2011年11月

2011年11月27日

HT121


先日、会社で、
すごく、いやなことがあって、
ムシャクシャして、いらいらして、
心が、すごく、すさんでいました。

たまたま、どうしても
行かなければいけない
創価学会の会合が、あって、
参加したんだけれど、
創価学会の心の、あったかい人間に、
接(せっ)していたら、
だんだん、すさんだ心が、落ち着いてきて、
会合から、帰る時には、
スッキリした、気分の良い、
前向きな心になって、
帰ってきました。

これって、スゴイことだと思う。
こういう時こそ、
創価学会員で、良かったと思い、
感謝を、おぼえます。
人は、接していく人間に、
影響を受けやすいということだと思う。

日蓮大聖人も、
「人間は、良い仲間に接していると、
 その良い香(かお)りに、そまっていき、
 自分も、良い人間になっていく。
 逆に、悪い仲間に接していると、
 その悪い臭(にお)いが、しみついてしまい、
 自分も、悪い人間になっていく。」
というようなことを、
言っていた。

現実の戦場のような世界に
生きていると、人生、
いろいろなことが、ある!
ムシャクシャするようなことが、
無いほうが、おかしいし、
そういうことの連続だと思う。
その中で、自分を、立て直していくことは、
なかなか、大変だと思う。

自分は、創価学会の良き仲間がいるから、
その良い香(おか)りに、ふれて、
自分を、見失わずに、すむ。
けれど、これが、
もし、創価学会員でなかったら、
さまざまなプレッシャーの中、
どれだけ、心が、すさんでしまっていたことか!
その蓄積(ちくせき)が、どれだけ、
自分を傷(きず)つけ、
人生を、台無(だいな)しにしていたことか!
そう、思うと、ゾッとする。

創価学会のある婦人が、言っていた。

「創価学会員でなかったら、
 どれだけ、殺伐(さつばつ)とした、
 寂(さみ)しい人生になっていたことか・・!」


世間一般的に、
人は、
さまざまやプレッシャーや、イライラ、
痛手を、解消(かいしょう)しようと、
お酒を飲んだり、レジャーに、
熱中したり、
エステ・リラクゼーション系の趣味に、
熱中したりして、
何とか、その痛手を、解消しようとしている。
それが、悪いとは、言わないけれど、
そこには、自分の痛手を、根本から
解消する、方途(ほうと)と、価値(かち)が、
ほんとうは、無いように思われる。
おそらく、生命に、きざまれた、
痛手や、イライラは、蓄積(ちくせき)されて、
残ったままだと思う。
その中で生きるのが、
どれだけ、大変か!と思うと、
創価学会に入った自分としては、
正直、かわいそうに、思えてくる。

すでに、創価学会を知り、
創価学会の素晴らしさを、
実感(じっかん)している自分としては、
もう、上にあげたような生き方は、
したくないし、もう、
できないだろうと思う。
それを思っただけで、
その殺伐(さつばつ)とした心が、浮かんできて、
ゾッとするからです!

逆に言えば、
創価学会員であることが、
どれだけ、幸せか!
ということだと思う。
創価学会員であるということが、
どれだけ、満(み)ち足りたことか!
創価学会員であることが、
どれだけ、人生を、
輝(かがや)かしく、魅力的なものに、
していてくれるか!

それだけで、
創価学会員であることの価値は、
ありすぎるくらい、あると思う。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

創価学会の人に、触(ふ)れていると、
すさんだ心が、だんだん、消えて、
あったかい、すがすがしい心に変わっていく。
(当然、真面目に、創価学会の信仰と活動を、
 やっている人のことを、さします)

それは、なぜ?だろうか?

それは、当然、
南無妙法蓮華経を、となえているからだと、
思う。
『妙(みょう)とは、蘇生(そせい)の義(ぎ)なり』
と言って、
南無妙法蓮華経を、となえてると、
自分の生命が、蘇生(そせい)していく。
心が、きれいになり、元気になり、
すがすがしく、さわやかになっていき、
生きるのが、気持ちよくなっていく。

また、南無妙法蓮華経とは、
宇宙の法則(ほうそく)でもあり、
生命の法則でもある。
南無妙法蓮華経を、日々となえているということは、
その宇宙の法則、生命の法則にのっとって、
生きていることになる。
だから、宇宙の法則、生命の法則にかなった、
生き方、生活を、していることになるので、
当然、サーフィンを楽しむように、
気持ちよく、スムーズに、
幸せを感じながら生きることになる。

創価学会は、その南無妙法蓮華経という、
宇宙の法則、生命の法則に
がっちりとギアが噛(か)み合い、
その宇宙の法則に最高にかなった活動と行動を
している団体であり、場所だということもできます。

だから、創価学会そのものが、
南無妙法蓮華経という宇宙の法則であり生命の法則であり、
また幸せの法則のなかに、
存在していると、いうこともできます。

だから、その創価学会の活動の中に、
身を置(お)くことによって、
自分の生命も浄化(じょうか)され、蘇生(そせい)して、
元気になってくる。
輝いてくる。
それは、宇宙と生命の法則にかなっているからです。

だから、それは、
日々の痛手やストレス、
傷ついた生命を、蘇生(そせい)させることになり、
その繰(く)り返しの中で、
悩みや問題を解決できたり、
自分の幸せに向かって、
夢や希望も、かなえていける方向に、
進んでいける。

それが、創価学会という場所であり、
創価学会が、やっていることだと思う。

そして、それは、
当然、日々の生活の中に、
現(あらわ)れてくる。
創価学会の中で、南無妙法蓮華経を、となえている、
その生命の香(かお)りは、
自分だけでなく、職場を、地域を、
世界を、良い香(かお)りに、変えていく!

単純に言うと、
世界を、幸せに変えている!ということです。
その力(ちから)は、スゴイ!

だから、創価学会の人たちは、
ほんとうは、職場の中でも、
地域の中でも、世界の中でも、
決して、欠(か)かせない、貴重(きちょう)な、
かけがえのない存在なんだと思う。

けれど、それを、世間の人たちは、
なかなか、気づかない。
それを、気づくのは、
創価学会員の、その人が、
いなくなった時だろう・・。

けれど、ほんとうは、
それでは、もう、
遅(おそ)すぎる・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 14:42│日常 │

2011年11月23日

HT006


英語で、「invoke」という言葉があります。

「invoke」は、発動する、行使(こうし)する、とか、
祈願する、祈る、という意味がある。

そのほか、「invoke」には、
「呼び出す」「召喚(しょうかん)する」などの意味もあり、
いわば、「invoke」は、ロールプレイングゲームなどて、
魔法獣を召喚(しょうかん)するといったところだろうか・・。

「invoke」という言葉は、キリスト教から来ていると思うけれど、
これは、なかなか、おもしろいと思った。

最初に言ったように、「invoke」には、
祈る、祈願する、という意味がある。
ただし、このキリスト教から来ている
「invoke」という言葉の「祈る」「祈願する」は、
「invoke」の他の意味でもある、
「呼び出す」「召喚(しょうかん)する」
という意味からもわかるように、
自分の外にあるものを呼び出す。
自分の外にあるものを、もらい受けるという
意味合いになってくると思う。

自分の中にはないものを、神様などから、
ほどこしてもらうというところだろうか・・・。

だから、キリスト教の「祈る」「祈願する」というのは、
自分には、幸せになる力(ちから)がないから、
自分とは、かけ離(はな)れた存在である神様に、
ひたすら、おすがりして、
ほどこしてもらう・・といった意味合いが
強くなってくる。

こういう自分には幸せになる力がないから、
自分の外から、幸せになるための力(ちから)をもらう。
環境や人や権力など、
自分の外にあるものによって幸せになろうという生き方のことを、
『外道(げどう)』と言います。

だから、環境がこうだから、幸せになれない。
あの人がこうだから、幸せになれないなど、
幸せになれない理由を、
自分の外に並(なら)べ上げたりする生き方は、
『外道(げどう)』の生き方だと、言えます。

さっきも言ったように、キリスト教は、
神という自分とは、かけ離れた存在に、
幸せを祈ります。
自分には幸せになる力(ちから)がないから、
神におすがりすると、いうことです。
だから、キリスト教は、
『外道(げどう)』の宗教だと言えます。


ところが、
創価学会が実践(じっせん)している
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、違う。

創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)では、
自分自身が仏(ほとけ)なんだ!と説(と)く。

『あなたの中に、素晴らしくて最高の
仏(ほとけ)の生命が、あるんだよ!』
と説く。

『だから、自分の中から、
素晴らしくて偉大な仏(ほとけ)の生命を引き出して、
幸せになっていくんだよ!』
と説く。

こういう生き方を『内道(ないどう)』と言います。

だから、
創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
『内道(ないどう)』の宗教だと言えます。

ここに、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法と、
その他の宗教との決定的な違(ちが)いがあります。

神様や仏様など、自分とは、かけ離れた存在に、
おすがりする、おすがり信仰・・。
ここには、はっきり言って、
希望はありません。
神や仏などを、あがめれば、あがめるほど、
人間との距離がどんどん、離(はな)れていく。
そして、人間は、どんどん卑小(ひしょう)になり、
みじめな存在になっていく。
そして、精神的には、神や仏など、
自分があがめるものの奴隷(どれい)のような
存在になってしまいます。

冷静(れいせい)に考えて、
このような状態で、
幸せになれるとは、思えません。

それが、日本にはびこる葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、
神社信仰だと言うことも、できます。
また、はっきり言えば、それらの葬式仏教や観光宗教、神社信仰は、
間違(まちが)った宗教であり、間違っているがゆえに、
どんなに祈ったとしても、逆に不幸になってしまいます。
それは、さまざまな形で、
不幸という結果が出てきてしまうということです。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

「invoke」という言葉における、
「祈る」「祈願する」という意味は、
自分にないものを、外から呼び出す。
自分ではなく、棚(たな)からぼた餅(もち)のように、
環境や人、外部の何かを呼び出して、
幸せになろうという意味合いが強いと思います。

それに対して、創価学会における、
『祈る』という行為(こうい)は、違う!!!

創価学会における『祈る』という行為は、
自分の中から、幸せになる力(ちから)を
呼(よ)び起こすんです!!

本来(ほんらい)、自分の中に
必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、
存在している。
その幸せになっていける仏(ほとけ)の生命を、
自分の中から呼び起こし、
自分の中から、強い強い生命力を、
湧(わ)き上がらせて、幸せになっていくんです。

神様や仏さまに、おすがりするのではなく、
本来、自分の中にある無限の力(ちから)を、
呼び起こしていく!

これが、創価学会での、『祈る』という行為なんです・・・!

その内から溢(あふ)れる『祈り』の結果として、
自分の生命が輝(かがや)き、蘇生(そせい)していく。
やがて、その蘇生した自分の生命の力によって、
さまざまな悩みを解決し、
夢や希望を、かなえて幸せになっていけるんです。

そして、蘇生(そせい)し輝いた自分の生命が、
まわりの環境や世界を照(て)らし、
環境や人、世界をも、
幸せに変えていくんです。

それが、創価学会の人たちの『祈り』なんです。

その自分の中から、
仏(ほとけ)の生命という無限の可能性と力(ちから)を、
湧(わ)き上がらせ、
自分の中から、悩みや問題を解決し、
自分の中から幸せを勝ち取っていけるのが、
創価学会の、南無妙法蓮華経を
となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!!

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 17:32│祈り │

2011年11月19日

HT082


まえに、自動車免許を、取りに、
教習所に行っていたとき、
適性検査みたいな、
心理テストのような問題が出されて、
やったことがある。

その中で、
「いままでに、死にたいと思ったことがあるか?」
という問いに、対して、
ぼくは、そんなこと言えるか!と思って、
『いいえ』に、チェックを入れました。

そしたら、あとから、先生に、
「人生に、一度や二度は、死にたいと思ったことは、
 だれだって、ある!
 だから、『いいえ』と答えた人は、
 本心を言わないで、ウソを、ついている!」

と言われてしまった。
けれど、「ごもっともだ!」とも、
思った(笑・・・)

前に、テレビで、
若い小学校教諭が、自殺したという、
ニュースを、やっていたのを
見たことがありました。

その若い教諭は、
「声が大きく、はつらつとした好青年で、
子供たちとも明るく接(せっ)していた。」
という。

そんな好青年が、なぜ、自殺したかは、
わからない。
専門家によれば、
突発性うつ病の可能性が、あるそうだ。
急に、モヤモヤとした、「死にたい!」という、
衝動(しょうどう)が、おそってくる。
そして、その衝動に、あまりにも、簡単に、
のってしまった!ということだろうか。

さきほどの話しに、戻(もど)りますが、
人間、生きていれば、
死にたいと思うようなことは、
一度や、二度は、あると思う。
(ぼくも、認めます・・・笑)
というか、人間は、
自分に苦難が、おそってくると、
気軽に、「あ〜〜、死にたい」と、
愚痴(ぐち)を、もらすような生き物かもしれない。
そういう、マイナスの衝動(しょうどう)は、
生きている以上、何度となく、
おそってくるだろう。

ぼくなんか、ほんとうは・・・・
軽い、愚痴っぽい、
「あ〜〜、死にたい」という感情だったら、
100回以上は、
あったかも、しれない・・・・。

けれど、今は、
創価学会に入っているので、
その時、まず、考えることは、
『生きる!』ということです。
どっちみち、生きなければならない!
マイナスの感情に、ひたっていて、
それで、問題が、解決し、幸せになれるのなら、
思う存分、マイナスの感情に、ひたっていればいい!
けれど、そんなことは、ありえない!
だとしたら、マイナスの感情に、ひたっていることは、
単なる時間の無駄(むだ)になってしまう!

そこで、頭を、切り替える!
「落ち着くんだ!。くさってはいけない!
 負けてはいけない!
 自分を、取り戻すんだ!」

そして、心の中で、
南無妙法蓮華経を、となえ始める。
そうすると、自分を見失(みうしな)った自分が、
我(われ)に返っていく。
そして、困難な状況を、
なんとか、乗り越(こ)えていくことが、できてきました!
もちろん、その状況が、
困難であれば、あるほど、
南無妙法蓮華経を、となえる時間と、数は、
増えていきます。
当然の道理(どうり)です。
いっぺん、南無妙法蓮華経を、となえて、
すべてが、ぱっと開けるようなことは、
めったにない!
ただ、南無妙法蓮華経の力は、はかり知れないので、
たった、いっぺんの題目(南無妙法蓮華経)を、
となえただけで、
ぱっと開けたという例も、あるようだ。

よく、創価学会の人に、
「何かあったら、南無妙法蓮華経を、
 となえるんだよ!」と言われ、
その時は、バカにして、
軽く流していても、
いざ、突発的事故や、病気、事件に、
見舞(みま)われた時、
創価学会の人に言われたことを、思い出し、
思わず『南無妙法蓮華経』と、となえ、
それによって、
九死に一生を得(え)たという体験を、持っている人は、
創価学会の人でなくても、
以外と、いるようだ!


さきほどの、自殺した若い教諭が、
なぜ、急に死を選んでしまったのか?

死を招(まね)くようなマイナスの感情に、
急に、おそわれたとしたら、
自分の生命の中に、マイナスの要素(ようそ)が、
何かの拍子(ひょうし)に、
インプットされてしまったのだろうか?

マイナスの要素が、インプットされたとすれば、
そのマイナスである不幸の要素を、
インプットした、根本原因が、
どこかに必ず、あるはずた!

その不幸の根本原因を、
仏法(ぶっぽう)では、『間違った宗教』にある!
と、解明(かいめい)している。
生まれてきた以上、その人には、
必ず、先祖がいる!
その先祖は、必ず、なんらかの、
宗教に、たずさわっている。
その宗教が、間違(まちが)った宗教である場合、
そのマイナスの要素は、
自分の生命にも、まあ、
ヘンな言い方をすれば、
引き継(つ)がれ、きざまれていく!
世間一般に、本当は、矛盾(むじゅん)だらけなのに、
広められている、
葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、神社信仰などは、
マイナスの要因(よういん)を作り、不幸の原因を作る、
マイナスの宗教と思って、間違いない。

そして、なにかの拍子(ひょうし)に、
フッと、そのマイナスの要素が出てきて、
その人を、不幸へと、落とし入れる。

生命とは、不思議(ふしぎ)といえば、不思議ですが、
間違った宗教が、
人間におよぽす、マイナスの影響力は、
大きい。

宗教なんか、関係ない!と、
笑っているような人でも、
「自分自身に、マイナス的要因、
マイナス的要素が、ある!」と、
思っている人は、
自分が、間違った宗教の悪影響を、
受けていると、思って、
間違いない!と思う。

実は、その人間の生命における、
マイナスの要因、マイナスの衝動、
決定的マイナスと言える病気や事故、事件など、
そのマイナスを、打ち破るために、
「真実の仏法(ぶっぽう)」である、
『南無妙法蓮華経』が、ある。
マイナスを、打ち破(やぶ)るために、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』

ぼくも、正直、
何かあったら、南無妙法蓮華経を、
となえる!ということを、
知っていなかったら、
おそらく、今、
生きていないだろう!と、
思うことが、本当はある。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

日蓮大聖人が、

『南無妙法蓮華経は、獅子吼(ししく)のごとし。
 いかなる病(やまい)、
 さわりをなすべきや』

と、言っている。

南無妙法蓮華経は、ライオンが、ほえるようなものだから、
南無妙法蓮華経を、となえたならば、
どんな病気であっても、
その人を、苦しめたり、危害(きがい)を加えることは、
できない!というような意味です。

これは、病気に、かぎったことではない。
さきほども言ったマイナスの衝動、
マイナスの事件や事故!
そのマイナスを、木っ端微塵(こっぱみじん)に、
打ち破っていく力(ちから)が、
南無妙法蓮華経には、ある!
ということだと思う。

そう考えると、
創価学会員であるということ。
南無妙法蓮華経を、となえられる!ということ。
『南無妙法蓮華経を、となえる』ということを、
知ってる!ということが、
どれだけ、幸せか、
長い人生を、思うと、
計(はか)り知れないものがある!と、
こころから、思える・・・・。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 13:01│悩み │

2011年11月14日

HT091


『突破口(とっぱこう)を開け!
 
 大誠実の力で!
 
 わが一生に燦(さん)たる

 「何か」を残せ!』

これは、まえに聖教新聞の、
「わが友に贈(おく)る」にあった文章ですが、
(わが友に贈るは、
 創価学会インターナショナル会長の池田先生が、
 毎日、聖教新聞に、のせてくれている、
 4、5行の短いメッセージです。)

自分が、ピンときたのは、
最後の「何かを、残せ!」
と、いうところです。

具体的内容のことを、残せではなく、
『何か』!
「何か」だったら、
すべての人が、自分に当てはめることが、
できる!
ものすごく、
柔軟性(じゅうなんせい)のある言葉だと思った。

すべての人が、勝利するためにあるのが、
仏法(ぶっぽう)。
すべての人の現実の生活に、
完全にマッチして、
その人らしい、その人だけの幸せを、
つかませてくれるのが、
南無妙法蓮華経の仏法!

ここに仏法のスゴサがあるように、
思えた。

それで、思い出したけど、
創価学会の人が、毎日、祈っている、
祈る対象である『ご本尊(ほんぞん)』も、
そうだと思った。

ご本尊は、仏(ほとけ)の生命、そのものを、
表現しきったものなんだけど、
この、ご本尊は、文字で表現されている。
真ん中に「南無妙法蓮華経」と、
仏の生命の根本の言葉が、書かれていて、
そのまわりに、一切衆生(いっさいしゅじょう)のなかにある、
単純に分けると、十種類の生命状態が、
書き表されている。

その十種類の生命状態を、
ちょっと、説明すると、

地獄界(じごくかい)(地獄のような生命状態)

餓鬼界(がきかい)
  (欲望に、とらわれた、
   本能的な生命状態)

畜生界(ちくしょうかい)
   (強い時は、いばり、弱い時は、
    卑屈(ひくつ)になるような
    畜生(ちくしょう/ けもの)の、
    生命状態)

修羅界(しゅらかい)
    (争(あらそ)い、怒る、たえず、他より、
    まさっていたいと思う生命状態)

人界(人間の平静な生命状態)

天界(何か、とっても、うれしいことがあり、
   天にも昇(のぼ)るような、うれしく、幸せな生命状態)

声聞界(しょうもんかい)
  (何かを勉強して、自分を向上させ、
   何かを、きわめようとする生命状態)

縁覚界(えんがくかい)(自分自身で、学ぶというより、
   何かのヒントや、インスピレーションによって、
   何かの真理(しんり)や、アイデアを生み出し、
   悟(さと)ろうとする、ヒラメキのような生命状態)

菩薩界(ぼさつかい)
   (子供を見れば、かわいく、いとおしく思い、
   おぼれている猫などを、見ると、
   助けてあげたいと思う、やさしくて、
   他のために行動するような、あたたかく、
   慈悲(じひ)深い生命状態)

仏界(ぶっかい)
  (強くて、あったかくて、やさしくて、
  歓喜していて、幸せで、どんなことにも負けない、
  すべてに打ち勝つことのできるような、
  仏(ほとけ)のような最強の生命状態)
  ☆この仏界の生命だけは、南無妙法蓮華経を、
  となえないと人間の生命から、わきあがってきません。


このように、人間の生命の中には、
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・
菩薩・仏、という、単純に言うと、
十種類の生命が、すべて、ふくまれていて、
その生命が、何かの縁(えん)によって、
自分の中から、出てきて、
その人の、その時の生命状態や、心理状態となって、
あらわれてきます。

『ご本尊』は、その、どういう生命状態の人の中にも、
南無妙法蓮華経という、
仏(ほとけ)の生命が、そなわっている!
ということを、表現しています。

単純に言えば、今、現在、
どんな環境、どんな境遇(きょうぐう)の人であっても、
仏の生命が、そなわっているから、
その最強で、最も幸せな仏の生命を、
出すことができれば、
どんな人であっても、幸せになっていける!
その原理(げんり)と、方法を、
だれにでも、簡単にできるように、
表現されているのが、
日蓮大聖人が、書き残された、
『ご本尊』なんです。

だから、『ご本尊』は、
すべての人に、合っていて、
すべての人に、マッチしている。
ようするに、すべての人の願いや、幸せを、
かなえる力(ちから)が、あるということです。

これが、もし、『ご本尊』が、
仏像(ぶつぞう)や、絵で表現されていたら、
仏は、たった、ひとつの形に、
とらわれてしまい、自分と適合(てきごう)することは、
ありません!
自分とは、かけはなれた仏(ほとけ)に、
おすがりする、「おすがり信仰」に、なってしまう。
それでは、人を愚(おろ)かにする、
間違(まちが)った宗教になってしまう。

文字で表現された『ご本尊』という、
具現化(ぐげんか)と、抽象化(ちゅうしょうか)の、
絶妙のバランス感覚!
このなかに、人間の生命を、
みごとに!表現したところに、
『ご本尊』のスゴサがあるように、
思う。

だから、ご本尊に、
南無妙法蓮華経を、となえる時、
ひとつの型に、はまった幸せではなく、
その人でしかできない、その人だけの幸せ、
その人に完全に適合(てきごう)しきった、
その人にとっての、
『何か!』を、実現することが、
できるようになっていきます。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

単純に言うと、
人間の生命には、
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・
天・声聞・縁覚・菩薩・仏、の、
十種類の生命状態が、ある。
仏法(ぶっぽう)では、その十種類の、
どんな生命状態の中にも、
同じように、幸せを開くことのできる、
最高に魅力的(みりょくてき)で、最高に強い、
仏の生命が、存在すると説きます。
その幸せを開くことのできる、最強の生命のことを、
『南無妙法蓮華経』と、いいます。

それは、
『南無妙法蓮華経』という、
幸せを開くことのできる最強の生命は、
すべての人間の中に、存在する!
ということを、意味します。

だから、どんな生命状態の人でも、
南無妙法蓮華経という、
最も幸せで、最も強い、
仏(ほとけ)の生命が、
自分の中に、存在するんだから、
自分の中から、
その『南無妙法蓮華経の生命』を、引き出せば、
だれでも、どんな人でも、
幸せになることが、できるわけです。

その仏(ほとけ)の生命を、
自分の中から引き出す方法が、
『南無妙法蓮華を、となえる!』
ということなんです!

その仏法における法則(ほうそく)と、
現実における実践方法を、
純粋に、的確に、実践(じっせん)しているから、
創価学会は、世界192ヶ国に広がり、
世界中の創価学会員の人たちが、
夢や希望を、かなえ、
現実に幸せを、つかむことができたんです。


最後に、かさねて言うようだけれど、
この最高に幸せで、最高に強い仏の生命は、
『南無妙法蓮華経』を、となえないと、
出てこない!!
だから、本当の意味での幸せを、つかむには、
ご本尊に、
この『南無妙法蓮華経』を、となえる以外ない!
ということだけは、
言っておきたいと思います・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 08:40│幸せ │

2011年11月10日

HT109


創価学会インターナショナル会長である、
池田先生が、なぜ?
世界の一流の識者たちと、友好の和を広げ、
世界中に、創価学会の理解者、支援者の和を広げ、
世界192ヶ国に、創価学会を、
広めることが、できたか?

それは、池田先生が、
ひとりの人間を、他のだれよりも、
大切にしたからだ!そうです。


池田先生は、1974年9月8日、
創価大学の創立者として、、初めてソ連の大地を踏(ふ)んだ。
出迎(でむか)えたのは、招へい(しょうへい)元である
モスクワ大学のホフロフ総長。

この初訪ソは、モスクワ大学の招(まね)きに
よるものだったそうです。
池田先生が、モスクワの空港に到着すると、
真っ先に出迎えてくれたのが、
モスクワ大学のホフロフ総長だったそうです。
 ホフロフ総長は、著名な放射線物理学者で、
とても不思議な人格の魅力(みりょく)にあふれた方だった。
そして、池田先生と、ホフロフ総長は、
強い強い、友情のきずなを、結(むす)ぶ。

1977年、ホフロフ総長は、
登山中の不慮(ふりょ)の事故で亡(な)くなられました。
ソ連では、無くなった人のために、
知人が、墓参りに行ったり、
亡くなった人の友人が、
その亡くなった人の家族のところに行って、
親交と、友情を結ぶような習慣は、
決して、ないそうです。

けれど、池田先生は、あえて、
亡くなられたホフロフ総長の墓前に行き、
心からの祈りを、ささげ、
また、ホフロフ総長の家族のところに、おもむき、
ホフロフ総長の2人の息子を、
心から、励(はげ)まして、親交を結んだそうです。
それ以来、池田先生と、故ホフロフ総長の家族との、
親交は続き、
今では、故ホフロフ総長の息子たちは、
日本と言えば、創価学会!
日本と言えば、池田先生!と、
断言するようになったそうです。

池田先生が、どれだけ、
一人の人間を、大切にしているか、
正直、ぼくにも、わからないので、
池田先生の話しを、そのまま、
のせたいと思います。

『当時、日本において、
ソ連に対するイメージは決してよくなかった。
社会主義陣営と西側諸国の間の
壁(かべ)を象徴(しょうちょう)する、
"鉄のカーテン"という言葉もあった。
マスコミの影響も大きかった。
 しかし、ホフロフ氏の人柄には、
そうした懸念(けねん)を
一掃(いっそう)する力があった。
出会う人の心を、がらりと変えてしまう力があった。
 思えば、モスクワのホテルで出会った
従業員の一婦人との、心温まる交流も忘れられない。
 人の心には、さまざまな先入観や偏見(へんけん)がある。
それらが、正しい理解や認識を
妨(さまた)げている場合が、あまりにも多い。
 そうした"心のカベ"を破るものは何か。
それは、温かな人間性であり、
開かれた対話であり、
どこまでも誠実な振る舞い(ふるまい)である。』

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

前に、聞いた話しだけれど、
池田先生は、まるで、
『激励(げきれい)マシーン』のような人だそうです。
人がいると、その人を、
励まさずには、いられない!
どんなに自分が、疲(つか)れていても、
体調が悪くても、
人がいると、励まさずにはいられない!
励まして、励まして、励ましぬく。

日本では、池田先生を、
まるで、教祖のように考えている人が、
いるみたいだけれど、
ぜんぜん、違(ちが)う!!
教祖は、信者から見ると、
あがめる対象であり、
「教祖さま〜〜〜!」といって、
まつりあげる。
だから、教祖は、信徒を、人間ではなく、
奴隷(どれい)にしてしまう。

池田先生は、逆だ!
人間を人間として、
まるで仏(ほとけ)のように、尊敬し、
励まして、励まして、励ましぬく。
だから、池田先生に会った人は、
励まされ、自信が、わいてきて、勇気がわいてきて、
人間としての尊厳(そんげん)に、目覚めていく!

人間が、人間を、引っ張っていく。
池田先生という人間を見て、
ぼくも、私も、ああ、なれるんだ!
なっていくんだ!と、
勇気と希望を持って、
人生に挑戦し、前進していける!

それが、池田先生という、存在だと思う。

その池田先生を、
世界の一流の人物たちは、
鋭(するど)く、見抜いています!
だから別に、創価学会員でなくても、
池田先生の行動と思想に注目し、
池田先生を人生の師匠(ししょう)と、
あおいでいる人たちが、
世界には、たくさん、います。

まして、ぼくたち創価学会員にとっては、
池田先生は、人生の師匠です!!

仏法(ぶっぽう)においては、『師匠』は、
人生を、人間として生きていくうえで、
とても大切で、とても深く、
とても峻厳(しゅんげん)な、
意味がありますので、
ぼくが話すのも、おこがましいですが、
あえて、創価学会でない人に説明するならば、
『師匠』は
知らない道を、迷(まよ)わないようにしてくれる、
『ナビゲーター』に、
似(に)ているかもしれません・・・。

まったく知らない道であっても、
素晴らしいナビゲーターがいると、
安心して、その道を進んでいける!

まったく、何が起こるかわからない
人生という道、
どんな苦難が、襲(おそ)ってくるか、わからない。
また、乗り越えていけるかも、わからない。

その最も困難(こんなん)な人生という道を、
安心して、進んでいけるようにしてくれるのが、
ナビゲーターだとしたら、
池田先生は、人生において、
希望と、勇気と、幸せを、
自分の行動と、励(はげ)ましによって、
絶えず、人々に送り続ける、
世界最高の人間ナビゲーターなんだと、
思う・・・・・・!

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 09:29│世界 │

2011年11月06日

HT015


まえに、テレビで、
家族5人を、殺害した男性の
プロファイルみたいなことを、
やっていたのを
見たことがありました。

その男性は、近所の人たちに聞くと、
だれもが、すごく、良い人だったと、
口をそろえたように言っている。
いつも、にこにこしていて、
やさしかったと・・・・。

けれど、大変な惨事(さんじ)を、起こしている。
よく、犯罪者と、回りの人たちから見た、
感じ方に、大きなギャップがあるときが、
ある。

その男性は、いつか、
母親を殺してやろうと思っていたと、
供述(きょうじゅつ)していたようです。

人間の心の闇(やみ)は、わからない。
また、はたから見て、とても良い人であっても、
どうして、そんな惨事(さんじ)を、
起こしてしまうのか?
それも、わからない。

人間の心理、
人間の行動、
人間の中にある闇(やみ)、
どんなに科学が、発達しても、
人間の心を、解明することは、
できないのだろうか?

仏法(ぶっぽう)では、そういう、どうにもならないような、
その人の持っている宿命のようなものを、
「宿業(しゅくごう)」という。
その人の生命に宿(やど)っている業(ごう/宿命)。
その人の深層心理のなかに、
どうして、そんな人も自分も、
不幸にするような心理が、宿(やど)っているのか?
考えれば考えるほど、わからない!

仏法では、その宿業(しゅくごう)とも言える、
深層心理にまで、言明(げんめい)している。
なぜ?人間は、不幸になる心を宿(やど)し、
不幸になる行動を、してしまうのか?
その原因を、仏法は、
『間違った宗教にある!』と、
明確に言い切っている!

人は、だれでも、生まれたからには、
先祖があり、その先祖を、たどっていくと、
必ず、なんらかの宗教に、かかわっている。
その宗教が、間違(まちが)った宗教である場合、
自分には、関係ないと思っていても、
あるとき、間違った宗教は、
その宗教が、間違った、
人を不幸にする宗教であるがゆえに
不幸な考え方、不幸な行動として、
深層心理の中から、
必ず、出てくる時がある!

たとえば、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と、
となえる、念仏(ねんぶつ)宗(浄土宗、浄土真宗)。
この念仏宗は、この世では、幸せになれないから、
極楽浄土(ごくらくじょうど)という、
あの世で、幸せになるという、
完全な現実逃避(げんじつとうひ)の宗教です。
だから、念仏宗の家系では、
何かあると、すぐ現実逃避してしまい、
また、死にたくなってきます。
そして、実際に自殺者が、多く出ます。
だいたい、自殺する人は、
その人の家系が、念仏宗で、
その人の深層心理では、この念仏宗が、
悪影響を、およぼしていることが、
多いと思う。
そして、念仏宗は、
『念仏無限地獄』と言って、
ちょっと良くなったと思ったら、ドーンと落ちて、
また、ちょっと良くなったと思ったら、
ドーンと落ちることの連続で、
まさに、地獄(じごく)のような人生になっていきます。


宗教というものは、気づかないようでいて、
ほんとうは、すごく、こわい。
間違った宗教は、宿業となって、
病気にしろ、事件にしろ、
さまざまな不幸を、呼び起こす。

だから、宗教なんて、関係ないと、
バカにしていても、
深層心理の根源(こんげん)の部分では、
宗教は、自分の人生に、
大きな影響を、およぼしている。
それが、間違った宗教の、
恐いところです。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

この間違った宗教の、
悪(あ)しき影響を、断(た)ち切る方法は、
ひとつしかない!
それは、本当の正しい宗教に、つくことです!

はっきり、言うと、
創価学会が、実践(じっせん)している、
真実の仏法(ぶっぽう)である、
南無妙法蓮華経の仏法を、実践すること。
それしかない!

性急(せいきゅう)なようだけれど、
これだけは、本当に、
それしかない。

そのことを、明確に見極(みきわ)め、
正しい仏法を、実践してきたから、
創価学会の人たちは、
さまざまな不幸や、悩みを、
逆転して、幸せになっていけたんだと思う。

バカにする人は、
バカにすると思うけれど、
別に、バカにしても、しょうがない。
これは、本当のことだからだです!
本当は、宗教は、人の幸、不幸を決める、
決定的な部分を、しめている!!

それは、実際に、
創価学会が、実践している、
南無妙法蓮華経の、
真実の仏法を、実践してみないと、
わからないかもしれない・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 17:05│こころ │

2011年11月01日

HT058


このまえ、
ある創価学会の会合があって、
その時に、ある壮年の人が、
話してくれたんだけど、
その人のお母さんも、創価学会員なんだけど、
そのお母さんが、言うには、

「最近、幸せだと思うのは、
 ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえて、
 いろいろ、祈るんだけど、
 最近は、自分のことを、祈らなくてよくなった!
 それが、なにより、幸せだと思う。」

と、言っていたそうです。

※ちなみに、ご本尊(ごほんぞん)とは、
創価学会が祈る対象として信じている本尊で、
紙などに、すべて文字で描かれた曼荼羅(まんだら)です。
それは、日蓮大聖人が、
仏(ほとけ)の生命そのものを、表現したものであり、
また、自分の生命そのものを表現したものでもあり、
その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、
自分の中に、すべての人間の中にあることを、
あらわしたものが、ご本尊です。

だから、そのお母さんが、
ご本尊に、祈ることは、
人のこと、ばっかり!
人の幸せ、地域の幸せ、世界の幸せ!
それが、なによりの心配事であり、
興味の中心だと、いうことだと思う。

創価学会では、よく、『境涯(きょうがい)』
という言葉を、使うけど、
この、お母さんは、ほんとうに、
境涯が、大きいと思う。
きっと、人の幸せ、地域の幸せ、世界の幸せを、
自分の幸せと、感じているんだと思う。

境涯が、小さいと幸せも、小さい。
自分のことしか、考えられない。
だから、せま〜〜い幸せしか、
感じることができない。
境涯が、大きいと、幸せも大きい。
人のことを、世界のことを、
まるで、自分のことのように、
喜び、幸せを、感じることができる!

もちろん、それだけでは、いけないと思う。
自分の悩みや、問題がある場合は、
しっかりと、その悩みや問題に立ち向かい、
解決していく!
そのために、ご本尊があり、
そのために、南無妙法蓮華経を、となえる!

けれど、また、それだけでも、いけない。
なぜかというと、
人のこと、世界のことを、祈っていかないと、
境涯が、大きくならないからだ!
境涯が、大きくならないということは、
幸せも、大きくならないということです。
だから、人のこと、地域のこと、
世界のことを、祈っていくことも、
ものすごく、大切!

けれど、不思議(ふしぎ)なことに、
ご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえていると、
はじめは、悩みが、いっぱいあって、
自分のことしか、祈っていないのに、
それが、だんだん、変わってきて、
人のことを、真剣に祈れるようになってくる!
幸せのレベルが、違(ちが)ってくるということだと、
思う。
不思議だけれど、南無妙法蓮華経には、
人間の境涯(きょうがい)を、開く力がかる!

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、
まえに言っていた。

『ご本尊に祈るのに、祈り方なんてない!
 自分の思うがままに、祈ればいい!』

人間の、どんな思いも、ありのままに、
受け止め、それを、最高に良い結果として、
出してくれるのが、ご本尊であり、
また、それが仏法(ぶっぽう)だと思う。

もちろん、自分が祈った内容とは、
違う結果が、出ることもある。
けれど、幸せという観点(かんてん)から見ると、
その時は、わからなくても、
最高の結果が、出てきたことが、
あとになって、わかることが、よく、ある!

それが、
南無妙法蓮華経の不思議なところです。
祈ったとうりのことが、かなったら、
幸せにならない場合は、
祈った通りには、ならないで、
別の結果が出る!
しかも、それは、幸せということから、
考えると、最高の結果が、出ている!

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

幸せとは、なんだろう?と考えていくと、
ほんとうに、難(むずか)しい!
自分の願いが、かなったら、幸せだ。
でも、自分だけの願いが、かなっても、
他の人たちが、不幸だったら、
あんまり、幸せでないかもしれない。

人も、自分も、幸せにしていけるのが、
仏法(ぶっぽう)です!
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
祈っている内容は、どうであれ、
自然と、人も、自分も、幸せになる方向に、
進んでいける!
これが、自分だけの幸せだったら、
幸せは、小さい。
けれど、創価学会が、実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経の仏法は、
絶対、そうはならない!
自分も、人も、世界も、幸せになっていく。
だから、スゴイ!
だから、ほかの何よりも、
本当の幸せを、心から、感じることができる!

こういうのを、『歓喜(かんき)』という。

だから、日蓮大聖人は、
『南無妙法蓮華経は、歓喜の中の、大歓喜なり!』
と、言ったんだと、思う・・・・!

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 09:25│幸せ │