2006年07月03日

さよならです

 突然ではございますが、よんどころない事情により、5年半に渡りご愛読をいただきました、この「木更津の熱い風」は今回をもちまして終了とさせていただきます。「休載」ではなく、「終了」です。
 同時に、私も「ネット落ち」いたします。
 いままで読んでいただいた方々に感謝申し上げるとともに、記事によりご不快な気分になられた方がおられましたら陳謝させていただきます。
 今までありがとうございました。

jason_k at 23:52|PermalinkComments(1)TrackBack(0)

2006年06月27日

木更津グラフ「Jason’s Night」ライブレポート

 一週間前の「池タコライブ9」に続き、昨日はおなじみ「木更津グラフ」での、『Jason’s Night』と銘打っての企画ライブであった。実は当初、別な目的のためにライブハウスを押さえていたので、企画が正式発進したのは「金ちゃん追悼ライブ」の日。つまり一月しかない。そんな中、集まってくれた5バンド(自分とこ含む)に素直に感謝の意を表し、ライブ・レポートといきたい。

1.Revolution9

 ドラマーが「テツ」くんに変わって二回目のステージだそう。いやー、前のドラマーをよく知ってるが(爆)このメンバー・チェンジは大正解ではないか。リズムがソリッドになった分、きちんとメロディーが飛び込んでくるようになった。さらにギター・コウタの『三角飛び・壁ぶち壊し』という極真空手ばりのオマケまでつき(店長ごめんなさい)ド頭からバッチリの盛り上がりである。実は今回参戦予定だったバンドの代わりに急遽声をかけ、時間のない中、オープニングを務めてもらった。次回も期待だ。

2.KASHIRA

 三人揃ってスーツで決め(笑)プログレッシブ・ヘッドバンキング・ワールドを展開。客席のプログレ世代のおやじ軍団にも受けておった。まー頭振ると中年は命が危ないが(笑)ドラマー・シバヤマは新兵器ロート・タムを使用、何気にタマ数の多いドラミング、次回はツイン・バス・ドラムを見たい。

3.The JAP

 「冬富津」以来の新進ロックンロール・バンド…だが、あえて今回辛口で。高校時代の無茶苦茶さが影をひそめたが、本当の意味でバンド側がぶっとんでないと客席は冷める。そういうわけで「意味のない唾」はきつい。期待していない者には何も言わない。次回、マジで期待しているぞ!

4.Jason’s Nite

 今回そういうわけで急遽の企画、HIRYUは動けない、Jason’s Gateは活動休止中。コモンズはちょっと違うし。むー、今回はプロデューサー専念か…と思いきや、そうだ、あのメンバーが!「金ちゃんバンド」の再現がバンドの形に…人はやはりめぐり合わせなのである。Go“Rozy”Matsukiの若々しいビートが光るステージとなった。

5.Zeiluna Nodes

 4人になっての初ステージ?王道のステージングはさすがの一言である。リズム・セクションもバンドに溶け込み、泣けるバラード「雪」に新曲を加え、最後は全体を巻き込んでの「桜」。老若男女があの「振り」をやるのは圧巻である。アンコール含め納得のエンディングであった。

 さて、ご覧になってわかる方もいらっしゃるかと思うのだが、今回すべて「どっかの部活」のOBバンドの登場である。私にとってはたいへん感慨深いステージとなった。昔「津田沼メモリーポップ」でやってた「OB戦シリーズ」を思い出したよ。「次回」がありそうだな、こりゃ。


jason_k at 07:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年06月17日

優しい関西弁

 ずっと書けなかった。でもきっとあいつは読んでるだろうから、書こうと思う。

 悲しいメールを受け取って明日でもう一週間になる。あの大阪の名伯楽、“ミスター・ウェポ”こと、三浦雅彦氏(享年43歳)が突然他界された。事情により、お通夜や告別式に行くことはおろか、弔電すら打つことはかなわなかった。いや、そんなことはもはやどうでもいいのかもしれない。肝心なのは、あの人懐っこい笑顔と優しい関西弁に、もう会えないってことだ。

 彼とは『関西コモンズ』のベーシストとして知り合った。あれからもう何年になるんだろう。神奈川で行われた生徒のフェスのゲストとして、勤め先であるN商のバンにメンバーと楽器をパンパンに載せ、満面の笑顔で現れた。いわゆる「コモンズ東西対決」をしたわけだが、『関東コモンズ』結成時同様、まるで100年の知己のように打ち解けあい、すぐ二ヵ月後の三月、大阪での再会を誓った。

 それから先はお互いに東西を行き来し、「三ヶ月にいっぺん」会う仲になった。言うまでもなく、お互い社会人の我々としては、下手な友達より頻繁に会ってるってわけだ。

 その夏の『富津のいちばん熱い日』ではエンコした機材車を一緒に押し掛けしてもらった。のりえ姉さん、335氏とともにドロドロになって笑いあった。
 その年の暮れ。俺はウェポ氏の真の実力をみることになる。この「木熱風」でも何度も取り上げたこともある、『ヤマチク』だ。(過去ログhttp://www.geocities.jp/iketako2000/参照)
 
 『ヤマチク』とは、大阪は泉南(大都市に近いのにうらぶれた雰囲気が木更津そっくり)の小さな公民館のホールに、高校軽音楽部バンド15校30バンドを集めて行う、まったく手作りのクリスマス・コンサートだ。
 この数がいかに凄いか、は一回でもコンサートに携わった人ならお分かりいただけると思う。それを高校生を動かしてやるんだぜ。

 ウェポ氏は言った。「こないだまで、洋楽ばっか歌いはったけど、カバーでも邦楽がええんとちゃう?」そこで彼が指定してきたのはレッド・ウォーリアーズ、ダイアモンド・ユカイだ。初の『東西コモンズ』としてステージにともに立った我々の一曲目は、「カジノ・ドライブ」だった。ウェポの言ったとおり、ばっちりだった。

 それから何回、競演してきたことか… 『冬富津』では二回とも、「池タコバンド」のゲスト・ベーシストとして、「これだけのために」木更津まで来てくれた。

 すげー温情厚い男なんだ。義理も人情もあれほど兼ね備えた奴には俺はまだ会ったことがない。それなのに、それなのに、なんで死ななくっちゃならないんだ。「ずっといっしょに演ろう」って言ってたじゃないか。

 彼には、「運動系が実権を握る私立高校で、軽音楽部を自ら立ち上げ苦労しながら運営し、多くの生徒を育てている」点で、強烈なシンパシーを感じていた。そして、俺が思っている以上に「過酷な闘い」をしてきたに違いない。それは、知らせてくれた人からの、お葬式の様子を聞いて、わかった。
 一度だけ、彼の家で、あの部屋で、二人で酒を酌み交わしたことがある。そこでいろんな話を、した。いろんなことを、聞いた。

 だから、俺は、この悲しい出来事を止めることができなかった自分に、腹をたてている。でも、今日スタジオで歌っているとき、彼の声が聞こえた気がした。「もう、ええんよ」って。

 だからいまこの文章を書いている。あいつがやってきたたくさんの偉業を語り継ごう。何かの形で、引き継いでいこう。今はそう思っている。

 俺は、あいつの優しい関西弁が大好きだった。いつも別れぎわ、「どうせすぐ会うんやろ(笑)だからこういうわ。『ほな、また』」そう言って、握手したんだ。

 また、な。ウェポ。また、会おうや。また。


                         

jason_k at 03:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年06月03日

ホワイトスネイク・ライブレポート

えー突然ですが、金ちゃん追悼ライブの一週間後、東京国際フォーラムで行われた、私のフェイバリット・ヴォーカリスト、デヴィット・カヴァーディル率いるホワイトスネイクのライブレポートをば。7年ぶりのライブDVDも良かったし、楽しみにしてたんだよねー私。

んで、感想なんだけど・・・一言で言って、「音が悪すぎた!」まー俺もぎりぎりで券買ったから、二階後方という最悪の場所だったのもあるんだけど、もー音がもこもこ。というか、PAスピーカーが少なすぎる。アリーナど真ん中ならなんとかなるのかもしれんが。「バーン」のあのイントロさえもよくわからん。ベースの新人の兄ちゃん(ユーライア・ダフィ)に至っては、何弾いてるかすらわからん。

さらに照明。もード素人。客席への目潰しをやたら多用し、途中で目が痛くなったら(「ポケモン事件」を思い出した)デビカバが「どーした?まぶしいのかい?」とMCで言って、バックステージになんか怒鳴った。そしたらちょいとおさまったんだが、トミー・オルドリッジのドラムソロ(あの手でたたくやつ)の際に7色の回転灯を使用!もー見てられん。あとやたらステージの白色をつけるんで、少ない機材が目立つ目立つ(笑)

こないだストーンズの「完璧なショウ」を見たばかりなんで余計思うのかもしれないが、スタッフとか機材にかける経費がないのかもしれない。

さて、演奏だが、ビートリ関連のギタリストの皆様お認めのダグ・アルドリッジは、もー弾きまくり。デヴィットに「ソウル・ブラザー」と紹介され、トミー以外は彼だけソロがある。でも言うだけあって、バーニー・マースデンのブルージーなソロも、近代的解釈で弾きこなし(「ラブ・ハンター」をやった!)さらにジョン・サイクスものにいたっては、涙ものである。

 それを支えるもうひとりのギタリスト、レブ・ビーチ。すげー控えめ。フラッシーなソロ担当らしく、スティーブ・ヴァイものは彼の担当。でも私のフェイバリット「ヒア・アイ・ゴー・アゲイン」のヴァンデンバーグのソロは彼が弾き、あえて完コピ。個人的には拍手を送りたい。

 俺としては「フール・フォア・ユア・ラビング」と「バッド・ボーイズ」をやんなかったのは寂しかったが、「ギルティ・オブ・ラブ」を二曲目にやってくれたのは嬉しかったな。

 最後に、巷に流れるジョンサイクスとの再結成情報だが、「殿」のご機嫌を考えると、俺はないと思う。去年サイクスと来日し、ライブ盤まで出してしまったマルコ・メンドーサはクビになっちゃったし。
 そして・・・何よりの証拠は、「シンキョク」やったんだよね!間違いなく曲はダグ。ニューアルバムが待ち遠しいなあ。

 んでもって、この日の最後が最悪。喉を潤そうと入った有楽町のアッパー居酒屋。そこかしこにホワスネ帰りの客が。そしたら横の兄ちゃんが電話で誰かを店に呼んでる。んで、来た奴が・・・最悪な「業界野郎!」。「いやー、おれはやはりデイビット(こういう発音をする)ひとすじだからさー。ダグには目もくれずにとってきたよ写真ー!」と携帯を見せる。声がでかくてうるせー。「すごいっすね」と横のあんちゃん。「いやー俺通訳みたいなもんだからさー、たいへんよ周りの女の子に」

 よーするにてめー、「出待ち」してただけじゃねーか!あまりにむかつき、殴りたくなってきたので河岸を変えた。
 いまだにいるんだよなこういう奴。ゴシップまがいのことばかり喋るし。自分の周りにもいたんで余計腹立つ。こういう奴が日本のロックの足を引っ張ってんだと思う。がんばれホワイトスネイク。

(今回大部分が「Be−Trip」BBSに載せた自分のカキコの転載です。あしからず)

jason_k at 01:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年05月18日

カネダマサキ・トリビュートライブ5

 5/14の日曜日、木更津グラフにて予定通り「金ちゃん」の追悼ライブが行われた。訃報を聞いてから、お通夜にいく道すがら、ずっと考えていた。去年の「冬富津」に出られなかった理由もちゃんと聞いていなかったし、「夏富津」が俺側の都合で中止にならなかったら、彼ともう一度一緒にステージに立てたのだ。「これ演りたいんすよ」と前触れもなく俺の手元に10曲入りのテープがレンとeダの分あわせ3本届き(いまどきテープというのも実に金ちゃんらしい)俺の分はいまだに机の中に入ったままだった。この曲たちを何とか出してあげたい。

 「追悼ライブをやりたいんです」火葬場からの帰り、精進落としの席という、よく考えればたいへん非常識な申し出に、お父さんは「ぜひやってください。伺います」とおっしゃってくれた。この発言には「追悼」と称し「仏壇と向かい合ってのドンブリ一気」が後押ししていたのは言うまでもない。ほんとに非常識だぞN台(笑)俺もやってたんだけど(爆)

 当日まで、ばたばたながらもやりたかったことが全部やれた。不思議なほど、間に合った。白眉だったのは池タコ・SHINが作ってくれた追悼ビデオ。あまり多くはなかった素材で、あれほどのものをつくるとは思わなかった。PCサーバーの事情で金ちゃんの実弟・たけしさんが選りすぐってくれた写真が届いたのは前日の夜中の11:00。SHINは木更津に向かう前、徹夜でDVDを焼いた。

 本番の二週間前「遺品を形見分けしたいので、差し上げたい。箱に入れたので、けっこう多いのだが」とありがたい連絡を受けていたので鎌倉へ向かった。その数なんと14箱!びっくりしたがいただくことにした。当日の出演者はじめゆかりの皆々で分けさせていただこう。

 この遺品分配も不思議だった。なぜか、いろいろなサイズがあり、当日の出演者はそれぞれ「金ちゃんのコスプレ」でステージに立った。SHINの黄色いスーツやヨシテツの「どう見てもMr.マリック」ルックなど枚挙に暇がないが(笑)皆不思議に似合っていた。
 俺は4回もお色直し(!?)をさせていただいたが、一着だけ「金ちゃんがたしか着ていたはずのストーンズのシャツ」が見当たらず、それを欲しいと思っていたのだがあきらめていたら、当日、さらにお母さんがお持ちいただいた中にあったらしく、ファンキーのゴウが着ていた。

 ここで気づいた。ああ、全部金ちゃんがやってるんだ。ゴウは、今回どうしても出られないレンに代わり、金ちゃんバンドのギターを弾いてくれた。金ちゃんがお礼に着せたかったんだ。金ちゃんはみんなのプロデュースをしてたんだ。ロック的な衣装は絶対似合わないN台には、ちゃんとダイエーホークスのシャツがあった。

 客席にはいつも学校には来ないくせにこのライブには頭からきてくれた生徒の「P」くんがおり、彼もシャツを一着持ってったらしい(彼は金ちゃんとの面識はない)そうだよな、学校来ない生徒に目をかけてたのも金ちゃんだったよな。

 あいつはいっつも宴会に遅れてきてた。でも、必ず最後には間に合ってて、最後の最後までつきあってた。だから今回のライブ、いろんなことが最後には全部間に合ってた。

 この項、書きたいことがまだまだあるので、ライブ・レポートは次回にしたい。

 俺自身、遺品管理とお色直しに疲れた、という話もあるが(自分のパーカーなくなったし・笑)最後の曲を歌いきったときはもう放心状態、実は昨日一昨日と疲労困憊で仕事もままならなかった。

 そりゃそうだよな。だって二人分なんだもん。なあ、金ちゃん、「ムーン・シャイン」のハモリが聞こえたのは、ぜったい気のせいじゃないよな。お疲れ様、金ちゃん。また、演ろうぜ。
 

jason_k at 02:28|PermalinkComments(4)TrackBack(0)

2006年05月07日

とべとべコンサートとローリング・ストーンズ

 いやー連続で書くといいつつ四月は一回も書けなかった(爆)
今度の日曜はいよいよ「金ちゃん追悼ライブ」だが、思い出深いスプリング・ツアーをやはりちゃんと振り返ってみよう。

 3/25,26「木更津とべとべコンサート21」通称とべコン。俺は木更津に来てこの四月で丸20年。その20年前まで木更津を代表するコンサートであったようだ。その21世紀バージョンをやるということで、いつもいろんなとこでお世話になってる方々から出演依頼がきた。

 というわけでHIRYUの出演と生徒たちの4バンドの出演を快諾。地元のミニコミ誌にも力の入った紹介文が載り、気合充分で木更津市民会館大ホールに向かったわけなんだが、残念ながら前日の客席はガラガラ、自分が出演する二日目も自分のお客さんが視認できてしまう。

 しかし、自分では非常にいろんな意味で納得できるステージになった。あまりに感極まり「星が降る前に」の歌詞が飛び、まさに痛恨だったが(哀)

というのも、この三日前に来日したストーンズを見に行ってきたんだが、これが素晴らしかった。もちろん好きだからってのはあるんだが、やはり「現役感」だと思う。ちゃんとニューアルバムを出し、「シンキョクデス」とミックが叫んだ「ラフ・ジャスティス」。これが「サティスファクション」や「ブラウン・シュガー」と並んでもぜんぜん遜色ない。いちばんびっくりしたのは、途中で60年代、彼らが20代のころの映像がでてくるんだが、正直、今のほうがぜんぜんカッコいい。マジだぜ。

 ここんとこ、イー○ルスやクイ○ンとか、再結成してがんがん日本に来るじゃない。まあフレディいないのはわかってんだけど、ちゃんと券買っていっちゃうんだよね。ポールロジャースが悪いんじゃなくて、なんつーかこう、「昔は良かった」って感じはロックじゃねーだろう。

 最近「大人のロック」が流行りらしい。そのまんまの本も売れてるらしい。でもよ、流行の「チョイ悪親父」のアクセサリーになっちまったら、そりゃあロックに失礼ってなもんだ。

 俺はやっぱりイ○グルスや○イーンじゃなくて、ストーンズになりたい。そんな思いの三月末だ。

jason_k at 23:24|PermalinkComments(3)TrackBack(0)

2006年03月27日

Jason_Kスプリング・ツアー5

 久しぶりである。またホリエモンに催促されてたりする(笑)

 さて、俺は先週今週となんとライブ・ステージが5本(!)入っており、それぞれバンドの面子が違ったりするのだが、勝手に「Jason_Kスプリング・ツアー」と呼んでいる(爆)
 昨日はその折り返し点、HIRYUで臨んだ「とべとべコンサート」、このステージが終わって猛然と書きたくなってきたので、連続でこの「ツアー」について書かせていただく。

 まず3/19「イケタコライブ8」。今回イケタコバンドのみで出演する予定だったのだが、プロデューサーSHINのご意向により、暮れ以来の「Jason's Gate Trio」で出演。これは現在Jason's GateのギタリストRenが事情で動けないため、バンドのリズム隊Yasui&Iidaコンビと俺。正式のステージでは12年ぶりにエレキギターを握る。
 これが結構楽しい。やる曲は、おれが弾くならこれしかない!『頭脳警察』!

「銃をとれ!」「ふざけるんじゃねえよ」に「マーラーズ・パーラー」! いや楽しかった。しかし、風邪で熱があるのにシャウトしてしまい、声をつぶしかける。

 これはまずい。二日後はコモンズの盟友・ギタリスト教授の「卒業ライブ」。そう、彼はこの春、12年務めた足柄高校から転勤してしまう。自分で作った軽音楽部から去らねばならないのだ。
 だから今年の卒業生とともに「卒業ライブ」。場所は小田原市民会館大ホール。その最後の最後に一緒にステージに立つのであるから、これを光栄と言わずして何と言おう。

 俺はここのところの年度末宴会でもまったくカラオケに行かず、声を温存してきた。それというのも、「Spirit Carrys On」という教授入魂の名曲を「綺麗な声」で歌うためだ。
 ああそれなのに、こんなところで風邪をひこうとは。過労という説もあるが、俺は吸入器持参で小田原に向かったのであった。

 素晴らしいコンサートだった。全23バンドという構成は体調不良の俺にはちょいときつかったが、「想い」があふれるステージに立てるのはなんと幸福なことか。今回初顔合わせの八木先生(人物・技量ともに最高!)のキーボードが美しい旋律をかなで、「Spirit Carrys On」が始まる。思い入れたっぷりのMCとともに、何とか歌いきることができた。神に感謝だ。

 最高だったぜ、教授。
 
 

jason_k at 22:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年03月06日

卒業ライブ

 わが拓大紅陵高校軽音楽部の卒業ライブが、「木更津グラフ」で昨日行われ、行って来た。

 こう書くと、「なんで知らせてくれないんだよ」と言ってくれる人がいたりすると思うが、「行って来た」と書いたところでご推察いただけると嬉しいのだが、俺も数日前まで知らなかったのである。
 でてくるメンバーは2年生の3バンドに、卒業生バンドである「頭」と「キッコーマン」。れっきとした部内ライブのようで、そうではない。卒業生たちが自分たちで企画・運営していたのである。
 卒業生の部長・シバヤマは言った。「自分たちが大好きだった後輩たちと、最後にもう一度競演したかったのです」「今日はぜひ見に来てほしいんで、お客としてきてください」

 不思議な気分で、グラフに向かった。現役生徒がアタマにでてくるので、ますます不思議な気分になった。20年も顧問やってて、OBバンドをライブハウスに見に行くことはあるけれども、こうやって純粋に現役生徒を客として見るのは初めてなのだ。なんだか「もう俺はいらないのかなあ」と少し寂しくなった。
 そんな想いもあり、客に徹しよう、といつもは現役がいる場では当然・絶対・勿論アルコールを口にしないのだが、あえてドリンク・カウンターでジン・トニックをもらい、少ししかない席についた。すると、隣にいたOB・「歌うバクチク」ヤナギダが言った。「あれ?今日、アルコールを売ってないんじゃないんですか?」
 そこで気がついた。20歳過ぎのOBも誰もタバコを吸ってない。グラフの女の子に聞いてみた。「シバヤマくんの指示で、『フロアも外も全面禁煙』『少しでも若い人は高校生かもしれないのでお酒は売らない』という形なんです。部活に迷惑かかるといけないから、徹底してくれといわれてます。だから、おじさん・おばさんにしか(笑)お酒は売りません」
 
 凄いじゃねーかシバヤマ。みなご存知のように、同日、北海道の球技で有名な学校ではとりかえしのつかないことが起こってしまった。あの件に関してはいろんな意見があるし、俺もいいたいことあるけどここでは省くが、「卒業生のなーんも考えてない行為のために、後輩の努力の結果がめちゃくちゃにされてしまった」事実は動かない。甲子園で優勝するような凄い奴らじゃないけど、俺は自分の教え子を誇りに思った。

 「頭(カシラ)」のドリーム・シアター・メドレーでは、校歌が挿入され、「キッコーマン」も新曲が増えてた。「へえ、こんなにうまくなったんだ」と素直に思った。そして終演、アンコール。マツイの「アンコールいいですか?」の声に、思わずOKのキュー出しをしそうになった。「いけねーいけねー、もう文化祭じゃないんだ」またちょっと寂しくなった。

 そしてアンコール曲は「タッチ」。大団円、お世辞抜きでよいコンサートだった。さあ、帰ろう、と思った矢先、「先生、ステージに上がってきてください」俺とI田をステージに上げ、まさかの花束贈呈。「今までありがとうございました。軽音なかったら学校辞めてたかもしれません。こんなぼくたちを見捨てないでくれて感謝しています」
 やばい。もうだめだ。これ以上いたら号泣してしまう。シバヤマをハグし、ステージを降りた。

 知ってる人も多いけど、5年前まで「卒業ライブ」を企画していた。つまり、こっちで企画して、出していたんだ。外での演奏機会が増えてきて、文化祭で燃え尽きたい、という声も聞かれてきたので、卒業ライブは、やめていた。

 思った。これが本当の「卒業ライブ」なんだ。俺らなんかの手を借りず、立派に独り立ちしましたよ、と見せてくれたんだ。

 正直、凄いバンドがいたわけでも、統率がうまかったわけでもない代だった。よくOBたちに「先生、甘くなったんじゃないの」といわれていた。何度も何度も、「部活やめたい」といわれ、放送室で膝を交えて話した。 

 でも、昨日、20年間誰もやらなかったことをやってくれたんだ。

 ありがとう、シバヤマ、マエダ、マツイ。俺はお前らを誇りに思う。これからまた、やっていけそうだよ。

jason_k at 02:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年03月03日

ARB解散…

 というか、活動停止。というか、石橋凌脱退。

もう何がなんだかわからん。

何をいってるのかわからん人も多いと思うけど、俺にとってはとんでもないショックな出来事だ…

くわしくは後日書きたい。さあ、寝るか、と思った矢先のニュースであった…

jason_k at 03:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年02月28日

TAMAロックフェスティバルその後

 先週の日曜、そういうわけでHIRYU・KANE氏の本拠地・多摩にのりこみ、「TAMAロックフェスティバル」のオープニングを務めさせてもらった。持ち時間が15分強で8バンドなので、ここんとこ長尺のフェスばっかり出てるので(そのほとんどは自分のプロデュースで長尺にしてるのだが(爆)、皆3曲ずつ、あっという間に終わった感があるが、これもお客さんが全部見ることを考えると適切な長さなのかもしれない。自分でもよく考えよう。「西遊記」の諸君はじめ、お客さんを大切にしているバンドが多く、競演していて気持ちよかった。良いフェスだったように思う。

 例によって終わってから「魂の打ち上げ」に行く。公式打ち上げなのに「ザ・コミニュケーションズ」の皆さんと我々とスタッフしかいないのはちと寂しかったが、ま、これはこれでしかたがない。しかし、素晴らしかったのがスタッフの熱さであった。なんと、この「TAMAロック」今年で終わりなのだそうだが、それは行政側の予算の都合なのだそうだ。
 そこで「出演者で予算を頭割して続けましょうよ」というと、「とんでもない、出てもらってるのに!」という返事! これには胸を打たれた。ようするに、出演者に金銭的負担をかけようなどとは微塵も思っていないのだ。当節「出してやるよ」系のイベントが多いというのに。ここのスタッフたちは「このイベントを成功させる」ことに誇りと自信をもっているのだ。

 最後スタッフの森さんは「このイベントやってよかったです」と泣いていた。こういうスタッフと仕事したいよな。俺はもう、八王子でも昭島でも行っちゃうよ。またやろうよ!森さん。
 

jason_k at 00:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)