錬劇者たちの劇的居酒屋

J・A・シーザー オフィシャルブログ

昨日の朝見た夢遊びのこと

2018年最後のブログに相応しいかどうかは分からないが、昨日の朝見た夢のことを書いてみる。

わたしは夢の中で、そのゲーム?遊び?に夢中になっている。
それはこんなものだった。




四角枠に囲われた文字。
3つの大きい四角枠には3行。
1つの中サイズの四角枠には2行の文字。
2つの小さい四角枠には1行の文字が1行30文字くらいで書かれている。
この四角枠を自由に動かし何かを完成させる。
位置なのか、言葉の意味なのか、それとも何か偶然の完成なのかは分からない。
が、わたしは夢中になり、将棋師よろしく考え、位置を変え遊んでいる。
その1の段階を完成(完成は無限にあるようだ)させると2の段階に移行する。
2の段階には3つの中サイズの四角枠と四角枠のない3つの1行文字があり、同じようにわたしは囲碁師やオセロ師のように位置を変え遊んでいる。
2の段階を完成(完成?どうも自分が満足した時に完成としているようにも思える)させると、3の段階。
ここには四角枠がない、1行の文章が6っつある。
同じように俳優を舞台に立たせる位置を指示しているように位置を変え遊んでいる。

面白いのはその遊びを観ている審議員のような存在がある。
その存在が完成を承諾する時もある。
時には、わたしが満足した完成を「ノウ」と拒絶する。
もっと面白いのは、わたし自身が客観的に審議し、完成を承諾する時があるってことだ。



さて、わたしは目覚めて思った。あの夢の遊びは、将棋型双六か?と。
福笑い型オセロゲームか?と。
まさか正月を2日後に控えてのことじゃないだろうがと思うや、ふと、10日前にわたしの部屋に飾られている一刀彫の達磨像(約15センチ大)が「最近は、いやいやもう20数年も前からだろう、昔のような《正月の風情》というものがなくなったなぁ」と言った言葉を思い出した。
「正月が近づくと何かがあったよなぁ・・・血が騒ぐというか、東映映画の総天然色のオールスター映画のような映像的雰囲気が。門松や日の丸の旗や注連縄飾りが冬の透き通った空をバックに自然と心も身体も忙しくなっていったような・・・」
「今は、時代が大きく変わる過渡期のようなものかな」
一刀彫の達磨像は微動だにせずに言った。
とすれば、日本人はまたまた更なる大きなものを失うような気がした。




写真1


写真は演劇実験室◉天井棧敷公演『犬神』のもので、下手で空手の衣装を着ているのがわたしだ。

もし、昨日の朝見た、漠然とした、疎覚えの夢遊びを一つの遊びにすることが出来る人がいたら是非、作り上げて欲しい。


清楚、可憐な妖精子守歌の誘い

ここ数年、巴里の太陽の下の純白の18歳のようだったシルヴィ・ヴァルタンの『アイドルを探せ』と清楚で可憐な少女だったジリオラ・チンクェッティの『夢見る想い』が一日数回、交互に聴こえてくる。
悠久の過去時計の遥かなる悪戯か?あるいは昔そうだった自分が今のわたしに何かを問いかけているのか?それとも、老いたる人の仕方のない昔思い出しなのか?懐かしいというよりは、素直だった(か、どうかは分からないが)、そして今もどこかで生きている(と信じている)あの時代のわたしが耳元で、三半規管を揺り籠に癒し風味の妖精子守歌を歌い聴かせているのか・・・


妖精の話だが、イギリスの黄昏の川で釣りをするイギリス人のルアー釣りのルアーの多くは蜉蝣の形をしていたらしい。
黄昏になると川面すれすれを飛び、死んで川面を流れる蜉蝣を食していた川魚(多くは鱒だったと思う)を釣るためだったから当然の形であったのだろう。
話はその蜉蝣だが、昔はその水面を飛び舞う蜉蝣を妖精だと信じていた人たちも多くいたらしい。
川魚の餌だった蜉蝣と妖精と思われた蜉蝣・・・


さて、話の流れは支流からもう一つに支流へと流れ込む(公演中の楽屋で書いているので申し訳ない)。
わたしが小学校2年生の時、わたしは近所にあったミッション・スクールを遊び場にしていた。
長い木の椅子に座り、やって来る年上の、といっても18歳くらいの女学生をぼんやり?ふんわり?ひゅるる?と眺めていた記憶がある。
色気より食い気だった頃、もしかして色気より見つめ気(憧れ気)なるものもあったのかも・・・
そんな清楚、可憐な女学生たちもやがては時とともに忘れられ・・・
いや、記憶の果てに追いやられ、寂しさのあまり、時の流れの変わりように合わせるかのようにシルヴィやジリオラの記憶に便乗して思い起こしてもらおうと思っての現象かもしれない。
(再び話はもう一つの支流へと流れ込む)
・・・だからだろうか、わたしには《少女》という存在がない。
あえて言うなら、わたしにとって《少女》は言葉の世界、いや空想書物の中の登場人物でしかないということだ。
つまり、わたしにとって《少女》は空想、架空の存在ってこと。


写真1
by Dollhouse Noah




・・・ふと、理想というものが脳裏を過った。
「そうかもね、ある程度の年齢に到達すると、理想というものがその人の内面のすべてを支配するのかもしれないね」
「どうゆうこと?」
「辿り着くと言えば西遊記の理想郷ガンダーラ」
「悟ってってこと?」
「だね」
「そんな高尚な・・・」
「いや、老いは悟りの形であるとわたしは思っている」
「・・・うんうん・・あるかもね・・・うん・・・あるかも、あるかも・・・」
話しかけてきた男はわたしの周りでは見かけない奴だったが、男の耳の裏に彫ってあった蠍の刺青には覚えがあった。
「確か・・・確か・・・」と思い出そうと楽屋の天井を見上げると・・・
消えたと思っていた男は守宮に姿を変え、机にポツンと飛び降り
「人形だ・・・あんたの少女は人形だ」
「ん?」
「人形師(人形作家)が手がける様々な少女人形があんたの少女だってことだよ」
そう言い放つと、耳の裏に蠍の刺青のある男は楽屋の天井の電球から電気回線に入り込み、劇場の照明に消えた。
点滅する照明・・・その中に浮かび上がる少女・・・


写真2


硝子の眼球
確かを見つめ語る
その眼差し
ありえない皮膚
冷たい温もり
触れて感じる
如何なる皮膚よりも皮膚の肌

フランケンシュタイング

わたしの音楽は『ス~チュアー・コンポーズ・メソッド(縫合作曲法)』というものだろうが・・・
メソッドという言葉が好きじゃないからね

「閃きのメロディーを合成し譜面化し、消しゴム、鉛筆と想像力でアレンジし、その時の閃き音色で録音、TDを経て《わたしの合成曲》は出来上がる」ってのがわたしのメイン作曲法だ。
そこでその作曲法に名前を付けようと思った訳だが・・・・・映画は始まってしまった・・・北極でその男たちは出会った・・・
ロバート・デ・ニーロ主演の映画『フランケンシュタイン』だ。フランケンシュタインは科学者の名前で、、、みんながフランケンシュタインと言っている怪物の名前は、原作(メアリー・シェリーの本)ではヴィクトールである。
深夜、あちこちの墓場で様々な死体を掘り起こし、貼り合わせ繋ぎ合わせ縫い合わせて作られた合成人間・・・ヴィクトールことフランケンシュタインの名から「ヴィクトール音楽(ミュージック)「フランケンシュタイン音楽(ミュージック)」「フランケンシュタイング(と進行形にしてみる)」「ヴィクトール・ミュージック」「ヴィクトール・ドール(で『VDミュージック』とか?)」・・・さらに連想してアインシュタイン、ゾンネンシュタイン、またドイツの古城・ノイシュヴァンシュタインの名で共通する「シュタイン」・・・その「シュタイン」を使って、「シュタイン・ミュージック」「ヴィクトールシュタイン・ミュージック」・・・う~ん、よくないなぁ~まだまだだな・・・貼り合わせ―繋ぎ合わせ―縫い合わせ―・・・縫合音楽・・・縫合?・・・縫合は英語でス~チュアー・・・ス~チュアー・ミュージック・・・これだな。

ということで、今回は『ス~チュアー・コンポーズ・メソッド・ミュージック』から『SCM・ミュージック』『SCMM』・・・うう~ん、またまた迷うな・・・ま、ここは考え諦めて、さっき口にした『ス~チュアー・ミュージック』としますか。
「『ミュージックシュタイン』ってのは?」いつも稽古場に持ってゆく鞄の中のメモ帳に書かれた「コラージュ」という文字が口を挿んできた。
「そういえば、興味・音楽・演劇の三つを造語した『インミューシア』ってのもあったな・・・」
「昔、あんたがミュージカルって言葉が嫌いだったから考え出したやつだよね・・・今回の、あんたの作曲法に関する言葉とは違わないか?」
「じゃ、今回は今回に限りということで『ス~チュアー・ミュージック』か『ミュージックシュタイン』に絞られたが・・・ジャンケンで決める?それともコインかサイコロで?」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

で、結果は・・・

写真1
写真◎楠野裕司(『わたしの演劇ノート展』より)
残存する楽器やテープが展示されたブース
*ちなみに、写真の左手前に置いてあるレコードはザ・サード・イヤー・バンドの『錬金術』に関したものと記憶しているが・・・・う~ん、そうすると『アルケミーシュタイン』も候補になるかな(しつこいな~きりがないな~)。


ま、急ぐことでもないようだし、いずれ誰かが『呪術ロック』『プログレッシブロック』じゃない、わたしの音楽に相応しい冠名を考えてくれるだろう。
「だったら、今回のブログは何だったの?」と問われても「吉祥寺の稽古場で思いついたものそのままを、つまり、フトした時にわたしが思ってることをストレートに書いてみたもの・・・たまにはいいでしょうと思ってもらえれば」




稽古場はフランケンシュタイン造成研究所

稽古場の雰囲気は
そのまま本番に行くことはない
稽古場の雰囲気は
稽古場だけのもの
大切にしたいが
再現も復元もないこっちの方が本物の劇のようにも思える
本当の劇の正体のようにも

その稽古場で発意・発想・発案・発生・発芽された
様々な表現形態は
まさに
フランケンシュタイン博士の実験室にて発意・発想・発案・発生・発芽されたものと
同じと言えないか

稽古場と劇場で進行する劇
はたして本当はどっちか?
本物はどっちか?
考えてみる必要があるようだ


写真は、わたしが撮った稽古場の写真。公開してはいけないものだろうが、最近、禁断ものを解禁するのも面白いものだと思うことしばしば。
その勢いに乗って・・・いつか稽古場に観客を呼んで、稽古場での劇になるプロセスと劇場での本番を観てもらうという二本立ての作品もやってみたいなと思っている。

では、公開厳禁とされている稽古場の写真を公開しよう

写真2

ギャラリー
  • 昨日の朝見た夢遊びのこと
  • 清楚、可憐な妖精子守歌の誘い
  • 清楚、可憐な妖精子守歌の誘い
  • フランケンシュタイング
  • フランケンシュタイング
  • 夢浮かべとスカラベ
  • 夢浮かべとスカラベ
  • 夢浮かべとスカラベ
  • 夢浮かべとスカラベ