サッカーの歴史に名前を刻んだ選手です。「走る少佐」・・・フェレンツ・プスカシュ、個人的にしっかり見てみたいと、今も思う選手です。
1927年4月2日・ハンガリーのキシュペストに生まれます。
1939〜49 キシュペストACに在籍
1949〜56 ホンベド・ブダペストに在籍
このホンベドは陸軍のチームです。ハンガリー代表選手もこのホンベドに在籍します。政府の命令で・・・。今では考えられないですけどね。
1956年ハンガリー動乱が起き、彼はウィーンへ亡命。遠征中だった代表チームで、プスカシュ、チボール、ゾルタン、コチシュ、彼らは国外に留まりました。
そしてプスカシュは、伝説的なクラブチームの一員になります。
1958〜67 R・マドリード(スペイン)に在籍
ディステファノ、レイモン・コパ、ヘントらと共に、レアルの黄金時代を築きます。
1960〜61、61〜62、62〜63、63〜64、64〜65、スペイン・リーグ優勝
1961〜62 スペイン・カップ優勝
1959〜60、60〜61、62〜63、63〜64、スペイン・リーグ得点王
1958〜59、59〜60、65〜66、欧州チャンピオンズ・カップ優勝
1955〜60までの欧州チャンピオンズ・カップ5連覇、1、2、3回目まではレアルの一員ではなく、4回目の決勝は欠場、5回目の決勝は出場、7−3の快勝、プスカシュとディステファノで全7ゴールを挙げています。この燦然と輝く偉業の一端を担いました。
66年も決勝は欠場しています。
1961〜62、63〜63、欧州チャンピオンズ・カップ準優勝
1960年・インターコンチネンタル・カップ優勝
プスカシュは、体型こそずんぐりしていますが、左足で全てを可能にする選手でした。右足はほとんど使わず、左足を駆使してボールを手で扱っているようにプレー、強烈なシュート、相手をあざ笑うかのようなフェイント、プスカシュの左足は凄まじいゴールの数々を挙げました。
FWでもあり、昔で言うインサイド・レフトでもありました。
スペイン代表として4試合出場、スペイン国籍も持っていました。
ハンガリー代表として84試合出場 83得点
「マジック・マジャール(魔法のハンガリー人)」のシンボルとして大活躍です。5年間無敗という最強のチームでした。
1952年 ヘルシンキ・オリンピック優勝
1954年W杯スイス大会 準優勝 3試合出場 4得点
この大会の絶対的な優勝候補、1次グループも圧倒的な力で突破、ただ、この1次グループで西ドイツと対戦したさいに、プスカシュは集中的に削られます。このため、決勝は出場出来ましたが万全ではなく、決勝で西ドイツに3−2の敗戦を喫してしまいます。
1次グループで西ドイツはハンガリー戦を1.5軍で戦い、結局8−3で負けるんですけど、エースのプスカシュを潰すのに成功しました。これが西ドイツの初優勝に繋がることになります。汚い気がしますけど、上手いとも言えそうですね。さすがドイツと言ったところでしょうか?(笑)。
1962年W杯チリ大会 グループリーグ敗退 3試合出場
プスカシュの有名なゴールシーンの一つが
1953年11月25日 ウエンブリー・スタジアムでのイングランド戦
前半25分 ドリブルでゴールに向かって突進、マーカーのビリー・ライトを引きずりながらペナルティエリアの右隅まで来たところで、そのまま縦に進んでクロスを上げるフェイントを一つ入れます。
ライトがバランスを失ったその時、プスカシュはつま先(ほぼ足の裏)でボールを止め、くるりと反転すると左足で強烈なシュートを放ちます。
ウエンブリーを沈黙が支配した瞬間でした。
FA創設以来90年間、イングランド代表は英国系以外のチームに対してホームで無敗という記録を持っていました。この日までは・・・。
3−6でハンガリーに敗れています。
半年後に行われたブダペストでのイングランド戦、7−1で圧勝です。
恐ろしいチームだったんでしょうね。
ウエンブリーでのスーパーゴール、このプレーをあるタイムズの記者はこう表現しています。
「ライトは、消防車が間違った火事を消しに行くかのように、彼の脇を走り抜けた。」
1960年欧州年間最優秀選手投票 2位
プスカシュのプレーは、白黒の映像でゴールシーンだけしか見たことはありません。是非しっかり見てみたい選手です。もう無理でしょうけどね。
パンチョというニックネームも持っていました(笑)。