2010年12月

2010年12月29日

このブログは、
しばらくの間、お休みします。

再開は、
1月の中頃になると思いますが、
まだ、はっきりしません。

ともかく、
今まで、読んでくださった皆様、
どうも、ありがとうございます。


良いお年を・・・!


jewelju1jewelju1 at 23:46│コメント(0)

2010年12月23日

まえに、テレビで、
筆跡(ひっせき)による性格判断みたいなことを、
やっていたのを、見たことがあります。

けっこう!、当たるらしい!
そういえば、お笑い番組でも、
筆跡判断に、はまった女性のコントみたいなことを、
やっていたのを見たこともありました。

文字は、無意識に書くと、
脳と、連動していて、
性格が、出てしまうという
根拠(こんきょ)もあるらしい。

確かに、良く当たるにしても、
ぼくが思うのは、
当たったから、どうなんだ?ということです!
当たったからといって、
自分の人生は、切り開けるのだろうか?
確かに、当たったとして、
『じゃあ、そういう自分を、
 いったい、どうすれば、いいんだ?』
と、いうことです。
そういう自分に生まれてしまったということを、
あるいは、そういう性格になってしまった、
自分を、いったい、どうしてくれるんだ?
ということです。

筆跡判断にしても、血液型性格判断にしても、
当たったのは、自分の過去のことです。
それらが、ある意味、確かに当たるにしても、
それで、自分の未来を、希望を持って、
しかも、良い方向に、変革していく力になるのか?
ということです。
そういう自分である自分に対して、
筆跡判断も、血液型判断も、
未来の自分に、なにも、解決策を、
与(あた)えてくれない!!と、いうことです。

仏法(ぶっぽう)では、
現当二世(げんとうにせ)という言葉が、
あります。
過去は、関係ない!
現在と、未来が、大事だ!!という意味です。

日蓮大聖人の御書(ごしょ)に
(御書とは、日蓮大聖人が書いた
論文や手紙を、すべて、集めたものです)

『過去の因(いん)を知らんと欲(ほっ)せば、
 その現在の果(か)を見よ。
 未来の果を知らんと欲せば、
 その現在の因を見よ!』

とあります。

過去の自分が、原因となって、現在の自分がある。
それは、しょうがない。
だから、こんどは、未来の結果を希望したいなら、
現在の自分を、見ていきなさい!
現在の自分を、変えていくことによって、
未来は、どうにでも、変わっていく!
というような、意味です。

もっと、厳密(げんみつ)に言うと、
現在の自分の一念(いちねん/こころ)を、
変えていくことによって、
未来は、大きく開けていく!ということです。

創価学会の人が、
南無妙法蓮華経を、となえるのは、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
自分の一念(いちねん/こころ)を、変革して、
未来を、変えていけるからだと思う。
南無妙法蓮華経には、一念(いちねん/こころ)を、
良い方向に、大きく変革していく力が、
あると、いうことです。

それは、別に、自分とは、
かけ離(はな)れた人間になるということではなく、
自分らしい、自分の個性を生かした、
自分らしい幸せが、つかめる!という意味です。

それが、現実に、確実に、できるから
創価学会の人たちは、
日々、ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえていくんです!

(※ちなみに、ご本尊(ほんぞん)とは、
仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、
自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、
その自分自身の生命に、
必ず、幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、
そなわっていることを、あらわしたものが、
ご本尊(ほんぞん)です。)


欠点は、ある意味、長所にも、なりえます。
創価学会が、実践する、
仏法(ぶっぽう)の信仰は、
どんな人であっても、すべての人が、
欠点を長所に変え、
自分らしい幸せが、つかめるようになっていく。

ご本尊に南無妙法蓮華経を、
となえることによって、
今と未来を、みつめながら、
現実の中で、
幸せという、
はっきりとした結果を、つかみながら、
確信をもって、進んでいける!

それが、創価学会の、
南無妙法蓮華経を、となえて、
人生を歩む、
仏法の信仰なんです。

だから、この仏法では、
筆跡判断も、血液型判断も、
気にすることはない。
そこには、過去を否定することもなく、
未来を、小さく固定することもなく、
現在を未来に向けて、
希望を持って前進していける
真理(しんり)と、哲学(てつがく)と、
生活観!が、あります。

これは、ほんとうに、
素晴らしいことだと、思います!!!

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

ちなみに、ぼくは、
左利(き)きですが、
子供のころ、ちゃんと、
右手で、文字を書く練習をしたので、
左手でも、右手でも、
文字を、書くことが、できます!

筆跡判断によると、
ぼくの場合、
右手で書いた場合と、左手で書いた場合とでは、
まったく、反対のような性格判断が、でます!

ということは、筆跡判断で、
自分の性格を、判断されるほど、
人間は、ちゃちな生き物では、なく、
自分次第で、可能性は、
無限に開けていく!
ということだと、思います。

それに、筆跡判断なので、
そう言われれば、
それに合ったことなど、
人間なら、ひとつや、ふたつ、
見つけ出すことは、簡単だと思います!

問題は、筆跡判断や、血液型判断で、
自分は、こうだ!と決め付けて、
自分を、型に、はめないことだと思います!

南無妙法蓮華経は、
変革の仏法(ぶっぽう)!

日々、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
自己の生命を、変革し、
昨日より今日!
今日より明日!と、
自分の個性を生かした、
自分らしい幸せを、めざして、
希望を持って、確信を持って、
生きていきたいと、思います。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 18:12│コメント(0)悩み │

2010年12月19日

このまえ、ビデオで、
『星になった少年』という映画を、
見ました。
日本人で、初めて、ゾウ使いになった
少年の物語で、
哲夢という若くして亡くなった少年の実話を
もとにして、作られた映画なので、
大げさな脚色(きゃくしょく)もなく、
たんたんと描(えが)かれていました。

それでいて、
親子の絆(きずな)など、
しんみりと、ジーンとくる映画でも、ありました。

また、気が向いたら、
この映画の話しでも、しようと思います。

この映画を見て、思い出しましたが、
日蓮大聖人の御書(ごしょ)に、
(御書とは、日蓮大聖人が、書いた手紙や論文を、
 すべて、集めたものです)
ゾウの話しが、のっていました。

御書によると、
象(ゾウ)は、敵の力によって、
強い相手ならば、強い力を、
弱い相手ならば、それだけの弱い力を、
だして、戦うそうです。
ゾウは、とても、利口(りこう)な、
やさしい動物なのかも、しれません。

けれど、
これも、御書に、書いてあるんですが、
それとは逆に、
ライオンは、
相手の強い、弱いに、かかわらず、
全力を出して、戦うそうです。

日蓮大聖人の別の御書に、

『師子王(ししおう・ライオン)は、
前三後一(ぜんさんごいち)と申して、
ありの子を、とらんとするにも、
又(また)たけきものを取らんとする時も、
いきをいを出す事は、同じき事なり』

と、あり、ライオンは、
三本の足を前に、一本の足を後ろに構(かま)えた、
ベストの姿勢で、アリ(虫)の子を、
とろうとする時も、猛獣(もうじゅう)を、とろうとする時も、
全力を、出して戦うという意味です。

動物学的に、どうかは、知りませんが、
ライオンが、なぜ、
百獣(ひゃくじゅう)の王かと、いうと、
たとえ、どんな状況であれ、
ライオンは、全力を、出し切るということだと、
思います。

創価学会の信仰を、真面目にやって、
「カリスマ美容師」になった人が
いるんですが、
その人が、
「どうしたら、チャンスを、つかめるか?」
という質問に対して、

まず、創価学会の信心、活動を、
まじめにやることは、当然として、
人って、これが、チャンスだっていう時は、
全力をだすけど、そうでない時は、
往々にして、全力を出さない場合が、
多い!
けれど、本当は、チャンスは、
どこから生まれるか、わからないので、
『たとえ、どんな時でも、ベストを尽(つ)くす!!』
ということを、あげていました。

また、そのカリスマ美容師が、
最も、貧乏で苦しいときに、
創価学会の先輩に相談したら、
普通だったら、そんな夢みたいなこと、
あきらめろ!とか言われそうだけど、
『絶対に、あきらめるな!
信心根本に、戦っていけば、
必ず、夢は、かなうよ!!』
と、励(はげ)まされたそうです。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

『ベストを尽(つ)くす!』
この言葉は、素晴らしい言葉だと思います。
ベストを尽くすことに、差別はない!
どんな人でも、ベストを尽くすことは、
できる!
それでいて、こんな価値のある行動は、ない!

人は、往々(おうおう)にして、
自分を、世間や人と比(くら)べたりして、
卑下(ひげ)しがちかもしれない!
けれど、そんなこと考えるまえに、
自分に、問いただすべきなんだと思う。
『自分は、自分にベストを尽くしているのか?』

小さなことであっても、
それが、自分の目標を、かなえていく道であり、
人生の勝利者、
百獣の王になっていく道なんだと、
思う・・・・・!

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 18:17│コメント(0)映画 │

2010年12月16日

宗教は、好きですか?
と聞かれたら、
宗教は、好きではありません!

じゃあ、何が、好きか?というと、
「自分が、幸せになることが、好きです!」

別に、宗教には、興味(きょうみ)ありませんが、
自分が、幸せになることが、好きだから、
創価学会に、入って、
ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえているわけです。
いままでの体験から、
『これしか、ない!!』ということが、
わかっているからです。


世間一般的には、宗教というと、
とくに、日本人は、
なんか、困(こま)ったことがあった時だけ、
どこかの坊さんなどに、頼んで、
おがんでもらう。
何々宗の偉い方だからとか、言って、
高い!お金を払(はら)って、
自分のことを、他人に、おがんでもらう。

それが、宗教というものだと、
一般的に、思っている方が、多い。
それのほうが、確かに、楽かもしれない!
だって、自分は、なんにも!しなくていいんだから!
それで、悩みや、問題が、解決するんだったら、
こんな楽なことは、ない!

けれど、これが、
悪(あ)しき宗教が、うじゃうじゃと、
はびこる原因になっている。
祈ったり、おがんだり、
お経(きょう)を、あげたりするのは、
宗教家が、やるもので、
普通の人には、できないものだと、
考えさせられている。
坊主が、祈らないと、成仏(じょうぶつ)しないとか、
何々宗の偉い方でないと、
この問題は、解決できないとか、
ある種、異常な、特権的な権力が、
坊主や、宗教家に、与(あた)えられている!
それに、おすがりしないと、幸せになれない!とか、
それこそ、とんでもない理屈(りくつ)が、
通ってしまうのが、悪しき宗教の、
はびこる理由です!

創価学会は、逆です。
特別な人なんて、いない!
坊主だけに、与えられた特権なんて、
ありえない!
坊主に祈ってもらわなければ、
幸せになれないなんて、
そんな、ナンセンスなことは、ありえない。

創価学会では、
自分で、祈っている人が、偉大(いだい)!
自分で、戦っている人が、偉大!
上も下もない!
人間が、人間を、引っ張(ぱ)っていく!
人間と、人間の、まごころの対話、
人間が、人間を、こころから、思うことによって、
つながっているのが、創価学会!!

結論から言うと、
自分で、祈っている人が、仏(ほとけ)
自分で、戦っている人が、仏(ほとけ)
仏と言っても、死んでる人のことではない。
仏とは、『人間の王者!』という意味です。
それが、本当の仏法(ぶっぽう)!

けれど、その本当のことを、言っちゃうと、
ヘンな坊主や、宗教家は、困る!
宗教家や、坊主でないと、できない!という、
まやかしの権威(けんい)が、ないと、
お金もうけが、できないから!
だから、決して、本当のことは、
言わないし、また、知らないかもしれない。
宗教家は、自分の権威が、はがれては、困る!

だから、創価学会の人が、
本当のことを、言うのを、恐れて、
デマや、いろいろな手を、使って、
創価学会を、迫害(はくがい)してきた!

でも、迫害されれば、されるほど、
創価学会は、発展してきた!
なぜならば、
創価学会の実践している仏法(ぶっぽう)は、
本当だから!
真実の実践を、しているから!
だから、ひとりひとりの生命の歓喜(かんき)は、
だれびとも、おさえることは、できなかった。

ある意味、良い意味で、
創価学会は、
世間の風潮(ふうちょう)に、流されない!
正しいことは、正しい!
間違ってることは、間違ってると、
言い切ってきた!

それと同時に、創造性、豊かで、
決して、固まった形に、とらわれないで、
時代、時代に、マッチした活動を、してきた!
それが、創価学会が、
発展してきた理由のひとつだと、思う。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、
『人間が、人間を、
 人間以上のものに、
 見せようとした時から、
 宗教は、邪教(じゃきょう)!となる』
というようなことを、言っていた。

確かに、そうだと思う。
もし、人間を、人間以上のものに、
みせようとしている宗教があったなら、
はっきりと、邪教だ!と、
見破(みやぶ)っていかなければ、ならない!

なぜならば、
人間の不幸の中で、
邪教は、人間を、不幸にする、
もっとも、根源的なものだからだ・・・・・・!

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 21:53│コメント(0)エッセイ │

2010年12月11日

創価学会では、
勤行(ごんぎょう)というのが、あって、
朝と夜、(一日に二回)、
釈尊(しゃくそん/釈迦/ブッタ)の
法華経(ほけきょう)という経文の、
一部分を、音読します。
だいたい、速く読めば、3分ちょっとで、読め、
遅く読んでも、5分くらいで、終わります。
それが、終わったあと、
南無妙法蓮華経を、自分が好きなだけ、
繰(く)り返し、となえます。
それを、まとめて、勤行と、いいます。

べつに、強制ではなくて、
そうするのが、一日のリズムを作るのに、
また、一日を、また、人生を勝利していくのに、
ベストであろう!ということで、
推奨(すいしょう)しています。
やらなかったら、バチがあたるとか、
そういうことは、ありません!

ただ、やったほうが、絶対、良いし、
日々、続けていったほうが、
まず!幸せになります!!
なぜなら、勝利の、幸せのリズムが、
身につくからです。

法華経(ほけきょう)というと、
うさんくさい気が、しますが、
法華経には、おもしろいシーンが、
いろいろ、出てきます。

たとえば、
勤行で読む最初に、出てくるんですが、
釈尊が、瞑想(めいそう)から、立ち上がって、
知恵第一と言われている弟子、舎利弗(シャリホツ)に、
言います。
「仏の知恵は、あまりにも深く、無限なので、
 おまえたち(シャリホツ)には、
とうてい、理解することは、できないんだ!」

シャリホツは、いわば、
エリート中のエリート、超エリート、
いわば、天才です。
そういう、超エリートに向かって、
「おまえたちには、とうてい、理解できないんだ!」
と、釈尊が、言い放(はな)ったものだから、
大変です・・・!

超エリートのシャリホツは、
面食(めんく)らってしまうわけです。
そして、ここから、釈尊は、
仏法の真髄(しんずい)である、法華経を、
説いていくわけです。

超エリート、天才であっても、
理解できない法、
それが、仏法(ぶっぽう)の真髄である、
法華経(ほけきょう)だと、いうんです。

超エリート、天才でも、
理解できないとしたら、
では、いったい?どうしたら、いいんでしょうか!

結局、超エリート、天才と言われた、
シャリホツも、理屈では、理解することが、
できなくて、
『信じる!』ことによって、
ようやく、得道(とくどう/成仏)できたそうです。


少し、話しは、変わりますが、
前に、難信難解(なんしんなんげ)と、
易信易解(いしんいげ)ということを、
学びました。
難信難解とは、とてもじゃないけど、
理解することはできないし、信じることは、
できないという意味です。
易信易解は、逆で、
わかりやすいし、信じやすい!
という意味です。
いろいろ、段階があって、
仏法(ぶっぽう)から見ると、
仏法以外の宗教は、
易信易解で、わかりやすく、信じやすい!
だから、キリスト教や、イスラム教など、
世界に早くから、広まっている。
それから比(くら)べると、仏法は、
難信難解で、理解しがたいから、
信じられない。

次に、仏法の中から見ると、
法華経以外の教えは、易信易解で、
わかりやすいので、簡単に、広まっている。
それに対して、『法華経』は、
難信難解で、理解しがたく、信じがたいので、
なかなか、広まらない!

釈尊が、言っているんだけれど、
ところが、真実の教えは、『法華経』で、
そのほかの教えは、法華経を、説くために、
仮(かり)の教えとして、説いた「いつわりの教え」!
なんだそうです!
だから、法華経以外の教えを、どんなに、
実践してみても、信じても、
何の得(とく)にもならないし、
いつわりの教えなので、かえって、
人生に悪影響を、およぼしてしまい、
『マイナス』に、なってしまう。

なぜなら、釈尊の真実の教えは、
法華経なので、法華経を、信じ、
実践していかないと、幸せになっていかない。

こんどは、法華経の中から見ると、
過去の法華経である、「釈尊の法華経」は、
易信易解で、わかりやすく、信じやすい!
それに対して、現代の法華経である
日蓮大聖人の七文字の『南無妙法蓮華経』の法華経が、
難信難解で、とても、理解できないし、
信じがたい!
法華経といっても、時代時代によって、
その表し方が、違って、
現代は、たった七文字の『南無妙法蓮華経』が、
法華経なんです。

釈尊が、言っているんですが、

「私(釈尊)の法華経は、
私(釈尊)が、死んでから、2千年、たつと、
なんの力も、効力も、なくなってしまう!
かえって、教えが、ねじまげられ、
誤(あやま)って広められてしまうので、
人を不幸にしてしまう」

ということだそうです・・・。

釈尊の予言によると、
その時に(釈尊が死んでから二千年後に)、
釈尊の師匠が、出現して、
現代のすべての人々を、幸せにすることができる、
真実の法華経を、
広めていくだろう!ということです。

その釈尊の師匠というのが、
実は、日蓮大聖人なんです。
いっけん、なんか、あべこべのような気もしますが、
永遠の生命観から考えれば、
間違えではなく、実は正しいんです・・・。

そして、
現代のすべての人々を、幸せにすることができる、
真実の法華経(ほけきょう)というのが、
日蓮大聖人の七文字の法華経、
『南無妙法蓮華経』なんです。

ところが、この『南無妙法蓮華経』は、
難信難解で、とてもじゃないけど、
理解することは、できないし、信じることが、
できない!!

ようするに、理屈で、理解しようとしても、
無理!だってことです!

じゃあ、どうするか?

それは、自分で、試(ため)してみるしかないんです!

自分の身体で、自分の心で、自分の生命で、
実際、やってみて、
『これは、すごい!!!』って、
感じとるしかないんです!

それ以外、理解したり、信じることは、
不可能で、
南無妙法蓮華経は、それだけ、
とうてい、はかり知ることができない、
ものすごい!力(ちから)を、秘めている!
ということだと、思います。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

南無妙法蓮華経は、信じがたいし、
理解しがたい。

だから、創価学会の人は、
体験を、重んじます!
体験を、みんなで、語り合っていきます。

体験は、自分が、身体(からだ)で、つかんだ、
生命の確信だからです!
信心の体験がある人は、強いです。

創価学会が、これだけ、
世界中に、広まっているのは、
創価学会の多くの人たちが、
その体験を、つかんで、
確信と、希望を持って、
進んでいるからだと、思います・・・・。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 21:46│コメント(0)日常 │

2010年12月07日

●テーマ●
『南無妙法連華経を、となえると、
 病気の治療や、手術が、うまくいくのか?(2)』

先日、「南無妙法連華経を、となえると、
 病気の治療や、手術が、うまくいくのか?」を、
テーマに、話しを、したんだけれど、
重要なことを、忘れていたので、
(2)として、話しを、しようと思います。

それは、
病気の治療(ちりょう)や、手術といっても、
それを、受けるのは、自分です。
だから、手術や治療を、受ける自分の、
「体力」や、「精神力」が、なかったら、
手術や、治療は、うまくいくはずがありません。
体力や、精神力が、充実(じゅうじつ)していれば、
手術や、治療も、成功する可能性が、
高くなっていくと、思います。

その体力や、精神力の根本となるものが、
『生命力』だと、思います。
南無妙法蓮華経を、となえると、
その「生命力」が、強力に、高く、元気に、
なっていくようです。
前にも、話しましたが、
『妙(みょう)とは、蘇生(そせい)の義(ぎ)なり!』
といって、
南無妙法蓮華経は、
生命を蘇生(そせい)させる力なので、
南無妙法蓮華経を、たくさん、たくさん、
となえていると、
蘇生しよう!元気になろう!という、
生命力が、爆発的に、出てくるようです!

しかも、たいへんな病気の場合、
命を、奪(うば)う可能性があるわけだから、
その分、必死になって、
南無妙法蓮華経を、真剣に、となえることになるので、
蘇生(そせい)しようとする生命力も、
爆発的に、出てくるんだと思います。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

生命力って、なんだろう!
生きていく力、生きようとする力?
生命力が、あると、
ちょっとしたことでは、落ち込(こ)んだり、
くさったりしない!
そんなこと、はね返す力(ちから)が、あるから!

それが、生命力?

『南無妙法蓮華経は、歓喜(かんき)の中の大歓喜なり!』
と、いって、
南無妙法蓮華経を、となえていると、
生命が、歓喜して、楽しくなってくる!

なんとか?という科学者が、
「笑い」や、「希望」、「喜び」は、
病気を、飛躍的(ひやくてき)に回復させると、
言っていたけど、
南無妙法蓮華経が、病気に、きく(?)のは、
南無妙法蓮華経が、
『笑い』や『希望』、『喜び』を、
爆発的に、開花させるからかもしれない・・・!

ともかく、
南無妙法蓮華経は、生命を蘇生(そせい)させ、
元気に輝(かがや)かせてくれる。
ゆえに、病気の治療や、手術に、さいしては、
南無妙法蓮華経を、となえれば、となえるほど、
病気の治療や手術が、うまくいき、成功する可能性は、
高くなっていく・・・・・・!

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 22:02│コメント(0)病気 │

2010年12月03日

●テーマ●
『南無妙法連華経を、となえると、
 病気の治療や、手術が、うまくいくのか?』

結論から言うと、
どう考えても、南無妙法連華経を、
となえれば、となえるほど、
病気の治療(ちりょう)や、手術が、
うまくいくようです!

なぜかというと、
創価学会の人達の体験を聞くと、
題目(南無妙法連華経)を、たくさん、たくさん、
真剣に、となえて、
手術や治療が、大成功したという話しが、
あまりにも、たくさん、ありすぎるからです。

科学というのは、
実験と、その結果によって
なりたっていると、思います。
なんども、なんども、同じ実験をして、
まったく、同じ結果が、出たのだったら、
それが、科学の結果として、証明されます。

人間の生命を、実験材料として、
南無妙法連華経を、となえたら、どうなるか?
という実験をした結果、
すべて、同じ結果が出たならば、
それが、科学の結果として、
証明されます!

病気の治療や、手術に、のぞんで、
南無妙法蓮華経を、
真剣に、たくさん、となえたら、
その結果として、
手術や治療が成功したという結果が、
あまりにも、たくさん、
当然のように、出たならば、
それは、『真実』として、証明されるわけです!

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

創価学会の戸田二代会長が、
『南無妙法連華経を、真剣に、となえていくと、
やぶ医者も、「名医」に、かわってしまう』
と、言っていました。

ということは、南無妙法連華経には、
自分だけでなく、まわりの人達や、
環境、世界をも、変えていく力(ちから)が、
あると、いうことになる!

南無妙法連華経を、となえると、
まず、
「先生、病気を、なんとか、治(なお)してください!」
という、他人まかせの、おすがりの生命から、
『必ず、病気を、治してみせる!!』という、
自分が、「主体」の生命状態に、変わる!
そして、その一念(いちねん)は、
まわりの人々、環境、世界をも、変えていき、
やぶ医者さえにも、名医のような仕事を、
させてしまう!

また、よく、聞くことですが、
南無妙法連華経を、となえていると、
不思議にも、偶然、
その治療の道の権威(けんい)や、
名医に、めぐり合えたり、
そうでないにしても、
自分で、真剣に努力したりして、
自分の病気を、本当に治してくれる医者に、
めぐり合えるようになっていき、
最高の治療を、受けられる環境に、
変わっていきます。

ようするに、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
自分の一念(いちねん/こころ)が、
前向きに大きく変革されるから、
そうなっていくんだと思いますが、
結果として、
『南無妙法連華経が、環境を、変えた!』と、
いうことになると思います。

このように、
南無妙法蓮華経が生命を
蘇生(そせい)させる力(ちから)、
あるいは、南無妙法蓮華経が、
生命を良い方向に、
変革していく力は、大きく、
いろいろ、考えていくと、
大変な病気や、治療に、さいしては、
南無妙法連華経は、絶対に、となえるべきであり、
南無妙法連華経を、真剣に、たくさん、たくさん、
となえれば、となえるほど、
それのほうが、自分のためである!!!
という、結論に達(たっ)します・・・・・・・!

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 21:19│コメント(0)病気 │