今回、問題になるのは次の一文です。

・かれこれ、知る知らぬ、送りす。

この文のどこが問題なのか。
それを知るためにも、とにかく用言と助動詞に注目することから始めましょう。
用言(動詞・形容詞・形容動詞)と助動詞のチェックは古典では基本中の基本ですからね。

・かれこれ、知る知ら、送り

用言と助動詞にチェックを入れてみました。(用言は黄色、助動詞は水色でチェックしました。)

もう少し細かく見ていきます。

①「知る」…ラ行四段活用(連体形)
②「知らぬ」…ラ行四段活用(未然形)+打消「ず」(連体形)
③「(送り)す」…サ行変格活用(終止形)

さて、この段階で何が問題なのか見えてきたでしょうか?
この段階で気づけた人はなかなか鋭い感性の持ち主です。

結論から言うと、③に問題はありません。
①と②が問題なのです。
①と②はどちらも活用語の連体形です。
これが問題で、極めて不自然な形であると言わねばなりません。

ラ行四段活用の「知る」という動詞の活用語尾がウ段、すなわち「る」になるのは連体形と終止形の場合のみです。
終止形という活用形は、〈①文末 ②助動詞「べし」などの接続 でしか現れない〉というのが原則なので、ここでの活用形は終止形ではなく連体形だということになります。

そもそも、連体形という活用形は、活用語の直後に体言(=名詞)がくっついてくる(体言に連なる)のが原則です。
しかし、「知る」も「知らぬ」もいずれも直後に体言の存在を認めることができません。
直後に体言が存在しないのに連体形が使われている。
これが非常に問題なのです。

では、単に文法的なミスであるかといえばそうではありません。
一見おかしなように見えますが、このようなことが起きるにはそれなりの理由があります。
そこで、古文を読むにあたって、このような不自然な連体形が出てきたときの処理の仕方を頭に入れておいてください。
それは、以下の2点です。

〈不自然な連体形の処理の仕方〉
①係り結びを疑う。
②直後に体言が省略されていることを疑う。

①は、重要な古典文法です。
「係り結びの法則」は、係助詞「ぞ・なむ・や・か」のときには結びを連体形、係助詞「こそ」のときには結びを已然形にする、という法則です。
不自然な連体形(不自然な已然形に関しても同様)が出てきたときには、まずこの係り結びを疑ってください。

②は、古文の表現の特徴をまず押さえておく必要があるでしょう。
古文の表現の特徴として、古文では多くを語らない、ということが挙げられます。
つまり、わざわざ言う必要のないことはガンガン省略してしまいます。
古文が書かれた時代の人たちにとってはそれが当たり前のことなので、言わなくても通じるのですが、現代人の我々にとってはサッパリ意味が分からない、なんてことが当然のように起こります。(これが古文読解の最大の難関なのでもあるのですが。)
したがって、現代人の我々が古文を読むときには、いちいち省略されたものを補いながら読む必要があります。
このように、言わなくてもわかることはいちいち説明しない、という表現上の特徴から、本来連体形の後に来る体言が省略されてしまうことが(厄介なことに結構な頻度で)あるのです。

さて、では『土佐日記』にもどって、ここでの不自然な連体形は①と②のどちらで処理するべきでしょうか。
もう一度問題の一文を見てみましょう。

・かれこれ、知る知らぬ、送りす。

一つ言い忘れていましたが、係り結びの法則は一文の中で完結する、という暗黙のルールがあります。
したがって、係り結び法則が、二文にわたって展開されることはありません。
これを踏まえて問題の一文をもう一度見てみると、この文の中に連体形で結ぶ係助詞は存在しない、ということがわかります。
ということは、残った可能性としては②しかないということになります。
体言の省略にも実は2つのパターンがあります。

〈体言の省略〉
①既に一度出てきた体言の重複を避けるための省略。
②文脈上補う体言が明らかである場合の省略。

この2つのパターンのうちで厄介なのは、②です。
「文脈上明らか」というのは、それまでの内容がきちんと理解できているときに初めて成り立ちます。
したがって、②のパターンで処理するには、それまでの内容、場面を正確に読み取る必要があります。
ちなみに、この〈体言の省略〉の原則は、そのまま主語や目的語の省略の場合にも当てはまるので必ず覚えておいてください。

この場面は、土佐から都に向けて舟で出発しようとする場面であるので、

・かれこれ、知る(人)知らぬ(人)、送りす。

ということになるでしょう。
つまり、「あの人もこの人も、知っている人も知らない人も、見送りをしてくれた。」ということです。

体言が省略されてしまうと途端に読解の難易度が跳ね上がりますが、色々な古典作品を読み進めて行くうちに慣れるしかないでしょう。
ただ、どんな場合においても、用言・助動詞のチェック、その応用としての品詞分解が基本であることを忘れないで下さい。

(関連項目)
『土佐日記』(門出)①―二つの「なり」、「女」は何者?―
『土佐日記』(門出)③―作者の言葉遊び―