2012年04月

2012年04月30日

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この前、ビデオで、
攻殻機動隊というアニメを、
見ていたら、
過去の偉大な指導者として、
「ガンジー」「キング」の名前が、
出ていた。

知っての通り、ガンジーは、
インド独立(どくりつ)の父で、
非暴力運動によって、
インドの民衆を、開放した。

また、アメリカの、
マーチン・ルーサー・キングも、
ガンジーの非暴力運動に、影響を受け、
非暴力(ひぼうりょく)による、公民権運動を展開して
黒人たちを、開放していった。
「わたしには、夢がある」という、
演説は、とても、有名なようだ。

アニメにも、
その名前が出てくるくらいだから、
日本でも、
ガンジー、キングが、
偉大(いだい)な人間であることは、
広く、認められているようです。

けれど、世界では、
非暴力の、偉大なる人間指導者として、
ガンジー、キングに、
もう一人、『池田大作』の名前を、
並べて、あげている人が、多い!

池田大作は、
創価学会のインターナショナル会長ですが、
世界の、鋭(するど)い、有能な、一流の人物たちは、
こぞって、
池田SGI会長の(創価学会インターナショナル会長の)
行動と実績、哲学(てつがく)を、
最大の賛辞(さんじ)をもって、絶賛している。

世界は、鋭い!
世界は、本物しか、認めない!
その本物たちが、
心の底から、尊敬し、たたえているのが、
創価学会のインターナショナル会長である、
池田先生です!

アメリカでは、
キリスト教のトップの人物が、
仏法(ぶっぽう)の指導者である
池田先生を絶賛(ぜっさん)して、
当然、創価学会員ではないけれど、
世界各地で、
「ガンジー、キング、池田大作展」という、
展示会を、開催している。
日本でも、いろいろなところで、
開催されました。

また、創価学会の初代会長は、
「牧口常三郎(まきぐちつねさぶろう)」
二代会長は、「戸田城聖(とだじょうせい)」
そして、三代会長が、
『池田大作』先生なんだけど、
世界の各地には、
創価学会の三代会長の行動と実績を、
たたえて、
「牧口常三郎通り」とか、
「戸田城聖通り」とか、
「池田大作通り」「池田大作公園」とかの、
名前が付いた、公園や道路が、
不思議(ふしぎ)といえば、不思議だけれど、
世界各地に、できている!

こういうものは、公的なものだから、
国や、市や町の議会とかで、
満場一致(まんじょういっち)の賛成を、
得(え)ないかぎり、
名前をつけることが、できないので、
池田SGI会長、あるいは、
創価学会の三代の会長が、
人道的に、どれだけ、尊敬され、認められ、
讃(たた)えられているかが、
よく、わかる!

世界のある有名な歴史書には、
すでに、「池田大作」の名前と実績が、
たからかに、のせられているようです。
また、中国の教科書には、
池田先生が、書いた書物の一部分が、
のせられていたりします。
ほかにも、池田先生の功績を、たたえ、
紹介している書物が、世界には、たくさんあり、
増え続けている。
池田先生への関心と創価学会への期待が、
どれだけ大きいかが、わかると思う。

中国といえば、
戦争とかで、日本を、かなり強烈(きょうれつ)に、
非難していた国であるだけに、
池田先生に対する尊敬の度合いが、
どれだれ、大きいかが、
うかがわれる。
2007年の、日本での、
池田先生と温家宝総理の会見や、
2008年の胡錦濤国家主席との会見は、
中国首脳の池田先生への尊敬と信頼が、
どけだけ大きいかを、
明確に、物語っている。

また、中国の、思慮(しりょ)深い、有識者の間では、
日中国交正常化を、実現した、
真実の功労者(こうろうしゃ)は、
池田先生だ!と認められている。
また、それは、その通りであり、
正しいです。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

世界の池田先生に対する評価は、
あまりにも、高い!!
また、その池田先生が、指導している
創価学会の評価と、期待も、大きい。

それにたいして、
日本が、どれだけ、
池田先生を、評価しているか?
見る目のある、優秀な人物も、いるけれど、
日本の島国根性と、
もうけることしか、考えていない、
心の小さなマスコミや、政治家、
真実が見えない、また、
見えていても、認めようとしない、
日本人の心の小ささ、愚(おろ)かさが、
身(み)にしみて、わかる気がする・・。

ソ連の元大統領のゴルバチョフ氏が、
日本の経済界の代表と懇談(こんだん)したとき、
ゴルバチョフ氏は、
日本の経済界の代表の方々に、言っていた。

「私は、池田氏と対談集を出しているが、
 読んだことがあるのか?
 池田先生は、私の親友だ!!

 日本人は池田氏を過少評価している!
 池田氏は、大変、立派な人物である。
 偉大な世界の指導者である!
 ロシアには『預言者(よげんしゃ)は、
 祖国には容(い)れられない』という
 諺(ことわざ)があるが、
 偉大な人は誰(だれ)でも
 国内では理解されない・・・。」


たしかに、そうかもしれない・・・。
けれど、
世界主導型では、あるけれど、
日本も、世界を、みならって、
池田先生を、心から、認め、
賞賛(しょうさん)できるようになる時代も、
いずれは、来るのではないかと、思っている。
(また、徐々(じょじょ)に、そうなってきていると思う)

それは、当然なのだろう。

なぜなら、真実は、だれにも、
かくせないからです・・・・!

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 13:13│世界 │

2012年04月26日

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先日も、話しましたが、
創価学会には、興味(きょうみ)はないし、
仏法(ぶっぽう)にも、興味はないし、
宗教なんかには、興味はない。
・・・そう、言われる場合がある。

創価学会は、仏法を実践(じっせん)する、
宗教団体だから、
仏法(ぶっぽう)を、具体的に実践するために、
日蓮大聖人が、残された曼荼羅(まんだら)
の『ご本尊(ごほんぞん)』に、
日々、南無妙法蓮華経を、となえています。

どういうことかというと、
ご本尊というのは、
仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしています。

仏(ほとけ)の生命というのは、
強くて、やさしくて、
歓喜(かんき)していて、幸せで、なにものにも負けない、
どんな困難も乗り越(こ)えていける、
無限の創造力とエネルギーを有(ゆう)した、
幸せと勝利をもたらし、つかんでいける、
最強無敵(むてき)の生命だと、
表現できます。

そして、その仏の生命を引き出していけたなら、
どんな悩みも解決でき、
どんな困難(こんなん)も乗り越えて、
幸せになっていけるわけです。

それは、だれもが望んでいることです。
だれもが、求め、必要としているものです。

人は、そのような生き方を望み、
恋い焦(こ)がれ、生きているといっても、
間違(まちが)えではないと思う・・。

では、その、
歓喜していて、幸せで、なにものにも負けない、
どんな困難も乗り越えていける、
無限の創造力(そうぞうりょく)とエネルギーを有した、
幸せをもたらし勝利していける、
最強無敵(むてき)の生命は、
いったい、どこにあるのだろうか・・・?

実は、それは、
どこでもない・・、
自分自身の中にある・・!

だから、本当は、
歓喜していて、幸せで、
どんな困難も乗り越えていける、
無限の創造力とエネルギーを有(ゆう)した、
最強無敵の生命とは、
自分自身のことなんです・・!

さきほども言ったように、
その、最強無敵の生命のことを、
「仏(ほとけ)の生命」と言います。

そして、その「仏の生命」は、
自分自身の中にあり、
自分自身の中から、その仏の生命を引き出していけば、
幸せになるわけです。

外になにかを求めるのではなく、
自分の中から、幸せの宝(たから)、
勝利と幸せの源泉(げんせん)を、
湧(わ)き上がらせていけばいいわけです。

そんなこと言ったって、
そんな難(むず)しいこと、できた話しではない・・。

仏の生命を引き出すと言ったって、
方法がわからないし、どうしようもない・・。

幸せを開くドアが、どこにあるのか、
パスワードも鍵(かぎ)もわからない。

だから、途方(とほう)にくれてしまう。

だから、人は、悩み、苦しむ結果となる。


結論から言うと、
すべての人の中に、仏(ほとけ)の生命はある。

けれど、その仏の生命を開くドアがわからないし、
パスワードも鍵もない・・。

だから、人生に不幸がつきない。

実は、
そのドアと鍵の役割(やくわり)をはたすのが、
ご本尊と、南無妙法蓮華経なんです。

ご本尊は、幸せを開くドアのようなものです。
そして、南無妙法蓮華経は、
幸せのドアを開くパスワードであり、鍵です。

その幸せを開くドアであるご本尊に、
幸せのパスワードである、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
ドアが開き、
悩みを解決できたり、夢や希望をかなえたりして、
幸せをつかんでいけるわけです。

的(まと)を得(え)ているか、わかりませんが、
これが、創価学会の人たちが、
ご本尊に、南無妙法蓮華経をとなえて祈る理由だと、
イメージしてください。


はじめのテーマに戻(もど)ると、
よく、言われる、
私は、創価学会にも、宗教にも、
興味はない!
だから、創価学会も、ご本尊も、
そんなものは、必要ない!ということだけど、

それでは、はたして、
創価学会が、実践している、
南無妙法蓮華経を、となえるという、
仏法の信仰も、
また、祈る対象として、具現化(ぐげんか)した、
ご本尊も、必要がない人間は、
いるのだろうか?


答えは、「ノー」です。

南無妙法蓮華経というのは、
一宗派(しゅうは)だけにしか通用しない、
狭(せま)い範囲(はんい)だけに通用するような、
かたよった思想ではない。

すべての人に共通する法則(ほうそく)が、
南無妙法蓮華経です。

たとえば、宇宙は動いている。
なぜ、動くのか?なぜ、誕生するのか?
なぜ、滅(ほろ)んでいくのか?
それは、わからないかもしれないけれど、
そこに宇宙の法則は、存在している。

その宇宙の法則が、南無妙法蓮華経なんです。

生命は、生まれ、成長し、やがて年老い死んでいく。
なぜ、そうなるのか、わからない。
けれど、生命の法則が、確実に存在している。

その生命の法則が、南無妙法蓮華経なんです。

生命も宇宙も、すべてを動かし、変化させている、
そのおおもとのエネルギー、
おおもとの力(ちから)であり法則が、
南無妙法蓮華経です。

だから、南無妙法蓮華経は、
人間の生命の法則そのものだと、
言うことができます。

南無妙法蓮華経は、
人間の生命の法則そのものなんだから、
その南無妙法蓮華経の法則に逆(さか)らえる人は、
当然、いないことになります。

また、南無妙法蓮華経は、
生命を動かし変化させる、おおもとのエネルギーであり力なんだから、
その「南無妙法蓮華経」を必要としない人も、
いないことになる。

だから、創価学会が実践する、
南無妙法蓮華経の仏法を、必要としない人は、
本当は、世界に、
ひとりも、いないことになる。
そして、必然的(ひつぜんてき)に、
具体的な祈る対象として、
ご本尊も、必要となっていきます。

それを必要ない!と言っているのは、
知らないだけであり、
また、知ろうとしていないだけであり、
さまざまな我見(がけん)やポリシーに、
執着(しゅうちゃく)するあまり、本当に必要なものが、
見えないし、わからない・・・。
また、体験していないから、
実感(じっかん)として、理解できないだけだと思う。

だから、おそらく、
過去の偉大(いだい)な精神を持った偉人たちが、
この創価学会が実践する、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、
もし、知ったならば、
飛(と)びついて、実践したことでしょう・・。



だいたいにおいて、宗教というと、
そんなものは、うざいし、
必要ない!と考えやすいですが、
では?、自分にとって、
自分は、必要ですか?
と、聞けば、
必ず、必要だ!と答える。

それは、そうです。
なぜなら、自分の存在という、
自分の生命が、なかったら、
楽しむことも、喜ぶことも、
遊ぶことも、命を賭(か)けることも、
挑戦することも、笑うことも、
泣くことも、できない!

どういうことかというと・・・、
自分の生命から、避(さ)けることのできる人は、
ひとりも、いない!ということです。



さきほど、仏(ほとけ)の生命は、
自分自身の中にあると言いましたが、
その「仏の生命」とは何かと言ったら、
それが、「南無妙法蓮華経」なんです。

だから、仏の生命が自分自身の中にあるということは、
自分の中に、「南無妙法蓮華経」がある!
ということです。

だから、自分の生命の核(かく)となるものが、
南無妙法蓮華経なんです。

そして、さきほど、
南無妙法蓮華経とは、
宇宙の法則であり生命の法則だと、
言いました。

ということは、
南無妙法蓮華経は、自分の中にあり、
しかも、それが生命の法則だということは、
南無妙法蓮華経とは、
「自分自身の法則」だ!ということです。

自分の中に、南無妙法蓮華経があり、
自分の中に、
南無妙法蓮華経という法則がある。



たとえば、かりに・・・、
自分の生命が、
宇宙にフワフワ、浮(う)いているとします。
その自分の生命の真ん中に、
『ドーン!』とあって、
まるで、太陽のように輝(かがや)いてるもの、
それが、『南無妙法蓮華経』だと、
思っていいと思う。

自分の生命の本質(ほんしつ)にあって、
最も大切なもの!
それが、『南無妙法蓮華経』なんです。
だから、『南無妙法蓮華経』は、
自分の外にあるのではなく、
自分の生命の中に、確実に、しっかりと!
存在しているんです・・。
しかも、この『南無妙法蓮華経』は全宇宙にもあり、
全宇宙を表現したものが、
『南無妙法蓮華経』でもあるんです。
小宇宙である自分の生命も、『南無妙法蓮華経』であり、
無限の大宇宙も、その本質の生命は、
『南無妙法蓮華経』なんです。


さきほど言ったように、
自分の生命から、避(さ)けることのできる人は、
ひとりも、いない!
その自分自身の生命の本質が、
『南無妙法蓮華経』なんだから、
その自分の生命そのものと言える、
『南無妙法蓮華経』から、
避けることのできる人は、
ひとりも、いないことになります・・。

いわば、自分にとって、
絶対に避けられないものが、
自分の生命の本質である『南無妙法蓮華経』であり、
おのずから、その本質の法則である、
『南無妙法蓮華経の法則』なんです。

普通に考えて、
自分自身の生命の法則から、
のがれることのできる人は、いないでしょう・・。
その『自分自身の生命の法則』が、
『南無妙法蓮華経』です。

単純に考えれば、
自分の生命を、ひとことで、
言い表(あら)わしたものが、
『南無妙法蓮華経』だと、思っていいと思う。
そして、『ご本尊』は、
自分の生命を、具体的に、わかり、
認識(にんしき)するために、
具現化した、自分の生命の鏡(かがみ)だと、
言っていいと思います。
それが、『ご本尊』!!

だから、『ご本尊』も、
『南無妙法蓮華経』という、
生命の法則も、
あきらかに!
自分と、関係ないものではない!
しかも、この『南無妙法蓮華経』の法則こそが、
自分の生命の、自分の人生の、
幸不幸を決定づける、
決定的な法則であり、力(ちから)なんです!
だから、本当は、
自分の人生にとって、最も大切で、
最も重要な行動が、
『ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえる』
ということなんです。


最初のテーマにもどれば、
創価学会が実践する、
南無妙法蓮華経の仏法も、ご本尊も、
決して必要ないものではない!!
逆に、もっとも、
自分に関係あるのも!
最も、自分と、密接(みっせつ)なもの!
宇宙と自分を、直結的に結(むす)び、
感じることができる、
大切な大切な、自分の生命であり、
幸福を決定づける決定的なもの!

その、
自分の未来の、勝利と幸福を
決定づける、決定的な存在(そんざい)が、
『南無妙法蓮華経』であり、
『ご本尊』だと思う。

もっと、遊びたいし、
もっと、楽しみたいし、
もっと、幸せになりたいし、
もっと、輝(かがや)きたいし、
もっと、もっと、希望や夢を、かなえたい!

その本来(ほんらい)の自分自身の生命が、
『南無妙法蓮華経』なんです。
だから南無妙法蓮華経は、実は、
大切な大切な、もっとも、輝かしい、
自分自身だと、思っていいと思う。

そして、本来の自分の生命そのものを、
表現したものが、『ご本尊』!

この本来の自分の生命である、
『南無妙法蓮華経』が、
自分と関係ないし、興味がないなんてことは、
本当は、ありえない!!

また、人は、鏡(かがみ)がないと、
自分を見ることが、できない。
鏡が、ないと、
自分が、わからないし、
化粧(けしょう)も、オシャレも、できない!

それと、同じように、
自分の生命は、ほんとうは、
こんなに、素晴らしく、すごいんだ!!
と、自分で、自分に、わからせるために、
自分の生命の鏡である、
『ご本尊』も、
生きていく上で、
必要不可欠(ひつようふかけつ)となっていく!

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

自分が、持っている、
めくるめく想(おも)い!
その大切な、海のように、空のように、
広く、自分自身の希望を、
すべて、持ち合わせた、
無限のエネルギー体!

その無限のエネルギー体が、
自分だとしたら、
そのエネルギー体の、
本来の姿が、南無妙法蓮華経だと、思う。

すなわち、
南無妙法蓮華経は、
最高に強くて、最高に、あたたかくて、
最高に楽しく、幸せな、
『自分自身そのもの』だと、思う。

その最高に強くて、最高に、あたたかく、
最高に楽しく、幸せな、
『自分自身そのもの』を、
引き出す方法が、
『南無妙法蓮華経を、となえる』
ということなんです!!

だから、南無妙法蓮華経を、
となえることを、必要としない人は、
世界に、ひとりも、いない!
なぜなら、最高の自分を、欲(ほっ)しない人は、
世界に、ひとりも、いないからです!

その最高の自分が、
『南無妙法蓮華経』です。
だから、南無妙法蓮華経を、となえると、
自分の本当の姿、
最高の自分が、
さまざまな形や、現象(げんしょう)となって、
自分自身の中から、
出現してくる!

だから、
自分が生きていることを、感じるために、
自分を必要としない人は、いないように、
南無妙法蓮華経を、となえるということを、
必要としない人は、
世界に、ひとりも、いない!!!
ゆえに、真に、
南無妙法蓮華経の仏法を実践する、
創価学会を、必要としない人も、
また、『ご本尊』を、必要としない人も、
ほんとうは、世界に、ひとりも、いない!!!

それほど、
仏法(ぶっぽう)は、スゴイし、
それほど、南無妙法蓮華経の仏法は、
理(り)にかなっていて、
すべての人に、結果と幸せを、もたらす!

インドのガンジーも、
最終的には、そのことが、
わかって、
南無妙法蓮華経を、となえていた!
そうです。
また、世界192ヶ国の人たちが、
創価学会員として、
南無妙法蓮華経を、となえている!
絶対に、うらぎらないし、
絶対に、ウソがなく、
絶対に、幸せを、もたらす法則。

それが、自分自身の生命の法則であり、
もっとも、自分にとって、
かかわりが、深い、
本当は、自分が、もっとも、興味を、
いだかなければならない、
南無妙法蓮華経の仏法だと、思う。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 09:18│幸せ │

2012年04月21日

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友達とかに、
創価学会の話しを、すると、
「創価学会にも、宗教にも、興味(きょうみ)はないし、
 自分にとって、価値(かち)も、必要もないものだ!!」
とか、言われたりする場合がある。

「敬(うやま)うのは自分の先祖(せんぞ)であり、
 大切にしたいのは家族であり、
 友達であり自然であるから、
 創価学会も、宗教も、必要ない!」

みたいなことを、言われたりしたこともあった。

確かに、そうです。
普通に考えて、宗教に興味がある人なんて、
まず、いない!
興味があるのは、自分に、
密接(みっせつ)に、かかわりのあるものです。

自分の大切な家族、
大切な友達、
大好きな、自然、
自分が好きで興味があるもの、すべて。
そして、
もっと言えば、自分の幸せ!

ようするに、
自分の幸せと、宗教とは、
まったく、関係ないもので、
自分の幸せと、宗教とは、
いっさい、結(むす)びつかない、
かけ離(はな)れた、くだらないものが、
宗教だと、言いたいんだと思う。

確かに、それは、
よく、わかる!
なぜなら、
何十万とある宗教の、
99.9%、ほとんどが、
自分の幸せとは、まったく、結びつかない、
くだらない宗教だからです。

自分の知っている宗教が、
ほとんど、くだらない、
エセ宗教だから、
そう思うのも、理(り)に、かなっている。

けれど、ほんとうは、
そういう宗教は、宗教とは、言わない。
そういうものを、
『邪宗教(じゃしゅうきょう)』と、いう。

ただし、くだらないと、言っても、
その邪宗教は、人に、
さまざまな、悪影響を及(およ)ぼす。

詳しいことは、はぶくけれど、
たとえば、先祖を、敬(うやま)うというけれど、
それも、宗教です!
そこには、必ず、
その人が、嫌(きら)っているはずの宗教、
もっと言うと、
『邪宗教』が、かかわっていたりする。
邪宗教というのは、人を、不幸にする。
これは、一般的に考えても、
だいたいの人が、よく、わかると思う。
ようするに、邪宗教は、その人の人間らしさ、
人間性を破壊(はかい)し、かたよった、
おかしな人間にしてしまう。
これも、よくわかると思う。
だが、邪宗教の悪影響は、それだけではない。
邪宗教の影響(えいきょう)で、
自分の心や生命が、かたよった、
おかしなものになってしまった結果として、
自分の人生を破壊し、また、病気など、
自分の生命そのものを、
破壊する結果になってしまうからです!

結論からいうと、人生における、
さまざなな不幸、病気や災難、絶望などは、
間違った邪宗教から、起こるといって、
間違(まちが)いはない!

不幸の根源(こんげん)には、必ず、邪宗教がある。


さて、宗教に興味がないと言っている人たちも、
先祖を、うやまったりはしています。
ところが、そこには、かならず、
宗教が、からんでくる。
その宗教が、邪宗教だったら、どうだろう?

正直に話せば、日本にはびこっている、
葬式仏教(そうしきぶっきょう)、神社信仰、観光宗教などは、
でたらめの間違ったことをやっていますから、
人を不幸にする邪宗教だと言えます。

話しをもどすと、
いくら先祖をうやまうと言っても、
その宗教が、邪宗教であったならば、
先祖を、敬う(うやまう)どころか、
先祖も、自分も、
不幸に、引きずり込(こ)んでいる!
というのが、本当のところです。

わからないようで、ほんとうに、
厳密(げんみつ)で、きびしく、
科学のように、
はっきりと、結果が出てくるのが、
宗教だからです。

実は、宗教は、
知らず知らず、
自分の人生に、影響を与(あた)えている!
さっきも言いましたが、ほんとうは、
不幸の根源は、間違った宗教にある!
と、言い切ることが、できる。


こんどは、逆に、
真実の宗教(正しい宗教)の必要性について、
考えてみたいと思います。

問題は、
先祖を、本当に、敬(うやま)うには、どうしたらいいのか?
家族を、本当に幸せにするには、どうしたらいいのか?
友達を、自然を、愛し、大切にするには、
本当は、どうしたら、いいのか?

ということです。
そのすべてを、実現する、
真実の行動、生き方、方法が、
仏法(ぶっぽう)には、説かれている。

なにも、葬式仏教みたいに、
説教(せっきょう)めいたことを言うのが、
仏法ではない。
そんなものは、エセ仏教です。

ようするに、
もっともっと、
先祖を大切にしたいし、
家族を、大切にしたいし、幸せにしたい。
もっと、もっと、
友達を大切にしたいし、自然を、大切にしたい!

そのためには、どうしたら、いいのか?
現実の自分と、
最も、密接(みっせつ)に、かかわっているもの!
それらを、もっと幸せにしたいし、
幸せを、感じたい!!
そのことを、確実に、100%、
実現してくれるもの!
それが、実は、仏法(ぶっぽう)であり、
『南無妙法蓮華経を、となえる』ということであり、
創価学会が、実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経の仏法の信仰です。

宗教に興味あるから、
ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経を、
となえるんではないんです。

『ご本尊(ほんぞん)』とは、
仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたもだけれど、
それは、そのまま、
自分の生命そのものを、あらわしてもいる。
自分自身の生命の中に、
その、必ず幸せになっていける、
仏(ほとけ)の生命が、そなわっていることを、
あらわしたものが、ご本尊です。

どういうことかというと、
自分自身の生命に、必ず、幸せになっていける、
仏(ほとけ)の生命が、そなわっているので、
そのことを表(あらわ)したご本尊に、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
その仏(ほとけ)の生命が、
自分の中から、引き出され、
その結果、
必ず、幸せになっていく!ということです。

それが、ご本尊です。

だから、ご本尊は、
自分の生命の鏡(かがみ)のようなものなんです。

ご本尊は、自分の生命をうつす鏡だから、
そのご本尊に対(たい)した時、
自分の中にある無限の可能性、
勇気、希望、幸せになる、あらゆる力が、
写(うつ)し出され、
それを、無意識(むいしき)のうちに、
認識(にんしき)できるようになってくる。

そして、そのご本尊に
南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、
自分の中から、勇気や希望、
幸せになる、あらゆる可能性と力が、
湧(わ)き上がり、
引き出されていくんです。

そして、それは結局(けっきょく)、
最高の幸せを、もたらす結果となります。


だから、ご本尊に、
南無妙法蓮華経を、となえるのは、
自分に、家族に、友達に、
世界に、自然に、
最大の興味が、あるからであり、
最大の興味である『幸せ』に、
最も、直結(ちょっけつ)しているから、
ご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえるんです!

そして、『南無妙法蓮華経』は、
だれもが望み大切にしたいと思っている、
人間として尊(とうと)ぶべき心と、人間らしい生命を、
自分の中から、
最大に、引き出し、輝(かがや)かせ、
もっとも、人間らしく素晴(すば)らしい、
『自分が、最も大好きな自分』を、
引き出してくれるんです。


ほんとうは、人間として、
最高の人間であろう!とすること、
そのものが、
『南無妙法蓮華経を、となえる』
と、いうことだと思います。

だから、
宗教嫌(ぎら)いの人が、よく言う、
『自分を、信じる』とは、
どういうことかと言えば、
本当は、
自分自身の生命の鏡(かがみ)である、
『ご本尊』に、
『南無妙法蓮華経を、となえること』そのものが、
自分を、本当に信じることに、ほかならない!
と、言い切れる。

自分を、信じると言っても、
ご本尊を否定(ひてい)し、
南無妙法蓮華経の仏法を、否定すれば、
それは、結局、自分否定になり、
自分を、信じないことに、なってしまうからです。

だから、自分を信じたいのならば、
また、家族や友達、自然や世界を、大切にしたいならば、
本当は、創価学会が実践する、
真実の仏法が、必要であり、
『南無妙法蓮華経を、となえる』ということが、
なによりも大切になっていきます・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

「敬(うやま)うのは自分の先祖であり、
 大切にしたいのは家族であり、
 友達であり自然である」
と、言うのなら、
即座(そくざ)に、
この創価学会の、ご本尊に向かい、
南無妙法蓮華経を、となえるべきです!!

仏法は、宇宙の法則(ほうそく)であり、
生命の法則なんです。
だから、
きびしく、厳密(げんみつ)に言えば、
それが、できないということは、
宇宙の法則、生命の法則に
逆(さか)らうことになってしまうから、
それは・・・、
「先祖は、大切にしない、家族も、大切にしない!
 友達も、自然も、大切にしない!
 幸せにはならない!」
ということに、
本当は・・・、
深い意味では、
なってきてしまいます・・・。
また、現実に、そういう結果が、
将来、でてきてしまう可能性が、多々ある・・・!

それが、
宇宙の法則であり、生命の法則である、
仏法の、南無妙法蓮華経の原理(げんり)です。
この原理に、ウソはない!
また、この仏法(ぶっぽう)の原理に逆らえる人は、
世界に一人もいない・・。
だから、ある意味、こわい・・・!


宗教に興味がある人なんて、まず、いない!
けれど、自分の幸せに興味が無い人も、いない!

自分や、家族、友達や世界、
それらへの興味と、愛情が、強ければ、強いほど、
南無妙法蓮華経の仏法、
自分自身の生命の鏡(かがみ)である、
ご本尊(ほんぞん)への信仰、
創価学会が実践する、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』ことを、
根本(こんぽん)とした仏法の信仰は、
どうしても、必要不可欠(ひつようふかけつ)となり、
これからも、時代とともに、
その必要性が、
証明(しょうめい)されていくことでしょう。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 14:15│幸せ │

2012年04月14日

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今日の朝、
いつもと同じ、出勤の道を、歩きながら、
ふと、空を、見上げた。

毎日、通っている道だけれど、
視野(しや)が、広がり、
いつもとは、違(ちが)った景色が、見えた。

いつも、見ているはずのビルが、
とても、美しく、
芸術的にさえ、思えた。
「こんな芸術的な素晴(すば)らしいビルが、
 あったのか!!」と、
感動した。

見るもの、すべてが、
新鮮に、思えた。
道路工事の誘導(ゆうどう)をするオジサンが、
なぜだか、輝(かがや)いて見えた。

世界は、こんなに美しいのか!
世界は、こんなに、素晴らしいのか!
と、自分で、
気持ちよく、出勤できた。

考えてみれば、些細(ささい)なことかもしれない。
だだ、ちょっと、空を、見上げ、
視点を変え、視野を、変えてみただけだ。

けれど、
それだけで、
世界の見え方は、大きく変わる。
それは、そのまま、
人生の変化にも、つながる。

ほんのわずか、視点を、変えただけで、
人生も、世界も、変わって見える。
自分が、どんな視点で、
世界を、人生を、ものごとを、見ているか。
それによって、
人生は、大きく、左右される。

自分の視点が、
狭(せま)く、こり固まったものになっていると、
思ったことは、ないだろうか?
自分の世界を、人を見る視点が、
かたよった、小さなものになっていると、
思ったことは、ないだろうか?
自分の人生を見る視点が、
自分なんか、こんなものさと、
マンネリ化した、同じ視点で、
見ていないだろうか?

すべては、変化していく。
すべては、変化し続ける。
だとしたら、ほんのわずか、
視点を、変えるだけで、いいはずた。
それだけで、
どれだけ、世界が、変わって見えるか!
どれだけ、人生が、変わっていくか!

目は、人間の機能(きのう)の一部分に過ぎないけれど、
その一部分だけの視点を、
変えただけで、
世界も、自分も、大きく変わっていく!

だとしたら、
もっと、根本的な、
もっと、根源的(こんげんてき)な、
生命そのものの視点を、
変えることが、できたなら、
どけだけ、人生が、変わっていくか!
どれだけ、人生が、開けていくか!
そう、考えることは、
できないだろうか・・・・・!!


その最も根本的な、
「生命そのもの」を、
変化させる力(ちから)が、
創価学会の人たちが、日々、となえている、
『南無妙法蓮華経』なんです!
だから、南無妙法蓮華経を、となえると、
自分自身の生命の視点が、
変わっていく!
今まで、ピンチだと思っていたものが、
これは、人生を、切り開く、
大きなチャンスだ!
と、考えられるようになる!
どんな悲しみであっても、
その悲しみを乗り越(こ)え、
大きな幸せを、つかんでいく力に、
変えていくことが、できる!

それが、『南無妙法蓮華経を、となえる!』
と、いうことだと思う。

空を見上げると、
視野が、広がるように、
南無妙法蓮華経を、となえると、
生命そのものの、視野が広がり、
世界が、ひろがる!
その広々とした生命状態からは、
どんな困難(こんなん)も、困難ではなくなり、
大きな幸せを、つかむチャンスに変わる!
それは、そのまま、
自らが求めた幸せへと、
つながっていく・・・・!

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

南無妙法蓮華経は、
生命そのものの視点を変える、
不思議(ふしぎ)なる法則(ほうそく)!

だから、世界中の、
どんな人間であろうとも、
南無妙法蓮華経を、となえると、
前向きな、新鮮(しんせん)な視線で、
ものごとを、見て、考えられるようになっていく。
そして、それは、
大きな充実(じゅうじつ)と、
幸せを、つかむことに、
つながっていく。

この現実的な、
生命の躍動(やくどう)と、歓喜(かんき)があるから、
創価学会は、
世界中に、
広がり続けているんだと、思う。


創価学会が実践する、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)が、
世界中のすべての人間を、
幸せにできる、
理由のひとつが、
ここに、あるんだと思う・・・・。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 00:02│日常 │

2012年04月06日

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●映画「コンスタンティン」を見て・その3●

先日、ビデオで見た映画、
「コンスタンティン」の話しを、
したんですが、
この映画の中で、
コンスタンティンは、
過去に、自殺未遂の経験があり、
2分間だけ、死んだ体験を、
持っていることに、なっている。
映画の設定(せってい)では、
死ぬと、2分間だけ、
時間が止まり、時間が止まった空間の中を、
動くことができるという、
設定になっている。

そして、映画の最後の、
絶対絶命の瞬間に、
コンスタンティンは、
死ぬと、2分間だけ、
時間が、止まるという現象(げんしょう)を、
利用して、最後の勝負に出る。

すなわち、
自分の命を、絶(た)ってしまう。
そして、魔王を、呼び出し、
時間が、止まった2分間を、利用して、
一発逆転の、
勝利を、つかむ!


時間が止まった空間で、動けるというのは、
「ジョジョの奇妙な冒険」という、
マンガにも、あった。(・・笑)
スタンドという、自分の分身(ぶんしん)のような、
エネルギー体を、あやつって、
戦うんだけど、
そのスタンドの能力に、
時間を、何秒か、止めて、
その空間の中で、
動けるという能力があり、
その止まった時間を、利用して、
すべてを、
やっつけてしまうという話しだ。

時間が、止まっているんだから、
相手は、動けない。
その中で、自分だけ、動ければ、
あきらかに、相手を、たたきのめし、
勝利できるという寸法(すんぽう)です。

おもしろい話しでしたが、
知らない人には、
まったく、わからないですよね(笑)

ひとつ、言えることは、
もし、時間を、止めることが、できたら、
そして、その中を、
自分だけ、動くことが、できたら、
どんな絶体絶命のピンチも、
逆転できる。
どんな逆境(ぎゃっきょう)も、勝利に
変えてしまうことが、できる。

そんなことが、できたら、
当然、スゴイですけどね・・・。

当然のことだけれど、
実際には、時間を止めることは、
できない。
少々、飛躍(ひやく)した考え方をすると、
時間を止めることに、もっとも、
近いもの、
時間を止めた中で動けるのに、
もっとも近いものは、
『一瞬(いっしゅん)』という時間でしょう・・・。
それは、そうだ。
時間的に考えれば、
0秒に、いちばん近いのは、1秒とか、
0.1秒とかいう、一瞬の時間だからです。

仏法(ぶっぽう)では、この一瞬の時間、
もっと言うと、一瞬の心、
一瞬の一念(いちねん)に、
実は、大きな大きな力(ちから)がある!と説く。

それが、
「一念三千(いちねんさんぜん)」
という、法則(ほうそく)です。

一念とは、一瞬の心です。
その一瞬の心の違いによって、
三千の違(ちが)う世界が、できあがると、説く。

すなわち、一瞬ともいえる『心』を、
変革(へんかく)することによって、
その一瞬の一念によって、
人生が、世界が、
大きく変わっていくということになります。

前に、創価学会の先輩から、
「宿命転換(しゅくめいてんかん)は、一瞬で、できるんだ。」
という話しを、聞いたことがある。
(宿命転換とは、自分の持っている運命や宿命を、
 変革することによって、人生を、幸せの方向に、
 大きく、切り開いていくことを、言います)
きっと、それが、
『一瞬の心(一念)』の力(ちから)なんだと思う。

実は、いちばん、力がないようで、
『一瞬の心』ほど、すごい!力を秘(ひ)めたものは、
ないのかもしれない。
たとえば、なにかの事故や災難に、
おそわれた時も、
必ず、生き残るのは、
「生きるんだ!」という一念(こころ)が、
強い人間です。
これが、生命の、
一念三千の法則だと思う。

この最も短い、究極(きゅうきょく)の一念から、
無限のパワーを、引き出し、
無限のエネルギーを、生み出すのが、
『南無妙法蓮華経』だと思う。

なぜ、『南無妙法蓮華経を、となえるか』と、
いうと、
自分の心(一念)から、
無限のパワーと知恵を、
生み出すためでもあると、言えます。

南無妙法蓮華経の力は、無限大だから、
それだけではないけれど、
それが、一念三千の究極(きゅうきょく)の法、
『南無妙法蓮華経』だと思う。

だから、事故や、災難があった時に、
突発的(とっぱつてき)に、南無妙法蓮華経を、となえたら、
九死(きゅうし)に一生を得たという例も、あるようです。

すなわち、
南無妙法蓮華経を、となえると、
映画コンスタンティンに、なぞらえて話すならば、
時間を止めて、その中を、動き回るように、
(少々、大げさですが・・・)
一念(こころ)に込(こ)められた、
生命のエネルギーと知恵を、
無限に増幅(ぞうふく)させて、
危機を、回避(かいひ)したり、
大勝利を、もたらしたりすることが、
究極的には、
できるんだと思う。


人間の『一念の力』を、
わかりやすく説明するために、
映画コンスタンティンの、
時間を止めた中を動ける話しをしましたが、
それくらい大きな価値(かち)と、
無限の勝利と幸せを、もららすエネルギーが、
人間の一念(いちねん/こころ)には、
あるんだと思う・・・。

そして、
人間のこころから、
それだけの無限のエネルギーを引き出す力が、
南無妙法蓮華経には、あり、
だから、南無妙法蓮華経を、となえていくと、
幸せになっていけるんだと思う・・。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

いくら、心の力(ちから)、
一念の力が、スゴイと言っても。
一念から、無限の力を、引き出して、
活用(かつよう)するなんてことは、
普通は、とても、できた話しでは、ない。
そう言うまえに、
自分の心に、振(ふ)り回されてしまうことのほうが、
多いと思う。

だから、さまざまなセミナーで、
心の持ち方の大切さを、話しても、
理屈(りくつ)では、わかっても、
ほとんど、活用できないということのほうが、
多いと思う。

ところが、
『南無妙法蓮華経』は、違う!
どんな環境(かんきょう)の、どんか人間であっても、
南無妙法蓮華経は、
ただ、その人が、となえれば、いい!!
理屈を、つべこべ、言うのではなく、
ともかく、現実に、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』

そうすることによって、
パッと、心(一念)が、変わっていく。
どんな人でも、同じです!
南無妙法蓮華経が、
一念(こころ)を、変革する、
無限の力(ちから)であるがゆえに、
ともかく、
南無妙法蓮華経を、となえるだけで、
心が、一念が、変わっていく!
それは、南無妙法蓮華経を、
となるえることによって、
人生が、世界が、
変わっていくと、いうことです。

そして、南無妙法蓮華経を、
毎日、毎年、どんどん、たくさん、
となえ続けることによって、
その人の人生は、
勝利へ、幸せへと、
どんどん、変わっていく!


南無妙法蓮華経は、
理屈では、わからなくても、
現実の人間を、変えてくれる!
現実の人間を、幸せに、できる!

創価学会は、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、
世界に、広めることによって、
理屈でなく、一念三千の、すごい法則を、
現実の人間の手に、
取り戻(もど)してくれたんだと思う。

映画コンスタンティンに、たとえるならば、
おおげさですが、
一念(一瞬のこころ)という、
まるで、時間を止めた空間の中で、
動けるような、
最高最強の力を、
南無妙法蓮華経は、
現実の人間に、
つかませてくれるんだと思う。

それが、創価学会が、広まり続け、
この南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰によって、
ひとりひとりが、自分の人生を
勝利していける理由の、ひとつではないかと、
思う・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 06:31│映画 │

2012年04月01日

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●映画「コンスタンティン」を見て・その2●

先日、ビデオで映画「コンスタンティン」を見た
話しをしたんだけれど、
この映画の後半で、
コンスタンティンは、
女性を、救うために、
命を落とす。
その時、魔王(まおう)が、あらわれ、
コンスタンティンは、
地獄へ、連れて行かれそうになる。

しかし、
コンスタンティンは、
女性を、救おうとして、命を落としたという、
自己犠牲(ぎせい)の精神を、働かせたということで、
魔王が、どんなにコンスタンティンを、
地獄に、連れて行こうとしても、
連れて行けず、
天国へと、のぼっていく。

それを見た魔王は、怒(いか)り、
そんなことは、絶対に、させない!
と、コンスタンティンの肺ガンを、治(なお)し、
コンスタンティンを、
生き返らしてしまう。

なんと、魔王が、
コンスタンティンの命を、
救った形に、なったわけです。
映画らしい、おもしろい展開だと思った。


日蓮大聖人の御書に、
梵音声御書(ぼんのんじょうごしょ?)という
御書があります。
(御書とは、日蓮大聖人が、書かれた、
 論文や手紙を、すべて、集めたものです。
 そのひとつひとつの論文や手紙に、内容に合った
 名前が付いています)

その梵音声御書(ぼんのんじょうごしょ)の中には、
どんな国の人々も、その国の王に、したがわなければ、
生きていけない。
これが、人間の定(さだ)めだ!という話しが出てくる。

それは、確かに当然だと思う。
なぜなら、その国の規則(きそく)に、そむいたら、
生活できなくなるし、
結局(けっきょく)、生きていけないからだ。

けれど、いまいち、腑(ふ)に落ちない!
なぜかというと、日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
あらゆる民衆のための、庶民のための、
全世界のひとりひとりの人間を救うための、
生命の法則(ほうそく)のはずだからです。

それなのに、
その国の王(おう)に従(したが)わなければ、
生きていけないなんて、確かにそうかもしれないけど、
それでは、ひどい言い方をすれば、
民衆は、王の奴隷(どれい)みたいな存在に、
感じてしまうからです。

けれど、この梵音声御書を、
読み進めていくと、
そうではないことが、わかってくる。

確かに、その国にいる以上、
その国の王、あるいはその国の法律、
規則にそむくことはできない。
そのことわりを利用して、
日蓮大聖人は、
『仏法も、それと同じなんだよ!』
ということを、わからせようとしている!!

単純に言うと、
仏法(ぶっぽう)とは、生命の法則であり、
宇宙の法則なんです。

どんな生命も、生命の法則、宇宙の法則には、
さからうことは、できない。
これは、わかると思う。

まず、すぐ上にあげた話しの内容を認(みと)めるとします。
するとこんどは、この「生命の法則」「宇宙の法則」を、
『生命の王』と、とらえてみる。
すると、「宇宙の法則」である、
『生命の王』に、さからうことのできる、
生命は、ないことになります。

どんな生命も、あるいは、どんな魔民も、
悪魔や、悪鬼や鬼神(きじん)であっても、
生命の法則の上での『王』に、
従(したが)わないわけには、いかない!
なぜなら、どんな悪魔や、悪鬼、魔人であろうと、
その生命の法則の上での『王』に、
したがわなかったら、
自分が、朽(く)ち果て、滅(ほろ)んでしまうからです。

問題は、宇宙の法則の上での『王』
生命の法則の上での『王』とは、
何か?ということだと思う。

その生命の法則の上での『王』
どんな悪鬼や、魔物、鬼神でさえも、
したがわざるえない、
生命の法則の『王』が、
実は、創価学会の人たちが、
日々、となえている、
『南無妙法蓮華経』なんです!

だから、どんな悪い、悪魔や、魔物、鬼神でさえも、
どうしても!
したがわなければならないのが、
『南無妙法蓮華経』なんです。
この『南無妙法蓮華経』に、従わなかったら、
悪鬼や、魔物であろうとも、
自分が、朽(く)ち果て、死んでしまうからです。

では、ぼくたちが、
生命の上での『王』になるには、
どうしたら、いいのか?

それは、『南無妙法蓮華経』が、
生命の法則の『王』なのだから、
ぼくたちは、
『南無妙法蓮華経を、となえれば、いい!!』

ぼくたちが、南無妙法蓮華経を、となえた時から、
ぼくたちは、『生命の王』になる!
だから、ぼくたちが、
南無妙法蓮華経を、となえると、
どんな悪魔や、鬼神であっても、
その人を、助け、守るしか、なくなる!
なぜなら、悪魔や、鬼神であっても、
生命の王に、従わなかったら、
自分が、滅(ほろ)ぼされてしまうからだ。

現実的な話しを、すると、
ぼくたちが、真剣に、南無妙法蓮華経を、
となえていくと、
自分の周(まわ)りの、敵(てき)であったり、
悪人であっても、
その人に、危害(きがい)を加えることが、できなくなってくる。
逆に、意思に反して、
なぜだか、敵や、悪人であっても、
南無妙法蓮華経を、となえている、その人を、
助ける存在に、なってしまう。

まるで、コンスタンティンを、
魔王が、助けたように、
なぜだか、南無妙法蓮華経を、となえれば、
となえるほど、悪人や、敵であっても、
自分の周りの人たちが、
自分を、助ける働きを、してくれる!

南無妙法蓮華経を、となえると、
生命の位(くらい)では、その人は、王となる!
だから、不思議(ふしぎ)にも、
回りのひとたちは、どうしても、
その人に、従い、助けざるえなくなってくる!

これが、南無妙法蓮華経を、となえる人の、
『生命の位』だと思う。
また、不思議だけれど、
ほんとうに、
そうなってくる!

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

よく、創価学会では、
南無妙法蓮華経を、となえることを、
ライオンが、ほえることに譬(たと)える。

どんな獣(けもの)も、
ひとたび、ライオンがほえたなら、
百獣(ひゃくじゅう)の王であるライオンに、
したがわざるえなくなる!

あらゆるものを一変(いっぺん)させ、
従(したが)えていくことができる。

それが、「南無妙法蓮華経を、となえる」ということであり、
ライオンがほえるという、譬(たと)えです。

すなわち、
南無妙法蓮華経を、となえた時から、
何かに、従(したが)わされている、
従順(じゅうじゅん)な存在から、
自分が、すべてを変えていく、王に変わり、
主体と、なっていく!
ここに、南無妙法蓮華経の、
すごい変革(へんかく)のエネルギーが、あると思う。

環境(かんきょう)に、左右されている自分から、
環境を、変える!自分に、
運命に、振(ふ)り回されている自分から、
運命を、切り開く自分に!
悩みに、振り回されている自分から、
悩みを、打ち破(やぶ)る自分に!
こうなったら、いいのに、という、
はなかい願望から、
絶対に、こうしてみせる!という、
強い意志に、!

自分が、
自分の人生における『王』になれるのが、
創価学会が、実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経の仏法の信仰であり、
それが、南無妙法蓮華経を、
となえるということだと、思う。

そして、王者のごとく、悩みを解決でき、
王者のごとく、困難(こんなん)を乗り越(こ)え、
王者のごとく、夢や希望をかなえて、
人生の勝利者となり、
幸せを、つかむことが、できる!

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 11:51│映画 │