2005年03月

2005年03月31日

神の隠された知恵 (詩8篇)

<瞑想のためのコラム>

  「沈黙すること」、「ひとりになること」は、詩篇を瞑想する上でなくてはならないことです。しかし同時に、瞑想の訓練は、ひとりひとりが孤立して行なうものではなく、共同体の中で共に支えられて行なうものだと信じます。それは、主にある者たちが、この世の価値観と生き方に流されることなく、ひとりひとりがなくてはならぬ大切なことに気づき、集約されていくためです。
 
  「二人でも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」(マタイ18章20節) このイエスのことばは、私たちがキリストのいのちにあふれる者となっていくために、もう一度、スピリチュアル・フレンドシップの重要性を見直すべき約束であると信じます。
 
 私の牧会する教会では、毎日、詩篇瞑想を共に分かち合っていますが、それは教会のすべての働きに勝って最も重要な位置にあります。教会の働きも、そして教会のヴィジョンもすべてはここから始まっています。また、詩篇瞑想は、ある種の霊的センスと共感を培いながら、信頼関係を築いていく上できわめて有益です。また、このブログによる交わりを通しても、新しいスピリチュアル・フレンドシップが建て上げられることを願っています。
  
  では、今朝は詩8篇を共に味わうことにしましょう。
 
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jesus_lovekindness at 16:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)瞑想日記 

2005年03月30日

ふるいにかけられる時 (詩7篇)

<瞑想のためのコラム>

   詩篇による瞑想を通して、神を知ることは、同時に、自分を知ることでもあります。私たちは自分のことを知っているようで、実は、自分が盲目であることを知らないのです。自分のことをだれよりも一番自分が知っていると思っていますが、本当は何も知っていないことが多いのです。そのために、神は私たちを、時折、ふるいにかけられます。それは、信頼の絆をより強めるためです。ふるいにかけられる中で、自分自身の内にある心の問題を直視することは、辛いことですが、やがて多くの実を結ぶようになると信じます。
 
  イエスの語られた「種蒔きのたとえ話」を知っておられると思います。道端に蒔かれた種、岩地に落ちた種、いばらの中に落ちた種、そして良い地に落ちた種、クリスチャンの多くの人が、良い地に落ちた種が多くの実を結んだことを知っています。しかし、自分自身が決して良い地ではなく、道端や岩地やいばらの地であることを素直に認める人は多くはないようです。瞑想は、神を知り、神を深く味わうことですが、同時に、信と不信の狭間で揺れ動く自分の心を鋭く見つめる勇気が必要です。
 
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jesus_lovekindness at 10:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)瞑想日記 

2005年03月29日

主よ いつまでですか (詩6篇)

<瞑想のためのコラム>

   詩篇には、人間のありとあらゆる経験が記されています。神の御前で語った嘆きや叫び、うめきや訴えを読むことができます。彼らは死んでしまいましたが、詩篇の中で今も生きて語っているのです。それゆえ、詩篇には、どんな人でも共感できる隠された宝が存在します。私の気持ちをうまく表現してくれている人がいる、その共感によって、慰めを与えられたり、生きる勇気を与えられたりする不思議な書物です。ですから、詩篇を読むとき、旧約の時代のことやその背景を知らない人でも、引きつけられる魅力が詩篇には潜んでいるのです。
 
  しかし、詩篇の背景となっている出来事や時代的・歴史的背景を少しでも知っていることで、より共感でき、驚きを与えられるということもまた事実なのです。詩篇の表題でたびたび登場するダビデという人は、神を敬う者がこの世において経験するありとあらゆる出来事(苦難と栄光)を通ったモデルの一人です。ダビデの生涯の中でも、特に、彼の苦難の経験を知っておくことは、詩篇からより多くの共感を引き出し、神を味わうための必要な知識であると信じます。
 
  一度、ダビデの苦難の生涯について学ぶ機会をもたれることをお勧めします。それは単に、彼の苦難の涙を知るだけでなく、その苦難の涙によって結実した、輝ける宝石に私たちがふれるためです。 ダビデの苦難と栄光の生涯は、旧約聖書サムエル記第一の16章からサムエル記第二の24章までに記されています。
 
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jesus_lovekindness at 11:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)瞑想日記 

2005年03月27日

モーニング・ウォッチ (詩5篇)

<瞑想のためのコラム>

   私の詩篇瞑想は、一見、まとまった説教の原稿のように見えると思います。それはその日の私の瞑想の実でもあり、また黙想の準備でもあるのです。長年、教会で説教をしているせいか、このような形式が、私にとって、一番自然なかたちなのです。しかし、あくまでも自分と神様との交わりの「日記」のつもりです。
 
  毎朝、教会でのサムエル・ミニストリーで行なっている詩篇の瞑想では、賛美の後に詩篇を朗読し、10〜15分ほど、集中してみことばを瞑想します。その後でそれぞれが自分に主が語ってくださったこと、感動したこと、教えられたことなどを話し、分かち合いをします。ところが、時折、そうした分かち合いをする中で、自分自身が驚き、感動するようなことがしばしば口から出てくることがあって、それをなんらかの形でノートしておく必要を感じていました。そのひとつの方法として、自分の語ることをテープに録音して、あとでテープを聞き直して記録しようかと考えました。しかしその方法はやめました。理由は、その方法では、昼も夜も一日中、継続してみことばを思い巡らすことができないからです。そこで今は、みなと分かち合う前に、その日の詩篇を、あらかじめ、自分だけでじっくりと時間をかけて瞑想し、それを日記としてまとめてしまう方法をとっています。それから、共に集まって、主を賛美し、さらに同じ詩篇から新たな啓示が与えられるようにと祈りながら、主を待ち望むことをしています。(但し、このブログに載せるのは2日前に瞑想したものです。)
  
  日々、こうした「瞑想日記」を書き続けることで、自分の心にみことばを刻み込み、神を味わえるように工夫しています。しかし、これはあくまでも私の方法です。ひとりひとりがそれぞれ自分にあったスタイルで詩篇の瞑想を楽しむことが必要です。そうでないと長く続けることはできないと思います。
 
 今朝は詩5篇です。共に、瞑想しましょう。シャローム。
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jesus_lovekindness at 20:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)瞑想日記 

2005年03月26日

神の特別待遇 (詩4篇)

<瞑想のためのコラム>

   瞑想の仕方について、昨日は「コンコルダンス」(聖書語句辞典)の活用についてお話しました。できればそれに加えて、聖書辞典も手許にあればなおのこと良いと思います。しかし、詩篇瞑想の目的は、あくまでも神と自分の関係をしっかりと、ゆるぎないものに建て上げることです。ことばの意味が分からないからといって、やみくもに、注解書にまで手を出してしまうと、聖書研究になってしまいます。それはそれとして楽しいことですが、むしろ他の聖書の訳を見ることをお勧めします。あくまでも、瞑想が迷想にならないようにくれぐれも注意しなくてはなりません。
 
  瞑想のための土壌を豊かにするためには、忍耐と地道な学びが必要となりますが、心をいつも主に向けて、主の心を知っていこうとする心の構えが必要です。その点をいつも点検しながら、あせらず、背伸びせず、ゆっくりと、あなたのテンポで、祈りの旅をお楽しみください。 
                                                  
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jesus_lovekindness at 12:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)瞑想日記 

2005年03月25日

私を取り囲む盾 (詩3篇)

<瞑想のためのコラム>

  詩篇を瞑想するとき、ひとつの詩篇から一つのキー・ワードを選び出すことは、瞑想を散漫から守り、集中する上でお勧めする方法です。例えば、今朝の詩3篇で、私は、「主よ。あなたは私の回りを囲む盾」というみことばから、「盾」というキー・ワードを選びました。盾とはどういう意味か、そこに意識を集中します。そのとき、その日の詩篇だけでなく、聖書全体からこのキー・ワードを検索してみます。どこでどういう状況や設定の中でこの言葉が使われているかにも思いを巡らします。 脚注付きの聖書であれば、そこを引くことができます。「コンコルダンス」を持っているならばそれを活用します。「Jーばいぶる」というパソコン・ソフトであれば、検束機能がついていて、それを利用すると便利です。
 
  同じ盾でも、単なる「武器としての盾」もあれば、「神の盾」もあります。また、「地の盾」というのもあります。「地の盾」とは、この世における神の代理者(例えば、王)による覆いを意味します。また盾にも、普通の盾もあれば、大盾という表現もあることに気づきます。いろいろな表現からそのことばの意味するイメージを膨らませることで、瞑想はより楽しくなってきます。しかしこの方法は、聖書を多少読んで、その内容を知っている人にはお勧めですが、初心者には混乱してしまうかもしれません。
 
  また、一つの言葉には、それに類似する様々な表現が詩篇の中にはあふれています。そうした多様な表現をノートしておくことによって、神への祈りや賛美の中で、自分にあった表現を身につけることができるようになります。  
 
  キー・ワードは、聖霊様の導きで、自由に選ぶことが可能です。しかし、その日の詩篇に特有な、他の詩篇には出てこない特徴的な言葉をキー・ワードとして選び出すことも、瞑想を味わう上での楽しみ方の一つです。似たような内容を記した詩篇でも、その詩篇にしかない、特徴的な表現がきっとあるはずです。そこに注目することです。瞑想への旅をしているうちに、そうした楽しみ方を発見することは大きな喜びをもたらすことと思います。
 
  では、今朝は、詩3篇を瞑想しましょう。申し遅れましたが、私が基本の聖書として使っているのは、新改訳聖書です。
 
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jesus_lovekindness at 11:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)瞑想日記 

2005年03月24日

神の視座 (詩2篇)

<瞑想のためのコラム>


   今朝のみことばを分かつ前に、瞑想のための方法について少しお話したいと思います。詩篇を読むとき、いろいろな聖書の訳を読み比べてみることは、詩篇を瞑想していく上でとても助けになります。イメージが豊かになり、一つの聖書の訳では釈然としないことが、他の聖書の訳を読むことにより、こんな解釈もできるんだ、という広い見方ができて、よりはっきりとみことばのイメージを把握することができるようになります。ただ、最初からいろいろな聖書を見てしまうと、混乱することもありますので、キーワードを見つけてから、それをいろいろな聖書で読み比べるところからはじめられると良いと思います。「Jーばいぶる」のソフトを使うならば、日本語と英語を合わせて、少なくとも5〜6つの訳を見ることができます。それと英語でも日本語でも、個人訳のものをいくつか揃えておくと良いと思います。

   瞑想は、祈りにおいて、知性の部分がとても強く働く段階です。瞑想から黙想へ、そして観想へ進んでいく上で、瞑想の段階でひとりよがりな受け取り方をしてしまうと、あとが大変です。できるだけ、みことばの正しい概念や意味合いを理解しようと務めることが、瞑想の第一段階です。その段階を安易に通り越してしまうと、ただ単に「私は・・・のように感じます」で終わってしまいます。
 
   瞑想には、みことばを(聖書全体の把握と個々のみことばの意味も含めて)学ぶという時間をかけた訓練が必要です。その訓練は生涯続きます。このために、必ずしも神学校に行く必要はありませんが、できれば、みことばの瞑想をしている方と共にするのが一番の早道です。
 
  日ごとに、詩篇の瞑想の材料となるキー・ワードを自分なりに選び出し、それを自分の中でじっくりと熟成させていくことです。しかも、自分の置かれた状況の中でそのキー・ワードを思い巡らすことが必要です。与えられたキー・ワード(あるいは思想)を、時間をかけて反芻し、熟成させればさせるほど、その味わいはひときわ甘く、おいしくなっていくと信じます。シャローム。
 
   それでは、今日は詩2篇を瞑想しましょう。
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jesus_lovekindness at 10:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)瞑想日記 

2005年03月23日

詩篇瞑想へのお誘い (詩1篇)

<瞑想のためのコラム> 牧師Phot


    詩篇の瞑想」へのお誘いです。私が牧会している教会では毎朝、賛美のあとに詩篇の瞑想をしています。キリスト教の歴史においては、詩篇の瞑想の長い歴史があり、特に、修道院では聖務日課として必須のものでした。知性的な瞑想から黙想(沈黙)へ、そして観想の世界へ。それはもう言葉ではなく、五感のすべてを通して神を味わう世界です。共に祈りの旅をしてみませんか。

 それぞれがブログを作成し、それを互いに分かち合うこと、また、コメントで共感し得たことや質問をし合うことは、より深く神を瞑想していく手立てとなります。そして、お互いに「主のおしえを喜びとし、昼も夜も口ずさむ」生活へと導かれるならば幸いです。こうした祈りの生活から多くのすばらしいメッセージが生み出されてくると信じます。また神のみこころがなされていくと信じます。
 
  詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上で最高のテキストです。詩篇を窓にして、聖書全体に思いを馳せながら、神をより深く、より親しく知るのです。多くの方々がブログを通して、詩篇の瞑想を分かち合うなら、より豊かな永遠のいのちの世界が開かれてくると思います。
 
  このブログをご覧になられた方は、是非、参加してください。毎日でなくても構いません。ちなみに、私は今日から、詩篇第1篇の瞑想をスタートして行きます。シャローム。
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jesus_lovekindness at 17:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0)瞑想日記 
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