1926年、アルゼンチン・ブエノスアイレスで生まれたディステファノ。サッカー史に大きく名前を残すアルゼンチン人第1号はこの人です。
1943年、当時17歳でリバープレートに加入、「ラ・マキナ」(ザ・マシーン)と呼ばれたリバープレートの中心的役割を担っていました。途中の46年にウラカンに貸し出されますが、戻ってきてリーグ優勝にも貢献しました。49年までリバープレートに在籍して、アルゼンチン代表にも47年にデビュー、47年コパ・アメリカにも優勝しています。
49年、当時FIFAに加盟していなかったコロンビアに渡ります。ミジョナリオスに加入、国を捨てたと言える移籍です。このディステファノと数人の選手を失ったアルゼンチンは、50年W杯に出場できませんでした。ディステファノはその後も、アルゼンチンでプレーすることはありませんでした。
1953年、スペイン・レアル・マドリードに加入、ここからの活躍は有名ですね。ただ、ディステファノ獲得に動いたのはレアルだけではなく、バルセロナも狙っていました。この両クラブのディステファノ獲得合戦は簡単には決着が付かず、結局スペイン協会が調停に入って、両クラブが彼を保有し、1年ごとに両クラブでプレーすることとして、最初の1年目はレアルでプレーすることになりました。その後、バルサでプレーすることはありませんでしたけど・・・。
ディステファノは、「1人トータルフットボール」と言われるような選手でした。センターフォワードとしてプレーしているかと思えば、自軍の深い位置でボールを受けて一気に加速して相手ゴールを脅かしました。神出鬼没、無尽蔵のスタミナ、得点を取る嗅覚、スルーパスを通す嗅覚、卓越したボールコントロール、圧倒的な存在感、サッカー選手に必要とされるあらゆる能力を、高いレベルで併せ持っている選手です。ヨハン・クライフは、この人と比較されていました。
レアル・マドリードでの活躍はあまりにも有名ですね。まずはチャンピオンズ・カップですね。
第1回大会(55〜56シーズン)から第5回大会(59〜60シーズン)まで5連覇。2回目から4回目まではレイモン・コパ(フランス)、4回、5回目はプスカシュ(ハンガリー)がいました。しかし、5連覇すべての原動力になったのはディステファノでした。この5回の決勝すべてに得点、5回目の決勝ではハットトリックの活躍です。伝説になるのもうなづけますね。
1964年までレアルに在籍、リーグ優勝8回、カップ戦優勝1回、リーグ得点王5回、チャンピオンズ・カップ優勝5回、クラブレベルでこれ以上ない成功を収めました。クラブレベルでは・・・。
レアルでのディステファノは絶対的存在、プスカシュでさえ彼には服従していたそうです。支配欲の強いディステファノは、自分以上の存在を認めない傲慢な面も持っていました。しかしレアルでの11年間は、ディステファノにとって光り輝いたものになりました。
1964年、エスパニョールに移籍、1966年、選手生活にピリウドを打ちました。
アルゼンチン代表として6試合出場・6得点、スペイン国籍を取得してスペイン代表・31試合出場・23得点、1957年、59年バロンドール受賞、W杯でのプレーだけがありません・・・。
W杯に縁の無い選手はたくさんいますが、ディステファノはその中でも代表格ではないでしょうか?
昔ある雑誌に、80歳ぐらいの方のコメントが載っていたんですけど、それがいまだに忘れられません。
「ペレ、クライフ、マラドーナも凄い選手だよ。でも、1番はディステファノだ。彼以上のサッカー選手を、私は何十年も見ていない。」