チリ

2014年06月23日

(1862)チリ銀行のチリ代表応援CM

たったいま立っているこの場所で、我々は70日間も閉じ込められていた。地球は無情にも俺たちを飲み込み、そんな極限の状態の中で人間としての真価と、信じる心を試されたのだ。
 
外では何百万という人々が、俺たちのことを信じて待っているのを感じていたよ。そして決して諦めなかった俺たちのことを、その想いのすべてを、この土が知っている。だから我々は、この土をチリ代表チームの練習グラウンドに持っていく。そのグラウンドを、勇気と希望で満たすために! そして全世界に知らしめてやろう、チリの人々に不可能なことなど無いのだと!

スペインは手強いって? オランダはスゴいチームだって!? "死のグループ"がなんだ! 我らチリの民は死など恐れない。なぜなら、すでに死を打ち負かしたことがあるからだ!




チリ鉱山落盤事故で生還した男達が代表チームにエール!世界中が感動の嵐(AOLニュースより) 

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jeep_55 at 07:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加

2012年11月04日

(1607)マルセロ・ビエルサ

斬新なアイデアを思いつく者は、そのアイデアが成功を収めるまで『奇人(ロコ)』である。

20121106-1

ビエルサのこの有名な台詞は、'08年9月7日、W杯予選第7節でホームにブラジルを迎えて0−3と完敗を喫した際、国内のメディアから皮肉な形で引用された。続きを読む

jeep_55 at 21:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加

(1606)マルセロ・ビエルサ

記者である君たちの武器は書くことであり、私の武器は話すことだ。

私はひとつの考えを表現するのに50の単語を並べるが、君たちはあとでそれを1行にまとめなければならない。これは、書くことが下手な私にとって、非常に恐ろしいことだ。自分の言ったことが間違って転写されるほど嫌なことはない。自分のことを間違って知られるくらいなら、いっそ全く知られないほうがいい。

私は非常に特殊な人間だ。周囲の意見がとても気になるし、時にはそれによってひどく傷つくこともある。監督をしていてもトラウマになる。そして、憎まれ、罵声を浴びることと同じくらい、誤解されるのが大嫌いだ。

だからメディアには、自分が言ったとおりのことを伝えてもらいたいし、そのチャンスをどのメディアにも公平に与えるために、会見という形をとるのが最も適していると思っている。


狂気の最初の犠牲者となったのは、チリのメディアである。アルゼンチン代表監督時代から守ってきた「インタビューは会見方式で、個別の取材を一切受けない」という姿勢を貫いたからだ。会見でしか話が聞けない監督など、チリでは前代未聞のことだった。続きを読む

jeep_55 at 21:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加

(1603)マルセロ・ビエルサ

これから機体はゆっくりと下降して行きます。到着地コルドバの天気は曇り……

そして、今日のこのフライトにご搭乗の特別なお客様、マルセロ・ビエルサに挨拶をしないわけにはいきません。チリのサッカーを立て直し、我々に栄誉を与えてくれたマルセロ、本当にありがとう。

2008年10月16日。チリの首都サンティアゴ発アルゼンチン・コルドバ行きのフライトで、飛行機が着陸態勢に入る直前、機長からアナウンスがあった。機長は、前夜に祖国チリの代表が成し遂げた快挙に、身も心も感激に浸っていた。恥ずかしがり屋のビエルサは、アナウンスを聞いた乗客から拍手喝采を受けても、表情を崩さず、座っていたシートにさらに身体を埋めた。W杯予選第10節で、チリは公式戦で初めてアルゼンチンを下した。その大金星が、ビエルサを国民の英雄に仕立て上げたのである。



jeep_55 at 21:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加

(1601)マルセロ・ビエルサ

自分はこれまで2万5千試合のビデオを分析したが、サッカーの歴史上戦術というのは28種類しかなく、そのうち19種類は守備的なもので、残りは攻撃的なものだ。

−2009年10月戦術について尋ねられて


jeep_55 at 20:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加

2005年05月24日

(78)カルロス・ディトボルン

「われわれには何もない。だからワールドカップを開催しなければならないのだ」(チリサッカー協会会長)

Carlos Dittbornアルゼンチンとの誘致合戦の末に、既に開催が決定していた60年5月22日。マグニチュード9・5という世界最大規模の地震がチリ沿岸で発生した。死者5000人以上、200万人が家を失ったといわれる。特に南部の被害は大きく、当初の6都市から4都市へと規模を縮小しての開催となった。前回58年スウェーデン大会の12都市を大幅に下回る。第1回ウルグアイ大会の3都市に次ぐ、史上2番目の少なさだった。続きを読む

jeep_55 at 20:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加