2012年06月

2012年06月27日

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このまえ、ビデオで、
下弦の月(ラスト・クォーター)という映画を、
見ました。・・・・・・

19年まえ、ロンドンで暮らしていた、
ミュージシャン、アダムは、
恋人、上条さやか、と愛し合う。

けれど、アダムの恋人、上条さやかは、
19歳の若さで、不治(ふじ)の病に倒(たお)れ、
「きっと生まれ変わってくる」という言葉を、
残して、死んでいく。

その言葉を、信じることもできず、
アダムは、絶望(ぜつぼう)して、
自殺する!
そして、アダムの霊(れい)は、
暗黒の闇(やみ)の世界に、永遠に、さまよい続ける。

死んだ上条さやかは、
「きっと生まれ変わってくる」と言った言葉どうり、
『望月美月』として、生まれ変わってくる!
しかし、アダムに会えることは、なかった。
なぜなら、
自殺した人間は、生まれ変わることは、できず、
永遠に暗黒の闇の世界で、
苦しみつづけるという設定(せってい)だからです。

19年に一度だけ、同じ形の月が、
同じ月日に現れるという。
それが、
「下弦の月」(ラストクウォーター)という、
設定だ。
そして、「下弦の月」が現れた時、
奇跡(きせき)を、おこせる!ということに、なっている。

アダムは、暗黒の世界で、
ひたすら、その下弦の月を、待ち続ける。
そして、アダムの恋人、上条さやかが、
この世を去った時と、同じ月(下弦の月)が、
また、19年後に、現れる。

そして、
その19年に一度しか現れない
「下弦の月」(ラストクウォーター)の奇跡で
アダムは、上条さやか、の生まれ変わり、
望月美月に、会うことができる。

しかし、それは、
望月美月を、暗黒の死の世界に、
導(みちび)くことになってしまう!
下弦の月が、消え去ろうとするとき、
望月美月は、事故に、遭(あ)い、
生死を、さまよう。
肉体は、植物人間状態で、
かろうじて、生きているものの、
その霊は、幽霊(ゆうれい)として、
アダムと、めぐり合い、
アダムを愛した、
謎の館(やかた)で、さまようことになる。

そして、望月美月の霊魂は、
現実の生きている、
さまざまな人たち(愛する人たち)の助けを、得て、
アダムとの別れを、決意し、
アダムも、また、微笑んで、
それを、認(みと)め、見送っていく。

望月美月は、
自分の肉体に戻り、
蘇生(そせい)して、現実の愛すべき人たちと、
生きていくという、
だいたい、そんな感じのストーリーです。


この映画では、
よく言われる、
人間には、前世とか来世があり、
人間の生命は、永遠に生まれ変わって、
自己という生命は、形は変わっても、
永遠に生き続けるということが、
前提(ぜんてい)として、
ストーリーが、展開されている。
このことを、認めないと話しが、
成(な)り立たなくなっている。

また、自殺してしまった絶望の霊(生命)を、
いかにして、安らがせ、
苦しみから、解(と)き放つことができるか?
ということが、
キーワードと、なっている。

こういう話しに、興味がない人には、
なんの利益(りえき)もないと思うけれど、
自分の亡(な)くなった家族や親族、友達、
そんな、今は、この世界に、
いなくなってしまった霊(生命)に対して、
たとえば、悲しい死、苦しい死を、
迎(むか)えた人であったならば、
その死んだ霊魂(生命)に対して、
「どうか、安らかであってほしい!」
「幸せで、あってほしい!」
「成仏(じょうぶつ)していてほしい!」と、
願う人も、少なくないと思う。

そのために、
お墓参りをし、
さまざまな宗教、信仰によって、
亡くなった人たちを、とむらったりする。

けれど、それらが、すべて正しいわけでは、ない!
間違った信仰、間違った宗教は、
亡くなっていった生命を、
逆に、地獄(じごく)に落としてしまう結果になるからです。
そこに、大きな落とし穴があり、
ほとんどの人が、
宗教の正邪(せいじゃ)に対する認識に、
欠如(けつじょ)している。

たとえば、葬式仏教・・・
葬式(そうしき)に呼んでくださいと、
言わんばかりですが、
この葬式仏教は、はっきり言って、
完全に間違った、デタラメな宗教です。
いくら高いお金を払(はら)って、
お経(きょう)を読んでもらったところで、
亡くなった人も、自分たちも、
地獄に落とし、
不幸に引きずり込(こ)む結果にしかなりません。

神社信仰にしても、同じです。
デタラメの間違った宗教ですから、
どんなに、真心を込(こ)めて、
祈ってみたことろで、
自分も亡くなった人も、不幸にし、
実際、自分の人生に、
さまざまな形(かたち)で、
不幸という結果が、出てきてしまいます。

ひどいことを言うと、言うかもしれませんが、
それは、本当のことであり、
本当のことを言わないほうが、
もっと、ひどいと思います。



最初のテーマに戻(もど)りますが、
それでは、
亡くなった人たち、悲しい死、
苦しい死を、迎えてしまった生命を、
たとえば、
自殺してしまった霊(生命)であったとしても、
その霊(生命)を、安らかに、
幸せに、歓喜(かんき)の生命に、変えることは、
できるのだろうか?

答えは、『できる!!』です・・・。
それが、創価学会が実践する、
『南無妙法蓮華経』の仏法(ぶっぽう)なんです。
『南無妙法蓮華経を、となえる』ことを原点とした、
創価学会の活動なんです。

その『南無妙法蓮華経』というのは、全宇宙を、
幸せに変換(へんかん)する、生命の法則(ほうそく)なんです。
だから、南無妙法蓮華経を、となえると、
その生命が、
死んでいる生命(休んでいる生命)であろうと、
生きている生命(活動してる生命)であろうと、
生命そのものを、幸せに変換することが、できる!
それが、南無妙法蓮華経の音声(おんじょう)であり、
創価学会が、実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経の仏法です。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

南無妙法蓮華経の音律(おんりつ)は、
全宇宙に、とどくという。
たとえ、自分の家族や親族、友達が、
地獄の底で、あえいでいたとしても、
南無妙法蓮華経は、地獄の底までも、とどき、
その人を、亡(な)くなった霊(生命)を、
救(すく)い出し、歓喜の(幸せの)生命に、
変えることが、できる!
それが、『南無妙法蓮華経を、となえる』ことの、
無限の力(ちから)の、ひとつだという。

だから、
亡くなった人たち、悲しい死、
苦しい死を、迎えてしまった生命、
自殺してしまった霊(生命)、
絶望の内に、死んでいった生命であったとしても、
その霊(生命)を、
本当に救い、安らかに、
幸せに、成仏(じょうぶつ)させてあげたい!
と思ったら、
創価学会が、実践している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を実践し、
ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経を、
となえぬく以外に、方法はない!と、
断言しても、言い過(す)ぎではありません。

これ以上の追善回向(ついぜんえこう)は、
絶対に、ありえないからです!・・・・。

だから、前世とか来世とか、
永遠の生命の存在を、信じ、
死んでいった霊(生命)が、存在すると、
信じている人たち、
そうでなくても、亡くなった家族や友人を、心から思い、
その亡くなった霊(生命)に対して、
こころから、安らかであってほしい!幸せであってほしい!
と願う人たちにとっても、
『南無妙法蓮華経を、となえる』ということは、
最高最大に、価値(かち)のある、
無上の、究極(きゅうきょく)の行動となります・・・・・!

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 09:04│映画 │

2012年06月20日

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先日、チャレンジロードという、
創価学会の中高生向けのビデオを、
見た話しを、したんですが、
このチャレンジロードというビデオでは、
先日、話した、
アラン・マックという、
香港の映画監督の話しのほか、
林新子(はやししんこ)さんという看護士の話しも、
出ていました。

林新子さんは、1983年に、
創価小学校に、入学、
新子さんが、2年生の時、
母が、メラノーマという皮膚のガンで、
入院します。
当時の医療では、どうしようもない病気だったそうです。

1985年、3月、
創価学園を、訪れた
池田SGI(創価学会インターナショナル)会長は、
林新子さんを、激励(げきれい)します。
「お母さんが、家にいなくても、がんばるんだよ!
師子(しし)の子は、強くなくてはいけない!
 先生が、ついているから、泣いてはいけないよ!」

創価学会では、南無妙法蓮華経を、となえることを、
ライオンが、ほえることに、たとえ、
また、真の仏法(ぶっぽう)である、
南無妙法蓮華経の仏法を、実践している人は、
人間として、最高の法(ほう)を、たもっているので、
人間の王者である!と断言しています。
だから、創価学会員を、師子(しし)、ライオンに、
たとえることが、あります。

創価学園で、林新子さんに会った、
池田先生は、
そのあと、会食会で、林新子ちゃんを、
隣の席に、まねき、
何度も、何度も、励(はげ)ましました。

1985年、7月16日、
林新子さんは、登校まえに、
弟と一緒に、母を、見舞(みま)います。
お母さんは、やさしい笑顔で、
二人を、見送り続けました。

そして、その後、
眠るように、やすらかに、息を、ひきとりました。

林新子ちゃんは、
朝、あんなに元気だったのに、どうして?
と、大変な衝撃(しょうげき)を受けましたが、
池田先生から、「泣いてはいけない!」と、
励まされていたので、
人前では、泣かず、
トイレの中で、泣いたそうです。

次の日、学校を休まないで、学園に行くと、
池田先生に、会える機会が、あったそうです。
池田先生は、包(つつ)み込むように、二人を抱いて、
「負けてはいけない!師子(しし)の子だから!
 ぼくが、いるからね!」
と、励ましてくれたそうです。

林新子さんは、子供心に、
「あったかいな〜〜!」と、
感激したそうです。

さらに、池田先生は、言ったそうです。
「お母さんは、ずーーっと、心に生きているよ!」


林新子さんの、お母さんは、
看護士(かんごし)で、いろんな人に、
どこまででも、つくしていく人だったそうです。

母のような看護士になろうと、
林新子さんは、看護短大に、進みます。
そして、実習で、
末期ガンの患者を、担当(たんとう)したそうです。

そして、その患者さんに、
「おれに、かまわないでくれ!
 どうせ、死ぬんだから!!」
と、突(つ)き放(はな)されたそうです。

しかし、林さんは、負けませんでした。
朝晩、ご本尊(ほんぞん)に、
真剣に、南無妙法蓮華経を、となえ、
末期ガンの患者さんのことを、
祈ったそうです。
そして、ガンで、全身に広がった痛(いた)みが、
少しでも、やわらぐように、
必死に、マッサージを、続けたそうです。

次の日、その末期ガンの患者さんから、
「こんなに、眠れたことは、なかった!」
と、言われたそうです。

そして、林さんは、
手から、毛穴から、祈りは、
すべて、通じていくんだ!と確信し、
絶対、この思いを、忘れないようにしようと、
誓(ちか)ったそうです。

その後、林さんは、
大学の付属病院で、働くようになり、
献身的(けんしんてき)な看護が、評価され、
2004年の聖教新聞に、紹介されたそうです。

その新聞を読んだ、池田先生が、
林新子さんに、
和歌を、贈(おく)ってくれたそうです。

『 いついつも、
 
  母が見ている
 
  一生涯(いっしょうがい) 』

林新子さんが、言っているんですが、
あの、ちっちゃかった時に会った出会いを、
池田先生は、何十年も、忘れず、
一人の人を、どこまでも、
徹(てっ)して、励ましていく!

その姿に、
本当に、感激したそうです!!

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

一人の人を、何十年でも、
徹して、励ましぬく!
口で言うのは、たやすいが、
そんなことが、できる人は、
なかなか、いないと思う!

それを、現実に、やってきたのが、
池田先生(池田大作)という人間だと思う。
その結晶(けっしょう)が、創価学会であり、
世界中に広がる、
創価学会員の、ひとりひとりの、
幸せなんだ!と思う!

励ましの結晶・・!
命を削るような激励の結晶・・!
それが、ひとりひとりの幸せとして、
開花していく!
『がんばれ!がんばれ!
 負けるな!負けるな!』
どんなことが、あっても、
一人の人間を、幸せに、しぬいていく!
その生命の力が、
南無妙法蓮華経であり、
南無妙法蓮華経を、
となえる生き方なのかも、しれない・・・。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 09:20│病気 │

2012年06月16日

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このまえ、
「チャレンジロード」というビデオを、
見ました。

まず、創価学会の人か、
創価学会の会合に参加した人でもないと、
見る機会がないビデオで、
最近のものではありませんが、
中高生向けに、つくられた、
創価学会員として、がんばっている人を、
紹介しているビデオでした。

そのビデオでは、
アラン・マックという、
香港の映画監督をやっている人の、
話しが、出ていた。
彼の母が、1972年に、創価学会に、入会し、
母が、変わってゆく姿を見て、
父と息子であるアラン・マックも、
創価学会に、入会したそうです。

アラン・マックが、高校生の時、
池田SGI(創価学会インターナショナル)会長が、
香港に、おとずれる機会があり、
その時、池田SGI会長は、
香港の創価学会員の高校生たちを、
激励(げきれい)したそうです。
その場に、アラン・マックも、いたそうです。

そして、池田SGI会長は、
こう言って、みんなを、励(はげ)ましたそうです。

「才能には、大差(たいさ)は、ない!
 頭が悪いとか良いとか、
 そんなことは、
 ほんのこれっぽっちの差でしかない!
 粘(ねば)りです!
 粘り抜(ぬ)いた人が、勝利者です!

 自らの決めた道で、断固(だんこ)として、
 一番を、めざそう!」

そして、アラン・マックさんは、
池田先生の励ましの言葉を、
決して、忘れることは、なかったそうです。

高校を卒業した彼は、
自分が、何をやりたいかも、決まらず、
イギリスの建築会社に、就職したそうです。
けれど、技術が身に付くわけでもなく、
将来に、不安を感じた。

あるとき、スペインの映画を見たことを、
きっかけに、
香港の映画学校に、入り、
学んでいきます。

一度は、監督として、作品をつくったものの、
当時の不況(ふきょう)のなか、
仕事もなくなり、苦しい、
下積みの生活を、重(かさ)ねていきます。

けれど、苦しい中でも、
アラン・マックは、
高校の時、池田先生に言われた言葉、
「才能には、大差は、ない!
 頭が悪いとか良いとか、
 そんなことは、
 ほんのこれっぽっちの差でしかない!
 粘(ねば)りです!
 粘り抜いた人が、勝利者です!」

という言葉が、離(はな)れることは、
なかったそうです。

そして、みずから、シナリオを書き、
監督の一人として、メガフォンを、とった、
「無限道・インファナル・アフェア」という映画が、
大ヒットし、
アジア映画の記録を、塗り替(ぬりか)えました。
そして、パート2、パート3も、
つくられ、
2003年には、
香港映画の最高の栄誉(えいよ)である、
香港フィルムアワードで、
最優秀監督賞と、最優秀脚本賞を、
最年少で、獲得(かっとく)しました。

そして、その喜びを、
すぐに、池田SGI会長に、
報告(ほうこく)したそうです。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

言うまでもなく、
池田先生の、励ましと、言葉が、
彼にとって、
大きな大きな支(ささ)えとなり、
希望になっていたと思います。

アラン・マックは、
今でも、高校時代、
池田先生に、言われた言葉を、
暗記しています。

それは、単(たん)なる励ましでも、
言葉でも、なく、
人間が、人間として、
最高の尊敬と、最高の希望と、
最高の愛情を込(こ)めた、
生命と生命の対話であり、
池田先生の、青年を思う、
強烈(きょうれつ)な情熱であったと、思われます。

でなければ、
若い子供たちに、
これだけ、強烈に、
池田先生と、この励ましの言葉が、
生涯(しょうがい)にわたって、残ることは、
ありえないからです。

また、それが、
池田先生という人間であり、
池田先生の生きざまなんだと、思います。

それは、
池田先生に会った、
あるいは、池田先生に励まされた、
創価学会の内外を問わない、
何十万、何百万、何千万という人々に、
希望を与え、蘇生(そせい)させ、
生涯にわたる、大きな大きな支えとなり、
希望となり、人々に、
勝利と幸せを、もたらしています。


それが、池田先生という存在なんだと思う。
だから、創価学会は、
世界192ヶ国の人々に広がり、
共感(きょうかん)の和を、広げ続けている・・・・!

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 13:43│映画 │

2012年06月11日

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かなり前の話しだけど、
ディスカバリー号で、宇宙に行った、
野口聡一宇宙飛行士が、テレビで、
SMAP×SMAPに出ていたのを、
見たことがありました。

そして、宇宙に行った、いろいろな、
楽しい話しを、してくれていました。

スマップのメンバーは、
野口飛行士が、宇宙に行くまえにも、
野口さんと、いろいろ対談していたようで、
宇宙に行った後の野口さんを、見て、
「野口さんは、宇宙に行って、宇宙を見て、
 宇宙に行く前とは、人間が、変わった!」
と、評(ひょう)していた。

ほんとうに、変わったか、どうかは、
わからないけれど、
確かに、青い青い地球を、
目の当たりに見て、
広大すぎる宇宙を、実際に見たら、
人間が、変わるかもしれない。

美しい地球、
広大な宇宙、
それを、見たあとでは、
いままでの、ちっぽけな殻(から)が、
取り払(はら)われ、
やさしく、大らかな、
愛に満ちた、大きな人間になっても、
確かに、おかしくないと思う!

当然、行ったことがないから、
わからないけれど、
宇宙を見た衝撃(しょうげき)は、
それくらい、大きいかもしれないと思う。

そんな宇宙に、
未来は、だれでも、行けるようになるかもしれない。

けれど、現在のところ、
そうは、いかない・・。
行けるにしても、
大変な訓練が、必要だろうし、
そうでないにしても、
大変なお金が、必要となってくるだろう。

もし、大宇宙を、
自分の目で、見ることができたなら、
野口飛行士のように、
ちっぽけな殻(から)を、打ち破り、
愛に満ちた、
大きな大きな自分に、なれるかもしれない・・。

それは、夢なのだろうか?

いいえ!
夢では、ないと思う!

確(たし)かに、実際に、宇宙に行って、
宇宙を見、感じることは、
できないかも、しれない。

けれど、宇宙を、感じることは、
できる!
実は、それが、創価学会が、実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だからです!

南無妙法蓮華経をとなえるということは、
実は、大宇宙と、自分の生命で
通信(つうしん)しているようなものなんです。
宇宙と通信することができたなら、
それは、宇宙を感じることになっていく。

宇宙的に考えると、
それが、「南無妙法蓮華経を、となえる」
ということだと思う。

もう少し、詳(くわ)しく言うと
南無妙法蓮華経とは、大宇宙の法則(ほうそく)であり、
大宇宙のリズムなんです。
もっと言えば、南無妙法蓮華経それ自体(じたい)が、
大宇宙の生命そのものを、表現しているんです。

だから、南無妙法蓮華経とは、
大宇宙そのものと、言ってもいいと思う。

そして、その大宇宙の法則であり、
大宇宙のリズムである、
南無妙法蓮華経は、
小我(しょうが/小さな宇宙)である、
人間の中にも、存在しているんです。

大宇宙の生命が、南無妙法蓮華経であるとすると、
宇宙の一部分である、
自分の存在も、南無妙法蓮華経だということです。
同じ「南無妙法蓮華経」というリズムであり法則が、
大宇宙にも、自分の生命にも脈打(みゃくう)ち、
同じように流(なが)れ、存在している。

単純(たんじゅん)に言えば、
大宇宙が、南無妙法蓮華経ならば、
小宇宙である自分も、
南無妙法蓮華経だということです。


創価学会の人たちは、
日々、信じる対象(たいしょう)である、
『ご本尊(ほんぞん)』に、
南無妙法蓮華経を、となえて祈っていますが、
それは、大宇宙の南無妙法蓮華経と、
自分の中の南無妙法蓮華経が共鳴(きょうめい)していると、
表現できると思います。

それは、大宇宙の生命の力、エネルギーに共鳴して、
自分の中にある、生命の力やエネルギーが、
引き出されるイメージだと思う。
そして、その結果、自分の生命は蘇生(そせい)し、
輝(かがや)いてきて、元気になり、
悩みを解決できたり、
夢や希望に向かって、
大きく飛翔(ひしょう)していくことができるようになっていく。

それが、ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえるということです。


これも、もう少し詳しく言うと、
そのご本尊というのは、
実は、その大宇宙の法則を、あらわしたものであり、
大宇宙そのものを、表現(ひょうげん)したものだと言えます。
それと同時に、
ご本尊は、小さな宇宙である、
自分自身の生命を、表現したものでも、あります。

だから、ご本尊は、
大宇宙の無限の力と、
自分の中の無限の力の両方を表現したものだと、
言えます。

そして、大宇宙にも、自分の中にもある、
大もとの無限の力が、
南無妙法蓮華経だということです。

大宇宙には、南無妙法蓮華経という無限の力がある。
それと同じように、自分の中にも、
南無妙法蓮華経という無限の力がある。
だから、大宇宙と交信(こうしん)するように、
ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえていった時、
自分の中から、無限の生命力、無限の勇気、
無限の希望が湧(わ)き上がってきて、
幸せを勝ち取っていけるようになっていく。


いわば、
ご本尊は、大宇宙の無限の力の象徴(しょうちょう)であり、
それと同時に、自分の生命の無限の力の象徴となります。

だから、ぼくたちが、
大宇宙の象徴(しょうちょう)であり、
自分の生命の象徴でもあるご本尊に、
南無妙法蓮華経を、となえるとき、
大宇宙の生命と、
少宇宙である、自分の生命が、
共鳴(きょうめい)する!

なぜ、共鳴するかというと、
大宇宙の生命のリズムが、
南無妙法蓮華経であると同じように、
少宇宙である、自分の生命のリズムも、
南無妙法蓮華経だからです。

大宇宙も小宇宙も、
どちらの生命も、
その本質(ほんしつ)は、南無妙法蓮華経!
だから、南無妙法蓮華経を、となえる時、
大宇宙と小宇宙は、
共鳴しあい、響(ひび)きあい、
無意識のうちに、
大宇宙の本質を、感じることが、できる。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

かりに、
宇宙に行って、宇宙を見るにしても、
その宇宙でさえ、大宇宙の、
ほんのわずかでしかない!
無限の大宇宙から見れば、
宇宙を、実際に見たとしても、
米粒(こめつぶ)ほどの、ほんのわずかでしかない。

けれど、南無妙法蓮華経は、
無限の全宇宙であり、
南無妙法蓮華経を、となえることは、
その無限の全宇宙を、感じることに、
つながる!

おそらく、
こんなに、すごく、
こんなに、素晴(すば)らしいことは、ないだろう!

宇宙的に考えると、
南無妙法蓮華経を、となえるということは、
そういうことかもしれない・・・。

だから、創価学会の人たちが、
ご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえる時、
すがすがしい気持ちに、なる!
自分のなかに、
晴(は)れ晴れとした、
大きな大きな心を、感じる!

おそらく、それは、
そのまま、大宇宙を、感じていることに、
ほかならないのでは、ないだろうか・・・。


本来、大宇宙のリズムは、
『南無妙法蓮華経』
そして、自分の生命の本来のリズムも、
本当は、『南無妙法蓮華経』なんだけれど、
生きていく上での、さまざまな悲しみや苦しみ、
自分の持っている、
さまざまな運命や宿業(しゅくごう)によって、
自分の生命のリズムに、
「ゆがみ」が、生(しょう)じてしまい、
さまざまな不幸を、引き起こす!

その自分の中に、できてしまった、
『不幸』という生命の「ゆがみ」は、
普通の生活の中では、どうにもならない!

その『不幸』という生命の「ゆがみ」を、
本来のリズムに、もどさないかぎり、
その生命は、幸せには、なっていかないはずです。

自分の、ゆがんでしまった、
「生命のリズム」を、正常なリズム、幸せのリズムに、
もどすためには、
宇宙のリズムが、『南無妙法蓮華経』なんだから、
小宇宙である、自分の生命(自分自身)も、
『南無妙法蓮華経』のリズムになるしかない。

だから、そのためには、
自分で、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』しかないんです!!

それ以外、
自分の生命の、狂(くる)ってしまったリズム、
不幸になってしまったリズムを、
本質的に、治(なお)し、
正常なリズム、幸せのリズムに、もどす方法は、
ありません!!

南無妙法蓮華経を、となえていくと、
大宇宙のリズムと、
小宇宙である自分の生命のリズムが、
完全に、合致(がっち)していくんです!!!

だから、夢が、かない、
さまざまな悩みが、解決し、
どんな苦難も、乗り越(こ)えて、
幸せになっていけるんです!

『大宇宙のリズムと小宇宙(自分自身)のリズムを、
合致(がっち)させる!』

きっと、それが、
本当に大宇宙を、感じることであり、
それが、大宇宙の法則なんだと思う・・。

創価学会の人たちが、
全世界で、幸せになっていけるのは、
そういう理由が、
あるのかも、しれない。


まだまだ、言葉が足りないけれど、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
そこまで、広大で、そこまで、深く、
無限の真実を、秘(ひ)めている・・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 09:27│テレビ │

2012年06月05日

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フランスの女性哲学者(てつがくしゃ)、
シモーヌ・ベーユが、言っているそうです。

「生命に障害(しょうがい)となる、

 あらゆるものとの戦いが、

 革命なのである」

と・・・!

前に聞いた話しだけれど、
人間は、戦っているから、
生きているんだそうです。

人間の中の、あらゆる細胞は、
起きている時も、寝ている時も、
生命に危害(きがい)を加えようとする、
ありとあらゆる細菌(さいきん)や病原菌、
それらすべてと、戦っている・・・。
だから、ぼくたちは生きている。

生命を、つかさどるそれらの細胞が、
戦うのを、やめたら、
ぼくたちは、腐(くさ)って、
ただのゴミのようになって、死んでしまう。

戦うことは、大変なようだけれど、
生命にとって、それは、
必然(ひつぜん)のことなのでしょう。

だから、生命は、
『戦う』ことによって、
成り立っていると、言えるかもしれない。

それに、人間が本当にイキイキしているのは、
確かに、何かに挑戦している時のような気がする。
そういうときは、大変かもしれないけれど、
確かに、輝(かがや)いてきて、生きがいを感じる!


『革命(かくめい)・・・』

シモーヌ・ベーユが、言っている。

「生命に障害となる、

 あらゆるものとの戦いが、

 革命なのである」

と・・・!

そう考えると、
『革命』は、『生きる!』ためにあるのだろう・・。
また『革命』は、『輝(かがや)く!』ために、
あるのだろう・・・。
そう考えると、
『革命』とは、
『幸せ』になるための『挑戦(ちょうせん)』!
そのものなんだと思う。

それが、
シモーヌ・ペーユが言う、
『生命における革命』なんだと思う。

革命というと、血なまぐさいことを、
考えがちだけれど、
シモーヌ・ベーユが正しければ、
革命とは、少なくとも、
人間を、殺すことでは、ないと思う。
人間を、殺すのでは、なくて、
人間を、活かす(いかす)こと。
それが、ほんとうの革命なのだろう・・。

ひとりの人間にスポットを、
当(あ)てるのならば、
「生きて、生きて、生き抜(ぬ)くこと!」
それが、生命における、
真実の革命のはずです・・。

だとしたら、
仕事における困難(こんなん)を、打開するのも革命、
さまざまな悩みを、解決するのも、革命、
一人の人間の悩みを聞き、
励(はげ)まし、元気づけるのも、革命、

病気を、乗り越(こ)えるのも、革命、
老いに、負けないで生きるのも、革命!
夢を、かなえるのも、革命。

家族を思い、家族を愛し、
家族と共に、生き抜くのも、革命!

人間が、生きることには、
たえず、障害はあります。
けれど、障害に負けないこと、
障害を乗り越えて、生きることが、
革命なのかも、しれません・・・。


革命というと、何か、
とんでもないことのように、思うけど、
また、何か、
特別の立場の人でないと、
関係ないように、思うかもしれないけれど、
革命は、もっと身近で、
もっと、
自分に関係あることなのかも、しれない・・・。

それが、
シモーヌ・ベーユが言う、
『生命における、革命』
なのかもしれない・・・。

だから、
シモーヌ・ベーユが、言うように、
すべての人間に、革命は、ある。
瞬間(しゅんかん)、瞬間、ひとりひとりに、
革命は、ある!

一瞬、一瞬、自分の生命は、
叫(さけ)んでいるのかもしれない。
「負けるな!負けるな!乗り越えろ!!」
その生命の戦いが、
『革命』なのでしょう。


そして、その瞬間、瞬間、
一瞬(いっしゅん)、一瞬の生命を、
変革する力(ちから)のことを、
『南無妙法蓮華経』と、言うことができます。
『南無妙法蓮華経』は、
生命を変革する力(ちから)そのものだからです。

だから、創価学会の人たちは、
さまざまな悩みに直面したときに、
『南無妙法蓮華経』を、となえる。
夢を、希望を、
どうしても、かなえたい時に、
『南無妙法蓮華経』を、となえる。

それは、自分の生命に、
革命を、起こすためです!

そして、
創価学会では、
この革命のことを、
『人間革命』と、いう!

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

池田先生(創価学会インターナショナル会長)
の言葉!

『ひとりの人間における、
 偉大な人間革命は、
 やがて一国の宿命(しゅくめい)の転換をも、
 成し遂(と)げ、
 さらに、
 全人類の宿命の転換(てんかん)をも、
 可能にする!』

これは、生命の叫び声かも、しれない。
ひとりひとりが、持っている、
本当の生き様!
本当の価値(かち)!
本当の生きがい!

それが、『人間革命』なのかも、しれない!

そして、その人間革命が、できる、
唯一(ゆいいつ)の生命の法則(ほうそく)が、
『南無妙法蓮華経』です。

どういうことかというと、
悩みを解決するにしても、
夢や希望をかなえていくにしても、
困難を乗り越えていくにしても、
生命の根底(こんてい)では、
それを可能にし、つかさどっているのは、
この『南無妙法蓮華経』という法則だと
いうことです。

宇宙を動かしている根底のもの・・、
生命を変化させている根源にある力・・。
それが、『南無妙法蓮華経』だということです。


よく言うことだけれど、
人それぞれ、宿命(しゅくめい)がある。

なぜ、宿命というかというと、
それが、なかなか変えられないからです。
変えられないから、人は、苦しむ。

その自分が背負っている、
どうしようもないような苦しみや運命、
抜(ぬ)けるに抜けられない宿命・・。

その宿命を打ち破っていける、
唯一(ゆいいつ)の秘宝(ひほう)が、
『南無妙法蓮華経』だということです。

あらゆる困難を打ち破り、
あらゆる幸せをもたらしていける力(ちから)・・。
それが、南無妙法蓮華経なんです。

だから、「南無妙法蓮華経をとなえる」ことなくして、
宿命を変革(へんかく)していくことは、
できない・・・。


横暴(おうぼう)なようで、
それが、真実だと言えます・・・。

どんなに、あがいたとしても、
どんなに悩んだとしても、
どんなに逃げても、
本当に幸せをもたらし、
現実に、プラスの変化、幸せの変化、
幸運の変化をもたすら方法は、
『南無妙法蓮華経を、となえる』
しかない・・・・!

そう、言えると思います。


だから、
人間が、生きて生きて生き抜く上での、
革命とは、

『南無妙法蓮華経を、となえる!』
ことに、ほかならないと、
言い切ることが、可能となる・・・!


なぜなら、
そこから、すべてが、
変革していくからだ・・・・・・!!!


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


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