2011年09月

2011年09月29日

HP108


昔、子供のころ、
学校に、すごく魅力がある先生が、いた。
なぜだか、
その先生が、いるだけで、
楽しくなった。
子供との接(せっ)し方が、すごく、うまくて、
その先生に、話しかけられると、
うきうきしてきて、
とっても、楽しくなった。

子供心に、不思議(ふしぎ)に思って、
なんとなく、その先生を、まねて、
その先生みたいな感じで、
友達と、接するようにしてみた
記憶がある。
そうしたら、なんだか、
調子が良くなってきて、
楽しくなった記憶が、あります。
もっとも、子供だから、
長続きは、しませんでしたが・・。

今、考えてみると、
その先生は、
自分に対しても、人に対しても、
心の、持っていきかたが、
すごく、じょうずだったんだと思う。
その心の持っていきかたを、
まねしたから、
子供ながら、自分も、
自分の中から、良い心を、
引き出すことが、できて、
調子よく、楽しくなったんだと思う。

何を言いたいかというと、
人が、尊敬するような人物の、
素晴らしい心と、表現が、
他の人には、無いということは、
決して、無い!ということです。
人が、尊敬するような素晴らしい人が、
出す、素晴らしい心と、パフォーマンスは、
すべての人間の中に、ある!
と、いうことです。

違(ちが)うのは、一方は、
自分の中にある素晴らしい心を、
自然に出しているんだけれど、
もう一方は、その自分の中にある、
素晴らしい心を、
出せない、出そうとしていない!
ということだと思う。

自分の中にある、
素晴らしい心を出すスイッチを、
幸せな人は、
いつも、押(お)している。
けれど、不幸な人は、
素晴らしい心を出すスイッチが、
あるにも、かかわらず、
そのスイッチを、押していないし、
決して、押そうとは、しない。
その違いだと思う。

すべての人間の中に、
すべての心を引き出す、
スイッチは、備(そな)わっている。
問題は、人生において、
どのスイッチを、押すかということだ。
その押したスイッチの違いによって、
人生は、大きく変わっていく!

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

心のスイッチの、ほとんどのスイッチは、
自分の努力次第で、
押すことが、できる場合もあると思う。
けれど、
ひとつだけ、自分の努力だけでは、
どうしても、押せないスイッチがある。
それが、『仏界(ぶっかい)の心』のスイッチだ。
仏界の心とは、
仏(ほとけ)のように、
強くて、あったかくて、やさしくて、
幸せに、あふれていて、
心が満(み)たされ、それでいて、
何者にも負けない、
最強にして最高の心の領域(りょういき)です!

具体的に言えば、
自分に降(ふ)りかかってくる、
さまざまな運命の嵐(あらし)、
その、どうしても、避(さ)けがたい、
困難(こんなん)の嵐、
普通だったら、どうしても、
乗り越えることが、できないような、
宿命(しゅくめい)の嵐、
そのどんな困難な運命の嵐さへ、
乗り越(こ)え、打ち勝つことができる、
最高にして最強の心が、
仏界(ぶっかい)の心です。

この仏界の心だけは、
現実世界の中で、
どんな努力をしても、
それだけでは、自分の中から、
引き出すことは、できない!

なぜかといえば、
その仏界の心を、引き出すための、
スイッチが、わからないから、
引き出しようがないと、いうことです。

逆に言えば、そのスイッチが、わかれば、
その仏界の心を、引き出すことができる!

その仏界の心を引き出す、スイッチが、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』
と、いうことです。
残念ながら、
南無妙法蓮華経を、となえる以外、
この仏界(ぶっかい)の心を、引き出すことは、
できません!

日蓮大聖人は、
その仏界のスイッチを、
すべての人間が、
押すことができるように、
南無妙法蓮華経を、残されたんだと思う。
そして、仏界のスイッチを押す、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、
まっすぐに、実践(じっせん)しているのが、
創価学会なんだと思う。

それは、南無妙法蓮華経を、となえることによって、
世界中の創価学会の人たちに起こった、
あまりにも沢山の、幸せのドラマが、
明確に、ありありと、
物語っている・・・・・・!

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 08:48│こころ │

2011年09月25日

HP096


この前、
ちょっと用事があって、
創価学会員の80才くらいの、
おじいさんに、会いに行きました。

そのおじいさんに会うと、
いろんな話しを、してくれるんですが、
お孫(まご)さんの話しを、よく、してくれます。

おじいさんには、
お孫(まご)さんが、たくさん、いて、
みんな、すごく、優秀で、
おじいさんの自慢(じまん)です。
その、お孫さんの一人は、
女の子なんだけれど、
すごく優秀で、今、大学で科学者めざして、
がんばっているそうです。

その女の子は、創価学会の信心と活動も、
熱心で、
教授に、堂々と、聖教新聞を見せたり、
この前は、大学のキャンパス内で、
池田先生の写真展をやって、
その責任者として、活躍したそうです。
彼女は、雄弁(ゆうべん)で、しかも人間的に、
すごく魅力(みりょく)があるので、
どうしても、うちの子供の家庭教師になってくれ!
とか、よく言われて、家庭教師も、
たいへんだそうです。
大学の友達からも、人気があって、
友達が、学校の売店で、
ぜひとも、アルバイトに来てほしいとか言って、
きかないそうです。

そういう、優秀な孫たちが、
たくさん、いて、
おじいさんの、生きがいになっています。

それで、思ったけど、
この創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
自分を、幸せにするだけでなく、
自分の子供、孫までも、幸せにしていく!
ということです。
ほんとうの幸せというのは、
そういうものだと思う。

南無妙法蓮華経の仏法と、
創価学会の活動によって、
自分の生命に、きざまれた福運(ふくうん)は、
(福運とは、生命に、たくわえられた、
 幸せの元(もと)みたいなもので、これが、
 たくさん、あると、幸せになる)
自分だけでなく、周(まわ)りの人たち、
子供、孫、そして、子孫代々(しそんだいだい)までも、
広がっていき、みんなを、幸せにしていく。

それが、仏法の力(ちから)であり、
南無妙法蓮華経を、
となえぬいた福運のスゴサであり、
南無妙法蓮華経が、その人間を
生命の底から幸せにする、
スゴイ!エネルギーだと思う。

よく、
この創価学会の仏法の信心をやりきると、
絶対的な幸せ、
永遠の幸せを、つかめる!というけれど、
それは、ほんとうなんだと思う。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

日蓮大聖人の御書(ごしょ)に、
(御書とは、日蓮大聖人が、書かれた、
論文や手紙を、すべて、集めたものです。)

『かれ草が、広がる草原に、
たった一点の火を、つけただけで、
その火は、どんどんと広がり、
やがて、草原いっぱいに、
広がっていく!
それと、同じように、自分の信心で、
つちかった福運も、子供へ、子孫(しそん)へ、
そして、全世界へと、ひろがっていく。』

という話しが、書いてあった。

創価学会員が、なぜ、幸せかというと、
自分が、南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の信仰と、
創価学会の活動によって、
つちかってきた福運は、消えない!

美人の奥さんがいようが、いまいが、
病気だろうが、健康だろうが、
財産があろうが、なかろうが、
そんなことは関係なく、
自分が刻(きざ)んだ福運の火は、
当然のごとく、
野原いっぱいに、広がり、
そして、
全世界、全宇宙に、広がっていく!

自分の灯(とも)した福運の火は、
自分が、死んでも、
自分が、『今まで、生きてきた!』
という、証(あかし)として、
永遠に広がり続ける!

まるで、自分の存在の価値(かち)を、
全宇宙が、賞賛し、祝福しているかのように!

そして、それは、
そのまま、自分の子供、子孫、世界に、
伝(つた)わっていく。
自分の生きてきた世界に、
自分の生きてきた宇宙に、
自分が生きた証(あかし)として、
自分が、刻(きざ)んだ福運が、
永遠に残り、広がり続ける。
そのことが、そのまま、
自分の幸せとなって、開花していき、
また、そのことを、自分の生命で、
感じることが、できる!

自分が、生きてきたという価値を、
全宇宙が、すべての生命が、
最高最大に、認めてくれ、絶賛してくれ、
心から、尊敬してくれる!

そのことを、心から感じることのできる生き方が、
創価学会の生き方であり、
南無妙法蓮華経を、となえて生きる、
生き方だと思う。


おそらく、こんな幸せなことは、
他には、絶対に無いと思う!

それが、できるのが、
南無妙法蓮華経の仏法であり、
創価学会の活動なんだと思うと、
こころから、感謝を、おぼえる・・・・。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 11:29│幸せ │

2011年09月21日

HP038


希望は、光る

わが胸の中に!

無限の希望を

生み出して

力強く進みゆけ!


これは、池田先生が、
「わが友に贈(おく)る」として、
聖教新聞の一面に、毎日、
掲載(けいさい)していてくれる
4、5行のメッセージです。
大変、気に入ったらしく、
ノートに残してありました!

ぼくは、正直、聖教新聞を、
すみから、すみまで読むわけでは、
ありませんが、
毎日、聖教新聞を、手にした時に、
この「わが友に贈る」だけは、
必ず、読みます。
だって、読むのに、10秒も、かからないし、
たったの、それだけのことなんだけれど、
毎日、すごく、励(はげ)みになります。

池田先生(創価学会インターナショナル会長)は、
ほんとうに、すごいと思う。
池田先生は、聖教新聞に、
長いメッセージとか、随筆、長編詩とかも、
たくさん、のせてくれるけれど、
読むのが、大変で、
なかなか、読めない場合も、あると思う。
けれど、この、たった五行の、
「わが友に贈る」は、
だれでも、読める!
しかも、いつも、確信を、ついている!
こころに残(のこ)る!
池田先生が、
どれだけ、きめ細やかに、
創価学会員のひとりひとりのことを、
考えているかが、
よく、わかると思います。

人間の心というのは、不思議で、
気持ちの、ほんの、わずかな違(ちが)いで、
天国と地獄を、わけてしまうようなことが、
よく、ある!
「なぜ、あの時、こう考えなかったんだろう!」
「なぜ、あの時、あんなバカなことを、
 考えてしまったんだろう!」
と、後悔(こうかい)することも、あるかもしれない。

それも、それらの心の機微(きび)は、
ほんのわずかな違いだ!

光は、ほんのわずか、角度が違っただけで、
長い年月の間に、
膨大(ぼうだい)な距離の違いが、出てきてしまう!

心も、同じだと思う。
あと、もう少し、希望を持って生きていれば・・、
あと、ほんのちょっと、気を引き締(し)めて、
生きていれば・・、
その一日は、素晴らしい一日になったかも、
しれない。
まして、それが、積(つ)み重なり、
一生の間には、取り返しのつかない、
大きな差(さ)が、できてしまう。
それが、現実だと思う。

この、池田先生が、毎日、
聖教新聞に、のせていてくれる、
「わが友に贈る」にしても、
ほんの小さなことかもしれない。
でも、
この「わが友に贈る」を読んで、
「よし!今日も、がんばろう」
「今日も、気合を入れていくぞ!」
「気持ちを、しっかり、持たなくちゃ!」と、
どけだけ、沢山(たくさん)のひとたちが、
その、たった一言に、励まされ、
一日を、惰性(だせい)に流されず、
勇気を持って、過ごすことが、できたことか!

そう考えると、
すごいと思う。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

池田先生が、前に、
「信心とは、泡(あわ)のようなものだ!」
と、言っていた。
あるようでもあり、ないようでもある!
仏法(ぶっぽう)は、心の法則(ほうそく)だから、
自分の中に、無限の希望があるといえば、
自分の中に、無限の希望が、生まれる。
希望なんか無い!と言えば、
希望は、なくなり、絶望と地獄の心で、
真っ暗になっていく!

きっかけは、いつも、
ほんの少しのことだ!
たった一言の励(はげ)ましかもしれない!

そのたった一言の努力を、
決して、怠(おこた)らない人!

その人は、真実に、
誠意(せいい)と真心の人であり、
人間の王者であり、
こころから、尊敬すべき人間だと思う。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 09:04│希望 │

2011年09月17日

HP107


まえに、創価学会の友達に誘われて、
「ダカーポ」というグループのコンサートに、
行ったことが、ありました。

ダカーポと言っても、知らないと思いますが、
かなり昔のグループです。

「野に咲(さ)く花のように」という歌が有名なようで、
聖教新聞で、
池田先生(創価学会インターナショナル会長)の随筆に、
その「野に咲く花のように」の歌の話しが、出ていて、
池田先生は、そこから、いろいろと、話しを、
展開されていました。

野に咲く花は、庶民の花、
野に咲く花は、たくましい。
どんな目立たないところでも、
また、踏(ふ)まれても、
たくましく、美しく咲いていく。
その花たちを、
創価学会の女性たちのようだと、
讃(たた)えていた。

その随筆の中に、
『静かなる革命』という言葉が、出てきた。
すごく清らかで、芯(しん)が強くて、
魅力(みりょく)のある言葉だと思った。


創価学会の革命(かくめい)は、
『静かなる革命』だと思う。
けっして、目立たないし、
大げさなことでは、ない!
一人一人を、励(はげ)ましていく。
一人一人に、希望を与えていく。
おのおのが、幸せになっていくために、
希望の、勇気の、団結を、
ひとりひとりと、結(むす)んでいく!

すべては、一人から始まる!
ひとりを、幸せにすることに、
全力を、尽(つ)くす!
なぜならば、
一人を、幸せにすることが、できたなら、
幸せの、希望の波動(はどう)は、
一人から2人、2人から3人と広がり、
やがて、その幸せの波動は、
地域へ、世界へと、
広がっていくからだ。

最も、地味だけれども、
最も価値(かち)のある、
あたたかい、幸せの革命。
それが、創価学会の
『静かなる革命』だと、思う。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

いくら、たくさんの聴衆(ちょうしゅう)の前で、
偉(えら)そうなことを言っても、
ひとりの人を、幸せにできないのなら、
なんの価値もない。

ほんとうに、一人の人を、
幸せにすることが、できるか、どうか?
それが、真実の信仰か、そうでないかの、
違(ちが)いだと思う。

南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
ひとりの人を、
確実に幸せにすることのできる、
法則(ほうそく)だと思う。
それを、創価学会のひとりひとりが、
証明してきた。
だから、世界192ヵ国に広がる
素晴らしい創価学会が、あるんだと思う。

現代という時代は、
ひとりの人間を、無力だと考えがちであり、
自分なんか!と、卑下(ひげ)する傾向が、あるようだ。

けれど、ほんとうは、
一人の人間ほど、偉大(いだい)なものは、ない!
一人の人間の中に、世界を変える、
無限の可能性が、秘(ひ)められている!

その一人の人間の価値を、
最高に高め、
一人の人間の可能性を、
最高に開花させているのが、
創価学会が実践(じっせん)している、
『南無妙法蓮華経を、となえて生きる!』、
仏法(ぶっぽう)の信仰なんだと、
こころから思う・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 11:33│幸せ │

2011年09月13日

HP037


まえに、
「救命病棟24時」というドラマが好きで、
見てました。

その中で、水道菅の工事をする人が、
怪我(けが)で、入院してきた。
それで、その水道菅の工事をする人が、
東京に大地震が、起こったという設定だから、
そこらじゅう、水道菅が、破裂(はれつ)して、
めちゃめちゃ、大変だったという話しを、する。

それで、医者の人が、
「やめたいと思いませんでしたか?」
と、聞く。
それで、水道菅の工事の人は、
やめようと思ったけど、
あるとき、銭湯を、無料で開放するということで、
銭湯の水道菅の修理を、したそうです。
それで、修理ができて、
お湯が出た時、子供も、大人も、
ほんとうに喜んで、
その姿を見て、その人は思ったそうです。
「だれも、知らなくても、いい。
 だれも、感謝してくれなくても、いい。
 だれも、認(みと)めてくれなくても、いい。
 やってやろうじゃないか!」
って、そう思ったと言っていました。

ちょっと、くさくて、
ドラマでなかったら、
とても、言えそうにない言葉ですが、
そういうことは、だれでも、思っていることだと、
思う。
だれもが、認めてくれて、
感謝してくれる。
それが、いつも自覚(じかく)できるような仕事だったら、
人は、仕事を、やる気になる。
けれど、そんな恵(めぐ)まれた仕事をしている人は、
それほど、いないと思う。
だから、つらい。
あまり、気付(きづ)かれない、また、見えてこない、
影(かげ)の仕事、
それが、ほとんどの仕事だと思う。

見えない努力、見えない真心、
それを、ひとことでも、
認めてくれて、感謝してくれたら、
その人は、どんなに、
喜ぶか、しれない。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

仏法(ぶっぽう)では、
『冥(みょう)の照覧(しょうらん)』という、
言葉がある。
人には、見えない努力、
人には、見えない真心、
人には、見えない誠意(せいい)の行動、
それは、今は、見えなくても、
やがて、大きな花を咲(さ)かせ、
みんなから、賞賛される、
素晴らしい結果として、結実(けつじつ)していく、
というような意味です。

仏法は、因果(いんが)の法則だから、
うそを、つかない!
やったら、必ず、結果が出るのが、
仏法(ぶっぽう)です!
だから、創価学会が実践している、
仏法を根本にした行動は、
ひとつも、無駄(むだ)がない。
すべてが、報(むく)われていく。
必ず、そうなるのが、仏法だからです。

けれど、世間は、違う。
どんなに努力しても、報(むく)われないで、
沈(しず)んでいってしまう人たちが、
どれだけ、たくさん、いることか!
かえって、努力が、報われないことの方が、
普通のようにも、思える!
それでは、あまりにも、かわいそうだ。

そうならないために、
創価学会の人たちは、
南無妙法蓮華経を、となえる!

南無妙法蓮華経は、努力が、
必ず、むくわれる法則(ほうそく)だからです。
南無妙法蓮華経の、蓮華(れんげ)は、
ハスの花を意味しているようで、
ハスの花は、泥(どろ)の中からでも、
花を、咲かせる!
また、ハスの花は、
花と実を、同時に付けることから、
原因と結果が、同時に現れるという、
意味も、あるようです。

南無妙法蓮華経は、
宇宙の、幸せの、勝利の、リズムです。
そのリズムを、自分で、となえて、
自分の生命に、きざむことによって、
努力という原因によって、
勝利、幸せという結果が、
必ず、現れてくるようになる!
これが、
南無妙法蓮華経を、となえると、
いうことだと思う・・・・。


だから、
南無妙法蓮華経を、となえていると、
現実の生活のなかで、
必ず、幸せという結果の花が、咲いていく!
それが、南無妙法蓮華経という、
必ず、勝利を生むリズムだからです。

そう考えると、
南無妙法蓮華経を、となえるということほど、
幸せなことは、
決して、ない・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 08:23│ドラマ │

2011年09月09日

HN153


前に勉強したんだけど、
『勝つ!』ためには、
三つの条件が、あるそうです。

その三つとは、
『責任感』
『忍耐力』
『包容力』
です。

『責任感』
必ず、勝ってみせる!
必ず、みんなを、幸せにしてみせる!
必ず、幸せになるんだ!
という、強い一念(いちねん/こころ)

『忍耐力』
結局、勝つ人は、
勝つまで、努力し、忍耐(にんたい)した人だ。
いちばん、忍耐力がある人が、勝利する。

『包容力(ほうようりょく)』
かたくなな、小さな心ではなく、
さまざまな、かたちを認(みと)めることができる、
大きな、あったかい心。

この三つが、勝利の条件だそうです。
それで、思い出したけど、
最近は、芸能界でも、
創価学会の人が、
よく、目立(めだ)つようになった!
テレビの画面に並んでいるのが、
ほとんど、創価学会員だったことも、
あるくらいで、
芸能界での、創価学会員の活躍(かつやく)は、
めざましいと思う。
けれど、冷静(れいせい)に考えてみれば、
それも、当然だと言えるかもしれない。

なぜかといえば、
創価学会の人は、
勝利する方法を、知っているし、
しかも、それを、実践(じっせん)しているからです。
だから、芸能界という、きびしい世界でも、
勝利できて、当然かもしれない!

では、創価学会の人が、
どうして、芸能界で成功できるか、
考えてみたいと思います。

(1)「あきらめない」
最近の若い人は、忍耐力がないから、
簡単に、あきらめる人が、多いようだ。
だけど、創価学会の人は、あきらめない。
南無妙法蓮華経を、となえていると、
自分の中から強い強い生命力、
勇気や希望が、わきあがってくるので、
『絶対、勝利するんだ!』という、
強い一念(いちねん/こころ)を、
自分の中から、無限に、
引き出していくことが、できるからです。
また、苦境(くきょう)の時でも、
創価学会の人が、
『絶対、あきらめるな!』と、
励(はげ)ましてくれる。
その創価学会の人たちの
信念と確信のこもった励(はげ)ましの力も、
大変、大きい!

(2)「輝(かがや)いてる」
『南無妙法蓮華経は歓喜(かんき)の中の大歓喜なり』
と言って、
南無妙法連華経を、となえるということは、
自分の生命力を、強くし、輝かせていくことだから、
当然、自分の生命が、輝いていれば、
人より、引き立って見えるし、
魅力的(みりょくてき)に、見える。

(3)「福運(ふくうん)が、ある」
芸能界では、運、不運によって、
大きく左右される。
南無妙法連華経を、となえることと、
創価学会の活動は、
その運(福運)を、つける、
『唯一(ゆいいつ)の方法』と言っていいので、
その二つを、実践している創価学会員は、
「ラッキー」に、めぐまれて、
当然と、いえる。

(4)「個性を、発揮(はっき)している」
仏法(ぶっぽう)というのは、
『桜梅桃李(おうばいとうり)』といって、
桜は桜らしく、梅は梅らしく、
桃(もも)は桃らしく、すもも(李)は、すもも(李)らしく、
それぞれが、その人らしい、
最高の個性を、発揮していく法則(ほうそく)なので、
南無妙法連華経を、となえ、
創価学会の活動を、していると、
自分の個性を、最大限に発揮することが、
できるようになってくる。

以上、四つのことから考えていくと、
芸能界という、きわだった世界でも、
南無妙法連華経を、となえ、
創価学会の活動を、しているということは、
大きな武器となると、
考えていいと思う。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

勝利の条件である、
『責任感』
『忍耐力』
『包容力』

口で、言うのは、簡単(かんたん)だけれど、
実際に、これを実践しろと、言われても、
どうしていいか、わからないし、
なかなか、難(むずか)しいのが、
現実だと、思う。

けれど、この勝利の三つの条件を、
自然のうちに、身に付け、
実践していけるのが、
創価学会の実践している仏法(ぶっぽう)だと思う。

南無妙法連華経を、となえる!ということと、
創価学会の活動によって、
知らず知らず、
自然のうちに、勝利の三つの条件が、
そなわっていくと、いうことです。

不思議としか、言えないけれど、
南無妙法連華経には、
『勝利』の、すべての要素(ようそ)が、
含(ふく)まれている・・・・・・・!

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 08:07│勝利 │

2011年09月05日

HN054


この前、
創価学会の小さな会合が、あって、
終わった後、少し、雑談をしました。
その時、
一人の婦人が、話してくれたんだけど、
その婦人が、言うには、
創価学会員でない人たちと、
いろいろ付き合っていると、
創価学会員でない人たちは、
表面的には、幸せに見えるそうなんです。

けれど、
深く付き合っていると、
内実(ないじつ)は、
どろどろの悩みを抱(かか)えていたり、
どろとろの苦しみを、抱えてたりすることが、
多いそうです・・。


一般的に、考えると、
創価学会員でない人の生き方というのは、
根本となる哲学(てつがく)、
生命に対する、確固たる信念がないので、
どうしても表面的な幸せを、追い求め、
結局、それは、
『幸せ芝居(しばい)』になってしまうと思う。

ところが、
創価学会員は、違(ちが)う!
別に、創価学会の人が、
悩みや、苦しみを、
抱(かか)えていないということではないけれど、
創価学会の人は、
本当の幸せを、つかもうとしている!
自分の生命で感じる、本当の充実(じゅうじつ)、
本当の生きがい!
生きている歓喜(かんき)!
その生命の最も根本的なところから、
あふれ出る幸せを、つかむために、
日々、希望を持って努力している!
そして、現在進行形で、その真実の幸せを、
つかんでいる!と、言っていいと思う。

もちろん、おのおの、自分の現実的な目標や夢、
社会的な希望を、かなえようと、
努力しているのは、当然として、
それと同時に、もっとも深いところの、
『生きていること自体が、幸せだ!』といえるような、
生命そのものの、幸せを、つかみ、
また、もっともっと、つかもうとしている!

逆に、確固(かっこ)たる哲学がない、生き方、
難(むずか)しい話しを、すれば、
『生きるとは、何なのか?』とう
最も根本的な問題に、
明確な答えを持たない生き方、
生命そのものに、
本当の幸せと歓喜を与えてくれる哲学が、
ない、生き方は、
結局、『幸せ芝居(しばい)』になってしまい、
ほんとうの幸せは、つかめないと、
言えるのではないだろうか?

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

南無妙法連華経を、となえるということは、
本当に、スゴイことだと思う。

別に、「生きるとは、何ぞや?」とか、
哲学(てつがく)が、どうのこうのとか、
幸せとは、何ぞやとか、そなんこと、
何にも考えなくても、
ご本尊(ほんぞん)に南無妙法連華経を、となえるという
行動によって、
生命の真実の哲学と、生きていくことの価値(かち)、
真実の幸せとは、何かということを、
自分の身体と心で、
自然のうちに、無意識に、
理解し、自分の生命で、
こころから感じることが、できるからです!

それは、『幸せ芝居』ではない。

大宇宙を抱きしめていくような幸せであり、
生命が生まれるような、
湧(わ)き上がっていくような喜びです。

それは、真実の道を歩んでいる
証拠(しょうこ)であり、
自分の生命が、
蘇生(そせい)している現(あらわ)れです。

その生き方は、
やがて、
自分のさまざまな悩みも解決していく結果となり、
境涯(きょうがい)が高まることによって、
さまざまな夢や希望も、
かなえていけるようになっていく。


こんな幸せなことは、
きっと、ないと思う!


そう考えると、
この南無妙法連華経の仏法(ぶっぽう)を残された、
日蓮大聖人と、
その仏法を継承(けいしょう)している、
創価学会は、ほんとうにスゴイと思うし、
こころから尊敬し、感謝していきたいと思う・・・・。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 07:16│日常 │