から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ

『伊勢物語』の「あづま下り(東下り)」の中に出てくるあまりに有名な歌です。
恐らく、ほとんどの高校の古典の授業の中で「あづま下り」の段は扱われると思いますが、それは一つに和歌の修辞を学習するのに非常に適した教材であることが理由として挙げられます。

今回は、この「から衣…」の歌を使って和歌の修辞について話をしようと思います。

最近のセンター試験では、毎年必ずといっていいほどに和歌が出題されています。
以前のセンター試験であれば、極端な話、問題文を読まなくても設問だけで答えを出せてしまう、ある意味での悪問がありました。
事実、そのようなセンター試験の解き方を取り上げた参考書が非常に流行しました。
しかし、ここ数年のセンター試験では、その方法は全く通用しません。

よく、「効率よく得点を伸ばす方法を教えてくれ」という質問を受けますが、そんな方法は存在しません。
文法事項を基礎からきっちりと固め、ある程度の古典常識を知った上で、問題文を丁寧に読み込む。
それが一番誠実な解き方ですし、一番正確な解き方です。
センター試験は内容さえつかめてしまえば比較的に楽に選択肢を吟味できるので、安易な方法を模索するのではなく、問題文としっかり向き合う姿勢を養うことの方が大切です。(そのためには日々の学習が大切になるのですが…)

さて、なぜいきなりセンター試験の話を出したかというと、季節柄センター試験が近づいてきているから、というわけではありません。
センター試験には、「問題文を丁寧に読み込んで内容がしっかりと把握できているか」を見定めようという意図が感じられます。
その際、一番手っ取り早く、かつ受験生を引っ掛けやすい問題を作成するには和歌を出題するという方法が最も理に適っています。
センター試験で出題される和歌は、「散文中の和歌を理解するとはどういうことか」を端的に示しています。

「散文中の和歌の理解」についても、「から衣…」の歌を使って説明していきます。
さて、まず散文中の和歌を読むとはどういうことなのか。
この説明から始めようと思います。

例えば、『万葉集』や『古今和歌集』など、多くの和歌を集めたものを歌集といいます。
この歌集は、和歌を和歌そのものだけで味わうことが主眼に置かれています。
したがって、その和歌が詠まれた背景などはあくまでも副次的なものです。

しかし、散文の中に登場する和歌はそうはいきません。
散文の中で和歌が詠まれた場合、どういう経緯でその和歌が詠まれることになったのか、誰かの歌に対する返歌であれば、相手の歌はどのような歌であるのか、という風にコンテクスト(文脈)を無視することはできません。
したがって、センター試験では文章全体の内容が把握できているかを判断する指標として和歌を出題するのです。

「あづま下り」の「から衣…」の歌を理解するのも、どのような文脈の中でこの歌が詠まれることになったのか、それをまずは理解する必要があります。
歌集に収められた和歌は、和歌→背景の順で理解するべきなのに対し、散文中の和歌はあくまでも背景→和歌の順で理解すべきなのです。
センター試験の和歌などは特に、和歌だけいくら眺めても理解できないものが多いのです。

では、「から衣…」の歌の背景とはどういうものであったか、「あづま下り」の文章を見てみましょう。

 
 昔、男ありけり。その男、身を要なきものに思ひなして、京にはあらじ、あづまの方に住むべき国求めにとてゆきけり。もとより友とする人、一人二人して行きけり。道知れる人もなくて、まどひ行きけり。三河の国八橋といふ所に至りぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ、八橋といひける。その沢のほとりの木の陰に下りゐて、乾飯食ひけり。その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、「かきつばた、といふ五文字を句の上にすゑて、旅の心を詠め。」と言ひければ、詠める、

 から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ

と詠めりければ、みな人、乾飯の上に涙落としてほとびにけり。


簡単にかいつまんで内容をまとめます。

① 昔男がいたが、その男は自分が都には必要のない人間だと思い込んで、東の方に自分が住むべきを国を求めて友人を一人二人連れて旅に出た。
② 東国までの道筋を知っている人もいなかったので迷いながら旅を続けて、三河の国(現在の愛知県)の八橋というところまで来た。(八橋という地名は、河が蜘蛛の脚のように入り組んでいて、橋を八つ渡してあることに由来する。)
③ 一行がその沢のほとりに下りて乾飯(携帯用の食料)を食べていると、沢のほとりにかきつばたが美しく咲いている。
④ それを見た一行のある人が、「『かきつばた』の五文字をそれぞれの句の頭に置いて、旅の心を詠め。」と言ったので、男が歌を詠む。→から衣…

これが、「から衣…」の歌が詠まれる経緯です。
つまり、この歌を詠んだ張本人の「男」は、東国へ向けての旅の途中であり、和歌が詠まれる直接の原因は、沢のほとりに美しく咲いているかきつばたを見て、その「かきつばた」の五文字を句の頭に据えて旅の心を詠んだ歌を作れといわれたことに起因します。
(この、「ある人」の「『かきつばた』という五文字をそれぞれの句の頭に置いて」という指示については、この和歌に使用されている表現技法と密接に結びついていますが、その説明は次回に回します。)

要するに、「から衣…」の和歌をただ眺めているだけではなかなかこの歌の本質及び表現技法について理解ができません。
その和歌が詠まれる経緯をきちんと把握すること、これが散文に登場する和歌を理解するのに何よりも大切なのです。
次回の和歌の修辞の説明と合わせれば、このことはよりよく理解できるはずです。