酔中狂言

junkichiの雑記・コラム

センター試験2017年

一年ぶりの更新がセンター試験講評になってしまった。

ただ、8年間もセンター試験後にすぐに自分でも解いてみて講評を述べるということを愚直にやっていると、それなりにセンター試験というもののありようや、今後の動きなどが見えてくるような気がする。ひとまず、今年のセンター試験国語について私の現時点での見解を示しておきたい。

【第1問】小林傳司「科学コミュニケーション」
近代科学を批判的に論じた文章は入試現代文の定番であるが、今回の「科学コミュニケーション」はもう少し踏み込んだ内容となっている。科学者というのは無邪気に進歩と発展を望んでやまない存在だが、現代において科学技術と人間のありようが複雑化するにつれて、彼らへの信頼は揺らぎを見せている。筆者はコリンズとピンチという科学社会学者が科学的知識の神格化に一石を投じたことの意義は認めつつも、一般市民にとって科学がいかなる存在であるかについてはそのとらえ方にも濃淡はあり、科学を正当に語る資格があるのは当の「科学社会学者」だという堂々巡りのような議論をしている、ということを述べた文章である。
 
昨年のような卑近な題材ではなくセンター試験現代文としてふさわしい硬質な文章に戻った。選択肢もよく練れており丁寧に読解しなければ最後の二択で迷ってしまうような作り方になっている。新課程や教育改革を意識した設問こそなかったが、文章の構成・展開を問う問題については健在で、論理展開や文章を俯瞰する力を試したいという姿勢ははっきりしている。ただ、相変わらず選択肢問題で表現を問うという無理なことを続けているのはいかがなものか。
 
実は昨年、国公立クラスの合宿で大阪大学で「科学と倫理」を研究テーマにしている中村征樹先生を学校に招聘するなどして、「科学コミュニケーション」の分野については一つのテーマにしてきた。今後、AIの台頭などによりこのテーマは様々なところで論じられる可能性が高いので、更に注意していきたい。

補記:漢字が難しくなっていたことが意外。でも大切なことかもしれない。
それと、わざわざ「次の文章は2002年に刊行された科学論の一節である」という前書きがあったことは、確かにいくつかの話題が少し古い事件を扱っていたと言うこともあるけれど、それより震災の前後で科学技術と我々の関係が変わってしまったということを示唆しているように感じられた。

【第2問】野上弥生子「秋の一日」
小説は野上弥生子の作品(1912年発表)からの抜粋で、それほど古めかしさは感じられないものの、病気がちな主人公が子どもを伴ってピクニックがてら展覧会に行くという展開は、今の高校生にはなかなかリアリティを感じることは難しそう。小説らしい小説という印象だが、それほど起伏がないため読み過ごしてしまう部分も多く、問5のような内容の照合のみで答えを出すような問題には注意が必要になる。が、不注意な私は間違えてしまった。ごめんなさい。でもこの手の問題は、選択肢を吟味する徒労感に苛まれてどうしてもまともに取り組む気になれない。受験生はご苦労なことだと思う、と恨み言。

【第3問】『木草物語』
近世の擬古物語『木草物語』からの出題。かなりマイナーな作品で私は初めて目にした。主人公の菊君が側近の蔵人の邸を訪れる。そこで偶然、蔵人の姉妹の尼とその娘の姿を垣間見て恋心を抱き、和歌のやりとりをするという話。娘の姿を、「二十ばかりと見えて、いと白うささやかなるが、髪のすそ、居丈ばかりこちたく広ごりたるは」表現したり、垣間見の述懐を「いとあはれなる人を見つるかな」などというのは、まるで源氏物語の「若紫」の一節を思い出させる。近年、擬古物語が出題される場合は、特にこうした名場面の焼き直しのような部分が切り取られることが多い。数年前は批判的に書いたけれども、もしかしたら古文離れしている今の高校生の「入門」としてはいいのかもしれない。というか、判断保留。内容的にはかなり易しく感じたが、物語における男女関係のプロトコルのようなものがわかっていない高校生には、昨年のような説話の方が取り組みやすかったかもしれない。

【第4問】新井白石『白石先生遺文』
珍しく日本漢文からの出題。江戸の町は今や大都市になったが、未来の江戸も変わっているだろうそのときのために、自著「江関遺聞」を書いたのだということを比喩を用いて述べた文章。昨年もそう感じたんだけれども、知識断片化問題が多くなっている。それからこれはいいことでもあると思うけれど、問4の故事成語を踏まえた問題も、これまでの「無用の用」「青藍の誉れ」を知っていれば読解の大きなヒントになった問題を思い起こさせる。このあたり、先ほどの古文もそうだが、高校の現場でやっていることを何とかセンター試験で発揮させたいという配慮を感じる。こうした作問側の配慮については、我々はもう少しセンシティブになっていいと思う。


【総評】
昨年のセンター試験国語が史上稀に見る易化となったことは記憶に新しい。逆にそれまでがちょっと難しすぎたとも言える。
「センター試験は基本を押さえておけばいい」というのは他の科目には当てはまるかもしれないけど、国語についてはそうでもなく、過去10年間の平均点の推移は、
129点(2016年)←117点←99点←101点←112点←118点←111点←108点←115点←121点(以下四捨五入による誤差あり) 
となっており、平均は113点。むしろ大学受験に「ドラマ」を起こす主役になってしまっている。確かにここ10年の水準からすれば昨年の問題はずいぶん易しい問題だった。そして2014年などの厳しい試験についても「そんなもんか」とついつい納得している向きがある。

ところが、1990年から始まったセンター試験の最初の10年間の平均点は、なんと128点なのである。受験生のレベルが低下したのかという点については、世代間の学力比較が難しいためここで結論めいたことは言えないが、少なくともセンター試験について言えば1990年代より現在の方が圧倒的に難しい。だからといいって、現在の高校生の方が学力が高いかといえば、それはそうとも言えないのだが。今、手元にあるセンター試験元年と二年目の問題を見る限り、センター試験の伝統を十分享受してきた現役世代が当時の問題を解けば、恐らく高得点をマークすると思われる。そして、センター試験というのは概ねそれくらいの難易度でもいいのではないかという気がする。

ちなみに、私が批判的に論じた昨年のセンター試験については、大学入試センターの「試験問題評価委員」の「高等学校教科担当」の意見・評価は、「生徒にとって取り組みやすい」ということが評価されて概ね好評だった。一方で、予備校などの関係者が多い「教育研究団体」からは厳しい意見も出されていた。私はどちらかというと後者の立場でセンター試験国語を見ることが多いのだが、センター試験本来の役割からすれば平均点130点くらいの問題の方が適切なのかもしれない。

いずれにしても、センター試験には周囲が過度な期待をかけない方がいい。むしろ一次試験として規範を示し関門として立ちはだかる役目を果たしてほしいのである。これは、センター試験の後継となる試験にも期待したいところ。 今年の平均点がどの程度になるかは分からないけれども、昨年よりは難化したことは確かである。ということは、またしても「ドラマ」を生んでしまったのかもしれない。本来それはそんなに必要のないドラマである。本当にドラマチックであるべきなのは、個別試験・二次試験であり、そこにこそ本当の意味での期待をかけなければならない気がする。

センター試験にまつわる今の議論の展開を見ていると、数十万人も受験する共通のテストに無理な期待を寄せ、本編とも言える二次試験や私大の個別入試についてほとんど忘れられている状況である。私はそちらの方を憂慮している。

この点については別に書きたい。

とにかく受験生の皆さんはセンター試験お疲れ様でした!
 

センター試験2016年

センター試験初日終了。進路指導部の責任者としては、生徒のことを考えると祈るような気持ちで毎年この日を迎えているが、本分である(と考えている)国語教員としては、センター試験国語の問題を通して大学入試や国語教育を考える貴重な機会だと思っている。ほとんど更新することのなくなったこのブログも、センター試験の講評だけは今年で7年目になるが、細々と続けている。現行のセンター試験が実施されるのも残り4回。大学入試改革でこうした蓄積がすっかりリセットされてしまうのか、それとも次代の国語教育を考える上で何らか契機にはなり得るのか、少なくともあと数年は考える機会がありそうだ。

さて、今年のセンター試験国語はかなり易しい問題で、平均点も高くなることが予想される。問題文も設問も全体的に「緩い」印象を受けた。2013年と14年は平均点が100点前後というきわめて厳しい試験となり、多くの受験生がセンター試験国語の壁に第一志望への夢を打ち砕かれてしまった。昨年は120点近い平均点となり、受験勉強が試験に生かされる水準の問題になっていたが、その前の2年に比べると本文選定においてやや「格調」(というほどではないが、私の好みでは「規範意識」より分かりやすさを優先させたのかなと(^_^;))を欠いているように感じられた。選択肢の表現もセンター特有の緊密さを欠いた、「俗」な印象を受けた。勝手な言い分かもしれないが、生徒の視線に立つと取り組みやすい平易な問題が好ましく、国語教員としての視点によれば弛緩した問題に見えてしまう今年の問題よりも、2014年などを支持したくなってしまう。いや、これは本当に勝手な言い分。

センター試験国語の作問スタッフは2年交替というのが定説で、そのため傾向や難易度も2年ごとに変動していると言われている。小林秀雄『鐔』と齋藤稀史『漢文脈と近代日本』という硬質の評論を出題したスタッフと、きわめて現代的な視座からの社会批評を出題したスタッフの好対照は興味深い。各分科会による作問メンバーのグループ分けは不明だが、数年後には官報に出題者一覧が掲載される。予想してみるのも面白いかもしれない。

今年の出典は以下の通り。

第1問 土井隆義『キャラ化する/される子どもたち』
第2問 佐多稲子 「三等車」
第3問 『今昔物語集』 
第4問 盧文弨『抱経堂文集』


【評論文】
土井隆義は、ちくま新書の『友だち地獄ー「空気を読む」世代のサバイバルー』は知っていたが、上記出典は未読だった。大多数の人が信じる「大きな物語」が崩壊し、価値観が多様化した現代においては、「アイデンティティ」のように一貫性のある人格を構築するとかえって生きづらさを感じるようになっており、むしろ自らの人格を単純化=「キャラ化」して人間関係を営む形が他者に対して誠実な態度となる、ということを述べた文章で、受験現代文ではよくあるタイプの論点でもある。設問の構成も選択肢の文言も平易で解きやすかったはずで、最も間違えやすいのは「適当でないものを選べ」というところを勘違いしなかったか、という程度だと思う。

新課程を意識したと思われるのが問5。生徒同士の対話の場面から主題を導く趣旨の問題であるが、予備校の調べによれば1996年にも同形式があったようだ。近年のセンター試験ではこうした「コミュニケーションの場面」を通して考えさせる問題が教科を問わず出題されるようになってきた(英語における「物語文」の出題もその延長線に考えられる)が、恐らくこの傾向は今後も継続し、「大学入学希望者学力評価テスト」にも受け継がれるであろう。ただ、たとえ教室で生きた形で行われている場面を想定して選択肢に仕立てたとしても、それは形ばかりの「コミュニケーション場面」に過ぎず、本来は緊密な主題文で書かれるべきものが弛緩した意見文に堕した形で提示されただけになってしまうような気もする。

【小説】
舞台は1950年頃の鹿児島行きの三等列車。設定は古めかしいが内容は平易で、設問も心情問題を軸にしたセンター試験小説らしい出題であったと思う。語彙問題はかなり加減している様子で、「目くばせ」「無造作」「見栄」などという基本のみ。問6の表現を問う問題などは、毎年批判しているのでもう飽き飽きしているが、今年も例年同様評価できない問題だった上、ここでも「適当でないもの」を選ぶパターン。

小説の出題については、今後の国語教育の変革を見据える上ではきわめて重要なテーマとなる。実用国語ばかりがもてはやされる中で、国語の授業で文学を扱うことは少なくなってきているものの、新しい学力観の命題でもある「(唯一の)正解のない問いに答える力」を試そうとするとき、小説というのはうってつけの題材でもある。コミュニケーション場面を白々しい創作文で表現するくらいなら、優れた小説を扱った方がよほど教育的でもある。

【古文】
驚きの易しさだった。近年、どんな私大の古文よりも、東大の古文よりも、センターの古文が難敵であったことは国語の教員なら誰でも思うところ。わたしなぞは、古文の難化が逆に生徒の古文離れを助長するのではないかと危惧していたのだが、今年のように高校受験かと見紛うような平易な(安易な?)説話からの出題をされると、もうちょっと「中間的な難易度の素材」はなかったのだろうかと注文をつけたくなる。長い割に中身の薄い文章というのは、学校の授業で行う「精読」の対局にあり、これはこれで生徒の古文学習のモチベーションを損なうような気がしてならない。また、文法問題では珍しく助詞の「の」が問われたが、これも昨年の追試(前年の追試は本年と密接な関係があるというのは、先に述べたスタッフの事情にもよる)で助詞が2カ所問われているのと平仄が合っている。

【漢文】
母子の情愛が、生死を超えて通じるということを述べた随筆風の文章。語句の問題は基本。珍しく、「句法」の記憶で一発で正解が選べるような問題はなく、文章全体の内容を少しずつ追っていきながら理解を深める、という出題だった。私事だが、「傍線部の外の対句」については、最重要ポイントとして直前の講習でもしつこくやったところなので生徒にも気づいてほしいところ。難易度は平易だが、漢文がこのくらいが丁度いいように思う。

【総評】
1990年スタートのセンター試験は、それ以前の共通一次試験を引き継いでおり、課程の変更や時代の変化に伴い傾向を少しずづ変えながら現在まで行われている。55万人が一斉に受験する、という「無茶振り」に耐えながら、しっかりと進化してきたという評価をしていいだろう。今回の問題は、私は珍しく批判的な書き方をしたけれども、大学入試センターの「試験問題評価委員会報告書」を読むと、いかにセンター試験が誠実に作られているかが分かる。私とて、センター試験という試験方式が制度的に限界に来ているという認識や、選択肢問題による誘導的な設問の限界、小手先のテクニックが時に通用してしまう側面については、問題なしとは考えていない。しかし、今後の入試改革の折に、センター試験の歴史が積み上げてきた蓄積については最大限の敬意を払うべきであると思う。また、学校教育の中でもセンター試験の果たしてきた役割は小さくない。それはセンター国語という形式への技術的な対応を蓄積してきたということではなく、素材文の確かさや抑制の効いた設問という「規範」としての側面も、国語教育に大きく貢献してきたと思う。

センター試験の先にあるものーそれは文科省の役人よりも、教育産業の人々よりも、現場の教員そのものが考えを巡らせて意見表明していかなければならない時期に来ている、そんな切迫した思いに駆られる。(了)






謹賀新年2016年

新年明けましておめでとうございます。

2005年から始めたこの「酔中狂言」も昨年の更新はわずか1回。 そろそろ閉鎖か、、、という向きもあろうかと思いますが、FBやTwitterを細々とやりつつも、このブログこそが本拠地だと思っている私にとっては、更新をしたいという思いを忘れたことは一日も(は言い過ぎだけど)ありません。そんなわけで、気まぐれながら細々と続けていきたいと思いますのでどうぞよろしくお願いします。

さて、かくまで更新が滞っている理由はもちろん多忙の一言に尽きるのだが、では更新していた時が暇だったかというとそんなことはないわけで、 やはり、情報の受発信ということについて、「入力」と「出力」の間に横たわる「自分の考えを整理する」というプロセスに重きを置くような心の余裕がなかった、ということであろう。そのプロセスそのものが若さの特権であったり、「入力即出力」のような仕事ができるようになるのが社会人にとっての熟練であったりするわけで、人生の一時期、こうした余裕のない期間が生じることはやむを得ないような気もする。

そんな言い訳をしたところで詮無いことなので、 ほとんど果たされないことは覚悟で年頭の目標を掲げてみたい。

1 太らない
 まず、「やせる」と書かないところに成長の跡を見ていただきたい。この生活で痩せるはずはなく、さりとてこの生活を改めるほどの覚悟もなければさしあたっての理由もない。そこで今年は、現状維持という中年らしい目標に変えてみた。これすら達成できない折にはいかなる非難でも甘受したい。

2 メモをしまくる
 父親が認知症になって久しいが、自分自身もその恐怖を感じるようになった。もちろん「若年性アルツハイマー」というのも恐ろしいが、もっと身近に感じている、年齢から来る記憶力の劣化には本当に辟易している。私はどちらかと言えば複数の仕事を同時に進めていく、という立場であったりそういうスタイルを好んでいたりするのだが、ここ数年、確かに留めたはずの記憶がすっかり抜けてしまうことが多くなった。致命傷になる前に、メモの癖をつけたい。まずは、メモをしまくるということを忘れないようにメモしておこう。

3 連絡をマメにする
 私は友人や知人も多いのだが、同時に不精者で不義理も多い。自分の受け持ちの生徒への連絡が最優先になっており、その後を先送りにしたまま放置するケースが目立ってきた。最近つきあいのある某社の営業のリターン早さを見習って、今年は返信の鬼になりたい。

4  新しいことを始める
 何かは決まってない。が、40歳を過ぎているからこそチャレンジもしたい。いや、そんなたいそうなことではなく、「ヒトカラ(一人カラオケ)」レベルでもいいんだ。

5  このブログを20回以上更新する
 ご期待あれ。

そんなわけで、今年もよろしくお願いします! 

センター試験2015年

今年もセンター試験が終わった。受験生の皆さん「とりあえず」お疲れ様。

2009年から6年間、本ブログでのセンター国語の講評を試みている。年に数回しか更新しないブログの、しかも備忘録レベルではあるが何とか今年も今日のうちに記しておくことにする。昨年から難関国公立大学の国語入試問題に関わることが多くなり、改めてセンター試験のあり方を問い直す機会も増えてきた。教育改革の旗振りが行われ、制度改革についての答申やそれにまつわる様々な論評が喧しいけれど、私の立場としては一国語教員として虚心に今年のセンター国語を振り返ってみたい。

今年の出典は以下の通り。第1問の佐々木敦の評論文の中でTwitterの話題が出てきたことがネットでは話題になったが、近年の入試問題では頻出の作家でもあり、テーマもまさにトレンドでごくごく常識的な出典だと思う。ここ2年間センター試験国語の平均点が100点前後(昨年は98点と正答率50%を切った)と、あまりの難問化に受験生から悲鳴が上がり、なんだかその悲鳴は国語という教科への恨み(?)や諦めにもつながりそうな雰囲気もあった。努力が報われないならやる必要はない、というマインドがジワジワと浸透しつつあることに危機感すら覚えていたのだが、今年は常識的な水準まで易化しており、勉強してきたことが発揮されやすい問題だったかもしれない。

第1問 佐々木敦『未知との遭遇』
第2問 小池昌代「石を愛でる人」の全文
第3問 「夢の通い路物語」
第4問 程敏政『●●(こうとん)文集』こう(「竹」の下に「皇」)、とん(「土」に「敦」)

【評論文】
佐々木敦は『ニッポンの思想』(講談社現代新書)しか読んだことはなかったが、サブカルやネット社会について様々な媒体で文章を書いているため馴染みは深かった。本文は、ネット社会によって「歴史」の概念が崩壊しつつあることを歓迎する一方で、情報リテラシーの啓蒙の必要性も高まってきていることを指摘した上で、自らは未知なるものへの興味を刺激することをしたい、ということを述べた文章。現在の社会状況をある意味では的確に表しており、共感もできる文章だった。ただ、段落構成のや論理展開については緊密さを欠いており、センター試験にしてはあまり「規範的」ではなかったかもしれない。

ちょっと煩雑かもしれないけれど、ポイントとなる箇所の引用と、それに関わる設問の正答を引用したい。

ネット以後、このような一種系譜学的な知よりも、「歴史」全体を「塊」のように捉える、いわばホーリスティックな考え方がメインになってきたのではないかと思うのです。これはある意味では「歴史」の崩壊でもあります。まず、「現在」という「扉」があって、そこを開けると「塊」としての「歴史」がある。その「歴史」を大掴みに掴んでしまって、それから隙間を少しずつモザイク状に埋めていくことが、「歴史」の把握の仕方としては今やリアルではないのかと思うのです。

この部分の「歴史」の崩壊について、こんな選択肢で説明している。

インターネットによる情報収集の普及にともない、過去の個々の出来事を時間的な前後関係から離れて自由に結びつけられるようになったため、出来事を時間の流れに即してつなぐことで見いだされる因果関係を歴史と捉える理解の仕方が権威を失ってしまったと言うこと。

ここ2年ほど本試験では復古調の評論が出題されていたのだが、追試験に目を移してみると、昨年は、現代人のリアリティを支えているものは何か、ということに言及した田島正樹『正義の哲学』からの出題だったし、一昨年は西谷修『理性の探究』からの出題で、いずれもきわめて現代的なテーマが扱われているという点では今回の出題とも地続きである。「歴史」に対するリアリティというのはネット社会において確かに変質している感もあり、今後も重要なテーマになっていくような気もする。著者本人がTwitterでコメントしていたのも面白い。

教科書には依然として丸山真男だの小林秀雄だのが、ひっそりと採録されており、時折授業でも扱われている以上、そうした文章も使いながらセンター試験の作問は行われているのだが、それでも現在我々の身の回りに起こっている急激な変化について、「国語」という教科が評論文を通じて学ぶ機会を与えているということの影響は小さくない。そしてその素材文の実質的な牽引は他ならぬ入試問題が担っているのである。

個別の設問では、本文の論理展開が緊密ではないタイプの文章だったため、昨年のような「文章構造の把握」よりも「話題」についての筆者の見解を掴むことが大切だったのではないかと思う。「精読」よりも「全体像をつかむ」という方針については継続している模様。「国語表現」という科目を吸収して以来、「表現」に関わる問題が出続けているが今年の問6に至っては爛熟を通り越して頽廃というべきか。もうやめた方がいい。

【小説】
小池昌代も入試頻出作家だが、俄に増えたのは2000年代中盤。2004年の早稲田(教育)と学習院(文)で、全く同じ箇所が出題されて話題になった(ちなみに、それは主たる出題者が2年前まで同じ大学に勤務していたことに依るのではないかと憶測している)ことや、2005年の東大の第4問(文系専用問題)が非常に良問で問題集などによく採録されていることなどから、国語教員にとってはお馴染みだ。小説なのか随筆なのか、境界線は微妙なところかもれいないが、私はまずまずいい文章だったと思う。惜しむらくは、問4、問5あたりをもう少し格調高い正答にを仕上げて欲しかった。難易度を気にして微調整したのか、選択肢の文言がなんだか俗な印象だった。でも、そうか、小林秀雄の「鐔」の問5なんかは素晴らしい正答だったけど、受験生の評判は最悪だったしな。いずれにせよとても平易な問題だったと思う。

【古文】
昨年は「源氏物語」が出題され、私も「源氏の亜流の擬古物語を出題するくらいなら、本家の出題を歓迎したい」という趣旨のことを述べたことがあるが、今年も『夢の通ひ路物語』という室町時代に書かれた擬古物語に逆戻りした。男子生徒の嫌いそうな王朝恋愛シーンは、私の勤務校の生徒にとっては逆風だっただろう。それよりちょっと気になったのが、確か5年前の『恋路ゆかしき大将』は「源氏物語」の「若紫」巻を下敷きにした場面であり、今年の文章は、これまた「源氏物語」の光源氏と藤壺女御の密通に関するシチュエーションとまるでそっくり。その知識が直接設問に生かされるというわけではないのだが、「本歌」を想起することを通じて、無理矢理古典に対するリスペクトを素材文に反映させているような気がしないでもない。
 
個別の設問については、問1の語彙は標準的で勉強したことが報われる問題、問2の文法は、謙譲の「給ふ(下二段活用)」が初めて出題されたと各社の分析では話題にしていたが、実は昨年の追試にも出題されている。英語でも昨年の追試での新形式を今年踏襲する設問があったようで、追試の演習は今後も必須であろう。

【漢文】
今年は語彙・知識問題に傾斜した出題だった。ここには何らかのメッセージを感じ取るべきかもしれない。文章の展開も、前半が見聞で後半が筆者の見解という「ベタ」なパターンで、基本的には勉強してきたことが報われる出題だった。漢文の学習についてはセンター試験国語が最後の砦になっているのが現状なので、こうした「啓蒙的な」出題は望ましいと思う。

【総評】
センター試験というのは、前身の共通一次がもともと東大の一次試験を祖としていたことを考えてみても、やはり一種の「資格試験」であるべきで、各大学が独自に行う入試があってこそ存在意義を持つものではないだろうか。その意味では、現行センター試験は世間の過剰なまでの監視の元、多くの私立大学に寄りかかられて、きわめて制約が大きい中でよく踏ん張っているように思う。制度改革の折には、やはりこうした長年の蓄積の尊さにも気を配るべきだと改めて感じた。(了) 

再現!思い出のマスカッティ

このブログはたまにしか更新しないこの気まぐれな、というかほとんど怠慢なものなのだが、それでも時折見ず知らずの方からのコメントが寄せられるエントリもある。「思い出のキャベッジダウン」「思い出のマスカッティ」という、きわめて個人的な思い出に連なる美味の再現を書いたものだ。

今回再現してみた「マスカッティ」については、上記を参照していただくのが手っ取り早い。1987年(1988年かもしれない)に、ロイヤルホストで提供されたマスカットゼリーをモチーフにしたパフェのことである。ネットで「マスカッティ・ロイヤルホスト」で検索しても私のブログが最初に来てしまうほど情報が少なく、前述のエントリを書いてから2年近くも再現に至る情報が得られなかった。

ところが、今月10日に福音が。当時のロイヤルホストでアルバイトしていた「ままずか」様という方がブログのコメントに作り方を書き込んで下さったのだ。以下、感謝の意味を込めてコメントを引用させていただく。

突然のコメントで失礼します!
「マスカッティ」懐かしすぎて涙が出そうです。私もずーっと忘れられず、検索したら、ここに辿り着きました。
実は私、その当時まさにロイホでアルバイトしていました!この手でマスカッティを作っていました。記憶が曖昧な点もありますが、再現の参考になれば幸いです。
☆マスカッティ
材料:マスカットゼリー、缶詰めのマスカット、フローズンヨーグルト、ホイップクリーム
作り方:ゼリー→缶詰めマスカット→ゼリーの順にグラスに入れます。その上にフローズンヨーグルトを乗せ、フローズンヨーグルトの上にホイップクリーム。以上。
もしかしたら、1番下にバニラアイスが少し入ったかもしれないのですが、そこが曖昧です。
私も再現にチャレンジしてみようと思っています!
懐かしい思い出をありがとうございました( ´ ▽ ` )ノ


まさか、27年も昔のメニューである「マスカッティ」を求めている方がいたとは!その上、作り方をご存じとは何と素晴らしい!再び再現してみたい思いに駆られ、ようやく本日作ってみた。ネットの検索でmixiのロイヤルホストコミュの書き込み(2005年(^_^;))があったので、それも情報として加えてみた。基本的には上記のままだが、「ヨーグルトとイチゴのアイス」「トップにダークチェリー」という記憶を元に、フローズンヨーグルトに少々イチゴヨーグルトを混ぜるバージョンで挑戦してみた。調理の最中は、ままずか様の記憶に倣って当時BGMでよくかかっていたという「シャカタク」を聴きながらという念の入れようだ。

缶詰マスカットは二子多摩川の高島屋に入っている明治屋のオリジナルを購入。1600円のフルーツ缶なんて初めて買った。いや、マスカッティ再現のためなら5000円でも買いましたよ、ええ。

材料

まず、前回と同じくマスカットゼリーの素からゼリーを作る。もともと寒天の素材だったため、ここは妻が気を利かして砂糖の量を増やしてパフェに合う味にアレンジしてくれた。

マスカットゼリー

ホイップクリームは今回もスプレー缶の物を用いたが、当時のロイヤルホストは独特の濃度のホイップを使っており、これは私には再現が難しいジャンルであろう。

拙い調理の腕で再現をしてみたところ、盛りつけもイマイチうまくいかなかったし、パフェ用のグラスがないのでどうも見た目は似て非なる感じだったのだが、前回より大幅に記憶に近い味が出せた!たぶんゼリーの底にはバニラアイスがあったように感じられたし、やはりホイップクリームの質はまだまだ本物とはほど遠い。けれども、明らかにあの頃、高校生の私が深夜のロイヤルホストで貪り食った時のあの香りが蘇ってきたことは確かだ。

マスカッティ完成

私にとってのマスカッティ再現への挑戦はまだまだ続く。我ながらバカなんじゃないかと思うような執着なのだが、これはこれでなかなか楽しい。書き込みをしてくださった「ままずか」様にはひたすら感謝申し上げたいが、もし、遠方にて再現レシピのアップデートなどが行われるならばご一報いただきたい。



 

教育実習の思い出(その4)

今週は教育実習の最終週。空き時間を見つけては実習生の授業を見て回っている。

一応教員を15年くらいはやっているのでエラソーな立場から言うと、「手堅くまとまった授業」や「必死さが伝わる授業」や「荒削りながら楽しみな授業」など、本当に個性的だ。自分の研究授業について思い出すとあまりの未熟さに恥じ入るばかりだが、それでもあの日があったから今があるのだと思うと、本当に貴重な経験だった。

今から書くことは少しばかり文法用語などが出てきてお見苦しいかもしれませんので、その場合はどうぞ遠慮なく読み飛ばしてください。

さて、私の教育実習の研究授業は確か2週目(最終週)の金曜日に実施された。高校時代の私があまりの劣等生だったこともあり、物珍しさからか当時ご迷惑をおかけして先生方がズラリと並ぶ賑やかな研究授業だった。通常であれば「オマエみたいなろくでなしが授業など笑止千万」などと言われても仕方ないのだが、松本深志の先生の懐の深さは並ではない。ほとんど皆さん、65分の授業をフルに見てくださった。更に、私の高校時代の担任と京都大学で同級だったという縁もあり、東京からはるばる私の大学の指導教授が来校された。後にも先にもあれほど緊張した経験はない。始終、窓際の椅子に腰掛けて苦笑とも冷笑ともつかない笑顔で参観されていた。題材は奇しくも「徒然草」137段。これは全くの偶然であるが、私の卒論のテーマは徒然草であり、今もなお最も関心を寄せている古典は徒然草である。

さて、私が研究授業のポイントとして設定したのが助動詞の「む」(教科書では「ん」という表記だった)。現代でも少し古めかしい言い方で、「何をか言わん」「さて、いかにせん」などという表現が残っているが、この場合「ん」は推量(意志・婉曲・仮定・勧誘)であることは特に説明を要さないかも知れない。

しかし、私は文語調の表現が衰退しつつある当時の言語状況の中にいる高校生にとって、「む=ん」こそが古文の理解にとっての要諦であると考えた。つまり、古典の初学者は「む」を打消の「ず」の連体形「ぬ」と誤解してしまうのではないかということだ。例えば校長の訓示が論語で親の説教が孟子で、という時代ならば、「む」の意味など経験則で迷う余地はないほど自明のことかも知れない。しかし日常生活から文語が消滅しかかっている折には、「む=ん≄ぬ」という構造の説明が最も理解を促すのではないかと考えたわけだ。

松本深志の応援歌「自治を叫びて」にこんな歌詞がある。

戦わかな秋津の健児 勝ち鬨上ぐるは今なるぞ

という部分。「ん」はもちろん「戦わない」ではなく「戦おう(戦おうよ)※意志・勧誘」の意味になる。けれども、「戦わ」が動詞の未然形である限り、どうしても打消のニュアンスを感じさせてしまうのではないか、と考えたのが当時の私の感覚だった。少なくとも私自身の世代は完全に「文語の衰退の過渡期」というか、「む」が時に迷いを生じるような感覚であるように感じていた。「む=ん≄ぬ」はこれからの高校生にとって自明ではないという前提に則って古文の初学者の授業は進めなければならない。「戦う」と「戦わない」では文意が完全に逆転してしまうのだから、誤読を避けるためにも最も重要なポイントではないか、と意気盛んに授業案を練ったわけだ。

この授業自体は、生徒の感想によれば「分かりやすかった」「読めるようになった」など、実習生へのエールという部分を差し引いてもそれなりに好意的なものが多かった。一方で、研究授業後の反省会(という名の飲み会)では、ベテランの先生から戸惑いというか、意外な反応の声が聞かれた。

「そうか、今の若い人は「む」で迷うことがあるのかぁ。私らなんかからすれば「む」が「ぬ」のわけはなく、あまり気にしていなかったけど今日の生徒の反応を見るとそういうアプローチもアリなのかもしれないね」

この先生の発言は、教員になってからの私の古典の授業における方針(というほど大したものではありませんが)を決定づけるものだった。それは「古典」そのものはほとんど変わることはないが、古典を読む読者の言語感覚は日々変化しており、それを橋渡しするのが古典の教授者のするべきことであると。つまり「教材研究」とは古典教材を読み込んだり注釈書を読み込んだりするだけではなく、目の前にいる生徒の言語状況・環境を精緻に観察しなければならないということだ。

いや、これは決して私がしばしば2ちゃんねるのロムに時間を費やしていることや、雑に若者の言葉を使う場合があることの言い訳ではない。

事は古典に限らない。現代文だって、小論文だって、いや、進路指導だって、目の前にいる生徒の置かれた状況をまず第一義的に考えるということが最も大切なことではないか。これだけは、穴だらけで未熟で頭でっかちなチノパン実習生のとって、唯一今でも誇れる態度だったのかもしれない。

ともあれ、研究授業はボチボチの展開で終わった。次回もちょっと込み入った内容になるが、研究授業の反省会の顛末を実習の回想の余滴として書いてみたい。


 

教育実習の思い出(その3)

多忙を理由に更新をサボり続けている。久々に覗いてみたら、全く知らない松本深志の後輩の方がコメントを付けてくださっていた。こんなささやかなブログにも読者がいるのだと思うと、おいそれとやめるわけにはいかない。というわけで、私の勤務校でも教育実習が迫っているのでそろそろ「教育実習の思い出」を完結させたい。

さて、チノパンとボタンダウンのシャツで始まった教育実習も2週目に入った。現在では教育実習は3週間となっているが、私の時代は2週間が基本であり、本当に慌ただしいものであったが、わずか一週間で折り返し地点を迎えた。不眠不休の実習生活だったものの、私が仮の宿りにしていた元遊郭の地にある学生寮の近くは浅間温泉や美ヶ原温泉という観光名所にもなる名湯が軒を連ねており、風呂で疲れを癒やすには事欠かなかった。私は寝不足で締まりのない姿にならないように、早朝から美ヶ原の「白糸の湯」に入って目を覚まし、 学校に向かった。なんて優雅な実習生なんだ。いや、でも睡眠時間は毎日3時間だったんだ

教育実習の2週目というのは、先生方の授業見学も一息つき、いよいよ週末に控える「研究授業」に向けての準備を始める頃だ。私はといえば、研究授業以前に、一つ大きな転機となる経験をした。

ある日の古文の授業。高校1年生ということもあり、初学の生徒に多少の文法事項をからめながら教材を進めるという展開だった。が、どうも授業がスムーズに進む。いや、スムーズなのはいいのだけどどこか地に足のついていない、熱のこもらない授業になっているような気がした。具体的に言えば、授業の中盤以降から、板書計画も予定通りで説明も準備した通り、生徒の反応もまずまず落ち着いているという、一見すると実に順調な授業のはずなのだが、耐えがたいような苦痛に襲われた。この時に勝手に名前を付けたのだが、「消化授業」というのが一番当たっている言い方だったと思う。

その日の放課後にN村先生に、自分の授業がどうも「消化授業」のようになっていて苦痛である旨を相談した。いつも厳しいN村先生が意外なことに嬉しそうな反応を見せた。詳しいやりとりは覚えていないが、どうやら「プロの教師」にも時折そうしたことが訪れるということ、そしてそれは実に良い経験だということだった。N村先生が嬉しそうな顔になったのは、チノパン野郎がようやく自分と同業の端くれに見えたことによるような気がした。あくまで憶測に過ぎないが。 

N村先生がアドバイスしてくれたのは、「ポイントを絞る」ということだった。

「その日にどうしても伝えたいことを、欲張らずに一つか二つだけ自分の中で持っておくの。そうすれば、それ以前の授業もそのポイントにたどり着くまでの貴重な前提や伏線になるし、生徒の側も必ず自分が持ち帰るものがはっきりしていると、反応も違ってくるものよ。」

なるほど。目から鱗が落ちる思いだった。

実は今でも私はこの「消化授業」というのが最も苦痛で、何とかそれを回避するようにしている。教師と生徒がお互いに役割を「正しく」演じ、アリバイ的に授業を成立させている状況というのは、傍目には授業管理も行き届いており、生徒も無駄なエネルギーを使わないですむという点で、整然としているように見えるのだが、これは実に恐ろしいことなのだ。伝える側にも受け取る側にも「熱」がないというのは授業にとっては致命的である。教員を何年かやってみて分かったのは、よほど気をつけない限り通常の授業はいつでも「消化授業」に堕す可能性を孕むということだ。自戒すべきはそれを「うまくいっている」と勘違いすること。実習から20年が経過した今でも、大げさに言えば毎日「消化授業」を恐れているのは、教員としての最低の良心かもしれない。

ともあれ、N村先生のアドバイスは効果てきめんだった。恐らく傍目には大した変化はないように見えたかも知れないが、私の中でははっきりと授業の骨格を作ることができたおかげで教室の反応が手に取るように分かってきた。そしてようやく教育実習のクライマックス、「研究授業」の準備に取りかかることになった。古文は徒然草137段、助動詞の「む」を扱う部分で、自分なりに試してみたいことができた。それは今でも国語教員として最も大事にしていることの一つの実践である。

近日中に「その4」を書いて完結させたい。教育実習で教壇に立つ卒業生諸君は頑張って欲しい、ちゃんとスーツを着てね

センター試験2014年

今年のセンター試験が終わった。受験生の皆さん「とりあえず」お疲れ様。

さて、2009年から5年間続けている本ブログでのセンター国語の講評。8割くらいは国語教師としての自己研鑽のため(2割くらいは業務の一環かな)であるが、毎年問題公開後に即座に解いてみて、その年のセンター国語について世評に先んじて自分の立場を明らかにするということをしてきた。昨年の第一問「鐔」(小林秀雄)についても、「良問」という感想を述べた。マスコミは昨年の国語の大幅な平均点ダウンが「小林秀雄」の評論の出題によるものと酷評したが、後の調べでは平均点の低下と第1問の相関関係が薄かったことが明らかになった。また、大学入試センターが公表している「試験問題評価委員会」の「高等学校教科担当教員」の立場からも

本文は、日本の近代批評を確立した小林秀雄の随筆風の独特な文体で書かれており、受験者にとまどいもあったであろうが、設問は、文章の底を流れる論理を追うという、本質的なところでなされていた。評論を読み味わうことの根幹についての
メッセージ性があり、国語教育の方向性に示唆を与えてくれる良問であると評価したい。

と、一定の評価を受けた。私の敬愛する駿台予備学校の現代文科講師の方も、良問という感想を述べていらっしゃった。センター試験にまつわる世論は大きなバイアスがかかっており、信ずるに足る情報は実に少ない。国語教員はその情報の正否についてある程度検証する義務を負っていると思う。 

今年も「後出しじゃんけん」ではなく自分の感覚をここに記しておきたい。ささやかな取り組みではあるが、私自身たまに読みかえして思い出すようにしている。


今年の出典は以下の通り。やはりセンター本試験史上の初の出題となった『源氏物語』が目を引く。これが難問だったことで様々な波紋を呼びそうな気もする。確かに受け持ちの生徒のことは心配だが、源氏物語にスポットが当たるのはいいことだと思う。近年、源氏物語の亜流の擬古物語からの出題が多く、それなら多少入試問題として垢がついていようと源氏物語そのものを出すのは頷ける。

   第1問 齋藤希史『漢文脈と近代日本』
 第2問 岡本かの子「快走」の全文
 第3問 「源氏物語」夕霧巻
 第4問 陸樹声「陸文定公集」

【評論文】
『漢文脈と近代日本』は2007年にNHKブックス刊。関心のあるテーマということもあり、発売されてすぐに買って読んでいたのでなんとなく内容も記憶に残っていた。中国の士大夫が修身を通じて漢文リテラシーを身につけながら治国・平天下を考えていった経緯と、近世日本の士族が漢文の学習によって思考の型や感覚といったエートスを身につけ天下国家への認識を深めていった経緯が同じ水脈にあるということを述べた文章で、私はとても共感できる内容だったが、受験生にとってはやや馴染みがないかもしれない。

筆者の言う「漢文脈」は日本人の文化のみならず思考や認識のあり方にまで多大な影響を与えたにもかかわらず、現在国語教育の中で漢文教育は非常に軽んじられている。大学入試でも漢文を出題するのは一部を除けば文学部くらいで、センター試験と国公立の二次試験が最後の牙城となっている。そうした現状に対する大学入試センターのささやかな問題提起なのでは、というのは憶測に過ぎるだろうか。

個別の設問では、問2、4、6など、大きな視点で文章構造の把握を問うものが目立った気がする。精読させるより全体像を掴むことが大事ということか。これが「一次試験」の位置づけで、別途二次試験で精読の力を試すということが前提なら悪い問題ではないが、文章を読むことが「文章を消費していく」ことになってしまいそうな懸念もある。でも問5のように「漢文で読み書きすることは、道理と天下を背負ってしまうことでもあった」の一文を説明する問題は出典の書籍全体を貫くテーマでもあり、とても好ましい。問6は(顱砲寮飢鬚、「そりゃそうだろう」という浅さで選ぶのに勇気がいる。毎年のように述べているが、「表現」に関わる問題はセンターに馴染まないので、やめた方がいいと思う。

【小説】
岡本かの子の小説は入試にはよく出題される。そういえば私も今年度演習の授業で最後に扱った教材は岡本かの子の小説だった。やたら長い割に平易な文章と簡単な設問で「稼ぎどころ」だったと思う。問4、5、6がいずれも場面場面での心情把握でなく、意味段落をまたいだ展開や構造に関わる設問になっていたのが興味深い。

【古文】
今年最も話題になり、記憶に残るのはこの「源氏物語」だろう。堅物で鳴る「夕霧」が他の女と関係が深くなり、妻「雲居雁」が怒って実家に帰ってしまった場面。数年来この手の「男女」の話の比率が高かったので、今年あたり軍記が出て我が男子校の生徒を利すると思っていたのだが、見事に予想が外れてしまった。みんなすまない。ちなみに「あさきゆめみし」を読んでいた生徒は楽勝だったらしい。

名文の箇所はこれまで幾多の入試問題に使われているため、源氏物語中では「出がらし」のような部分かもしれない。大して深みのあるところではない。ゆっくり取り組めばそれなりに出来るが、初読段階での主体判定が厄介で時間もかかる問題が多かった。ただ、問1の語彙問題は基本的なもので、文法も解きやすい。そして問3は易しい問題であったのだから、それだけで27点を取れるはず。受験というのは得てしてこうした「試験中のクレバーな振る舞い」が出来る人間が強い。勉強の成果が生きる部分をめざとく見つけて確実に点数を確保する。まあ私もこんなことを教えてはいるが、受験のときはそんな風に振る舞えないことばかりだった。

いずれにしても最近のセンター国語は「古文」が鬼門になっている。

【漢文】
味のよい筍は人が好んで食べるので竹としての生命をまっとうできないが、味のよくない筍は誰も見向きもしないのでかえって竹として生き残れるというところに、荘子の「無用の用」という考え方を見出すという文章。

返り点の問題や書き下し文の問題が解きにくく、受験生には難しかったかもしれない。ただこの問題、「無用の用」という言葉を知っているだけでかなり分かりやすいのではないかと思う。「漢文」の勉強が教養や世界認識と地続きであり、そうした日本人の思考方法が失われつつあることへの憂慮が感じられるという点で評論文での主張と平仄が合っている、というのも憶測の上塗りか。


【総評】
試験というものは勉強したことが報われるものでなければならないとするならば、最近のセンター国語はあまりに受験生に厳しいかもしれない。ただそれはひとえに次の問題点によるのではないか。

1 「現代文のみ」や「現代文と古文のみ」で80分を使う受験生と、漢文まで含めた200点満点で受験する生徒が混在している状況が放置され続けている。

2 試験時間は100分に変更した方がよい。情報処理のスピードを争うのは国語教育の本意ではないはず。

3 出典の自由度を高めるため、試験問題の二次利用をフリーにしてほしい。

4 そもそもセンター試験に私立大学が参加するのをやめてほしい。センター利用入試を実施している大学の先生で、この二日間に行われた試験を実際に解いてみた方がどれだけいるだろうか。いかなる入試問題を突破しているかも知らず入学させるというのは、どうかと思う。

5 まとめると、新しい制度を作るのではなく「共通一次」に戻せばいい、ということだ。


ゆとり教育が実施されるとき、警鐘を発した識者の声を誰か覚えているだろうか。



教育実習の思い出(その2)

その1を書いてから半年以上経過してしまった。このままでは記憶が薄れてしまう。

というわけでチマチマとメモしていた記述を編集してみた。

チノパンとボタンダウンのシャツという出で立ちで始まった教育実習は想像以上にハードなものになった。

現在の教育実習期間は三週間というのが規定で、最初の一週間は担当の先生の授業を中心に同じ教科の先生の授業を見学することが多い。一週間で10時間ほど見学して、次の2週間で担当の先生の持ちコマの大部分(週15時間程度)を拝借するとうわけだ。ところが当時の松本深志の実習、いや、N先生の方針は違っていた。「授業の中でこそ先生は成長する」というのが信念だったのか、2週間の持ちコマの全てを私に授業させてくれた。65分で25時間くらいやったように記憶している。

校長室に挨拶に行った直後の二時間目、特に打ち合わせをすることもなくN先生は教壇で私のことを紹介し、「では始めてください」と教室の後ろの方にスタスタ歩いて行ってしまった。おいおい、見学じゃないのか、と思いつつもそんなことを言っていられないので平静を装って授業を始めることにした。題材は太宰治の「富岳百景」。一応全体的な予習はしてあるものの、教案は書いていないは展開は考えていないはでどうしようか迷いつつ、幸い大学で東郷克美先生という太宰治研究では大家の先生の授業を熱心に受講していた直後だったので、まずは一時間太宰治について語ることにした。太宰治の人生は波瀾万丈ゆえにだいだい誰が話しても面白くなるので、生徒の反応も上々だ。それもそのはず、話の筋や脱線時の冗談まで東郷先生の受け売りな訳だから面白くないわけがない。出自のこと、家族との関係、女性関係、度重なる自殺未遂、井伏鱒二との出会い、作品の魅力など、思えば無邪気に楽しそうに語っていたことだろう。

とりあえず急遽訪れたデビュー戦を無難に切り抜けたと思って安堵していた私をN先生は無表情で「あとから職員室に来なさい」と呼んだ。チノパン先生もなかなかやるじゃない、とお褒めの言葉でもいただくのかと思いきや、N先生は厳しい顔で私を叱責した。手にはノートいっぱいに授業時の駄目出しが書かれたノートがあった。

「あなた、太宰治が麻薬中毒に苦しんでる時の説明で、『パピナールという薬でラリっちゃって』とはなんですか!教室にふさわしい言葉遣いというものがあるでしょ!」

「説明の途中で『ま、いっか』と何度か言いましたね。そういう物言いは生徒にとっては自分を軽んじられたように思うものです。気をつけるように」

「生徒からの質問をちょっと流した場面があったわね。あれはよくない」

「板書が汚いのはご愛敬にしても、黒板の前をうろうろするのはみっともない」

覚えているのはこのくらいだけど、まあ散々な言われようだった。N先生の言っていることはいちいちもっともではあるけど、生徒の反応を見る限りそんなに悪くないじゃないか。むしろN先生の退屈な授業を生徒は批判的に見ているぞ。

などと思ったのが浅はかであると分かったのは、翌日の空き時間にとある先生の授業を見学したときだった。

その先生は退職間近のベテランで、聞くところによれば近代詩が専門とかで論文も発表しているアカデミックな方だった。授業は65分間座って行っていたものの、声調は威風堂々、説明は正確無比。発問では粘り強く生徒の意見を引き出していた。後で聞いたところ、発問して生徒が答えに窮したとき、最長で45分待ったことがあるという。ちょっとした拷問のような時間かもしれないが、その45分の大胆な使い方は今の私にもとてもできない。ただ、その45分かかった上で出てきた意見は誰もがその時間の意義を認められるようなものだったという。いずれにしても「覚悟」のある授業だった。

簡単に言えば私の授業は軽薄だったということだ。え?今だった軽薄じゃないか、という現役生徒や卒業生の声が聞こえてきそうだが、これでもだいぶ重厚感が出てきているんだ。ご容赦いだだき先に進ませてもらう。

たかが教育実習生の授業でたいした威厳はなかったとしても、たとえば「富岳百景」という作品に高校生が初めて出会い、そしてその作家や作品の印象を決定づけるような立場で授業が行われる以上、言い訳は許されない。俗語を用いたり雑な説明や発問は今でも少なくないけれども、そこに自覚と責任を持っているかという点が決定的に異なるのだ。

教壇に立つということは怖いことである。この怖さを味わうことができたのは実習前半最大の収穫だった。

とりあえずチノパン野郎にはチノパン野郎の授業しかできなかった。

(続く)




 

新春読書

久々の連続更新。気まぐれ気まぐれ。

もろもろ考えてみたいことが多く、書籍4冊購入。ここ2ヶ月で公立の中高一貫校をメインテーマにした新書が立て続けに発行されたのだが、岩波新書の『中学受験』もなかなか興味深い。

もう一冊の新書の著者、河合敦は先日『都立中高一貫校の真実』で知ったのだが、昨年まで歴史研究の著作をものしつつ高校教師をしていたので実に共感するところが多かった。

岩崎弥太郎についてどんな切り口を見せるのかな。

内山節はクリアな頭で考えたい時に読む。やはり借り物の言葉ではなく自分のアタマで考える人の言うことは刺激的だ。
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一番興味深いのが『卒業式の歴史学』。なんと、卒業式関連で一般向けの書籍がようやく発売された。今の職場での卒業式を振り返る上でも欠かせない。

さて、併読派の私はこのくらいを同時に読み進めるのが好きだ。あ、寝る前には小田嶋隆『ボエムや万歳』。





謹賀新年2014

謹賀新年

半年もブログを放置してしまいましたが、「止まった」と思わせて復活しながら細々と続けているのが当「酔中狂言」。不定期な更新にお付き合いくださっている方々には恐縮至極ではありますが、たぶん今年もこんな感じで緩やかに書き綴っていくことと思います。どうぞよろしくお願いします。

年頭ではありますが久々になりますので、昨年をざっと振り返り、今年の展望などを書いてみたいと思います。

【昨年の総括】

1 人生において二番目くらいに(自分比)多忙だった
 仕事だけで忙しい時期はいくらでもあったのだが、家庭を持って多種の仕事の切り盛りをするというのは、私の能力ではなかなか難儀なことで、恐らくいろいろな所に迷惑をかけたと思う。ただ、仕事では学校内にラーニング・コモンズを二つもプロデュースできたし、男子校と女子校の合同企画を始めたり、学校外でも進路指導関係の仕事に精力を注いだり、一応の充実をみた。

2 テレビをほとんど観なかった
 昨年一年間、テレビ番組を全くといっていいほど観なかった。しかも野球中継をはじめサッカー、ボクシング、マラソンなど、好きだったスポーツ中継を一度も観なかった。野球については昨年ほどメモリアルな年は少なかったであろうに、日本シリーズを含めてただの一度も観ることはなかった。したがってスポーツ新聞も一度も買わなかった。
 結婚していれば恐らく子育ての局面でこうした年を過ごした人も少なくないと思う。我が家の場合は妻がそもそもテレビをほとんど観ないため、今年ウチのテレビの画面にダントツで多く登場したのは「しまじろう」だ。第二位が「ウッディ」かな。「あまちゃん」と「半沢直樹」を見逃したため、「じぇじぇじぇ」も「倍返し」も使い方がよく分からないまま終わってしまった。
 実を言えば新聞もあんまりちゃんと読まなかった。いろいろ情報を逃している面もあったかと思うけど、別に人生において大した影響は感じられなかった。

3 Facebookでの交流が増えた
 これは一昨年からの傾向ではあるが昨年も継続した。SNSの中でもmixiが廃れ、Twitterでは炎上が相次いだ年で、LINEの便利さに押されて撤退する人も少なくないFacebookではあるが、やはり私にとっては重要なメディアだったと思う。仕事とプライベートの両方の情報を交換できるというのは、オンオフの切り替えのほとんどない私にとってはフィットした空間なのだ。

4  車を2回も換えた
 九年間乗ったスバルの「LEGACYツーリングワゴン」から、家族のために両側スライドドアのミニバン「プレマシー」に買い換えたものの、わずか四ヶ月でシートの相性の悪さから背中や腰に痛みを感じるようになり、中古の「LEGACY」(現行型)に買い換えた。数十万のロスがあったが、やはりLEGACYは自分に合っているようで実に快適だ。家族よ、申し訳ない。

5 体が衰えた
 1月にインフルエンザに罹患。翌月にも軽い風邪。その他、二回ほど軽い体調不良があった。中年男性としては普通かも知れないが、丈夫が取り柄できたものだからいささかショックだ。深酒も一度もしなかった。3月には子ども抱っこしたまま階段で滑り、子どもは無事だったが私は臀部を強打して尻の形が変形した。運動神経もヤバイことになっている。

ざっとまとめればこんな感じの一年だった。一応いい年だったと総括をしておきたい。

さて、今年度の抱負をちょっとマジメに。

1 国語教師として情報発信を始める
 進路指導関係では様々なところで情報発信をしてきているが、私の本業はやはり国語。教育改革と称して大学入試がマズイ方向に進んでいるというのが私の理解であるが、それに対して無言でいることができないように感じ始めた。自分のおかれた立場を考えると、自由にモノが言えるはずもないのだが、そうは言っていられないような気がする。現在の立場においても工夫をしながら世の中に問うていきたい。もちろん、この場での匿名の戯れ後やTwitterでの愚痴ばかりになってしまい、誰の目にも留まらないものになる可能性もあるが、私としては個人名でしっかりとした意見表明をしていきたいと考えている。いや、ホントにまずい状態だと思う。

2 源氏物語再読
 昨年末にヤフオクで玉上琢彌の『源氏物語評釈』(全巻)を格安で購入した。大学3年の時に新潮古典集成判(清水好子注)で通読し、折りに触れて評釈を参照していたが、学校現場で教える際に『評釈』の素晴らしさを再確認するにつけても、じっくりと読んでみたいと思っていた。多忙な中ではあるが、自分にとって40代の「源氏理解」をしておきたい。

3 7キロ痩せる
 うん、今抱えている問題は7キロ痩せればほとんど解決する(はず)。痩せて健康になれば仕事も順調になり、痩せれば着られる服が山のようにあるのだから経済的にも楽になり、痩せて運動が苦にならなくなれば体力も回復し、中年太りで見苦しくなった見た目が劇的に修復されて急にモテ始めるかもしれない。そうなれば精神的にもゆとりが生まれ、ますます万事順調になり・・・
 はい、この辺でやめておきます。酔いが回ってきた。

そんなわけで、ボチボチ復活していきますので、どうぞ緩やかにお付き合いください。

ではまた。





 

教育実習の思い出(その1)

昨日まで教育実習が行われていた。毎年の恒例行事であるが、今年は6カ年持ち上がった学年の生徒が実習生として戻ってきているという点で、いつもとは全く違った心持ちがした。担当する教科も学年もマチマチな7名の実習生の授業は研究日などを使ったすべて見に行った。その感想は個別に伝えているので、特にここに記すことはしないが、授業中も授業の感想を伝えているときも常に自分の教育実習の時のことが思い出されたので、ちょっとここに記しておきたいと思った。こんな機会でもないとなかなかリアルには思い出せないので。

さて、私が母校である松本深志高校に教育実習でお世話になったのはもう20年近く昔のことだ。当時の就職活動は4年生の前期から夏休みにかけてというのが一般的だったと思うが、私にとってはまるで関係のないことだった。就職の氷河期にあって周囲が就活に苦労している時ではあったものの、大学院に進学するつもりだった私にとって、前期の教育実習と後期の卒論こそが大学を締めくくる、そして将来を占う大きな山場だったのだ。 4年生こそが最も濃密な大学生活を送れるなんて、今にして思えばなかなか恵まれている。

進学校である松本深志高校の実習生の数は多い。その年一番少ない国語科でも3名はいたが、実習生用に与えられた教室には20名以上の学生がいたような気がする。ちなみに国語の3名は誰も同級生ではなかった。一人は現役で入学してストレートで4年生になった真面目な女子(山梨大学だったかなあ)、一つ上の学年で有名な「不良」のS川さん、そして私だった。S川さんとは授業をサボって近くの喫茶店でよく遭遇していた関係で顔見知りだったので、お互いに顔を見合わせて「なんでこんなところに来たんだ?」と苦笑した。在学中、リーゼント風の髪型で、Gジャンにピンを大量に留め、派手なベルトをしてギターを抱えていたS川さんが、似合わない濃紺のスーツを着ていたものだから本当に可笑しかった。 

 実は、私は高校卒業と同時に一家で東京に転住してしまったため、松本に家はなく、実習中は2週間だけ以前住んでいた家の近くに部屋を借りることにした。そこは現在(というか当時から)、主に信州大学の学生が住む共同の下宿のようなところだったのだが、どうやら元々は遊郭だったらしく、まさにそんな作りの屋敷だった。教育実習中の宿が元遊郭なんてなかなか出来ない経験だと思い、その環境を楽しむことにしたが、お坊ちゃん大学に通っていた身としてはかなりの苦学生達が集うその宿ではなかなか友達を作るような雰囲気にはなれなかった。風呂はなくトイレも共同。まあ、周辺が温泉街でもあったので風呂には困らなかった。食事は昔懐かしの店に行ったり、高校の同級生の家に図々しくお邪魔してご馳走になったり、何とか食いつないだ。

教育実習の直前、担当の先生との打ち合わせに行った時のことだ。

母校の国語科では「自分が担当した生徒は実習担当にはならない」という不文律があるらしく、残念ながら期待していた元担任のイマイ先生が私を受け持つということにはならなかった。代わりに私を受け持ってくれたのは、N先生という女性だった。筑波大で教育学を学び、大学院まで出ているというコテコテの教育畑出身者だった。イヤな予感がした。こちらはコテコテの文学畑で、教職の科目なんかは免許を取るための便宜に過ぎないと考えており、全く身についていないものだから、あらゆる所に綻びが出ているはずだった。

N先生が最初に驚いていたのは私の服装である。そりゃそうだ、私は教育実習でお世話になるというのにスーツではなくチノパンにボタンダウンのシャツという出で立ちで臨んだのである。私の勤務校ならその時点で「アウト」だと思う。驚いているN先生にこんなことを申し上げた。

「教育実習生がスーツを着るのは、礼節という点では正しいのかもしれませんが、話している言葉と服装がちぐはぐで、言葉が届かないような気がするのです。国語の授業は言葉のやりとりがすべてだと思うので、等身大の言葉を届けるためにも、普段の自分がしている服装でいくぶん教壇に相応しいものを着ようと思うのですが」

まあよくこんな生意気なことを言えたものだが、N先生はいろんな言葉を飲み込んで、「それならそうしなさい」と私の考えを「消極的に」認めてくれた。もしかしたら元担任のイマイ先生への遠慮があったのかもしれないし、最初の印象だけで人物を判断してはいけないと思ったのかも知れない。それでもたかが大学生の工夫の一端を真剣に考えてくれた上で、それを許可してもらえたのは本当にありがたいことであった。もちろん男子の実習生でスーツを着ていなかったのは私だけだった。それなのに、実習生仲間も先生方も誰も「ツッコミ」を入れないところに松本深志の懐の深さが表れている。その日、校長室にも挨拶に連れて行かれたが、校長は服装に気を留めるどころか、読みかけだったシュペングラーの『西洋の没落』を閉じようともせず、「頑張りなさい」みたいなことを言ってくれた。

かくして私のチノパンによる実習は始まった。(続く)


 

対面授業vs映像授業 その3

さて、最近妙に気になるCMの話。

化粧品や台所用品を使った感想をいかにも自然な感じで語る、最近よくあるタイプのCMだ。

「シュミテクトはしみるとも歯周病も防げる」

この台詞を言っているのテニスプレーヤーの杉山愛。人選のキモは「黒い肌と白い歯のコントラスト」かな、とも思ったのだが、どうやらそれは違いそうだ。なんと杉山愛はやけにサ行音が弱く、「シュミテクトはしみるのもししゅうびょうもふせげる」 をほとんどまともに発音できていないのだ。その点からすると明らかなミスキャストのように思える。これではNGを何度も出したのではないか、などと余計な憶測をしてしまうくらいだった。何もこの台詞じゃなくてもいいではないか、杉山愛じゃなくてクルム伊達でもいいではないか、サ行の強い久本雅美でもいいではないか。

が、数回このCMに巡り会った時にこの人選、あるいは「まともに発音できていない」状態は制作者側の意図が働いているような気がしてきた。

引っかかるのだ。とにかく。

ちゃんと言えてないからこそ、やけに「シュミテクト」が耳に残り、自分でも「シュミテクトはしみるのも歯周病も…」などと頭の中で繰り返している自分に気がつく。

こんな経験はよくあることではないだろうか。実際のところこのCMの成り立ちは知らないし、もしかしたら何かのシリーズなのかもしれない。けれども、この「引っかかる」という感覚は、今考えている「対面授業が映像授業に勝っている点」なのではないかという点で非常に示唆に富む。

滑らかな語り口でよどみなく流れるような授業は聴いていてとても心地が良い。言葉の選択の確かさ、その発音の美しさ、論理展開の鮮やかさ、強弱や緩急の巧みさ。こうしたものを兼ね備えている教授者の授業を受けると、陶酔状態になることさえある。私が駿台予備校に通っていた時に、英語科の重鎮で東洋大学の教授もされていた奥井潔先生という方の授業はまさにこのタイプで、多くの受講者が録音をしていた。私も録音した授業を繰り返し聴いていた覚えがある。そして、奥井先生の授業からアカデミズムの世界の深遠さや人生の奥深さを感じ取ったものである。

だが、私はその授業を通してさっぱり英語が身につかなかった。英語が好きではなかったということを差し引いても、それなりに聞き込んだ授業の中で英語に関する事項を覚えたことはほとんど皆無だったというのはどういうことだろう。記憶に残っているのは美しい語りばかりだ。陶酔は思考停止を招き、結果として理解は深まらない。

むろん、奥井先生の授業というのは対面授業に他ならず、映像授業に対する優位性を示すものではもとよりない。ただ、「引っかかり」がない語りというのは、意識の表面をなぞったりすることはあっても、内容を記憶に留めることに向いていないような気もするのだ。

実際に私の授業でも、自分でうまくいったと思って悦に入っている場合は、テストの答案を見ると無残な結果になっており、案外ドタバタでやった授業の方が生徒にとって印象に残るものであったりすることも少なくない。というか、自分の納得する授業(年に1回くらいある)後にドヤ顔している私を見た生徒は例外なくキョトンとしている。え?寝てた?いや、ちゃんと起きてた場合でもそうなんだ。

授業というは本当に「生もの」だと感じることがある。生徒の何気ない一言が教室を活性化したり、こちらが教壇から転げ落ちることで生徒が覚醒したり、説明している最中にもっと適切な説明を思いついたり。

そんなものは完全な授業の前には甚だ不十分で洗練されていないものに感じられるかもしれないけれども、案外受け手の「結果」に着目してみると、「引っかかり」の部分の効用を計算に入れないととても計算が合わないようなケースに遭遇することもある、合格者がいわゆる「最短距離」を走っているというケース割と特殊なことで、無駄の中に記憶を留めたり理解を深めたりする作用があるのだと思う。むろんこれは経験則に過ぎない。けれども、良い先生のクラスよりも嫌われ者の先生のクラスの方がまとまりが生まれたり、ダメな先生の授業だからこそ予習復習に精を出したりすることとも少し似ているかもしれない。

煮込み料理は冷やしている時間に味が染みこむとか、ドライヤーで熱風を当てた後に冷風を当てながら数秒間手で押さえるとセットが上手くいくとか、究極の珈琲は一晩かけて落とした水出し珈琲だとか、日常生活の様々な局面で、刺激を与えることに加えて「時間をおくこと」によって中身が深まるという例を目にすることがある。学校の授業もそれと近いところがあり、授業時間そのものより冷却期間(昼休み)や保存期間(放課後)にこそ授業内容の熟成や消化が行われるものだと思う。

対面授業と映像授業を比較するという問い立て自体がそれほど意義のある対立軸ではないことは前回述べたが、少なくとも対面授業の本質が「引っかかり」にあるというのが私の実感であることは確かだ。杉山愛のCMが私の脳裏に染みついてしまったのは、恐らくこの作用にある。シュミテクトという商品を使うことはなくても、覚えにくい名前をしばらくは記憶に留めていることになるだろう。

さて、このCMの顰みに倣って、次回の授業では噛みまくってみるかなw  (了)



 

対面授業vs映像授業その2

対面授業vs映像授業について、続き。

ご賢察の通り、このエントリーは「やっぱり対面授業がいい」という方向に向かって進もうとしている。それはそうだ。学校の教師が、

「映像授業で十分でしょ。同じ授業をA組からD組までやるのは面倒だったし。まあそもそも生徒も寝てるしな、わはは」 

なんてことを言ってたら大変だ。ここは是が非でも対面授業に軍配を上げなければならない。

ただその前に考えておかなければならないのは、果たしてこの問い立てが正しいのかということ。つまり「対面授業と映像授業」を対立軸においてどちらが優位なのかというわりと一般的な問いは、意外にその取り上げ方に問題があるのかもしれない。

東進ハイスクールの展開する「映像授業」というのは、授業に対するアンチではなく、学習参考書や問題集などを使った伝統的な自学自習の延長にあるものとして理解した方がいいのではないか。その昔、勉強は教科書だけでやるものだったが、次第に教科書内容をより分かりやすく解説するような「学参」を傍らに置いた学習が盛んになり、今では「教科書だけで東大に合格しました」なんていう強者は絶滅したように思われる。

ちょっと補助線を引いてみよう。1980年代の後半から「実況中継シリーズ」という 学参が人気を博すようになった。通常の参考書とは異なり、予備校の有名講師の授業を再現した形で収録されているののだ。雑談や余談も少しずつ交えながら、話し言葉で最後まで解説を続ける。章ごとの展開は遅く、全体を通してもかなりの冊数になってしまうのだが、結構頭に入ってくるような気がする。また、自分でノートにまとめながらやる人もいた。このシリーズの人気は今でも健在で、パイオニアだった語学春秋社だけではなく他の出版社も多くの類似書を出している。このシリーズのもう一つの特徴は、ほぼ前編予備校講師の執筆によるということ。以前は碩学の泰斗が晩年に若人を導くためにものしたようなものも少なくなかったが、近年売れ筋の学参は例外なく予備校の講師ものである。

さあ見えてきたと思うが、 実況中継シリーズのような学参はすでに映像授業の延長にあることは明白だろう。自分のペースで勉強を進められ、おまけに好きなとき、好きな場所で開けて見ることができる。もはやこれは映像授業まであと一歩というところまで来てるではないか。

映像授業というのは「21世紀の学参」と考えればすっきりするのではないか。教科書の補助教材として発達した学参が実況中継シリーズを経て講師の声の聞こえる教材に変化したということだ。22世紀にはもしかしたらもっと身体に直接すり込んでくるようなデバイスが学習を牽引しているかもしれないことを考えると、現在の映像教育の流れはむしろ次代へ向けての過渡期のあり方と言うことになろう。

さあ、対面授業の延長に東進ハイスクールがあることは何となく見えてきたものの、「対面授業そのものの良さ」についてはまだ沈黙したままだ。ここがうまく説明できない限り高校は東進に勝てないだろう。

というあたりで睡魔が襲ってきたのでまた明日。











 

対面授業vs映像授業

「じゃあいつやるの?今でしょ!」

東進ハイスクールの各教科の「エース」が繰り広げる、印象的なフレーズを次々に語るCMを耳にしたことのない受験生は恐らくいないだろう。

東進ハイスクールと言えば、1990年前後に受験生だった人々の記憶では、「代ゼミあたりから高額で講師を引き抜いて派手な宣伝とキャッチーなフレーズで受験生をその気にさせる」ことを売りにした、言わば「際物」として台頭してきていた。アカデミックな駿台、全共闘の残り香のする河合塾、ポップな代ゼミという御三家に対して、明らかに「学校法人」ではなく「株式会社」のあり方を全面に出していた東進は異彩を放っていた。私は国語の世界しか明るくないけれど、たとえば出口汪、荻野文子、吉野敬介 などの名の知れた国語講師陣はいずれももともとは東進のエース講師だった。先日「今でしょ!」の林修氏のブログでは、「年収1億なんてとんでもない」という記述があったが、バブル時代まっただ中の私の浪人時代にも東進の講師は1億などという噂が出回っていた。まあ、そこまでではないのだろうけど、そんな噂が出ること自体を歓迎しているような気風が東進にはあった。

余談だが、最近では「みすず学苑」という予備校がそんな際物感を出した予備校として売り出しており、「怒濤の英語力」のキャッチフレーズを、ヤマトタケルノミコトのイラストに乗せて展開しているのだが、先日Twitterを眺めていたら、「入学案内の時に、あのCMを見て通おうとするする人はいるのでしょうか?という疑問をぶつけてみたら、「そのように感じる方はすでに駿台か河合塾に通っています」と答えた」というまことしやかな話が出ていた。事の真偽はともあれ、際物感のある予備校の宣伝はどこか割り切った潔さがある。当時の東進とは質が違うかもしれないけれど、耳目を引きつけるという点では共通する部分もある。

さて、その東進ハイスクールは現在ではごく一部の講座を除いては完全に対面授業から手を引き、映像授業のみの展開となっている。これはなかなか思い切った方策であると同時に、授業とは何かという本質的な問いを投げかけるものでもある。映像授業のあり方を批判する河合塾や駿台でも、対面授業と並行して映像授業の講座を設置していたり教室を持っていたりするわけだから。

東進の主張はシンプルだ。「予備校で大事なのは授業。そして良い講師、良い授業というのはどんな予備校でもごく一部に過ぎない。だとしたら、良い講師の良い授業だけを録画して教材化したものが最も優れた講座になるはずだ」というもの。多くの反論は、「いや、そうは言っても授業というのは対面が基本で…」「映像授業では質問も出来ないし」「ビデオと生徒は心が通いますか?」みたいなものが一般的だと思う。

東進の主張も分からないではないし、我々も資格取得などの社会人向け講座がそうした映像教材になっているケースが多いことなどを知ると、その合理性には沈黙せざるを得ない。また1.4倍速視聴というのがあって、その倍率までが人間の理解可能なスピードであるらしく、生徒の中ではほとんどの授業を1.4倍速で見ている人もいるという。対面授業で講師に早送りを求めることなどできないけれど、映像ならもちろん可能だ。おまけに対面の一回限りの授業と違って、いつでもその講義が受けられるわけだ。だが、学校の教員としてはどこかに釈然としない思いを感じてしまうのも確かなのである。

そのことに対する自分なりの考え方が、つい先日行われた学習合宿の最中に、生徒の相談に応じているときにふとまとまりかけたので、ここに記してみることにする。だが、もう深夜だ。明日にしよう。

え?この間の体罰についての続編は?・・・忘れてください。ではなく、今Evernoteに下書きしたままうまくまとまらず放置しているので、そのうちアップします(汗)

 

学校と体罰ー「教師はなぜ体罰報道に沈黙するのか?」(2)

「教師はなぜ体罰報道に沈黙するのか?」を考えるために、まず私自身の「体罰観」のようなものをここで述べておきたい。前回のエントリーでも言ったように、我々はあくまで「当事者」なわけで、評論家のような語り口で逃げることはフェアではなかろう。


私自身は学校の教壇に立つようになって15年以上が経つが、未だかつて生徒に手を挙げたことは一度も無い。このブログはたまに卒業生も見ているので、ここで嘘を吐くことはできない。関係者は「えええ!僕、昔ボコボコにされましたよ!」なんてデマを流して炎上させないでね 基本的に自分の学生時代の経験から「体罰」というものが大嫌いで、教育効果にも疑問を持っており(というか効果なしという桑田真澄に一票)、可能な限り避けたいと思っている。ただし、だからといって今後定年退職するまで「体罰」を行わないかと言えば、それは分からない。どんなに綺麗事を言っても、体を張って止めなければならない時もあろうし、「体罰」がその現場において最大の教育効果を発揮すると思えば躊躇なく「発動」すると思う。それは教育基本法における指導の裁量の範囲内であろうと思うし、取り立ててここで宣言するような大げさな問題でもない。教育現場のありふれた日常だと思う。 


では私のこうした姿勢こそが教師として目指すべき姿なのかと言えばそれは拙速な判断であろう。上記のような私のあり方は、それこそ私の「個人的な」教育観に深く根ざしている。私は教育現場における指導というのはどんな小さな出来事であっても、本来的には一人の人間と人間の人格的はぶつかり合いだと思っている。そうはいってもそんなガチンコのぶつかり合いばかりしていては身が持たないので、たいていはお互いに教師と生徒の関係を演じながら、「指導」をする方と「される方」に分かれて一定のところで折り合いをつけるという、ある種の「茶番」というか、「お約束」を積み重ねることで未熟な子どもはある程度成熟した青年になってゆくものだ。ただそんな中にも、お互いがお互いの人格を完全に隠してその「指導」が行われれば、それこそがホントの茶番であり、単なるアリバイのための「イヤ〜な時間」がそこに流れていく。説教のための説教。みんな経験あるんじゃないかな。


「オマエ、このままでいいと思ってるのか?先生はオマエのためを思って言ってるんだぞ、どうなんだ、おい」
「でも、オレだけじゃなくて…」
「でもじゃない!オマエのことを言ってるんだ。な、オマエもこんなに怒られて嫌な気持ちだろ?先生も嫌なんだよ」
「わかりました。…スミマセン…」
「わかったか。じゃあ帰っていいぞ」
〈バタン〉
「ああああああああああ、うぜええええええええええええ!!」


こんなやりとりにはどこにもお互いの人格が漏れ出ておらず、誠にもって空疎だ。私の「個人的な」教育観から言えば、これは全く指導の効果がない(この指導は私もやったことあるけどね)。教師というのはこういう指導をついついしてしまいがちなので常に自戒をしているが、これは権力を背後にしたちょっとした暴力でもあると思う。「こんな面倒でねちっこい説教するくらいなら一発殴っていいから早く返してくれよ」と思う生徒がいても不思議ではない。局面によっては「暴力」よりも「暴力」なのだ。


何が言いたいのかというと、教育現場における指導というのは権力を背にしている以上、どんな指導でも何らかの形で暴力的な匂いがするものだということだ(※ただし本当に必要なのは「権力」ではなく「権威」であり、それを近年の学校ははぎ取られてしまっているため苦労しているという現実はある。この点に関しては別に機会を設けて論じてみたい)。生徒を殴ったことがない私も、減らず口にかけてはそれなりに覚えがあるから、言語による叱責によって平手打ち以上に生徒を傷つけてしまったことも恐らくあると思う。つまり、殴る、殴らないという表現の方法いかんによらず、生徒を精神的に追い込んで、時に自殺にまで追いやってしまう可能性はゼロではないのである。あるいは、「指導をしなかった」ことにより「いじめ」が発生して、先生ではなく生徒が同級生を追い詰めて自殺してしまったケースだって想定できる。


なるほど、今回の桜宮高校のケースとはかけ離れた事例ばかりを取り上げていてイメージがしづらいかもしれない。「部活」や「スポーツ」をめぐる指導にはまた別の因子が絡んでくるから。もちろんそれは分かっているが、ひとまずここでは、「体罰」と並ばないまでもそれに準ずるような、生徒を傷つける指導を行うことがあるということを確認しておきたかった。「体罰」という方法論ではなく、「指導」の方法全般の問題として一回捉え直してみたかったのだ。その上で、これから述べるのは、私が目撃した部活動におけるちょっと「変わった体罰」の現場である。


中学野球部の顧問をしていた折、とある中学との試合で独特の緊張に包まれていたことがあった。それは相手チームの監督がかなり厳しい指導者だったからだ。試合前からピリピリしたムードが漂い、罵声とビンタの音が響いていた。試合の中盤で「事件」は起きた。3番バッターが右中間を破る見事な三塁打を放つ。相手のベンチからは拍手ではなく、監督から信じられない指示が飛んできた。


「おい、コーチャー、ビンタしろ!」



なんと三塁コーチャーとして立っていた生徒に、三塁打を放った生徒をビンタさせるのだ。恐らくサインの見逃しで偶然出てしまった長打で、監督としてはそんな結果よりもその見逃しの方が監督の指示に従わなかった「重罪」と考えたわけだ。三塁ベンチの目の前で、中学生が仲間の生徒を平手打ちしている姿は、私には地獄絵図のように思えた。スタンドには相手チームの保護者も沢山詰めかけていた。殴られた選手の保護者もいたのかもしれない。相手の監督はそんなことを気にしているそぶりも見せなかった。別段何事もなくその状況は受け入れられていた。ちなみにその時私も相手の監督の指導をたしなめたり、試合の中止を求めるようなことはしなかった。正直に言えばできなかった。


これは「体罰」であろうか。直接手を下していないものの、チームメイトに代理で殴らせるというのは、自分で手を挙げる以上の「罰」ではないか。恐らく私のチームの誰しもがこのシーンを今でも覚えているはずだ。これは「体罰」を受けた生徒だけではなく、ほとんど何の関係もない相手チームの生徒の心にまで傷を負わせる指導だったのではないだろうか。これも正直に告白すれば、未だに癒えない私の心の傷でもある。


かくして「体罰」はある種の「空気」に支配されてその適用範囲を広げていく。周囲の「沈黙」は「賛意」もしくは「同意」というのが「体罰」を振るう教員の認識なのだろう。その論理を適用するのなら、「沈黙」をしていた周囲の人々も「共犯者」ということになる。そしてその共犯関係は、その状況を積み重ねることによってより結びつきが強くなり、一種の治外法権的な、外部を寄せ付けない「強固な」関係を築き上げることになる。これがある種、桜宮高校を含む、スポーツ強豪校の一部で横行している「日常的な体罰」の様相なのだろう。いや、今回の事件が「体育科」で起きたからことさらにスポーツ強豪校がクローズアップされているが、恐らくそれは強豪校とは限らない。むしろ市井のなんてことのない学校の、なんてことのない日常に過ぎないかもしれないはずだ。

私は「体罰」が大嫌いだ。しかし、「体罰」をめぐる問題は決して単純ではなく、そして特殊な事例ではないというところに立脚してこの問題と向き合ってきた。そろそろ自分なりのまとめをしなければならない。次回、「教師が体罰に沈黙する」、教師のメンタリティにも言及してみたい。




センター試験2013

毎年センター試験の後はこの記事を書くことにしている。単なる備忘録でもあるが、積み重ねていくとセンター試験国語について自分の考えが整理されていくような気がする。今年は所用があったため夜中ではなく日曜日の日中に解いてみた。以下、雑感を記しておく。

今年の出典は次の通り。現代文は第一問がなんと小林秀雄の随想、第二問の小説も大正時代の作品で、ずいぶん復古調のものが並んだ。古文は中世の擬古文、漢文は宋代の文章。

【評論】 小林秀雄「鐔(つば)」
【小説】 牧野信一「地球儀」
【古文】 『松陰中納言物語』
【漢文】 張耒(ちょうらい)『張耒集』

 ここ数年、木村敏や鷲田清一、岩井克人などのいわゆる「評論文頻出作家」からの出題が続いており、そこに著作権の問題を指摘したこともあるのだが、こうした背景には大学入試センターが2010年度から過去問の再使用を認めたことが挙げられる。つまり、センター試験は厳密な公平性を期す以上、教科書や問題集の採録や大学の入試問題で使われたことのある出典は出題しない方針だったのだが、そのチェックがあまりにも煩雑になりすぎて対応できなくなり、必ずしも再使用を避けないという方向に変わったのだ。それはそうだ。地方のマイナー私立大学で受験者15名の試験で使われた出典でさえもハネなければならないという制度上の縛りは、出典の偏りや問題の質の低下を招くだけでなく、所期の目的である「公平性」さえも揺るがしかねないからだ。そんなこともあり、出題歴のある作家の文章を堂々と利用できるようになったわけだが、それにしても小林秀雄には驚いた。

個人的には小林秀雄は大好きで、この「鐔」も、抽象的・観念的なものよりも歴史の底に横たわる具体的な事象に耳を傾けることの尊さが、鐔という刀の装具の成り立ちを紐解くところからあぶり出される、実に共感できる内容だった。小林秀雄が盛んに(とはいえ下火になってはきていたが)入試問題に出されていたのは私の世代が最後くらいだろう。昔は小林秀雄、唐木順三、亀井勝一郎あたりが定番作家として入試国語を席巻していたが、彼らの文章は論理の飛躍があったり、内容が現代の高校生を取り巻く概念とかけ離れてしまったりという事情で、近年ではごくまれに出題されているに留まっている。

魅力に共感する私達の沈黙とは、発言の期を待っている伝説に外なるまい。

鐔の面白さは、鐔という生地の顔が化粧し始め、やがて、見事に生地を生かして見せるごく僅かの期間にある。


今回の文章にあるこんな小林秀雄節は、ファンにはたまらない魅力であると思う一方で、最近の高校生には別の意味で「たまらない」ものだったかもしれない。

読みにくい、分かりづらいという評価もあるだろうけれども、作問の分科会のメンバーが蛮勇を振るってこの文章を出題した(であろう)ことは、好意的に受け止めたい。近年の作家の文章が教科書の大部分を占める一方で、まだわずかながら小林秀雄や丸山真男の文章なども採録されている。私も今年の高校2年現代文の最初の単元は清岡卓行「失われた両腕」(ミロのビーナス)という、長らく定番教材として読まれているものである。いたずらに軽薄な現代思想用語を振りかざす評論文にばかり目を奪われて、生徒から「近代」の問い直しをする時の視野を狭くしてしまっている我々国語教師に対する警鐘とも受け取りたい。

設問は選択肢がやや説明過剰な点があり、短時間で点検するのは難しいものの、問5のような問題は個人的には好きだ。問6のような「表現を問う」問題は、この種の文章の時には要らないんじゃないかな。なんだか邪魔な気がした。

小説は最初に読んだときにはなんだかよく分からなかった。問いの方でダミーの選択肢が冗長で胡散臭いので何とか出題者の意図することが浮かび上がってはくるが、どこかに「ホントかよ」という思いがつきまとうあまり好きではない問題だった。問6の表現問題も「照合する力」だけが試されそうでなんだか感じが悪い。実はここで一つミスした。

古文は受験生には難しかったと思う。古文におけるの「恋愛のパターン」に慣れておかないと、短時間で内容を性格に掴むのが困難かもしれない。和歌の贈答が複数回行われるタイプの文章をまとめて演習するのが効果的かもしれない。大和物語あたりから集中的に練習できるテキストを誰か作ってくれないかな。え?オマエが作れ?頑張ります(汗)語彙や文法は勉強してきたことが報われる平易な問題だが、問3〜5は誤読すると芋ずる式に全部間違えてしまう恐れもある。問6は小説の時と同じでとにかく点検する力が試される。ここでも一つミスりました。スミマセン。

漢文は各予備校の分析によれば難化。問8は多すぎるかもしれない。ただ、内容的にはここ数年では一番面白かったような気がする。やはり漢文はもっと授業で扱わなければいけないな。ものの考え方、とらえ方、比喩表現など、まだまだ漢文によって身につく力は小さくない。

総評。
そろそろ80分4題はのパターンをやめて、共通一次の時のように100分4題にし、現代文のみの解答者などはあらかじめ申請しておいて試験会場を分ける形がいいのではないかと思う。センター試験に情報処理能力が問われることは否定しないし、その能力が年々求められつつあるようにも思うけれども、基本的には良心的な出題をしているセンター試験国語が、成績上位者の「鬼門」「落とし穴」になっている現状を見ると、たとえ平均点が上がることになってもその方がいいのではないかと思う。受験国語を勉強する意味や価値を問い直すことにつながる、大きな問題なのかもしれない。(了)













 

学校と体罰ー「教師はなぜ体罰報道に沈黙するのか?」(1)

「学校教師はなぜ体罰報道に沈黙するのか?」について当の学校教師の一人として書こうと思ったら、私が敬愛してやまないコラムニストの小田嶋隆がすで秀逸な見解を述べていた。日経ビジネスON-LINEの「ア・ピース・オブ・警句」の「あってはならないし、なくなりもしないものについて」では、現職の教諭が「体罰問題」にほとんど参加していない現状を次のように評する。


現職の教諭が議論に参加しないのは、問いそのものが、あまりにも茫漠としているからだ。

「クレヨンは何色ですか?」

 という質問には、適切な答えが無い。
 赤かも知れないし、青かも知れない。紫やピンクであってもかまわない。黄色か緑でもあり得る。

 が、クレヨンの色を問う質問に対して、単独の色で答える一意的な解答は存在しない。

「色々な色があります」

 としか答えようがない。

「それでもあえて一色だけ選ぶとすれば何色ですか?」

 と、司会の田原総一朗氏がなおも執拗に問いかけてきたら

「いろいろいろかなあ」

 とでも答えておけば良い。そもそも、こんな質問に真面目に答える方がどうかしているのだ。同様にして、「体罰は是か非か」という問い対しても、単一の解答は存在しない。

「色々じゃないかなあ」

 と、たぶん教師はそう思っている。

「てか、一言じゃ言えないよね」

 ぐらいに。

大変申し訳ない。出典元のコラムの全文をお読みいただければ私の言いたいことは、私が表現するのとは比べものにならない明晰さで語り尽くされている。だから、ここで書くことは、「現役高校教師が書いている」こと以上の価値は持たないだろう。しかも、この記事は匿名のブログであり、内容も具体的な部分をぼかして書かなければならない。つまりここでの見聞は、自らの学生時代の記憶や、これまで勤務してきた複数の学校での出来事、その他の聞き書きをミンチにしたシロモノだということだ。こうした腰の引けた語りにしかならないのは、特段このことについて述べるのが「危険」なことであるとか、バレたら首が飛ぶとか、同僚から白眼視されるとかいう筋のことではないと思う(信じたい)が、小田嶋隆が言うように、ここで取り上げる体罰にかんする記述は、どれも個別具体的な、極度に一回性に支えられたものであるため、私個人の角度からの見方をもって特定の事件や教員や生徒のことを浮かび上がらせるのはあまり好ましくないという判断からである。読みにくい点があるとすればご容赦願いたい。

大阪の市立高校において、部活動の顧問をしていた教師の「体罰」によって生徒が自殺したという不幸な事件について、いつものようにメディアでは議論が沸騰している。教育問題というのはことのほかニュースバリューがあるらしく、どのニュースでも大きな扱いを受けているが、それも常軌を逸しているように私には感じられる。確かに憂慮すべき事件であり、大問題を孕むことは否定しないが、この問題を多くのニュースの中で最も時間を割くという今の報道のスタンスには違和感を覚える。「自殺」というのは確かに衝撃的ではあるが、誤解を恐れずに言えば、学校において「体罰」というのはある種の日常である。2,30年前から比べると、教育現場において「体罰」の件数自体は激減しているような印象を受けるが、根っこの部分はそんなに変わっていない。依然として学校現場では明らかに「体罰」が指導のアイテムとして流通しているのが実情であろう。2ちゃんねるの「お受験」板などを見れば、かなり信憑性がある情報として「殴る教師」が「晒され」ている。

まず大前提として、いじめがない学校がないのと同じように「体罰」のない学校もない。あるはずがない。

この前提を認めないと、結局「どのラインからがいじめか」と「どの程度悪質だと『指導』ではなく『体罰』になるのか」というふうに、論点がズレてしまうことになる。「体罰」に潜在する「威圧による生徒の支配」が教師の道具としてある程度流通しているという現実をいったん受け止めて、実りのある議論にする必要がある。手始めに、ここでいう「体罰」というのを、ひとまず「顔面を平手打ちする」というあたりに設定しておきたい。これは結構妥当なセンだと思う。指導として妥当なのではなく、議論の整理として妥当だということだ。

では、「学校教師はなぜ体罰報道に沈黙するのか?」。

私の結論としては「我々は当事者だから」という身も蓋もないものである。つまりこの問題に対してアレコレ言えるのは当事者ではないから、ということになる。

ここでいう「当事者」というのは、必ずしも「体罰」を行っている当事者という意味ではない。「体罰」を目撃することや噂に聞くこと、生徒や保護者から抗議されること、などという教育現場そのものの持つ当事者性もあれば、こうして沈黙していることで学校現場の立場が安く見積もられ、行政の長から懲罰的な対応を受けてしまうこと、そしてそのことが生徒の人生にも大きく関わってくるということもあるわけだ。そうしことを含めて、学校教師はどの角度から見ても当事者であることを免れないからである。


例えば、体罰を日常的に行うAという教員がいたとする。A先生は基本的に生徒から嫌われているが、その威圧的な雰囲気に誰も文句は言えない。そして学級・学年・部はとりあえず「落ち着いた」状況にある。という場合、A先生は自分の受け持ちの生徒が自殺したり、保護者が「体罰」を問題視して教育委員会に通報するなどしない限り「セーフ」である。というか、むしろ「厳しい指導ができる優秀な先生」という評価を受ける場合すらある。授業も平穏が守られるからテストの点数も高かったりする。何よりそこで見逃しがちなのは、A先生の指導を目撃していながら、その指導を黙認し、それどころか自分はノーリスクで厳しい指導の「おこぼれにあずかる」教員もいるということだ。いや、「おこぼれ」という言い方は適切ではないかもしれない。それぞれのキャラクターや役割に応じた多様性が学校を支えているというロジックも可能だろう。だが、明らかに自らが持ち得ない威圧的な雰囲気を同僚教師に委託して、自分は物わかりのいい先生の地位に安住しているという場合もある。ん?アメリカの傘を借りる日本じゃないか?まあ、ここではそんな大きな話にするつもりはない。この場合、A先生だけでなくB先生やC先生もみんな当事者であるといっていいということだ。「体罰」の「教育効果」を何らかの形で「恩恵」として受けているからだ。

では、学校において実際に体罰がおこなれるのはどのような場面だろう。私の印象では以下のケースである。

1 生徒が反抗的な態度を取ってきたため、つい感情的になってしまった時。

2 一人の生徒を「生け贄」にして教室全体をコントロールする時。

3 集団をかき乱す生徒の存在で収拾がつかなくなってしまったのを止める時。

4 感情的になっている生徒の目を覚まさせるため時。

5 人を傷つける行為などをした生徒にその痛みを代替的に味わわせて分からせようとする時。

6 体罰を含む暴力行為がすでに教師の快楽(ストレス解消)になっている時。

2は教育以前に人間として論外のはずだが(軍隊では効果的と言われている)、結構この「手法」を使う人はいるように思う。4〜5あたりは恐らく一般的にも「許される体罰」と考えられるけど、「大声」や「真剣な表情」でその代わりをすることも可能だと思う。3は微妙なラインかもしれない。迷惑している生徒は許すけど、保護者が抗議してきた時がやっかいだ。6はたとえ問題視されても絶対にそんなことを認めるわけはないため、表沙汰にはなりにくいが、実際にそうとしか思えないような場面に遭遇したこともある。

ただ、私の印象としては2〜6のようなケースは10%にも満たないと思う。つまり、体罰が行われるのは圧倒的に1のような激情型で、教師としての体面を守ろうとして思わずやってしまったものであろう。男女間のDVにも似た構図を感じる。面倒なのは、おそらく体罰を行った後で冷静になったときに、2〜5のような大義名分を持ち出すということ。教師が感情的に生徒を叩いた後に、急に優しく接してくるような気持ち悪い場面に遭遇したことはないだろうか。や○ざの世界みたいだ。

今日のところはひとまず、「教師は何らかの形で体罰の当事者」ということと、「体罰が行われるのは教師が感情的になった時が多い」ということを確認(もちろん私の見解としてだけど)して、次の問題、すなわち「当事者だから沈黙する」ことの意味についても考えてみたい。

本来なら次回この続きを書きたいが、明日がセンター試験なので、毎年書いているセンター入試国語の感想を挟んで、次々回にこの続きを書いてみたい。ちなみにまだまとまっていないので、書きながらまとめていくとしよう。

(続く)


















 

駿台教育研究セミナー「一橋大学入試国語第二問徹底研究」(上野一孝師)

なんというマニアックな講座名だろうか。一橋大学の国語入試問題の中でも「第二問」だけを取り扱い、高校教員向けに6時間の授業を行うというもの。一橋の「第二問」というのは、つまり「古文」に該当する。が、これが結構難物で、現代文と古文の融合文だったり、近代の文語文だったり、近世の古文だったり、現代文と古文が別々に出された上で共通点を述べる問いだったり、当然全く予告せずに問題の形式はころころ入れ替わるのだ。ただそこには確固たる「一橋大学の姿勢」が貫かれているという。


講座を担当したのは上野一孝先生。私が予備校時代にお世話になった先生でもある。当時は30歳くらいのいかにも「東大のオーバードクター」といった雰囲気で(ホントのところは知らないけど)、若手ながら駿台特有の「本質主義」を体現する実力派講師だった。現在は駿台の古文科の重鎮で東大と一橋の青本の執筆を担当するかたわら、複数の大学でも教鞭を執る押しも押されぬエース講師だ。早口で婉曲的な皮肉の上手な、それでいてとても生徒に対して愛情深い尊敬すべき先生だと思っている。

講義中のメモをTwitterに上げたメモはこんな感じ。


「一橋大学の第二問は、現古融合、近代文語文、近世古文など、一見予測ができないが、近代から近世にかけての学者に関する論考が多く、ここに出題者のメッセージがある」

「一橋の第二問の文章は、フェアであること、ピュアであることを求めるものが多い。学生が将来法曹関係や企業のリーダーになったときのことを考えた出題である」

「一橋大国語の攻略には、文化史、学問史など日本史の知識が必須。高校では是非舞姫を扱っていただきたい。」

「一橋国語は箇条書きをさせる問いが多い。ただ例えば「三点について」などといったとき、その区分は出題者の恣意によるので、まず最初に設計図を作成してから解答に取りかかるべき。また、字数制限を課すことが多いので、マス目のあるノートを使って字数感覚を鍛えておくのがいい」

「時代の流れから言えば我々と本居宣長の距離は案外近い。宣長から見ても源氏物語は難しかった。宣長が係り結びを発見したというのも宜なるかなという気がする」

「古文の現代語訳は人物関係をベースに作成する。分からなくなったら、いや、分からなくなる前から人物をチェックする。入試問題の場合登場人物はせいぜい五六人。迷っても三通りくらいだから、きちんと追いかけなければならない」

「2012年、2007年ともに言行不一致についての文章が使われている。ここにも一橋の、学生にフェアな態度を求める姿勢が読み取れる」「たとえば2009年のように、複数科目で同じようにグローバルについての問題を出すのは、大学として学生に求めたいものがはっきりしているということ」

「一橋大学は学生の将来、大学での勉強や社会に出てからに必要なことを入試問題を通して課している、きわめて真っ当な出題をしている」


散漫なメモの羅列で、一部不正確な部分もあるが、何かの折には役に立つかもしれない。
 

私が今日の講座で最も感動したのは、2002年の和辻哲郎「日本精神史研究」を扱ったところ。傍線部の現代語訳の問題で、「人のまことの情を吟味したるは〜」とあるところで、先生はどうしても「吟味」の部分が主語が不鮮明で訳せなかったという。そこで、元になったテクストを参照すると、初出から三種類のテクストが浮かび上がり、元々は「吟味」の語が「吟」だったということが分かったそうだ。そりゃあ、現代語訳すれば無理矢理な感じになりますわ。ちなみに気づかず訳してた私の目は節穴そして赤本も節穴。

もともと本居宣長の文章の引用を、著者である和辻哲郎がある版において写し間違いを犯し、それが岩波文庫などにそのまま採録されたためにおこったミスなのだが、一橋の出題者も気がつかずに、こともあろうに傍線を引いて現代語訳の問題にしてしまったところを、上野先生は「常に原典に当たる」という姿勢を貫いていたために発見できたという。
 

予備校の講師にはしばしば「的中!」だの「奇跡の〜」だの「五分で分かる!」だの、派手なキャッチコピーで手品師のような技を繰り出すことを生業にしている人も存在するが、上野先生は20年以上変わらずアカデミックで真摯な方法論を続けていた。泥臭いと言えば泥臭いが、精読こそ古文読解の根本だという信念に根ざしている。


私が最も心を打たれたのは、和辻哲郎が戦時中に発表した論考が、一部の軍国少年を戦場に送り出したのではないということを示唆する加藤周一の文章を参考資料として配布し、一橋国語の文章に潜む、「ピュアであること」の危険な一面について言及するくだり。元駿台古文科の講師で私も大変お世話になった高橋正治先生(故人)は、実は「回天の生き残り」であったらしく、「自分は一回死んだんだ」と昔を振り返っていらっしゃったそうだ。高橋正治先生のような方が少年期に人間魚雷のような残酷な作戦の犠牲になる可能性があったかと思うと、知識人の言説も常に精査しなければならない。それこそが、上野先生が一橋国語の要諦として指摘する、そして宣長の説に萌芽の見られる「近代的自我」のあり方なのだろう。


駿台予備学校の教育研究セミナーは実に良質な研修だと思う。この読者で国語教育関係の方がいたら、ここで取り上げている講師の講座については是非受講をお勧めしたい。


 




謹賀新年2013

新年明けましておめでとうございます。ブログを始めて9年目に突入しますが、のらりくらりの更新はなかなか変わらないかもしれません。ただ、今年は新しい情報環境にしたので、少しずつ更新頻度を上げていくつもりではいます。細々とした備忘録ではありますが、どうぞ今年もお付き合いください。そんなわけで今日は敬体で書きますが、このあたりの対象意識も柔軟にしていきたいと思います。

さて、昨年末は久しぶりに29日から休みになったため、今日(3日)まで6日間の正月休みとなりました。大晦日に実家のある仙台に行き、両親や兄弟、甥っ子姪っ子と会い、元日に東京に戻って翌日は妻の実家で息子が従兄弟と遊ぶ、という「家族愛」に包まれた日々を過ごしました。忘年会の類いも例年の半分くらいだったかもしれません。世間でも長引く不況の影響か、大晦日や正月は家族で過ごすスタイルに回帰しているということなので、まあ「世間並み」の過ごし方なのでしょう。ことさらにイベントがあるよりも、身近な存在を大切にして生きるというのは今後のテーマになるかもしれません。そういうスタイルをとってこなかった私にはちょっと新鮮です。

例年ここで目標らしきものを掲げているような気もしますが、その総括もなければ達成された痕跡もありません。目標を掲げてそれに邁進し、一つ一つ物事をクリアしていくタイプの人もいるかもしれませんが、私はどうもそのタイプではないようです。教室ではたびたび「目標は紙に書きなさい。目に見える形を取ることで必ずその目標は達成に近づきます」などとエラソーなことを言ってきましたが、スミマセン、私は全くできておりません。元旦の計を掲げるなど、むしろ毎年「自分がまだできていないこと」を懺悔しているようなものです。そうは言っても今、ここ何年かの記事を読み返してみると、それなりには目標を意識しながら生活してきたような気もします。

というわけで、今年も懺悔しましょう。

今年の目標は
「溜め込まない」
です。

私はどうもお金以外のものは何事も溜め込んでしまう癖があります。仕事はいろんなものを溜め込んで常に自転車操業になっているし、出さなければならないメールも現在溜め込んだままです。また、現在大量の脂肪も体内に溜め込んでいます。この性質はずっと前から課題にしていることなのですがなかなか改まりません。実のところこの件に関しては若干反省が足りていなかったのです。
何かの番組で観たと思うのですが、「人から回ってきたプリントをすぐ次の人に回すか、しばらく自分の元に置いておくか」というような質問(曖昧な記憶でスミマセン)に対して、次の人にすぐ回す人というのは「できる限り自分の責任のあるところにものを置かない」という性質の表れということだという分析があり、非常に腑に落ちた記憶があります。事務能力が高く仕事を上手に裁いているような人は、実はできるだけ自分に責任が及ばないように、そして人に責任を押し付けながら生きているという側面があるというのは、私の実感とも重なります。世間的には「溜め込む」人は非難をされがちですが、ことと次第によっては、その「溜め込む」ことというのは、「引き受ける」ことの裏返しでもあり、自分で責任を背負い込む覚悟を有しているということでもある、というのが基本的な私のスタンスなのです。

が、しかし、ここ数年、この「溜め込む」性質が、人体に例えると「血の巡りが悪い」状態に感じられ、体のあちこちに「凝り」ができているように、ある種のストレスになっている気がしてきたのです。「溜め込んでいる」状態がストレスになって更に「溜め込んで」しまうという悪循環。確かに物理的、精神的にこなせない仕事や付き合いもあるのですが、それを自分のものとして引き受けるか否かの選択をもう少し慎重にし、なおかつ意識的にスムーズに仕事を進行させるならば、「溜め込まず」に今まで以上のことができるのではないかと思い始めました。それは技術の進歩とも関係があります。連絡、確認、計画、周知などについては、現在のICT環境からすればいくらでも工夫が可能です。

とまあ、いろいろ言い訳じみたことを書き連ねながら自分の問題が整理されてきました。

「溜め込む」ことの裏側にある「引き受ける」ことの美徳に寄りかかり、「溜め込む」ことがもたらす他人への迷惑や自分のストレスを軽視してきた生活を改善し、「引き受けるけど溜め込まない」ということを意識していく一年にしたいということです。

惑い多き40歳ですが、今年もよろしくお願いします。



 
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