(2531)ズラタン・イブラヒモビッチ(2533)荻晃太

2019年12月03日

(2532)田中マルクス闘莉王

「カタカナから漢字になる。決めたのはやっぱり、自分の心がもうブラジルではなく日本人の心になっているんだな、そういう風に感じて(日本)国籍を獲得することにしました。日の丸に対する想い、今まで支えてくれた人たちに対する想い、日本に恩返しをするその一心で国籍を変えました。インパクトを残さないといけないなと思って、今振り返ってみればピッタリの漢字だったんじゃないかなと思います」

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―2003年の水戸ホーリーホック時代に日本国籍を取得したが、「闘莉王」の名に込めた想いは?

元日本代表でJ2京都DF田中マルクス闘莉王(38)が1日、都内のホテルで引退会見を行った。

「みなさん、こんにちは。本日、たくさんの方々に来ていただき、ありがとうございます。今日をもちまして、あっという間の19年間のプロ生活を引退します。たくさんの人たちが、ファンが、サポーターが、こんなしょうもない人間を支えてくれて、感謝の気持ちで心から胸がいっぱいです。本当にありがとうございます」

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ー最後まで見せたファイティングスピリット。最終節で負傷してしまいましたが、怪我の具合は?

「まさかの最終戦で、救急車に乗るとは思わなかったです。最後の最後まで自分らしいなと思いました。やっぱり、この頭だけで何針縫ったんだろうと。数え切れないほどの怪我がある中で、最後の最後だけは少しでもキレイな顔で出てこようと思ったんですけど、やっぱ神様は自分らしい姿でやってこいとね、そういうメッセージだったと思います」

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ー最初の紹介映像には10代の頃の初々しい姿もあったが

「大昔に、少しでもカワイイ映像が残っている。少しホッとしています」

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−引退を決断した経緯とは?

「(サンフレッチェ広島に)入団した当時、『今までにないDF』、守ことだけではなく、攻めることをずっと意識してやってきました。自分の中に一個決めてたものがあって……。いつか、自分の中で燃えている心の炎が少しでも消えかかりそうになったら、どんな時であれ、歳も関係なく、引退しようと。サッカーに対しては失礼なことがないようにやっていかなければいけないかなとずっと自分で決めていました。去年の終わり頃に少しそれを感じて、やっぱり引退しなきゃいけないかなと。最後の1年は、今まで敵として戦ってきた相手チームのサポーターにも挨拶したいなと。サッカーは当然ですが、少しでも感謝の気持ちを伝えたかったので、今年は最後のシーズンにしようと。そのちょっと消えかかってた炎を最後のエネルギーに変えて1年やりました。去年の終わりぐらいから(引退は)決めていました」


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ープロ生活で最も印象に残っている瞬間や試合は?

「(2010年南アフリカ)W杯のパラグアイ戦のコマ(駒野友一)ちゃんが、PKを外した瞬間は凄く印象に残っている。次のキッカーが自分だったということもあって……。自分のところまで回ってきたら、どうだったんだろうなと。それも神様の自分に対する嫌がらせかなと。外すんだったら自分でも良かったんじゃないかなと。あの蹴れなかったことでどれだけ眠れない夜を過ごしたか。あのPKで、こんなゴールを決めたいと、こんなキックをしたいと思ったのは今までにはありませんでした。やっぱりあの瞬間で『…』となったのがすごく印象に残っています。あんだけPKを外していたにもかかわらず、岡田さんが『お前蹴るぞ!』と言っていただき、疲れていたのか、ボーとしていたのか、よくわかりませんけど、(岡田監督に)すぐに『はい!』と言ってしまった自分がどうかしていたんじゃないかなと。でも結末を見れずに終わってしまったあの瞬間がやっぱり印象的ですね」

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ープロ生活で一番誇りに思っていること

「サッカーのすばらしさっていうのはグラウンドの中もそうですし、試合に関しては一瞬も一秒も手を抜くことなく、全力で気合を入れてやってきたことを誇りに思います。時には頭が割れていても、筋肉が離れていても、鼻が折れていても、ピッチに戻ろうとした。その気持ちは誇りに思います。あとその全力姿勢で、たくさんの素晴らしい仲間に出会えたことも誇りに思います。

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―これまで関わったきた人たちに引退を報告した際、印象に残った言葉は?

「(元浦和レッズの社長である)犬飼(基昭)さん。『引退しますよ』と報告したら『おっ、そうなの? それでいいの?』という風に言われて、そりゃないなと思ったのが印象的でした(笑)。本当にたくさんのお世話になった人がいた中で、『まだやれるぞ!』『まだ大丈夫だよ』『あんたみたいなのはなかなか出てこないよ』と、たくさんの声をかけていただき、幸せ者だと思いました。でも自分が決断したわけで、『すいません』と謝りながら、自分に対する愛もすごく感じました」


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―Jリーグの中で印象に残っているシーンとは

「やっぱりJリーグの中では、2つ喜ばしいことがありました。(浦和)レッズのJリーグ初優勝は印象的で、埼スタが、埼玉があれだけ盛り上がることはもう一度あるかどうか……。あれだけ埼玉県民が、浦和レッズサポーターが喜べる瞬間に、あのピッチに立たさせてもらえたことはやっぱり忘れられない。それと(名古屋)グランパスの初タイトル。あれだけ期待をされ、会見でも『男にするぞ』という言葉を発信し、自分に対してもすごくプレッシャーがかかった中での宣言通りのタイトルっていうのは……。最後の瞬間はピッチに立てなかったんですが、すごく心に残った。その2つはJリーグの中でも替えのきかない瞬間だなと思っています」

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ー今後の活動について

 「今後のことはまだ考えていないです。とりあえずブラジルに帰って、たくさんビールを飲んで、たくさん肉を食べて、10キロくらい太って、みなさんが少しでも笑ってくれるような姿を見せてあげられればいいかなと思っています」



―闘莉王にとってサポーターの存在とは?

「若いときは相手のサポーターを挑発し、ビッグマウスな一面もあり、ときには自分のサポーターとも言い合い……。ケンカという言い方はあまりよくないと思うので、キレイな言い方で言うとディスカッションをし(笑)、時には檄を飛ばし、時には檄を飛ばされ、真剣に向き合ってきた。おそらく、僕のことを嫌いだなと言う数多くのサッカーファンもいると思います。でも、最後の最後には常にリスペクトしていました。常に勝ちたいなと思っていた中で、たまに頭に血が上り、話せないようなこともたくさんしました。でも、その人たちがいなければ、この瞬間はない。サッカーもつまらない。だから最後の1年は、本当は全クラブのサポーターの人たちに頭を下げ、『すいませんでした』と、そして『ありがとうございました』と、本当に言いたかったです。J2だけではあったんですが。今度機会があれば、今までまだ伝えていないサポータたちにも『すいませんでした』と、『ありがとうございました』と言いたいなと思います」


ー 現役選手たちへメッセージ

「今は本当にキレイなサッカーばっかり。そういうところにサッカーが進化していっているし、そういうことを求められている。そんな中でもやっぱり泥臭く、多少技術が優れなくても僕みたいに一生懸命にやって、サポーターに喜ばれる姿勢をなくして欲しくないなと。そういう気持ちを伝えられる選手が消えて欲しくないなと。たくさんの人たちがスタジアムに来て、そういう姿を見たいファンたちもいる中で、是非ともそういうプレイヤーは消さないで欲しいなと思いますね」



ー 最後に過ごした京都サンガF.C.での3年間について

「率直に、3年間本当にありがとうございます。たくさんのケガにあい、自分のパフォーマンスがなかなか上がらない中、結果を求められ、自分の本職ではないMFやFWで使われたりもしたが、すごく申し訳ない。もっと結果を残さなければいけなかった。すごく申し訳ない気持ちで、この3年間は過ごしてきました。今度、みんなが喜ぶ新しいスタジアムがオープンします。いいキッカケだなと。やっぱJ1で戦う京都をもう一度見てみたい。だからこそ、新しいスタジアムで戦えるように、ここに来たら勝つぞと、このホームは強いぞというスタジアムにして欲しいなと思います。J1へ上がるのは簡単なことではありませんが、この3年間身体で感じたので、是非とも若い力、それにベテランの経験やタフさをミックスして、頑張って欲しいなと思います」



―日本へのルーツでもある日系人のお爺様やお婆様がいますが、2人から聞かされた言葉で印象に残っているものは?

「僕は1998年に来日しましたが、当時は携帯もなく、インターネットもなく、情報もものすごく少ない中で、日本へ来ることになりました。おばあちゃんも、おじいちゃんも、戦前にブラジルへ移民したわけで、あの時の日本と98年の日本の違いがあまりにも多すぎて、環境的なアドバイスは正直、あてになることはあまりありませんでした。でもおばあちゃんにずっと言われていた『日本魂』、『日本人魂』、人に対する『リスペクト』、そういうところはブラジルとは違う。本当に口すっぱく言ってくれたことが、会うたびにそういうふうに言ってくれたことが、日本に来て少しでも文化を理解し、少しでも言葉を話すことつながった。そのおばあちゃんの言葉の意味がどんどん膨らんでいき、やっぱりこういうことを言ってくれていたんだなと。(日本に来て)もう21年、3月で22年になるんですが、(日本に)いればいるほど『日本人魂』、人に対する『リスペクト』というのは大切なものだなと感じます」



ー 印象的なチームメイトについて

「ありがたいことに、まっすぐ生きてきたせいかわかりませんけど、仲間よりも兄弟のような選手がたくさんできました。血はつながっていないんですが、心がリンクしているような感じが会うたびにしています。本当に数え切れない、もう名前を挙げれば誰かのことを忘れていまいそうで、ちょっと失礼になってしまうかもしれません。ただ、たまに自分は失礼なことをするので、名前を言わせてもらいます。本当に楢さん(楢崎正剛)であったり、岡野さん(岡野雅行)、平さん(平川忠亮)……、もう数え切れないほどの人がいるのでね。一回飲んだだけで、またこの人と飲みたくなる、この人と楽しい時間を過ごしたくなる。たくさんの人たちがいる中で、こんなよそ者を受け入れ、たくさん支えてくれた仲間たちとは、本当に切っても切れない縁だと思います。日本代表の監督でもある森保さんにも、(広島に)入団した当時から色々と食事に連れていってもらいました。いろんな人たちにお世話になったなと、心から感謝しなきゃいけないなと思ってます」



―現在の日本代表には長友や川島ら戦友がいるが、日本代表に伝えたいことや想い

「自慢に聞こえるかもしれませんが、いまだに(W杯)ベスト16の壁があって、一番近くに迫ったのが、越えそうだったのが2010年の代表だと思います。前回(ロシアW杯)の西野監督(が率いる日本代表)の活躍もも素晴らしく、目に光るものがあった。自分と一緒に戦った数少ない人たちもまだ残っています。やっぱり簡単な壁ではないのは分かっています。短期間で互いを信頼し、チームとして戦うのは本当に難しい。まだベテランに引っ張ってもらいたい。やっぱベテランの力は必要だと、欠かせないことだと思っています。背中で見せていただくことを期待している。岡田さんも西野さんも日本人監督で、そして森保さんも日本の人監督。『日本魂』を表に出して、是非活躍していただきたいなと思います。もっともっと子供たちが『日本代表になりたいな』と、『このチームを応援したいな』と、『やっぱり楽しいな』と、代表だけでなくJリーグも盛り上げて欲しいなと思います」



ー引退を報告した際の家族の反応は?

もう22年間も日本にいます。年に1回くらい(ブラジルへ)帰って、帰るたびに両親の歳の取りぐあいを見ると、妹に任せきりですごく罪悪感を感じます。もう両親は60歳を過ぎ、200歳ぐらいまで生きて欲しいんですが、それは不可能。少しでも側にいて、支えてやりたいなと思います。22年間も(日本に)いれば、すごく親しかった親戚たちの最後を見とれなかったこともたくさんあった。その苦しい想いは何をやっていても心から取り除くことはできません。(両親が)まだ元気なうちに帰って、22年間できなかったことをできる限り取り戻したいなと思います。今までは『サッカー選手を)辞めるぞ』とお父さんに言っても反対されていましたが、やっと『帰って来い』って言ってくれたので、少しでも楽しい時間を過ごせるように、時間をかけてやっていきます」

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トゥーさんお疲れさまでした。

名古屋での一度目の退団時にも書いたのですが、あなたが名古屋に来て過ごした期間はとてもエキサイティングな時間でした。リーグ優勝も降格でさえも今はいい思い出です。本当にお疲れ様でした。



 
jeep_55 at 09:45│Comments(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 京都サンガ | 田中マルクス闘莉王

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