇の色が悪くなっていくのがわかり、え、どうしよう…
と正直私も真っ白に。酸素が欲しい、AEDが欲しい、心臓マッサージ…!?

その瞬間に近くにいた男の人が心臓を思いっきりグーで叩きました。
私もハッとしAEDと酸素を持ってくるように駅員さんに声を掛けていました。
でも残念ながら英語も日本語も通じなかったので、両方ともくる気配はなかったです。

1分半ほど経過したところで意識が徐々に改善してきました。
おじさん自身も必死に自分の心臓をたたき始めました。
おじさんは心臓発作を起こしていたようでした。

私は、はじめ見た痙攣で、すぐにてんかん発作じゃないかと考えていました。
心臓発作からの痙攣が起こる可能性もあったではないか…
こんなことにも頭が回らないくらい、気が動転していました。
おまけに自分のCPR(心肺蘇生法)はどうでしょう…とても完璧とは言えませんでした。

自分の出船時間が迫っていたので、
おじさんの意識が改善するのをみて電車に飛び乗ってしまいましたが、
ちゃんと救急車は来たか何が原因だったのか気になるところです。

私は、もう美味しかったご飯の味を思い出せないくらいになっていました。
幸い、意識をしっかり取り戻してくれたが、
あのとき心臓を叩き始めてくれた男性がいなかったら…
自分は代わりに出来ていただろうか…そう思うとさらに落ち込みました。


これから海外医療を…と思っている私は、これからもこんな場面に出くわすと思います。

日本の病院だったら、他の看護師や医師、使っている言語や医療用語、
点滴や酸素、心電図モニター、救急カート、AEDが揃っており、患者の既往歴だって把握されています。

そうではない状況で自分はどれだけスピーディーに冷静に判断し、行動できるでしょうか。
改めて、これから自分が進もうとしている道が甘くはないことを思い知らされた気がします。

医療者がこのような道端での急変に出逢う可能性の方は低いと思います。
だからこそ、自分の経験や行動を共有したいと思い、恥ずかしながらBlogに書きました。

こんなダメダメな自分でしたが、ただ、一つだけ褒めたいところは、
おじさんに一番に駆け寄れたことです。
そこで目をそらしていたら今回のような気付きも生まれなかったと思います。

―どうかおじさんがしっかり治療され元気になりますよう願いを込めて。

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