2012年12月25日

(1643)ズラタン・イブラヒモビッチとロベルト・マンチーニ

言ってみれば、膝は俺の持ち物ではなく、クラブの所有物だ。クラブ幹部が俺の膝に直接、命令を下すんだ。サッカー選手はオレンジみたいなものだ。クラブが最後の一滴まで絞り尽くし、絞りきってから売り飛ばされる。残酷なようだが、これが現実だ。

20121225-1

2008年2月19日、インテルはチャンピオンズリーグのグルーブ予選を勝ち抜き、ベスト16でリバプールと当たった。第1戦はアウェイのアンフィールドで行われた。俺は膝の調子が限界にきていると感じながらも出場し、0対2で負けた。これ以上、先延ばしできない。観念して病院に行ったよ。膝蓋腱の炎症と診断された。(I AM ZLATAN〜イブラヒモビッチ自伝より) 


不安だらけだった。いやな雰囲気が立ち込めていた。「インテルに何が起こった」「なぜインテルはうまくいかないんだつ?」四方八方から同じ言葉が聞こえてきた。

最終節で、インテルがパルマに負けるか引き分けて、ローマが最下位のカターニアに勝てば、俺たちは崩壊だ。確実に取れるものと信じていた優勝が、手のひらから滑り落ちていく。

突然、マンチーニが俺の家にやってきた。試合の数日前だった。彼はカッコいいんだよ。ポケットにチーフを入れたオーダーメイドのスーツをいつも着こなしていた。俺は彼と言い争ったことなどはなかったが、クラブ内での彼の地位は落ちていた。「このシーズンが終わったら辞任する」とひと度公言してしまったからだ。そんなことがチームに不安定さを生み出していた。だが、マンチーニは権威を取り戻すために全力で戦っていたよ。彼の監督人生で最も重要な目が近づいていた。

「君のケガがまだ回復してないことはわかっている」

「そうです。まだ治っていません」

「だが、率直に言おう。僕にとって、それはどうでもいいことだ」、彼は続けた。

「おっしゃるとおりだと思います」

「よし、話は簡単だ。僕は君をパルマ戦のリストに入れようと思っている。君の返事に関わらずだ。先発かベンチスタートかはわからないが、君にはそこにいてほしい。ホームに勝利を持ち帰らないといけない」

「わかってます。俺も出たいですよ」

俺だって、出場することは誰より望んでいた。スクデッドが決まるであろうその試合には、何といっても出場したかった。そうしないと一生悔やむことになるであろう。そのせいで、1週間か1カ月、回復が遅れるかもしれない。だが、その1回の試合を諦めることはできない。こうなったら、とことんやってみるか。マンチーニは俺が躊躇っていることをわかっていたから、背中を押しに来たのだろう。

俺の家にミハイロビッチもやってきた。覚えているか?ユーベ時代には彼とピッチ上で揉めたこともあった。俺は彼に頭突きした。いや違うぞ、頭突きのまねをした。彼は俺にひどい言葉を浴びせかけた。しかし、それは全部過去のことだ。ピッチ上のことはピッチ上で終わりだ。もっと激しく衝突した相手とも、俺はその後、親しくなったよ。似たもの同士ってこともあるのかもしれない。俺は戦うハートが好きなのさ。ミハイロビッチも、戦士だった。彼は勝利のために全力を尽くす。選手としてもそうだったし、マンチーニの片腕として働きはじめてからもそうだった。俺はミハイロビッチから、フリーキックを学んだ。いいヤツなんだよ。少々ワルではあるが、まっすぐな男だ。

「イブラ」、彼は言った。

「何を言いたいかわかっているよ」、俺は答えた。

「わかった。ひとつだけ聞いてくれ。練習する必要はない。何もしないでいいから、とにかくパルマ戦ではベンチに入ってくれ。勝利に力を貸してくれ」

「やってみる」。俺は約束した。

「やってみる? それは少し違う。おまえはできる」、彼は部屋を出る前にそう繰り返した。



 
jeep_55 at 21:30│Comments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 インテル | ズラタン・イブラヒモビッチ

トラックバックURL

コメントする

名前
URL
 
  絵文字